カール・マルクス 12
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>>439
例えばそういう時代が到来したらマスク氏みたいな人は
どうするのかな。 マルクスにとっては他律的労働が問題だった。
特に他人の命令に服従して働くシステムが。
それは労働者階級が好き好んで選択したものではなく
生きていくためのやむを得ぬ必要から生まれた
妥協と疎外の産物なんだと。 純一の5日目のマラを洗わせられることになった人は災難だな ロボットやAIが普及しても、最後まで残るのは売春だという説もある。
性的器具がいかに進歩しても「生身の人間の人肌」には勝てないと。
その他については人びとは生身の人間よりも能力の高いロボットを選ぶ。 >>446
う〜ん……そうだとも言えるし、他律的労働の中に
何かを見出す人生もあるかもしれないし…
マルクスだけ責めるのもナンだが、あまりに人間の精神を
単純化してないかな? >>449
好き好んで他律的労働を選ぶというのは語義矛盾だよ。
他人の命令に好き好んで服従するのは他律的労働ではない。
だから他律的労働に幸福を見出す人もいるのだというのは反論にならない。
好きで奴隷になっている奴隷もいるんだという矛盾した言い草だよ。 >>448
残念ながら恋愛やセックスの相手もAI+人工身体で。
という方向に動き出してる。その方が望ましいという
価値観創造の啓蒙も進んでる。まだ先だろうがね…
正直私はついて行けない。 匂いフェチの変態でも、生身の人間だと自分好みの臭さと遭遇できる可能性は少ないでるからね
そうなるとAIに自分好みの臭さを実現してもらった方が、思い通りに興奮できるからいいわよね >>451
そうだとしても生身の人間によるサービスの価値は失われないだろう。
パソコンやスマホや自動車を作る人が生身であることを求める必要性はないが、
性の相手では生身の体の価値はなくならない。
もちろん、それも生身と機械と差を人間が感じ取れる間までの話ではあるが。 >>449>>450
マルクスの労働概念は、他律的だの自律的だのを問題にしているわけではない。
労働の構造を分析している。
すべての資本主義的労働は、搾取と労働者の自己疎外によって成立している。 >>454
搾取と自己疎外も一言でいえば他律的ということじゃないのか?
それらが他律的とは異なるという説明が要るね。 >>454
搾取されることや自己疎外されることに自己実現を見出す労働者もいるんじゃないか? >>456
バカか?そんな人間はいないよ。そう言い切っていいよね? >>457
「自ら好んで奴隷になることを選択した奴隷」
この言葉に矛盾を感じない人ならば、「そういう人はいる」と言うはず。
馬鹿げた話だが、仮にそうだとしても、それを一般化はできないよね? >>455>>456
自律他律を主観の問題として考える立場はあるだろうが、マルクスは構造(システム)として労働を考えている。
マルクスの労働概念には、主観的な要素はない。 >>459
ある人が自分の意思で奴隷になることを選んだか選ばなかったかは
客観的に評価できないこと? >>432
マルクスの資本論も、最終的には生産性が需要を遥か上回って労働は最低限で良くなり誰もが好きなものを欲しいまま
手に入れることができる夢の社会が到来するとしていた。しかし、経済というものは無尽蔵の需要を要求し拡大することが
宿命づけられそこで生きている人々というのは生産力であり労働人口を意味するので、常に足りないということが
この社会を支える原動力であり充足は死を意味する。 >>459
主観的には搾取がなくなったほうが不幸になる労働者もいるということ? 資本主義システムは人類の幸福を実現するための道具だが、
いつのまにか、その道具に人類の欲望がコントロールされて、
人類は道具の奴隷になっているかもしれないって問題でしょ。
それがここで問うた、ケインズかマルクスか。 働く者自身がみずから資本主義システムを牛耳ってコントロールする。
つまり、自律的な労働と消費を手に入れる。
それが共産社会への第一歩(プロレタリアート独裁)だと考えたのが
マルクスとエンゲルスじゃなかったのか? >>460>>463
マルクスの労働概念とは関係がないということ。
議論の評価ではない。 >>466
あなたが理解するマルクスの労働概念とは何?
マルクスは、資本制市場システムにおいては
働く主体と仕事を管理する主体とが分裂して二つの階級を構成し、
働く主体が自らの仕事を自律的にコントロールしがたい状態、
すなわち他律的労働が支配的になってしまっている様を
分析したのではなかったか? 社会主義者の多くやアナキストはそうした働く主体の分裂を解消する
ことに労働の解放・労働における自由の回復を求めたが、
マルクスとエンゲルスはそういう他律労働社会の出現に歴史的必然性を
見ているところがあった。
資本主義社会の中でこそ集産主義的な労働が支配的になる様を見た。
個人よりも会社が圧倒的な権力を握る社会を見たところがある。 >>467
資本主義経済での労働は、労働者の主観とは無関係に、労働者が生み出した剰余価値を搾取され、生産物は資本家の所有となり生み出した労働者のものにはならない。
これが、搾取と疎外。 >>469
自律というのは自分の行為とその結果が自分の所有のうちにあること、
他律というのは自分の行為とその結果が他人の所有のうしにあること。
労働者の行為の結果として産み出された剰余価値が他人の所有になることは
まさしく他律的労働ということでしょ。 >>473
その場合の「商品化された」とはどういう事態を指している?
「匿名の他人のためにパッケージされた」という意味? 物象化か?
マルクスは疎外論捨てて、物象化論にうつったのでは? 資本主義以前は、労働は商品ではなかった。
商品とは貨幣価値化 他律的労働は少なくとも二つの事態を指している。
一、働く行為が働く主体の所有であることを離れて他者の所有として
他者の命令下で営まれることであり、それが社会的に支配的になる事態。
ニ、働いた結果が働いた主体の所有であることを離れて他者の所有物として
他者の意思決定の自由に属するようになる事態。 >>475-477
引っ込んでろよw
バカを晒してるだけだw 商品貨幣交換が主の世界で、
人は主の失い従になる
物象化 >>478
レベル低いと思ったらやっぱりまたキミか
マルクススレのバカ(笑) >>479
「他者の命令下」とか、「他者の意思決定の自由に属する」とかは関係がない。
構造(システム、制度)の問題。 なぜマルクスは資本論で疎外論を捨てて、物象化論に移ったのか >>477
それは労働への報酬が貨幣である場合と現物である場合との違いって意味? 疎外論はマルクスの前からある単純な陰謀論で、
別に資本主義は以前の奴隷に対してでもよかった。
資本論を書き資本主義の本質を示したあと、
マルクスは独自の、そしてより根源的な疎外、物象化論にたどり着いた。 >>485
回り道をしたんだろう。
疎外論的状況を克服するにはその状況を論ずるだけではダメで、
既存の経済学を批判しなきゃいけないと思って。 >>483
そもそも「所有」とは、ある対象がある人の命令下にあることであり、
その対象がその人の意思決定の自由の内にあることだよ。
そうじゃない所有概念ってある? >>486
マルクスの交換論わかる?
資本主義の構造論
人は労働を売ることで商品になって、
資本主義の構造に組み込まれてしまった。
簡単にはお金の流れに組み込まれた。 >>485>>487
『資本論』も読まずに、バカを垂れ流すなw >>485
その場合、疎外論を棄てたという言い方は正しいの?
疎外論と物象化論とが根本的に矛盾することを証明しないと意味がない論だよ。 >>489
ちょっと違うかな。
所有というのは、法としてその権利を持っていること。
所有はしてても自由になるわけではない場合も多い。 >>490
それは疎外論っぽい言い方だね。
構造論というのは疎外論としての性格をもっている。
疎外された観念があたかも実体・物体のように振る舞うものだからね。 >>492
マルクスは資本論で、構造論に入っていく
単に資本家が悪いという陰謀論から、
資本主義の構造を探求し、
構造そのものが生む問題を示す
だから革命とは資本家を倒すことではなく、
下部構造を返ること wiki
物象化(ドイツ語: Versachlichung または Verdinglichung、英: reification)とは、人と人との関係が物と物との関係として現れること。
カール・マルクスが後期の著作(とりわけ『資本論』)で使った概念。
マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ルカーチ・ジェルジや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。 >>497
そんなデタラメを真に受けないで、自分で『資本論』を読めよw 牧野広義の『資本論と変革の哲学ー人間らしい社会をめざして』とかを読むと、
資本論においても疎外論は伏流しているのかなと思える。 マルクスが疎外論止まりなら名を残さなかっただろう。
別にマルクスの発明ではないし、
資本論、物象化論という根源的な構造を発見したから、
名を残し、今も課題に鳴り続ける 実践的には左翼運動に従事し、
理論的には労働者の苦境を告発したからこそ、
マルクス=エンゲルスは後世に名を起こした。 >>501
そんな人いくらでもいる
レーニンの方が名を残すべき >>493
>>489は法学での所有概念の標準的な定義のはずだよ。
その人の自由にならない法的所有というのがあるとしたら、
それは法が持つ形骸的性質のためであって、法の欠陥によるものでしょ。
法的にAさんの所有物となっているものが同時に
Aさんの同意を得ずにBさんが自由に処理する法的権利がある、
なんてことがもしあったら、あるってことだよね?
それこそ法的な矛盾が生じていることを意味するにすぎないんじゃ? レーニンも哲学ノートとかを残していて、
理論においても実践においても業績がある。 レーニンの場合、スターリンの台頭を止められなかったから
マルクス=レーニン主義としては名を残せても、
本人だけではマルクス=エンゲルスに比べるとちょっと小さい。 >>506
実績を残したのはレーニン
しかしマルクスの方が偉大なのは資本論を書いたから >>500
疎外論をより発展させて物象化論に辿り着いた
というのなら分かるけど、
疎外論を棄ててしまったというのは論理的に辻褄があっているのかなと。
棄ててしまったというならば、疎外論と物象化論とが根本的に相容れない、
矛盾するということを証明しなくては論理的に意味がない言明。 >>505
たとえば、土地というものを所有したとする。
税金を払わなければならないという不自由さがあることは当然だが、使うときにも、さまざまな法規制化にある。
自分の自由にできるのではなく、国家の意志=法によって、その自由は大きく制限されている。
それは法的な矛盾ではなく、所有そのものが、国家=法により設定された概念に過ぎないということを示している。 wiki 疎外
マルクスによる概念
有機的身体と非有機的身体に分かれ、自然に抗う「自然疎外」が起こることで生命が始まったように、
近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、
資本・土地・労働力などに転化する。
それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家・地主・賃金労働者などに転化する。
同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、
ものを作る主人であることが失われていく。
また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって機械を操縦する主人であることが失われ、
疎外感を増大させる。
こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者、人間にとって外的・敵対的なもの、
「人間疎外」となっていく。
マルクスは「疎外された労働」が再生産されるこのような社会関係を『経済学・哲学草稿』(1844年)で分析し、
『経済学批判要綱』(1857年 - 1858年)や『資本論』(1867年、1885年、1894年)に継承した。 >>511
理解できないくせにコピペはやめろw
バカは引っ込んでろw >>510
それは「所有が制限されている(限定的所有)」ということを意味するだけだよ。
例えば、私企業だってその所有主の所有物でもあるけれども、
企業活動にはさまざまな規制が法的にある。
それは私企業の所有が法的に制限されたものであることを意味しているので、
私的所有を至上価値に掲げるリバタリアンやネオリベラリストは
そうした規制を緩和せよとか撤廃せよと主張しているわけだ。 国家資本主義や修正資本主義では、私的所有は公共の利益や市場の利益のために
法的に制限されることがある。
また、労働者や消費者の福利厚生のために制限されることがある。
これらは私的所有に対して制限を加えているのであって、所有と意思決定とが
本質的に分離しているということを意味するわけじゃないよ。 物象化が分からないと、
マルクスの革命も、社会主義もわからない
すなわち物象化を超えた社会とはいかなるものか
人が主となる社会とは >人が主となる社会とは
そこで疎外論の解決策としてのヒューマニズムが問題となってくる。 >>495
そもそも構造主義では、ブルジョワジーもプロレタリアートも構造の産物であって
社会的関係にすぎないはずでしょう。
だからブルジョワジーを倒すというのが意味するのはブルジョワジーとプロレタリアート
という階級の産み出している再生産の構造を覆すということを意味する以外にない。 >>513
ちょっと話がそれてるよ。
議論の中身は、>>489に対する所有概念の確認だ。
>「所有」とは、ある対象がある人の命令下にあることであり、
>その対象がその人の意思決定の自由の内にあることだよ。
>そうじゃない所有概念ってある?
これに対する答え。
所有とは、法により、その所有者であると認められること。
だから、資本主義経済での労働者は自分の生み出した価値を搾取され、労働が労働された状況にあるという僕の主張につながる。
資本主義の法の下では、労働者が産みだした価値は資本家のものであり、労働自体もまた資本家のものであるということになる。
むしろ、それが資本主義の定義と言ってもいい。 >>521
労働が労働された −> 労働が疎外された >>520
働き方改革なんか人間主義に基づいた政策なんじゃないのと俺は思うわけです。 >>516
NEET問題は、資本主義が自らが他律労働力として必要としてきた
プロレタリアートという階級の再生産をうまく機能させられなくなっている
ということでしょう。
NEETは一種のストライキでもあるから、労働者に有利な市場を売り手市場もたらす。
だからNEET問題の言説も階級闘争の一貫としてあるという見方を
マルクス経済学者ならしなくてはならない。 ようするに、
物象化を超えた社会、人が主となる社会とは?
ここでマルクスはつまずいた。
だからマルクスの目指す社会とはなにか示されないまま終わった。
理想主義に陥った。
マルクスは失敗したんだよ。 >>524
働き方改革はマルクスではなく、
日本人の勤勉を基本とした社会主義政策
マルクスは失敗し、日本人は成功した。 >>521
所有概念が法概念になるためには、
法が所有とは何であるかを定義していなくては意味がない。
その定義が、
>「所有」とは、ある対象がある人の命令下にあることであり、
>その対象がその人の意思決定の自由の内にあることだよ。
>そうじゃない所有概念ってある?
ということだよ。 マルクスは最終的には社民主義に落ち着いたんじゃないの。
ベルンシュタインがそれを受け継ぐ。
過激な部分はローザルクセンブルクなんだろうけど。 >>525
日本のニートの問題は日本的な問題ではマルクスは関係ないのでは
日本の高度成長期の正規社員重視政策の破綻という、
特殊事情
それも小泉政権のときの問題では
ニートさんたち生まれるタイミング悪かったね >>527
成功はしてないだろ。まだまだ継続中の課題。 >>528
実は、法というのは同義反復みたいな条文が多い。
人の死を定義せずに、人を殺した場合の罰則を制定したり、法自体には暴行とはなにかを定義せずに暴行罪を制定したりしている。
所有についても、定義なく、各種の法が制定されている。
どちらにしてもそれは枝葉の話で、問題は法によって労働者からの搾取と労働者の疎外が制定されているということ。 マルクスの物象化を日本人はいかに乗り越えたか?
勤勉で乗り越えたか。
日本人の勤勉は商品プラスアルファのこと。
いつも商品、すなわち貨幣価値+おもてなしをつける。
ここで、商品交換の構造に疎外されずに、主を保ち続けることに成功した。
そして皆でプラスアルファを分かち合う。 >>529
ベルンシュタインがマルクスとエンゲルスの正統な後継者とみなすなら、
共産主義は社会民主主義や福祉国家の形で漸進的に徐々に実現されてきた
とみなすべきかもしれないですね。
10月革命を認めつつもソヴィエトは議会制民主主義によって推し進めら
れなければならないとレーニンとトロツキーらボリシェヴィキを批判してした
カウツキー、そしてローザ・ルクセンブルクらがその間にいるね。
当初の主流派はカウツキーだったが、ロシア革命以降はレーニンが
思想的主導権を握ってしまった。
その結果カウツキーは日和見主義者のレッテルを貼られてしまったわけだけどね。 日本人はコンビニバイトでも、従に成り下がらない。
勤勉、バイト代を超えた自主性、おもてなしにより、
主を維持する。 >>530
OECD諸国の中では日本はNEET率が極めて低いほうの国に属するよ。 >>536
だから小泉政権の時に排出された高齢ニートが問題。 最近はコンビニバイトに留学生が増えているよ。
学校で語学という理論を、バイト先で日本流の実践を学んでいると言えるかもしれない。 >>532
法が所有を定義していないならばなおさら、
法の下ではじめて所有が意味を持つというのは
おかしな論理だよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています