【人類学】中沢新一
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構造の概念理解出来ずに対称性人類学、芸術人類学、野生の科学の人のスレに来たの? >>61-62
今は、ポスト・ポスト構造主義の時代だけど? ポストとかほざいてるの日本だけだよ
構造主義も理解出来ない貧しい知性の国らしいあがきだよね >>61-62
>>33で中沢が「"新"構造主義」と言っている意味は分かる? >>69
ポスト構造主義やポスト・ポスト構造主義はやったのかい? バカ丸出し
構造主義を理解したのかい?
日本だけの雑誌の客呼び企画をやって得るものあったなら聞かせてくれ
これまでのレスを見る限り無いのだろう
所詮サイバネクティス止まりか 現代思想のインタビュー読んだ程度で歪ながらも哲学を語った罪は重い
中沢舐めんなよ >>71
構造主義なんて半世紀前の話だ。
自分でそういうスレを立ててやってこい。 お前新構造主義とかほざいてるのに
バカって自分の発言理解出来ないの? 中沢読んでりゃ構造主義なの理解できるはずだ
お前らこそインタビュー対談スレでも立てて
そこでやれ
中沢に迷惑かけんなザコ >>71
> 所詮サイバネクティス止まりか
戦後止まりかよ 『記号論の逆襲』 山口昌男、室井尚編 (2002)
日本と世界における、記号論の文化史が概観できる。
ソシュールとパースによって始められた記号学と記号論が、
レヴィ=ストロースやロラン・バルトによって再び注目された。
パースの記号論をヨーロッパに持ち込んだのはウンベルト・エーコ。
スラブ・東欧系の学者が脚光を浴び、80〜90年代には、
カルチュラル・スタディーズやメディア・スタディーズなど、
文化研究の土台としてピークを迎えるが、その後は
生命記号論やアフォーダンス、芸術人類学などのような形に
細分化と専門化をしていった。 “何かが誰かにとって何かを表すことを記号過程と呼んだのは、
哲学者チャールズ・サンダー・パースであった。
この「誰か」とは、人間をさすだけではない。
記号過程の中にいるのは、人間だけではない。
生きとし生けるもの全てが、記号過程の中にいる。”
― 奥野克巳 「『森は考える』を考える アヴィラの森の諸自己の生態学」
『現代思想 2016年3月臨時増刊号 特集=人類学のゆくえ』
森の中の記号過程
南米・アマゾニアの森の中で、ヤシの木の倒れる音がする
↓
その音は記号として、樹上にいるウーリーモンキーに危険が差し迫っていることを知らせる
↓
ウーリーモンキーは、その激しい音に危険を感じ、その場から飛び退く
↓
ウーリーモンキーは、その記号を解釈し思考する精神を持つ「自己」である やっとパース出たか
俺ずっとパースの方法論使って思考してるよ それにしてもお前らって本当に本読んだこと無いんだな
まだ現代思想()だもんな
ある意味すげーよ 世界救世教・東方之光・MOA
の内部では毒物や薬物による信者の暗殺が行われている。
お茶に細菌を混入させることにより、施設内で体調不良を訴えることなく、
一週間以内に発病させ、病院で死ぬ。なんの証拠も残らない。
オウムと同じように多数の優秀な医師が教団施設には勤務している。
港区にある高輪療院には常時医師が5-6名在中していて、保険適用の
アドバイスを行っている。
健康科学センターもあり、研究者や学者もいるが、暴力団山口組との癒着もあり、
生物兵器の培養が行われている可能性もある。
炭疽菌などをお茶に混入させて死亡させているとすれば、
オウム真理教と同じ警戒レベルの、生物兵器テロ組織とも考えられる。
http://www.mhs.or.jp/
現在、教団内では暴力団による宗教を派閥で乗っ取る方向で進められていて、
東方之光による、教団の独裁が計画実行されている。
公安調査庁はこの組織の内偵を徹底すべきだ。
オウム真理教に次ぐ日本社会の脅威である。 言い返せないとオウムw
しかし炭素菌を出すのは京都かな? “東欧や西欧の辺境に残されている教会を訪ねてみると、
教会の祭壇が大きな岩盤の上にそのまま築かれていることを明示するために、
わざわざ岩盤をむき出しのままにしておいたり、教会堂自体が巨大な岩盤を背後にして、
まるで岩に抱かれてるようにして建てられている光景に出くわすことがある。
こうした教会の由来をたずねてみると、もともとキリスト教以前の
ケルト文明時代の聖地であった大岩の脇や上に建てられた、という答えが戻ってくる。
〈略〉
キリスト教会が、それ以前の長い歴史をもつ(浅く見積もっても新石器時代にさかのぼり、
いくつかのものはあきらかに旧石器時代からの信仰遺跡にかかわりをもつ)
聖地との連続性を失っていないことは、多くの実例で実証されている。
そのような聖地は、たいがい植物と大岩がひとつのセットになっていて、
精霊の宿り場であると同時に、しばしば死霊の集まる場所だとも考えられていた。”
― 中沢新一 「公共とねじれ」 『芸術人類学』 (2006) 漢詩のカテゴリーだけより 哲学西洋の方がグッとくるな。 >>84
平和的な共存、講じてもみず、よくぞ言い放った八百万の神
>>87
原文に無し 『現代思想2018年9月号 特集=考古学の思想』
中沢新一+山極寿一「生きられた世界を復元できるか」
溝口孝司+國分功一郎+佐藤啓介「考古学と哲学」
ほか 『現代思想』として考古学の特集が組まれるのは約30年ぶり “今の構造になんとか罅を入れてみたいという人は、
左翼的な発想法を取ればなんとかなるかと思っている
人たちも多いみたいですが、それもダメなんです。”
“〈おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた 兜太〉
とか、もう古代そのものの感覚ですね。”
― 中沢新一、小澤實 『俳句の海に潜る』 (2016)
和歌…自然を記号にしていく実践
↓
連歌…「切断による連続」が新しい意味を発生させる
↓
俳句…記号化したものの定型を破る >>97のレンマ論
“あらゆる部分が全体と響きあっている世界の様相を表現できる。
理性の働きを何と呼んだらよいのでしょうか。
ギリシャ人や古代のインド人は、ロゴスとは異なるこの理性の機能を「レンマ」と名付けました。
ロゴスを超えた理性の働きです。
ロゴスでは、おしぼりと水差しは同じ場所を占めることができません。(略)
私は花を見る。花は私を見る。私と花は相為相関の関係にあって一体であるとレンマは認識します。”
>>95では、レンマと華厳について触れている。 『群像』に連載の「レンマ学」は、12回で第一部が完結(2019年1月号)。
> 『群像』2018年2月号(講談社)
> 新連載「レンマ学」
> 2018年1月6日発売
>
> 講談社の月刊誌「群像」にて、新連載が始まります。
> 現代思想2018年1月号(「レンマ的算術の基礎」)でも展開された、レンマを核として
> 大乗仏教、西洋哲学から現代科学までを論じる新しい「学」としての試みです。 中沢新一 『ポケモンの神話学 新版 ポケットの中の野生』 (2016)
「力の交換」や、ラカンの「対象a」などを通して見るゲーム論。 『大阪アースダイバー』
浪速 → 波が速い → 海の民 → 足元に流動性を感じていた記憶 → 吉本新喜劇のコケ芸 ポストモダン、ポスト構造主義、脱構築が中身が無いポエムだからな
東が社会を変えられず鬱になるのは当然だった
バズワードを垂れ流すだけだもんな
構造主義こそが正義だった
中沢も構造主義とポスト構造主義が混ざっていたが、
最近は自分のアホさに気づいて構造主義に軸足を移しつつある 構造主義こそが領域横断的なただの流行思想で中身がなかったと思う 中沢がいっているのは、単純な「構造主義」への揺り戻しではなく「新構造主義」ということ。
「ポスト構造主義」の一段先。 >>33
『現代思想』2014年1月号
「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」(全文)
中沢新一/石倉敏明(聞き手)
http://sauvage.jp/activities/2050 中沢新一 『レンマ学』 講談社 (2019/8/8)
“レンマ的知性は、ロゴス的知性の真に外部にある実在に触れている”
“荒海や 佐渡に横たふ 天の川(芭蕉)”
大乗仏教、哲学、量子論、言語学、精神分析、数学、生命科学、脳科学……を超えて、
東洋知の結晶した華厳経の潜在力を大展開する未来のサピエンス学へ!
『チベットのモーツァルト』に始まった心と脳をめぐる探究の頂。文芸誌『群像』の連載「レンマ学」がついに単行本化!
「レンマ」とは何か? 哲学者山内得立が著書『ロゴスとレンマ』で提出した概念によっています。
「ロゴス」は「自分の前に集められた事物を並べて整理する」ことを意味しています。
その本質は時間軸にしたがう線形性にあります。
それに対し、「レンマ」は「直観によって事物をまるごと把握する」という意味です。 第4回 京都大学 - 稲盛財団合同京都賞シンポジウム [映画・演劇分野]
中沢新一 「芸術のロゴスとレンマ」 2017年7月1日
https://www.youtube.com/watch?v=R-805Nr-LTQ
人間が「科学」を発達させた能力と、「宗教・芸術」を発達させた能力はそれぞれ異なる。
科学…ロゴス
宗教・芸術…レンマ レンマ論的把握というのは、東洋思想にはよく出てくるもので、
これはこれで具体的な状態を指し示している。
仏教における三昧の境地「非想非非想(ひそうひひそうしょ)」とは
非想…想い(表象)があるでもない
非非想…想い(表象)がないでもない
状態。
イスラムのタウヒード(一性)は、言語や民族の差異や多様さをそのまま認めながら、全体として一つにまとまろうとする。
中論の「不一不異」も似ていて、同一でもなければ差異もない、というもの。 井筒はこうした範囲のものを東洋哲学と呼んで構造化した。
中沢は、それをレンマ論として整理している。 進歩はなく、結局は参考文献によるサンプリング。
知の収集術に終わっている。
サンプリングテーマはレンマ学的知。
チベットのモーツァルトからかわっていない。
なにかを発見しているようで、なにも発見していない。 筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」
中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」
― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987) 「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。
http://samten.seesaa.net/article/434150824.html
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」
『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。 中沢新一 「「レンマ学」とは何か――惑星的時代のもう一つの知性」(『現代思想2020年1月号 特集=現代思想の総展望2020』)
中沢がポスト・ヒューマニティ議論に参戦。
メイヤスー、ガブリエル、ハーマン、グロタンディークからホモ・デウス、華厳経、大乗起信論まで。
レンマ学の3つの区分
・現代レンマ学…今現在刷新が必要なもの(AI人工知能の時代、トポスや圏の数学に対応)
・近代レンマ学…京都学派のレンマ学(集合論の危機に対応)
・古レンマ学…レンマ学の起源 最近の中沢は数学の話が多い。
特に『レンマ学』(2019)は、新しい思想潮流として
メイヤスーの思弁的実在論が出てきたことに対する、中沢からのアンサーになっていて、
西洋的な数学論に対し、日本的、仏教的な数学論のあり方が示されている。 >>119
中沢「人類学者としての僕は「人類のいない世界」について語られた
レヴィ=ストロースの爽やかなペシミズムに深い共感を抱いているものですから、
ポスト・ヒューマニティをめぐる議論にも肯定的に参加していくことができます。」 新型コロナは私たちを傷つけるとか思っているんでしょ? この人についてはあまり語りたくないのだが一つだけ言っておきたいことがある
それはこの人の志賀直哉解釈及び批判は絶対に間違っているということだ >>124
そしてこの志賀直哉解釈及び批判がこの人の考え方の典型となっている 中沢新一が語る新しい都市生活 人 と 自然 の適切な距離感
https://cufture.cinra.net/article/202007-nakazawashinichi_kngsh
> 2020年5月某日。いまだ収まることのない新型コロナウイルスの流行下で、中沢に話を聞く機会を得た。
> 大半の人と同様に、外出を控えた地味な生活を送っているという中沢は、いまという時間と空間を、どのように見ているのだろうか? 中沢新一×安藤礼二 「最後の空海、未来の空海」 『空海 KAWADE道の手帖』 (2006)
顕教に対する密教の重要性について分かりやすく説明しているのはこれ。
空海の「十住心論」やチベットのゾクチェンなどについて。
密教は仏教を体系的に整理している。 空海「十住心論」仏教と心の発展段階
・第一住心 異生羝羊心 - <世間心> 煩悩にまみれた本能のままの人間
・第二住心 愚童持斎心 - <世間心> 道徳の目覚め/儒教の境地
・第三住心 嬰童無畏心 - <世間心> 超俗志向/インド哲学・老荘思想の境地
・第四住心 唯蘊無我心 - <小乗> 声聞の境地
・第五住心 抜業因種心 - <小乗> 縁覚の境地
・第六住心 他縁大乗心 - <初期大乗> 唯識/法相宗の境地
・第七住心 覚心不生心 - <初期大乗> 中観/三論宗の境地
・第八住心 一道無為心 - <大乗> 天台宗の境地
・第九住心 極無自性心 - <大乗> 華厳宗の境地
・第十住心 秘密荘厳心 - <仏乗> 真言密教の境地
一〜九までが顕教、十は密教 上杉家臣団
上杉謙信
軍師・四天王
宇佐美定満 柿崎景家 斎藤朝信 色部勝長 北条高広 中沢新一は哲学や宗教を題材にしたエッセイストって印象しかないな
なんか学術的な成果ってあるん? 肉食がチベット仏教を複雑にしてる要因 アドレナリン分泌しまくりで慈悲だからw 中沢新一そっくりなオッサンが
高円寺南口駅すぐ近くのパスタ屋だかで
車を横付けして外で女と食ってるのを見たことがある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています