カール・マルクス 15
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>>160
思想は現実の反映でもあり、思想が現実に反映もするから、資本主義経済は資本主義思想と一心同体。
ちなみに、制度というのは、法としての思想の現実形態のこと。 資本主義は思想みたいにどうでもできるようなものではない。
意識から独立した客観的実在だよ >>162
生産手段の私的所有を禁じる法が成立すれば、資本主義経済ではなくなる。
法というのは思想の現実化。 生産手段の所有は自然権みたいなもんで
頭で考えた空想じゃないよ
バカ左翼の社会構成主義信仰は酷い >>164
私的所有は自然権などではないよ。
私的所有を認めない、というか所有の概念がない社会もある。
まして生産手段の私的所有というのは、日本でいえば明治にできたむしろ新しい概念だといってもいい。 所有の概念がないというのは
家族で同じトイレを使うみたいなもん
ほかの種族がやってきたらどうする?
コモンズの悲劇は?
バカだなあ
高度な管理社会で
法的な所有を緻密にコントロール
できるようになることは
所有の消滅を意味しない
勉強不足です >>165
へえ明治にできたんだあ
お爺ちゃんアタマ大丈夫?
バカ左翼は明治に全部できた説好きだけど
それヤバイよ
夢見てる >>166
日本では、明治以前は生産手段、つまり田畑灌漑用水は藩あるいは共同体の所有。
結局君は、意図的な反共資本主義礼賛の人だから、資本主義に反する事実は見えない。 もっと地に足つけないと非教条的マルクス主義者から
バカにされるのではないかね >>168
法人に所有されてるじゃん
アホですか
所有なければ他所からきた人間が
勝手に使ってもいいだろ?
できねえだろ?
血縁そのほかに密着した共同管理でしかない >>170
法人?
江戸時代の藩や共同体が?
あたま大丈夫か? 日本史上、水はずっと揉め事の源だった
それは利用が権威によって管理されていたからこそ
人々が争う 村落共同体知らんバカか
なんでも明治の発明だからなあ まあ貨幣経済全否定する人なのかもしれない
それなら前近代の貨幣経済を調べましょうね〜 >>173-174
君があまりに無知なので、これで終わり。
反共資本主義礼賛の人って、やっぱり無知で無教養だからそうなるんだろうな。 >>176
撤退速いなあ
何十年間、観念に溺れているん
19世紀のユダヤ人が考えた
完璧な法律で完璧な社会を作る
なんて宗教以下のファンタジーだよ リテラシーないお爺ちゃんは
ロシア語も勉強する気ない
そういや正字キチガイは
必死にロシア語やってたなー
右翼にすら負けるお爺ちゃん 幕末維新懐古談でも読むといい
人々が大変化のなかを普通に生き抜いた
ということが実感できる
まずは「完璧な思想」と距離を置いて
読んでみよう 爆伸びしてると思ったらお前らまたキチガイの相手なんかしてるのか。
キヨサキは精神異常者なんだから相手するだけ無駄。
犬以下の知性しかないんだから議論なんか不可能。諦めろ。
なーなーのりるいじゃなー
___
,r' `ヽ、
,i"-=・=-∵-=・= ぬのりぬぬのりるいじゃぬのりるぬ
( ;;;;;; ・・ ;;;; ) のりぬぬのりるいじゃぬのりるいじゃ
ヽ. ヽニニソ l なーなーのりるいじゃなーるいじゃなーい
/ ̄ ̄ ̄\ ヽ / じゃなーなーのりるいじゃなーるいじゃなー
i'___{_ノl|_|i_トil_|iシュッ /⌒ - - ⌒\
|,彡 (. .i! i!. {.i| シュッ / 人 。 。 丿\ \
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. ξ_ノ. ( ヽiノ.\ (:::人:::) |
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,ノ⌒.丶 ) ) (__) (__) >>182
