この世界が仮想現実だとしたら、哲学の意味は?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
この世が仮想現実だとしたら、哲学は無意味?意味がある? >>330
もちろん、脳も仮想現実
この世での人生という仮想体験をリアルに演出する装置 脳と心の関係が重要だ
通常、人は、脳のはたらきを過小評価し、心のはたらきを過大評価している その弊害が何かというと、脳が引き起こしている作用にすぎない思考や感情を、「これが自分なのだ」と錯覚することになる 古代インド思想では、通常、心のはたらきと考えられている「受想行識」をも仮想現実であると断じ、「それは自分ではない」と教えている
こういう、「自分ではないもの」を一つ一つ取り除いた結果、最後に残る何か。
それこそが、本当の自分。 >>341
いや、それはさすがに極論
現実の中から、仮想現実であるものを一つ一つ取り除いていって、最後に残るものがあれば、それが本当の現実 1: 無 職 な 哲 学 (47)
2: 東浩紀458 (76)
3: この世界が仮想現実だとしたら、哲学の意味は? (342)
4: 無 職 は 哲 学 (13) 意識とは何かについて考える必要があるのでは?
科学的に意識とは単なる情報処理なのか?
その信号によって我々が存在するのならば
脳と似た仕組みをもつAIに意識は存在するのか?
例えば僕がSiriに「あなたに意識は存在しますか?」と聞く
そのときSiriは「私には意識は存在しない」と「考えて」答える
そう聞かれたらそう答えるという思考回路が存在するのかも知れない
つまり意識なんぞどうやっても証明できない
今分かってる事実を説明できるような仮説をたてるのが哲学や科学では?
1つだけ分かってることは「自分に意識が存在する」ということ
そこから「人間に」「生物に」「脳に」と仮説をたてていく
最終的にMRIやらなんちゃらで証明した気になって終わる
だが例えば「うんこに意識が存在しない」ことは存在できない
「お前らに意識が存在する」ことも完全に信じたわけじゃないからな! それについては、古代インド思想でも、
「視覚は自分ではない・・・聴覚は自分ではない・・・触覚は自分ではない・・・」
「意志は自分ではない・・・表象は自分ではない・・・認識は自分ではない・・・」
と、一つ一つ排除していった結果、それでも残るものが、本当の自分だという。 じゃあ、残るものは何かってんで、古代インドの偉い人たちが話し合った結果、「アラヤ識だ」ということになった。 AIがどれほど発達したとしても、アラヤ識がない以上、生命体にはなり得ない。 要は、「命のもと」みたいなものが必要だってことですな いかに突飛な考えに聞こえようとも、宇宙が幻影あるいはホログラムであるとする理論は新しいものではない。そしてこの度、科学者たちはその仮説を証明する証拠を発見したと主張している。
イングランド、サウサンプトン大学の理論物理学者チームは、ビッグバンの名残であるとされる宇宙マイクロ波背景放射の調査から、この宇宙が幻影であることを示すサインを発見したと考えている。
宇宙がホログラムであるとは、時間も含め、私たちが三次元の現実として認識しているものを構成する情報が、二次元の表面に蓄えられているということだ。 「三次元の中であなたが見るもの、感じるもの、聞こえるもの、さらには時間の認識もすべて、
実は平らな二次元フィールドから投影されたものだと想像してみてください」とサウサンプトン大学のコスタス・スケンデリス(Kostas Skenderis)教授は話す。
「この考えは、クレジットカードに使用されているような、3Dイメージを二次元の表面にコードした通常のホログラムのそれに似ています。
ですが、ここでの話は、宇宙全体がコード化されているというものです」
あるいは3D映画に例えることもできる。3D映画自体はホログラムではないが、平らな二次元のスクリーン上に三次元の物体があるような錯覚を作り出す。
私たちが暮らす三次元宇宙に違いがあるとすれば、そこでは物体に触れることができ、私たちの視点からは”投影”が”リアル”であるということだ。 物質は存在しない
あたかも存在するかのように見せ掛けてあるだけで、実際には単なる立体映像 「本当は平面なのを、投影して立体映像にしている」という物理学者も多い 世間の一般人も、その意味するところが本当に理解できたなら、凄まじい衝撃を受けるのは間違いない
幸か不幸か、物理学があまりに難解なので、一般人には「ふーん」という感じでスルーされているが というより、この世界の内部の住人にとっては、物質があまりにもリアルなのだ
最先端の物理学を持ち出すまでもなく、百年前から分かってるような事柄だけでも、物質が見せ掛けだけで中身がカラッポのハリボテなのは明らかなんだが、それを真正面から受け止めるのは大胆な発想の転換を必要とする 早い話が、この世の物質というのは、一種の3D映像だ
映像だけど、触るとビリッと来て、「ここに固くてザラザラしたモノがある」というような情報が脳に送られる
そういう仕掛けになっているだけであり、中身は何も無い
でも、この世界に何十年もいると、この世界が本当に存在すると信じて疑わなくなってくる 物理学が難解でわからないというのもさることながら、世間の一般人の多くは、これを「仮説」だと誤解している
確かに、上にコピペした「ホログラム説」などは、最先端の研究者による仮説であり、証明されたわけではない
でも、「この世は仮想現実のシミュレーション」という説でオナジミの内容は、大半が20世紀の前半に発見され、長期にわたる検証に耐えてきた、人類にとって「既知の事実」と言えるものばかりだ
最近は、高校の教科書にだって普通に載っている 「この世は仮想現実だ」という事実を見抜くのに、21世紀の科学など必要ではない
もっと大昔の科学があれば十分だ 世間の一般人は、長年にわたる感覚的な経験から、「物質は存在する」と固く確信している
物理を知れば知るほど、物質が空虚なものであることがますます歴然としてくるのだが、彼らはそれをスルーしている
本当は深甚な衝撃を受けて当然なのだが つまり、頭ではわかっていても、それが「物質は存在する」という強固な確信を揺るがすには至らない
その確信は、それほどまでに強固なのだ ま物理像がいくら変わっても目の前は
変化しないからね
真理が開示された次の日から
どこでもドアが実現とかそういうことは
起こらない
存在するしないが言葉遊びだと
バカでもわかる あるいは、仮説とは思わないまでも、「素粒子レベルでは、そういうことになる」という程度の受け止め方なのかもしれない。
でも、物質は素粒子でできているのだから、素粒子レベルでそうなら、物質も当然にそういうことになる。
物質は、日常生活で感じるような意味では、「存在」していない。
それは、一種の電気信号でできた立体映像にすぎない。
この現実をマトモに直視したならば、深甚な衝撃を受けて当然と言える。 衝撃受けないよ
俺は地球が丸いことに衝撃受けたことはない >>365
「地球は丸い」と知っても衝撃を受けないのは、「地球は平らだ」という強固な確信がないから
強固な確信がないのだから、信念体系が崩壊する衝撃もない >>363
もちろん、それも1つの生き方だ
世間の一般人の大半は、どんなに科学が進歩しても、原始人と同じ素朴実在論のままで生き続ける >>360
波平は、「この世は仮想現実」という考えを、「運知思想」と言っていた >>367
自分は深甚な真理に打ち震えるが
世間は素朴な世界観のままだ
これが幼稚なメンタル >>369
それは、お前が引きこもりで世間の一般人とロクに会話をしていないため、彼らの考え方を知らないから言えること 深甚な衝撃受ける自分に自信クンか
驚くだけならバカでもできる >>372
いや、衝撃を受けるのは当方ではない
「もしも世間の一般人が、この事実を真正面から受け止めたならば、彼らは深甚な衝撃を受けるだろう」
と言ってるだけ 本当は深甚な衝撃を受けて当然なのだが
↓
衝撃を受けるのは当方ではない
小狡い虫ケラだなあwww >>376
わかった、わかった(笑)
そうカリカリしなさんな それにしても、この「この世は仮想現実である」という話に対する、お前の過剰反応はすごいな
よほど、琴線に触れる何かがあるんじゃないか? 考えられる原因としては、「前世はインドの修行僧だったが、みんなと一緒に修行を始めたのに、自分だけ落伍して挫折したので、魂の奥底に深い劣等感を抱え込んだ」とかだな
・・・あ、もちろん冗談だから本気にしないように(笑) >>379
いいから早く「この物理的事実」を具体的に
琴線に触れてるのは具体的な事を述べるのに逃げてる姿勢だ ピーターパン・シンドロームは有名だが、
スレ主は、マトリックス・シンドロームにかかってるね
この世の背後に真理を置き、それを知らない世間を馬鹿にすることを、ニーチェはルサンチマンと名付けた
いつの世もお前みたいなやつがいる
俺だけが世間の知らない真実を知っていると、実は、世間の一人一人がそう思ってるとしたらどうだろう?
お前は、ザ・大衆ということになるだろう
そのばか、逆に、大衆から抜け出す第一歩は、俺は馬鹿だ、何も知らないと考えることだ、
それの方が世間では珍しい、貴重な態度なのだ 具体的な事実を書き込めないから納得出来ないという事実を受け入れられないのか。 >>381
そりゃ、何事においても、マニアと世間の一般人の温度差はそんなもんだろ
AKBヲタだって、「指原莉乃は世間の一般人もみんな知ってるけど、向井地美音は俺らしか知らねーな」って言ってるようなものだ この世が仮想現実で意識が「神」達によるものだとしても
我々の感じる感情に嘘はない
何故考えるのか?それは哲学によって幸福を得るからだ
死が迎えに来るまでに楽しんだもの勝ちだ ニーチェの問題はいわば古典文献をあさるときでもなぜか人間は負けたり勝ったり
していなきゃならないということだよ。そういうイヤな時分から力への意志まで
成長していったんだろう。 >>384
その感情だって、アテにはならないよ
脳神経系や内分泌系が、アドレナリンやドーパミンをはじめとする化学物質を体内で発生させ、それによって引き起こされている面が大きい
それだって「仮想体験」ということだ >>385
「ソクラテス・プラトンが出てくる前のギリシャ哲学」に対する愛着もあったな 感情が何によるものかなどどうでもいい
現に考えることが僕の幸福なのだから 誰が、何のために、こんな世界をつくったのか
それを考えよう ソクラテスは偉人さそれを書物に残したのがプラトン。アリストテレスはそれを分類した。懐かしい人類の記憶さ。価値あるね。 アリストテレスは本業が生物学者なので、分類とか系統にこだわっていた 「犬のイデア」や「猫のイデア」なんてものは存在しない
犬には犬の形相があり、猫には猫の形相があるだけ それは要するに、人間が分類するためにつけた「名前」といってよいだろう
ここから、アリストテレスは唯名論の祖となった 自然現象に興味を持つと、物理の勉強が面白くなるのではないかと思います。
私の場合は、石を投げたときの軌道が机の上で計算できると知ったとき、ものすごく感動しました。
それ以来10年以上勉強を続けています・・・ 石を投げると、それは正確な二次曲線の軌道を描いて飛んで行く
それはまるで、コンピュータが画面に描くグラフのようだ
この宇宙での物体の動きは、一事が万事、その調子 なぜ、この宇宙は、これほど数学的にできているのか?
この問題は、古来から人類をひきつけてきた 名前については禅体験がある。名前だけでも徹夜で語りつくせそうだよ。 石の軌道は、別に二次曲線じゃなくてもいい
アトランダムでも良いのではないか?
これも、普通は「実際にそうなってるんだから、そういうもんなんだろ」で済ませてしまう問題だ 投げることがおかしい事でしょ。と哲学者なら言うだろう。隕石落下なら
職掌でしょうね。哲学者は。 隕石の落下だって、別に重力加速度に比例して落ちてこなくてもいいし、時間に比例して加速しなくてもいい。
アトランダムな動きだとしても不思議ではない。
どうして、宇宙における物体の動きは、これほど数学的なのか。
そして、これほどまでに数学的に正確なのか。 これを、「物理現象が数学的なのではない。人間が、物理現象を数学的に解釈しているのだ」
という考え方も、もちろんある。
でも、これでは何も答えていないに等しい。
これが最終結論だと思える人は、ある意味、幸せな人だ。 どんなに物理が進んでも、すべてが数式で記述できる。
それに外れるものは出てこない。
しかも、人類による物理の探求が進めば進むほど、ますます高度な数学が登場する。
この流れが、果てしなく続く。
宇宙はどうして、ここまで数学的なのか。 星間が星と星の間の空間を指すことはわかりますが、高度100km以上の宙域には
空気はほとんど無いですし、星間気流という表現はちょっと変ですよ(´・ω・`) 逆でしょ
数学で解釈しているに過ぎない
しかし実際には理解出来ているわけでも解き明かしているわけでもない
今ある知識で解釈しているに過ぎないから未来も遠方も測り知れないわけで >>407
18世紀のニュートンやカントの時代なら、そう言っていられた
しかし、21世紀の物理学ともなるとなあ 18世紀には、「宇宙が数学でできているように見えるのは、人間が世界を数学的に解釈しているからだ」という考えに説得力があった
しかし今では、この宇宙が予想を遥かに超えて数学的な構造をしていることが明らかになってきた
このため、数学実在論が復活するに至った なにせ、数学者が、数学の問題を必死で考えて、新しい数学理論を構築する。
べつに、宇宙のナゾを解明しようとして、そうしているわけではない。
単に、数学をやっているだけだ。
しかし、不思議なことに、しばらくすると、それが「宇宙の構造を解明するのに役立つ」と評判になり、物理学界からの問い合わせが相次いだりする。
そういうことが、何百年も続いてきた。
まだ、終わりがない。 昔から同じだろ
人間はそうやって抽象化されたものでしか知覚を超えたものを理解出来ない
余りに貧相な記憶力と演算能力しか持たない哀れな存在だから これは数学で世界が作れないと言ってるわけじゃない
数学でしか理解できない哀れな猿の限界だと言ってるだけだ 人間がコンピュータでシミュレーションするときも、同じだ
まず、「支配方程式」というのを設定する
そうすると、シミュレーション世界内の物体は、常にその方程式の制約下で動くようになる 要するに誰もが直感で感じていることを今まで知る事が出来なかった>>410
君の愚かさが嘲笑されていると言う事に気づいていない鈍さに対して憧憬すら感じる
何言われてもお花畑で暮らせて羨ましいなぁ >>412
人間の記憶力と演算能力はアテにならないが、コンピュータの発達がすべてを変えた >>415
なんだ、お前も、「この世は仮想現実だ」と直感で感じていたのか
それならそうと、早く言ってくれよ(笑) シミュレーション内の構造物に荷重をかけると、プログラムの通りの力が発生して、構造物に歪みが生じる
すべては、前もって定めておいた支配方程式の制約下にある
それを見れば、「リアル宇宙も、こんな感じで作られてるんじゃないの?」と思うのは、じつに自然なこと
このため、宇宙シミュレーション仮説の支持者は、コンピュータ技術者やシミュレーション解析者、ゲームプログラマーが多い 文系の哲学ヲタなら、「宇宙が数学でできているのではない。人間が宇宙を数学的に解釈しているのだ」という、200年前の近代哲学ですでに答が出ていると思うかもしれない。
でも、そうじゃないんだな。
この宇宙は、人間がプログラムを組んで、数式を打ち込んで構築するシミュレーション世界に、あまりにも似ている。
やっぱり、それが宇宙の成り立ちと考えるのが自然だ。 そりゃ人間は世界を理解する為に数学を作りそれで仮想世界作ってるからだろ
君の場合は記憶容量が乏し過ぎて健忘症気味に思考の最中に前提が抜け出ているか致命的に頭が悪いだけだな
これならバカにされても3歩歩けばそれを忘れて幸せに暮らせるだろう
大した才能だな >>419
この考えを持ってる奴が俺以外にもいたとはな
x個の世界が存在していて
いずれそれぞれの世界でシミュ世界が生まれる
そして生まれた世界でも同様にシミュ世界が生まれる
つまり世界は無限に存在する
最初のx個を作った神がいようといまいと
この世界がオリジナルである確率は限りなく低い >>421
神がいるかいないかは別にして、いろいろとシミュレーションの条件設定を変えては、無数の試行をしていると考えられる 仮想宗教。というとピンとこない?宗教の現実は計画生産のコンピュを上回るレヴェルになるでしょうね。 数式のもとは神媒体だから打ち込み系だけじゃないよ。
紙きれを信じますか? 神の時代はもういらないが、生まれる前の事さ、それが再臨されるのも壮絶なさま
であってよいし、静謐とした静かさでもいいのである。 聖書学の方が解釈学的だろうな。数式を空んじたら、さらなる般若心経もいいものだ。 暗唱という文化圏が暗礁に乗り上げても言語が頼みの綱だろう。
ダサい俗物のようで素直で愛らしい、むかつくし、輝いてみせる。 在る 無し にかかわらず永遠に二人の信仰でありなさい。子供は時にはほっといて。 数学的実在について最も古くからある立場で、現在でも多くの数学者は日常的にはこの立場だと言われている立場は「プラトン主義(Platonism)」と呼ばれています。
ただし数学に限っての「プラトン主義」ですので特に「数学的プラトン主義」とも呼ばれて、例えばロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房)にも説明されています。
これは以下の考えに立ちます。
1.数学の諸対象は客観的に、人の知識にかかわりなく実在する。人はそれを発見するのであり、作り出すのではない。
2.数学の諸対象は物理的なものではなく、肉体的経験の時間と空間の外(プラトンによればイデア界)に存在する
3.数学の諸対象は経験の外にあるが、人は(または数学者は)数学の諸対象を知覚できる、または認識できる
4.現実の肉体的経験で認識される諸対象は幻であり、イデア界の諸対象こそが真の実在である 1だけなら数学的実在論(Mathematical realism)に分類される全ての立場の主張であり、私も8〜9割は支持する主張です。
プラトン自身は4の立場ですが、現代の数学者だとまさかそこまで極端な立場の人は希でしょう。
数学者と言えども自然現象に関しては唯物論者が多いと思いますので。
ペンローズは1〜3の立場であり、人間の脳が経験の外にあるはずの数学の諸対象を認識できるということを心脳問題の最重要の謎と考えているようです。
ゲーデルも「感覚的経験から遠いにかかわらず,われわれは集合論の諸対象の知覚のようなものを実際に持っている」と言っているそうです(Ref3,p306)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています