カール・マルクス 12
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20世紀の経済動向に関しては宇野弘蔵の経済政策論が参考になる
経済原論よりわかりやすい
柄谷行人は世界史の構造で循環論的に宇野弘蔵を発展させている
マルクスとの違いは生産より交換を重点視した点だ
また国家を資本を別の原理として把握している >>57
柄谷はファンタジーだから
面白いが、実際の歴史は関係ない 宇野の本はいろいろ買ったけど難解すぎて1冊も理解できなかった。対談集とかだと違うのかなぁ 宇野弘蔵の『恐慌論』は、
30年代のアメリカのケインズ政策が上手く行っていなかったことが
実証されていたことがわかっただけでも収穫。 日本で初めて国家社会主義的な実験が試みられたのが満州である。
日清、日露戦争で勝ち取り、満州事変後、国家にまで拡張した。
鉄道網、そして豊富な地下資源など、国家主導の産業統制が進められた。
その中心人物が、昭和の怪物岸信介である。そう、安倍首相のおじいちゃま。
政府から鳴り物入りで派遣されて、その手腕で軌道に乗せる。
その時に手本にしたのが、ソ連の計画経済と、ナチスドイツの国家社会主義である。
その後、岸信介は日本に戻り、日本の国家総動員体制づくりを手伝うことになる。
敗戦後、岸も戦犯として拘束されるが、釈放後、政治家に転身し、自民党立ち上げの主翼メンバーとなる。
自民党内、かつての国家総動員の人脈を駆使して、官僚とともに、戦前の国家社会主義的な運営を継続する。
すなわち官僚主導の国家運営、
その後、岸は首相となり、あの全共闘運動の抗争の中、やや強引な手法で日米安保条約を成立させる。 もう一人のおじいちゃんの安倍寛は左翼。
安倍晋三は消費増税に慎重で、高所得者から税金を多く取ろうとしている。 国家を総動員しても死体を起こして死体とくたばるだけじゃないのか。 >>63
Wikipediaを信じるなら、
安倍寛という人物は日本進歩党に属していて
日本進歩党は保守系の政党と記述されているよ。
それ以前の立候補で公認を得た立憲政友会を保守系の政党でしょう。
ただし徹底した非戦主義者だったことも記されているね。 いまの団塊左翼の憲法改正反対は、若い頃の岸信介やまんまとやられた恨み、安倍首相で晴らそうとしてるのかもな。
その後、普通にリーマン勤めてたくせに、年取って暇になって暇つぶしで、青春ごっことか、
いい迷惑だよ >>62
安倍家は戦後GHQ右派と密約を交わしたのかな? >>66
団塊左翼は70年安保の時大学生で騒いでいたんであって、60年安保の時はまだ小・中学生。
立憲民主党の最大の支持層だろうね。 「日本は最も成功した社会主義国だ」以上にクソな言説はない。
社会主義に対する誤解を招くし、これが言われた当時の状況を見ても実態を反映しているとは言えない。
出所もゴルバチョフの言葉として紹介されることもあるが、実際はそんなことはなく、怪しげな出典しか出てこない。 国民皆保険とかを指して、アメリカに比べれば国民のことを考えているだろ?
と信じ込ませるような言説だわな。「日本は社会主義」説は。 >>72
ちょっと話はそれるけど、「日本は社会主義」説、というのは、社会主義が正しいという価値観で語ってるよね。
資本主義は正しい、という視点がむしろない。
左派だけではなくて、右派や保守も、資本主義は間違っている、と考えているんだろうか? >>73
資本主義に薄々脅威を抱いているんじゃなかろか。
利潤追求、規模の経済、周期的恐慌・・
あんまり表立って怖い怖いとは言わないけど、
維新を唱えたり日本のこころに立ち返ろうと言ったりして、
資本主義的状況に対応しようとしているのかもしれない。 日本は社会主義がいかに語られているのか調べようと思って検索したらウィキペディアに日本型社会主義のページがあった
ウィキペディアによると否定的な評価から使用されることもあるみたい
しかし日本語のページしかなかった
日本が社会主義かどうかなんてあまり建設的でない話
論者によってはケインズ主義も社会主義的なんだから 歴史上日本は、公地公民制を取るなどして原始共産制みたいなことをしでかしていたのだから、
社会主義に親和性はあるかもしれないね。 日本はもっとも成功した社会主義であることは紛れもない事実だからね。 アメリカやソ連に比べたら確かにそうだわな。
でも、その構図も「子供の貧困」というテーマが持ち上がって崩れつつある。
(子ども食堂という解決策はある意味社会主義的ではあるけれど。) 日本型社会主義論は日本が福祉国家であったかのような錯覚をさせるが、
日本は福祉国家とは分類されていない。
唯一考えられるのは日本型雇用とか経営と言われているものであるけれども、
これはもともとあった日本の雇用市場の性格から来ているわけじゃない。
戦前の日本は今のアメリカや中国並みに不平等な格差社会であったことが
知られている。 また「終身雇用」と呼ばれた長期雇用形態についても、
日本の独自性を疑問視する実証研究があり、
議論の余地が残っている。
『日本人は集団主義的』という通説は誤り
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_200930_j.html そもそも社会主義というのが多様で、
たとえはナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党の略。 論者によって社会主義の意味が異なるから
日本は社会主義とか日本は最も成功した社会主義とかそういうのには何の意味もないんだって
魚類には目が二つある
私には目が二つある
私は魚類だ
私は最も知能が高い魚類だ
と同レベルの話なんだよ 日本もアメリカも欧州もクズネッツ曲線が通用した(ピケティ氏がいう)特殊な時代に
共通して社会主義に少し近づいた資本主義になっただけじゃないだろうか?
それは日本的な特徴であったというよりは、世界システム下での共通性だった可能性が高い。 >>82
■日本はもっとも成功した社会主義国家
もうみんなすっかり忘れてしまったが、明治以降、日本は今よりずっと自由競争社会だったということ。
企業は株主を重視して、株式から資金を調達して、そして株主に還元する。
従業員の流動性は激しく当然、終身雇用などない。
景気が悪くなればバサッと首にされる。
また会社自身も競争が激しく、できては消えるを繰り返す。
資金のあるものは株主になり儲け、労働者は低賃金ですぐに首を切られる、まさに自由主義格差社会。
さらに明治政府の地租税改革は、農民に厳しく、地主に有利な税制だった。
明治政府はとにかく金がなかった。
江戸幕府、そして各藩は金がなくて借金だらけで、抵抗なく廃藩置県に応じたと言われる。
それを引き継いだ明治政府も借金まみれで、しかし産業育っていたい時代、金を取るのは農民からしかない。
税金を払えない農民は地主に土地を売る。
地主、資本家が富み、農民、労働者が貧しい超格差社会だった。
産業振興もあり、企業に課する税金は安いだけでなく、
殖産産業で政府が投資した工場を資本家にただ同然で払い下げる。 明治政府は左翼を徹底的に弾圧した。欧州視察の時代はまさに西洋革命の時代で、左翼の恐ろしさをまざまざと見てきたからだ。
超格差社会でありながら、西洋のような労働運動は、抑圧される。
その頂点が昭和恐慌だった。
世界恐慌と連続して起こった恐慌に、農民、労働者は子供を売るほど、苦しんだ、
その中で立ち上がったのが、右翼の青年将校たちだ。
彼らの多くは農家の出だったら。
226事件までの数年間は青年将校たちによる財閥幹部、政治家を狙った暗殺、そして国家社会主義を目指したクーデターが繰り返された。
結局、226事件にしろ、クーデターは失敗に終わり、彼らは逮捕されて処刑された。
しかしこれ以降、政治の主導権は軍部に移った。
そして軍部、官僚主導の昭和維新政治改革が行われた。
国家総動員体制として、軍事費調達の政策の面が強調されるが、
そこには、自由主義超格差社会から国民のための国家社会主義的な政治転換の意味も大きい。
まず株式相場は政府の管理下に置かれ、配当は制限された。
企業は株式相場からの資金調達に変わり、国家からの管理された補助により資金調達する。すなわち国家による統制される。
産業全体が官僚指導により進む。
従業員の雇用安定として、終身雇用が推奨され、また中小企業を積極的に活用するよう推奨された。
官僚はまた税金を地方へも回し、全国的な貧困対策を推進する。
まさにここに日本型国家社会主義体制ができる。 >>85
社会主義じゃなくてケインズ主義の時代だろ?
もはやエクリチュールの戯れというレベルをこえてるぞ ナチスは優生学を推奨した。優生学は極めて新自由主義的な、
遺伝子という生まれによる格差をそのままその個人の自己責任に帰して
その人を処遇してしまうという乱暴なもので、これを社会主義というのは
いかがなものか? 日本で初めて国家社会主義的な実験が試みられたのが満州である。
日清、日露戦争で勝ち取り、満州事変後、国家にまで拡張した。
鉄道網、そして豊富な地下資源など、国家主導の産業統制が進められた。
その中心人物が、昭和の怪物岸信介である。そう、安倍首相のおじいちゃま。
政府から鳴り物入りで派遣されて、その手腕で軌道に乗せる。
その時に手本にしたのが、ソ連の計画経済と、ナチスドイツの国家社会主義である。
その後、岸信介は日本に戻り、日本の国家総動員体制づくりを手伝うことになる。
これにより日本の格差は解消して、景気も回復する。
しかしすぐに戦争に突入する。
多くの人が勘違いしているが、
敗戦後、アメリカによる民主化が進んだと思っている。
確かに、軍部は解体されて、民主主義化は進んだが、
戦後から続く国家社会主義体制の解体は不十分だった。
その理由は、アメリカは産業分野には比較的手を入れなかったことと、
またすぐにソ連共産主義との対立で、
日本の民主化を抑えて、戦前の官僚などを復活させて、運営を任せた。
官僚主導の国家社会主義的な面は、法律含めてそのまま残された。
そしてそれが結果的に、護送船団方式と呼ばれて、高度成長に活躍することになる。
敗戦後、岸も戦犯として拘束されるが、釈放後、政治家に転身し、自民党立ち上げの主翼メンバーとなる。
自民党内、かつての国家総動員の人脈を駆使して、官僚とともに、戦前の国家社会主義的な運営を継続する。
すなわち官僚主導の国家運営、
その後、岸は首相となり、あの全共闘運動の抗争の中、やや強引な手法で日米安保条約を成立させる。 >>89
そうやって一部の特徴だけを取り出してああだこうだやるのは
魚類には目が二つある
お前にも目が二つある
お前は魚類だ
と同じなんだって
いい加減にしろ 国家社会主義的な面を改革しようとしたのが、
小泉内閣の構造改革政策だ、
金融などいくつかの面で、昭和維新以来の自由主義的な法改正にこぎつけた。
しかし全体から見ればまだまただ。
今となっては、格差の増加、非正規雇用はまさに小泉規制緩和で増加した。
いまや失われた世代と言われている、
そしていまの安倍政権は、政府主導の大企業への投資など、むしろ国家社会主義へ回帰している面が強い。
そしていま人類史もっとも豊かで公平な社会を実現している。 >>88
その時代に政治的傾向として行われたのはケインズ主義だけではないし、
ケインズ主義自身も、資本主義を社会主義に接近・擬態させる適応によって
資本主義をなんとか保持させるという冷戦的目的をもったものだった。
だから、冷戦構造が終焉するやいなや、新自由主義へとシフトしたのも
資本主義の必然だったことがわかる。 日本がもっとも成功した社会主義国家であることは、日本だけピケティの格差法則から外れていることからもわかる、 小泉規制緩和にいい面も多いし、増税や減税の調節もいいと思う。 ピケティの格差法則から外れているのはアメリカもだよ。
アメリカの格差は労働所得による格差が大きくて
CEOが給料配分を他の労働者の意見を無視して自分の都合がいい
ように行えるという資本制企業の経営独裁制から来ている。 >>97
それは外れ方が逆の意味であって、
基本、格差法則にそってる。 日本型社会主義論で想起したのは、森嶋通夫さんの晩年の著作。
彼は日本のそれを「上からの資本主義」と呼んだ。
「国家資本主義」という言葉があるが、これはレーニンがNEPに
おいて用いた用語だったが、ソ連の例にかぎらず、
多かれ少なかれ開発独裁の性格をもった政治経済形態が後発工業国
に見られたのは事実だったのではなかろうか? まあ、傾斜生産方式とかを採るのは、
社会主義的とも上からの資本主義的とも言えるかもしれないな。 >>94
そのケインズ主義が資本主義を社会主義に擬態させたっていう認識について
一部の特徴だけを取り出してああだこうだやってると言いたいんだよ
ケインズ主義は資本主義のバリエーションの一つとして
資本主義は資本主義として
社会主義は社会主義として
それぞれ扱うべきだということ
当然資本主義や社会主義にも様々なバリエーションがある
それは魚類にサバやマグロがいるのと同じ
そしてマグロにも様々な種がいる
それらは全て同じではない似ているとか似ていない関係なく全て異なった生き物なんだよ >>101
社会主義が市場経済における政府の役割に重きを置くものだと仮定すると、
ケインズにおいても一般には市場経済に政府の役割を重視するほうへシフト
させるというのが通常の議論でしょう。
つまり、社会主義に資本主義を接近させるという表現はその事実を客観的に
捉えているだけであって、その現象そのものは社会主義・資本主義という
言葉には左右されない事実関係の科学的描写にすぎないよ。 >>102
その仮定がトリックなんだって
こう仮定すればまたはこう定義すればこういう結論になるでしょう
この論法を使えば自説をいくらでも「真理」や「客観的事実」に見せ掛けることができる
例えば社会主義を「階級のない協同社会をめざすもの」とか「革命を起こそうとする」(いずれも科学的社会主義=マルクス主義)と定義したらケインズ主義が資本主義を社会主義に擬態させたっていう認識は偽となる >>101
それはケインズはニューケインジアン的バイアスから評価しているんじゃないかな?
ポストケインジアン的解釈可能性をイデオロギー的に排除している。 >>103
マルクス主義者は呆れかえって苦笑してるんだよw >>104
その仮定は通俗的な社会主義の仮定にもっともよく適合している。
その仮定を採用しなくても、たとえばポストケインジアンのような存在がある。
マルクスとケインズとの両方に通じていて、ポストケインジアンの中には
根本的な矛盾がそこにあるわけではない。 >>106
あなたはどう見てもニューケインジアンであって、
マルキシャン、マルキストではない。
禊健太郎さんも、ピケティを高く評価しているようだが、
マルクス経済学にはどちらかというと否定的だ。 >>105
>>107
だからマグロにも様々な種がいるって言ってるよね
クロマグロとミナミマグロがいるからといってマグロという種は動揺しない
俺が問題にしているのは
自説を「真理」や「客観的事実」に見せ掛けるために
仮定や前提を設定したり一部の特徴だけを取り出してああだこうだやることなんだよ
>>107に至ってはもはやケインズ主義の話になっている
ケインズ主義の時代だと認めてるようなもの >>110
あなたは自説にちゃんと説明を加えていない。
「違うものは違うんだ」を繰り返しているだけ。
これでは理論にもならないし、反証可能性もない。 >>111
異なるものとして扱われているから異なる言葉が与えられている
これが証拠だよ https://www.marxists.org
このサイトにマルクスのみならずケインズの文献も収められているのは興味深い。 そもそもマルクスは、実行の政治、経済の形態を示していないわけで、
なにか理想的な形態があるように云うのはトリックだろ。
さらには社会主義はマルクスの前からある。 ただ日本型国家社会主義が成功した背景は、
西洋型ではないということ。
江戸時代から引き継いだところが多い。
これは中級編だから多くは語らないが >>114
実行に向けて活動してた連中はたくさんいたじゃないか?
たくさん殺して 昭和維新や岸信介の国家社会主義は、北一輝を手本にしたわけだが、
北一輝は西郷隆盛を奉仕していた。
なぜ西郷隆盛は明治政府と対立したか。
そこにあるのは、
西洋型自由主義を急速に取り入れる明治政府と、
日本型社会主義?にこだわる西郷。
昭和維新は、西洋化に対する日本人の伝統的社会主義の揺り戻しがあり、
そのときにできた法制度がいまだに運用されているというのが、
日本型国家社会主義だろう。 >>114
ざっと見返したけど(見落としてたらごめんなさい)
マルクス個人に言及しているとも読めるレスは>>107>>113くらい
誰のレスのどの部分に反応してレスしたの? >>116
活動家はたくさんいたが、実際に国の設計図を書いていないということ。
マルクスの社会主義が何かはなにもない。 >>120
キミにはまだ無理だろ。(笑)
日本人と西洋人の違いわかる? >>121
わかりません
おしえてください
みそぎさんのようにかしこくなりたいのでおしえてください >>122
では、江戸時代の経済について簡単にまとめなさい。 >>123
初級は、民族という変数はなくして、
単純に考える、
中級は、民族という変数を考慮する、
方程式は難解になるが。
上級は…… 日本社会主義の祖
いまの日本を作った影の思想家
北一輝
・天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
・ブルジョワ市民社会の個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。 将来起業して、経済を牽引するのが夢だけど、
そしたらマルクス主義者に粛清されるのかね… 北一輝は、226事件の青年将校たちとともに処刑される。
実行犯でもなければ、首謀者でもないのに、
ただ226事件の精神的な師であっただけで、
危険人物として
しかし結局、その後、北一輝の国家社会主義を学び、日本を作っていった。
いまの日本の建国の父ともいえる、 北一輝の国家社会主義の特徴は、
西洋型の貨幣分配を基礎にするのに対して、
献身的道徳による国家社会主義。
日本人伝統の道徳を基礎にした。
まさにいまの国家社会主義の原型。 >>127
社会的起業は何も営利事業に限らずNPOとかでやるのもありでしょ。
マルクス主義者はそんなに剣呑なものではない気もするけど。 要するに勤勉を基礎にした社会主義。
岸信介も北一輝信者だったが、
安倍首相も隠れ信者だろう。
働き方改革とか。 このスレのみんなが嫌いな勤勉。
しかし生活では、多くを依存している日本人の勤勉。 >>129
伝統とされるものは全て破壊する。マルクス主義を志向する人なら基本。 サービス残業も日本人の美徳だったし、
むしろみんな喜んでやった。
それでいまの日本の繁栄があるんだけど、
いつから悪者になったのか。
サービス残業を無くそうとしているのは労働者側ではなく、
経営側であるのはポイントだね。 >>133
依存や利用してる上でその存在を否定してもいいだろ。
思想信条の自由だ。 >>135
戦後の共産主義はむしろ、
グローバルなブルジョア経済に対して、
民族の独立を目指したんだけどね。(笑) >>132
搾取してたら制裁を食らうのは今でも同じでしょ。 >>124
幕府諸藩の収入は年貢として納められる米であったが米は通貨ではなかったので米を換金する必要があった
このことが米の中央市場(換金場)としての大坂や江戸を中心とする全国的な流通網が発達した原因となる
一方新田開発や商品作物の生産も盛んであり次第に生産力が向上していった
ダメだ
どう頑張っても民族という変数を考慮できない 最近の日本史の教育では、以前ほどは鎖国的ではなかったと教えているらしいね。 >>142
笑ってるけど
あなたの主張は
自説を「真理」や「客観的事実」に見せ掛けるために
仮定や前提を設定したり一部の特徴だけを取り出してああだこうだやること
なんだよ
>>143
4つの口とか言うやつね まずは江戸時代はプレ資本主義だった。
元禄に江戸で消費社会が花開いた。
そして広がり、江戸の後期に各地の土地で消費社会が活発になる。
農民はただ田畑を耕していただけではない。
現代の地方の名産品の多くは江戸時代に作られた。
農民は現金収入を得るためにも積極的に市場に参入した。
もう一つは、武士は儒教的精神性から商売を嫌った。
商売による利益を来たないものとした。
このことからも税収を農業からの年貢に絞り、
商人からの徴収は緩く、
農民もまた商業に積極的に関わった。
日本人の勤勉の理由の一つがここにある。
頑張ればそれだけ富が得られる。 農業から、とくに米を税収の中心に据えることで、
それを現金に替える米相場が重要になる。
しかし消費経済で緩やかにインフレしていく中で、
米の価値は相対的に下がっていく。
これによってどんどん幕府、藩の財政は悪化していく。
このために江戸幕府がとったのが、享保の改革、寛政の改革など、倹約令だ。
消費を抑えて、インフレを抑えて藩の財政を立て直す。
しかしそんなことで消費社会はとまるはずはなく、
江戸末期には各藩の財政は破綻状態にあった。
それに比べて、商人や農民はむしろ消費社会と勤勉ブームで潤っていた。 なぜ幕末、薩摩が力をつけたか。
全国的に金欠の中で薩摩藩は沖縄などの産物を、長崎で外国に得る権益を持ち、財政的な潤っていたからだ。
それを軍事に費やすことができた。
長州しかり 江戸はすでに世界一の大都市で、治安、清潔の面でも世界に他に例を見ない。
結局、武士という世界に例を見ない真面目な支配者層故に、
豊かで公平な社会が実現されていた。
世界のどこに献身に働き、清貧を貫き、領民が贅沢する支配者層がいるだろう。
西洋の支配者は労働を卑しいものとして、いかに領民から金をとって贅沢するかしか考えない。
なぜなら支配者と領民は異なる人間なんだから。
この伝統は日本の公平の伝統は今も引き継がれている。 >>145
努力しようがしまいが収入は同じ。そもそも努力して富を得る方法や環境は無くなる。それがマルクス的世界だよ。 西郷隆盛を敬愛した北一輝の国家社会主義、
献身的道徳による国家社会主義とは、このような江戸時代からの流れで理解しなければならない。
そしてなぜ日本が最も成功した社会主義国家になりえたかも。
北一輝の国家社会主義
・天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
・ブルジョワ市民社会の個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。 商品作物の生産は百姓が勝手にはじめた側面よりも藩政改革による一種の殖産興業の影響が大きい
勤勉革命や武士と商売の関係を語るには職分論に言及しないといけない
つまり士農工商にはそれぞれの役割があってその役割をきちんと果たすべきだという考え
それは利益が出るからとか卑俗なものではない
加えて西洋的な個人的所有ではなくイエ的所有に基づく生産活動が行われたことも見逃してはならない ただし気を付けなければならないのは江戸時代の勤勉革命における勤勉と明治以降の産業化における勤勉を同一視することは媒概念曖昧の虚偽を犯している可能性があるということ
前者における勤勉と後者における勤勉は必ずしも一致しているとは言えない
幕末に日本を訪れた西洋人は日本人はまじめだと書く一方で納期を守らないとも書いている
明治以降の勤勉は江戸時代の勤勉を下地に西洋のというか産業化時代の勤勉観を接ぎ木されて形成されたものと考えるべき
例えるならばライオンとトラの雑種をライガーと呼ぶようなもの
ライガーはライオンでもありトラでもあるがライオンでもなければトラでもない
禊の誤りはここにある >>152
現代は百姓は農民のことのように言われるが、
漁業も百姓だ。
そもそも日本は自然に恵まれている。
周りは海にがある。
海とはハイウェイだ。
江戸時代より遡っても、農民は単に農業だけに従事していない。
さらには日本の農民の自治は戦国時代に遡る。
秀吉や家康の全国統治は、すでにある農民たちの自治村を管轄したに過ぎない。
基本的に、村の運営は農民に任せる故に、統治できた。
>つまり士農工商にはそれぞれの役割があってその役割をきちんと果たすべきだという考え
この考えは比較的江戸時代の後期に、石門心学以降だろう。
その最初から、武士は商売による利益を卑しいとする伝統がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています