カール・マルクス 12
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レーニンの場合、スターリンの台頭を止められなかったから
マルクス=レーニン主義としては名を残せても、
本人だけではマルクス=エンゲルスに比べるとちょっと小さい。 >>506
実績を残したのはレーニン
しかしマルクスの方が偉大なのは資本論を書いたから >>500
疎外論をより発展させて物象化論に辿り着いた
というのなら分かるけど、
疎外論を棄ててしまったというのは論理的に辻褄があっているのかなと。
棄ててしまったというならば、疎外論と物象化論とが根本的に相容れない、
矛盾するということを証明しなくては論理的に意味がない言明。 >>505
たとえば、土地というものを所有したとする。
税金を払わなければならないという不自由さがあることは当然だが、使うときにも、さまざまな法規制化にある。
自分の自由にできるのではなく、国家の意志=法によって、その自由は大きく制限されている。
それは法的な矛盾ではなく、所有そのものが、国家=法により設定された概念に過ぎないということを示している。 wiki 疎外
マルクスによる概念
有機的身体と非有機的身体に分かれ、自然に抗う「自然疎外」が起こることで生命が始まったように、
近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、
資本・土地・労働力などに転化する。
それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家・地主・賃金労働者などに転化する。
同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、
ものを作る主人であることが失われていく。
また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって機械を操縦する主人であることが失われ、
疎外感を増大させる。
こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者、人間にとって外的・敵対的なもの、
「人間疎外」となっていく。
マルクスは「疎外された労働」が再生産されるこのような社会関係を『経済学・哲学草稿』(1844年)で分析し、
『経済学批判要綱』(1857年 - 1858年)や『資本論』(1867年、1885年、1894年)に継承した。 >>511
理解できないくせにコピペはやめろw
バカは引っ込んでろw >>510
それは「所有が制限されている(限定的所有)」ということを意味するだけだよ。
例えば、私企業だってその所有主の所有物でもあるけれども、
企業活動にはさまざまな規制が法的にある。
それは私企業の所有が法的に制限されたものであることを意味しているので、
私的所有を至上価値に掲げるリバタリアンやネオリベラリストは
そうした規制を緩和せよとか撤廃せよと主張しているわけだ。 国家資本主義や修正資本主義では、私的所有は公共の利益や市場の利益のために
法的に制限されることがある。
また、労働者や消費者の福利厚生のために制限されることがある。
これらは私的所有に対して制限を加えているのであって、所有と意思決定とが
本質的に分離しているということを意味するわけじゃないよ。 物象化が分からないと、
マルクスの革命も、社会主義もわからない
すなわち物象化を超えた社会とはいかなるものか
人が主となる社会とは >人が主となる社会とは
そこで疎外論の解決策としてのヒューマニズムが問題となってくる。 >>495
そもそも構造主義では、ブルジョワジーもプロレタリアートも構造の産物であって
社会的関係にすぎないはずでしょう。
だからブルジョワジーを倒すというのが意味するのはブルジョワジーとプロレタリアート
という階級の産み出している再生産の構造を覆すということを意味する以外にない。 >>513
ちょっと話がそれてるよ。
議論の中身は、>>489に対する所有概念の確認だ。
>「所有」とは、ある対象がある人の命令下にあることであり、
>その対象がその人の意思決定の自由の内にあることだよ。
>そうじゃない所有概念ってある?
これに対する答え。
所有とは、法により、その所有者であると認められること。
だから、資本主義経済での労働者は自分の生み出した価値を搾取され、労働が労働された状況にあるという僕の主張につながる。
資本主義の法の下では、労働者が産みだした価値は資本家のものであり、労働自体もまた資本家のものであるということになる。
むしろ、それが資本主義の定義と言ってもいい。 >>521
労働が労働された −> 労働が疎外された >>520
働き方改革なんか人間主義に基づいた政策なんじゃないのと俺は思うわけです。 >>516
NEET問題は、資本主義が自らが他律労働力として必要としてきた
プロレタリアートという階級の再生産をうまく機能させられなくなっている
ということでしょう。
NEETは一種のストライキでもあるから、労働者に有利な市場を売り手市場もたらす。
だからNEET問題の言説も階級闘争の一貫としてあるという見方を
マルクス経済学者ならしなくてはならない。 ようするに、
物象化を超えた社会、人が主となる社会とは?
ここでマルクスはつまずいた。
だからマルクスの目指す社会とはなにか示されないまま終わった。
理想主義に陥った。
マルクスは失敗したんだよ。 >>524
働き方改革はマルクスではなく、
日本人の勤勉を基本とした社会主義政策
マルクスは失敗し、日本人は成功した。 >>521
所有概念が法概念になるためには、
法が所有とは何であるかを定義していなくては意味がない。
その定義が、
>「所有」とは、ある対象がある人の命令下にあることであり、
>その対象がその人の意思決定の自由の内にあることだよ。
>そうじゃない所有概念ってある?
ということだよ。 マルクスは最終的には社民主義に落ち着いたんじゃないの。
ベルンシュタインがそれを受け継ぐ。
過激な部分はローザルクセンブルクなんだろうけど。 >>525
日本のニートの問題は日本的な問題ではマルクスは関係ないのでは
日本の高度成長期の正規社員重視政策の破綻という、
特殊事情
それも小泉政権のときの問題では
ニートさんたち生まれるタイミング悪かったね >>527
成功はしてないだろ。まだまだ継続中の課題。 >>528
実は、法というのは同義反復みたいな条文が多い。
人の死を定義せずに、人を殺した場合の罰則を制定したり、法自体には暴行とはなにかを定義せずに暴行罪を制定したりしている。
所有についても、定義なく、各種の法が制定されている。
どちらにしてもそれは枝葉の話で、問題は法によって労働者からの搾取と労働者の疎外が制定されているということ。 マルクスの物象化を日本人はいかに乗り越えたか?
勤勉で乗り越えたか。
日本人の勤勉は商品プラスアルファのこと。
いつも商品、すなわち貨幣価値+おもてなしをつける。
ここで、商品交換の構造に疎外されずに、主を保ち続けることに成功した。
そして皆でプラスアルファを分かち合う。 >>529
ベルンシュタインがマルクスとエンゲルスの正統な後継者とみなすなら、
共産主義は社会民主主義や福祉国家の形で漸進的に徐々に実現されてきた
とみなすべきかもしれないですね。
10月革命を認めつつもソヴィエトは議会制民主主義によって推し進めら
れなければならないとレーニンとトロツキーらボリシェヴィキを批判してした
カウツキー、そしてローザ・ルクセンブルクらがその間にいるね。
当初の主流派はカウツキーだったが、ロシア革命以降はレーニンが
思想的主導権を握ってしまった。
その結果カウツキーは日和見主義者のレッテルを貼られてしまったわけだけどね。 日本人はコンビニバイトでも、従に成り下がらない。
勤勉、バイト代を超えた自主性、おもてなしにより、
主を維持する。 >>530
OECD諸国の中では日本はNEET率が極めて低いほうの国に属するよ。 >>536
だから小泉政権の時に排出された高齢ニートが問題。 最近はコンビニバイトに留学生が増えているよ。
学校で語学という理論を、バイト先で日本流の実践を学んでいると言えるかもしれない。 >>532
法が所有を定義していないならばなおさら、
法の下ではじめて所有が意味を持つというのは
おかしな論理だよ。 >>538
だからそれは資本主義の階級再生産の問題でしょう。
そしてそれは資本主義のシステムの中で産み出された構造的な問題。
NEETも資本主義システムと無関係な概念じゃない。 正統!
マスクスはそのはじめから自然主義を持っていた。
一時期、類的存在を理想としたように、
動物のように自然と協調した関係を理想としていた。
結局、そこから抜けられなかった。 >>543
だから日本が終身雇用を基本とし、
新卒を重視のした故に
そこに乗れる人と乗れないニートが生まれた。
日本の特殊事情。 >>543
hikikomoriもそうだわな。
システムに順応できていない人たち。 資本主義経済システムは、
それが不可欠とする階級と階級関係を再生産することで
持続するシステム。
NEET問題が資本主義経済システムで問題になるのは
資本主義経済システムがプロレタリアートという他律労働に
従事する人的資源を必要としているからであって
それを再生産する必要があるから。
NEETはその再生産からこぼれ落ちる、資本主義のディシプリン外に
いる存在だから、資本主義システムの統制から外れてしまっている。
それでは大変だということになっている。 >>547
順応ではなく、
ある世代に受け皿がなかった人たち。 >>540
法というのはそういうもの、としかいいようがないかな。
定義はそれぞれの態様にしたがうということ。 >>548
資本主義でなく、
日本の世代論だよ。
生まれる時期が悪かったね。 >>551
世代論だとしてもそれはプロレタリアートの世代論だよ。
プロレタリアートの再生産論の中で
マルクス経済学やマルクス政治学的に論じられる問題。
プロレタリアート問題という資本主義の再生産問題だよ。 今みたいに脱学校化した時代なら、
学校段階での落ちこぼれから引きこもりやニートに繋がったりしない可能性が高いだろうね。 日本企業の不況と、小泉政権の規制緩和で、
日本企業が非正規雇用を活用した。
今では労働不足だし、同一賃金の流れだし
簡単には非正規雇用を活用できなくなってる。
ほんと悪いが、運が悪かったとか言えないよ。
ほんとごめん。 >>552
いや、日本の政治のミス。
ほんとごめん。 >>553
ボールズとギンタスは、資本制学校が資本制企業をモデルに作られた
プロレタリアートの再生産システムであることを分析していたよ。
それが彼らの初期の頃の功績。
学校に順応するときに必要とされる性質が資本制雇用システムが
プロレタリアートに求めるそれとフィットしている。
学校教育もまた資本主義市場のゲーム統制下にあるということを解明した。 >>556
>学校教育もまた資本主義市場のゲーム統制下にあるということを解明した。
なにが新しい???
フーコーが言ってることとちがう?
資本主義の成功には、義務教育よる国民教育が重要なのは誰でもいってるけど??? 資本制生産様式は集産主義的な工業システムを発達させたんだよ。
それが工場労働者というプロレタリアートを生み出した。
しかし初期のころの資本制はプロレタリアートをうまく統制できなかった。
そこでプロレタリアートを教育してプロレタリアートらしくしようとする
学校教育システムを発達させてきたんだよ。
だから学校は資本制企業を模倣したような組織構造になっている。
つまり、生徒が民主主義的に意思決定できない資本制企業をモデルに作られている。 アメリカの場合、ハイスクールを中退して就ける仕事が移民に取られたり
外国との競争で無くなってしまったりして、その層がトランプを大統領に押し立てた。
日本の場合はtwitterや5chで発散されているから、安倍内閣は安泰なんだろうなとも思う。 >学校は資本制企業を模倣したような組織構造になっている
部活がそれなんだろうけど、
>生徒が民主主義的に意思決定できない
一応生徒会があるからこれは違うと思う。 資本主義も生産から消費重視になって、
学校は自由を教えるようになった。
夢を持て! >>557
フーコーの『監獄の誕生』は1975年
ボウルズとギンタスの『『アメリカ資本主義と学校教育』は1976年。
ほぼ同時代の業績。 >>562
なら、一般的に知られたフーコーでいいだろう(笑) フーコーは、生権力へ展開し、今も大きな影響を与えてるんだから フーコーは人文系で、ボウルズとギンタスは理系の人だから、
それぞれアプローチの仕方が違っていて、後者のほうがより実証的。 同時代の左翼知識人を他に言えば、
マルクーゼがどういうわけか中公クラシックスに収められた。
真に受けるのではなく、乗り越えるべき知識人なのだろうな。 経済成長が作れば売れる時代から、いかに消費させるかにうつってから、
教育現場も個性や自由を重視されるようになった。
生権力への以降、
いかに生かすか、自由にさせるか フーコー氏は、マルクス主義者が階級闘争の階級分析ばかりを注目して
闘争の分析のほうをおろそかにしていることに不満を漏らしていた。
彼はゲームの理論を取り込んで、闘争理論をそこでもっと理論的に定式化
すべきだったかもしれない。 フランス系思想の文脈がわからないのかな?
構造主義を乗り越えるフーコーでの立ち位置 >>574
違わないよw
いつまで恥をさらしてるんだよw 去年10月に出た『ポスト68年の私たち』(平凡社)では、
フーコーの論文で階級闘争についても論じられているがな。 >>575
フーコーの闘争は、
単に思想の遍歴の意味が
マルクス主義的な階級闘争となーんの関係もないだろ。 フーコーは、規律訓練当たりまではまだ支配者と被支配者の権力論を引きずっていたが、
生権力辺りから、権力二元論から時代の統治形態論へ移っていく。
そこでは誰か支配者がいるとかではなくて、
その時代の文化論に移っていく >>577>>578
思想遍歴なんかと関係ないよw
いつまで恥をさらすんだ? >>579
マルクスもフーコーも、読みもしないでデタラメ垂れ流すなよw 晩年のフーコーはカントの『啓蒙とは何か』に立ち戻り、
古代ギリシャの「パレーシア」(本当のことを言う)を打ち出し、
階級闘争につなげた。 >>583
それのなにが、思想の遍歴の意味としての闘争なんだよw
バカは引っ込んでろ。 >>584
カントの題名と同じ「啓蒙とは何か」という論文が出てるし、
『啓蒙の運命』に載せられた市田論文や
平凡社の本に収められた箱田論文を読めばわかる。 >>587
研究者の思想の系譜を辿ってるだけだよ。 フーコーの階級闘争的思考は、京大の人文科学研究所の系統の学者たちの書物を通じて
学ぶことができる。 >>590
研究者の本を通じてなんとなくはわかる程度でいいんじゃないの。
フーコーの思考集成に手を出す気は正直起きない。 いいけど、京大さんがなにを言ってるか言ってることともらわんと いま、フーコーはちくま文庫からコレクションが出てるよ。
啓蒙とは何かもコレクション6に入ってるけど、なかなか難しい。 フーコーはマルクスを正確に理解している
リカードとマルクスは同じ時代の産物だ マルクスを崇拝する人間はマルクスを理解していないし、
マルクスを馬鹿にする人間は読んでない
ドゥルーズA.Oでマルクスについての原注をめくってみると、
なぜかフーコー『言葉と物』について書いてある。
これはドゥルーズ/ガタリがフーコー経由でマルクスを理解したということだ
フーコーのマルクス理解は本物で、例えば、資本論第二部について「複数の権力」が
あることを示していると指摘するなど、的確だ。
リカードとの関係性の把握も正しい。吉本との対談でもわかるように、
経済学の歴史性をわかっている。 また意味不明な書いてるな
アンチオディプスをマルクス理解なくどーやって書くんだよ(笑) 経済版の馬鹿どもは全員ここに逃げたのか?
あっちにレスしてもまったく反応もなくなったぞ
ロバートキヨサキ・小室直樹・副島隆彦学ぶと討論において無敵になれるな マルクス経済学 第3章
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/economics/1504824267/
ぐうの音も出ないほど打ち負かした俺の論理に注目しよう
最後にはマルクス主義組織とキリスト教組織の本質があらわになる歴史的瞬間も見れるぞ
知識人を超えた天才誕生の瞬間が見れる >>597
荒らしに辟易して書き込まなくなっただけでは? 反動を利用した拝金主義の強化と現金廃止による情報の一元管理が、
日本の自称左翼が実現を目指している目標でしょうね。それは反動
を利用する必要があるという意味で本質的に自称右翼とも連携して
いるわけだが。 門の右側に座っていようと、左側に座っていようと、所詮、狗は狗だ。 コテとキチガイはNGに入れてるんだけど、それでも最近書き込み増えたな >>601
少しでも調べれば分かるが
日本の社会主義はキリスト教徒が作った
社会党も共産党もそう
ソ連ではない
だから北一輝はそこから抜け出した
明治維新は反仏教のキリスト教解禁運動というのが本質なんだよ
神道はそこでキャスティング・ボートの役割を担った
こんな常識すら知らない馬鹿だと現実なんて何も理解できなくなる
マルクス主義者は現実がなく妄想の中で妄想と戦ってるから強い
キリスト教徒が居もしない神側について悪魔と戦ってるのと一緒 ここの馬鹿どもはプロテスタントとカトリックを無視するから言ってることが頓珍漢で何も理解できないんだろうな 威嚇じゃないが俺は5ちゃん止める。
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