キヨサキ君なわけねえじゃんw
お爺ちゃん http://www.afpbb.com/articles/-/3168773
EUは強権的だな
この程度でパッと逮捕なんて日本じゃ有り得ない
左翼が可愛そう >>187
日本でも共謀罪があるから逮捕されるかも知れない。
独仏では、思想の自由はかなり制限されてるよね。
日常生活でも、日本とは違った面で制約が多い。
それが資本主義国家というものだといってしまえばそれまでだけど、社会主義国が自由というわけでもなさそうだしね。 自由主義国家は資本家がいてもいいという立場
だから、自由主義国家は必ずいくらかの資本主義を
内包する
逆は言えない >>189
自由主義国家って、なにが自由な国のこと? マルクス主義なんて全体主義の独裁国家作り出すだけだろ
そこには自由も人権も公平も公正さもない
レーニンやトロツキーや毛沢東がやってきたことなんてみんな知ってること
英米の独占主義者やパーリア資本主義者と何も変わらん 共産主義国家は国家や権力者と結びついた独占企業だけしか活動出来ない
民主主義国家と当てはめてみると大企業が生き残って政治家と談合してるだけの社会ってことだ
こんなのは常識
そもそも自称左派の組織は世界中どこでも腐敗企業が集結してる 共産主義国家ってのは独占企業だけがある
こんなことすら分からないほど知能が低いなら小学校からやり直した方が良い 資本論読んでると、マルクスがイメージしてた共産主義社会って、労働者が自治する協同組合がたくさんあってそれで経済が回ってる社会、みたいな印象だわ。
現実で言うならスペインのモンドラゴン協同組合企業がたくさんあるイメージ。 >>192
共産主義国家というのは定義の矛盾だと前にも教えてあげたのに・・・w 外部からみたら国家というだけ
外部がないのが共産主義
イスラム教と同じ >>196
そうすると、愛国心というのは外部の人間しか持てないことになるなw 全ての国が無くなるんだから愛国心もへったくれもない。
平安時代の日本に「愛社精神」があったか? >>198
降参するの?w
もともと共同性に埋没するというのは未開の心性だからね。
平安時代は平安時代のそれぞれの階級の共同性に埋没してるんだよ。
現代でも、資本主義という共同的な幻想に埋没してる人間が多いが、マルクスはその共同性を客観化することに成功した。 まずはマルクスを客観化しないといけないな
絶対的に正しい思想と思っているかぎり
議論が成立しない マルクス主義という共同性に埋没した
地獄がたくさんあったね >>200
共同性の問題は難しかった?
マルクスは思想(価値観)も持っているが、著作は客観的な分析によるものがほとんど。
どれでも読んでみればわかるよ。 >>201
>マルクス主義という共同性
意味も理解せずに言葉を使うのはやめときなw 客観的な分析はたくさんある
そのどれを選ぶかが主観
マルクスの分析を人類史上
絶対に覆らない真理とするのが宗教 資本主義は絶対ではないよね
という懐疑的判断と
マルクス主義が絶対的真理とする間には
無限の距離がある
後者には前者が理解できない 人文・社会系において客観的な分析というのは無いと思う マルクス主義が人類の真理ならば
マルクス主義者は真理を知る賢者のはずだが... >>206
ないよね
人間が用いるたくさんある道具のひとつ
神の見えざる手を信仰したリーダーが
ジャガイモ飢饉を放置したからね 四宮軒のアバラそばもうまいけど、三宮の駅前の豚骨がおススメ。 ニンニク 明太子入り とんこつ 烏丸三条風 唐辛子入り もね。 >>205
思想に絶対的正しさなど無いこと位分かるだろう。
だから革命を標榜するんだろ?反対する人間が絶えれば
同志が集結し理想世界が築ける。食後には議論くらいは
するらしいが…?悪いけど俺は革命で殺されるのは御免だわ。
恐ろしいユートピアだよね。 コインね。引き換えにメタルキングよりいいやつ探してね。 マルクスを絶対の真理とするのは云々とかさ、批判してるつもりなんだろうけどさ、
これもマルクスを普通に読んでたらまず出てこない発想なんだけどね。
そもそも客観的実在に対する人間の認識・概念は深まっていくもの、発展運動するものだって
マルクスたちは指摘してるんだし 『経済学批判要綱』は柄谷の『トランスクリティーク』における〈労働者=消費者〉という、
概念に端的な影響を与えていたのだな。
《資本を支配(・隷属)関係から区別するのは、まさに、労働者が消費者および交換価値
措定者として資本に相対する貨幣所持者の形態、貨幣の形態で流通の単純な起点になる、
ということなのであって、ここでは労働者の労働者としての規定が消し去られているので
ある。》(『資本論草稿集 2』 35頁 大月書店)
は『トランスクリティーク』に引用されているし対抗運動への強いモチーフを与えている。
実際『要綱』では商品が消費されるか否かとは資本の限界をもたらす、という記述がよく
みられる。 あと『要綱』で気付いたのは、3.11の福島原発事故に起因する反原発運動にたいする
吉本の批判。此れも亦どうやら『要綱』に強い関係があるということだ。
《富は、普遍的な交換によってつくりだされる、諸個人の諸欲求、諸能力、諸享楽、生産諸力、
等々の普遍性でなくてなんであろう?
富は、自然諸力にたいする、すなわち、いわゆる自然がもつ諸力、ならびに、人間自身の
自然がもつ諸力にたいする、人間の支配の十全な発展でなくてなんであろう。富は、
先行の歴史的発展以外にはなにも前提しないで、人間の創造的素質を絶対的に表出する
こと(Herausarbeiten)でなくてなんであろう?そしてこの歴史的発展は、発展のこのような
総体性を、すなわち、既存の尺度では測れないような、あらゆる人間的諸力そのものの
発展の総体性を、その自己目的にしているのではないのか?そこでは人間は、自分を
なんらかの規定性において再生産するのではなく、自分の総体性を生産するのでは
ないのか?そこでは人間は、なにか既成のものに留まろうとするのではなく、生成の
絶対的運動の渦中にあるのではないのか?》(『資本論草稿集 2』 138頁 大月書店)
吉本はあの時、技術がそれ自身を乗り越えて行く力に対するどこか信仰に似た意見を
述べてかなり反撃にあっていたし論争にもなったが。あのときのいわゆる吉本の造語である
と思われた〈人間力〉からしてどうもマルクス的であるし、「歴史的発展」とは「あらゆる人間的
諸力そのものの発展の総体性を、自己目的とする」。しかもその場合、「富は、先行の
歴史的発展以外にはなにも前提としない」というのはまさに吉本の技術論に直結して
いる。 >>226
>労働者=消費者
引用文と全然違うじゃないかw >>227
吉本は自分自身への肯定感情から、技術者を悪意のない(社会的な感情を持たない)ロボットだと思ってるんだよ。
だから、原発技術(技術者)に社会的な要素はなく、純技術の追求だと思ってた。
原発技術が、極めて社会的な理念に基づいた技術だということを見逃していた。
その意味では、ハイデガーなどの技術論にも後れを取っている。 原子‐個人
孤立したプロレタリアート‐燃料‐労働者-人間
それをただ、テレビで眺めていた自分
そして今も、たった一人で助けを求めている人の横を、通り過ぎて行く自分 >>228
同じです。
《資本を支配(・隷属)関係から区別するのは、まさに、労働者が消費者および
交換価値 措定者として資本に相対する貨幣所持者の形態、貨幣の形態で流通の単純な
起点になる、 ということなのであって》
「労働者は消費者および交換価値措定者」だとマルクスは言うわけで。柄谷はそこを
取り出していった。
「労働者=消費者」という文言はない、という意味なら本を読む仕方にただ疎いということ。
そんな読み方してるのは悪いが小学生くらいだろう。
>>229
>だから、原発技術(技術者)に社会的な要素はなく、純技術の追求だと思ってた。
というか、社会的な要素は抜きに吉本は原発を論じたのだよ。まさに富の歴史的発展
としてね。そうしてその視点がまさにマルクス的な訳だ。
社会的な要素としては利潤追求の原動力であったり、住民を丸めこむ手練手管とか、
色々あるが、マルクスはそういうことは抜きに単に歴史的に以前の発展段階だけを
前提とする富としてのみここでは論じている。
その手つきが吉本と同じな訳だ。
ハイデガーの集め立て Ge-stell では自然から有用性を搾取するべく自然をまた人間を
徴発し、自然を人間を集め立て搾取する動態に付いてこれないものは淘汰していくことを言う。
人間と自然との根本関係をいう。だがこれも東電のような特定企業を指すわけではなく
人間と自然との関係一般を指している。だがハイデガーの場合はマルクスに比べて
より人間主体にたいし否定的である。そこが違うという事がある。 >>231
> 「労働者は消費者および交換価値措定者」だとマルクスは言う
違うよ。
労働者が消費という場面にある場合、という意味。
資本論の価値形態論を見ればわかること。
>社会的な要素は抜きに吉本は原発を論じた
そのとおりだよ。
だから、ハイデガーにも劣る、お花畑技術論だと指摘してる。
マルクスはそこまでバカではない。
吉本はマルクスの学位論文に自然の一部としての人間、自然を自己疎外するものとしての人間を見た。
それ自体は卓見だといえるが、マルクスにとって技術(人間)が自然の疎外であることと、人間社会の”アンダーコントロール(笑)”であることは同じことだった。
だからこそ、マルクスは鐘がなる夢を見ることができた。
ちなみに、ハイデガーについては、その言葉の難解さ(無意味さ)を取り除いていけば、技術もまた社会的な要請に基づいて生成消滅するといっているだけだよ。 柄谷だのハイデガーだのの言葉遊び系文学の話はやめてくれないかな
該当スレでやれよ >>233
マルクスに関連する話ばかりだよ?
マルクスを読んだことがない人は、虚心にレスを受け止めて、出てくるマルクスの著作を読んでみてね。 柄谷は誠実だよ
ハイデガーの著作が技術でないなら、何だと言うのか >>235
レスの意味が分からない。
違う書き方をしてみてくれ。 俺の方がマルクスを正しく読んでいる論争ですね
わかります >>237
くだらない負け惜しみを言ってないで、少しは本を読めよw おれ悟ったんだけどwww、何か相談ある?
あと、ブログよろしく!
http://blog.livedoor.jp/kosokeme/ マルクスを批判する事自体あり得ないんだけどね。
>>225の人も言ってるけど。
マルクスを読んで違和感を感じたり反論したくなったり
批判的な視点を持ったりすること自体、マルクスを読んでない
証拠なんだよ。 なるほど〜
批判自体がありえないというのは明解な態度 「的外れなマルクス批判」という意味だろ
もはや揚げ足取りしかできないのか >>240
貴方は、マルクス哲学の一元論としての“弁証法的唯物論”を
どう理解しているのかな? >>245さん、
>>240をそう読むん?
へえ〜 >>225
“客観的実在に対する人間の認識”と言っても、その客観的認識は、
自己(主観的認識)を通して捉えているのであり、客観世界の認識はあるものという主観の“確信”によって成立している。 マルクス主義は“唯物史観”を基底として資本論が書かれている。 >>251
史観から書かれてるんじゃなくて、歴史を分析した結果が史観なんだよ。 >>258
どのレスへのレスかぐらいは書いといてよ。 >>249
唯物論というものを調べてから来てくれよ。
基本的なことはすぐ調べられるだろ。唯物論と観念論の話を。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています