【コテ禁止】西部邁61
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西部さんは最後まで自己決定論者だった
知的存在としての人間が自己決定できる範囲を大きくしていくこと
これが、人類の文明が歩むべき方向性であることは間違いない
それは、この宇宙・世界に対してまったく勝ち目のない戦いではあるけれど
それでも人間はそちらに進んでいくしかない
撤退することは、動物に戻ることであり、それはたとえこの世界に適合性が高まるとしても
人間としての矜持がそれを許さない
ご冥福をお祈りします
前スレ
【コテ禁止】西部邁60
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1516585149/ これが自分の思考であり感情であると思い込んでいるものが、実はそうではない場合があります。
我々はみんな、多くの思考と感情の海の中を泳いでいるようなものだから、
他者からの悪影響は受けないようにした方が良いということです。
シュタイナーの著作ではありませんが、神智学大要の想念波、想念伝達のメカニズムの項目などが参考になります。 神智学大要は著者が霊界参入者じゃないし玉石混交な印象
統合失調症でないと何故言えるだろう?
発想に不健康さを感じる 太陽系だけじゃないしみんなの出身はね。昼の星とか。 統合失調症者の不健康さは、戦い、救世 カオス などで混乱しているから、
悪化傾向ととらえるよりはむしろ従順に本人なりと世界のよさと見たらいい。 哲学者の人たちの前提条件の設定付けがなんか皮相なんだよな
その条件は論理的に十分じゃないだろうというのが多い
それがすごく違和感を感じる原因なんだよ まずね、客体は認識できない
確かにそう
しかし、だからといって客体がないとは言い切れない
それなのに客体はないという
あるいは客体などどうでもいいという
どうでもいいとなぜ言い切れる?
ここに論理の飛躍がある
こういう感じで抜けてる部分がどんどん出てくる
有名な哲学者であってもだ
まあ、それほどに不十分な人たちだからポストモダンみたいな方向に行っちゃうわけだが 何もないなら乱数になるはず
しかし、自分の意識を含めて、乱数でないものが存在するんだから、
客体は確かに存在するんだよ
逆に言えば、この世界に乱数が存在しないなら、それはすべて主観の幻といえる
なぜなら、意識=認識は乱数を作り出せない
しかし、乱数はしっかりと存在しているので、自分の主観の外部に何かがあるのは確かってことになる
結局、乱数問題がキモだ
ここを研究しないといけない 要するに、物体の存在の有無は、せいぜい確率でしか表せない
それは確率の波だ
それが現代物理学が明らかにしたところでしょう
そのことがつまり、この意識の外部に何かがあることを証明しているということになる
もし、この世界が意識の幻であるならば、物体はすべてその存在をソリッドに示すはず >>62 日本っていつから後ろ向きになったんだよ。
戦後の日本は後ろ向きじゃない保守でさえと流行らないからだけど、
マスコミだろ 流行を決めてるのは。そりゃ 販売不調もむべなるかなだけど、操られてると知らないワケでもあるまいに /\
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ユダハ シホンシュギ ジャナイト イキテ イケナイ ユダ
シャカイシュギ キョウサンシュギ ハ ツブス ユダ!
サヨク ノ シンヨウ ヲ ツブス ユダ!
村山内閣・・・阪神大震災、サリン事件
菅内閣・・・東日本大震災、原発爆発
伊豆大島共産党町長・・・数百年に一度の土砂災害
仏社会党オランド大統領・・・過去に例をみない大規模テロ
メキシコの左派制度的革命党の人間が大統領の時・・・1981年、2017年の大地震
左派の三田園鹿児島県知事・・・桜島大噴火? 川内原発への北のミサイル攻撃?
韓国の左派「共に民主党」の文在寅大統領(韓国の菅直人的存在)・・・朝鮮動乱?
