Mariaの真理探求スレ
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養父は、声がかかると屠殺場の後片付けに出かけた。
わずかの日銭をもらって、その日の食事代にした。声のかからない日、こちらの方が多かったのだが、老父母は真冬だろうと鴨川や高瀬川に浸かり鉄くずや空き缶の回収に精を出した。
凍えながら2人で働いて、やっと50円か60円を得ることができる。
当時はインスタントラーメンが1個20円ほどで買えた。
日々の生活はどん底の極貧であった。それでも養父母は、自分たちが食べなくとも子供らに食べ物を与えるという人たちだった。
とくに養母は、子供たちだけでなく全ての人に対して暖かい心遣いを示した。
こじきが門口に立つと「こんなものでよかったら」とかす汁を振舞う老母。その日の、唯一の食事である。鉄雄が文句を言うと、老母は次のように答えたという。
「貧乏していても、心まで貧乏になったらいかん」 無学で、字も読めない老母だったが、3人の子供を分け隔てなく育てながら、生き方を伝えていった。
口癖のように鉄雄に言ってたのが次の言葉だ。
「人間、他人を恨んだら絶対にあかん。一生懸命働くことや。働いていればきっと良いことがある。
働いておれば必ず良いことが回ってくる」
ある日鉄雄は、養母にいえない無理を言って姉を困らせた。
「姉はん、わい、おもちゃが欲しい。動く自動車や」
「そんなもの買えるわけあらへんやんか。鉄、買えんけど、そのおもちゃ見に行こか」
鉄雄は、姉に手を引かれ鳥丸七条の角の大きな玩具屋に連れていってもらった。
たくさんのおもちゃが並ぶなか、鉄雄は思わずゼンマイ仕掛けの自動車に触ろうとした。
「鉄! 触ったらあかん!」
姉が大きな声で叱った。
「なんでや?」
「なんでもや。見るだけゆうたやろ、触ったらあかん」 姉は、両手を後ろに回していた。
鉄雄は、おもちゃを手に取っている子供たちをポカンと見ていた。
「お前ら、内浜(現在の崇仁地区)の子やろ、はよ帰り、帰り」
店のおっちゃんが、鉄雄の触った自動車にハタキをかけながら追い出した。
鉄雄が、はじめて体験した差別である。
(七条の子はカネを持っていない。だから、触ると盗むと思われる)
姉はそう言いたかったのであろう。玩具屋だけでなく、菓子屋でもどこでも、手を後ろに組んでそっと見る。
これが地区の子供たちの身につけた知恵だった。 こんなことがあった。養母が風邪で寝込んだため、鉄雄と姉は七条から少し離れた青果店に使いに行った。
ここは買った客にダイコンの葉をタダでくれるからだ。
買い物を済ませておカネを払おうとすると、2人の服装を見ていた店のおっちゃんが「あんたら、七条の子やろ」と言った。
姉が頷くと「葉っぱはタダでやるけど、お金はそのタライで洗ってから払てんか」
姉は、丁寧におカネを洗っておっちゃんに渡した。
「七条の人間は貧乏やからか。だけど、なんでお金が汚いんやろか」鉄雄は胸につかえるものを感じた。
「姉はん、なんであんなことをするん」
「ええがな、何でも辛抱や。お母はん、いつもそう言うてるやろ」
差別の何たるかを知らないものの、
鉄雄は自分たちが世間からどういう目で見られているかをいやというほど思い知らされたのである。(続く) 喧嘩に明け暮れた小学校時代
鐵雄は崇仁小学校が好きだった。
勉強はしなかったが、成績は常にクラスの上位に位置していた。ただ、一つだけ辛いことがあった。空腹である。
給食ではなく弁当だったため、昼の時間になると彼は教室を抜け出した。校庭の隅にある砂場で砂をいじりながら同級生たちが昼食を済ませて校庭に飛び出すのを待つ。
自分の家は人とは違う。空腹とともに訳の判らない不安が彼を襲う。
それを誤魔化し、自分のプライドを維持するのに役立ったのがケンカだった。
強い相手とケンカをして勝つことで、貧しさと空腹を克服できるような気がした。
「鉄、このごろお前喧嘩ばかりしてるな。お母はんが心配するで、やめとき」
鉄雄は姉の言葉に反論した。
「姉はん、わいは国定忠治になるんや」
「なんや、それ」
「わいらみたいな貧乏人を助ける強い人や 小学校に上がる前、一度だけ、どういうわけか養母に旅回りの芝居を見に連れて行ってもらったことがある。
芝居は「赤城の子守唄」だったが、忠治が悪者をやっつける場面に興奮した。
帰り道、養母は「鉄、おもしろかったか」と聞いた。
「うん!」
「お前も国定忠治みたいな男にならなあかんで」
「うん!」
「弱いもんいじめする人間になったらあかん」
ぼそぼそと、目をしょぼつかせながら言う養母。この言葉が、鉄雄の人生を位置付けたといってもよい。
後年、自らヤクザ家業に身を沈めていった鉄雄だったが、自分より弱い者をいじめるような真似だけはしなかった。
小学校時代の鉄雄は、自分より強い者とやたらに喧嘩をしていた。
原因は単純であったが、特に金持ちの子を見ると無性に腹が立ったという。
喧嘩をして家に戻ると、負けた相手の親から苦情が来る。養母は、鉄雄がやっつけた相手の家を謝って歩く。 その頃の鉄雄の夢は、あつあつのコロッケを食べる事だった。コロッケは1個5円だったが、鉄雄には買えない。
インスタントラーメンか、大根葉の雑炊が主食だった鉄雄にとって、コロッケは世の中で1番上等の食べ物だった。
そこで、せめて匂いだけでもと、鉄雄はコロッケ店の前をよく通った。
そんなとき、コロッケ店の前で同級生のAと合った。このAとは、将来にわたって付き合う関係になるのだが、
同じ地区内であっても金持ちの家の子であり、父親は地区の有力者でもあった。
テレビがあることを自慢して、つねに子分を3人ほど連れていた。
Aは、子分たちにコロッケを分け与え、自分も頬張っていた。
「おい、こじきの子、ちんちんするならお前にも一つやるで」
「もういっぺん言うてみい!」
「なんぼでも言うたるがな。こじきの子はこじきや」
瞬間的に鉄雄は相手の胸に頭突きをくらわした。コロッケを落として倒れたAをさらにゲタで蹴飛ばしたところ、
子分たちは一切に逃げ出してしまった。Aは鉄雄よりずっと体格が良かったが、からきし弱くて抵抗して来なかった。
しかし、強烈なしっぺ返しをその夜受けることになる。Aの父親が、頭に包帯を巻いたAを連れて乗り込んできたのだ。 「こらっ、泥棒猫。うちの子のコロッケを盗ろうして殴りかかったやろ。こんな怪我をさせてどうしてくれるんや」
「コロッケなんか盗ろうとしてへん!」
「この、嘘つきめ!」
「違う!」 養母が鉄雄の顔を悲しそうに見て、父親に「すんまへん」と頭を下げた。
「こんなことしたら、お前らの家がどうなるか、わかってんのか」
「すんまへん。鉄、お前もあやまり」
何度も頭を下げながら、鉄雄を促すが彼はじっとして動かない。
「貧乏人は貧乏人らしくしとけ!」
そういって父親は鉄雄の顔を何度も殴りつけた。思う存分殴りつけて気が済んだのか、彼らは出ていったが、
鉄雄は養母に訴えた。
「お母はん、わい、盗ろうなんかしていいひん」
「わかってる」 それでも鉄雄は喧嘩を止められなかった。自分の存在を主張するただ一つの手段だったからだ。
近所の子供が苛められているのを知ると、飛んでいって助けた。
しかし、売られた喧嘩や弱い者を助けるための喧嘩でも、鉄雄が悪者になる点ではいつも同じである。それでも、鉄雄の周りには貧乏人の子ども達が集まるようになっていく。
当時、子どもの熱中する遊びとしてビー玉やメンコがある。鉄雄は、これを見て一つのアイデアを思いついた。
「賭け」だ。メンコめくりやビー玉を賭けの対象にしたのだった。多分にこれは、大人たちが行なっている賭けを真似たものであろう。
賭場は鉄雄の家の前の児童公園だ。テラ銭を取って胴元をやった鉄雄の手元にはお金が入るようになっていった。
ある日、70〜80円の金を稼いだ鉄雄は、念願のコロッケ店に走りこんで2つ買った。
夢にまで見たアツアツのコロッケである。それは想像以上に美味しかった 残ったお金は、養母のサイフにそっと入れておいた。
毎日、サイフのなかにお金が入っているのを不審がった養母が「これ、どうしたんや」と聞くと、
「心配せんでもええで。盗んだんとちゃうから」
「鉄、悪い大人の真似したらあかんで」
そう言ったなり、養母は黙り込んでしまったが、鉄雄が何をしているか薄々感ずいていたはずだ。
しかし、その金でみんなが食べていける。養母にとってそれは矛盾する苦しみであっただろう。
メンコ賭博の参加者は日を追うごとに増えていった。賭けをする子供、見物する子供で公園には200人もの子ども達が集まり出した。大人がだまっている筈はない。
通報されて駆けつけた警察官に、首謀者ということで連行されてしまう。
警察にとっては少年犯罪至上、最年少の逮捕・補導ということになる。だが、鉄雄に罪の意識はなかった。
それよりも、自分の収入が途絶えれば家計を助けられなくなるという困惑のほうが大きかった 4年生になった。鉄雄は小学校を牛耳っていた「ナンバーワン」(番長)グループと対決することになる。
ある日鉄雄は、生徒会役員に因縁をつけているナンバーワンたちと出くわした。
みんなで決めた規則を守れと、役員が注意したことが発端らしい。
彼らは、生徒会の役員3人を壁に追い詰めて脅していた。
この時、他の生徒たちだけでなく先生も遠巻きにしていたが、誰も助けようとはしない。鉄雄は生徒たちをかきわけて生徒会役員の前に出た。
「何してんねん」
「お前、鉄か。チビのくせに度胸あるやないか。表に出ろ」
このときナンバワングループは5人居た。騒ぎを知って校庭に生徒たちが集まってきた。教室の窓からも、みんなが鈴なりになって見ている。
「1人に5人は卑怯やぞ」
「頑張れ、チビ」 生徒たちの声援を受けた鉄雄を5人が取囲む。これまでの喧嘩から、鉄雄は相手を倒すコツを知っていた。
まず最初に1番強いヤツをやっつければいいのだ。
自信満々で飛び掛ってきたナンバワン。素早く身を交わして、相手の腹に飛び蹴りを入れた。
うずくまるナンバワンのアゴをゲタで蹴り上げたところ、相手は唸り声をあげるだけで動かない。
これを見ていたナンバワンの部下たちは、あっという間に逃げていく。
全校生徒から拍手があがり、照れた鉄雄は校庭から逃げ出したが、「崇仁の鉄」の名はこの事件をきっかけに広まっていく。
鉄雄が、決して弱い者いじめをしないことから、鉄雄のすることを先生たちも放置するようになった。
コロッケの件で喧嘩したAも、他の生徒とともに鉄雄のそばに集まるようになった。Aは、家から持ち出した米や野菜、たまには高価な牛肉などをもってきた。
鉄雄はそれらを遠慮なくもらい、養母に渡した。 Aの父親も、年老いた養父母に何かと付け届けをしたらしい。
最初、その行為を気味悪がった養母だったが、その頃養父が寝たきりになっていたので、その好意を受けたという。
鉄雄から見ると、養父の存在は影が薄い。身体が弱いこともあったが、物静かな人だったようだ。以前、この養父は骨身を削って貯めた300円を元手に子ども相手の花火店を始めようとしたことがある。
ところが開店当日、近所の子どもの不始末で、仕入れた花火全部が燃えてしまった。養父はこの時「しゃあないなぁ」と言っただけである。
養父は、鉄雄が来年は中学校という年の暮れ、世間が正月準備で気ぜわしい最中に亡くなった。死因は栄養失調だ。
後年、鉄雄は、養父の生き方に思いを馳せた言葉を残している。
──正月準備で活気づく世界とは、全く別の世界で1人の男が貧乏のために死んだ。この男の人生は何だったのか。
養母と2人で、自分を含めて3人の子を拾い育てる。子どものために、自分はろくに食いもせず痩せこけて死んで行った── 養父の葬式は、Aの父親が采配を振ってくれた。葬式といっても何もない。
棺桶代わりの四斗樽を用意し、遺体を火葬場に運ぶバスを京都市に掛け合って提供してもらった。
Aの母親は、鉄雄の夏服姿を見かねて、Aのお古のオーバーを着せてくれたが、この時鉄雄は、オーバーというのがこんなに暖かいものだと始めて知った。
バスに同乗して火葬場に行くと、女の事務員が「あんた七条やな。待っとり、すぐ焼くから」と、
まるでゴミでも焼くような口調で言ったが、鉄雄たちは無料で焼いてもらう立場なので何も言えない。
ところが、焼き場で働いていたのは、近所のおっちゃんだ。おっちゃんは養父のことをよく知っていた。
「可哀想に。貧乏した挙句こんなに痩せてしもうて」
彼は「金持ち」を焼く上等なところで養父を焼いてくれたのだった。
鉄雄は、死んで焼き場に行っても貧乏人と金持ちの差別があることを知った。 力こそ権力だと知った中学時代
中学校は、七条河原町周辺の崇仁、菊浜、稚松の3学区を持つ皆山中学校だった。
京都市内で一番柄の悪い中学だと言われていた。
入学式。鉄雄はわざと遅れて学校に行った。制服がなかったからだ。
少しでも目立つまいと考えた知恵だった。
ところが、指定された席に着くと、全校生徒が異様なものを見るような視線で彼を見た。
制服姿の中学生のなかで鉄雄は1人浮いていた。
小学生のときから履いている短いズボン。
Aのお古のオーバーと磨り減ったゲタ。それらは貧困の証しだった。
生徒や父兄、教師たちから浴びせられる視線は、鉄雄にとって馴染みのものである。
入学式が終りに近づいたとき、鉄雄の前に5人の上級生が現れた。
その中の1人は制服のボタンを外し、真っ赤なシャツを見せつけていた 「なんや、その格好は。皆山中学をなめてんのか」
「わいにはこれしかあらへん」
「制服もない貧乏人が来る所やないで。帰れ! なんや、そのチビた下駄は」
そういうなり、上級生たちが飛びかかっていた。防ぐ間もなく袋叩きにされた鉄雄は、講堂にぶっ倒れた。
それを上級生たちは代わる代わる蹴りつける。意識が薄れ、気付いたときは職員室にいた。
「このアホ。おい、うじ虫!」
ぼーっとしていた鉄雄はその言葉にハッとした。それは、体の頑丈そうな若い先生から出た言葉だった。
「こいつのお蔭で入学式はメチャクチャや。おい、何とか言いさらせ。
お前ら、あんな汚いところに住んでやがって、学校に入れてもらえるだけでも有り難いと思え」 壁というのは、
できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある
人にしかやってこない。
だから、壁がある時は
チャンスだと思っている。
- イチロー - あのときの
あの苦しみも
あのときの
あの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
じぶんが自分になるための
- 相田みつを - セトモノとセトモノとぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう
どっちかがやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころを持ちましょう
- 相田みつを - 3.ウィルス
ウィルスは英語で「Virus」(ヴァイルス)です。
ウィルスという読み方は、ドイツ語の読みからきているので、英語圏では通じません。
4.トランプ
トランプは本来、「勝利の札」「切り札」という意味を持ち、カードで遊んでいた西洋人たちが「トランプ」と連呼していたため、それを見た日本人がそのカードのことをトランプだと勘違いしたことが由来となっています。
正しくは、「Cards」(カード)ど呼ばれます。 日本語の中で用いられる「エネルギッシュ」は、おおむね「活力に満ちあふれた」「精力的な」「活動的な」「旺盛な」人もしくは様子、といった意味合いです。
活力=energy の形容詞形とか派生語じゃないの、と思えなくもありませんが、英語には energish のような表現はありません。
「エネルギッシュ」はドイツ語由来。エネルギーもしかり。
エネルギッシュはドイツ語の energisch に直接に由来する表現です。
さらにいえば「エネルギー」もドイツ語の Energie の発音です。英語では energy です 脳細胞および神経系そのものに障害がなく、心理的な原因によって
発症する精神障害を、日本では 「ノイローゼ」 という言葉が
使われていますが、これもドイツ語からの借用語です。
米英では "neurosis" (ニューロウシス) 若しくは "nervous
breakdown" (ナーバス ブレイクダウン) という表現が
用いられています 2月22日の「竹島の日」は国が制定して国が式典を主催すべきである。
竹島不法占拠の裏側には日本人拉致と在日犯罪者釈放と特別在留許可がある。 底辺ってコテが自殺したらしい
ご冥福をお祈りします 「この世は地獄だ」* という前提で仏教を作った釈迦は晩年ボケたのか「世界は美しい」とか言い出したけど、
悪のサイド(糞フェミ・糞左翼・糞国)が善のサイドに対して毎日、何兆回も死んで詫びなければいけない犯罪を犯している2chを見るまでもなく、「この世が不正に満ちていて醜悪極まりない」ことは否定のしようが無い。
だからといって、「自分には理想社会が作れる」と言ってる奴は漏れ無くペテン師だけどな。
(松本智津夫も「私はキリストだ」と言ってたのう。嘘を言うんじゃない。キリストはワシじゃ)
* 美輪明宏「地獄極楽は胸三寸」
ポル・ポトや金 正日やスターリンや毛 沢東に虐殺された何百万、何千万の人達は“マイナス思考”だったとでも言うのかい?馬鹿言ってんじゃないよ(´・ω・`) https://youtu.be/agfWNEBTK1E
幸せ 悲しみ 代わる変わるの波
心の不思議が分かりかけてくる
逃げないここから
真実をこの手にする
笑顔も涙も自分の色で輝け 結局恐れや不安
幸せや悲しみ 楽しみなども
全て自分の感情が作り出したもの
全ては自分が現実を作り出す
この世が暗い世界になるのか
明るい世界になるのかは自分次第
どうせなら私は明るい方に物事を考えたい
常にポジティブに前向きに
ネガティブにならず
後ろ向きにならず 常にポジティブであろうとすのなら、
自分が前向きになっているか、後ろ向きになっているかなんて気にせず、
どちらの向きであれ、自分が向いている方が前だと信じることですね しかし恐怖の元なるもの
この世界の情景
あらゆる知識と情報は自分を起源としていない
自分がどう考えようと客体は自分の思い通りにはならない >自分がどう考えようと客体は自分の思い通りにはならない
思い通りにはならない客体に自分がなろうとしたら、モンスター客体になります ポジティブに考えるだけで人生は明るくならない。
そんな簡単なものならそもそも思い悩まない。
残念ながら周りの環境をコントロールする事も大事だ。
そして皆それに苦労し頭を悩ます。 人生はシンプルだ
だからこそ難しい
確かにポジティブ(シンプル)は難しい
ネガティブ(複雑)にしたり考えたりするのは
簡単で物事を前向きに捉えることの方が難しい
物事を複雑にするのは簡単で
単純にするのは難しい
だからこそポジティブ(シンプル)は価値がある 周りの環境に合わせてコントロールするのが
難しいなら
自分がコントロールすればいい
言葉にするのはシンプルだけど
これがとても難しい
何故ならこの世はシンプルだから 悩むということは思考が複雑な状態です
単純にすることで明瞭に明快になります
アインシュタインや湯川秀樹も思考を単純明快にして名を残したのです 雨の日には雨の中を
風の日には風の中を
- 相田みつを - 美しい花を見た
美しい花は美しい枝についている
美しい枝は美しい幹についている
美しい幹は美しい根っこが
ささえているにちがいない
- 相田みつを - どんなにかきたくても足じゃないとかけないものってなに? 考えすぎていたかも」
ある日、サッカー少年が、地域のサッカー大会で大事な試合に負けたとき、数日後に彼がそういった。
サッカーはとても楽しいスポーツだが、それでも辛い時は徹底的に辛い。たとえ小さな少年サッカーの大会だろうと、受け入れがたい負けもあって、子供なりに、そういう時には何も話したくない、という気持ちになる。
これでこの子はサッカーが嫌いになってしまうのではないかと思うほど、体中に怒りと悔しさを滲み出していて、見守る大人としてはかける言葉もない。
それでも、次の練習の時には、あの怒りは何だったの? と思うほど子供たちは楽しそうにボールを蹴り始める。
理屈ではないのだろう。
どんなに辛い試合の後でも、サッカーを嫌いになることはできなくて、ボールに触りはじめると自然に笑顔が戻ってくる 「サッカーはシンプルだからさ」と言うと「わかってるよ」と言葉が返ってくる。
「シンプル」という単語はよくサッカーの世界に登場する。
オシムだって、ベンゲルだって、モウリーニョだって、実によく使っている。
よく使われる、ということは、逆に言えばそれがなかなかできないからだろう。
「日本人のシュートが下手なのは頭がいいからだよ」とドイツ人の知り合いに言われたことがある。変な理論だな、と思ったが、確かにそうかもしれない。
細かなことまで気がつき、丁寧に細部を仕上げる才能が日本人には、あるだろう? それがサッカーでは災いしてしまうんじゃないかな。
シュートの前にあらゆる可能性を考えて、それでパスをしたり、肝心なシュートが弱くなったり・・・
つまり、頭がよすぎて、サッカーが複雑になっちゃうのさ、と明快に彼はそう言った ポール・スコールズを見てるとサッカーって実はシンプルなスポーツなんだなぁと思わせてくれます
サッカーが上手いとはスコールズの為にある言葉である 確かに彼は派手なフェイントや華麗なテクニックを試合で披露する事はまずない。
メッシのような「ごぼう抜き」の個人技も
Cロナウドのような派手なパフォーマンスも皆無だ。
そもそもパスを受けて3タッチ以上ボールに触れる事すら稀なので当たり前なのだが、
反面、彼のプレーには一切の無駄がない。
常に味方の一番いて欲しいポイントを見逃さないポジショニング、
ピッチ全体を見渡す広い視野、
短く刻むパスと広く展開する絶妙のサイドチェンジ、
時折見せる極めて効果的なドリブルと鬼のように正確なミドルシュート。
守備でもひとたび危険を察知すれば深いタックルを見舞い、チームを鼓舞する熱い魂。 いつだってユナイテッドはスコールズがいるだけで別のチームに生まれ変わる。
走・攻・守をこれだけ高いレベルで兼ね備えた選手が
毎年、バロンドール候補のトップ3にすら入らないのであれば、
もはや「バロンドールとは何なのか…?」という疑問すら沸いてきてしまう。
彼の真骨頂とも呼ぶべきは世界一の「パス&ゴー」にこそある。
これまた地味なスコールズらしく
言葉で説明するのも「大変伝わりにくい」ワンプレーなのだが・・・
要するに、センターサークル付近で横パスを受けたスコールズが
それをダイレクトでCFの足元へ向け「ビシッ!」と音の出るような
強烈なグラウンダーパスを送り、同時に自らは「パス&ゴー」! CF(センターフォワード)からの落としを再び"前を向いて" "フリー"で受けたスコールズ。
ここからはもう何でもありの「スコールズタイム」だ。
そのまま鬼ミドルをぶっ放すもよし、
再びワン・ツー・スリーのダイレクトタッチで裏へスルーパスを送るもよし、
一旦、サイドに展開して深くえぐるもよし つまり、自陣で横⇒横⇒とパスを展開していたリズムから
スコールズが一転、ピッチ中央を切り裂くようなタテパスを送る事で
一気に攻撃のギアを上げ、相手チームを置き去りにするこのワンプレーこそ彼の真骨頂であると思う。
一見、非常に地味に見えるこのプレーは
敵陣で確実に数的優位を作る為のこれ以上ない効果的なプレーであり、
横パスの連続でチームの攻撃が停滞しかけると
必ずスコールズが顔を出してこの世界一の「パス&ゴー」を見せてくれたものだ FWに送るタテパス1つとってもヨーク&コールから始まり
ファンニステルローイを経てルーニーに至るまで
受ける選手によって微妙にパスを調整するというニクイ心遣いまで・・・・。
ああ・・・・それにしてもスコールズのタテパスを受けてきたFWの顔ぶれを見ていくだけで
ユナイテッドの歴史を語れてしまうなんて胸熱だなぁ・・・
特に思い出深いのは
ロイ・キーンからの横パスを受け⇒ニステルの足元に鬼パスをぶつけ⇒リターンを受けると右のベッカムへ展開⇒ベッカムの美しいクロスから再びゴール前へと走りこんだスコールズの頭へ・・・!! もうね、こんな1シーンが見られた日にゃあ、
「お母さん!今週はゴハンのオカズいらない。
僕、このスコールズがあれば1週間これで生きていける・・・!!」
そんな心境になったものですよ(笑)
(変態でしょうか? そのスコールズが自身のラストマッチとなったCL決勝の試合後、
真っ先にピッチ上で”あの男”と交換したユニフォームを着て
戦友のギグスと話し込んでいる後ろ姿を店長は見逃しませんでした。
今となって見ると、あれはきっと自身が17年のプロ生活で追求してきた
”フットボーラーの完成形”への夢をヤツ(イニエスタ)に託したのではないかと・・・・
そう思ってしまうんですよね イニエスタ
「フットボールは難しいゲームだ。しかしポール・スコールズはそれを簡単にやる。
私はウェンブリーでの試合終了のホイッスルの後に彼に近づいた。
私はその時彼のラストゲームになるのではないかと思ったからシャツをもらい、握手をして『ありがとう、幸運を祈る』と英語で告げると、彼は英語で同じ言葉を返してきたんだよ!」
「我々はシャツを交換し、私はスペインへそれを持ちかえり、私の家にそれを飾っているよ。私は妻にどれだけスコールズが素晴らしいかを説明したよ。」
「私は常にスコールズのようにプレーしたかった。我々は少なくとも同じポジションでプレーしてるから常に彼のプレーに興味を持っていた。」
「彼は若くないもののフットボール選手のお手本で、世界中で最も完成されたプレースタイルを持つ人間だった。しかし私には彼ほどの経験がない。
私は何年も彼のプレーをテレビで見てきて常に彼から学んできた。
スコールズのパスは完ぺきに相手を苦しめた。そしてマンUの攻撃時は彼のパスのタイミングは正確だった。
彼のビジョンは彼がボールを持っている時は常に完璧だった。」 ナニ 彼は僕がこれまで見た中で最高のミッドフィルダーだよ。
彼はなんでもできるんだ。
ファーディナンド 彼の世代で最高の選手だ。
マイケル・オーウェン この地球上に彼のようなパスレンジを持つ選手はいない。毎日練習で彼を見れることは喜びだったよ。
マイケル・キャリック 彼の横でプレーするとわかる。彼がどれだけ特別だということがね。
フレッチャー 他に彼のような選手を見ることはないだろう。彼はレジェンドで目指すべき基準だよ。
パク 好きな選手? ポール・スコールズだよ。
ベルバトフ 彼のようにプレーできる選手はこの世にいないよ。
ルーニー 一緒にまたは対戦相手としてプレーした選手の中で彼が最高だ。 彼のタッチやパス、視野、そして落ち着きは図抜けているよ。僕は彼を真似しようとしてるんだ。
ジュゼッペ・ロッシ 彼はそのポジションで最高の選手だ。彼と一緒にプレーできて誇りに思っているよ。このレジェンドを尊敬している。 ジェラール・ピケ 僕の人生で見た中で最高の選手の1人だ。
ベロン イングランドで最高の選手? ポール・スコールズだよ。
フィル・ネビル 彼はイングランドで最高の選手だ。
ガリー・ネビル 彼は今まで一緒にプレーした中で最も完成された選手だよ。
ブラン 彼は最高のイングランド人選手だ。知性、テクニック、強さ。全ての質を備えている。
スティーブ・ブルース 彼にお世辞は言わないよ。それでも彼はこの国で最も完成された選手だ。断トツで最高だよ。
シュマイケル 私が見た中で彼が最もゲームをコントロールする。
クリスティアーノ・ロナウド 一緒にプレーした中で最高の選手だ。彼はすごいよ。
ベッカム 僕がマドリーでプレーしていた時、チームメイトによく尋ねられたよ。「スコールズってどんなだ?」ってね。
ロイ・キーン サッカーセレブリティのクソ野郎じゃなく、自分を売り込まない。 彼は人間としての純粋さを残している素晴らしい技術を持った選手だ。 ライアン・ギグス ユナイテッドでたくさんの素晴らしい選手と一緒にプレーしたけど、ポール・スコールズが最高だと言うよ。
グジョンセン スコールズは私が見た中で最も完成された選手だ。彼と対戦したときはいつも彼に近づいたと感じることはなかったよ。
シェフチェンコ 彼はフィールド上でほとんどの事を起こさせる。
サウスゲイト 彼の世代で最も技術のある選手だけど目立たないようにしている。レジェンドだよ。
マイカ・リチャーズ 歴代で一番好きな選手だ。信じられない選手だよ。
ジャック・ウィルシャー とんでもない選手だ。トップクラスで全ての若いイングランド人ミッドフィルダーにとって素晴らしいお手本だよ。
セスク・ファブレガス 僕は彼のレベルに到達したいんだ。プレミアリーグで最高の選手だよ。 ダービッツ 私は最高の選手ではない。最高はポール・スコールズだ。
ナスリ 彼はワールドクラスの選手だよ。イングランドのジダンだ。
シャビ・アロンソ リバプールにいた時、彼は僕の一番好きな選手の1人だった。大きな敬意を持っているよ。僕にとって彼がお手本だった。この20年で最高のミッドフィルダーだよ。
アラン・シアラー 彼は最も安定していて最も技術の高い選手だ。
ロナウド 彼は怪物だ。
メッシ マシア(下部組織)では彼の名前がいつも挙げられていた。彼はお手本だよ。影響された選手だ。
イニエスタ 彼は生きる伝説さ。
フィーゴ 彼を見るたびスターの追っかけのようになるんだ。フィールドの上で彼を捕まえるのは難しいし、そしてフィールドの外ではすぐに消えてしまう ロナウジーニョ 彼のようにパスが出来るようになりたいね。彼は一体だれに教わったんだろう?
ビエラ 一番尊敬する選手? 簡単だポール・スコールズだよ。
ティエリ・アンリ ポール・スコールズがなぜ年間最優秀選手賞をとったことがないなんて理解できないね。
ずっと前に受賞しているべき人だよ。 ユナイテッドにはいつもたくさんの素晴らしい選手がいたけど、彼らと対戦するときはいつもスコールズを恐れたよ。
昔のアーセナルの選手に聞いてみてくれ、たぶん同じ事を言うと思うよ。 私からすると彼はとても過小評価されている。
彼のプレーは並外れているんだ。私が見た中で最高のミッドフィルダーの1人だよ。一番好きな選手だ。
シャビ この15年か20年間、私が見た中で最高の選手で最も完成された選手がポール・スコールズだ。 彼は全てを持っているスペクタクルな選手だ。
決定的なパスを出せる、ゴールを決められる、強さも持っている、ボールを取られない。そして、決してポゼッションを奪われないんだ。
ジダン 今までで最も手強かった相手? マンチェスターのスコールズだよ。彼は完璧なミッドフィルダーだ。
間違いなくスコールズは彼の世代で最高のミッドフィルダーだよ。一番好きな選手だ。 サー・アレックス・ファーガソン 彼について私が今まで言わなかったことってあったかな。マンチェスター・ユナイテッドの歴史の中で最も優れたサッカーブレインだよ。最高の選手の1人だ。
レイ・ウィルキンス 世界はこのとてつもないサッカー選手の引退を惜しむだろう。
ケビン・キーガン 彼は他の誰とも違うんだ。
ジョージ・ベスト 彼はまさにベストだ。
サー・ボビー・チャールトン 彼は私の一番好きな選手だよ。彼はサッカーの良さを全て体現している。
デニス・ロー 彼は最高の選手だ。見ていて楽しいよ。
マラドーナ 彼のテクニックはユニークだ。
ペレ もし彼と一緒にプレーしていたら、私はもっとたくさん得点できただろう ベーシックな赤毛のプレイ。右見て左見て、しっかりトラップして、正しいタイミングとスピードでパスを出して。
味方の動きを熟知してピッチ広く見渡し僅かなフェイントで敵をいなして、コースを見つけボールを止めて、決して浮かせず真っ直ぐなミドルを撃ち込んで…。
そんな風にちゃんと出来たら、フットボールは実にシンプル。
でも、それをポール・スコールズより巧く出来る選手がいない。
だからフットボールは複雑になる。 イギリスの理論物理学者で車椅子の物理学者といえば誰? 531 :底辺 ◆49ci.4gb8c :2018/03/04(日) 17:54:37.80 0
底辺、好きな人と付き合いたい。
底辺、人の気持ちを考えるだけで、セックスとかめちゃくちゃ下手だお(о´∀`о)自信もないし、やりたくもない。正直、いまとなっては、乳首舐められながら手コキされたいくらいしか欲はないおな。気持ち悪くてすまんが。
底辺、誰かと付き合うのは本質的に無理だと思う。
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1519363752/531 ちょっと簡単過ぎないですか?
もっと難しいのを期待してるんですけどね ある日、太郎君が桜の木の下で花子さんに告白したら、断られてしまいました。
ところが次の日、杉の木の下でもう一度告白したら、なんと答えはOKでした!いったいどうして? フランス人形と、ワラ人形と、ひな人形が50m競走をしました。
一番最後にゴールしたのはどの人形でしょう? >>235
正解🎉さすがです🙆
原始時代、「塩」はどうやって作っていた?
@ 海の水を干した
A 海水を煮詰めた
B 海藻を焼いて作った
C そもそも塩は使っていなかった 採鹹でしょ?
海藻を焼いて作った
いわゆる藻塩焼き ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています