原罪は旧約聖書に於ける創世記でアダムとイブが蛇に諭されて神により食す事を禁じられた智慧の美を食べた事が原罪とされています。

キリスト教はユダヤ教のセクターとして興ているのでキリスト教においては最初からとしか。
しかし教派ごとに解釈が違い一定の意味を持っていません。

西方教会(カトリック・プロテスタント等)では智慧の実を食べた事を神に詰問された時に、アダムは神の創造されたイブに勧められたからと言い、イブは蛇に勧められたからと言った事が、責任転嫁とされそれを罪としています。

因みにカトリック教会に於いて原罪は神秘であり完全に理解することはできないと思考を放棄しています。

つまり原罪とは人民をコントロールする為に作られた概念であり論理的な根拠を持っていません。
統治や支配の矛盾を権力・武力で押さえ込んでいる為に神(教会・国)に逆らうなと言っているわけです。
キリスト教はローマ帝国の統治に利用する為に作られ(編纂)広まった宗教です。
なので妥当性がある解釈は不可能です。