ふぇ 議論あまたでも、その根拠が勉強した知識そのものだと、過去に遡るから後ろ向きになる。 観音経には、「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」という経文が 13 回出てきます。「観音様のお力を念じれば」、いろいろな危険や苦しみ、困難から解放されるという 13 個の例え話が説かれています。
1、燃えさかる火の穴に落とされても、観音様のお力を念じれば、火の穴はたちまち池に変わる。
2、大海を漂流して龍・鬼に襲われても、観音様のお力を念じれば、波に溺れることはない。
3、悪人に山の頂から落とされても、観音様のお力を念じれば、太陽のように空中にとどまる。
4、悪人に追われて山から落ちても、観音様のお力を念じれば、傷一つ負わない。
5、強盗たちに殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、彼らの心は優しくなる。
6、刑場で処刑されそうになっても、観音様のお力を念じれば、刀はばらばらに折れてしまう。
7、鎖につながれても、観音様のお力を念じれば、たちまち鎖は解けて自由になる。
8、呪いのため命が危険にあっても、観音様のお力を念じれば、その人に呪いが戻っていく。
9、悪鬼毒龍(あっきどくりゅう)の怪物に出会っても、観音様のお力を念じれば、怪物は毒を与えないようになる。
10、猛獣に囲まれて殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、猛獣は去ってしまう。
11、マムシやサソリが毒を吐いても、観音様のお力を念じれば、たちまちいなくなってしまう。
12、稲妻が光り大雨が降っても、観音様のお力を念じれば、それらはたちまち消散してしまう。
13、戦場で死の危険にさらされても、観音様のお力を念じれば、敵たちは逃げ去ってしまう。 リアルな心霊写真が撮れた話を知り合いから聞いてかなりブルーになった
この世を彷徨う霊、いわゆる幽霊って人智学的にはどういう存在なんだろう
シュタイナー自伝の中に、親戚の幽霊を見た話があったけど。
幽霊という存在がどの程度存在しうるのか、
また「心霊写真」という現象は本当にあり得るのか。
人智学してるから霊の存在はほぼ信じているけど
それがカメラに映るなんてあるかな
神智学大要には、人間が捨て去ったエーテル体に元素存在が入り込んだりするとか書いていたような 聞いた話しだが、男2人が夜中に六甲山を走っていたら、
女の子が道の真ん中に突っ立っていた。
「あれって、噂の六甲おろしでもされたんか!?」
って、車のスピードを落として可哀想な女の子をピックアップしてやろうと思った。
すると助手席の男が
「あれは違う幽霊だ。そのまま突っ切れ」
と言うもんだからドライバーは動転した。
確かに近づくと女の子は体が半透明だったが、幽霊でも跳ね飛ばして行くのは躊躇する。
スピードを緩めて女の子をかわそうとすると助手席の男は怒鳴った。
「あの女はオトリだ。バックミラーを見ろ!」
バックミラーにはどう見ても死んでる女が今にも車に飛びつこうとしている姿が映っていた。 んだかズレた人たちだ。
スレタイを見て去りなさい。 シュタイナーはいつも、できる限り真理について述べているので、
限りなく真理に近づいた賢者たちと同様の見解が随所に見られるのだろう。 一人よがりにしか見えない 言いっぷりの、、あれは芝居だろ。
芝居を見て感心しても別に悪くはないけど、他人にまで「感心しろ」というなかれ。 週刊金曜日次号予告:2018年2月23日号(第1173号)
【中島岳志責任編集 <追悼特集> 西部邁とリベラル・マインド】
●追悼座談会|寺脇研×佐高信×中島岳志
●「評論家」を演じ続けて|長崎 浩
●学生運動のリーダーだった西部邁|森田 実
●最後のリクエスト曲|青山 恵子
●中島岳志セレクト 「西部邁この10冊」|中島岳志 層醴醴醴醴醴醴醴嬲夢體醴靦gggji!;'..、..'` .. .(巳|jc'}i,.
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.']]醴$ .'l|_ i「゙゙I゜
、 ゙濁髟. |i ′$ . 新潮45 2018年3月号
[追悼・西部邁]完璧な制御内にあった「自裁死」/東谷暁
反・幸福論/佐伯啓思
〈83〉「死の哲学」と「無の思想」、西部邁の死を巡って グローバル化資本主義経済下で苦しむ庶民を救う思想が求められている
これに応えることができる思想はマルクス主義しかいない
また再び21世紀に団結しよう「この世界には妖怪がさまよっている 共産主義と言う妖怪が」と低くつぶやきながら 一本の理論だけでは、大半の人が不幸になる
それぞれの人の無数の合理に寄り添う精密な仕組みが求められているんだよ 西部邁って人の言ってることおおむね正しかったなと思われる時代は訪れないだろうなあ
この国の人見てるとそう思う 結局ポストモダンのいい加減さから離れられなかった
そこから離れれば、さらに先に行けたはず >>54 → >>62
日本の混迷はGHQが仕掛けたとされているけれど差別民族は他にもある。
日本は実体として役割分担はあるが、虚象である差別は嫌悪されてきた。
つまり日本人の平等感覚と外国人の差別感覚が混合して不調和を起こしているのだが、
西部氏あたりが、日本本来の和合平等を保守の本道として示せば良かったのに、やらずに西洋かぶれ & アメリカ嫌い というコンプレックスに埋没した。 和合なんて誰かが唱えても無意味
大雑把なストーリーは人を不幸にするだけ
それで洗脳してもすぐに人々は目覚めるし
それぞれの合理を精密に整合させるシステムがまず必要 日本本来の和合平等笑
西部が大学辞めた理由を踏まえれば絶対に認めなかっただろう 職人の仕事は機械では代われんものだということを強く感じております
一人前の職人になるには長い修行の時間がかかります
近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです
学校と違って頭で記憶するだけではダメです
また本で読んだだけでもおぼえられませんな。
たくさんの人が一緒に同じことを学んでも
同じ早さで覚えられるものでもありません
自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ
昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです
なぜならすべての仕事を基礎から
本当のことは何なのかをしらずには何も始められず
何をするにしても必ずその問題にぶつかるからです まずは自然の命というものに対してもっと感謝して暮らさななりませんな。
今の人は空気があって当たり前、水があって当たり前
木があって当たり前と思っていますけど
水がなかったら命がありませんのやし、生命も育ちませんな
今の人は自分で生きていると思うていますが
自分が生きているんやなしに
天地の間に命をもらっている木や草や他の動物と同じように
生かされているということ、それを深く理解せなあきません
自分だけで勝手に生きていると思っているとろくなことになりませんな
こんなこと、仕事をしていたら自然に感じることでっせ
本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから肝心の自然や
自分の命がわからなくなるんですな
知識はあまり植えつけんほうがいいと思いますな
仏の教えのなかには
あらゆる世の中の現象は人間の心の中に納められている
人間の心ももまた自然のなかにある、というてますな
そして今まで説教してきたけれど
それをまねたらあかん
自分自身が生きていくんやから自分自身で悟らないかんということでしょうな
そういうふうに自然を悟れということでしょうな 大工や職人の仕事というのは体で覚え経験を通して学んだ学問なんですわ
それが無視されていますな。軽んじられてますわ
何でも計算できると思っているんですな
そして、そうした学問が重要視されてますな
本の中や議論のうえではそれでいいんでっせ
しかし、私らは実際に堂や塔を作らなならんのです
頼りにするのは先人の残してくれた知恵と積み重ねてきた経験ですな
それと勘です
長いこと木を扱い、かなづちで釘を打ち込んできた経験が教えてくれる勘ですわ
ですから私らだって完璧ということはないんです
じゃあ、どうするのかいいましたら精一杯のことをするしかないですな
自分ができる仕事を精一杯する。
これだけですわ 中国の老子という人は教育は人をダメにすると言うてますな
生まれたまんまのほうがよろしいということでしょうな
人間でもみんな自然の中におかれ生かされているんです
建築でもそうや
自然から飛び出すというわけにはいきませんやろ
みんな自然の中での行いです
ですから自然というものを理解せないけませんな 先人の経験を言葉や知識として、それをもとにその上に築くということが
できんのです。経験は学べないんですな
経験は自分ではじめから基礎を積んで載せていくしかありませんから。
世の中全体がせちがらくなってきました
人を育てるのも大量生産で何しろ早くですわ
それとそんなに丁寧に物を作ってもらわんでいい
適当な大量生産の安いものでいいというんですからな
そうするとせっかく長い時間かけて育てても活躍の場がなくなってしまうんですな。
職人の仕事のよさは一つ一つ違う材料のよさを引き出して物を造ることやけど
そんなもんいらんというんですからな
日本の文化はそうやって自然の持つ素材の良さを生かして
自然の中に置いて調和の取れるものを作っていくなかで生まれ
育ってきたんですけどな しかし、木を育てるというのは大変なことです
自分のことだけを考えていたらできません
国の未来や国土を守るという使命感があって
初めて木は育てられるんです
人間を育てるのも同じことでっせ
次の世代を担う人を育てるという使命感がなければあきません
それも口先だけやなしに
心底から信じてなくてはあきませんわ
人間は自在に動くことができますし心がそなわっています
この心の動きによって人間に差ができますのや
そやから人間を育てるには、その心をしっかりつかまななりません
けれど、人の心というやつは形が見えませんさかいに難しいんですな
体は飯を食わせれば大きくなりますが、心はそうはいきませんやろ
心の糧は五感を通して心の底に映る万物を正しゅう判断して蓄えること
これが心に飯を食わすということですな
この心に糧を与える手助けをするのが教育というもんでっしゃろな 世間では記憶力のいい人を頭がいいといいますが
大工の場合は、記憶力も大事ですが手が記憶どおりに動かなくてはなりませんのや
そやから手に記憶させなければあきません
記憶がよく頭で覚えたと思っても
実際に仕事をするときには手が頭についていけないもんでっせ
手に記憶させるには繰り返すしかないですな
経験の積み重ねです
記憶が悪いわけやないけど
頭の中ではどうしても得心がいかない
実際に手でもってやってみて
少しずつ分かって納得がいく
こないな人のほうが一目で見て、話を聞いてわかったという人より
後世に名を残す名工になりますな もちろん、人間ですから覚える速度は違います
学校と違いますから。
早く習得した人は先に進みますわ
だが、遅くったって構わんのです
覚えることが大事なんです
覚えな、前に進みません
覚えないまま先に進んでもしょうがないんです
そういう人はじっくりやるんですな
早く覚えて先にいったほうがいいということはないんです
むしろそういう人よりじっくり進んだ人のほうが
刃物なんかはいい切れ味になりますな
体が時間をかけて覚えこむんですな
時間をかけて覚えたことは忘れませんわ
こうした一見無駄なように見えることが大事なんですな
時間をかけて同じことを繰り返しているうちに
親方は弟子の性格や得意なところを見出しますし
弟子も自分というもんを知るようになります 人間も木と同じで宇和
一人ひとり性格が違いますし
それに応じて育て方も違うんです
刃物を研いでいるうちに自分に癖があることを知りますし
それを直さな研げんということもわかりますのや
間違ったままでは研げませんのや
今の教育は平等やといいますが
人は一人ひとり違いまっせ
それを一緒くたにして最短距離を走らせようと思っても
そうはいきませんわ
一人ずつ性格も才能も違いますのや
その不揃いなものを使い、それぞれの異なった性格を見出すのは
そう簡単に無駄なしにはいきませんで。
無駄と思うて捨てたり、見過ごしてきたことに
ずいぶん大事なものが含まれていると違いますかな 職人というのは頑固ですわ
人のいうことを簡単に聞きません
自分に自信がありますさかいな
またいい職人にはその自信が大事なんです
職人というのはそういう腕自慢のところがありますし
まったくなかったらやっていけませんけど
性根の曲がったのもおりますわ
それでも辞めさせたりはしませんな
また学校の先生のように、性根が曲がっているから直してやろうということも
ありませんな
その人はそれでちゃんとした職人ですし
性根というのは直せるもんやないんですわ
やっぱり包容して
その人のなりの場所にいれて働いてもらうんですな
曲がったものは曲がったなりに
曲がったところに会うところにはめ込んでやらないかんですな
人とうまくやっていけなくても使い道はあるんです
だからといって甘やかしているんやおませんで
厳しいとこは厳しくせんとな。 口伝に「木の癖組みは工人たちの心組み」
「工人たちの心組みは匠長が工人らへの思いやり」
「百工あれば百念あり、これを一つに統ぶる。これ匠長の器量なり」
「百論ひとつに止まる、これ正なり」というのがあります
いずれも職人というのはそれぞれ癖があるけれども
それを使うのが棟梁
その棟梁はどんな心構えで人を使わなならんかを教えているわけですな。
気に入らんから使わん、というわけにはいかんのです
自分の気にいるものだけで造るんでは、
木の癖を見抜いてその癖を生かせという口伝に反しますやろ
癖はいかんものだというのは間違っていますのや
癖は使いにくいけど行かせばすぐれたものになるんですな
それを辞めさせ、あるいは取り除いていたらいいもんはできんのです 棟梁の心構えにこないなものもありますのや
「百論ひとつに止めるの器量なき者は謹みおそれて匠長の座を去れ」
口伝の中でも一番気に入っているものですがこのとおりですわ
たくさんの職人を一つにまとめられなかったら
自分に棟梁の資格がないんやから自分から辞めなさいというんでうな
適材適所といいますが、
いいところばかりではなしに
欠点や弱点も生かしてその才能を発揮させてやらなならんのです
いいところだけを拾い出していいとこに並べるというのと違いますからな
人を使うにはそれだけの心構えがいるってことですわ
木を見るのも難しいですけども、人を見るのも難しいですな
よく嫌なやつを無理して使うことないやないかといわれますが
そういうわけにはいきません
そういうわけにはいかんというよりも
そういうふうに言われる人でも使えるところがありますのや
おもしろいことに、そういう癖のある人にとても間に合うところが
必ずありますさかいに。
私はこれまで長いこと棟梁をやってきて
使え切れんから首にしたことは一度もありませんな 私の場合は、はじめっから棟梁としての教育ですから、えらかったです
人をまとめていくからには
人の苦労というもんを知らないかんというんで
見習いで入った弟子と一緒です。
掃除や台所仕事、仕事場の整理、支度、みんなやらされましたわ
自然には一つとして同じものがないんですから
それを調和させていくのがわれわれの知恵です
徒弟制度といいましたら古いもんといわれていますが
古いからすべてが悪いというもんやないやないですか
すべて同じ人間にしようという教育よりは
よっぽど人間的な育て方でっせ 百人の工人があればそれぞれ考えが違う。
百人いたら百人別々の考えがあると思えというんですな
いまどきの学校でも会社でも
人の上に立つ人達はこんなふうに生徒や社員を見ていますかな
この百人の心を一つにまとめるのが棟梁の器量というもんや
みんなの心がまとまって、初めてその方向が正しいというんですから
ずいぶん進んだ考えですな
昔の人やから、古くて、何でも上に立つ人は号令一つで
下の者の意見や考えなんか無視していたんやないかと思っている人が多いやろうけど
この口伝がまったくそうやないことを物語っていますな
大きな仕事は人の考えを無視して、支配する力だけではできないんですな
もしそうやったとしても心のこもった仕事はできません
心のこもった仕事をせな、建物は長くもたせられませんな
それでは木の命を生かすことはできません
これでは棟梁というのはやたら難しい仕事やし
そんなことできたんかいと思う人がおりますやろうけど
千三百年前にこうしてたくさんの工人を使って
法隆寺や薬師寺を造って、今まで残してくれているんやから、できるんですな
法隆寺を見ていたら、飛鳥の工人の偉大さに頭が下がります 自然との対話の中で培われた棟梁の本物の智
感動しました
思想本を読んで概念を記憶し頭の中の観念操作でパズル問題を解くような快楽を得て自己満足
そんな机上の思想にやがて虚しさを感じてくるのは当然のことでありましょう
未来を生きる日本人は自然を感じ自然から謙虚に学ぶことを始めなければなりません 「諸々の技法は一日して成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘るべからず」
そのとおりですな
口伝を守ってそれを実践すれば堂塔はできるけれども
これは自分だけの功やないというんですな
先人たちが実験を重ね、失敗を正し、こうして伝えてきた技法によるんや
自分の知恵や力だけではできるもんではない
神に感謝し、以後も口伝、技法を伝えなならんぞというているんですな
本当にそうだと思いまっせ
私はおじいさんによって棟梁に育てられました
教えられた技法はおじいさんが考えたものやなしに
その前から伝わったものです
千年以上の時間をかけて間違いを正し
積み重ねてきたすばらしいものです
その技法に間違いがなかったことは法隆寺が証明してくれていますがな
私は長く大工をやってきましたけど、自分が新しく考えだしたものは
何もありませんでした
それより解体修理をしながら、どうやってこんなことができたんやろ
と考えさせられることばかりでしたな
今でも飛鳥の工人に追いつかないと思っとるんです すべてこの口伝のとおりですな
科学が進歩したというて
昔の技術を無視したり忘れてしまってはいけませんで。
経験の積み重ねにはそれだけの価値が隠されておりますのや
科学はややもすると 経験や勘を枠の外にはずそうとする傾向がありますが
経験や勘も立派な学問なんでっせ
数字や文字にできんからいうて無視したら大きな損失ですな
頭の記憶だけやなしに、手による記憶というものもありますのや
法隆寺や薬師寺の塔はその記憶の結晶やおまへんか
これらの見事な建築物を今のような道具なしに
一つずつ違う木の癖を生かしてくみ上げたんでっせ
もう少し人間は謙虚になって自然や先人の残したものを見な、いけませんわな
あまりに自分のことだけ
目先のことだけを考えすぎますわ
先人はここに千年以上の時間を越えてものを見る習慣を持っていたことを
証明して見せてくれているんですな 別に私だけが特殊な力を持っていたわけやないんでっせ
昔から何代にもわたってこないして技術を受け継いできたもんやったんです
それが時代の中で一つ一つ消えていったんですな
昔は林のように私のような職人がおったんです
それが一本ずつ枯れたり、倒れたりして、気がついたら一人残されていたんですわ
先祖から何代も引継ぎ残してこられたもんが、私のところで
花咲かせてもろうたのかもしれませんな
うしろを振り返りましたら、長い糸に目がまわるほど、
ぎょうさんの人がつながっていますものな
その端っこに私がおりますのやろうな 先人たちの経験知を後世に伝えるには頭の記憶だけでなく
自然から謙虚に学び続けてきた自分の手の記憶が大事ということですな
頭の中に詰め込んだ思想概念の観念操作だけで自己を形成しても虚しいだけです 木は大自然が生み育てた命ですがな。
木や物やありません。生き物です
人間もまた生きものですな。
木も人も自然の分身ですがま。
この物いわぬ木とよう話し合って命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ
木の命と人間の命の合作が本当の建築でっせ
飛鳥の人はこのことをよう知ってましたな
ヒノキの木の命の長さを知り、それを生かして使う知恵を持っとったんですわ
ヒノキの良さとそれを生かして使った飛鳥人の知恵の合作が
世界最古の木造建築として生き残ってきた法隆寺です
法隆寺や薬師寺はそのことをよう教えてくれていますわ
西岡常一 「木のいのち木のこころ」より 俺は、西岡常一という宮大工さんの語る言葉の中に
保守的なるものがすべて詰まっていると思う
自然に寄り添うこと
それが普遍的な大きな価値を生み出すこと
人間も自然の一部であること
経験と知恵の蓄積=伝統の持つすさまじい力
お前らは外人の本を無駄に読みすぎなんだよ 西部先生がいろんな人と話をしていたのは
癖のある人や思想の違う人とも心を通じ合おうとしていたのは
この宮大工の口伝そのままだなと思って。 昔の知恵というのは漢方薬みたいなもの
現代の技術にはかなわない
現代思想の方もかなりバカな遠回りをしたけど、そのうち科学技術に追いついてくるはず その現代の技術も過去の先人の積み重ねなんだってことが
何で分からないのかねー
実際に作ってるのは現場の職人だぞ 漢方薬に対する知識も間違ってる
西洋医学ではニキビも頭痛も花粉症も下痢も便秘も治せない
治らなくて悩んでいて自殺しようとまで思いつめてる人いるぞ
5ちゃんねるにもスレがあるけど。 847 :名無しさん@1周年:2017/04/07(金) 23:03:44.82 ID:vJNNPxZi0
アメリカ人の男と結婚して長年アメリカに住んでいる日本女を観察してこい
できるだけ多く。
全員ではないが だいたい死んだ目してるからw
原因は周りからの差別(旦那の親族含む)
あとDVと浮気
外人の性欲を甘く見過ぎ
浮気は当たり前
容易に性欲が暴力に変換するぞ
885 :名無しさん@1周年2017/04/11(火) 13:51:13.55 ID:1kVFrCug0
アメリカで俳優やってる日本人のフェイスブック見るとやっぱ差別はひどいみたいね
マジでアジア人だから何しても良いって感覚らしいよ向こうは
754 :名無しさん@1周年2017/04/11(火) 14:55:33.07 ID:6NXdn4tW0
高級ホテルや高級リゾートも日本人も含むアジア系には、上級メンバー以外
ワンランク下の部屋が割り当てられる。こんなこと常識。
同ランクの良い部屋は、基本アメリカ、イギリス人が優先。
848 :名無しさん@1周年2017/04/11(火) 15:01:47.60 ID:XyHSgxFp0
>>808
アメリカ白人程表面上は人種差別は駄目と謳いながら
腹の底では人種差別しまくってる民族は稀有だからな
他の国だと一切感じた事のない人種差別を
アメリカ行った時だけ端々で異常に感じる
852 :名無しさん@1周年2017/04/11(火) 15:02:05.79 ID:P91VcF2H0
海外でレストラン行っても
眺めのいい一等席は必ず白人専用だよなあ
差別にうるさい黒人やヒスパニックは二等席
ヘラヘラ笑うだけのアジア人は三等席 人間も自然の一部なんだよ
人間のすばらしいところと、自然のすばらしいところが
合わさったとき、すごいものが生まれるんだよ
芸術でも数学でも物理でも全部そうだよ 政治学も人文科学も経済学もそうだろう
自然を無視したら破綻する 人間は自然ではないとは言っていない
伝統は人為であって自然ではないと言っている 自然に沿うか沿わないかを問題にしているということは自然ではないと認めたようなもんだろ
伝統が自然であれば自然に沿うか沿わないかは問題にならない 時間の経過を耐えて残ってきてるものが伝統だから。
不自然だったら残らないから。
人間も自然の一部であるが、
お前らみたいに自然から逸脱した人間もいる
自然を真に理解しようとした人もいて
そういう人は大きな仕事をやれる ポストモダンの自然主義は退行を引き起こしただけ
まあ、それぞれの合理に沿ってやればいいわけだけど
自分がそれが良いと思うなら、もちろんやってもらってかまわない
ただ、それぞれの合理を精密に調停するシステムは必要 自然主義ってなんぞ?
東洋医学なんか、中国人に対して山ほど人体実験してるんだぞ
人間を裸で雪山に置いて、片方の人間にはこのツボにお灸、
もう片方の人間には別のツボにお灸、どっちが長く生き残るかとかさ。
それで鍼灸や漢方の理論も効果を確かめられてるわけ
建築も
過去の先人が失敗し経験し改善しってことを何千年もやってきてるんだから
これ以上、確かなことってないだろ 言い方変えるわ
伝統が時間の経過を耐えて来たものだと言うのなら伝統の始まりがあったはずだがその始まりとはどのようなものか? >>131
たとえば生肉を食ったらO157で死にましたとかさ
じゃあ、肉食はやめましょうとか、よく焼いてから食べましょうとか
そうやって経験の蓄積が伝統になっていくんだろうな 知性のループってことね
それがより速く正確に回せるようになりつつある
ITなどの技術によってね
人の苦を取り除くのは結局、速度と精度だから 馬鹿でもわかるように言うわ
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものですか? >>131
西岡常一さんも言ってるだろ
木は一本一本違うわけ。そんなのITとかAIではどうにもならん
>>134
人間は自然じゃないって言いたいのか?
お前は妖怪かなんか? >伝統は人為であって自然ではない
つまり、人間は自然ではない
妖怪であるといいたいわけか
頭狂っちょるさんだな 個別化はITの得意とするところだから
適当とか大雑把な合理とかは人を不幸にするだけ
伝統って言葉を使うとそれは明治以降の伝統だっていつも突っ込まれてたでしょ 適当とか大雑把なのはITのほうだろ
文字情報として書き起こせないものはどうにもできないだろ
ある一本の木がどのぐらいの強さで、そんな性質かなんて
読めないもん
人間もそうだろ
AIとかITに夢見すぎなんだよ 伝統と自然と人為と人間という語の区別がついていないのか >>139
だからお前がもう自然じゃないんだよ
自然から離れちゃってるから人為的っておもうんだろ
妖怪か何か別の次元から来た変な人モドキなんだろw できる限り精密にやること
適当は人を不幸にする
そのためにITを活用していこうってこと 人間も、木や草や動物と代わらない
自然の分身
でもさっきから人為的だから自然ではないとか言ってるやつは
人間じゃない自然を離れた別の物体だから
もうレスしてこなくていいよw 元の世界に戻れ! 適当なのはAIとかITだっていってんだろ
微妙な味覚や触感の違いとか言葉で表しようがないからな
美味しいとか、うまいとか、辛いとか、せいぜいちょっと辛いとか
びりっと辛いとか表現に限界があるよ >>144
ほとんどの人間は自然の一部なの
お前は自然じゃない別の物体なの わかった? 人間は知的存在でもあり、動物でもある
自然の中の一員ではあるけれど、知的存在という自然と矛盾する存在でもある
その矛盾が、人が苦しむ原因なんだよ >>146
人為的なものが自然だというのであれば
学問も人為だし核ミサイルも人為だし高層ビルも人為だから
学問も核ミサイルも高層ビルも自然だということになるぞ 伝統は自然ではないが人間は自然ではないに変換されている理由は何? だから、何度も言うけど
人間のすばらしいところと、自然の素晴らしいところが組み合わさったときに
すごいものが生まれるんだよ
人間のダメなところと自然のダメなところが組み合ったら
自然にとっても不幸だし人間にとっても不幸 バカなの?
不自然なものは残らないって書いてるだろ >>151
間違えた
だから伝統は人為であって自然ではないんだよ
が正しい >>152
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものですか? 副作用のむちゃくちゃある薬とか、治療方法とか残らないだろ
残そうとしたって。必要ないんだから。
経験して安全性が確かめられたものが残り
これは危険だからやっちゃダメという教えが残り。 >>154
お前が地面から生えてきたんじゃないの? >>156
俺が地面からにょきにょきとはえてきたものかではなくて
伝統は地面からにょきにょきとはえてきたものかと聞いている >>157
地面から生えたものだけが自然とか思ってんのか?
さすが妖怪 お前は妖怪で、人間でもないし、もちろん自然でもないから
もうあきらめたほうがいいよ >>160
伝統が地面からにょきにょきはえてきたものではないと言うのなら伝統のはじまりとはどのようなものだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています