カール・マルクス 12
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キリスト教は日本ではブルジョアの精神安定剤として使われてそう。
フォイエルバッハはそこらへんを批判したんだろうな。 >>756
革命無罪なんて言う人間もいるし、過激な人々の中には
結果として生じた被害についてもどう思ってる事やら… トマ・ピケティさんのr > gに新古典派総合からもマルクス経済学者からも
批判が相次いでいます。どうやら彼の資本概念に問題があるらしい。 >>739
神道政治連盟というのがあって、神社本庁がその中心的な役割を果たしている。
目的は憲法の右傾化改定だ。
神道は、明治維新の時に政治的な理由で再編成された。
右翼政治と密接な繋がりがあることは、いうまでもない。
事実、神社本庁が目指しているのも、戦争をやるための憲法の右傾改定。
国民は天皇のため(支配者のために)に身を捧げなければならない、という教育勅語を復活させることも目標だ。
明治神道はもともと「撃ちてし止まん」の再現だから、それも当然かも知れない。
神道の歴史を知らない人には意外かも知れない。 >>741
管理社会というのは、支配者の意向に添った生活態度からはみ出すことがないように、支配者が警察などを使って市民を管理監督する社会。
奴隷といえども、「嫌」だろうw >>761
どこまでを「管理社会」と見なすかが問題だな。
国家や共同体が存在すること自体を管理社会として
嫌悪する人もいるしね。 >>754
神道は明治維新で再編された国家宗教。
明治維新の勝者が、天皇を頂点とする支配ヒエラルキーを作って国家を支配しやすくするために再編した。 >>762
国家や共同体が存在すれば、程度の違いはあっても、すべてが管理社会になるとはいえる。
嫌悪する人がいるのは当然だし、特に日本のような付和雷同的な精神を持つ東アジアの民族の作った国家や共同体は、管理的な傾向がより強い。 >>764
そういう社会を受け入れる人と嫌悪する人、どちらが優れてるのかね。今は個人主義が浸透してるから嫌悪する人の方が
正しい感性の持ち主みたいな文化が長いこと支配的だけど。 アジア的専制とか後発工業国全体主義とかいうものがあるね。
マルクスのミスは、ザスーリチへの手紙にかぎってこの問題に
十分は考慮をしなかったことかな? まあでも、ソ連になって以降もミール共同体は残ったんだよな。 今の若者は保守的で、大学生とかでも親と仲が良くて家族共同体の絆は深そうだけどね。 >>769
そういうのを壊すにはどうすれば良いのか…
革命家たちによる積極的、実力的介入か? >>770
「可愛い子には旅をさせよ」で海外留学が積極的に進められているね。 >>772
「可愛い子には」?可愛くちゃダメ。家族同士憎悪し合わないと本当の家族破壊は出来ないんだろ? ミール共同体はマルクスとナロードニキとが共鳴し合ったところで、
マルクスはナロードニキとともにその存在を(条件付で?)評価したでしょ? 資本制家族の矛盾は、階級闘争が世代闘争に転化する構造問題を抱えているところ。
これが家族の危機、世代間緊張の問題として、
吉本隆明さんのいう対幻想の危機をもたらしている。 >>773
家族解体なんてできっこないよ。
底部にあるものだから。
>>774のミール共同体と同じようなもので。 「資本制家族」はプロレタリアートの再生産を担わされているため、
資本主義の矛盾が家族関係にもそのまま反映されてしまう。
そこで、対幻想が複雑な打算と屈折を強いられているところがある。 なぜ家族解体? そんなことをマルクスが言っている?
マルクスはむしろ資本制家族が家族関係を金銭的なものに
変えてしまったと嘆いているよ。 階級闘争が非常に内向化していて
家族内の代理戦争になってしまっている。
つまり、プロレタリアート家族=資本制家族は
資本家的生産洋式にフィットする目的利害に縛り付けられていて
資本制企業の下部組織になってしまった。
階級闘争は内向化せざるをえない構造がある。 最近の人間は何故か他人より家族を大事にする。それでは真に平等な世界は出来ない。精子卵子の提出、一括管理、人工授精による人間生産、DNA検査法等の一般社会からの抹殺。これで家族の存在しない世界が創れる。自由で個人主義の世界だ。 >>780
面白いね。
無理に知らないフーコー語るより、面白いよ。 「家族と市民社会は国家の前提であり、それらはもともとアクティヴなものであるが、
思弁のなかであべこべにされる」
ヘーゲル法哲学の批判から〔ヘーゲル国法論(第261節−第313節)の批判〕1843年3~8月
(序説ではない)
『マルクス・エンゲルス全集』第1巻:236頁
参考:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/studienzuhegel1995/2004/10/2004_10_41/_pdf
49頁
https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1353&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1
65頁 マラパルテの「クーデターの技術」って旧訳の再版だか新訳だか知らないけど、
数年前にまた中公から出てるんだな。左翼の基本文献じゃないの? >>785
個人主義と全体主義の違いぐらいわかれよ(笑) はみだしお稲荷さん親方の態度には理由があった!
> こういうのは性格が悪いんじゃなくて
> 発達障害なんだよ
> 発達障害者って一見普通に見えて
> 考えられないような無礼で傲慢なふるまいをする
> 本人に悪気はないんだけどそうせざるを得ないというかそういう対応しかできないんだよ 考えてみれば昔の左翼は全体主義を意味していたのに今の左翼は個人主義を代表している
そう言った意味でも禊の言う右翼左翼は意味の無いレッテルだな 国家は税金という名前で国民を搾取するところの機械である。 税金を搾取しようとすると、よく出世した人が、なぜか税金(奴隷的人材や、金銀金銭貨幣、
を逆にたかられるから、
搾取は悪になります。どうすればいいかというと、私財より、公財、
収入より寄付、自力作善より、利他業 を推し進めることです。 正しいと言われたことをするのと、正しいことをするのは似て非なることだ。
正しいと言われたことをするだけなら、狗にでもできる。
だが、正しいことは人にしかできない。
狗が正しいことができないのは、
狗が悪であり、人が善であるからではない。
狗が正しいことをできないのは、狗が間違ったことをすることもできないからである。
狗ができるのは、間違ったことではなく、人にとって不都合なことである。
人にとって不都合なことをする狗には、しかるべき対処が為されなければならない。
そうすることが正しいならば。 >>766
虫のように群れにしたがっていくことが人間として正しいという考え方に、なにか利点はあるのかな?
一度限りの人生を、他人の意のままに生きる。
それが君の理想なのか。
人の生き方はそれぞれだが、人間は自分の可能性を広げていくことが大切だし、そうした社会を作り上げていくこと自体も大切なんじゃないかな? >>769
家族と国家は対立するからね。
家族の利益は国家の不利益。
国家がなくなったときに初めて、家族の幸福が真の意味で実現する。 個人主義は宗教でもそれぞれがやりたいことを尊重し、干渉しないと言うこと。
家族を大切な人もいれば、そう出ない人もいる
生を管理したら全体主義だろ。 >>798
家族以上に大切なものって、なにかある? 家族を超える大切な存在を認めない
価値観が家族原理主義
そのほかを排除しないと気が済まない >>801
だからさ、家族以上に大切なものってなに?
君個人にとってでいいからさ。 ちな家族が至高といっても
ある家族とある家族の摩擦や衝突を処理する
ためには個々の家族を超えた論理や仕組みが
必要になってくる
無数の家族が互いに殺しあう世界でないならば 家族のひとりがテロリストでだが
家族を深く愛していたらどうだろう
さっさと公権力の警察に突き出すのが文明人 警視庁 交戦派 警察庁 治安派。治水 政治一派。
突き出しを食べるだけでいいのに。警察女官を思慕して。 警察官 勝てば官兵は糧管理 警視総監賞 勝って当然金策工面。
性差あって、差が開く分だけ、行動の質が上がるから、
逮捕行動出るよる抑制より、行動力点数制度にでたほうが。
牢屋が悪魔のリビングスペースだったなら、
ホテルが魔性の生活圏。 家族の犯罪を見つけたとき、通報するか?
孔子はそれは孝に反するといった。 犯罪 狐学 の版本を読むべし。狐憑きとか、人間に完全に犯罪は不可能。
通報?電話機自体限界文明の産物で、ネット社会の方がよい面。
ネットで通報とは言わない。通記。静かなる面。
喧噪や騒動でうるさかった過去。 >>803
その知的レベルでは、家族に関するフロイトの分析を理解するのは難しそうだな。
家族を取り上げた理論では、ヘーゲルとフロイトが双璧。
つい幻想概念を提出した吉本隆明も、この二人から多くを得ている。 誰々ガーって名前の羅列するのは
自分が偉くなった気持ちになるんだろうねえ
反面教師だわ ヘーゲル弁証法とフロイトのエス・超自我・自我の関係はなんか似てない? もしもひとり世帯をひとつの家族と認めないとすると
家族原理主義の元では排除の対象となる
家族は至高でそれ以外の形態は唾棄すべき観念だからな
家族を持たない人間は劣った存在となる
つまり家族が全員死んでいって最後に残った老人は
何物にも属すことができない絶望の存在となる
じゃあそれを回避しようとすると大層人工的な、
公が承認した、緻密な家族制度が必要となる
個々の家族内で解決できない問題はいくらでもあるからな
アレレw 家族解体主義者が心配をせずとも、
単身世帯も増えてるし、籍をいれず事実婚みたいなことをしている人も結構いるし、
家族は解体されていってるよ。 家族解体心配してるんじゃなくて
国を完全否定したい方便で編み出した屁理屈
だからしゃーない >>819
俺は家族解体主義者ではないよ。
家族解体主義者に寄り添ってるだけさ。 >>812
無知を恥じる必要はない。
しかし、無知は威張ることではない。 家って、江戸時代に生まれて、
農業からリーマンに変化して、
高度成長期には核家族化して
次に、核家族を解体するほどの変革が起こっているか
リーマンが基本である限り、解体しないと思うけど
今のところ、解体する兆しはないね。
残念なら >>823
俺は家族に恵まれているからな。
>今のところ、解体する兆しはないね。
>残念なら
時の宰相が家族を再生産する気が無いなんて異例だと思うぞ。 安倍晋三は子無しじゃん。
それも長期政権。
子無しが安易に責められない時代になった気がする。 家族は財産承継のために存在している。
愛情次元の問題もある。 >>824
今ってフリーランスが増えてきているよ
企業も終身雇用よりフリーランスの専門職を使おうって傾向が強くなってきている >>829
それは、安上がりだからだよ。
経営者が派遣を使いたがるのと同じ。
まさに、マルクスの指摘している労働力の商品化そのものだね。 >>789
個人主義が(中間集団の衰退が)全体主義を生みやすい
という議論もあるのでそこらへんはちょっと複雑かも。 方法論的個人主義とか方法論的全体主義とか難しいよね。
個人主義でも文学に走って人格陶冶を求めるか、
徹底的な利己主義に走るかで全然違ってくる。 個人主義を哲学するのは難しい。
考えている途中のものを投稿すると、読む人によっては支離滅裂に見えるかもしれないのは
致し方無いね。 資本主義的産業革命以前の多くの家族は、農業なり漁業なりの
なんらかの「家業」を持っていた。
家と会社とははっきりと分離していなかった。家庭は同時に会社だった。
そういう家庭が少なくなく、家を中心単位として労働が営まれていた。
生活から労働が分離していなかったという言い方もできるかもしれない。
資本主義的産業革命がすべてを一変させた。
家から労働が離床して会社とか企業と呼ばれるようになったものが
社会の支配的な単位になるようになった。
そして「家業を継ぐ」から「就職する」へと労働も様変わりした。
プロレタリアートの誕生だ。
サラリーマンとも言うが、サラリーマンはどうやらホワイトカラーの
意味で用いられることがあるようでイコールではないらしい。 急激にここのレベルが落ちたのはなぜ?
どっかから人がはいってきた??? サラリーマンというよりかは賃労働者だわな。
フリーランスといえばかっこよく聞こえないこともないけど、
言い方を変えれば非正規雇用として増えているってことなんだろうな。 生活の中心でありかつ生計の中心でもあった家庭。
資本主義社会はそれに大きな変化をもたらした。
そしてしばらくして教育も家庭の中から離床して学校へと分離する。
家庭はもはや寝泊まりするだけの宿泊施設になってしまった。
ただの宿である。ラヴホテルも兼ねているが。
それだけの宿になってしまったのだ。 核家族化はリーマンに適した生活形態だった。
終身雇用の時代は会社は人生そのものを提供した。
生活費、住宅、結婚相手、レジャー、年金、老後の楽しみ
いま終身雇用が崩れた。
核家族化はいかなる形態に変化してるか。
一人生活? 日本の漫画が好きだというダニエル ピンクさんの
『フリーエージェント社会の到来』が
話題になったことがあったね。
でも、アメリカでも不安定な労働形態と言われている。
他方ヨーロッパでは同業種の間でのフリーが実現している。
そういえないこともない。
同業種内だったら比較的低いリスクで転社することができるらしいね。
日本にはそれがないのでアメリカに近い。
転社も転職もリスクが高いので、一生一社にしがみつくしか
安全な生活が望めず、福利厚生が期待できない。 >>840
村社会の中では家庭は教育の場でもあったからな。
産業革命で賃労働者が増大して、賃労働者は機械制大工業のもとで疲弊し、
家は寝るところと化してしまったと言えるかもしれないね。 >>834
それは失礼。
でも、それぞれが支離滅裂。 家が寝るところは、むしろ資本主義前ではないかな。
一日野良仕事で、帰って寝るだけ。
資本主義になって豊かになって、余暇が出てきて、家ですごす時間も増えて、楽しみ方も増えた。 冬に家族で内職している時が家庭っぽさを醸し出していたかもしれない。
今は長時間労働を減らそうと政府が頑張っているから、
>資本主義になって豊かになって、余暇が出てきて、家ですごす時間も増えて、楽しみ方も増>えた
とようやく言えるようになるのかもしれない。 >>760
戦前の右派はほとんど北一輝の国家社会主義と大川周明の反植民地理論のアジア主義で
神道派なんてごく一部
そもそも中身がないんだから実態もない
明治維新で欧米とキリスト教に担ぎ出されただけの勢力で政治としても宗教としての実態もない
キリスト教徒とマルクス主義者は日本の事なんか何も知らない欧米の猿の歴史観に洗脳されてるから
素っ頓狂な理解になる
おまえは日本が戦前に亡命ロシア人とユダヤを受け入れてたことすら知らんアホだろ? 楽しみ方は増えたけどその分家に籠る必要がなくなったんじゃないの 農業社会は電気も無かったし、
朝に畑に出て、日が落ちたら帰って家で寝ねの繰り返し。
家は寝るだけ。
資本主義社会では、電気もあるから家で遅くまで好きなことして過ごせる。
週休二日だし、娯楽も山ほどあるし、 資本主義で明かりもあるから外で遊べるんだと思うけど
インドア派の波平さんには縁のない世界って気はするけど
デートも映画館とかで旅行とかイベント見に行ったりBBQとかもしないでしょ? 歴史だけ学んで各国の地方料理も知らないのは間抜けだと思う。 >>847
ここでいうイエとはハウスのことじゃない。
家族共同体のことであり、家族構成員で作っている小社会のこと。
資本主義産業革命以前にはこの中に多くの機能があったが、
いまは宿泊施設としての機能くらいしか残っていない。
家族の機能はほとんど市場化されてすっからかんになってきている。
ある意味では家族は機能的にはもう空集合になっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています