この世界が仮想現実だとしたら、哲学の意味は?
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この世が仮想現実だとしたら、哲学は無意味?意味がある? 哲学云々の前に、そもそも論として仮想現実の中で人間の存在に意味はあるのか 過疎鬱 現実を。神戸空港レア便も営業中です。パーサー(クル)出身者優遇。 まず、「この世が仮想現実であるか、実在であるか」という問いが、人間にとって意味があるかどうかを検討する必要があるだろう 自分も子供の頃は、この世を唯一実在の世界だと素朴に思い込んでいたが、
後に、科学や哲学を知るにつれて、「この世は実体のない仮想現実だ」と確信するようになった。
でも、だからどうだってワケでもない。
それ以前と以後とで、生き方に、とくに変化はない・・・。 むしろ、仮想現実だと分かってきてからのほうが、この世が面白く見えてきている。
かつては、なんの変哲もない、つまらない風景に見えていたものが、
シミュレーションゲームの作りこんだ立体画像のように思えてきて、
何事も興味深い(笑) 仮想現実だから無意味だということはない。
あるのは「情報」である。
「情報」とは何か?
なぜ「情報」があるのか?
我、情報を処理する。故に我あり。故に世界在り。
われわれは情報の海の中にいる。攻殻かよ。 >>5 仮にこの世が仮想現実だったとしても、その仮想現実を変える力が自分にないのなら、
それはこの世が実在すると考えた場合と、人生に何の違いも生まれんもんなw 青年はそばにあった直線をとりあげた
「これは一次元だけで構成されている一次元の世界です 直線は線と空白で情報を持つことが出来るが、一次元の世界にもし
生物がいたら情報だなんてとんでもない話でしょう なぜならそれが彼らの全世界なんだから
同様に僕たち(本の中の住人)の世界は 平面で構成されている二次元空間なんですが、これだって三次元空間にいる生物から見れば、案外書物みたいなものとして扱われているかもしれない」
「三次元の生物だと?ばかばかしい」
「そうです。理屈では考えられないんです。この世にタテとヨコ以外にどんな要素があるのか、およそ考えられない。一部の学者はそれはタカサという要素だというんですがね
や、こんな話はお気に召しませんか」
「もう終わりにしよう」
「といったようなわけで、僕たちを見つめている相手というのは、ひょっとすると、僕たちの世界を書物として読んでいる3次元の生物かも」
「分かったもうやめだ」
「これを読んでいるあなたを見つめているのが4次元からの目ですよ」 仮に世界が仮想現実だとするとは二つの側面から価値判断をすることができる
@仮想現実の中における意味
私にとって又は私達にとってどのような意味を持つと考えるのかということ
A仮想現実の外における意味
仮想現実を生み出した実在の現実(変な言葉だが)が存在するはずだから
仮想現実における営みの意味はその実在の現実にいる観察者が決めることになる
閻魔大王や最後の審判を考えればいい 例えばここが仮想現実の世界だとして。
ここから脱することが出来たのなら、我々の姿と言うのは果たして存在するものなのか、、と考えた。
もしかしたら脳だけの存在かもしれない
もしかすると意思だけで我々はコンピュータの流す情報の一部分にしか過ぎないかもしれないし。 >>15
そんなに楽しいなら、もっと続けようぜ、この話 例えば本当にこの世界が仮想現実だとしよう。
だが、それを説明できる術はないし
仮想現実ではないと説明できる術もないわけだ。
だが確実にこの世界でのバグは存在するわけで
例えば自分は信じてはいないが
霊体の存在だ、これは怨念が云々と言うていで現れるバグだと思うんだがどうだろうか皆の衆。
ちなみに自分はそれっぽいのは何回か見たことあるけど、気のせい。と言うことになっている。
まぁ、妄想だがなー楽しいから良いかー
好きに語らせてもらう。
こうやって書き込みしてる自分もリアルじゃないのかもしれんなー。流れる情報の一部分かゴーグルつけて眠ったまんまなのかもしれん。
なら、ネオみたいに空も飛べるんだろうな場合によっては
flying humanoidとやらも存在するわけだし。あれはこの世界を理解した人間なんだろうなー
いや、妄想だけど
長くなってすまん 調子に乗って長文書いたけど哲学とは程遠かった。
申し訳ない
別のスレに行く この世界が仮想現実であろうとなかろうと、今のところ人類にそれを見極める術はないし決定的な証拠もない。
ゆえに様々な仮説を立て、論証し、真理にたどり着こうとする哲学には意味がある。
なんてどうでしょう。 成る程、では我はここに居て思考を吐き出す事で
それもまた哲学となるという事か。
留まらさせて貰うとしよう。 もしこの世が仮想現実だったら、このスレのみんなはどうするつもり? 仮にこの世界が仮想現実だと理解っても神の摂理と同様にどうにもできないし
現状を維持するしか無いだろうな >>24
ここは仮想世界なのか...そりゃ残念。
って気持ちはあるの?何故残念なんだろうか。 どう受け止めようと何も変わらない現状が続くのなら意味がないってことよ
例えば、仮想現実だから好き勝手してやろうとなんて思っても
やったことに対する責任からは逃れられないし夢の中にいるのとは訳が違う あ、、すまん上げてしまっていたのだな。
以後気をつける。
全てがプログラムだってわかってしまえば
怖いもの無しだけど
それは本当の世界を認識していて
行き来できる状態の人を指す ここが仮想現実の世界だとしたら
本当の世界の自分の排泄はどうなっているのだろうと考える。
今朝夢でトイレに行って全部出す夢を見たけど漏らさなくて良かったよ。 なんで本当の世界の仕組みが仮想現実と同じだと言い切れる?
むこうではウンコなんかしなくて良いかもしれないぞ
それ以前に、お前にVRを体験させてる意味も分からんしな
寝て起きてクソしてまた寝るだけだろう 少なくとも、物質が、日常的な感覚でいうような意味で「存在」しないことは、今では明白になっている。
水も鉄もコンクリートも生物も、分析すれば原子や分子でできており、
その原子を分析すれば、中身はカラッポで、最後はクォークと電子という、
プラスとマイナスの電気を帯びた大きさのない点に行き着く。
ここまでは既知の事実であり、あとは、それをどう受け止めるかの問題でしかない。 この世の物質は、人間がコンピュータ内に構築する仮想世界の存在と同じ、一種の電子信号でしかない。
それが、その内部の住人には、「物質」として認識されるようにできている。
ここまでは、既に判明した事実。
あとは、それをどう受け止めるかの問題だ。
もちろん、「我々にとって、それは物質なのだ。だから、それで良いではないか」というのも、ひとつの考え方だろう。 VR関係ねーし、そんな素粒子レベルのことを一般的な生活感覚に適用できると言うやつが居たら
変態かキチガイだぞ 認識の及ばない素粒子レベルの現象が全ては物質だから程度の信念しかもたらさず
事実が何の意味も持たないならもはやどのような信念を持っても価値は変わらないな
対象は哲学でも空飛ぶスパゲティモンスター教でも何でも良い訳だ 原子は、原子核と電子でできている。
といっても、電子には大きさがない。
それは、マイナスの電荷を持った、点でしかない。
原子の大きさを東京ドームとすれば、原子核の大きさはピンポン玉か、大きくても野球のボール程度。
残りは、空洞になっている。正確に言えば、電子が「電子雲」となって、原子核を覆っている。
この電子雲というのは、「無数の電子が、雲のようになっている」というわけではない。
水素原子の場合、電子は一粒だ。重い原子でも、数十粒から百粒だ。
しかし、電子には、「粒子であると同時に、波動でもある」という奇妙な性質がある。
だから、波動としての電子が、雲になって覆っているというわけだ。 その原子核は、陽子と中性子でできている。
水素原子の場合は、陽子が1個。
というより、水素原子の原子核こそが、陽子そのものだ。
重い物質でも、数十粒から百粒の陽子でできている。
その陽子は、クォークでできている。
クォークもまた、電子と同じで、大きさのない点でしかない。
これが陽子になると、プラスの電荷を持つ。 >>35
どんなことを信じようと、そいつの心がそれで前向きになったり安楽を得たりできるなら
それも一つの真実であって否定することはできないだろうな >>38
いやいや、信じることになど、意味はない。
この物質世界とは、何なのか。
どういう構造になっているのか。
それを考えることに意味がある。 >>39
物質世界を考えてそれをどう生活感覚に活かすんだって話をしてるんだが
世界がVRだったら具体的にお前はどう受け止めるんだ?
一日中物質について考えてる訳にはいかないだろう このように、物質というのは、分析していくと、大きさのない2つの点にたどりつく。
ひとつは、マイナスの電荷。
もうひとつは、プラスの電荷を持った、2つの点だ。
それが、物質のすべて。
これは、人類にとって、既に解明された既知の事実だ。 まぁ、>>1の問に関して答えるなら
世界がVRであることが分かっても全てを知ることがなければ
哲学に意味はあるだろうな、そこは自然世界と考えられてる現状となんら変わらない
真実を知ってどう受け止めるかは人それぞれだろう というより、こんな現代科学の成果を出すまでもなく、「物質は、粒子が集まってできている」という時点で、それが「実体」でないことは既に明らかだ。
古代ギリシャのデモクリトスは、それに気づいていた。
ジョン・ロックも、粒子仮説をベースに哲学をやってた。
ロックの時代には、まだドルトンの原子説も、アボガドロの分子説もなく、デモクリトスの原子論だったんだが。 物体論をやってるんじゃなくてこのスレッドの命題は世界がVRだったら哲学の意味は?でしょ プラスとマイナスの電気は、合算すればゼロになる。
この2つは、ゼロから分かれて生じたものだ。
だが、もしも物質に実体があるとしたら、その実体とは、プラスとマイナスの電気だ。
残りは、それによって生み出されたイリュージョンでしかない。 >>44
ここで展開しているのは、「この世界は仮想現実である。
我々にできるのは、その事実をどう受け止めるかでしかない」
というのが、プラトン以来の西洋哲学を貫く最大テーマなのだ・・・という話。 >>47
端的な例を挙げるなら、「仮想現実で人を殺すのは、そんな悪いことか?」という、より深刻な倫理問題が生じるだろうな。 まあ、それは別にしても、まさにその「どう受け止めるか?」という哲学的な問題が生じる。
例えば、赤いリンゴがあるとする。
しかして、リンゴとは、世を忍ぶ仮の姿。
その実体は、陽子と電子の組み合わせによる電磁ブロックの工作物、要するにイリュージョンでしかない。
それが、波長の長い可視光線を反射することにより、我々の目には「赤いモノがある」と映っている。
でも、赤いモノが見えているのは、ボクだけではない。君にも見えている。
ということは、それが存在していると認めてもいいんじゃないか?
絶対の真理じゃなくったっていい。
「共同了解」というやつだ。 わかったけど取り敢えずログが流れるから行間を開くの辞めようぜ リンゴがどんな色に見えてるか、ってのはクオリア問題として解決不可能とされてるんだが
これは認識問題であって実際どのように意識の上にあがってくるかということは
光の波長の問題だけでは解決できない もっとも、赤いリンゴは、誰にとっても赤いわけではない。
色覚異常の人には、青く見えているかもしれない。
最近は人権尊重とやらで、色覚「異常」と言っちゃいけないらしいが。
確かにその通りで、リンゴが赤く見えるのが多数派だからといって、それが「正常」というわけではない。
それこそ、多数派の横暴でしかない。
リンゴそのものには、何の色もない。それは、光を反射しているだけだ。
赤く見えるか、青く見えるかは、各人の脳の反応の問題にすぎない。
人間には、紫外線が見えない。
でも、鳥には紫外線が見える。
おそらく、鳥にはまた違う色に見えている。
どう見えているのが、鳥に聞いてみたいものだ。
いずれは、遺伝子改良で、鳥の知能を高めることにより、会話が可能になるだろう。
そのときが楽しみだ。
天才オウムのアレックス君は、「パン」(bread)という言葉を覚えた。
そのアレックス君にケーキを食べさせて、飼育係が「これは何?」と聞いたところ、
「甘いパン」と答えた。
これを見れば、「甘い」という味覚は、人間にも鳥にも共通であることが分かる。 >>31
なぜ俺だけ体験してると決めつけるんだよ
この世の生きているもの、物質、全て仮想現実
そう、お前もな?
まー本当の世界があるのなら脳だけなのかもしれないし色々尿道とかに管突っ込まれた状態で生かされてるのかもしれないけどそれも証明できんしな。
お?哲学的になってきたか >>53
まあ、20世紀最高の哲学者のひとり、ヒラリー・パトナムが大マジメにそれを論じているのだから、哲学のテーマとしておかしくはないが だから、その甘いという感覚が万人に共通の感覚として意識上に顕れれてでいるのかを
問うてるのがクオリアなんだが
君が甘いと感じることを同じような感覚で実感しているかは互いの肉体を融通できない以上
解決不可能ということだ 人によってプログラムされている味覚や、嗅覚などが微妙だけど違っている。
においの感じ方などそれが同一のものであればシュミュレーシにはならないしなー。
ん?てか何が誰が何のために実験をしているのだ??あ、もしかしてこの世には自分1人なのかもしれない。全部自分のためだけに作られた世界がこの現実なのかもな。ここに書き込まれている自分以外の書き込みも全て人間ではなく、、、。
んー、考えてたら凄い世界だな。 >>57
そこなんだよな
仮想現実に人を送り込むのは世界のシュミュレーションでも良いわけだけど
ここまで緻密で複雑な仮想現実を創り出せる科学力があるならもはや人の本性など
すべてAIに置き換えることが可能となっていておかしくないわけで
態々人権を無視した行為をやることに何の意味があるのかという疑問がでてくる むしろ、お前は人間のつもりでいるかも知れないけど実はAIだぞ!と言われた方が面白いかも知れない
感情とか実感はこういうものかと素朴に信じてたものが全て否定される訳で >>60
お前の承認もなしに知らぬ間にこの世界に送り込まれてる訳でしょ
世間的には実験のために人の一生を利用していると指摘されるんじゃないか?
この世界で同様なことが起きればどうなるか考えるなら 実験してる側は一体何を求めているのか。
データはもう腐る程収集、、てか腐ってるだろうしな。もしかしたら自分自身が自分を作ってそれを自分がシュミュレーションしているのかもしれんね
最終的に出来上がったのが今の自分でさ。
あー面白いなこの感覚
こんなポンコツを作るのに一体何億回の実験データを元に生成してきたのかって言う話だなー
やはり無能が作ると無能が生成されるって事だ。
この世の成功者はそれこそ本当の成功者。この世では飽き足らず宇宙へ手を伸ばす。
そこまで全部シュミュレーション。宇宙へいけばそこで成功ではなくその先、またその先へ。
最終的に自分自身に会いに行くって言うのが使命なのかも?? 承知するかしないかの
自由意思はあるから
承認できるかできないか
幼稚にいえばしたいか
したくないかの問題だろうね。 >>63
いやいや、お前は人生の何処かでそれを承認した記憶があるのか?(笑)
何らかの事情で記憶をなくして来てるならもはや別人格であって
トータル・リコールで言うなら悪い方のシュワルツネッガーが
お前の預かり知らぬ間に決めてるってことだぞ
俺は許せないよな >>62
言うならばお天気シュミレーターみたいなもんだよ
例えば、ある政策を実施する際に社会的影響が想定できない場合とかあるでしょ
そこで仮想現実を利用すれば現実に即した結果が得られる
失敗を避けられる訳だよ 認証できているなら何か違う世界が見えてたりするの?
それか何かしら向こう側からのコンタクト的な事が起きそうだけどもね 仮想現実だと考えれば
承認して許せるなら
それも自由意思で承認
したことになるんじゃない >>66
なんらかの特権を得てむこうの世界の記憶をもったまま
この世界に来ている住人もいるかもしれないよな
仮想現実を理解して自由に行き来することができるなら
犯罪者だろうと聖人になろうと一時的な体験でしか無い
スイッチを切ってしまえば人格は消失するんだから ああっ!?前世の記憶って事?
なるほどねぇ。
けどその記憶すら自分用に作られた記憶で
って考えだすと終わりがないね
そのスイッチを切るって感覚だって
元々スイッチなんて存在してないかも?
おーう。面白いねこりゃ 前世じゃなくて仮想現実を創りだした真実の世界の記憶だよ
テーマでもあるがこの世界が仮想現実だと知っているならそいつらのことになる
仮想現実だと分かっっていながら自由に行き来できる
そんなやつが居たら怖いだろうな >>72
ハイデガーは、「人はいつか死ぬ。だが当分の間、自分の番ではない」という信念のもと、日常生活に埋没して生きていた ていうか、この世にいきなり投げ込まれたのは不条理だと思ってた なんかズレてるよなー、、、
いや、何か知っているのかもしれないけどね
この人は。
だったらここだけの話も聞いてみたい。 >>75
これは自分好みの流れにならないと捨てセリフを吐いて消える
自己中AIです 「前世の記憶」とか、そういう話にもっていきたかったか? 仮想現実だとわかって
いながら自由に行き来できるやつが
いたら怖い
↓
ハイデガーサルトル怖くないだろう?
↓
ハイデガーの人生観
の流れだと、普通にオワコンだろ。
前世オカルトに流れても興味ないし
ずれてるからさいなら言えば
捨てゼリフと解釈するAI君もいるし
むりむり このAIちょっとしつこいな、空気読めないAIかなるほど そもそも空気読むほどの
話じゃないから気に障った
なら深呼吸でもしなさい。 >>80
その流れからすると、ハイデガーやサルトルは、あの世とこの世を往き来できたのか? 気に障るのは悪いこととされるのに、心に触れることは良いこととされるのはなぜですか 「いい思いをする」というのが勝利であり、「いやな思いをする」というのが敗北
それが、この世の原理なのだ 気に障ることが干渉であるとするなら、心に触れることは共鳴でしょう
干渉すること/されることが不快で悪とされるなら、
干渉すること/されることなしに共鳴することは可能なのか?
どのようにすれば、干渉すること/されることなしに共鳴することができるのか?
気を静めて、心を整えることによって?
気を静め、心を整えるとは、どういうことなのか? >>89
共鳴とは調和ではなかろうか?
2人で互い心地よき環境でただ何もせず同じ空間に居られるのならそれは共鳴し調和している。
気の話になってくるからまー別の話だけども
ここの話でいう
似通ったプログラムを持ち合わせて作られた人間
って事かね。
何億通りというプログラムがあるけど人間として個性を出すには個性の限界があるんだろう。
これが宇宙人の類ならば何かしらの人外能力を有し個性ともなるんだろうけどなー。
稀に普通じゃない能力を持った人間が存在するけどそれは仮想現実に少しだけ寄っている人って事。
あー面白いね。 フォン・ノイマンや、ラマヌジャンみたいな突然変異的な数学天才は、仮想現実に近いところにいるんじゃな フォン・ノイマンや、ラマヌジャンみたいな突然変異的な数学天才は、仮想現実に近いところにいるんじゃな 酔っ払ったおかげで、スマホの操作がおかしくなってきた 大事な事だから2回いったんだろ?(笑)
結構カタカナの名前が出てくるけどやはりそう言った多分有名な?哲学者、数学者は仮想現実に少しだけな?少しだけ近い存在なんだろう。
俺は初めて名前聞く人ばっかりだけどなー フォンノイマン位は普通に生活してても聞くだろ
多分義務教育課高校の教科書にも載ってると思うが いや、生まれて初めて聞いた。
イップマンなら知ってるけどなー?
一応普通に生活してたけどな、、、
勉強してなかったのもあるだろうが
ググったら顔だけ知ってた
コンピュータを作ってコンピュータが出来たって言った人だ。(ボケてより)
結局凄い人なんだけど
向こうの世界の欠片すらつかめてないからな
バカにしているわけじゃなくてね?
ここ的に言うと
何か違う世界を見てきたとか、そう言う事をやった人の方が価値がある。
この人たちは仮想現実の生活改善をした人 >>98
当方の考えでは、この仮想世界を構築したのは数学の神なんだな(笑) 仮想現実の中のひとたち。
つまり我々のプログラムの流れをよりスムーズにしてくれているのが学者界隈の有名な?人達だろう?
常人よりもはるかに能力が高く何かを発明するように開発するように仕向けられたプログラム
でもコレも作られた人間てことか、、、
やはり現実の世界の扉に手をかけられる人かけた人が凄いだろう。謎を解明しようとする力があるってことだから
これって進化したAIの暴走に近いものがあるね
なるほどなぁー面白い
いろんな妄想できたけど結局
仮想現実だから。で片付けてしまうなぁ
答えがないのも哲学かな ときたま幽霊が見えたりするのはバグなんだろうな
そして死というのは存在しなくなったという情報が書き込まれるだけで
どこかに存在はしているということになる >>100
一応、哲学的には結論が出てるんだけどね。
上にも書いた「共通了解」というのが、それ。
目の前にある赤いリンゴが、本当に存在するのかどうか。
それを疑いだしたら、キリがない。
でも、一切の先入観を捨てて、目の前のモノを見たとき、それが赤いリンゴならば。
それを「無い」と思おうったって無理だし、「青い」と思おうったって無理。
それなら、それを存在するものと認めてもいいんじゃないか。
それ以上、疑うことに意味がないということになった。
つまり、リンゴが存在するのは「真理」手間はないが、「了解」するということになった。 幽霊などの存在は、カントによって哲学から排除され、2度と復活しなかった。 仮想現実の外側にある「真実の世界」のことも、ついでに排除された。
哲学としては、とりあえず、それが結論。 別に排除してないと思うよ、スウェーデンボルグに贈った「視霊者の夢」という著作では
霊を物自体と同様に認識し得ないが可想的にはあるかもしれないと肯定も否定もしなかった
ウィトゲンシュタインは排除したんだろうけどね >>105
いや、それを言ったらウィトゲンシュタインも、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と言っただけで、とくに否定したわけではない 現代では、むしろ復活した
量子力学の発達で、この世が仮想現実であることが、以前にも増してハッキリしてきたから >>106
実体もなけりゃ定義もあいまい主観的にしかとらえられることのない
霊現象を語ることはできないんじゃないか もともと、量子力学を持ち出すまでもなく、「鉄も水も空気も、人間も植物も岩石も、みんな素粒子が集まってできている」という時点で、物体は、われわれが日常生活で感じるような実体のある存在でないのが明らかだった。
それは、コンピュータ内の仮想存在が「ドット」でできているのと、あまりにも似ていた。
量子力学では、その素粒子に実体がなく、驚くほど空虚な「電子信号」に等しい存在であることが明らかになり、それは決定的になった。
でも、それ以前の粒子仮説の段階で、すでにこの世の物質の『実在』は、極めて疑わしいものとなっていた。 しかしやっぱり人は壁を通り抜けられないしコップに水を注いで水を飲む
この事実は覆らない
ならば物質や実在とはそういう状態のものでありやはりそれは存在することに変わりはなく >>104
排除されたのだ、仮想現実など無いのだ
と思うならここに来なければいいだけの話だよー てか、皆さん凄い勉強してらっしゃるのね
あんまり知識なくて妄想で話ししてるのが申し訳ないけども、楽しいから居させてね。
仮想現実の向こう側へいざ行かん。 よくわからないのですが、現実と仮想現実の定義は何ですか。
テレビや映画や夢や すいません途中で書き込まれてしまいました。
テレビや映画や夢や空想は、現実の一部分
でしかないと思うのですが。
我々が知っているのは現実の一部分でしか
ない、ということなら、まあ当たり前の
話だと思います。 それを現実と思えるかどうか
それだけ
現実感が失われればそこは現実ではなくなる >>116
いわゆるヴァーチャルリアリティーというのは、
映画や小説などのフイクションと同じで、
その外部に現実の世界があって初めて意味を持つ
概念だと思うので、世界全体が仮想現実だと
いうのは無意味というか、定義上成り立たない
ように思います。
>>117
だとすると、何が現実か現実でないかは
主観的で人それぞれだというしかないのでは
ないでしょうか。 この今いる世界が全てプログラムされて動いている
本当の世界のようでそうではなく
ほかに世界があって本当の自分はそっちにいる。 >>118
そうだよ
哲学の基本のスタートは其処に在るんだし
折れって実は一人じゃね
他の人間て実は全部妄想なんじゃね
俺の見てるもの、感じてるものって全部偽物だったらどうしよってな
それがプラトンの洞窟の話 「意図的な演出」があるかないかの問題なんじゃないのかな。
この物質世界は、その内部の住人(つまり、我々)に、「物質が本当に存在する」と錯覚させる仕掛けに満ちている。
そこが、「仮想現実」の仮想現実たる所以。 「世界は主観的で人それぞれに存在する」というのが、マルクス・ガブリエル「なぜ世界は存在しないのか?」の中心テーマですな
(・・・てことで、いいのかな?) 二次元の女の子がVRである場合はマネーロンダも取り締まらないの? 文系がものっそく頭悪いだけで工学畑の趣味趣向は関係ない 仮に仮想現実が、4次元の生命体のVR的な物の
もっと意識が世界に侵入していくタイプだとしたら
臨死体験をして宇宙の外側を見てきたと主張している人達の意見とは異なりますね でもまあ、人間で言うところのVRが、4次元だと機械を装着する方法じゃない事もあり得るから
臨死体験の話と異なるとも言い切れないか… そもそも何故人間を呼吸、食事、排泄が必要な風に作ったんでしょうね
仮想現実だとしたら
生きる事に、より負荷をかけたかったんだろうか 何もしないでも生きていけとなると生きていく活力が無くなるよな
ニートは親の収入当てにして生産性があることなどやらないし
サケだってしんどい思いして河を登らなくなるだろう 確かに。
でも仮想現実だとしたら、わざわざ毛を生やした意味もわからないですね
今や全身脱毛をしている女性が大半ですが、毛があってもなくても、なんの支障も変化もありません
毛があってもなくても仕事はしますから 仮想現実だと人間が気づいたら、倫理観は逆転するでしょうね
ゲームの中では良くて、仮想現実の中で人を殺したらダメだなんて筋が通らないから
だから仮想現実だとはわからないように、仮想現実なんでしょう 毛とかある万人に共通のものだったらいいけど顔のデカさとかを人それぞれにする
意味は全くないしマジで単なる劣等感を抱かせるための嫌がらせ 我々にとってゲームは一時的な遊びでしか無いが
仮に途中で中断もできず終わりのないゲームを生涯プレイし続けなけりゃならないとしたら
キャラクターの死は切実だと思うぞ 「天は二物を与えず」と言いますからね
二物与えられている人間は沢山いますが。
良いところの他に、コンプレックスも持たないと
人間として成長する為の要素が必要なんじゃないかな ソードアートオンラインみたいな話ですね
ログアウト出来ない >>132
てゆーかそれが、この現実が仮想現実の真理なんじゃないですか 仮にこの世界がゲームみたいなものと判明したとしても
生涯ログアウトできないということならあまり無茶なことはできないよな
それは人々がずっと現実と考えてきたものと変わらないし
結局、同じ生活を続けるしかない >>127
そう思えるのは、人間のことしか考えてないから
生態系を全体的に考えれば、中学の理科でオナジミの「食物連鎖」は、極めて合理的な自立型運営システム >>136
でも仮にこの世界がゲームだと判明したら、ログアウト出来なくても
死んだら元の自分に戻るだけですよね
輪廻転生として何度もゲームに再挑戦出来るなら
多少無茶な事をしても大丈夫な気がしますね
人を殺そうとは思わないけど、善悪の判断はもっと曖昧になるかも 日本人は、海の魚を取って食べ、陸地で排泄して肥料にすることにより、海から陸へと栄養素を回していた
モンゴル人は、草原の硬い植物を反芻動物の羊に食べさせて、その羊の肉を食べていた
これらの例を見れば分かるように、人間は生態系の中で、意外と重要な役割をはたしてきた
創造主は(もしいればの話だが)、このようにして、栄養素が自動的にグルグル回る自律型のシステムを構築し、ふだんは何もせず傍観していれば済むようにしてある >>137
ああ、私あまり知らないです、食物連鎖系は。
食べて排泄する事で何か循環して行くんですかね また新しいゲームを再開できるという保証があるなら気軽に死ねるかもな
何度もアカウント作り直してベストなステータスと環境に生まれ変わるわ オンラインRPGみたいに好きなキャラを作成できる訳じゃないが
スピリチュアルやニューエイジャーらは人間は自分で選んだ肉体に生まれるなどといってるな >>145
「何度でも、この世に生まれて、より良い生を送れる」というのは、現代人にアリガチのポジティブな考え
古代インド人は、そうではなかった。
「何度でも、死ななければならない。そのたびに、痛い目にあったり、苦しい目にあったりする」ということを、彼らは真剣に恐れた。
しかも、来世はマトモな生まれかたをするとは限らない。
どんな目に合うかは予想もできない。
このように輪廻転生は一見、夢があって楽しいのだが、古代インド人のように本気で深刻に考えると、怖くなる。 >>145
リセマラですね
ゲームだと分かったら全員やり始めるでしょうね
もしかしたら、中絶して亡くなる赤ちゃんとか
生まれてすぐ亡くなる子はそれに当たるのかも >>147
インドは釈迦の本拠地ですからね
釈迦は徹底的な、自己犠牲の精神ですよね
他人の為に何度も何度も死んでいます 世の中の全員が輪廻転生を事実として受け入れ、それを当然の前提として生きていた社会
それが古代インド
インド人が「ここで」と言えば、それは「この世で」を意味した 支配階級にとって輪廻転生は歓迎すべきシステムだったのかもしれないが
インドでは何度生まれ変わろうとカーストは不変だから下層にいる人は救いがない >>129
それも、人間についてはその通り
人間は、家畜の毛皮を身にまとうことができるから、自分には毛がなくても平気
でも、猿や犬・猫にそんな知恵はない
かれらには、自分自身の毛皮が必要だ >>151
仏伝を読んだことがありますが、釈迦がどれだけ他人や他の生き物の為に死んで
輪廻転生を繰り返したか、事細かに書かれていて
ウンザリします >>153
へえ、自分の中に無い答えでスゴイびっくりした
ありがとうございます >>152
カーストが輪廻転生を超えて支配するんですか どこかを切れば血が出るし
不摂生で虫歯にもなる
何で?って問いはエゴでしかない。
そうなるようにプログラムされているから
そこから合併症なども引き起こしたり、、、
これは向こう側の実験だ
こうなればそうなるって言う。
だけど何のためにこんな事をしているのかはわからんね。 なんのためにこんな事してるんでしょうね
そもそも誰が?
私、宇宙大戦があったとか信じてるタイプの人間なんですが、要するに宇宙人はいると思っていて
地球に初めに人間を作ったのもアヌンナキだと思っているし
仮想現実のVRをやっているとしたら
宇宙船の中で宇宙人が、横たわって機械を装着して的なのを想像してたんですが
その宇宙人丸ごと全部、仮想現実だったとかもあり得ますね そりゃ、この世が仮想現実なら、宇宙人も仮想存在だろ 死ねばログアウト出来ると考えるより
死んだら二度とログアウト操作が出来なくなると考える方が正しい気もするが でもあれなんですよ
宇宙人にも次元の異なる存在が多数いて
5次元の宇宙人になるともう物質の身体じゃありません
ちなみに9次元の宇宙人までが個を保っていられるそうです
高次元の宇宙人が、人間に転生して来ている説があるので
この現実が仮想現実であるなら、VRをしているのは高次元の宇宙人なんじゃないか
と考えた訳です また哲学の基本が脳味噌から永遠にログアウト出来ないだろ
宇宙人どころか直ぐ横にいる他人も仮想現実ってのがスタートでイデア界なる本当の世界があるって話なんだが
アリストテレスはそんな事あるかいなってプラトン批判して科学の礎となる考えを構築して今に至る哲学を構築していったんだろ
phisorophyの語源もアリストテレスが人間の本性が「知を愛するもの」から来てる
要するにゲームだとかレベルの低い妄想に耽るのは改める事だな 要するにだ
哲学は知性を磨けと言う学問だ
考えてもしょうがない事を延々と妄想する事は無意味
目の前の現象にちゃんと目を向けその原理や構造を解き明かそうって進める事で進歩しようぜってのが哲学的思考な訳よ
どれだけ妄想膨らませても確証も何もないデタラメな思考では知性は磨かれないだろ はい、そうですね
プラトンはイデア界にある雛形が、完璧なモノだと言う説でしたね
物質の世界では、それを真似て複製しているに過ぎないとか
プラトンはどうやってそれを知ったんでしょうか
自分の隣にいる人が仮想現実かもしれないと実証、検証するのって超難しいですよね
何から始めますか >>163
>phisorophyの語源もアリストテレスが人間の本性が「知を愛するもの」から来てる
それをいうなら、philosophy だろ >>165
プラトンの本業は、幾何学だからね。
現実世界の三角形は、必ず、どこかが歪んでおり、完全ではない。
しかし、人間は、山を見ても、オニギリを見ても、三角形だと思う。
それはやはり、「完全な三角形」というイデアがあるおかげ。 近代哲学の祖・デカルトからは、「これは人間の観念である」ということになった デカルトにとっては、「不完全な私に、完全な神という観念がある」というのが、神が存在するという動かぬ証拠だった 怒りは脳のカロリーを使うから直ぐに消える
思い返してまた怒りがこみ上げる事もあるけどずっと怒っていることは生理的に出来ない
しかし怒りが消えても恨みとなって一生残る
そう云うモノ
ただ生きていれば更に頭にくる事やもっと酷い人間を見る事もあるし
自分が拙い・無神経故に相手に嫌われていたとか色々と反省すべき点が見つかる事もある
それでも恨みつらみは一生残るよ
後はそれを晴らす事によって得る爽快感と何かを失うリスクを量りかけてどう行動するか考える つまり憎悪は消えない
特に憎悪する対象によってキャリアや財産を失ったりすれば
その後の不幸もそいつの所為だと感じ憎悪が増す事の方が多いかも知れない そして悲しい事に不幸が増した人間には復讐する機会は訪れない事が多い
寧ろ後に成功した人間は復讐する機会と力を得る
これがルサンチマンというものだ 世を恨む人は多いがどれだけ恨んでも恨みは果たされない
因果応報など作り話
滅多に因果が巡り応報を受けることなどない
故に復讐なら分かり易い形で直ぐにやり返せ
その方が周りも同情するし今後舐められない為にも有効だ
泣き寝入りする人間は他の周りの人間からも舐められる >>175
長期的に見れば、全員が生け贄だ
この世は、壮大な供儀なのだ 精神世界関連では、「この世は、人の魂を成長させるためにある」というような説明がなされることが多いけど、それは個人の視点に偏りすぎているように思う。
この世が壮大なシミュレーションならば、製作者が見たいものは、そんな個々の存在者のことじゃなくて、地球という惑星がどうなるのかというところだろう。
いろいろと設定条件を変えて、何度も実験するのではなかろうか。 世界五分前仮説におけるように今この瞬間から全ての歴史と今を生じさせることだって可能だからな
わしらは向こう側のやつらのモルモットでしかないしずっとおなじ生を生きているという保証はない 確かに。
人間の細胞は分裂、死滅、再生を繰り返して、7年で完全に入れ替わりますので
7年前のあなたと今日のあなたは全くの別人です
一体あなたは誰ですか 主観とか私ってのは個々人の中では記憶だ
解離性障害なんかの人は自分が誰だか理解らないとなるが
周囲が私を形作ってるってのも確かにある
だから対象が赤ん坊や認知症や脳死状態であっても
やはり対外的に形作られる私というのはある
それらには私を形成する記憶がないから
尊重しなくて良いとはならない 人間の記憶が、確実に連続しているという証明も出来ないハズです
観察者の記憶が連続していると証明出来ない限り、被験者の記憶の連続性の証明も出来ません
記憶が連続していると証明出来なければ
昨日のあなたと今日のあなたが、同じ身体を纏う人間とは限らない訳です
一体あなたは誰ですか 全てを疑ってると経験論が陥った懐疑の暗礁に乗り上げてしまうよ
それを突き詰めると前提するものを置けないから何も考える余地がないとなるからだ >>181
例えば「林檎が赤い」と同じように、この人間は「私の親だ」という共通認識が
物質が存在した瞬間に、何らかの制約を受けるとしたら
その人間の記憶が連続していなくて、別の人間に入れ替わっていたとしても
外側からは同じ人間にみえて
その人間も自分が「私の親だ」と外側からの認識を受けて、改めて認識していくの連続もあるかもしれません オカルトの域ですけど、ウォークインという現象があって、今まで普通に生きてきた人間の身体の中で
魂が入れ替わるって話があるんですよ
身体の記憶があるから、新しい魂は元の人間だと思い込んで生きる訳です
勿論周りの人間も
そのうち性格が違うから、あいつは変わった
となる訳です >>183
そうですよね、なんでも疑って疑問まみれになる癖があります。中々歯止めがきかなくて、行き着く先は意味不明です。 これ>>184
言葉足らずだったんですが
この場合は、記憶のみならず人間の身体(外見)すら変わっていたとしても
「林檎が赤い」みたいに「私の親」に見える何か制約が纏っているとしたら
って意味でした。 わけがわからない事を言っている……
正気を失っているようだ……
あなたの本当の名前は『麻生太郎』なんだよ
父さん…惚けているの?
それとも本当に忘れてしまったの? 奇跡的な事しか起きないというのは、一体どんな理屈なんでしょうか
知らない人に急に助けられたりする事は、どんな原理で起こるんでしょうか
これも仮想現実だからなのでしょうか
自分が認識出来ないような領域で、やはり何かプログラムされているのでしょうか 哲学的ゾンビみたいに外形的には普通の人間と変わらなくて中身は一切の意識体験をもたず
条件反射と機械運動を繰り返してるだけってのもあるな >>192
それは大いにあり得ます
自分以外の人間に個の意識が必ずあるとは言い切れません
万が一、自分がこの世界のたった1人の主人公だった場合、その他の人間はAIの可能性もあります
宇宙は人間1人につき1つ存在するという説を説いている人もいます
誰もが自分の宇宙の主人公で、独りぼっちです
平行宇宙として関わっていく場合はあるでしょうが 酔っ払って意味わからなくなってきたわ
また今度にします >>194
自分自身がそうである可能性だってあるだろ?
「その人物になりきって体験」してるだけかもしれないぞ? >>196
自分が主人公以外のその他大勢かもしれないって事ですよね
それはあり得ますが、意識を自分で認識出来る以上は、自分は個であるのではないか
と思います 自身にいろんな出来事が起こりすぎるのは
向こう側でそうしているから。
悪いイベントコンボしたらこの実験体なら
どうなるんだろうかと言うシュミュレーション。
悪いことって続くときは続くしな。
続けざまに起こすことでその実験体の真の行動を
観察する。
しかし何のためなのかは向こう側にしかわからん。 失礼します
仮想現実だとしてらあっち側にいるのは人間が好きなんではないでしょうか?
ポジティブなことでちょっと、なかなか踏み出せないことがあったらその考え方を思い出して
一歩に出来たらと思いました。出来るかどうかわかりませんが。
面白い話ありがとうございます。 設定条件を変えて、何度も試行する。
それが、シミュレーションってものだ。
この世がシミュレーションならば、解析担当者(もしいれば、の話だが)は、当然そうするだろう。
地球の生命は進化して高度に知的な生命体となり、文明が進歩してゴールが見えてきた感がある。
この地球環境の設定条件は、良かったのか、悪かったのか。いかなる効果を生んだか。
もうすぐ結論が出るだろう。 >>110
壁を通り抜けられないのだって、タネも仕掛けもある。
壁を構成する原子や分子は、陽子の持つプラスの電荷と、電子のもつマイナスの電荷をうまく組み合わせることにより、固く結びついている。
ここに、自分の手が触れたとする。
壁の原子や分子たちは、ガッチリとスクラムを組んで、手を通さない。
壁の原子の表面の電子雲と、手の原子の表面の電子雲は、お互いにマイナスの電荷を持ち、反発する。
手の神経は、それを脳に伝える。
脳はそれを、「手が固い物体に触れた」という触覚情報に変換して、意識に伝える。
人間に、「物質が存在する」と確信させる、じうに巧妙なシステムだ。
将来、コンピュータが発達して、よりリアルな仮想現実ができるとしても、人類は、こなやり方を真似るしかないだろう。 物理が分かってくるにつれて、物質が結合するのも、分解するのも、みんなプラスマイナスの電磁作用なんだってことが分かってくる。
それだけでなく、物体が動いたり、曲がったりするのも、結局はプラスマイナスの電磁作用によるものがほとんど。
そんな物質を、世界内存在である人間は、実体のある存在のように感じている。
自分自身の脳が、電磁作用を、視覚・聴覚・触覚・・・に変換して、せっせとそれをサポートしている。
「この世界は、一種の電子信号でできている」という所以が、そこにある。 逆だね
かつて世界は物質とやらでできている思われた
今は無しからの波でできているみたいだって思われている
100年後はまた別の見方をしてるだろうよ
人は自分の理解できるものでしか物事を考えられない
君の妄想の限界が其処に在る >>204
「物質世界は、プレイヤー(つまり、自分)の周囲だけがアクティブになっており、鮮明に認識できる。
それ以外は、スリープ状態で漠然と存在している」という世界観が主流になりつつある プレイヤーの周囲では、素粒子が物質化する
ふだんは休眠状態で待機 科学が進歩するにつれて、「この世は仮想現実だ」ということに、地球人類は気がついてきた
これからは、ますますそうなる 世の中は、仮想現実に近づいてくる
インターネットだって、昔の人には、とてもこの世の現実とは思えまい ここ2〜30年ほどでも、日本はたいして変わっていないが、世界は激変した 物質は、それ自体では、仮想空間のなかの情報にすぎない
人間が、それを「物質」だと思うことによって、初めて物質になる 宇宙は、なるべく情報量を節約するようにできている
必要最小限の舞台装置だけは用意しておき、後は各人の脳が大幅に情報量を水増しして、意識の中で物質世界を充実させるという合理的なシステムになっている プレイヤーの周囲と、そうでないところとでは、物質はその在り方を変えている
プレイヤーの認識の範囲外では、物質は休眠状態になっており、そのぶん情報量を節約している スミズミまで緻密に作り込むほど、宇宙はヒマではない
それだと宇宙全体の情報量が大きくなりすぎ、情報処理が限りなく遅くなってしまう
作り込んであるのは、プレイヤー、つまり、この世界の住人であるわれわれ人間の周囲だけだ
残りは、手抜きもいいとこ この世が仮想現実かどうかを考えるよりこの世に仮想現実を作ることの方が価値がある
どちらの方がより高度で難しいかは分かっていると思いますが
バカだからそこから逃げてレベルの低い妄想で済ませているんでしょうけど
仮想現実を作るとなるとその出来を他者と比べられ自分の幼稚さ・拙さが暴かれますしね VRゲームで遊ぶ事しか出来ないバカとVRゲームの開発者程の違い
ここの議論の本質です 自分がバカだと受け入れているが他のみんなもバカだと貶めて神や宇宙人・異次元人という上位の存在を持ち出し他者との差を同じ仮想現実の中のAIでしかないと誤魔化す事で自慰をしているだけで気持ち悪い
そうじゃないだろ?
同じ世界で生きているからこそ競い合わなけれ何時迄も馬鹿だ馬鹿だと繰り返し馬鹿にされるだけだ
目覚めろ! >>214
人類が仮想現実を構築する上では、常に、この世が参考になるモデル 本当は電子信号のカタマリにすぎない仮想空間の物体を、いかにして通り抜けできない触覚のあるモノと見せ掛けることができるか
それにはやはり、この現実世界から、その手法を学ぶしかない 結局のところ、「ここは通り抜けられない」という情報も、「これにはツルツルした触感がある」とか「ザラザラした触感がある」という情報も、しょせんは情報にすぎない
それを、プレイヤーにとって、どれだけリアルと感じられるものにするか。
それだけの問題だ。
それにはやはり、この現実世界が用いている実際の手法が、最も参考になる。 >>216
自分が幼少の頃から信じ込んできた世界像が、ガラガラと音を立てて崩れてきたからといって、パニックになってはいけない
気持ちはわかるが、ここは冷静に受け止めるべきだろう >>221
「この世は仮想現実である」ということ
それこそが、認めたくない現実だ >>222
そんなにつらい人生なら死ねばいいと思うんだけど だが、終わるのは、自分の仮想現実だけだ
他人の仮想現実は、まだ続く 仮想現実とかを考える前に、この得たいの知れない「現実」とやらを考える必要があると思う、、、 何やら湧いてきてるな
妄想バカで結構だが(笑)
これは果たして妄想なのかどうかすら証明できないだろう?
結局否定するとそれは自分のエゴになるしな
逃げだのなんだの言ってるけど
逃げている認識はないな少なくとも自分には。
結局押し付けで文字書いてるだけぞ?
自分の意見を正当化したいワガママな子供みたいにな
この世に仮想現実を作る?価値がある?
何言ってる?そこに行きたいのならもう行けるだろう?買う価値があるゲームしておけばいいんだよ。 天下国家を揺るがすような議論をしてるわけじゃないんだ
こんなの単なる遊びなんだからそう熱くなるな >>228
自分でわかってるじゃん
考えても証明できない妄想ですって
そして馬鹿といわれて結構だと思えていないからムキになって反論しようとして失敗してるw
本当に馬鹿だなぁ 所詮にちゃん。いやごちゃんかー
さー仮想空間でしごとすっぺかなぁー >>231
所詮君では語れないんだよ
バカの考え休みに似たりってやつだ
あきらめて仕事しろやw >>229
いや、そんなことはないぞ
むしろ、これほど人類を揺るがす大問題は他にないくらいだ 興奮してイキリ立つ奴が出てきても、不思議はないテーマだ 大学院もですけど〜仮想現実は〜生活費がかかるので〜 >>235
テクノブレイクで死ねば良かったのに。
言い訳ブサイクwww 学位ぐらい取得しろよクズwwwww
国に帰れwwwwww
今すぐ死ねwwwww まあ、そうカリカリしなさんな
こちらは、「この世は仮想現実だ」と言ってるだけ
べつに、「お前の人生には意味がない」とか、「お前には生きる価値がない」とか、そういうことが言いたいわけじゃないので >>232
あんれまぁ随分とイキってらっしゃるようで(笑)
そんなに癇に障ったんだね。
なんかゴメンね〜 それにしても、地球人類の大多数は、21世紀のいまも、相変わらず素朴実在論で生きている。
つまり、この世は実在の世界であり、物質は実在すると信じている。
信じているというより、疑うことを知らない。
疑ったことがない。
主としてキリスト教とイスラム教の影響により、あの世があると信じている人は多いが。
「この世は仮想現実である」という、明確な認識に至った人はまだ少数だ。 古代インドの瞑想哲人も、「この世は仮想現実である」ということを見抜いていた。
しかし、それは、世間の一般人にとっては信仰の領域。
「ブッダやシャンカラがそういうのなら、そつなのだろう」とか、
「ラマナ・マハルシがそういうのなら、そうだろう」という話だった。
ところが、現代になって、物理学者たちが、実験と観察、計算を繰り返した結果、
「物質というのは、われわれが思ってたようなものじゃなかった。
物質は素粒子でできているのだが、その素粒子の中身は空っぽだった」
という結論に至った。
こうして、地球人類は、「実は、われわれのいる宇宙は、実在していない。
これは、仮想現実だったのだ」ということに気づく段階を迎えた。 そう、素粒子というのは、中身が空っぽだったのだ。
それも、ピンポン玉みたいに、外側に殻があって、内側には空気が入っている・・・というわけではない。
素粒子には、外側の殻すらないのだ。
原子核はプラスの電荷を持ち、電子はマイナスの電荷を持つ。
プラスとマイナスは引っ張り合ってくっつこうとするが、プラス同士、マイナス同士は反発して離れようとする。
このプラスとマイナスをうまく並べることにより、素粒子と素粒子は、適度な距離を保っている。
これを人間が見ると、物体に見えるというわけだ。
中身は隙間だらけのスッカラカン、というより、何もない空虚なのだが、
うまく並べてあるおかげで、マクロな目で見ると物体に見える。
そういう、巧妙な仕掛けが続々と発見されてきた。
いまや、「どうやら、われわれのいる宇宙は、今まで考えられてたようなものじゃなかった。
ここは、仮想世界なのだ」ということに、地球人類は気づきつつある。 このプラスとマイナスの配列は、配列のしかたによっては、ガッチリと結合していたり、ゆるく連なっていたりする。
ガッチリと結合しているものは、人間には「硬い」と感じられる。
ゆるく連なっているものは、人間には「軟らかい」と感じられる。
本当は、それは電磁作用にすぎない。
われわれ自身の脳が、それを硬さとか軟らかさといった「触感」の情報に変換している。
要するに、われわれが日常、「物質」だと思っているものは、じつは「電磁作用」なのだ。
人間がコンピュータ内に構築する仮想空間のなかの、電磁信号でつくられた物体と、その本質はなんら変わるところがない。 宇宙がビッグバンして粒子がばら撒かれて、電子によってくっついたり離れたりしながら
人間の皮膚が出来上がるとか、どんな理屈か
誰か説明してもらえないでしょうか どのような作用というか理屈で、それぞれの物質が
そのものの形を形成したり、その形を保ったりするんですか >>245
アリストテレスの「形而上学」に、その答がある まず第一に現実社会とは帰属意識
ほかの世界の記憶や意識を持っているならここが仮想現実となる
それがないならこの世界がほかの世界シミュレーション世界であってもここが私たちの現実だ
ゲーム内のキャラはゲーム内でしか存在できない
つまり私たちはこの世界でしか存在できないのだからここが私たちの現実であり戦う場だ
この世界で負け犬だからと言って逃げ場はない
あきらめてこの世界のゲームのルールに則って負け犬から脱しなさい >>247
たとえ、この世界が、存在する唯一の世界だったとしても、これが仮想現実であることにかわりはない >>248
スピノザの「エチカ」などと同じく、読み始める人は多いが、最後まで読み通す人は極めて稀な本のひとつ この世界は、明らかに、本当は何も無いにもかかわらず、「物質が在る」とわれわれ人間に思わせるように出来ている
そこが、仮想現実たる所以
それと、「この世界の他にも、別の世界があるのだろうか?」というのは、また別問題 >>250
読み始めさえすれば読みきります、ありがとう >>249
そうなると君のは単なるトートロジーに過ぎないということになる
現実を仮想現実と言い換えているだけでは? >>249
存在する唯一の世界が「仮想現実」とはならないのではないでしょうか、他に本質の世界があった上で、仮想現実が成り立つのではないかな >>253
「コンピューターの中に作られた仮想的な世界を、あたかも現実のように体験させている」というのが、仮想現実の定義
この世界が仮想現実であるというのは、その内部の住人であっても、この世界をよく観察し、突き詰めて考えれば、見抜くことができる
べつに、「私は幽体離脱して、真実在の世界を見てまいりました」とか、そういう必要は一切ない 例えてみれば、現代の世界に、機械じかけのロボット宇宙人が住んでいたとする。
大勢の人が、それを本物の宇宙人だと信じていたとする。
大勢の人が信じてさえいれば、宇宙人が現実に存在すると言えるのか?
そうではない。
やはり、それはフェイクであることに変わりはない。
この場合、「地球外のどこかに、本物の宇宙人がいるかどうか?」は、特に関係ない。
本物がいようがいまいが、目の前の「宇宙人」がフェイクであることに変わりはない。
それと同じように、この世界がフェイクであることと、「どこかに本物の世界があるかどうか?」は別問題。
どちらにしても、この世界がフェイクであることに変わりはないからだ。 >>256
フェイクというのは模造品ということですよ
偽物
本物があるから偽物がある
本物があるから模造出来るのではないでしょうか
実在があって、仮想があるのでは なぜ、こういう話をするかというと、いつも、こういう流れになるからだ。
こちらが「この世は仮想現実だ」と言ってるのに対して、必ず、「どこかに本当の世界があるなどという、根拠のない話をするな」と言い出す人がいる。
こちらは、「この世は仮想現実だ」とは言ったが、「どこかに本当の世界がある」とは言っていない。
それとこれとは、別の問題だ。
「この世は仮想現実だ」というのは、哲学にとって重要なテーマだ。
でも、「どこかに本当の世界がある」というのは、哲学のテーマとはなり得ない。
それは、宗教もしくはオカルトの領域。 >>257
それなら、「フェイクのツチノコ」とか、「フェイクのイエティ」を考えてみればいい
たとえ、ツチノコやイエティが実在しないとしても、「本物そっくり」なフェイクを作ることは可能
「本物」は、あえて言えば、人間の意識の中にある観念
それを元にすれば、たとえ本物がいなくても、「本物そっくり」なフェイクのイエティを作れる >>259
本物は人間の意識の中にある観念
それこそが、どこかにあるイデア界(実在)なのではないでしょうか 古代インドの釈迦も、「この世は虚構の世界だ」と弟子たちに力説していた。
「では、あの世はどうなってるのですか?」と聞かれても、それに対しては答えない。
重要なのは、「この世はフェイクである」ということ。
ここは、あまりにもリアルな世界。一見すれば、本当に存在しているように見える。
でも、よく瞑想して、ジックリと観察し、突き詰めて考えれば、フェイクであることが見抜ける。
それと、「あの世はどうなってるのか?」は別問題。
そんなの、死んでみなけりゃ分からないだろう(笑)。
生きてる間にそれを考えたところで、どうせ答は出ないから時間のムダ。 人間の意識の中にある観念
それこそが真実在であり、物質世界がフェイクなのかもしれない
まさしく、逆転の発想 >>263
逆転の発想というか、釈迦の言う「この世は虚構の世界だ」ですよね
真理なのではないですか?
仮想現実が本物だと思って疑わない限り、この世が自分達にとって唯一の現実ですが
今ここにいる人達のように、この世が仮想現実ではないかと疑った自分で
この世は虚構、本質は別にある
になるのではないでしょうか >>255
だからその見抜くことができるという根拠はなんだね? 全てが仮想現実だと思わないこと。デイヴィジョンなどを想定。 虚構の世界は現実とつながっていて、虚構と現実は切っても切れない関係にあるのです。 我が身/実が現実としてあるのは、生きている間だけ
死んだら、そこにあるのは我が身/実ではなく、死体、骸、亡骸 仮想現実から逃げずに残っていたから、やっぱり、非は自分にあると納得してもらわないと >>264
実際のところ、普通は、目の前にある物体が本当の存在であり、意識の中の観念は実在しないとおもうところだけど、本当は逆なのかもしれない。
じつは、意識の中の観念こそが真実在であり、眼前に展開する物質世界はそれの模写であることも、十分に考えられる。 東西の聖人・賢人である釈迦もプラトンもそういう見方をしているのだから、かなりの説得力がある。 釈迦が言うには、この世は人間の五感で成り立っている。
人間の意識のなかの、視覚・聴覚・触覚・・・のおかげで、この世界がリアルに感じられる。
しかし、じつは、この世界はフェイクである。
量子力学もクオリア理論もなかった大昔に、よくそれを見抜けたものだ。
どうやって見抜いたのかは分からない。 >>264
ではなぜこの世が現実ではないと思うのか
その代わりとなる感覚は何処で得たのか
その記憶はあるのか
ということになる訳ですが
仮想現実で感じたリアルとの錯誤からこの世もひょっとして仮想現実ではないかという疑いはわかります
しかしそれ以上の実感や記憶がない以上は疑いでしかなく確証は得られない
得られているならそれを提示してくれればいい
それがないから戯言・妄想だと断じているんですが
仮に自分にしか感じられない実感の記憶があるというならそれは他者である僕にはわからないので「へー」と聞き流すしかありませんがね 仮想現実と現実が似ているからこの世も仮想現実だというからそれは逆だよねと皆さんは馬鹿な人達に諭しているわけですよ
現実を模して仮想現実を作っているんですから 僕はなたたちのお母さんや先生じゃないので残酷な真実を客観的に告げているだけです
多くの人たちが歯に衣着せて言う処を無視してお前たちは馬鹿だと教えてあげているんです
ありがたく思ってほしい
これでバカから卒業できるきっかけを得るんですから >この世界が仮想現実だとしたら、
仮想じゃないもんな
下層板ではあるけど >>274
>仮に自分にしか感じられない実感の記憶があるというならそれは他者である僕にはわからないので「へー」と聞き流すしかありませんがね
「へー」と聞き流してくれれば結構
当方には、何の不満もない(笑) >>274
こればっかりは自分で体験しなければ、理解出来ない事です
口頭で伝えるにはとても難しいのですが、上手く説明出来るように考えておきます
時間がかかるかもしれないですけど >>275
いや、そうじゃないんだよ。
アインシュタインが相対性理論を発見したのは、百年前のこと。
物体が加速して、光速に近づくにつれて、時間の進みかたが遅くなる。
当時の人々にとって、これは意味が理解できない謎の現象だった。
でも、その後、コンピュータが登場して、急速に発達した。
その結果、「コンピュータというのは、処理すべき情報量が急激に増えると、処理速度が遅くなるものだ」
ということが、経験的にわかった。
この、「物体が急激に加速すると、時間の進みかたが遅くなる」と、
「情報量が急激に増えると、コンピュータの処理速度が遅くなる」という、2つの事実。
一見、何の関係もない。
しかし、そこには奇妙な符合が感じられる。
「ひょっとして、相対性理論の原理も、そういうことなんじゃないの?」と思う人々が出てきたのは自然なことだ。 この「処理すべき情報量の制約」という考え方を導入すると、相対性理論のナゾも、量子力学のナゾも、妙にキレイに解けてくるんだな。
だから、シミュレーション仮説を支持する人には、コンピュータ技術者が多い。 この宇宙を見れば、莫大な情報量に思える。
これほどの情報量を処理できるコンピュータなど、あり得ないと思うかもしれない。
しかし、実際には、見た目ほどの情報量ではない可能性がある。
この宇宙がゲーム内の3D映像だとすると、緻密に描き込まれているのは、プレイヤーの周囲だけ。
あとは、ボヤけた手抜き映像だ。
背景は、ハリボテだ。
そこには色彩も音声もない。
プレイヤーが近づくと、そこはアクティブになり、離れると、スリーブ状態になる。 情報量が増えると処理速度が落ちるって当たり前やろ
負荷をかけて処理速度があがったらおかしいだろと 仮想現実だと緻密な処理結果もハリボテ
フェイク思うゆえにフェイクあり
見抜くことができるという根拠に答えないのはフェイクさんだから 処理すべき情報の量というけど、宇宙、その域外の広さをしては多少は無理するべきじゃないか? >>287
そりゃ、いくら節約するったって、それなりの情報量にはなるわなあ 緻密に描き込まれているのは、宇宙の中でも地球だけ
他は手抜き映像だ
地球といっても、地底や深海は手抜き
人間が潜っていったときだけ周囲がアクティブになり、高精細な映像になる 無数のパラレルワールドで、同時並行して多くの試行回数をこなしているという話もある
それが本当なら、そんな大量にシミュレーションして、宇宙はいったい何をしようとしているのか? 輪廻転生思想の人は、通常、「人間はこの世に生まれて、自由意思で選択しながら生きている」と思っている。
でも、そうとは限らない。
「この人物になりきって、体験ツアーをしてみよう」という話なのかもしれない。
つまり、自分の人生は、もともと最初から最後まで、すでに終わっている。
その自分の意識に憑依(?)するような形で、「なりきり体験ツアー」をやってるのかもしれない。
というのも、脳科学の専門家に言わせれば、たとえば、「左手を伸ばして、本棚あの本を取ろう」と思ったとする。
なんと、自分の心がそう思うより、ほんの少し前から、脳は、左手に指令を送るためのウォーミングアップを開始するというのだ。
「左手を伸ばそう」と思ってから、脳が動き出したのでは、とても間に合わないらしい。
じつは、脳は心の動きを事前に予測(?)し、ちょっと前から動き出す。
ひょっとしたら、われわれの人生は、何もかも脳が演出してる芝居なのかもしれない・・・という疑念すら抱かせる時事だ。 たとえば、スターウォーズの映画があったとして、「ルーク・スカイウォーカーを体験してみようか」と思い、その登場人物の立場を経験する。
血わき肉おどる、エキサイティングな体験だ。
その間は、自分の意思で動いてるつもりでいるが、じつはその人物になりきり体験をやっているだけ。
「ああ、面白かった。じゃあ、次はアナキン・スカイウォーカーを体験してみよう」ってな感じで、本当は自由意思なんか無いのかもしれない。 ワールドカップでオウンゴールした人が、「ああ、しまった。もうちょっと違う角度で足を出していれば・・・」と後悔する。
「なんで、俺はあんなバカなことをしてしまったんだろう」と悔やむ。
しかし、じつは、それは事前に決まっていたのかもしれない。
むしろ、「このワールドカップでオウンゴールする人の意識になってみて、どういう気持ちになるかを体験してみよう」というような、一種の体験ツアーをやってる可能性もある。
じつは、ゴール前で足を出すタイミングや角度は、脳が決めている。
本人の意識は、それを追体験しているだけなのかもしれない。 人がそれぞれの仮想現実を生きているとしても、地球の歴史は、今日も未来に向かって進んでいる マルクス・ガブリエルによれば、人はそれぞれの世界を生きているのであり、全体としての「世界」は存在しない 他人や他の動物になってみるのは誰しも無理なので分からないのだが、それぞれの認識には大きな差がある
それぞれが生きている世界は、実際には大きく異なっていることが推測される 「世界は数式でできている」というのは、数学や物理に詳しい人に特有の世界観であり、そうでない人には説明しようったって無理
言語の専門家は、「世界は言語でできている」と思うわけだから、同じことかもしれないが このとおりバカは抽象化された世界という意味を理解できずに勘違いしてしまう
悲しい結果がこのスレでした。
哀れなり
そして実に情けないバカどもだ…… 神さまが仮想現実の世界を作り出してるんなら、この世の仮想現実は、
実は自分たち人間のためにあるんじゃなくて、実は神様のためにあるのかも。 >>305
まあ、誰のためにあるかは別にして、「ボクの魂を鍛えるためにあるのだ」というのは、さすがに自分のことばかり考えすぎと思われる。
それよりは、地球生命系ひいては人類の進化を見ているのではないか。 地球生命系の進化や、地球文明の進歩をシミュレーションしている。
設定条件を変えては、何度でも試行している・・・
もしも創造主がいるのなら、そういう感じではないのかな。 地球生命系の進化や、地球文明の進歩をシミュレーションしている。
設定条件を変えては、何度でも試行している・・・
もしも創造主がいるのなら、そういう感じではないのかな。 多くの人の考えは、「これは私の人生の修行なのだ」という方向に行く。
確かにそういう面もあるだろう。
生物の進化にも、文明の進歩にも、意識進化が欠かせない。
この世は、個体の意識を進化させるシステムでもある。 人間の思うことや考えることは、脳の電気信号や化学反応だ。
われわれは、それを自分の意識だと思っている。
しかし、自分の意識というのも、じつは脳によって演出されている可能性が高い。
脳神経系に化学物質が分泌されることにより、心には喜びや怒りの感情が起きる。
どこまでが霊的な作用であり、どこからが脳の動きによるものなのかは分からないが、われわれが日常で感じるよりも、脳による影響が大きいと見るべきだろう。 ここで錯覚しやすいのは、物事が起きる時系列的な順序だ。
心に喜びや怒りの感情が起きて、その結果、脳内に化学物質が発生するというわけではない。それは順番が逆だ。
本当は、まず、脳内で電気信号や化学反応が起きる。
それによって、心に それによって、心に感情が起きるのだ。
この順番を間違えると、脳と心の関係を誤解することになる。
通常、日頃の日常生活において、押さえきれないほどの怒りがわいてきたとき、人は、「脳がこの感情を引き起こしているのだ」とは思わないであろう。
しかし、冷静かつ客観的に見れば、それが結論となる。 >>312それアドラー心理学の「目的論」ですね
「行動や感情は目的の為に作り出される」
初めに原因ではなく結果があり、結果の為に人間の感情や目的(原因)が起こる
風邪をひいたから学校を休んだのではなく
学校を休むために風邪をひいた的な話だったと思います >>305
初めから神が自分のために創造活動を永遠に繰り返しているだけだと思いますよ
そもそも人間の中身は意識で、意識は神ですから
神は創る、創る行動そのものが神
てゆーか人間のためだけの世界があると思っていること自体が烏滸がましいですね 神が自分全体の為にひたすら創り出す
創り出したものを体験するために、神が自分の一部を切り離して魂にする
細分化された自分の一部が、大元の神の元に戻るために自己浄化を繰り返す
神の意志と、切り離された方の意志が一致しない
世界ってこれなんじゃないかな、と最近思ってきました >>313
結果の為に原因(人間の感情や行動)が起こるでした
書き間違いすいません
要は原因と結果の法則が逆だってことですね 全人類、もしくは全生物、あるいは鉱物を含む存在する者すべての集合意識
それが神だと見ることもできる 物質は、リアルな立体映像にすぎない
壁は通り抜けられないし、布団はフカフカしているが、それらは電磁気力による結合だ
その背後にある意識こそが真実在 集合意識が、こんな世界を生み出したのだと考える人も多い
しかし、それには疑問も残る
この世界は、明らかに「物質が実在すると人間に錯覚させる」という巧妙な仕掛けが凝らされており、そこに何者かの作為が感じられるからだ
いくら「集合意識が生み出した」といっても、自然発生的に湧き出してきたにしては、うまくできすぎている それ以前に、「なぜ、何もないのではなく、意識が存在するのか?」というナゾが残る 意識だって特別なものではなく単なる物理現象だよ
なぜ物が存在するのかと問うのが正しい >>1
仮想現実を否定できないかぎり、それは哲学もどきであっても哲学ではない。
>>324
物理現象の模様は物理現象ではない。
模様とは「解釈する側によって生じる意味」であって、木目に黒い点が3点あれば顔に
見えてしまうという愚かな科学証明を顔の模様は物理現象だと言う非客観論にすぎない。
他者が反証できないそれを科学とか言い出すんだろ?どこぞの中2病だかしらんが、頭よわいな 頭強いやつがすぐに感情的になって発狂してくる訳か
面白い脳ミソしてるね 仮想現実を否定できないだろ!ってのはカラスが黒いことを証明しろってのと同じ
厨房並の知能 危険な状況になると、内分泌系がアドレナリンを発生させ、それをキャッチした脳神経系が「恐怖」という感情を引き起こす。
これも科学常識だが、この事実を先入観なしで見たならば、「心に感情を起こしているのは、脳だ」ということにならざるを得ない。
人は通常、心というものを、何か特別なものと思っている。
要するに、霊的な存在だと思っている人が多い。
そういう人々にとって、「感情を引き起こしているのは脳だ」というのは衝撃的な事実。
「自我」を演出しているのも、ほとんどが脳の働き。 脳こそは、この世での「人生」を演出するための装置といえる
この世界は仮想現実であり、人生は仮想体験にすぎない
それをリアルなものにするための仕掛けは、じつに手が込んでいる >>329
ちょっとわからないのですが、その
「脳」は仮想現実ではなくて
現実なのですか? >>330
仮想現実であったらということを思考実験としてやるならまだしも
何物でもない君らが仮想現実である可能性をいくら突き詰めても真実には辿り着けないよ
そんな誰にも分からないことを真面目に考えても意味がない >>330
脳も仮想現実だと思いますよ
思考を司っているのは脳ではありません
身体に命令を下すのは、脳と腸ですが >>330
もちろん、脳も仮想現実
この世での人生という仮想体験をリアルに演出する装置 脳と心の関係が重要だ
通常、人は、脳のはたらきを過小評価し、心のはたらきを過大評価している その弊害が何かというと、脳が引き起こしている作用にすぎない思考や感情を、「これが自分なのだ」と錯覚することになる 古代インド思想では、通常、心のはたらきと考えられている「受想行識」をも仮想現実であると断じ、「それは自分ではない」と教えている
こういう、「自分ではないもの」を一つ一つ取り除いた結果、最後に残る何か。
それこそが、本当の自分。 >>341
いや、それはさすがに極論
現実の中から、仮想現実であるものを一つ一つ取り除いていって、最後に残るものがあれば、それが本当の現実 1: 無 職 な 哲 学 (47)
2: 東浩紀458 (76)
3: この世界が仮想現実だとしたら、哲学の意味は? (342)
4: 無 職 は 哲 学 (13) 意識とは何かについて考える必要があるのでは?
科学的に意識とは単なる情報処理なのか?
その信号によって我々が存在するのならば
脳と似た仕組みをもつAIに意識は存在するのか?
例えば僕がSiriに「あなたに意識は存在しますか?」と聞く
そのときSiriは「私には意識は存在しない」と「考えて」答える
そう聞かれたらそう答えるという思考回路が存在するのかも知れない
つまり意識なんぞどうやっても証明できない
今分かってる事実を説明できるような仮説をたてるのが哲学や科学では?
1つだけ分かってることは「自分に意識が存在する」ということ
そこから「人間に」「生物に」「脳に」と仮説をたてていく
最終的にMRIやらなんちゃらで証明した気になって終わる
だが例えば「うんこに意識が存在しない」ことは存在できない
「お前らに意識が存在する」ことも完全に信じたわけじゃないからな! それについては、古代インド思想でも、
「視覚は自分ではない・・・聴覚は自分ではない・・・触覚は自分ではない・・・」
「意志は自分ではない・・・表象は自分ではない・・・認識は自分ではない・・・」
と、一つ一つ排除していった結果、それでも残るものが、本当の自分だという。 じゃあ、残るものは何かってんで、古代インドの偉い人たちが話し合った結果、「アラヤ識だ」ということになった。 AIがどれほど発達したとしても、アラヤ識がない以上、生命体にはなり得ない。 要は、「命のもと」みたいなものが必要だってことですな いかに突飛な考えに聞こえようとも、宇宙が幻影あるいはホログラムであるとする理論は新しいものではない。そしてこの度、科学者たちはその仮説を証明する証拠を発見したと主張している。
イングランド、サウサンプトン大学の理論物理学者チームは、ビッグバンの名残であるとされる宇宙マイクロ波背景放射の調査から、この宇宙が幻影であることを示すサインを発見したと考えている。
宇宙がホログラムであるとは、時間も含め、私たちが三次元の現実として認識しているものを構成する情報が、二次元の表面に蓄えられているということだ。 「三次元の中であなたが見るもの、感じるもの、聞こえるもの、さらには時間の認識もすべて、
実は平らな二次元フィールドから投影されたものだと想像してみてください」とサウサンプトン大学のコスタス・スケンデリス(Kostas Skenderis)教授は話す。
「この考えは、クレジットカードに使用されているような、3Dイメージを二次元の表面にコードした通常のホログラムのそれに似ています。
ですが、ここでの話は、宇宙全体がコード化されているというものです」
あるいは3D映画に例えることもできる。3D映画自体はホログラムではないが、平らな二次元のスクリーン上に三次元の物体があるような錯覚を作り出す。
私たちが暮らす三次元宇宙に違いがあるとすれば、そこでは物体に触れることができ、私たちの視点からは”投影”が”リアル”であるということだ。 物質は存在しない
あたかも存在するかのように見せ掛けてあるだけで、実際には単なる立体映像 「本当は平面なのを、投影して立体映像にしている」という物理学者も多い 世間の一般人も、その意味するところが本当に理解できたなら、凄まじい衝撃を受けるのは間違いない
幸か不幸か、物理学があまりに難解なので、一般人には「ふーん」という感じでスルーされているが というより、この世界の内部の住人にとっては、物質があまりにもリアルなのだ
最先端の物理学を持ち出すまでもなく、百年前から分かってるような事柄だけでも、物質が見せ掛けだけで中身がカラッポのハリボテなのは明らかなんだが、それを真正面から受け止めるのは大胆な発想の転換を必要とする 早い話が、この世の物質というのは、一種の3D映像だ
映像だけど、触るとビリッと来て、「ここに固くてザラザラしたモノがある」というような情報が脳に送られる
そういう仕掛けになっているだけであり、中身は何も無い
でも、この世界に何十年もいると、この世界が本当に存在すると信じて疑わなくなってくる 物理学が難解でわからないというのもさることながら、世間の一般人の多くは、これを「仮説」だと誤解している
確かに、上にコピペした「ホログラム説」などは、最先端の研究者による仮説であり、証明されたわけではない
でも、「この世は仮想現実のシミュレーション」という説でオナジミの内容は、大半が20世紀の前半に発見され、長期にわたる検証に耐えてきた、人類にとって「既知の事実」と言えるものばかりだ
最近は、高校の教科書にだって普通に載っている 「この世は仮想現実だ」という事実を見抜くのに、21世紀の科学など必要ではない
もっと大昔の科学があれば十分だ 世間の一般人は、長年にわたる感覚的な経験から、「物質は存在する」と固く確信している
物理を知れば知るほど、物質が空虚なものであることがますます歴然としてくるのだが、彼らはそれをスルーしている
本当は深甚な衝撃を受けて当然なのだが つまり、頭ではわかっていても、それが「物質は存在する」という強固な確信を揺るがすには至らない
その確信は、それほどまでに強固なのだ ま物理像がいくら変わっても目の前は
変化しないからね
真理が開示された次の日から
どこでもドアが実現とかそういうことは
起こらない
存在するしないが言葉遊びだと
バカでもわかる あるいは、仮説とは思わないまでも、「素粒子レベルでは、そういうことになる」という程度の受け止め方なのかもしれない。
でも、物質は素粒子でできているのだから、素粒子レベルでそうなら、物質も当然にそういうことになる。
物質は、日常生活で感じるような意味では、「存在」していない。
それは、一種の電気信号でできた立体映像にすぎない。
この現実をマトモに直視したならば、深甚な衝撃を受けて当然と言える。 衝撃受けないよ
俺は地球が丸いことに衝撃受けたことはない >>365
「地球は丸い」と知っても衝撃を受けないのは、「地球は平らだ」という強固な確信がないから
強固な確信がないのだから、信念体系が崩壊する衝撃もない >>363
もちろん、それも1つの生き方だ
世間の一般人の大半は、どんなに科学が進歩しても、原始人と同じ素朴実在論のままで生き続ける >>360
波平は、「この世は仮想現実」という考えを、「運知思想」と言っていた >>367
自分は深甚な真理に打ち震えるが
世間は素朴な世界観のままだ
これが幼稚なメンタル >>369
それは、お前が引きこもりで世間の一般人とロクに会話をしていないため、彼らの考え方を知らないから言えること 深甚な衝撃受ける自分に自信クンか
驚くだけならバカでもできる >>372
いや、衝撃を受けるのは当方ではない
「もしも世間の一般人が、この事実を真正面から受け止めたならば、彼らは深甚な衝撃を受けるだろう」
と言ってるだけ 本当は深甚な衝撃を受けて当然なのだが
↓
衝撃を受けるのは当方ではない
小狡い虫ケラだなあwww >>376
わかった、わかった(笑)
そうカリカリしなさんな それにしても、この「この世は仮想現実である」という話に対する、お前の過剰反応はすごいな
よほど、琴線に触れる何かがあるんじゃないか? 考えられる原因としては、「前世はインドの修行僧だったが、みんなと一緒に修行を始めたのに、自分だけ落伍して挫折したので、魂の奥底に深い劣等感を抱え込んだ」とかだな
・・・あ、もちろん冗談だから本気にしないように(笑) >>379
いいから早く「この物理的事実」を具体的に
琴線に触れてるのは具体的な事を述べるのに逃げてる姿勢だ ピーターパン・シンドロームは有名だが、
スレ主は、マトリックス・シンドロームにかかってるね
この世の背後に真理を置き、それを知らない世間を馬鹿にすることを、ニーチェはルサンチマンと名付けた
いつの世もお前みたいなやつがいる
俺だけが世間の知らない真実を知っていると、実は、世間の一人一人がそう思ってるとしたらどうだろう?
お前は、ザ・大衆ということになるだろう
そのばか、逆に、大衆から抜け出す第一歩は、俺は馬鹿だ、何も知らないと考えることだ、
それの方が世間では珍しい、貴重な態度なのだ 具体的な事実を書き込めないから納得出来ないという事実を受け入れられないのか。 >>381
そりゃ、何事においても、マニアと世間の一般人の温度差はそんなもんだろ
AKBヲタだって、「指原莉乃は世間の一般人もみんな知ってるけど、向井地美音は俺らしか知らねーな」って言ってるようなものだ この世が仮想現実で意識が「神」達によるものだとしても
我々の感じる感情に嘘はない
何故考えるのか?それは哲学によって幸福を得るからだ
死が迎えに来るまでに楽しんだもの勝ちだ ニーチェの問題はいわば古典文献をあさるときでもなぜか人間は負けたり勝ったり
していなきゃならないということだよ。そういうイヤな時分から力への意志まで
成長していったんだろう。 >>384
その感情だって、アテにはならないよ
脳神経系や内分泌系が、アドレナリンやドーパミンをはじめとする化学物質を体内で発生させ、それによって引き起こされている面が大きい
それだって「仮想体験」ということだ >>385
「ソクラテス・プラトンが出てくる前のギリシャ哲学」に対する愛着もあったな 感情が何によるものかなどどうでもいい
現に考えることが僕の幸福なのだから 誰が、何のために、こんな世界をつくったのか
それを考えよう ソクラテスは偉人さそれを書物に残したのがプラトン。アリストテレスはそれを分類した。懐かしい人類の記憶さ。価値あるね。 アリストテレスは本業が生物学者なので、分類とか系統にこだわっていた 「犬のイデア」や「猫のイデア」なんてものは存在しない
犬には犬の形相があり、猫には猫の形相があるだけ それは要するに、人間が分類するためにつけた「名前」といってよいだろう
ここから、アリストテレスは唯名論の祖となった 自然現象に興味を持つと、物理の勉強が面白くなるのではないかと思います。
私の場合は、石を投げたときの軌道が机の上で計算できると知ったとき、ものすごく感動しました。
それ以来10年以上勉強を続けています・・・ 石を投げると、それは正確な二次曲線の軌道を描いて飛んで行く
それはまるで、コンピュータが画面に描くグラフのようだ
この宇宙での物体の動きは、一事が万事、その調子 なぜ、この宇宙は、これほど数学的にできているのか?
この問題は、古来から人類をひきつけてきた 名前については禅体験がある。名前だけでも徹夜で語りつくせそうだよ。 石の軌道は、別に二次曲線じゃなくてもいい
アトランダムでも良いのではないか?
これも、普通は「実際にそうなってるんだから、そういうもんなんだろ」で済ませてしまう問題だ 投げることがおかしい事でしょ。と哲学者なら言うだろう。隕石落下なら
職掌でしょうね。哲学者は。 隕石の落下だって、別に重力加速度に比例して落ちてこなくてもいいし、時間に比例して加速しなくてもいい。
アトランダムな動きだとしても不思議ではない。
どうして、宇宙における物体の動きは、これほど数学的なのか。
そして、これほどまでに数学的に正確なのか。 これを、「物理現象が数学的なのではない。人間が、物理現象を数学的に解釈しているのだ」
という考え方も、もちろんある。
でも、これでは何も答えていないに等しい。
これが最終結論だと思える人は、ある意味、幸せな人だ。 どんなに物理が進んでも、すべてが数式で記述できる。
それに外れるものは出てこない。
しかも、人類による物理の探求が進めば進むほど、ますます高度な数学が登場する。
この流れが、果てしなく続く。
宇宙はどうして、ここまで数学的なのか。 星間が星と星の間の空間を指すことはわかりますが、高度100km以上の宙域には
空気はほとんど無いですし、星間気流という表現はちょっと変ですよ(´・ω・`) 逆でしょ
数学で解釈しているに過ぎない
しかし実際には理解出来ているわけでも解き明かしているわけでもない
今ある知識で解釈しているに過ぎないから未来も遠方も測り知れないわけで >>407
18世紀のニュートンやカントの時代なら、そう言っていられた
しかし、21世紀の物理学ともなるとなあ 18世紀には、「宇宙が数学でできているように見えるのは、人間が世界を数学的に解釈しているからだ」という考えに説得力があった
しかし今では、この宇宙が予想を遥かに超えて数学的な構造をしていることが明らかになってきた
このため、数学実在論が復活するに至った なにせ、数学者が、数学の問題を必死で考えて、新しい数学理論を構築する。
べつに、宇宙のナゾを解明しようとして、そうしているわけではない。
単に、数学をやっているだけだ。
しかし、不思議なことに、しばらくすると、それが「宇宙の構造を解明するのに役立つ」と評判になり、物理学界からの問い合わせが相次いだりする。
そういうことが、何百年も続いてきた。
まだ、終わりがない。 昔から同じだろ
人間はそうやって抽象化されたものでしか知覚を超えたものを理解出来ない
余りに貧相な記憶力と演算能力しか持たない哀れな存在だから これは数学で世界が作れないと言ってるわけじゃない
数学でしか理解できない哀れな猿の限界だと言ってるだけだ 人間がコンピュータでシミュレーションするときも、同じだ
まず、「支配方程式」というのを設定する
そうすると、シミュレーション世界内の物体は、常にその方程式の制約下で動くようになる 要するに誰もが直感で感じていることを今まで知る事が出来なかった>>410
君の愚かさが嘲笑されていると言う事に気づいていない鈍さに対して憧憬すら感じる
何言われてもお花畑で暮らせて羨ましいなぁ >>412
人間の記憶力と演算能力はアテにならないが、コンピュータの発達がすべてを変えた >>415
なんだ、お前も、「この世は仮想現実だ」と直感で感じていたのか
それならそうと、早く言ってくれよ(笑) シミュレーション内の構造物に荷重をかけると、プログラムの通りの力が発生して、構造物に歪みが生じる
すべては、前もって定めておいた支配方程式の制約下にある
それを見れば、「リアル宇宙も、こんな感じで作られてるんじゃないの?」と思うのは、じつに自然なこと
このため、宇宙シミュレーション仮説の支持者は、コンピュータ技術者やシミュレーション解析者、ゲームプログラマーが多い 文系の哲学ヲタなら、「宇宙が数学でできているのではない。人間が宇宙を数学的に解釈しているのだ」という、200年前の近代哲学ですでに答が出ていると思うかもしれない。
でも、そうじゃないんだな。
この宇宙は、人間がプログラムを組んで、数式を打ち込んで構築するシミュレーション世界に、あまりにも似ている。
やっぱり、それが宇宙の成り立ちと考えるのが自然だ。 そりゃ人間は世界を理解する為に数学を作りそれで仮想世界作ってるからだろ
君の場合は記憶容量が乏し過ぎて健忘症気味に思考の最中に前提が抜け出ているか致命的に頭が悪いだけだな
これならバカにされても3歩歩けばそれを忘れて幸せに暮らせるだろう
大した才能だな >>419
この考えを持ってる奴が俺以外にもいたとはな
x個の世界が存在していて
いずれそれぞれの世界でシミュ世界が生まれる
そして生まれた世界でも同様にシミュ世界が生まれる
つまり世界は無限に存在する
最初のx個を作った神がいようといまいと
この世界がオリジナルである確率は限りなく低い >>421
神がいるかいないかは別にして、いろいろとシミュレーションの条件設定を変えては、無数の試行をしていると考えられる 仮想宗教。というとピンとこない?宗教の現実は計画生産のコンピュを上回るレヴェルになるでしょうね。 数式のもとは神媒体だから打ち込み系だけじゃないよ。
紙きれを信じますか? 神の時代はもういらないが、生まれる前の事さ、それが再臨されるのも壮絶なさま
であってよいし、静謐とした静かさでもいいのである。 聖書学の方が解釈学的だろうな。数式を空んじたら、さらなる般若心経もいいものだ。 暗唱という文化圏が暗礁に乗り上げても言語が頼みの綱だろう。
ダサい俗物のようで素直で愛らしい、むかつくし、輝いてみせる。 在る 無し にかかわらず永遠に二人の信仰でありなさい。子供は時にはほっといて。 数学的実在について最も古くからある立場で、現在でも多くの数学者は日常的にはこの立場だと言われている立場は「プラトン主義(Platonism)」と呼ばれています。
ただし数学に限っての「プラトン主義」ですので特に「数学的プラトン主義」とも呼ばれて、例えばロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房)にも説明されています。
これは以下の考えに立ちます。
1.数学の諸対象は客観的に、人の知識にかかわりなく実在する。人はそれを発見するのであり、作り出すのではない。
2.数学の諸対象は物理的なものではなく、肉体的経験の時間と空間の外(プラトンによればイデア界)に存在する
3.数学の諸対象は経験の外にあるが、人は(または数学者は)数学の諸対象を知覚できる、または認識できる
4.現実の肉体的経験で認識される諸対象は幻であり、イデア界の諸対象こそが真の実在である 1だけなら数学的実在論(Mathematical realism)に分類される全ての立場の主張であり、私も8〜9割は支持する主張です。
プラトン自身は4の立場ですが、現代の数学者だとまさかそこまで極端な立場の人は希でしょう。
数学者と言えども自然現象に関しては唯物論者が多いと思いますので。
ペンローズは1〜3の立場であり、人間の脳が経験の外にあるはずの数学の諸対象を認識できるということを心脳問題の最重要の謎と考えているようです。
ゲーデルも「感覚的経験から遠いにかかわらず,われわれは集合論の諸対象の知覚のようなものを実際に持っている」と言っているそうです(Ref3,p306)。 プラトンの本業は数学者であり、プラトン主義の根本には、これがある。
プラトンのイデアに関してなされる典型的な説明は、「現実の三角形は、必ずどこかが
歪んでいる。理想の三角形は、イデア界にしか存在しない」というもの。
それでいて、人間は、ギザギザな山を見ても、丸っこいオニギリを見ても、「三角形」と認識する。
これは、人間が「理想の三角形」というイデアを通して、現実を認識しているからだ・・・というもの。
ここから、イデアとは、要するに人間の「観念」であるということになる。
実際に、デカルト以来の近代哲学では、イデア(アイデア)といえば、「観念」を意味するようになった。 一方、アリストテレスの本業は、生物学者だ。
アリストテレスは、動物を細かく分類して、系統に分けた。
現代の分子生物学に基づく精密な系統図と比べたら当然に未熟だったが、これが西洋科学のスタートとなった。
アリストテレスは、師匠プラトンの「イデア」を認めず、代わりに「形相」を持ち出した。
犬には犬の形相があり、猫には猫の形相がある。これはイデア界に存在するというようなものではなく、
現実の犬や猫に備わっている。
結局のところ、これは人間が分類して区別するために付けた「名前」。
ここから、アリストテレスは、唯名論の祖となった。
その唯名論は、現代の言語分析哲学へと、形をかえてつながっている。 「世界とは何か」になってないか?
その全ての意見が正しいとした上で
「それでも考える意味とは」っていうスレじゃないのか?
だったら答えは決まっている
今の意識が嘘だろうとそれは絶対に否定出来ない
嘘でさえ僕にとっては誠になる
哲学によって幸福を得るのであれば続ければいい >>435
この世界が仮想現実だとしたら、「世界から仮想を差し引いたとき、残るものは何か?」が問題になる そもそも、「この世界は仮想現実だ」というのは、2千数百年前にプラトンが言い出したこと
それ以来、「西洋哲学は、プラトン哲学への膨大な注釈である」と言われるように、それを叩き台として哲学が展開されてきた。
だから、この意味では、いまさら感のあるスレタイ しかし、ここでいう「仮想現実」というのは、もっと現代的な意味であろう
「宇宙は巨大な量子コンピュータであり、この世界は何者かが構築したシミュレーションである」という説、これを指していると思われる そうすると、われわれは、自分も含めて、コンピュータ内の仮想人物ということになる
それが事実なら、われわれの人生観や世界観が根底から書き換えられるのかもしれない >>438
「宇宙(量子コンピュータ)」と
「この世界(シミュレーション)」と
「何者か」の関係が、よくわかりません。 >>440
宇宙というのは、宇宙全体という箱のこと
世界とは、自分が認識している領域のこと
何者かとは、宇宙という箱を使ってシミュレーションをやっている存在 われわれは皆、シミュレーションの中の登場人物にすぎない プレステVRでバーチャルリアリティゲームをやってみよう 全てとは何か
@時間論
全て(世界事実意識)は時間によって変化する
時間が決定させるという考え
時間の存在を仮定しそれを軸にした一般的?な考え
A世界論
客観的世界が変化する事で全て(時間意識事実)は決定する
「次第に変化する」物体が集まっているだけで
時間は存在しないかも知れない
時間を次元の1つとして捉えている
B意識論
「主観的意識が世界である」という考えと結びつけた考え
「変化する意識」のみがそこにあるという事を想像しなければならない
個人にとっては意識が全てだから意識のみが存在していたとしてもおかしくは無い
C事実論
「全てが存在し変化している」という事実のみが存在し
今のここは仮想であるという思考実験
この世界が小説やゲームだとか言う考えもこれ ボスキャラ 仲魔 モンスター 悪魔 いろいろ経験してな。 経験値稼ぎでもひとひねり。マッカやマグネタイトなシチュエーションの交渉術。 「見抜く」というと怒りだす奴がいるから(笑)、「気づく」にしておこう >>452
詳しく意見が聞きたい
仮想現実である可能性は否定しないが
それが必然あるいは蓋然であると言う確証はあるのか? >>453
出たな(笑)
これだけ書いてきたのに、これから書けというのか? 問題は、このバーチャルリアリティ世界を構築した何者かが存在するかどうかであろう >>451
気づくと、何かいいことがあるのか?
金なんて仮想現実だと気づくと働かなくても平気になるとか、
虫歯は仮想現実だと気づくと痛くなくなるとか、
痛みは仮想現実だと気づくと我慢しやすくなるとかw? >>456
いや、それとこれとは別問題だ
とくに関係ない >>456
気づく前と比べて、大幅に賢い人になれる
それが最大のメリット 何も変わらない
目が覚めて現実とやらに戻れるわけでもなく
ゲームの世界を現実と呼び、現実をゲームと言い換えるだけに過ぎぬ
実に愚かな事 この世界が仮想現実でも現実でもゲームはゲームだろ
マリオが実在になるわきゃない >>460
そこが、お前のアサハカさだ。
「自分のいるところは、木の上である」と思っている猿。
「自分のいるところは、森林の中の木の上である」と思っている猿。
「自分のいるところは、地球の赤道直下の熱帯雨林の中の木の上である」と思っている猿。
一番賢いのがどれかは、考えるまでもない。
自分のいる場所に対する認識や理解を深めるのは、それ自体に価値がある。 自分のいるところが、天然木の上なのか、それとも、動物園の飼育係さんが育てた木の上なのか?
猿にとっては、「どっちだって同じさ。知ったところで、木登りがうまくなるわけじゃなし」とも言えるだろう。
確かに、その通り。
しかし、現状を正確に認識できている猿のほうが賢いのは、言うまでもない。 仮想現実だったらゲームの中のゲームが実体になるのかと
意味が通じてないのかな
まぁ、どうしても言いたいならお前自身が仮想現実を看破する根拠を発見してからだな
何も理解ってないのにそういう風を装うのは単なる知恵遅れだよ 地球上では人々の精神的な変容や意識の進化・成長が進んでいるという。
この意識の上昇をアセンションと呼ぶのだが、オルタナティブサイト「Collective Evolution」によると、我々は無意識のうちに既にアセンションを経験している可能性があるそうだ。 ほんの80数年前、地球がまだ第3密度に深く閉じ込められていた時、気づきを得た人はほとんど誰もいませんでした。
他の宇宙文明社会からの光の注入によって地球のアセンションができるようになり、それを地球住民の全てが受けられるようになりました。
そしてボランティアたちが彼らの故郷の星からやってきて、地球社会の人間として光を放ちました。
気づきを得て応えた人たちが自分自身の光を送り始め、地球上に増大する光が他の人々の心を揺すぶって開いていきました。
そのようにして、この数十年間にわたってゆっくりと確実に気づきを得た魂の数が増えていきました。
これ以降は、光が強大になり“愛の革命”となって地球を取り囲み、地球の黄金時代が満開になって輝くまで、その数は増大していくでしょう。 >>467
そんな学術的に無価値なバカサイトの見解などに意味はない まず意識の中に世界があるのか世界の中に意識があるのか
存在が確定しているのは自分の意識だけだだが世界の存在や非存在は分からない
しかし意識が世界の中にある物質でしかないのなら意識は存在しない事になるのか?
いいや違う「意識」とは考えると言う事実そのものであり事実が世界によって生まれたていようとも
時間によって生まれようとも存在しないものではないのだ「仮想」でさえ存在するのだから
事実論について物理学的には有り得ないと言われるだろうかしかし有り得ない事などないのだ
意識のみが絶対的に存在しており世界とはそこから生まれた仮説に過ぎないのだ
1+1=2も間違っているのかも知れないそのような思考回路を持っているだけかも知れない
もし人間が電卓機能を搭載したAIを作成した際電子回路を誤って入力した場合
彼の中で「絶対」と言えるものは何か1+1=3は彼にとって絶対だった
しかし「客観的世界」の中では間違いだだがそのAIには「自分を疑う」という回路もない
一生答えが3だと信じ続けるのだ彼は答えを知る事が無かった
彼の中に1+1=2が存在する事はなかったしかし彼の外には存在した
意識が全てならば「パラドックス」とやらが起こる事になるだがそれは単なる矛盾ではないと考える
確かに1+1は3だったのだ彼の中では事実や世界や時間など存在しないかも知れない
意識の中で生まれるものだからだがその意識も事実の中に存在するかも知れない
小説の中に世界が存在するかも知れない存在しない事を科学は証明出来ない
事実が全てだとしてみるその事実は世界や時間によって生まれたものではないだろうか
時間は世界によって世界は時間によるかも知れない可能性のグルグル蝸牛ペロペロキャンディガリ勉眼鏡竜巻
何か?という問いに答えは出せない 全ては何か
@時間論
全て(世界事実意識)は時間によって変化する
時間が決定させるという考え
時間の存在を仮定しそれを軸にした一般的?な考え
A世界論
客観的世界が変化する事で全て(時間意識事実)は決定する
「次第に変化する」物体が集まっているだけで
時間は存在しないかも知れない
時間を次元の1つとして捉えている
B意識論
「主観的意識が世界である」という考えと結びつけた考え
「変化する意識」のみがそこにあるという事を想像しなければならない
個人にとっては意識が全てだから意識のみが存在していたとしてもおかしくは無い
C事実論
「全てが存在し変化している」という事実のみが存在し
今のここは仮想であるという思考実験
この世界が小説やゲームだとか言う考えもこれ
世界は仮想現実だと思ってイキってる奴ら何なん?
俺の考えでは
世界の外側は想像出来ない
>>446の@ABCの思考が無限に続くグルグル論
答えを知る事の無い僕の意識の中には答えは存在すらしない
>>451はそこで思考を止めないで欲しい
もう少しでこの考えになるはず >>471
いやいや、妙にイキリ立ってるのはお前だけだよ(笑) >>470
お前には本当のことは理解できないからあきらめろ だから世界の外側は見えないんだってば
まさかお前が神だとでも言うのか?
理解した気になってる厨二病じゃんか 「本当のこと」(笑)
そこらへんの思考実験見てグッと来ちゃった感じ?黒歴史だよ >>474
本当のことはそとなんて通り過ぎてるから、あきらめろ 「この世界は時間か事実か意識によって成り立っていて
仮に時間によって成り立っていたとしても
その時間が世界か事実か意識によって成り立っていて
複数あるいは単数の「全て」が存在していて
世界の成り立ちについて結論は出せない」
これが結論ですね 哲学者プラトンの洞窟の比喩
古代ギリシアの哲学者は、現実と意識を考えるうえで、「洞窟の比喩」を提唱しました。
簡単に、説明するとぼくらが生きている世界は、図でいう@の洞窟の最深部にいる人たちです。
Aにいる人形を持っている人たちが映し出した人形を「現実」と認識しているということですね。
つまり、影で映し出された現実=仮想現実(VR)に生きているだけで、この世界は意識(イデア)がつくっている。といったところでしょう。 もし、この世が仮想現実で、プレイヤーが他にいるとしたら、おい。俺のプレイヤーちゃんとしろや。と思う人は少なくないでしょう。(笑)
また、仮想現実だとしたらなんなの?俺らに関係なくね?と投げやりになっている人も…
関係、めっちゃあるんですよ。だって、「現実」はないんですよ?
もっといえば、あなたが現実なんですよ?
ぼくら、人間関係、経済面、恋愛で悩むこと多いですよね。もし、この世界が仮想現実だったら、悩むことってバカバカしくなってきません?笑
ゲームや映画に「シナリオ」が存在するように、ぼくらの人生にもシナリオが存在するんですよ。しかも、ゲームや映画とは違って、ぼくら自身が自分のシナリオ書けるんですよ?
やばくないですか?生まれた時点で優勝です。天下とったろ、じゃなくてもう天下とってるんですよ。(笑) 仮想現実じゃなかろうと存在が確定している意識は自分だけだからな
まあ何を天下とするかは人それぞれだけどな 「この世が仮想現実だ」と何度も断言してるアホがいるが
「仮想現実であってもおかしくはない」だけじゃ無いのか? >>482
だから、仮想現実だったら、悩まなくなるのかw?
いつか仮想現実から出て現実に戻れるなら、
悩むことはバカバカしくなるかもしれんが、
それは要するに天国に行って幸せに暮らせるからから死ぬのは怖くないと言って自爆するイスラム教徒と一緒だ。
実際は仮想現実から出られる見込みも、出る方法もないんだろ。だったらそれは仮想現実ではなくて、おまえにとっての現実なんだよ。
あきらめて悩んで働けw >>485
「この世は仮想現実だ」とは言ったが、「この世が仮想現実なら悩みがなくなる」とは言ってないだろ。
お前の脳内対話じゃないか、それは(笑) そもそも、このスレは「この世は仮想現実だ」ということを前提にして、哲学を考えるスレだろ? >>484
いや、そうではない。
この世が仮想現実でない可能性は、万に1つもない。 日本人は全員、岩崎武雄を必修で学ぶべき。
仮想世界うんぬんなんて一瞬で論破できる。 >>490
じゃあ、なんで、読んでるお前が論破できないんだよ?(笑) >>486
悩むのがバカバカしくなるのに、
悩みはなくならないのか。
だったら、いいことなんか一つもないだろw
世界は仮想現実ではないと思ってる奴の方が、
よっぽど賢いわw 確率はでるかもしれないけど分からないってだけだろ
しかも分母は∞じゃなくて未知のxだろ 世界の存在を仮定する
世界に文明が生まれる
文明が発達する
仮想現実を作り出す
仮想現実の中に文明が生まれる
文明が発達する
仮想現実を作り出す
∞の時間の中で∞の世界が生まれる
その中の1つがこの世界である
つまりこの世界が仮想現実で無い確率は1/∞ >>492
「悩むのがバカバカしくなる」と「悩みが無くなる」とは違うだろ
お前はつくづくバカな奴だな(笑) この世が仮想現実だということに気づいて、おカネを稼ぐのがバカバカしくなったとしても、それは、「おカネが無くても生活できるようになる」ことを意味しない
愚かな奴は、なんでもすぐ極論にしてしまう
カント哲学の解説本に傾倒してるようだが、お前の頭じゃ理解できんだろ(笑) >>498-499
誰と間違えてるんだ。
カント哲学なんて知らんわw
いくら自分に「仮想現実だ、仮想現実だ」と
言い聞かせてみたところで、
悩みもなくならなければ金も稼がにゃならんのだろ。
だったら、バカバカしいと思いながらやるより
意味があると思いながらやる方がずっと
得だろと言ってるんだよ、わかるw?
世界が仮想現実だと気づいたところで、
仮想現実から一歩たりとも出られない。
現実に1ミリの影響も与えられない。
現実がどんなだか知ることもできない。
(じゃどうやって気づいたんだという
話だがw)
なら気づいたって何の意味もないだろという
話だよ、わかるw? >>500
この世は仮想現実だと、気づくこと自体に意味がある。
例えてみれば、水槽の中で人間に飼われている金魚がいたとしよう。
金魚のなかには、「自分たちのいる場所が、世界のすべてなんだ」と思っているのもいれば、
「ボクたちがいるのは、小さな水槽の中だ。飼い主が、この環境を作ったのだ」と見抜いた金魚もいるとする。
どちらが賢くて、どちらが愚かかは、言うまでもあるまい。
たしかに、見抜いたところで、これといった利得はないかもしれないが、
小さな水槽の中でのエサの奪い合いが、バカバカしく見えてくる。
かといって、エサを食べなくても生きていけるようになるわけじゃないが。 仮想敵国から考えてみる。若いころほど好戦的じゃなくちゃなりません。 賢い事と愚かな事は重なりうるぞ
「この世界が全てだ」と思ってた奴は幸せだったはずだろ
世界は客観で意識は主観
主観が客観をなしてるかも知れない事を忘れるな
「知らぬが仏」とはよく言ったものだな
まぁ知りたくない奴は元々ここに来ないか >>501
どうにもならない事実よりどうにかなる世界を考える人間と
「ほんとうのこと」(笑)を知ってイキってる人間
どちらがより賢いかは言うまでもあるまい
滑稽だぞ
そんなのお前が働かない理由にはならないからな 「金魚のなかには、「自分たちのいる場所が、世界のすべてなんだ」」
これは見抜いた金魚の身体性の比喩的表現じゃないか 「論証がモーダスポネンスで、その前提が真なら、
その論証は健全である。前提は真である。
従って、その論証は健全である。」
前提が真と言えるのか?言えなければ健全ではない エンタテインメントとしては不健全なほうが好ましいかもね
カルテジアン劇場で上映するならThe Matrixはうってつけだわ 水槽の中の金魚にとっては、水槽の外の世界がどうなっているのかは知る由もない。
飼い主がどういう存在なのか、ときどき落ちてくるエサがどこから来ているのかも知る方法がない。
でも、ここが壁に囲まれる閉ざされた世界であることや、水草が人工的なものであることなどは、よく観察して考えれば、見抜くことができる。
それと同じように、世界内存在である人間にとって、ここが仮想現実であることを見抜くのは十分に可能だ。 そんな傑出して賢い金魚に向かって、周囲の凡庸で従順な金魚たちが、「思考停止して生きろ」と勧めてきたとしても、それは無理というものだ。 当然のことながら、この世界が仮想現実だと見抜いた人は、見抜けない人よりも断然、賢明な人物だ さしたる根拠もなしにそんなこと言ってたら単なるキチガイだろ
世界中の学者よりもオノレは優れてるんかい >>513
学者は、特定の分野に関しては高度な専門知識を持っている
だが、この世界の本質を見抜けないうちは、真の賢者ではない この世界が仮想現実だとしたら、専門分野は何なの?専門の学科はどこなの? >>515
仮想現実の社会を研究するのが社会科学であり、仮想現実の自然を研究するのが自然科学 >>516
何で、嘘ついたの?現実の社会を考えるのが社会科学であり、現実の自然を考えるのが自然科学でしょ? >>517
この世界は仮想現実なんだから、当然、仮想現実を研究するのが科学のテーマだろ >>518
言い方が違ったかな?仮想現実を研究するのはそれでいいんだろうけども。
仮想現実を作った学問は何なの?そこが追及される所でしょ?そもそも、仮想現実は誰が作ったの? >>519
だから、この世界そのものが仮想現実なんだよ。
この世界を研究すること自体が、仮想現実を研究することを意味している。 >>518
現状を考えるのなら諸学でできるんだろうけど
根本を考えるのなら哲学じゃないとムリだろうね
何故、こんなことをしないといけないんだって諸学は考える必要なんてないから
哲学は何故、やらないといけないんだって考える必要がある
哲学をやってるつもりなんだったら、仮想現実を作ったのは何故かってことを考えないと
仮想現実の前には何があったのかとか、仮想現実は誰が作ったのかとか 地球人類が築き上げた現代の経済社会こそ、高度に発達した仮想現実世界の見本だ >>521
そんなの、やりたきゃお前がやればいいだろ
誰も止めないぞ(笑) >>520
君自身でも言い当ててるように諸学であっても哲学ではない
現状を言い当ててるだけであって、根本的な問いではない
自分でも判別してる通りだよ >仮想現実を作ったのは何故かってことを考えないと
仮想現実の前には何があったのかとか、仮想現実は誰が作ったのかとか
そんなの、一生かけて考えたところで、結論が出るわけないじゃないか。
つくづく、愚かな奴だな!! >>521
テーマなんか、なんでもあるじゃないか
「仮想現実での人生に、はたして意味はあるのか?」
「仮想現実で人を殺すのは、悪いことか?」
「仮想現実の世界が滅亡するのは、残念なことか?」
・・・結局のところ、それが哲学の原動力となる。
そもそも、「この世界は仮想現実だ」と言い出したのは紀元前5世紀のプラトンで、「西洋哲学はプラトンに対する膨大な註釈である」とも言われるように、それを叩き台にして哲学史は展開してきている。
つまり、もともと、これこそが哲学の最大テーマなんだな。 この西洋哲学の伝統に対して、真っ向から異議を唱えたのがニーチェ
「この世は仮想現実である」というプラトン的な考えを、「ニヒリズム」だとして批判した しかし、そのニーチェが唱えた「同じ力への意志の永遠なる回帰」という世界観のほうこそ、もっとバーチャルっぽい >>526
仮想現実は何の物理現象でできてるのかとか正体を判明させてあるのか? >>531
だったら、スッ込んでりゃいいじゃないか
たまにはスレタイを読め(笑) >>531
そうなんだよ 何を根拠に言い始めてるのか定かではないんだよ
まるで、仮想現実に手を染めてるから後付けで言ってるみたいな感じを受けるよ 『この世界が仮想現実である(かもしれない)』などという話は
プラトン(あるいはそれ以前)から脈々と受け継がれる
人間によるある種の世界構造なのだ
そしてそれ以上のものではない
ということが、哲学によって分かるわけだ >>533
だったら、スレタイに沿って、「もしも、この世界が仮想現実だったら?」と前提で話をしてみてはどうか?
ここで「この世は仮想現実ではない」と連呼してるうちは、スレ違いの大間抜けのままだぞ つまり、お前がここで展開している話は、完全なる時間のムダ
「この世界は仮想現実ではない」という主張は、ここでは意味を成さない 「この世界は仮想現実である(かもしれない)」という命題には
一切の意味が無い わかるか?
「この世界が仮想現実だったら、哲学に意味はあるか?」というテーマに対して、「仮想現実ではない」と言い張るのは、まったく意味がない
だから、お前はバカだっていうんだ(笑) >>537
だったら、なんだこのスレに常駐して、しつこく書き込み続けてるんだよ(笑)
この、クソ暇人が!! >>539
ここに書き込むのは531が初めてだ
「この世界が仮想現実である」ことの科学的証拠を求めているわけではない
そうではなく
「この世界が仮想現実である」ことを合理的に理解することは不可能だ
と言うのが私の主張だ >>535
>>1は異常者なんじゃいかなって思うんだけど
犯罪に手を染めてない?暴行とか侮辱とか、そっち系の異常者の匂いがする。
そうじゃないと、世界が仮想現実だなんて思わないもの。 >>540
なんだ、いつものスレ常駐者とは違うんかい? >>541
ちなみに、このスレに大量カキコしてるのは自分だが、スレを立てたのは別の人 >>541
いや、お前を罵倒しているからといって、別に犯罪者というわけではない
単に、お前をバカにしているだけだ(笑) そもそも、「この世界が仮想現実である(かもしれない)」とは、何を言っているのか
落ち着いて考えてみたまえ
「この世界」ではない"世界"があって
それが脳に働きかけて「この世界」を作り出している、と
つまり「水槽脳であることを否定できない」と
そういいたいわけだな
違うのか >>545
そう来るか
それも一理あるが、えらく飛躍したな ほう飛躍してるのか
では「この世界が仮想現実である(かもしれない)」と、その可能性をお前が想定できる根拠は何だ? >>547
ちょっと待て
「この世は仮想現実である」という話と、「われわれは電極をつないで幻覚を見せられている水槽内の脳である」という話が、お前にとってはイコールなのか?
それ飛躍しすぎだろ、いくらなんでも(笑) >>548
だから、飛躍していると言うのであれば
「この世は仮想現実である(かもしれない)」と、その可能性を想定できる根拠は何だと
そう訊いているのだよ >>549
そんなの、1つや2つのレスで書ききれるわけないだろ
今までだって、いくつものスレに大量に書いてきている >>550
ためしにそのうちの一つを上げてみれば良いではないか 早い話が、「これからも書き続けろ」というリクエストなんだな? >>551
だから、1つや2つじゃないんだ
最初から書き直さないといけない まあ、当方はこのテーマのマニアなので、これからも書き続ける
このスレが終わっても書き続けるだろう
お前はマニアではないが、バカな暇人だから、これからもせいぜい「この世は仮想現実ではない」と連呼し続けてくれや(笑) >>552
わたしを相手にして心が折れなければ、好きにすればよいだろう >>553
全部説明しろとは言わない
どうせ名無しだろ
おまえの主張がどこから始まって、どこまであるのかなんか
誰も知ったこっちゃないんだよ
論拠を言ってみろと
そういうことだよ
幸い、年末で時間はたっぷりあるからな >>555
いやいや、お前のことなど、マジメに相手していないよ
今日は年末で、たまたまお前に付き合えるほどヒマだっただけだ >>556
「この世界は仮想現実である」というのが結論 >>544
はっきりさせてくれ、仮想現実の業務に従事してるってだけじゃないんですね? なんだ根拠の一つも挙げれないわけか
つまり「なんとなくそんな気がする」の域を出ないわけだろ、どーせ >>558
あー、結論ありきってことだな
だがそれは宗教だぜ >>559
まあ、職業的にはその方面だけどねえ
コンピュータ内のシミュレーションで、建築物や土木構造物に対する地震の影響を解析する仕事をしている
文系だけど、技術者を集めて解析の講義をするほど数学にも強め 「この世界が仮想現実である」という命題が成立するためには
仮想ではない「本当の世界」あるいは「本当の現実」の存在が想定可能であることが
そもそも前提だ
なお且つ、その『本当の世界』には「この世界」を成立させるのに十分な内容が要求される
だがどれだけこねくりまわしたところで、、そんな想定は結局不可能なんだよ 建築屋か?
断面二次モーメントとか、当然理解してるわけだな >>563
だから、んなことないんだってば
上に書いた「水槽内の金魚」の例えがそれだ
金魚にとっては、飼い主がいかなる存在で、ときどき撒かれるエサがどこから来るのかなど、知る由もない
だが、賢い金魚なら、自分たちのいる世界が水槽によって構築された仮想空間であり、水草なども人工的なものであることは、よく観察すれば分かること
同じように、世界内存在である人間も、「この世界は仮想現実である」ことを見抜くには、この世界を観察すれば足りる 文系なので図面には弱いが、数学とコンピュータには滅法強い(笑) ちなみに、大学は経済学部で、これまた数学で企業行動をシミュレーションする話をやってた
つまり、当方のシミュレーション仮説は、数学・物理学・経済学の素養に裏打ちされてるんで、根が深い >>565
あー、つまり我々は「水槽内の賢い金魚」のようなものだと
そういうことか
しかし「この世界は仮想現実である」ことを見抜くのに、この世界を観察すれば足りるのであれば、
よくよく観察した現実は仮想現実ではないってことになるだろ
それとも、「よく観察する」ことは、未知への不安を引き起こすことができるだけなのかね そもそも、「物質は、原子や分子でできている」という、中学の理科でオナジミの19世紀の物理だけでも、物体はわれわれが日常生活で実感するような意味で「実体」がある存在じゃないのは明らか
さらに20世紀の物理では、素粒子の研究が進み、原子の内部は、カラッポの無に等しいという衝撃の事実が明らかとなった
物質は、われわれが日常に感じるような意味では「存在」していない 17世紀のジョン・ロックの時代には、まだアボガドロの分子説もドルトンの原子説もなかったが、ルネサンスで再発見された古代ギリシャのデモクリトスの原子論をベースに、粒子仮説が流行していた
ジョン・ロックが、近代的な認識論を始めた 目の前に、赤いリンゴがあるとしよう。
リンゴは、本当は赤くない。
それは、波長の短い可視光を吸収し、波長の長い可視光を反射しているだけだ。
人間の脳は、波長の短い可視光線をキャッチすると、「青い」と認識する。
波長の長い可視光線をキャッチすると、「赤い」と認識する。
リンゴが赤く見えるのは、そのためだ。
本当は、リンゴには色など無い。
色彩は、人間の脳内現象。
こういう、今でいう「クオリア」理論みたいなのが、ジョン・ロックの頃から流行りだした。
(続く) >>570
根本的なバカな勘違いとして
実体とか存在に対しての認識を君が誤謬していたにすぎないんだろ?
それがある時に波だと霧のような状態だと知った訳だ
それが何故いきなり仮想的の証拠と飛躍するのか
霧や波のようなものが世界のありようだと再定義されただけだろ
それなのになぜか本当の世界とやらには量子科学の知識を知る以前のような実体があってそれが現実なんだと言い張るんだよ
無知な過去の自分の認識を肯定したいのか?w
ほんとの世界は量子科学とは違うもっとこうふわふわしたものじゃない固い実体があるんだってさw
もうほんとバカだなw 量子の世界が示したものはミクロに見ていくと人間の感覚器官から得られる感覚とは違った様相示しているという事だけ
それ自体は仮想世界の照明にはならないんだよ
それを証拠だと言い張るならそれは自分の感覚・経験でしか物事をとらえることができない貧相な君の知性と創造力
仮想世界を思いついた俺スゲーじゃなく
全く逆に自分の感覚でしか物事うまく捉えられないバカってこと >>570
そうだな
「物質が原子や分子でできている」というのも
原子には内部構造がある、というのも
現代における「科学的常識」だ
いまやその常識を含めて「この世界」が成立している
ここからが大事だからよく聞けよ
その科学的知見というのは、「観測される現象を合理的に説明できる虚構(モデル)」
によって構成され得る
原子も電磁波も重力も、すべて虚構
虚構だが、それが単なる妄想と区別されることの根拠は
それによって現象を説明できる、世界を合理的に理解できること、この一点のみ
「それこそが重要だ。それ以上に優先されることなど無い」
と言うなら、それでも良い
おまえはそうなのか >>573
だから、1つや2つのレスで決めつけるなよ
しょーがない奴だな(笑) >>575
また始まったな
「この世界は仮想現実である」とは言ったが、「この世界は妄想」とは言ってないぞ
お前の論法は、全部それだ
だから、こっちはお前をマジメに相手してないんだな(笑) >>573
この堅固に見える目の前の物体が、実は、素粒子レベルでは、霧や波みたいなものであった。
それをマクロな目で見ているから、物体に見えるんだ。
・・・てことは、目の前の物体は、自分には物体に見えるだけで、実はそうじゃないってことだろ?
これだけでも、「物質は、じつは存在しないのではないか?」という疑いを持つのには十分だ。 >>577
「この世界は妄想」などと君は言っていない、それぐらい私にも分かっている
わたしが君に尋ねているのは以下のことだけだ
君は現代科学(=世界を合理的に説明するために作られた虚構)のありようこそが
「この世界が仮想現実である」ことの根拠である、と
そう言いたいのかね、と
わかっていただけたかね 原子は、原子核と電子でできている。
原子核は、陽子と中性子でできている。
水素原子の原子核は、陽子1個。
というより、陽子こそが、水素原子の原子核そのものだ。
原子の大きさを東京ドームとすれば、原子核の大きさは、ピンポン玉1個分。
残りは、何もない空虚だ。
東京ドームのように、外側に殻があって、内部が空洞というわけですらない。
本当に何もない空虚だ。
その原子核の周囲を、電子が覆っている。
電子は、大きさの無い点でしかない。
原子核はプラスの電気、電子はマイナスの電気を帯びている。
電子が原子核の周囲の巨大な空洞を覆っている。
というのも、電子には、「粒子であると同時に、波でもある」という性質がある。
この場合は、波としての電子が、原子核を覆っているというわけだ。
原子核と原子核は、それぞれプラスの電気を帯びていて半端する。
この性質のおかげで、原子はお互いに適切な距離を保ち、金属の場合は規則ただしく整然と配列されている。
それを、われわれ人間がマクロな目で見れば、物体に見える・・・というわけ。
ミクロな目で見れば、そこには何もない。
ただ、プラスとマイナスの電気を帯びた、大きさの無い点が並んでいるだけだ。
人間には、そこに物体があるように見える。
でも、じつは、何もない。 「ミクオな目」などというのは、
「現象を説明する目的のために構成される、目に見えない(と断定された)諸要素の振る舞い方」
ぐらいのことでしかないのだ 手が、壁に触れたとする。
壁を構成する原子たちは、上に書いたようなプラスとマイナスの電気の巧妙な組み合わせで、ガッチリとスクラムを組んで、手を通さない。
手の表面の原子の電子雲と、壁の表面の原子の電子雲は、ともにマイナスの電気を帯びており、互いに反発する。
それを手の神経は、脳に伝える。
脳は、それを「手が硬いモノに触れた」という触覚情報に変換する。
それが、この物質世界の仕組み。
なんのことはない、「電気信号に手が触れて、ビリッときた」というだけのこと。
それを、「触覚」というリアル感のある情報に変換しているのは、われわれ自身の脳だ。 「現代科学が明らかにしたミクロの様相」が少なくとも「本当の世界に近い世界」であって、
それは日常感覚的な世界とはまったく異なるものだ
・・というのがおまえさんの「仮想現実」論の根拠なわけだ
だがな、そもそも古代から現代まで、科学がやっていることは
「現象を説明するモデル」の優劣をめぐる争いでしかないのだよ
そしてその優劣は、「本当の世界の様相に近いかどうか」ではなく、
どれだけ多くのことを効率的に説明できるか、で決まるのだ
これが哲学の意味、だな 君らはね
実際の自然には色などというものはなく、電磁波の波長に応じて三種類の
網膜細胞が興奮し、それが脳に伝わって、ごにょごにょして色という感覚が生じる
というテーゼを信じているだろう
だけどね、それというのは、自然的(ほぼ強制的)に構成される『世界構造』の中で
そのような説明を由としてしまうだけなんよ >>562
他にも、何かやってませんか?耐震系のコンピューターの仕事で世界が仮想現実だと思い込むはずがない。
宗教などは? >>586
だから、理系じゃないんだって
文系だけど、数学も並の理系よりできるから解析の仕事をしてるだけだ おまえが理系とは思ってねーよ
理系でも陥りがちだってこと
科学にカブれた文系でなおさらよ
しかしちっとも根が深くならねーぞ もとから理系だったら、こんなに哲学に詳しいわけがないだろ >>589
よく言うよ(笑)
ちなみに、学生時代は文系として全国でもトップクラスだったぞ
理系ジャンルに関しても、まあ理系のトップ連中にはかなわないが、並の理系よりはずっと強い >>585
まあ、宗教に関しても、お前よりは詳しいだろうな、多分 >>591
本当に「できる」やつは、そんな無様な風呂敷広げたりしねーもんだぜ
ところで、もう終わりだな
>>580>>582あたりが君の領域ということだ
君は、ほとんどの人間が
「見えるままの世界」より「科学によって説明される世界」を信じるのは
どうしてだと思う? >>594
そういう問題じゃないだろ
雷がゴロゴロ鳴って、ビシャーンと稲妻が落ちてくるのを、昔の人は雷神様が太鼓を叩いてるんだと思ってた
科学で解明されたおかげで、単なる放電現象だってことが分かった
それだけの話だろ >>594
「見えるままの世界」を信じるのなら、「月の大きさは五百円玉と大差ない」ということにたる
「科学によって説明される世界」だと、月は五百円玉などとは比べ物にならないほど巨大だ
お前は、前者を信じろと言うのか? >>597
こちらには、お前のほうこそ、変な新興宗教の狂信者に見えるんだがな
普通の人が、この問題にこれほど異常な執念で粘着するわけがない >>596
だから
「雷神様の太鼓」より「単なる放電現象」として理解することを人間が選ぶのは
どうしてなんだ、と
そう訊いているのだよ >>599
分かった。電磁波で襲ってるヤツラだろ。掲示板を根城にしてるらしいから。 >>598
見えるままの世界で月の大きさが500円玉と大差ない、と君が判断する根拠は
よく分からんが、まあそれはどうでもいいわ
おまえに、それを信じろとは言っていないわけだ
どうして人間は、科学によって説明される世界を信じるのか、君に分かるか?
と、そう訊いているわけだ
意味わかるな? >>600
別に、全員がそちらを選ぶわけじゃないだろ
「雷神様の太鼓」と信じたい人がいるなら、それはそれで、別に構わない >>603
「月の大きさ」の話は、デカルトの「方法序説」にも出てくる「人間の直感はアテにならない」という有名な例
それはともかく、別に科学を知らなくたって、生きていけないわけじゃない
お前が信じる道をゆけ
誰も止めはせん >>601
唯物論は、情報理論としてリニューアルされる >>603
別に、現代の物理学を知らなくったって、「この世は仮想現実だ」というのを見抜くことはできるぞ
それを言ったら、古代インド人はどうなる >>604>>605
全員が、ではなく、ほとんどの人間が、と言ってるだろ>>594
まあ、あれだ
君は答えたくないわけだ
よく分からないからそんな腰の引けたレスしかできないわけだ
分からないと答えてもらって良かったのだよ
なぜなら私もよく分からないのだから
いろいろ考えることはできると思う
・矛盾が無い
・再現性、普遍性がある
・制御可能性に通じる
・神秘であるより理解を求める
だけど、もしそう答えたら
「それはどうしてか、なぜそれを選ぶのか」
姑息な低能なら再びそう尋ねるかもしれない
だけどわたしは紳士だからね
よく聞けよ
無条件に科学を信用して良いのなら、「この世界が仮想現実である」わけがないのだよ
どこまでも科学を追求していけばよい世界が、この世界なのだから
だけども、本気で「この世界が仮想現実である(かもしれない)」その可能性を考えるということは、
まさに、雷が単なる放電現象ではなく、それが実は雷神の太鼓である、その可能性までを考えて
ようやく最初の入り口なんだよ >>578
だから存在という概念への誤謬だと言っているんだが
これがわからないからバカだと言っているんだけどね^^; >>607
古代インド人か
現代物理学を根拠とした論陣は棚上げするわけだな
わたしは別に構わんが
で、どこの古代インド人の誰が何を言ったのだ? 仮にこの世が情報だとしてそれはどういうものなのか説明してくれ
量子が情報だと光が情報だとかじゃなくて
情報じゃない世界とは何なのか
そしてそれはどんな世界でなぜそれがあると思っているのかをね
ここでまた戻るわけでしょ
それまで自分が信じていたもの
誤解・誤謬していた物事への理解
結局誤解していた昔の感覚にすがっている説に過ぎないんだよ >>612
代表的なのは、釈迦とかシャンカラとかだな >>610
だから、そんなの人それぞれで、どうでもいいんだって
「地球は宇宙の中心だ、太陽や星は地球の周囲を回っているんだ」というのも、見方を変えれば真実だろ >>613
なんで、お前に説明する必要があるんだ(笑)
今日はたまたま年末でヒマだからレスを付けただけであり、普段ならお前のツッコミはスルーだ >>615
ああ、どうでもいいわけか
そうすると、>>572>>580>>582は、ただ現代科学の常識を言ってみたかっただけ
って話になるが、それで良いのか
この世界が仮想現実である話は、それとは関係ないわけだな
で、古代インド人がどうしたって >>617
古代インド人はあの世の世界を知ってるんだから間違いないんだよ
ハッハッハッハーーーーッ(笑)(笑) >>516
>仮想現実の社会を研究するのが社会科学であり、仮想現実の自然を研究するのが自然科学
それなら、仮想現実の物質を研究するのが物理学ということになります。
素粒子がどうとか電子報がどうとかいう話は、すべて仮想現実の世界の実験や観察に
基づいた研究の成果であって、どこかにある現実世界とは何の関係もありません。
仮想現実の天体を研究するのが宇宙物理学、仮想現実の生物を研究するのが生物学、
仮想現実の経済を研究するのが経済学、仮想現実の過去の出来事を研究するのが歴史学、
仮想現実の法律の解釈を研究するのが法律学、仮想現実の病気の原因や治療を研究するのが医学、
…ということになります。
それなら、>>1の答えは簡単で、「それら個別科学の成果を参照しながらも、
それを俯瞰的に総合して、仮想現実世界の根本を研究するのが哲学」みたいなことに
なるしかないでしょう。要は、世界が現実であっても仮想現実であっても、
あまり変わりません。
どうも、「哲学だけは、それら個別科学を超越して、仮想現実の外部にある
現実世界を知る特権的な力がある」というようなことを言いたい
人がいるようですが、哲学にそんな超能力みたいなことを期待しても、無理というものですw
むしろ現代の趨勢としては「個別科学があれば十分で、哲学って要らないんじゃね?」
という疑問が膨らんでいるというのが実情です。
現に、ざっと見た限りこのスレで出てくる「現実世界」についての話はほぼすべて
物理学の話に終始していて、狭義の哲学とあまり関係がないのが、その何よりの証拠と思われます。 >どうも、「哲学だけは、それら個別科学を超越して、仮想現実の外部にある
現実世界を知る特権的な力がある」というようなことを言いたい
人がいるようですが、哲学にそんな超能力みたいなことを期待しても、無理というものですw
このスレのやり取りを、かなり誤解してるようだな
それを言い張ってるのは、「この世は仮想現実である」という話が始まると、条件反射的に怒り出す変な奴だけだぞ?(笑) ヒンドゥ教では神が世界を創造した理由を「戯れ」であると説明しています。
すべての始まりが、「ああ、退屈だ、何かして遊びたい」という神の想いであった、というのは、一見すると信じ難い話です。
霊的な人ほど、「人生や現世は魂の修行の場である」と思い込みたがります。むろん、それは間違いではないと思います。しかし、一方で、もともと完全だった神が、わざわざ不完全な「多」に化けた動機や必要性をうまく説明することができないのも事実です。
つまり、それは究極的には目的ではないのです。 なぜ神がこの世を創る必要があったのか、その動機を推察することが鍵を握ります。魂の修行というのは、たしかにその通りですが、結局はそういう「遊び」なわけです。
「小さな神様」である私たちもまた同じ性(さが)を持っている真実を思えば、それほど荒唐無稽な話ではないことがよく分かります。
私たち大人は生活していくために働かねばなりませんし、それが結構な時間潰しになっていますが、その義務を負わない子供たちは、とにかく何かして遊ぼうとします。
ここに神様の本来の性質がもっともよく現れています。
大人でも定年になれば、結局「何か暇潰しをしよう」とします。
仕事を抱えている人でも、オフの日は、大自然の中で山登りや釣り、スキーやスキューバダイビングなどに夢中になることで“童心に帰る”ことができます。
神様の凄い点は、そのために宇宙を創ってしまったことです。
もちろん、それは時間・空間・物質などで構成されていますが、神様にとっては空想の世界です。
それはしばしば「夢・幻・虚構・仮想現実」にも例えられます。 神様はその中において「多」となり、また「一」へと帰還するゲームを始めたわけです。そのプロセスにおいて、自ら創造したバーチャル世界の中で戯れているわけです。
まさに、それが私たちなわけですね。
私たちが退屈に耐えられないように、神様もまた疑似体験を欲するわけです。
だから、最近、私たちはVRゲームを作って“その中で楽しむ”ようになりましたが、それは無意識のうちに神様を真似ているからです。
むろん、神様の創ったVRゲームに比べれば、私たちのそれはまだまだ児戯に等しいと言えます。
なにしろ神様のそれでは、記憶を消して自分が本当は何者であるかを忘れることもできます。だから、本当は疑似体験なのですが、ますますリアルな体験だと錯覚するわけです。
そして「この世界の不思議」に魅了され、「誰が創ったのだろう?」と思いを巡らせ、様々な謎を解こうとします。
なんと壮大で素晴らしく、そして巧妙な仕掛けでしょうか! 「一」が「多」となり、また「一」へと帰還するサイクルは、地球上の水の循環とよく似ています。
海から水蒸気が立ち上ると、それが風に乗って山へとぶつかり、雨を降らします。
雨は次第に集まり、小川に注ぎ、いくつもの支流と合流して、やがて大河となって再び海へと融合します。
これは私たちが神へと融合する原理と同じです。 >>616
なんだ
漸く自分が馬鹿だと認めたのか
バカは悲しいよな
来年は勉強してこいよ >>628
いや、残念ながら、これからは話題が変わって、インド哲学の話が中心になる(笑) まぁ別に良いんだけどな
バカはバカらしくバカ言ってれば済む話だ
説明出来ないのは当然
俺の言ってる事が簡潔かつ完璧にお前の過ちを示しているからなw ホログラフィック原理(ある体積を持つ時空の中で起きている事象は、その体積の境界で起きていると説明できるとするサスキンドとトフーフトの理論)によると、3次元空間は「ライトシート」と呼ばれる2次元面に書かれた情報から出現する。
この理論は、全宇宙は宇宙の地平面上に「描かれた」2次元の情報構造と見なすことができ、我々が観測する3次元は巨視的スケールおよび低エネルギー領域での有効な記述にすぎないことを示唆する。
「ライトシート」は内部で起こる現象を記録するフィルムではなく、むしろこちらが万物の源であり、粒子やその間に働く力、時空をつくりだしている。
宇宙はコンピューターのようなもので、その内部の情報が、物理的実体を作り出している。 この可視の物質世界は、宇宙の外側(または別次元?)にあるプラトン的世界(=数学的構造)の投影である。
物質的世界は、プラトン的世界の一部から生じます。
だから、数学のうち、一部だけが現実の物質世界と関係しているわけです。
次に、物質的世界のうち、一部だけが意識を持つように思われます。
さらに、意識的な活動のうち、ごく一部だけが、プラトン的世界の絶対的真実にかかわっているわけです。
このようにして、全体はぐるぐる回っていて、それぞれの世界の小さな領域だけが1つにつながっているようなのです。
ロジャー・ペンローズ『ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』 プラトン的世界こそ本質であり、量子的計算が行われてこの宇宙の物質が生成されている。
この物理世界は基本的には巨視的スケールでニュートン力学が支配しているが、
微視的スケールまで拡大していくと破綻するのは、この投影時の量子的計算のためである。 宮元の著書は構成や切り口も凝る。本書もタイトルの『インド哲学 七つの難問』がすでにして注射が効いていて、挑戦的で刺戟に富んでいた。
用意した7つの難問は、そんなに大上段に構えて大丈夫なのかというものばかりである。
ざっと、
(1)言葉には世界を創る力があるのか
(2)「有る」とは何のことか、また「無い」とは何か
(3)本当の「自己」とは何をあらわしているのか
(4)それなら無我説は成り立つのか
(5)そもそも「名付ける」ということはどんな根拠はもとづいているのか
(6)では、いったい知識は形や影をもつのか
(7)総じてインド哲学では、何が何の原因なのかをどのようにして決めるのか
というふうになる。 インドの瞑想哲人たちは、解脱をめざした。
解脱とは、輪廻転生からの卒業 それぞれ論じ方は異なりますが、基本的にどの学派も、生=苦であり、その苦を解消するために解脱が必要だという出発点から、「いかにして解脱は可能か?」という問題に取り組んでいます。
たとえばサーンキヤ学派は、意識が世界のありようを完全に見て取れば、それで解脱が起こると主張します。
その一方で、ヴェーダーンタ学派のシャンカラは、梵我一如が初めから達成されている(私たちはそもそもブラフマンと合一している)ということを認識することが、解脱のための条件であると指摘しています。
また、ヴェーダーンタ学派のラーマーヌジャは、そもそも認識ではなく最高神への帰依こそが解脱に必要なのだと主張しています。 第一に、「すべての人は神様である」ということです。
神様が人の姿を一時的に借りているだけの存在、それが人間である、と。
人間がみな神様であるということは、本質的にはいかなる優劣も存在しないということです。
これは世俗の人間平等思想の建前から自分でも信じていない美しい観念論を偽善的に述べているわけではなく、インド哲学的には事実そうであるということです。
私たちは究極的には神様から出て、また神様に還っていくだけの存在です。
それはちょうど、大洋から立ち上った水蒸気の辿る道筋と似ています。湿った空気は、陸地の山脈とぶつかって雨となります。
小さな水滴は長い旅路を経て、最後は再び海へと融合します。一滴一滴の辿る経路は違いますが、ゴールはみな同じです。
ただし、その過程において個々の魂に霊的な進化の差が生じるのも確かです。
しかし、それは単に「神へと向かう旅」において、少しばかり先にいるか、それとも後に位置するか、という程度の話であって、根本的な優劣を示すものではありません。 第二に、「この世は仮想現実である」ということです。
インド哲学ではこの世は「マーヤー(幻)」であると説明しています。
ブッダさんはこの世は「空」であると説きました。いずれも同じ意味です。
つまり、今風にいえば「この世はバーチャル・リアリティである」ということですね。
私たちはこのVR世界におけるアヴァターに過ぎないということです。
ブッダさんは、人は解脱した後、名と姿を持たなくなるといっています。
逆にいえば、物質的存在の私たちが持つ名前と姿形は、一時の仮ものということです。
しかし、私たちはこの世界をリアルな現実であると思って生きています。ある意味、それは人類最大の錯覚です。
ただ、それでいいのです。人間の創ったVRゲームでも、できるだけそう錯覚させようとするではありませんか。
もし誰もが簡単にブッダさんみたいに世界の実相を喝破してしまったら、ゲームが面白くないじゃないですか。
私たちをこの錯覚へと導くのは、実に精妙な五感の働きです。
私たちは五感の情報が客観的事実そのものであると疑いませんが、真実には脳が電気信号を自分流に翻訳しているにすぎません。
しかも、性能の範囲内で探知しているだけです。
ですから、動物は種の違いによって認識している世界も異なっているのです。 第三に、「人は生まれ変わりを繰り返す」ということです。
これは強制なんですね。もちろん、根本的には、元は神様であった私たちが自身にそういうルールを課したわけですが、私たちのレベルではある種の理不尽です。
輪廻転生は神的法則に支配され、この仮想世界におけるアヴァターの属性に過ぎない性別・民族・人種の枠を完全に超越します。
また同じ性や人種の枠内であっても、その肉体性ばかりか社会的な役割さえも常に変化するよう仕組まれているようです。
美しい容姿、醜い容姿、大柄で強靭な身体、小さな弱々しい身体、金持ち、貧乏人、支配的、被支配的・・等など、
あえて様々な役柄とそれによって必然付けられる人生を経験することによって、魂の成長は促されます。
逆にいえば、それが固定化されると、私たちは学ぶ機会の多くを失ってしまいます。第一、それでは「面白く」ありません。
もっとも、転生によって様々な役割を演じるといっても、その人がある生で努力して獲得した人格や才能は、次の生においても受け継がれていくようです。 古代インドの聖賢たちによれば、この世はマーヤー(幻影)だ。
夢マボロシのような存在である物質を、リアルなモノに見せているのは、脳による五感の働きだ。
素粒子理論も脳科学もなにもなかった大昔に、どうやって彼らがそれを知ったのか。
それはわからないが、とにかく、これは二千年以上も前から、人類の一部には知られていた事実。 インド哲学の思想家達も「全ては幻で存在しないんだ」という人もあれば「いや、そこまで極端じゃない。存在はしているが最小の構成要素が意識で出来ているだけだ」という人もいたり、
更に、「解脱するためには自分が肉体ではないという自覚を持ちさえすればいい」という人もいれば、「神への信仰心こそが解脱への近道だ」という人がいたりで六派哲学とかに分化しています。
ですがどれも人間が肉体ではなく神であることを主張し、死後の根本創造主への融合を目指しています。
インド人の知的階層の大半はこの話を信じており、朝夕マントラを唱えるなどの何らかの個人的な努力をしています。
我々日本人も霊性の大国インドの文化に学び彼ら哲人達の知恵を租借していくべきではないでしょうか。 人は人 神は神だ。人間から神にあがれるわけ殆んどなかろう。 この世がマトリックス(仮想現実)であることを、これまで何度も僕はこのブログで主張してきました。
数えきれないほどの不可思議体験をしてきたから、そう確信が持てるのです。
ある霊能者の方が、上から雨のように数字が落ちてくるのが見える時があると話していました。
映画「マトリックス」の冒頭で、それとまったく同じ映像が流れたので、その方はこの映画は本物だと思ったそうです。
最近僕は瞑想する時、上から数字が落ちてくるのを想像しながら、自分は高度な文明を持つ異星人が作ったコンピューターの中にいて、
自分のこの肉体もこの建物もこの大自然も、すべての物質という物質はそのコンピューターがシミュレートしたもので、
本物は容れ物に過ぎないこの肉体の中にあるということを強く意識するようになりました。
そしてその本物は、限られた人にしか感じることの出来ない高い次元と繋がっていて、
自分も瞑想で訓練を積めばその次元と繋がることができるかもしれないと考えるようになりました。
つまりこの宇宙全体は、たったひとつのコンピューターの内部に過ぎないということです。 宇宙人とやらが10進数や16進数で計算しているとなぜ思うのか
そもそも自分の価値観・知識の範囲で世界の外を想像している貧困な想像力に何故気付けないのか
仮に外の世界があったとしても其奴らは想像の範疇から大きく外れたものだと思わないのか?
さらに言えば仮想世界である必要すらない
SFで言うならプロメテウスや銀河ヒッチハイク・ガイドのように地球そのものが実験場、演算装置と考えても良いわけだ
自然公園や人工的に作られた箱庭的なもので研究していても良いわけだろ 楳図かずおのマンガであったな
実は私達はミクロな存在で宇宙は消しゴムのカスくらいしかない
より大きな世界があるという はっきり言って君ら地球人には失望しているんだよ
あまりにも発達が遅い
何で私達のレベルにまで来れないのか?
早く登って来いよ! インドでは”私”と言ったときには、二種類の”私”が立てられます。
自己の定義は、認識主体であり、認識対象にはならないことです。
反対に、心と身体である自我は認識対象であるため、認識主体と混同してはならないとされます。
この2つを私たちは日常的に混同してつかっています。 認識できるかどうか、ということで考えてみると、
前者の場合、歩いているときの身体の動きや悲しい時の心の動きを認識することはできるでしょう(粗雑な感覚か微細な感覚の差異はあれど)。
反対に後者の場合の「心身と異なる〈私〉」は、前者の「心身としての私」を認識する主体ですから、絶対に認識することはできません。
認識できる、と言うとその瞬間に認識対象になるため、「それを認識した認識」、「認識した認識の認識」と無限遡行にはまり込みます。
ここから認識主体は認識対象でないが故に、認識できないという帰結になります。
ですから、認識対象にならない主体を、議論のテーブルの上に”そのまま”乗せることは原理的に不可能です(まず客観的に実在するという形式にのらない)ので、証明することができません。
ここから、自己は世界という認識できるものの関連外にあるとして、世界の中にある自我(=心身)とは区別されるべきだとされます。 早い話が、インド哲学では、世界内存在としての「自我」の他に、世界外存在としての「自己」を考え、この2つを区別している。
この2つを混同することが、迷妄の原因と考えられている。
それが、インド哲学の特徴だ。 「自己」は、「自我」を客観的に観察することができる >>655
カルト臭いね 犯罪に手を染めてる口だろ 捕まってないだけなんじゃないか? 規模が大きめのプログラムって普通、実行とデバッグを何度かやっても
小さなバグ残らない? >>663
コンピュータによるシミュレーションには、ボイドと呼ばれる隙間やバグがあって、内部からも判る場合があるかもしれない。
そのようなものを見つけ、検証できるなら、それによってシミュレーテッドリアリティの内部にいることを証明できる可能性がある。しかし、物理法則に反する事柄は、他にも説明できる仮説が考えられる(神など)。
映画『マトリックス』で描かれたように、既視感などの日常的な奇妙な体験も何らかのバグとして説明できる可能性がある。
実際、バグはよくある問題と考えられる。
十分に強力なシミュレーションにおいては、全ての経験や思考が監視されている可能性があり、バグや抜け穴に関する知識が即座に消去されるのではないかという考え方もある。
もちろん、その場合はバグを発見することはできない(発見したとしてもそれに基づいて行動できない)だろう。 超常現象の大半は合理的な説明がつくのだが、1割か2割は、どうにも説明がつかないものがある。
それが、バグなんだろう。 上でさんざん書いてきたように、われわれ自身の脳が、この物質世界をリアルに見せるため、最大限の補完をしている
物質世界の情報量は、じつは見た目より遥かに軽い
実際のところ、この世は、脳がわれわれに見せている立体ムービーみたいなものだ それも、どこまでが本当に脳のしわざなのか、それすら疑わしい
本当は、背後でわれわれ自身の潜在意識が暗躍しているのだろう 物理現象側にバグはないようだけどなぁ
つまりプログラムではないのではないか、と こういうエラー吐く人間はデバッグして社会から消去しないとな ボストロム教授の説では、1人の人間をシミュレートできる小さなコンピューターを、1つの惑星ができるレベルで集めれば、惑星そのものをシミュレートできるようになるとのこと。
例えば、自己増殖型のロボットをある惑星に送り込むと、やがて惑星は1つの巨大なコンピューターへと変貌します。
すると、その中にはシミュレーションそのものが自分で新たなシミュレーションを作り始めるものも出現します。
この説で行くと、我々の宇宙と見分けのつかない宇宙がいくつも存在可能ということになります。
これは、裏を返せば、我々の宇宙もシミュレートされた宇宙であるかもしれない、ということになるのです。 この世の中の様々な事象を数式で現わすことができる。
これまで、物理や化学等を勉強してきた人は疑問に思ったことはないだろうか。
「なぜ、様々な事象を数式で表す事ができるのか」と。
マクロの視点で世の中の現象を見てみると、あらゆる物体の運動をニュートンの法則で記述できる。
電磁気学、量子力学の現象も数式に当てはめることができる。
そして、アインシュタインは次のような疑問を持っていた。
「経験とは独立した思考の産物である数学が、物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」と。
世の中、この宇宙の様々な現象が数式で表されるということは、それがプログラムによって創り出されているともいえる。
この世がプログラムによって創られた世界であるならば、すべての事象が数式によって表せることができるはずである。 無知の知を肯定してない感じだなぁ
バグ断定は全知であるか もしくは世間知らず由来では? ヤージュニャヴァルキヤ(Yājñavalkya[1])は、インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される古代インドの哲人。
およそ紀元前750〜前700年の人物。
ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として著名である。 彼の哲学の中心はアートマン(真我)論である。彼によれば、この世界はすべてアートマンにほかならない。
それは唯一のものである。
しかし一方では、アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。
したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であることを示し、
アートマンは「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないことを説いた。 アートマンとはいかなるものかと問われ、ヤージュニャヴァルキヤは
「あなたは見るという作用の主体たる『見る者』を見ることはできません。
聞くという作用の主体たる『聞く者』を聞くことはできません。
思うという作用の主体たる『思う者』を思うことはできません。
知るという作用の主体たる『知る者』を知ることはできません」という。
そして「万物を認識する認識主体を、どうして認識することができるのでしょうか。だからこれを、『ではない、ではない、のアートマン』というのです」と説く。
「ではない」をサンスクリットでは「ネーティ」という(日本語で「非也」と表現されることもある)。
真の自己、アートマンは純粋の認識主体である以上「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーティ)という方法でしか表現できない。
「〜である」と表現すれば認識の対象へと下落してしまうからだ。
この考えによれば、私の身体は真の自己ではない。私は私の身体を知覚できるから、認識対象であって認識主体ではない。
また私の思考も認識対象であって認識主体ではない。アートマンは不可捉であるということになる。
ネーティ、ネーティと、自己の否定を重ねれば、意識は特定の何かに向かうことがなくなり、
やがて自己と宇宙が一体として感じられる境地にまで至る。その境地こそがブラフマンとアートマンの合一、梵我一如の境地である。 この世は仮想現実だというのなら、何が真の現実なのか?
これについては、「真の現実とは、〜である」というように答えることはできない。
「人間の身体は仮想現実である」、「地球や太陽は仮想現実である」、「机や椅子は仮想現実である」、「リンゴやトマトは仮想現実である」・・・
というように、真の現実ではない、仮想現実に過ぎないものを一つ一つ否定していく。
そうやって、最後まで否定されずに残ったもの。
それこそが、真の現実だ。 エラーだらけのセカイと一体として感じられる境地ですか 不二一元論(ふにいちげんろん、advaitavāda, アドヴァイタヴァーダ)とは、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派において、8世紀のシャンカラによって唱えられた学説。
これはヴェーダンタ学派における最有力の学説となり、この学説に則る哲学や学派をアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(advaita vedanta)と呼ぶ。 不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。
人の個我は、その本体においてブラフマンと同一であるが、人が経験する現実では多数の個我があるように見える。
これは無明(アヴィディヤー、無知)の力のせいで、無明によって人は迷い、自分という中心主体があるのだと思う。
これが輪廻から抜け出せない原因である。現象界の万物の本体は平等であるが、高下・善悪などの様々な違いがある(差別相、しゃべつそう)。
これは無明によるものであり、真実には存在しないマーヤー(まぼろし)のようなもので、仮にあるように見える虚妄である。
ブラフマンだけが唯一で不二の実在者であり、これが真実である。
個我がブラフマンと同一で、現象界が実在しないマーヤーであると悟ることで(明知)、無明は退けられる。これにより個我による縛りはなくなり、解脱が果たされる。 シャンカラは、ブラフマンとアートマンは同一だと主張した
この世界はマーヤー(幻影)であり、「ブラフマン=アートマン」のみが実在する >そうやって、最後まで否定されずに残ったもの。
>それこそが、真の現実だ。
デカルト信者かよ >>686
デカルトの場合は、最後に自我が残るわけだが、インド哲学では、その自我すらマーヤーだと考えている
真の自己は、認識の対象とはならないから、世界内存在ではない マーヤーは、インドの宗教やインド哲学に現れる概念である。
元来、ブラフマーなどが用いる神の力・神秘的な力を意味し、その後、幻影という意味に変化した。人を幻惑させる力という意味で、「幻力」と訳されることもある。
インド哲学では、シャンカラなどにより、現実世界がマーヤー(幻影)であり、真実の世界を覆い隠しているとされる。 古代インド哲学において「マーヤー」は「幻影」であるとともに、「娯楽」であると説かれた。
「マーヤー」は、神によって創造された幻影次元。その次元に神自身が降り立ち、遊ぶことを「リーラ」と呼んだ。
つまり「この世(マトリックス)」は、神の手によって創造された、神のための遊戯場だ。
人間を貶めるための場でも、また、育成するための場、更正させるための場、罰をあたえるための場でもない』 「この世界はマーヤーである」というのがヨガ(インド哲学)の教えです。
では、マーヤーで生きる目的は何でしょうか。
その目的は、遊び楽しむことであるとしてます。
いわゆる、ただ遊んでいればいいということでの”遊ぶ”ではなくて、五感や六感、またはそれ以上の何かを観じて味わい尽くす事が生きることになります。
今起こっていることを味わい尽くしていくことがマーヤでの遊びなのです。それを少し表現を変えると”いまここ”という言い方にもなるかと思います。
瞬間瞬間に新しく生まれでる世界を味わい遊ぶことが、そのままヨガの実践になっていきます。
ヨガの先生でも「いまここ」ということを仰っている方もいますね。 この遊ぶこと、味わうことを”神の遊戯”といわれ、リーラと呼ぶのです。
目の前に起こる日常は、神のお遊びとして起こっているのです。
大変なこともありますでしょうが、神である私たちが遊ぶ為に用意されていることであると、ヨガ(ヒンズー教でも)では教えているのです。
ですが、私たちは、その遊び味わいつくすことを忘れて、自我に埋没していってしまいますね。それが幻想との同化です。
大変なことがあれば、それが自分に起こっていることだと認識し、自分という自我を強くしていきます。どうにかして思い通りにならないかと試行錯誤いたします。
悲しいことでも、不安なことでも、そして楽しいことでも同じです。
その時には私が神であることを忘れてしまっているんですね。 >>693
こんな教えでは信者に課金できないから、新興宗教の教義には不向き 「この世は魂修行の場であり、試練を通じて魂が成長していくのだ」とかなんとか、そういう話にしたほうが、マジメで熱心な人たちがついてくる なぜ、この世を創ったのか。
この問いに対しては、「では、この世が無かったとしたら、どうだろう?」と考えてみると良い。
もしも、存在者が在るのではなく、むしろ、無があるのだったら、どうだろうか。
なんだか、つまんないよな? 前提が偽なら、結論は全て真なので
この世界が仮想現実である、という命題が真である事を先に証明して下さい インド哲学では、神がこの世を創ったのは、リーラ(お遊戯)だとされている 遊びで悲劇が繰り返されるのは迷惑な話だ
少なくとも人間という種は欠陥品 >>695
他の生物が無目的に生まれてくるのに人間だけが目的を持って生まれるなんておかしな話だ
全ての生物の目的は遺伝子を残すことであるとか抜かしているやつが良くいるが
これは、生きるために生きてるというトートロジーで答えになってない 親がアナタをつくったのはお遊戯
男は子宮(マトリクス)から出ても
トポロジ的には出てない、𦜝の緒断絶で
マトリクスを見るものへ、現実外存在
女は棲むセカイが違う、現実内存在 無はすでに亡く 有は在るだろう。無は啼き 有は鳴く。 数年前に突如話題となった、DNAをデータのメモリとして利用するというトピックを覚えているであろうか。
■DNA自体がなにかのメモリではないのか?
コンピュータのデータとは、0と1の2進数で書かれたコードであるが、そのコードを電荷の正と負や、磁性体のプラス極とマイナス極、半導体の通電、絶縁といった2極分化されているモノの性質を利用し記述、保存したものである。
DNAを構成するアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4つの化学物質の連鎖にそのコードを変換し、DNAに組み込んで保存するというのが、
話題になった“DNAのメモリ化”ということなのだが、費用的なものは別として、すでに実用レベルまで実現しているという。 レゴを洗濯機でかき回すと「人工生命の実験装置」
となる可能性という話題も最近あった
高分子化の始源的アナロジ バンゼル氏の説によれば、DNAは「有機的プログラミング言語」であるということである。
もちろん、コンピュータのプログラミング言語の方が、DNAよりも何億年も後に開発されたものであるのだが、その構成は非常によく似ているとのことである。
仮に、果物のリンゴを考えてみよう。リンゴはアプリに置き換えて考えることができる。
つまり、リンゴのDNAに記述されているコードがプログラムであり、太陽があたるとアプリが起動し、実行され、リンゴの実がなるという実行ファイルであるということなのである。 仮にDNAに記述されているコードが、グーグルやマイクロソフト、アップルなどがつくりあげているコンピュータプログラムと同様に捉えることができるとすると、
いったいそれは、誰によって記述されたものなのであろうかという疑問が浮上してくる。
バンゼル氏によれは、DNAは決して進化論的な偶然の重なり合いから取捨選択されたものでも、無秩序に並べられた化学的コードでもなく、意思のチカラが働いているというのである。
彼はこの力の「マインド」と称して「私が持っている心とは別の、はるかに強力な意思や精神の存在が否定することのできない現実である」としている。
WindowsのOSを記述したり、Photoshopのプログラムを構成するために、プログラマやコーダーが、知力と技術と時間をかけてソフトウェアを開発にしたように、
「マインド」の力が働かなければ、DNAというソフトウェアは、偶発的に書きあがるものではないということである。 情報系の人に遺伝子発現の話したら「完全にプログラムじゃん」って言ってたし,
フグのゲノムサイズは人のゲノムサイズの20分の1ぐらいしかないのにコードされている遺伝子は一緒ぐらいって話したら
「フグ作ったプログラマーの方が優秀なんすね〜」って言ってて面白かった 米マサチューセッツ工科大学(MIT)などからなる研究チームが、バクテリアのDNAに作用して特定の機能を付与する"プログラミング言語"を開発しました。
この言語はテキストで記述でき、DNAが反応するシーケンスに"コンパイル"して細胞内へ流し込むことで、その細胞内に意図した機能を実現する回路が生成されます。
この十数年のあいだに DNA の解析は進み、細胞のリプログラミングやメモリー、センサーといった機能の追加が可能となってきました。
ただ、実際に望むような機能を得るまでには多くのトライアンドエラーを要し、DNA のどの部分がどのような機能を司るかといった深い知見が必要とされます いずれ、DNAのプログラミングにより、いろんな生物を作れるようになる。
知能を高めたオウムと、かなり高度な会話ができるようになるだろう。 この世は、昔の人が思い描いたようなファンタジー世界になっていく。 今は、「この世は仮想現実である」というと、怒り出す人がいるけど(笑)、遠からず、それが日常の生活実感になるだろう。 創造主は、明らかにコンピュータのプログラマーの発想で生物を構築している。
単に「イメージを現実化した」というようなものではない。
おんどりゃああああああああ
がポエップリエだろ。
くんじゃエだんじゃポエッ
エップリがポエップリエだろんじゃんじゃポエップリろ!!
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ̄ ̄ ̄\ \
/ / / \ ヽ
f / /| ヽ |
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(V / `ーーV)
| ヽ●) (●ノ |
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
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_,. ‐''"´ `丶、
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厶ノ ̄ /`ヽ、o_, 、_oイ └′
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j l`丶、
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! ヽ、 ’ / 〉
'. /`(;;U;)'^ー一'7 ′
! / / ′
ヽ ヽ、 | / __
ヽ 〈 ノ '´ 〉 ドタドタドタッ!!
`′ 〈_, -‐'′ >>716
その割に数学で経済学語れてないね
あと年金とか破綻してんだけど
OSもいつまでたってもおせーんだけどなんでだ?
おいカス
数学万能って言う割に世の中全く数学で解決してねーよな >>722
じゃなんで経済予測出来ねーんだよ
マクロ経済なんて外してばっかだし
あと犯罪者も取り締まれてねーな
なんでこんな単純なことも出来ねーのに数学云々いちゃってんの? >>723
1人1人の人間が、個別に脳というコンピュータを搭載しており、独自の動きをしているからな
だから、複雑すぎて予測できない
ただし、人間社会は、全体としては数学的に挙動している 予測出来ていないと言うことは数学が正しいと証明しているんじゃないのか?w
おいおいこの程度のことすらわからないバカがなんで世界のことを語れるんだ? 間違えた
予測出来ないって事は数学が正しいと証明出来ていないだろ >>725
いやいや、複雑系は、人間の数学じゃ処理できないんだよ
そんなの常識だろ? DNA。すべての生物は, それ自身固有のDNAをもっている。それは, この世のすべての生物につけられた「背番号」のようなものだ。一卵性双生児や分裂で増える単細胞生物でもない限り, まったく同じDNAをもつ個体というものはあり得ない。
そして, DNAはただの背番号ではない。一見, 単なる記号の羅列にすぎないとてつもなく長い背番号の中には, 生物に関する「すべて」が書かれている。
それは, 生命の設計・制御を司る「生命のプログラム」というべき存在だ。 DNAは分子の連なりにすぎないが, そこに書かれたプログラムは, 「RNA」というDNAによく似た, しかし, ずっと短い分子に一部分がコピーされてから「実行」される。
DNAのプログラムが実行されてできあがるのは, 生物の体を構成するタンパク質そのものだ。
つまり, DNAとは我々の体がどのように作られるか(つまり, 背は高いか低いか, 目は青か黒か, 走るのが速いか遅いか, など)を記述した生命のプログラミング言語だ。
人間の体のすべての細胞はこのDNAを1組(両親から1個ずつもらった2個のDNA)ずつもっており, 生命活動に必要なタンパク質やRNAを時々刻々生産し続けるという形で, そのプログラムを実行し続けているのだ。 それほどの存在でありながら, DNAが採用したデータ記録方式は実に単純極まりない。
それは, 我々が日々扱っている電子計算機が採用しているのと本質的に変わらない「デジタル技術」なのだ。
電子計算機の中ではすべてのデータが0と1の羅列で表現される。
これに対して, DNA上のデジタル・データはすべて, A, T, G, Cという4つの記号で表現される。
無論, DNAは実在の分子なのだから, この4つの記号が「書かれている」わけではない。
アデニン(A), グアニン(G), チミン(T), シトシン(C), と呼ばれる短い分子(塩基と呼ばれる)が4つの記号の代わりを務めているのだ。 一見、非常にアナログな存在に見えるのだが、じつはデジタルにできている。
それが、宇宙と生命の共通点。 >>727
理解できないのに
答えすら出せないのに数学で世界を語るんだ?
予測できないんでしょ???wwww
予測できるって言ってたのに結局予測できないんだw
ばかだなぁw >>732
バカはお前だろ(笑)
予測できると言ったのはお前だ! 結果が完全に予測できるんなら、シミュレーションをやる意味がないだろ
つくづく愚かな奴だな!!(笑) 初期条件を設定したら、あとは成り行きを見守る
こうでなくっちゃ、シミュレーションは面白くないし、やる意味がないよ 「多体問題は数学的に解けない」
これは、大昔から知られている >>733
数学で説明つくから趣味レーション世界って言ってる前提が崩れているだろ
説明ついていないんだからさ
根拠がなくなってんのにどう説明すんだよ?
ええ
おいおい
この落とし前どうつけんだ小僧? >>738
「数学で未来を予測できる」と言ってるのは、ここではお前だけだ
いったい、何と戦ってるんだ?(笑) >>724
〉ただし、人間社会は、全体としては数学的に挙動している
よくわからんが、「数学的に挙動する」って、
どういう意味だ?
何がどうなったら、数学的に挙動していない
ことになるんだ?
仮に人間社会が数学的に挙動しているとして、
それと世界が仮想現実であるという珍説wと、
何の関係があるんだ?
書き込んでる奴の頭が悪すぎて、
何が言いたいのかさっぱりわからんw >>740
人間社会は、経済法則の下に動いているということだな >>740
頭が悪いのはお前だろ
言い返せばいいってものじゃない(笑) >>740
生物の話をしているところに、唐突に経済の話を持ち出してきたのはお前だろ
何の関係があるのか、こっちが聞きたいわ
「バカにつけるクスリは無い」っていうけど、本当だな!(笑) >>739
お前とだボケ!
世界は設計されたと言ってんだろ
その証拠として数学云々言ってんだろうが
だがその数学自体未熟なのになんで設計されたとわかるのかって言ってるんだよ >>743
まさにお前のことだな
当然死んでも直らないしもちょ勉強してこい
間抜け野郎 自分で自分のことをお利口さんだと思ってるのか
お前らみたいな馬鹿が他人を馬鹿にするのは百万年早いね ドイツのTVドラマ見てても、会社経営者が、持ち帰り残業が当然の
職場環境を作って、書類を自宅に持ち帰って仕事をしないと社員として
生き残れない状況に追い込みながら、その一方で書類を社外に持ち出す
ことを禁じた情報セキュリティ管理義務の規則に違反したという理由
で解雇されたなんて話が出てくるから、やり方はどこでも同じなんだ
と思うよ。要するに、ダブルバインドで支配する。 そもそも、矛盾を解消するような解決策を望んでいない
それどころか、そんな解決策について考えるような馬鹿はいらない
ということ >>750
いや、仮想現実だったら、そんな自由は、ないんやって結論になり得るんよ。
だって、その仮想現実を作成した者に支配されてるわけやからな。
てか、この問題って、仮説を検証する過程で生じる副次的なものに意味があるんであって、マジでそうかもしれんとか言い出すには、あほらしい問題ではなかったんかいな? >>743
>>745
君らは、どっちも大して変わらんように見えるけどなぁ。
完全な予測は、無理やろうなぁ。出来るとしたら、我々の世界から完全に
隔絶されたところで、行う必要がありそうやなぁ。それこそ、ある種のシミュレーション
としての意味が大きいなぁ。
世界を数学的により確からしく理解し、記述することができそうな気がすると言われれば、そうなんかもしれんなぁ。
せやけど、数学なんてもんは、人間の思考のなかにあるといった程度のものであって、自然の中にすらないと言った程度の
物やと俺は思うけどなぁ。 ボストン大学の研究チームが、ヒト細胞のプログラムを書き換え、109通りの論理演算命令に従わせることに成功した。
生物学的な論理ゲートの作製は過去にも成功例があるが、これだけの数を安定して生み出したのは初めて。化学物質の生成からガン治療まで、さまざまな分野への応用が期待される。 細胞は、いわば超小型コンピューターだ。インプットを受け取り、それに即したアウトプットをする。もしフラペチーノを飲めば血糖値が上昇し、膵臓の細胞がメッセージを受け取る。アウトプットはインスリンの増産だ。
だが、「細胞の演算処理」はただの比喩ではない。生物学者たちは数十年前から、細胞のアルゴリズムをハックすることで、そのプロセスを制御しようと研究を重ねてきた。「生命のソフトウェアエンジニア」としての母なる自然の地位を揺るがし、DNAの書き換えを進めてきたのだ。 この技術を使えば、たとえば細胞に「NOTゲート」をプログラムすることが可能になる。
これは論理演算命令としてはもっともシンプルなもので、「引き金となる情報を受け取ったときは、〜の作業を行わない」という命令だ。
研究者らはこれを利用し、命令に応じて発光する細胞をつくりだした。
彼らは細胞に、ある特定のDNA組み換え酵素が存在するときは青色蛍光タンパク質をつくらないよう命令した。
この組み換え酵素がない場合、これは「発光せよ」という命令になる。
発光のタイミングを細かく設定するなど、はるかに複雑な命令をすることも可能だ。 生物が、ますます、一種のコンピュータに見えてきた。
細胞は、インプットとアウトプットを繰り返す「化学工場」にも例えられてきたが、いまや、それを通り越して「論理演算回路」の域に達している。 心臓か脳かというのは、循環器系と神経系をそれぞれ心臓、脳という個別の
臓器に代表させているだけだからな。脳がなければ情報処理できないと
言ったって、血液が循環していなければ脳の神経も機能することができない。
脳を電子回路に喩えるなら、電流なしに電子回路が働くのか?ということになる。 心臓の換喩というのは、要するに、パルスに対する干渉として現実が伝わって
表れて、伝達の様態が認識されるということだろう。 コンピューターは人間になれない。コンピューターには「私」という意味が理解できない。 >>757
内分泌系も重要
感情の多くは、内分泌系のホルモンの作用で起きる 一見、アナログなように見えて、実はデジタル
生物は、DNAでプログラミングされた、タンパク質の機械 機械が開発される中世の前は、人間は何で出来てたの?
コンピューターが開発される20世紀の前までは、人間は存在しなかったのか? 生物は、DNAでプログラミングされたタンパク質の機械
この事実は、多くの人々にとっては量子力学よりも衝撃的だった DNAは、グアニン・アデニン・シトシン・チミンという4つの物質が文字の役割を果たすことにより、この4文字でコードが書かれている
内容は、「このようなタンパク質を作れ」という指令
その情報をRNAが伝達して、アミノ酸を細長くつなげてタンパク質ができる
生物はタンパク質でできている つまり、生物というのは、いかにも「コンピュータに強い機械技術者が生物を創造するなら、こんな具合にやるだろう」と思えるような成り立ちをしている
アーティストが絵画や彫刻を作るようなやり方とは、まったく異なっている 物理学を見ても、生物学を見ても、「もしも、この世界を創造した創造主がいるのなら、その発想の根本にあるのはコンピュータのプログラミングだな」と思わせる
アーティストという感じはしない
どっちかっていったら、コンピュータ技術者だ >>764
驚いたな バクテリアの時代からコンピューターがあったとは
お前の頭の中身を調べるのが一番、先決なんじゃないのか? >>769
「DNAはプログラム」とか言ってるからそうなんだろ
おまえさん、国語の成績悪いだろ
他人の頭を心配してる場合か? >>769
バクテリアは、コンピュータの論理演算回路に似ている
インプットとアウトプットを繰り返しているだけであり、意思も感情もない 人間は、60兆の微生物のカタマリ
それぞれが、小さなコンピュータだ >>771
コンピューターで限界かw コンピューターより上は無いのか。 コンピューターは誰が作ったんだw 頭で理解するのではなく、心に感じるとはどういうことか?
心臓は感覚器官ではないのだから、「心に感じる」などというのは
馬鹿げていると主張するような自称「自然主義者」や「唯物論者」
であったとしても、自分が大切に育てた子供を突然に事故で失った
としたら、そのときに感じるのは深い心の痛みであって、頭痛では
ないだろう。むろん、その場合、深く傷つき、痛んでいる「心」は、
"heart"(心臓として代表される)であって、"mind"などではない。 「心臓は感覚器官でも、神経回路でもないのだから、『心("heart")に感じる』
ことや、『心("heart")に思う』ことはあり得ない」と主張する人々は、ある
種の言語障害の症状に似たような仕方で表現を理解している。
「心("heart")に感じる」と言う場合、心臓が「心の在り処」、「心の臓器」
とされるのはなぜだろうか? それは、生物学的に、心臓が感覚受容体として
まず存在して、その感覚受容体によって外部からの刺激に反応するという
ような認識の仕方ではないだろう。逆にむしろ、何らかの現実がまず
「干渉」として生じるのであり、それが「感じること」である。
さらに、それが何に対する「干渉」であるかを問うなら、定常的な反復に
対する干渉であることになり、その定常的な反復を代表するのが呼吸や
脈動であり、脈動の換喩として「心/心の臓器としての心臓」が指し示される
のである。 「心("heart")に感じる」と言う場合、感じられる事象は干渉として現れる
現実であり、そのため、「心」が心臓によって代表されるとしても、
その「心」は、一義的に私的なものではなく、常に一般に共有されている
可能性においてあり、その共有が保証され得ない限りで両義的である
(つまり、私的である可能性も、一般に共有されている可能性もある)。
したがって、「心」を単に「自分の内面」と同一視する、「心」の私的
な解釈も、現実のすべての事象を心が常に既に覆い尽くしているかの
ように外的現実に優先して心の存在を前提とする、「心」の汎心論的な
解釈も誤っている。 細胞は表面に付着した分子を入力として,これを一連の複雑な生化学反応によって処理し,ホルモン分泌や電気インパルスの発生といった出力を生み出している。
著者ら合成生物学者たちは,細胞のこうした情報処理能力を利用して,人間が設計したプログラムを実行させようとしている。
計数や足し算,データの記憶,基本的な論理演算を実行する細胞ができた。
合成生物学が生んだ“細胞コンピューター”だ。
通常の電子計算機と違ってノイズの多い化学信号を用いるほか,現状では機能を正確に予測できないなどの難点があり,
デジタル装置に代わるものではないが,病気を診断・治療する細胞を薬として服用するなどの利用が可能になるだろう。
著者
Timothy K. Lu / Oliver Purcell
ルーはマサチューセッツ工科大学の准教授で,合成生物学グループのリーダー。 もはや、細胞を論理演算回路として活用する、生物コンピュータとして活用する時代だ 結局のところ、宇宙と同じく、生物がやってるのも情報処理 生物がやっているのも情報処理というより
人は情報処理に価値を置いている
自分が何かと言ったら記憶・感情・思考でありそれは情報処理そのものだ >>778
コンピューターは細胞レベルに下等だって、どうして気が付かないのかね? 環境情報学科(SFC)のやってて好評不評もありました。卒業生によろしく。 なかなか、おもしろいことになっているのかな?
むしろ、逆だと思わないのかな?
DNAがプログラムに似ているのではなく、人は現に自分たちが持っているものと「似ている」
つまり「同じ」ようだと思えるものを見つけ出して、色々なものを理解しようとするものであると。 >>788
いや、そうではないよ
人間が簡単なプログラミングの原理で機械を作るようになったのは、昨日や今日のことではなく、何百年も前からのこと
それに比べてDNAの遺伝子常識が発見されたのは20世紀の中頃で、割りとつい最近のことだ
それまでは、まったくのアナログ存在にしか見えなかった生物が、じつはこんなデジタルな成り立ちだと知ったのは驚天動地の事実 GCTAの4文字の配列で、それに対応するタンパク質の配列が決まる
機械工場で、設計図の通りに部品を組み立てるようなものだ
この発見のおかげで、生物観にとどまらず、人類の世界観が変わってしまった この4文字の配列を変えることによって、生物を変えることができる
まさに、プログラミングそのもの
似てるとか似てないとかいうより、原理がまったく同じ >>788
逆に、プログラミングがDNAに似ているといっても構わない
どっちにしたって同じこと いや、本当に似ているのは、プログラミングというより、設計図だな
DNAの遺伝情報というのは、「このGATCの配列に合わせてアミノ酸を配列し、タンパク質を作れ」という内容がほとんど
どっちかっていったら、「この通りに部品を並べろ」という、機械の設計図に似ている ただし、DNAの遺伝情報は、単なる初期設定ではない。
環境によって、活性化する情報が異なる。
「遺伝子オン」なんて本が売れたこともありましたな。
このため、まったく同じ遺伝情報を持つ一卵性双生児にさえ、環境に応じて個体差が生じる。 米マサチューセッツ工科大学(MIT)の生物工学者を中心とする研究チームが、生細胞に新たな機能を与える、
DNAにエンコードされる複雑な回路を迅速に設計できるプログラミング言語を開発した。
この言語を使うと、特定の環境条件の検知やそれに対する反応を定義するプログラムを誰でも記述できるようになり、そのプログラムから機能を実現するDNAシーケンスが生成できるという。
「これは文字通りバクテリアのためのプログラミング言語だ」と、MIT生物工学教授のクリストファー・ヴォイト(Christopher Voigt)氏は述べる。
「コンピューターのプログラミングと同様に、テキストベースの言語を使用する。そのテキストをコンパイル(実行できるコードに翻訳)してDNAシーケンスに変換し、細胞に組み込めば、細胞内で回路が機能する」。 >>789
設計図でもプログラムでもどちらでもいいけども、複雑形をきちんと作り出すのに
なんらかの設計図だのプログラムだのと言った基になるものを見つけようとするだろうね。
そのように考えるのが、人間なんだからね。
むしろ、そういうものがどこにもない、となる方が人間にとってよほど驚天動地だと思うんだけど。
>>792
どちらが、どちらに似ているという問題ではなくて、その二つが「同じ」ように見えるということが
重要なんだけどね。そういうことを言い出すと、生物が生殖により「同じ」ようなものを創り出している
ということに関する「同じ」ということも、人間が「同じ」ということに着目しているから、そうなるんだよ。
違っていたら申し訳ないが、どうにも君の言っていることは、IDのようでナンセンスに見える。
これも人と「同じ」ように、何者かが、設計して創り出した者なのではないか、と考えるってことだね。
このように、人というのは、「同じ」ものを見つけ出して、これを理屈にして理解しようとしたりするんだよ。 TECH INSIDER
人間のDNAは、99.9%共通していた! チンパンジー、ねこ、昆虫……ヒトとの遺伝子の類似性を比べてみた
Apr. 06, 2018, 04:00 PM
チンパンジーとキスする女性
Jean-Marc Bouju/AP
ヒトのからだは、30億の塩基対からなっている。
そして、この30億の塩基対のうち、ひとりひとりに特有なものはごくわずかで、遺伝子の約99.9%は隣の人と似通っている。
物理学者で起業家のリッカルド・サバティーニ(Riccardo Sabatini)氏はTEDトークで、ある人物の遺伝暗号を全て印刷した、26万2000ページ超、大きめの本175冊を披露した。
つまり、それらのページのうち、ひとりひとりに特有なのは、約500ページ分のみということになる。 2005年のある研究によると、いま生きている動物の中で最もヒトに近いチンパンジーは、遺伝子的に96%ヒトと類似している。
ねこも思っていた以上にヒトと似ている。2007年のある研究は、人間が飼っているアビシニアンの遺伝子がヒトと90%類似していることを発見した。 そして、卵を産んだり、羽毛が生えていたりと、わたしたちとはからだのつくりがかなり異なるニワトリだが、その遺伝子は約60%がヒトに類似している。
驚くべきことに、バナナのDNAでさえ約60%はヒトと同じだ! 共通の祖先を持っていても、世代を経るごとに、遺伝子情報は少しずつ誤差が大きくなってくる。
この誤差の大きさにより、「共通の祖先から、いつごろ分岐したか?」を測定することができる。
これにより、詳細で精密な生物系統図が実現した。
分子生物学のおかげだ。 これによって、地球の生物はじつに多様になってきた
本当によくできたシステムだ DNAのおかげで、遺伝子は忠実に複製されていくのだが、どうしても少しずつ誤差が生じる
その誤差こそが、進化の原動力だ 分子生物学(ぶんしせいぶつがく、英: :molecular biology)は、生命現象を分子を使って説明(理解)することを目的とする学問である。
分子生物学という名称は1938年ウォーレン・ウィーバーにより提唱された。
これは当時、量子力学の確立やX線回折の利用等により物質の分子構造が明らかになりつつあったことから、
まだ謎に満ちていた生命現象(中でも遺伝現象)をも物質の言葉で記述したいという希望の表明であった。 1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重らせん構造を発見した。
これは相補性により(後にメセルソン-スタールの実験で証明された半保存的複製を通じて)
遺伝をも説明する画期的発見であり、これにより分子生物学が本格的に始まった。 全ゲノム解読を目指したゲノム計画では、1990年には既にゲノムプロジェクトが始まり、2000年にはヒトのほぼ全ゲノムが解読された。 研究報告
人はそれぞれ個体差がある。大きく言えば、男性か女性か。
それだけではない。
育った環境や食べ物だけでも個体差が広がってゆく。
面白い研究データがある。
人間のもつDNAの一つ一つに能力があるというものだ。
火事場の馬鹿力なんてものもその中の一つに該当する。
簡単に言えばこうだ。
普段、人の使える能力とは本来の5%ほどだという。
残りの95%は眠った状態だ。
だが、命の危険などの緊急を要する事態になった場合。
時として、眠っていた能力が突然目覚めるという。
もちろん、全員ではない。
大半の人は眠ったままだ。
もし、この残りのDNAを目覚めさせることができれば、人はどうかわってしまうのか。
はたして、それは人と呼べるものなのか。 いきているというのがそもそも脳が
創り上げた錯覚だろうね。
そういう意味で人が本当の意味で
錯覚から目覚めることはないんじゃない >>807
君ようしゃべるなぁー。もっと、他の人とコミュニケートしようと思わんのん?
>>808
うーん、あんま「脳の創り出した錯覚」とか、言いすぎると、自己言及に陥るぞぉw いまや生物学の主流はビッグデータであり、プログラミングは生物学者に必須のスキルとなった。
大学もこのニーズを認識してはいるが、変化のスピードは遅い。そんななか、現役の研究者たちはプログラミングの自学自習に励んでいる。
ボストンでブランチをとっていた生物系の博士研究員数人に、プログラミングの勉強をしているか尋ねてみたところ、全員がイエスと答えたのだ。
生物学者に必須の要素がカリキュラムから欠落していることを全員が認識し、彼らはそれを自力で補おうとしているのだ。 生物学とテクノロジーの境界は、研究者たちが両者間の相似性を次々と発見していくに伴い、ますます薄れつつある。
今日(米国時間12/28)彼らが発見したのは、細胞中にパターンをプログラミングすることによって生きてる組織をハックすることが、比較的容易にできる、ということだ。
それらの組織は、成長するに伴い、鉢、コイル、箱など、プログラミングされたとおりの形になっていくのだ。
生きた細胞から、生体にそのまま移植できるマシンを作ることは、長年の研究テーマだった。
細胞そのものは正常に発達していき、プログラミングされたDNAは細胞自身の中にはない。
しかし、それがある種のテンプレートになることによって、成長する細胞の形を変えていく。 DNAのコードを書き換えることにより、成長すると机になる生物や、成長すると椅子になる生物も作ることができる ユニコーンやキメラのような、ファンタジー動物も創れる 「この世のすべてが脳内現象である」というのは正しくない
「この世の大半が脳内現象である」というのなら正しい >>810
ここで、スレの趣旨どころか、下手すると板の趣旨にすら沿っていないことを
延々と一人で書き連ねてどうすんの?
>>816
大半ってのもいささか言い過ぎやと思うけど。
いずれにしても、私が死んだら(存在しなくなったら)、重力が無くなる
というようなことをある種の思考実験的なものとして仮定して考えることに、
何某かの意味はあるかもしれんが、そんな荒唐無稽なことを本気で信じるなんて
ある種の狂気やろう。重力という現象そのものは、私が存在する随分前から、
確からしく常にあって、私が存在しなくなっても、ずっとあり続けるに決まってるやろう。 >重力という現象そのものは、私が存在する随分前から、
確からしく常にあって、私が存在しなくなっても、ずっとあり続けるに決まってるやろう。
それは錯覚だ 巨視的なスケールでは、あらゆる物体の運動をニュートンの法則で記述できる。
アインシュタインは次のような疑問を持っていた。
「経験とは独立した思考の産物である数学が、物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」
数学は人間が発明した道具ではなく、何かの抽象的世界に実在していて、人間はその真理を単に発見していると考えるのが、ペンローズやゲーテルを始めとする「プラトン主義」である。
宇宙が数学で非常に上手に記述出来る理由は、私たちが巨大な数学的構造(プラトン的世界)の中に暮らしているからだ。
すべてのパターンや規則、私たちの数式が非常に物事を近似できるのは、数学こそがリアリティだから。
本質的にこの宇宙に非数学的なものが存在するなら、私たちの物理学は破綻する(だが実際には破綻していない)。 カントによると、我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、
生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎないという。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。×
だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言う。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないからだ。
誤解を恐れずにいえば、
我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがあるということだろう。◎
このように、「シミュレーション仮説」と同型の議論がカント哲学でも展開されている。 >>821
カントのいう「本当の現実」というのは、そううことではない スクリーン上を動くピクセルの速度には限界がある。
その速度の限界はそのバーチャル世界を構成しているコンピュータの性能に掛かっている。
我々の世界にも光速という限界のスピードが存在している。
(相対性理論は物体が光の速さを超える事はないというのを示しているだけで光速が限界のスピードである理由を説明しているものではない) もしも世界がバーチャルなものであれば、全てはデジタル化、つまり小さな領域になるとそこは不連続になっているはずである。
プランクが発見した光は"光子"として量子化されているということは時空が連続的なものではないという事を導ける可能性がある。 (量子力学の項目で紹介した)波動関数の収縮や量子エンタングルメントに存在すると考えられている気味の悪い遠隔作用はシミュレーション仮説によって解決できるかもしれない。
この説が正しい場合、全ての宇宙のポイントはコンピュータ(CPU)から発生しているので"空間"(距離)というのは究極的に考えると存在していない。(目に見える空間は観測者の錯覚でしかない)
波動関数の収縮やエンタングルメントは局所性の破れ(超光速の存在)を示しているように見えるが
しかしその原理が空間を伝わっていないのであればそれは古典的な非局所性ではないので相対性理論には矛盾しない。 つまりある粒子間の距離がどれだけ離れていようとコンピュータからすれば意味がないというわけである。(空間の存在すらコンピュータが処理しているから) 例えばコンピュータの処理に負荷が掛かるほどの高画質の動画を見るとスムーズに再生されずスローになったりするが、それと同じように宇宙でも質量が密集すると空間が歪み、時間の流れが遅くなる。
そしてこれは速度の速い物体にも同じことが当てはまる。 >>828
誰も、宇宙のハテまで行って見てきたわけではない
「時間の流れが遅くなっているのだ」という説もある >>827
どこまでが、君のレスかわからんのやが、物自体も無茶苦茶な理解なんやけど、
そもそも、君、相対性理論をさっぱりわかっとらんやろうw
「相対」や言うとんのに、なんで視点を固定しとんのやw
「相対」的に見るんやでw勘弁してくれやw マサチューセッツ工科大学教授マックス・テグマーク著「数学的な宇宙」(講談社)によれば、
自然のいくつかの側面は数学そのものだということを示唆する手掛かりがいくつも得られている。 たとえば、
1.私たちの物理的世界の基本的構造である「空間」は、その固有の性質として、次元、曲率、トポロジーなどの数学的性質しか持たない。
2.素粒子もまた、その固有の性質は、電荷、スピン、レプトン数などの数の数学的性質のみだ。
3.波動関数は現在、過去、未来のいずれにおいても一つで、ヒルベルト空間中をシュレーディンガー方程式に従って発展する。
そしてこれらの波動関数とヒルベルト空間もまた、数学的対象物だ。 >>827
>>831
>>832
いやいやいやいや、君がダメダメなのは、どうしようもないのw
あのな、誤解を恐れずに、適当に相対性理論の話をするとなw
例えば、わしがロケットに乗って君から、ごっつい速度で遠ざかってたりするだろw
そうすると、君のいうように、わしは、「君から見れば」速度が速いわけだw
君の言う通り、速度の速い物質やから、君から見れば時間が遅くなっているように見えるw
さてさて、それじゃあ、わしから見ればどうやろう?
君も同じように、わしからものすごい速さで遠ざかってるわけやwこれが相対性やなw
そうすると、わしから見ればどうなる?
答えは、君の時間もわしから見れば遅れてるように見えるわけやw君からすると不思議やろうw
なぁ、君の言うところの、シミュレーションの視点だとこれどうすんのよwどっちの時間を遅らせる?
これ高校生で習うレベルでもわかることやでw精進しーやw 左脳で論理的に考えたらものすごく当たり前のことだった。純文系は工学系の逆をやっていて正解。 いや、だから右脳で感覚的に考えれば、ものすごく当たり前な事だろ? 今時右脳左脳言ってる段階で教養語れるレベルにないが 数学的宇宙仮説
マックス・デグマークさんの本を読むと
宇宙は数学により記述可能というにとどまらず、「宇宙は数学的構造である」ということです。
例えば高校物理的な力学だと現象を数学で表現しているだけだから前者の段階ですが、突き詰めて素粒子のレベルになると、もはやそれは何かからできているのではなく、数学的な記述自体がソレであるとしか言えなくなる。
ここから、現にある(実在する)のはモノではなく数学的構造だという発想になります。 たとえば、
1.私たちの物理的世界の基本的構造である「空間」は、その固有の性質として、次元、曲率、トポロジーなどの数学的性質しか持たない。
2.素粒子もまた、その固有の性質は、電荷、スピン、レプトン数などの数の数学的性質のみだ。
3.波動関数は現在、過去、未来のいずれにおいても一つで、ヒルベルト空間中をシュレーディンガー方程式に従って発展する。
そしてこれらの波動関数とヒルベルト空間もまた、数学的対象物だ。 ここが、マックス・テグマークの仮説のキモだ。
素粒子論には、「これはもはや、物理的に存在するというより、数学構造そのものなんじゃないか?」といった存在たちが多数登場する。
これを、「数学構造として存在するのだ」というのが、テグマークの説。 つまり、宇宙は数学でできている。
宇宙の解明が進めば進むほど、数学とでっ食わすことが多くなり、だんだん数学そのものになって、最後は「宇宙」なのか「数学」なのかすら分からない領域に入る。 ニュートンの時代は、まだたいしたことなかった。
「宇宙が数学でできているのではない。人間が宇宙を数学的に解釈しているのだ」と言っていられた。
しかし、その後も、宇宙の解明が進めば進むほど、宇宙の構造はますます、あまりにも高度に数学的になっていく。
もはや、宇宙観を見直さないといけなくなってしまった。 物質は、その本来の姿としては「数学」なのである。
それが、われわれ人間には「物質」に見えるというだけだ。 いくら全知全能の創造主といえども、数学無しでは、混沌しか創れない
数学のおかげで、初めて整然とした物質世界が可能となる
軟体生物と、骨格のある動物ほども違う つまり全知全能じゃないということだな
君はおろかだな >>851
そうだ
創造主は全知全能ではない
数学無しで物質世界を構築するのは、さすがに無理 物質の宇宙というのは、こんな風にしか創れないのだろう 物質世界と言ったって、それは「世界内の住人には物質みたいに見える」ように作られているだけであって、本当に物質が存在するわけではない 数が構築するのではなく自然は不ぞろいに自然自体を生成する。 物質が存在しないなら人間は愚かあらゆる生物は存在できない。 認識論と化学ごっちゃにして語っているからおかしいんだよ
認識論で言えば物質なんてものはそもそも存在していない
そうみえる
あるように思っているだけだ この世界の成り立ちもどうでもいい
コンピュータのシミュレーションみたいなものならその操作方法を教えてくれればいいだけだ
それもなしにどうこう言われてもふーんというしかない
それだけのことでしょ
真偽なんてどうでもいい
ただシミュレーションの操作方法だけ教えてくれればいい 多くの物質の余剰がなければ世界のはじまりから生物など予想できなかっただろう。 >>855
そんな風に見せかけるのは、自然界の巧妙な仕掛け >>858
シミュレーション仮説なんてものを、本気で信じてしまうのが、どれ程あほくさいのか、
ここの一連のレスを読めば、わかってくるやろうにw
操作方法なるものが知りたいなら、君自身が世界を色々といじくりまわして経験から学んだらいいんよ。
丁度、子どもがパソコンについて何も知らないのに、いじくりまわして使い方を覚えるように。
経験科学というのは、ひっきょうそういうものだと言えたりもするんだよw
ただ、随分と昔から、これをいじくりまわしてる人がたくさんいて、その蓄積が大量にあるから、
そいつを学んだ方が、手っ取り早く操作方法が分かるんやろう。そういうことやぞw いかに突飛な考えに聞こえようとも、宇宙が幻影あるいはホログラムであるとする理論は新しいものではない。そしてこの度、科学者たちはその仮説を証明する証拠を発見したと主張している。
イングランド、サウサンプトン大学の理論物理学者チームは、ビッグバンの名残であるとされる宇宙マイクロ波背景放射の調査から、この宇宙が幻影であることを示すサインを発見したと考えている。
宇宙がホログラムであるとは、時間も含め、私たちが三次元の現実として認識しているものを構成する情報が、二次元の表面に蓄えられているということだ。 「三次元の中であなたが見るもの、感じるもの、聞こえるもの、さらには時間の認識もすべて、実は平らな二次元フィールドから投影されたものだと想像してみてください」とサウサンプトン大学のコスタス・スケンデリス(Kostas Skenderis)教授は話す。
「この考えは、クレジットカードに使用されているような、3Dイメージを二次元の表面にコードした通常のホログラムのそれに似ています。ですが、ここでの話は、宇宙全体がコード化されているというものです」
あるいは3D映画に例えることもできる。3D映画自体はホログラムではないが、平らな二次元のスクリーン上に三次元の物体があるような錯覚を作り出す。
私たちが暮らす三次元宇宙に違いがあるとすれば、そこでは物体に触れることができ、私たちの視点からは”投影”が”リアル”であるということだ。 かいつまんで言うと、宇宙が時間軸を持った三次元空間であるというのは幻想であるということ。
我々がみる空間は宇宙の地平面に映しだされたホログラムの幻影に過ぎない。
「そんな馬鹿な」と直感的には思うかもしれないが、そもそも今の宇宙論は直感に反すること、たとえば多世界解釈や確率雲といったことがなければ説明できないレベルまで来てしまっている。
我々は、いわばDVDの映画の登場人物だ。
すべての感覚はあり、すべての実感はあるが、現実の宇宙は平面に記述された情報にすぎない。全ての本質は情報にあり、エネルギーと物質は副次的なものであるという考え方だ。
出典
宇宙はどうもやっぱりホログラムらしい - shi3zの長文日記 つまり、「物質」というのは、結局のところ「情報」だ
もともと情報だったものが、エネルギーとなり、物質となる
そんな宇宙の究極構造が、いよいよ明かされようとしている 2次元にたくわえられた情報が、3次元に投影されている
その投影を見て「物質だ」と思っているのが、われわれ人類 投影された情報は、認識者に反応する
そのままでは「情報」にすぎないものが、認識者がいるところでは「物質」となる 高度な数学とプログラミングの技術を凝らした、じつに巧妙な仕掛け この宇宙を創造した創造主は、数学者でありコンピュータ技術者 マサチューセッツ工科大学(MIT)理論物理学者のマックス・テグマーク(Max Erik Tegmark)はボストンの近郊に住んでいます。
アウトドア派で森の中を歩きながら思索にふけることを好みます。
ただし、考えている内容は一般的な人から見ると少々風変わりです。
テグマーク、「私たち物理学者はこの世界をうまく説明する方程式を発見してきました。
それは現実そのものが方程式だからです。
この宇宙は巨大な数学的構造をしています。
だからこそ、数学によってうまく説明できる。
つまり、私たちは数学の中に生きているんです」
テグマークにとって、方程式は宇宙への窓であり宇宙とは純粋な数学なのです。 「空を見てもそこに数字が浮かんでいるわけじゃありません。
しかし、身の回りを注意深く見ていくと至る所に数学的なパターンや形を見いだすことができます。
例えば、ホースで水をまく。水は数学的な形 放物線 を作ります。シンプルな方程式 Y = X2 で表されます。
放物線は基本的なレベルで自然界に組み込まれています。重力を受けているあらゆる物質の動きを説明するものです。
同じように宇宙も数学的な形にあふれています。例えば、惑星が太陽の周りを回る軌道は円を引きのばしたような形楕円です。
なぜ、8の字や四角形ではなく常に楕円なんでしょうか?
物理学者はきっかけさえ見つければあらゆるものに一定のパターンや規則性を見いだそうとします。
例えば、何本か枝を見れば、枝が互いに垂直になる状態で何本まで組み合わせられるか、と問います。
答えは3本。我々が生きている3次元を示す数字です。
自然界に組み込まれた数字はきわめて重要です。
例えば、陽子の質量を電子の1836倍ではなく5000倍に変えたとしましょう。
我々は生きてはいられません。自然界のさまざまな数字を少しいじっただけで太陽が爆発したり原子が崩壊したりして生命は存続できなくなります。
ですから、そのような数字は現実の本質を理解するために極めて重要なものなんです」 「量子力学が扱うミクロの世界では確定的なものは何1つありません。
情報といくつかの法則に付随する理解の及ばない数字があるだけです。
素粒子の本質は数字の群れにすぎません。
それらしい呼び名も付いていますが、実際には数字でしかないんです。
世界の根源にあるものは数字だけ。この宇宙は数学そのものです」 >>877
全く説明できていなくて草
理解できていないことを数字と言ってるだけだな
神秘を数字に言い換えてる宗教 しかし文章もまたASCIIコードに変換して数字で表せる
物事を数学に紐づけて考えることは悪いことじゃ無い
寧ろ当たり前のことだ
人間脳味噌もまた理論的に機能しているから会話が成立する
ただろくに世の中を理解できていない人類が世界の真理を知ったような口ぶりで話す様は滑稽だな ソーシャルネットワーク・メディアの書き込みを一次資料として扱って判断するなら、
これは、意図の見え透いた実に下らないヤラセ まあこれは、書き込みを見て判断した掲示板読取り専門家を自認する一個人の見解に過ぎませんが。 >>871
それは進化した未来の人類だろう、未来の我々も絶妙に調整された新たな宇宙を生み出すに違いない >>882
未来の人類ってのがいて我々も同じ道を辿るとしたら
我々を創造したそいつらも元々の世界の住人だったのか怪しくなってくるよな
そうやって無限に創造者を遡ったところに神がいるってことか 人類が世界や真理という概念を持ち出しただけだから、人類が
知ろうとし、語ろうとするのはまったく滑稽だとは思わないし
数学で世界ができているなら、数字で世界を作り出せばいいだけ
の話だし(笑)できないにしても、数学で理解できる世界の
方程式を提示して数学的に教育して貰わないと共有概念ならん。
それと、人類は世界という概念に対して一貫性のある理論を
共有できていない存在だから、会話が成立するぐらいで
理論的に機能していると思い込むのは尚早だろうね。 真理っていう人の名前があったらいいなあ。真理をつかさどる真理ちゃん。
姓名判断どうだろう。 未来の人が同じ過ちを繰り返すことはなく未来は未来時間で成立してほしい。 解決済みの質問
磁力も重力も含め、引力は全て「距離の2乗に反比例する」んですか?
また、これは簡単に言うと、どういう
磁力も重力も含め、引力は全て「距離の2乗に反比例する」んですか?
また、これは簡単に言うと、どういう式で表されますか?方程式を教えてください! ベストアンサーに選ばれた回答
全てではありません
距離の7条に反比例するものもあります
とりあえず、磁力と重力だけに限ってお話します
この手のエネルギーは、仮想粒子により伝達され、、放射元から3次元に放出されます
それを受ける側は、3次元上の存在ではあるものの、その放射をどれだけ受けるかは,表面積に比例します。すなわち、体積(3乗)ではなく、面積(2乗)
そもそも距離が離れれば、それだけ(1次元)弱くなるものが、さらに3次元放射するものに対し、2次元的にしか受けられない(もう1次元下がる)
これにより、距離に半比例するのではなく、距離の2乗に反比例するわけです
引力=1/距離^2 物理学で「不思議なこと」として多くの人が挙げるのは、「重力と電磁気力が、どちらも距離の二乗に反比例して減衰すること」だ
地球や太陽の重力と、電気や磁石の電磁気力
どうみても関係なさそうなのに、この2つの数式はあまりにも酷似している、というより、まったく同じ形の数式だ >>1
そもそも、意味とは?
物体や現象に意味を与えているのは人間で、人間抜きで究極の意味はあるのか? そもそも、「この世界は仮想現実だ」と言い始めたのは西洋哲学の開祖プラトンであり、その後も「西洋哲学は、プラトンにつけられた膨大な註釈である」というほど、それを叩き台にして議論が進められてきた
つまり、「この世界が仮想現実だとしたら、哲学はどうなる?」というのは、話の原点に戻るだけであり、そもそも意味のないテーマ設定 >>884
だから滑稽なんだろう?
知りもしないことを知っていると嘯いているから
君の愉快でおかしな回答をする脳味噌を見る限り確かに人類が論理的に考えているか大いに議論する価値があるがw 知りもしないことを嘆いている(仮)人物相手に議論する価値があるとか、馬鹿だな。 根拠なんか求めなくとも現実と対応していて過不足がないならそれで良いんじゃないか 現実には影を見ているのであれば、影は現実であることになると思うが? 「現実と対応」、ここの恣意性はずっと付きまといます >>876
例えば、陽子の質量を電子の1836倍ではなく5000倍に変えたとしましょう。 我々は生きてはいられません。
物理法則に「もしも」は無い >>904
物理法則にもしもがないのは字面だからだよ
自然に5000倍になったら物理法則の認識を
改めるしかない >>905
それ以前に、われわれは存在できなくなるけどな 宇宙に物質が存在するためには、極めて精密で絶妙な初期設定が必要だ
「だから、神は存在する」といったら、カントによって退けられた「目的論的な存在証明」の現代バージョンになるわけだが
でも、カントも現代の物理学を知ったら、あんなにバッサリ否定できなくなるのは確実 パラレル宇宙では、われわれの宇宙とは異なる物理法則に支配されている しかし、初期設定がちょっとでも狂ったら、たちまち宇宙が崩壊するのも事実
そこを、どう解釈するかだな >>904
そしたら、我々ではない何かが意識を持って、新たな世界の新たな物理法則を見付けるだろう。
それを我々が認識できるかわからないが。 >>913
人間原理だな。
人間が遡って宇宙を眺めるからそういう視点になる。
初期条件が違ったら別の物理法則の別の宇宙が生まれるだけ。生まれないかもだけど。
そしてその宇宙では別の生物が生まれる。生まれないかもだけど。 この物理法則で生まれたから、我々が存在するのは当たり前。 >>894
イデアが好きな人っているなぁ。あれにそこまでの意味はあるか?
そもそも、完成された(神が作った?)もの(ひな形?)というものがあるんだけども、
我々は、そこまで究極的に完全なものを持っておらず、がんばってそれに似せた不完全なもの
を作っているに過ぎないというような思想は、それこそ、プラトン以前にもいっぱいあると思うよ。
そういう感がの延長線上に、イデアという思想はあるんであって、それを考えると、そこまでのもんでもないっしょ。 >>916
まあ、そういう面もあるのだが、生物が生まれるための条件は狭い。
気温ひとつをとってみても、マイナス273度から数千度まである中で、水が液体で存在できる範囲は極めて狭い >>921
おそらく、確率的なことを言いたいんだと思うんだけど。
そいつは、少なくとも試行の回数を考えないとなんともいえんのよ。
駅せつな例が思い浮かばん・・・、まぁ、宝くじも全通り買ったら100%当たるからね! もしも、地球がもう少し太陽に近かったら、水分が蒸発してしまって、生命は存在しない
逆にもう少し太陽から遠かったら、凍りついてしまって生命は存在しない
地球の軌道は、「生命が存在するためには、ここしかない」というところを回っている
その範囲はじつに狭く、綱渡りのようだ >>922
そういう考え方もある
「たとえ、こんな宇宙ができる確率が百兆分の一だとしても、宇宙を創る試行回数を百兆回にすればいい」というもの
リチャード・ドーキンスがそんなことを言っていた 惑星も、無数にあれば、どこかが偶然たまたま最適な環境になる可能性はある
ただし、その確率は極めて低く、試行回数は途方もないものになる これを見れば、「創造主が、初期条件を緻密に設定した」と考えるのが普通だろう
だが、そうではないかもしれない
「無数の試行をした結果、偶然たまたま、こんな環境ができた」というのも、おおいにあり得る シミュレーションをする側としては、そのほうが面白いだろう >>926
そんな惑星で生命に必要なタンパク質が偶然に合成される確率も極めて低いと聞いた >この世界が仮想現実だとしたら
仮想現実が現実として存在することになるだけでわ? >>930
大半の世界内存在にとっては、その通りだろう
だが、たとえ少数であっても、ここが仮想現実であると気づく人はいる この世界が仮想現実だという想定は、
あまり意味がないのでは。
この世界が2層構造(現実と仮想現実とか、
実体と現象とか)だったら、というのならまだわかりますが。
その場合でも、人間は世界のどちらの層とも
関わっているという想定でないと、あんまり
意味ないと思います。人間が完全に
仮想現実(という層)の一部なら、
それが人間にとっての現実だというだけです。 >>932
それは、水槽の中の金魚と同じ
「ここは水槽という閉ざされた世界であり、水草やエサは人工物である」
ということに気づいたところで、金魚の日常生活に変化は無いだろう
気づくこと自体に意味があるかないかは、それぞれの価値観の問題 >>935
上にも書いたが、意味がないと思うなら、それでいい AKB48スレに常駐して、「ボクは美少女アイドルなんかに興味が無いよ」と言い続けるのと同じだ
他人にとっては、「ヒマなら好きにしろ」としか言いようの無い問題 それだけ、潜在意識ではこのテーマに引き寄せられているということだろう 肌触りのように材質の質感を感じるか、石で殴られて痛みを感じて石の硬さを実感するかみたいな だからさ、現実を認識しているのかどうかを確認するために、
触ってみるだけでは不十分だけど、石で自分を殴ってみるような、
現実に大きすぎる影響をもたらすことは避けたいから、妥協案
として、「頬をつねってみろ」とか「頬を平手で叩いてみろ」とか
いうことになるわけじゃん。 「やぶ(破)れ」によって身体に生じる不連続性と、身体を保つ
ためにどのように連続性を回復することが「できるか」という
課題をこなすこと、そこに「生命とは何か」という問題がある
のではないでしょうか? 「動的平衡」のようにまず平衡を前提としてしまうことは、哲学的には悪手だろうという気がする。 >>934
水槽の中と外は相互に関係する同じ現実世界で、
金魚は単に物理的に水槽の外に出られない
だけなので、その例はあまり意味がありません。
人間が基本的に地球の外に出られないのと
同じことです。
金魚が仮に水槽の中が世界のすべてだと
思っていて、何かの理由で水槽の外の
世界の存在を知ったとしても、それは単に
「現実世界についての金魚の知見が拡張した」
というだけで、水槽の中が仮想現実になる
わけではありません。
人間は金魚と同じように自分たちの目や耳から
得た情報を手がかりにして、時代ごとに
そりなりの世界の像を作っています。
今なら百何十億年前にビッグバンで
宇宙ができて、どれくらいの速度で
膨張していて地球はその一部で、
ミクロで見れば素粒子がどうたらとか、
そのようなことです。
仮に将来、ビッグバンでできたこの宇宙が
実際の宇宙のごく一部に過ぎないとか、
そのあり方についての科学の知見が全部
見当外れだとかわかったとしても、それは単に
現実世界についての人間の知見が拡張、変化
したというだけで、それで今までの世界が
仮想現実になるわけでは、全然ありません。 >金魚が仮に水槽の中が世界のすべてだと
思っていて、何かの理由で水槽の外の
世界の存在を知ったとしても、それは単に
「現実世界についての金魚の知見が拡張した」
というだけで、水槽の中が仮想現実になる
わけではありません。
そういうなら、「仮想現実」という表現をやめて、「閉ざされた人工的な世界」とでも言い換えようか。
ついでに、「この世界が仮想現実であることに気づく」というのも、「世界に関する知見が拡張する」と言い換えよう。 どうも「仮想現実」という用語が良くないみたいだな
みんな、この単語に食ってかかってくる たとえばさ、仮想現実において悲しいのと現実に悲しいのは、悲しさに差があるのか? >それは単に
「現実世界についての金魚の知見が拡張した」 というだけ
いいよ、それで。まさに、その通り。
当方が言ってる「この世界が仮想現実であることに気づく」ってのは、そういうこと。 >>945
哲学的用語を全然、押さえてないことが問題なんじゃない?
イデア論とかモナドとか色々あるだろ
この世が仮想現実だと本気で思ってるなら、やっぱり、病院に行くしかない
離人症とか病気の人がかかる症状だから >>951
わかった、わかった(笑)
それでいいよ >>952
本気で思ってるなら、スレッド立てないで病院に行きなさい この世界が仮想現実だと考えている奴は
自分の考えている仮想現実とやらの
定義を示してから語れ
食いついた奴となら、定義を認めた上で
議論できるんじゃない。 >>955
誰が議論するんだよ(笑)
悪いが、その気はない >>956
悪いが君はそもそも
誰からも議論に誘われていないよ(藁) 真に重要なのは、連続性のやぶ(破)れとして不連続性が生じることと、
そのやぶ(破)れから連続性を回復しようとする営みだ。 >>959
その調子で不連続性を営み続ければ大丈夫 >>958
ようやく、おのれの頭の悪さを自覚して、スッ込んでる気になったか(笑) >>961
スッ込みがつかなくなっても
やる気!強気!元気!に
阿呆踊りを披露する
いじらしい>>956w この宇宙は、巨大な量子コンピュータだ
われわれは、その内部に構築された仮想現実世界の住人 「宇宙は大きすぎて、コンピュータのメモリには収まらない」という人もいるが、それは視点がズレている
そうではなくて、この宇宙そのものがコンピュータなのである 今さっき来たばかりの新入りなんでとっくに出ている話題かもしれないけど
以前NHKEテレでやってたモーガン・フリーマンのやつに出てきた物理学者の話
その物理学者はこの世界は未来人が作成したシミュレーションだと信じてる
1.いずれコンピュータが進歩して中の人間が気付かないほど精巧広大な歴史シミュレーションが可能になるだろうし可能になれば繰り返しあるいは平行して何度でも行われるだろう
2.であればこの世界がオリジナルの歴史である確率は実質0である
それはたまたまハムレットの舞台に接したときにそれが初演である確率が実質0であるのと同じだ無数にある再演に対し初演は一度しかないのだから…
というのだけど
この人は哲学者ではなく物理学者でありこの仮説が物理的に検証可能だと信じて研究している
本来方向性はないはずの空間にシミュレーションに由来するグリッド構造による方向性が検出できるはずだという >>971
いまググってみたらハムレットの例えはその人のようですね
グリッド構造を探そうとしている物理学者はサイラス・ビーン
私がまぜこぜに記憶していたようですすみません
物理学者が哲学者の主張を引用していたのかもしれませんが 仮にこの世界が仮想現実であるとして、それはどのように創り出されたのだろうか >>973
上記ニック・ボストロムの言ってるのは未来人が造った歴史シミュレーション
あとは異星人か
現状VRってのはゲームとして発達してきてるから実はお前らはゲームのがNPCなんだよ!というのは最近のラノベにあったと
ハリウッド映画のマトリックスは厳密に言えば造ったのは人間じゃなくAIだけどだいたい最初のパターン >この世界が仮想現実だとしたら、
仮想現実じゃないよ
>>1 少年おっさん
終 世界内存在としての、認識力の限界
この世が仮想現実であると見抜くためには、それを超えなければならない 仮想世界の日本に朝が来た
この「朝」ってのも、実によくできた仮想体験だ >>978
「違う! ここは仮想現実なんかじゃない! 本物の世界なんだ!!」と言い張る奴が出てくるのは、仮想世界モノのアニメのお約束(笑) >>978
無職スレなんだから仮想に逃げてもいいじゃないか! 仮想の支配する現実から逃避してもいいんじゃないかな もちろん、この仮想現実世界から逃避したいのなら、それはそれで自由 >>984
アニメでしか語れない教養のないアホな子乙
そんなだから学校でもバカにされ親から出来損ない扱いされる
惨めだな この世界が仮想現実だということに、地球人類がいまや気づきつつある あまり責めるなよ
他の板へのリンクのない隔離板なのに 仮想現実を、現実として受け入れられるかどうか
そんな議論は、何百年も続いている
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