カール・マルクス 15
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マルクスとあんまり関係ない経済の話もやめてくれないかなー。
やるんだったら経済板でやればいいだろ。
ここは哲学板なんだからさ、哲学の話をしようよ。 「弁証法」って結局何のことなのか未だに分からない。 >>6
自分とは何かから逆説的に問い始める哲学の基本の事だよ
数学で言えば四則演算つまり算数だね >>6
自然科学で扱えないものについての
検討方法のガイドライン
今現在広く教えられていない理由は 弁証法って、宇宙やら自然やら客観的存在の運動法則(発展法則)。
そしてそれを能動的に反映する人間の意識(概念)の運動法則(発展法則)でもある。 なんか1つの概念を強引に2つの概念に割って議論を進めていくイメージだわ弁証法って。
剰余価値を絶対的剰余価値と相対的剰余価値に割ったり。
資本を可変資本と不変資本に割ったり。 どこまでいっても二元論の演繹的発想だからね
哲学史上に登場したいち観念以上にならない 昔、三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」という本が良く売れたが、読んでみても内容が意味不明だった。 昭和の言語論を古本でよく買うが
ソシュールの衝撃だけで思いついた
こと書いてあるものがかなり多い
個々の考察はそれなりに興味深いが
はっきりいって未整理 >>11
弁証法というのは概念を割るのではなくて、その概念の対象となる事象自体の中に、それ自体を否定する要素を含んでいるということ。
たとえば人を愛すると、自分やその対象(の心)も変化するから、その愛を否定する要素もまた生まれる、といったように。
絶対的剰余価値と相対的剰余価値や可変資本と不変資本の違いは、概念を割っているのではなく、それぞれ対象の質(成り立ち)による分類。
机は、材料と人間の作業の両方からできているというようなもの。 人間の意識が客観的実在を能動的に反映するということは「論理化」するということであって、
それは「概念を割る」こととは違う。
論理化することはカテゴリー化することでもあるから。 >>15
なるほど。一般論としては分かった(気になった)。
具体的にはこのページで解説してることみたいなことでいいのかな?
http://ch.nicovideo.jp/great/blomaga/ar908008
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社会の一番の基礎である経済(物A)。
そしてそこから生まれながらも経済と矛盾した存在である政治、法、宗教などの上部構造(物B)。
それらがお互いに作用しあって、社会が変化していく(物C)。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ (どうでもいいけどニコニコのURLってNGワードなんだね) 同じ記事のコメント欄の例もわかりやすかった。合ってるかどうかは知らんが。
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ある物Aを「マルクスが生きた時代の資本主義の現実」としましょう。
すると、マルクス自身の社会変革の理論体系は、まさにAの本質(資本主義経済が搾取と収奪のシステムである)ということから生まれ、
かつAと矛盾した存在Bの位置にあります(何しろ、その資本主義体制を打倒せよというのだから)。
そして、実際にAとBは互いを激しく否定しあい(資本側による激しい弾圧と、不屈の抵抗運動など)、
結果として、現在我々が享受している、マルクスの頃からは想像もできないような高度な社会が(問題は多々あるとはいえ)実現した。
この現在の、民主主義という政治体制によって支えられ規制された資本主義という経済体制こそ、
AとBがアウフヘーベンされた結果生まれたまったく新しいCという物と言えるでしょう。
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そのページを読むまでもなく、引用してあるところだけで、まるで違う。 まぁ結局はエンゲルスの『自然の弁証法』を読めってことになるんだろうけど、そこまでする気は起きないんだよなぁ・・・ >>24
マルクスもエンゲルスもヘーゲルも読まないなら、弁証法について語っても意味がない。
ここでいう弁証法とは、ヘーゲルが提示した現実分析のための論理なのだから。 弁証法というと「ものごとを運動の中で捉える」、「対立物の統一と闘争の法則」、「量的変化から質的変化への移行の法則」、「否定の否定の法則」というキーワードで説明される。
が、それぞれの定義はあいまいだし、相互の関係もはっきり言ってよく分からない。
ばっちり説明できる人・文献は寡聞にして見たことがない。(できるもんならやってみろってんだ。)
マルクスやエンゲルスの著作にしても、これらの法則が貫徹されているわけではない。部分部分に、そういう思考が垣間見えるというだけ。
ぶっちゃけて言えばそんな大層なもんじゃないんだよ。問題解決のためのある種のアプローチの1つ。 現象学と同じで、
じゃあ具体的にやってみて、で誰もやらないから無意味。
なぜ誰もやらないかというと、もしやってみて
「でも、それたいしたこと言ってなくね」「それが弁証法?」
と言われるのが怖いから。
なので弁証法の披露はできない。 結局『自然の弁証法」がいちばん読みやすいし、弁証法とはなにかの基本がわかりやすい。
『自然の弁証法」には認識論的なことは書いてないけど基本があることは確か。 >>28
じゃあ弁証法を適用した卑近な例をひとつだけあげてみ。 自然科学の発展に伴って、弁証法=科学的な見方、ってことがますますわかりやすくなったから、
「ある種のアプローチの1つにすぎない」ってことはない。
弁証法を否定すれば実存主義だのポモだのの言葉遊びの世界になるしかない。 >>26
運動で捉えること以外、法則とか言ってるのは全部無意味なキャッチフレーズ。
ヘーゲルでもエンゲルスでも、もちろんマルクスでもそんな法則を掲げたりはしていない。 >>30
「矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲルでは,有限なものが自己自身のうちに
自己との対立・矛盾を生み出し,それを止揚することで高次なものへ発展する思考および
存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であるイデーの
自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。」
この
「有限なものが自己自身のうちに自己との対立・矛盾を生み出し」
はたとえは何?で、
「それを止揚することで高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動」
これは何がどうなるということ? >>29
種子があり、種子の否定として芽になり、芽の否定として花になる、という説明をヘーゲルもエンゲルスもしている。 と、このように弁証法の理解は各々バラバラであり、説明しろと迫っても誰も説明しないものです。
弁証法とはいわば5chでマウントを取るために存在すると言えましょう。 >>30
自然科学発展のなかのヘーゲルの弁証法ってたとえばどんなこと? >>33
これ長谷川宏のヘーゲルの入門書で見たけど、意味不明な例だよなぁ。
「種子の否定」って何だよっていう。 >>33
それは主張者の出した例。俺が知りたいのは
弁証法を君が適用してみて、って言っている。
てか「種子の否定」って意味不明。 マルクスって別に「その資本主義体制を打倒せよ」とか言ってなくね?
資本主義の運動法則とか「現状を変えるにはプロレタリアートが権力を執るしかない」とかは言ってるけど。 「種子の否定」って別に意味不明じゃないよ。
ここでは種子が種子ではなくなる、っていう普通の意味でいい。
種子が一本の麦に変わるんだから じゃあ物事の変化を「否定」というわけか?
そうでなければ変化してはいるけ弁証法上の否定じゃない例は挙げられる?
成人は子供の否定?
意味不明w >>32>>34
物や事象に時間がある(動く)以上、そのものや事象の中に、その物や事象を否定する要素が含まれているということ。
貨幣を持った人は、その貨幣を否定して(相手に渡して)貨幣を食べ物に替え、その替えた食べ物を否定して(食べることで)自身の生命とする。
貨幣はそれ自体の中に自身が無用物であるという否定性を持ち、食物は人間が食べるものであるという否定性を持つ。
こんな例でどうかな? >>39
じゃあ「種子が別のものに変わる」でいいじゃん。で
別の名前に変わるのが弁証法なの?
ということは命名のはなしをしているの? >>36>>37
種子は種子の中に種子であることを否定する要素が含まれているという意味。
だから、種子は種子である自身を否定することで芽となる。 >成人は子供の否定?
この例は弁証法の例としてすごくおもしろいね。
大人になるにつれ子供としての形態はなくなる(否定)けれど、その人の人格は保たれつつ
体や精神は発達するわけだ(止揚、発展) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています