いま振り返ると、宇宙論である生命思想論も、とても日本人的、そして仏教的世界観。
それはボクが日本人であるから。


1 :ぴかぁ〜:03/03/06 22:55
・「人」の思考した多くの思想は先天的な「生命思想」に基づいている。
・「論理性」の根元、境界を想定し、個体として認識しようとする「思想」は、
 物質が生命となった時に膜に包まれた細胞という閉鎖系の誕生、動物という移動手段による個体の明確化、
 自己分裂増殖から雌雄生殖が発生した段階を経て体系化されてきた。
・「私」を精神的内面でなく、生物的進化という方向性「生命思想」を探求することにより、 より客観的世界観にたどり着ける。
・「私」の「生命思想」を疑うと、境界をもちえず、「私」は「あなた」であり、「私」は「この世界」となる。
・「死」とは、境界があってはじめて存在し得る概念であり、「私」は「死」なない。

人が世界の極大や極小、時間の始まり、終わりを考えるときに、「無限」を突きつけられ圧倒される。
しかし世界の極大や極小、時間の始まり、終わりを考えなくとも、この世界には有限など無い。
人は先天的に「生命思想」をもち、境界を想定し有限化を行い生活しているために、
世界の極大や極小、時間の始まり、終わりでしか、その破綻を意識できないだけである。
「私はあなたであり、私はこの世界であり、私は死なない。」という世界観を理解することは、
宇宙の果てを想像することと同様に、困難なことなのかも知れない。

「私はあなたであり、私はこの世界であり、私は死なない。」