【コテ禁止】西部邁61
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西部さんは最後まで自己決定論者だった
知的存在としての人間が自己決定できる範囲を大きくしていくこと
これが、人類の文明が歩むべき方向性であることは間違いない
それは、この宇宙・世界に対してまったく勝ち目のない戦いではあるけれど
それでも人間はそちらに進んでいくしかない
撤退することは、動物に戻ることであり、それはたとえこの世界に適合性が高まるとしても
人間としての矜持がそれを許さない
ご冥福をお祈りします
前スレ
【コテ禁止】西部邁60
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1516585149/ >>131
たとえば生肉を食ったらO157で死にましたとかさ
じゃあ、肉食はやめましょうとか、よく焼いてから食べましょうとか
そうやって経験の蓄積が伝統になっていくんだろうな 知性のループってことね
それがより速く正確に回せるようになりつつある
ITなどの技術によってね
人の苦を取り除くのは結局、速度と精度だから 馬鹿でもわかるように言うわ
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものですか? >>131
西岡常一さんも言ってるだろ
木は一本一本違うわけ。そんなのITとかAIではどうにもならん
>>134
人間は自然じゃないって言いたいのか?
お前は妖怪かなんか? >伝統は人為であって自然ではない
つまり、人間は自然ではない
妖怪であるといいたいわけか
頭狂っちょるさんだな 個別化はITの得意とするところだから
適当とか大雑把な合理とかは人を不幸にするだけ
伝統って言葉を使うとそれは明治以降の伝統だっていつも突っ込まれてたでしょ 適当とか大雑把なのはITのほうだろ
文字情報として書き起こせないものはどうにもできないだろ
ある一本の木がどのぐらいの強さで、そんな性質かなんて
読めないもん
人間もそうだろ
AIとかITに夢見すぎなんだよ 伝統と自然と人為と人間という語の区別がついていないのか >>139
だからお前がもう自然じゃないんだよ
自然から離れちゃってるから人為的っておもうんだろ
妖怪か何か別の次元から来た変な人モドキなんだろw できる限り精密にやること
適当は人を不幸にする
そのためにITを活用していこうってこと 人間も、木や草や動物と代わらない
自然の分身
でもさっきから人為的だから自然ではないとか言ってるやつは
人間じゃない自然を離れた別の物体だから
もうレスしてこなくていいよw 元の世界に戻れ! 適当なのはAIとかITだっていってんだろ
微妙な味覚や触感の違いとか言葉で表しようがないからな
美味しいとか、うまいとか、辛いとか、せいぜいちょっと辛いとか
びりっと辛いとか表現に限界があるよ >>144
ほとんどの人間は自然の一部なの
お前は自然じゃない別の物体なの わかった? 人間は知的存在でもあり、動物でもある
自然の中の一員ではあるけれど、知的存在という自然と矛盾する存在でもある
その矛盾が、人が苦しむ原因なんだよ >>146
人為的なものが自然だというのであれば
学問も人為だし核ミサイルも人為だし高層ビルも人為だから
学問も核ミサイルも高層ビルも自然だということになるぞ 伝統は自然ではないが人間は自然ではないに変換されている理由は何? だから、何度も言うけど
人間のすばらしいところと、自然の素晴らしいところが組み合わさったときに
すごいものが生まれるんだよ
人間のダメなところと自然のダメなところが組み合ったら
自然にとっても不幸だし人間にとっても不幸 バカなの?
不自然なものは残らないって書いてるだろ >>151
間違えた
だから伝統は人為であって自然ではないんだよ
が正しい >>152
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものですか? 副作用のむちゃくちゃある薬とか、治療方法とか残らないだろ
残そうとしたって。必要ないんだから。
経験して安全性が確かめられたものが残り
これは危険だからやっちゃダメという教えが残り。 >>154
お前が地面から生えてきたんじゃないの? >>156
俺が地面からにょきにょきとはえてきたものかではなくて
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものかと聞いている >>157
地面から生えたものだけが自然とか思ってんのか?
さすが妖怪 お前は妖怪で、人間でもないし、もちろん自然でもないから
もうあきらめたほうがいいよ >>160
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? 変な本ばっかり読んでるから
にょきにょき生えてきたもの=自然
生えてきてないもの=人為
みたいな訳のわからんことを言い出すんだよ >>163
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? もういいからニョキニョキから離れてくれないかw
人間はニョキニョキと地面から生えてきてないけど
自然なんです。わかった? >>165
人間ではなく伝統の話をしている
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? あのね、石とか、鉱物なんかもにょきにょき生えてきてませんよね?
自然=にょきにょき生える木とか植物だけなの? >>168
石や鉱物ではなく伝統の話をしている
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? 石や鉱物はにょきにょき生えてくるものなんですか?お前の世界では。 >>170
石や鉱物ではなく伝統の話をしている
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? 誰かこいつ捕まえてニョキニョキの世界に連れ戻ってくれないかね >>172
かたくなに伝統のはじまりについて答えないのは伝統が人為によって産み出されたものだと認めることになるからか? 人間もまぎれもなく自然の一部で、自然の分身の一つで
その行為の中でより自然に寄り添ったものが伝統として残ってる
不自然なものは残らない
という説明をしてもニョキ星人には通じない 伝統は自然と人との関わり合いの中で積み上げられたもの
現代人は伝統が本の中にのみあると勘違いしたために言葉だけを重視する伝統観に偏るようになった
自然との関わり合いを軽視する現代の伝統観を脱するべき 人為とは自然の状態に人が手を加えていくこと
でも自然から人間に働きかける力のほうが圧倒的に大きい
伝統は自然から人に与えられたものが大きく人為により作られた部分は小さい
ところが現代の科学進歩主義は人為を過大評価しているために自然に沿った伝統から離れて行っている >>174
ようやく伝統は人間の行為だって認めたね
>>175
伝統は自然と人との関わり合いの中で積み上げられたもの
誰によって積み上げられた?
人間によってだろ
伝統は人の行為つまり人為なんだよ
>>177
大きいか小さいかは横に置いておくが
いくら小さいとは言え人為によって作られた以上伝統は自然ではなくて人為なんだよ 人為の意味(goo国語辞書より)
1 人の力で何かを行うこと。人のしわざ。
2 自然の状態に人が手を加えること。 宮大工の口伝を守るのむずかしーわ
百工人の考えをまとめるなんてな
にょきにょき言われたらグーでパンチが出てしまうわ >>180
伝統は人為ではなくて自然だのほうが酷いと思うよ 伝統は人為的だにょきにょきだのって
余計な知恵ばかりつけてしまうと
回り道ばっかりだな
教えるほうを疲れさせるだろうしw >>182
知恵がないと伝統は人為ではなく自然だと言ってしまう
俺も知恵のない人に伝統は人間の行為だと認めさせるのに苦労したところなんだ
知恵がない人は教えるほうを疲れさせるよ 実際に自然と接してると人為がとても小さく感じて、その他の全てが材料になってる感じがするからだと思うよ。 どちらにしろ、わかりやすい一本のストーリーではもう人は救われない
無数にあるそれぞれの合理に精緻に寄り添い、それらをできる限り整合するシステムが
まず求められている にょきにょき星人見てるかー?
この日本昔ばなしを見てくれ
●万年寺の御好し狸
http://nipponmukasibanasi.seesaa.net/article/384049547.html
親切な?タヌキが、酔っ払いを毎日助けてくれるという話なんだが
タヌキが人間を助けた場合、それは自然なのか、人為なのか
ニョキ星ではどうなってる?
大工
「それにしてもなぜタヌキがなあ わかんね」
「食べ物やったわけでもないのに
ああまで世話をしてもらういわれはねえよ」
和尚さん訳が分かったかね?
和尚
「タヌキの世話になるのもいいじゃねえか」
「タヌキも人も同じ生き物よ」
「みんなして昔からでここで暮らしてきたんだ」
「タヌキが困っておったら助けてやる」
「こっちが困ったらタヌキにも助けてもらう」
これが日本人の世界観だ 仏教、神道
人間とタヌキと石と木に命の差がない そういう押しつけが人を不幸にする
無理矢理洗脳しても、不幸な人が増えるだけ
それぞれの合理を伸ばせることが、それぞれの苦をまず減少させる 明治ぐらいまで、建設事故や災害を押さえるために
人を生きたまま人柱として埋めたらしいからね
それも自然と共生してきた日本の伝統 日本昔ばなし見ればわかるけど、
松の木が伊勢神宮に参拝したり、タヌキや狐やさまざまな動物との係わり合いが
密接だよ
神様との距離もメチャメチャ近い
まあ、人間も神様になってしまう国
あらゆるものが神様になってしまう国だからだけど 生存の権利なんてものはなかったからね
それでも懸命に生きているというのは神のように尊いのかもしれない 西岡常一さんの言葉を見れば分かるだろう
どれだけ物の命を大事にしたか
1000年生きた木が木としての寿命を終えて
それから建築物としての命をスタートさせてさらに1000年2000年持つ
人間の技と知恵で。
切られて50年以上たった木が癖が抜けて非常に使いやすく
ダイヤモンドなら掘ったら出てくるけど
そういう古い木はなかなか出てこないから大事に使うとかさ
お前らはもう日本人じゃないんだよ
日本のことを悪く捉えて
日本のことを知ろうともしない
にょき星から来た、人モドキ、妖怪という位置づけが正しい タヌキが人助けをしたら、それは人為なのか自然なのか
早く答えてくれないかね?
海外の動画でも猫が人間の子供を救ったり
イルカが人間を助けてくれるって話もよくあるだろう 合理から離れれば離れるほど人は不幸になるだけ
真の不合理である乱数、ランダムな状況において人は最も不幸になる アメリカ流合理的なんだろ それは
日本の合理的ってのは
人間も動物も木も石もすべて調和して暮らすってことだよ
人間が一方的に我慢するとか、または人間一方的に略奪するとかじゃないよ
自然に適度に人間の手が入ることで、崩壊しないで済んでる場所たくさんある
日本の場合地震や台風や雨の多さで放置してるとどんどん
壊れていくばっかりなのだから。 それぞれの合理がある
不合理というのは乱数、ランダムなことだからな
そのそれぞれの合理に沿った精密な仕組み、そしてそれをできる限り調停してくれる
システムが今求められているんだよ 木も大事にするし、他の動物も、岩も神様として厚かったり
大事にしてきたから、文化がたくさん残っているんで。
もちろん人間に対してもそうだよ
日本人の強さの理由についてよく考えるんだけど
昔の人は本当に親や近所や社会から愛されて大事に大事に育てられたんだなって
分かる。 それぞれの合理はあるかもしれんが
ここは日本で、日本人は日本のやり方が合ってるよ
土地、気候、体質、全部違うのに海外からのものを持ってきても
不具合が多いんだよ お前ら、ぜんぜん保守でもなんでもないじゃん
アメリカ流に洗脳された革新とか、左翼だよな
合理的合理的って
設計主義というか。なんで西部スレにいるのかね つい最近、
精神的支えだったハムスターを飛行機に一緒に乗せられないって理由で
便所に生きたまま流したアメリカ女の話題がニュースになってたが
ああいう感覚は日本人には受け入れがたいわけで。 一番人を不幸にするのは、不合理ないい加減さだ
そうしたいい加減さでの調停、あるいは整合の不備による混乱こそが人を不幸にする 設計主義批判→適当にやればいいじゃない→世の中乱れまくる
これもポストモダンと同じ失敗 >>201
日本でも犬とか買って何年かして大きくなったら可愛くないし飼えなくなったって、殺処分につれてく人いるよ >>203
誰がどこで適当にやればいいと書いてるんだ?
自然の摂理に沿うってことを言ってるだろ
>>204
殺処分に持っていくクズもいるが
便所に生きたまま流すっていないだろ
アメリカ人らしい >>1を見ろ
自然の摂理に一番沿ってるのは動物だ
たとえ自然の摂理から離れるとしても、知的存在としての人間には、
前に進むべき矜持がある アメリカ映画で何というのか知らんけど
トイレにワニを流したらモンスター化してどうのっていう映画や
死んだ金魚をトイレに流したりとかは当たり前らしいね
お墓作って手を合わす日本とは違う >>206
本当に知的だったら、自然から離れない
離れてはいけないって理解できそうなもんだが。 自然の摂理とは何か?
自然の摂理とは、乱数のことだ
結局、最終的には自然の根本は乱数・不合理だ
このことを最新の物理学は明らかにしている
つまり、自然の摂理とは、人に不幸をもたらすものってことだ
これが知的存在としての人間がこの世界・自然・宇宙に対して持つ矛盾点ということになる >>208
知的存在は、この世界・自然に対して根本的に矛盾する存在なんだよ
なぜなら、この世界・自然の根本は乱数であり、それこそ知的存在が全く受け入れることのできない、理解すること
認識することすらできないものだから
そのあまりにも大きな絶望を目の前にして、作られたのが宗教・神ということになる 人間は宇宙で暮らせないし、
何千年も昼おきて夜寝るという生活だから
それが崩れるだけで体調不良になり
クーラーにあたって具合が悪くなり
自然無視して存在できない
それぐらい分かるだろ 西岡常一さんの言葉から借りると
2000年生きたヒノキの木、それを切って
素晴らしい建築物に日本人が仕立てたらさらに2000年持つわけ
もし木を切らなかったらせいぜい3000年ぐらいで枯れちゃう
人間の知性や技術がは自然とは矛盾しない
うまくやればな
お前らではだめー だから、人間は半分動物で、半分知的存在だ
動物の部分は、自然により適合しているだろう
しかし、その動物の部分が、知的存在としての人間から見れば、人に不幸をもたらしている
ここに、根本的な矛盾がある
知的存在はこの自然界の中に存在してはいけないものだ
それ自体で苦をもたらす
しかし、それでも前に進むしかないんだ >>212
矛盾するんだよ
知的存在は、この世界・自然において根本的に矛盾する
知性は乱数を受け入れることは絶対できないからね
それは知性の死を意味する
このことを仏教では一切皆苦といっているわけだよ 動物だって、自分で火をつける鳥とか
カラスだって賢いしな
賢い猫は言葉が通じてるような気もするし
植物だって物は言わないけど、もしかしたら何か考えてるかもしれんしね 動物の方が人間より苦は少ないよ
道路で引かれてもしばらく放置されちゃうような存在だけど 苦が少ないかどうかは分からんね
長い間一緒に暮らしていたオウムが飼い主と別れたら
ご飯まったく食べなくなったりっていう動画もあるしな
恐怖やショックで死んでしまう動物も多い
喜怒哀楽がもしかしたら人間より激しいかもしれんよ?分からんけどね。 知性が高い動物は苦も多少はあるかもね
とにかく、知性を持つこと自体がこの自然に対して矛盾するわけで
知性を持てば、それは即ち苦を持つことになる お前らは変な本いっぱい読んで
余計に苦しんでるって感じはするよね たとえば
台風が多く来る年はカラスが巣の位置を低く造るんだけど
カマキリなんかもそうなんだけど
彼らがどうやってそれを察知してるのか
人間の知性や科学ではまだ分からんわけよ
動物にもドン臭いのがいて、
巣を高く作っちゃって死んじゃったりもするんだよ 台風が多く発生しても、日本に上陸してくるかどうかは分からんのよ
高気圧の位置とかでどうなるか分からない
湿度と気温が高ければ台風が多く発生しそうだなぐらいは
人間でもなんとなく想像はつくけど
カマキリやカラスがどうやって台風の到来の多い少ないを予知しているのか
知性っていうけど、それも定義が曖昧かもとは思わん? 最終的にはみんな死ぬでしょう
それは、この世界・自然の本質が乱数だからだよ
いくら科学技術が進歩しても必ず生命はどこかで終わる
それは、自然の摂理・本質が乱数であり、それが秩序だった存在を許さないから 神道の世界では
永遠の命がもともとあって、
誕生と死がそこに書き込まれてるだけっていう考え方だぞ それは事実じゃないからな
生命どころか、秩序だって永遠に存在するものはない そゆ流派というか霊能者がいても(伊勢神宮もそうだし)
日本は あまねく包含する。信者がいても構わないが、それが支配に回ることは厳しく制限される(というタテマエな)w 嘘か本当かどうか分からないっていうのが正しい答えじゃないのかね
自分は信じてるけどね
どういう物語を信じるかで
人生の生き方も変わってくるからさ
永遠の命なんか存在しない、知性を持つことは苦しみ
そういう物語で生きるよりはさ 神道が神の超越を認識していないんだとすると、
神智学なんかと同じだ
それはヒューマニズム系のカルトと同じで、
人に無用の苦をもたらすよ カラスさんやカマキリ君が何を目安にして台風の多い少ないを予知してるのか
人間の知性では分からないので
彼らの行動をよく観察して、学べるとこは学ぶっていうのが
台風予知に使える学問に発展するかもしれんし
自然に寄り添うことは、学問にとっても重要
虫や動物には知性や感情がないから〜って
思ってたらそこまで行かんよね 意識が。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています