数学を初めとした理系の学問と哲学について 10
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>>849
形而上学の独断性を数学によって乗り越えることはできないということ >>851
だから
形而上学が独断論で
数学によっても形而上学が独断論のままだだとして
何が問題なんだよ お前は馬鹿のようだから、分かりやすく言ってやるわ>.851
もし数学が独断論であったとして
2+3の計算に困るようなことが起こるのか? >>852
俺もお前も困らない
困るのは>>822 822も別に困らない
なぜなら奴は、独断論的哲学と数学とを区別したかっただけだから
問題なのは、「数学も独断論だ」と口走った>>838 馬鹿にも分かるように言ってやるとだな
「人間と動物を区別しろ」と言った奴が>>822だとすると
「人間も動物だよ」と言ってしまうのが>>838 区別する能力がおまえには無いってことじゃねーの?
分かりやすく言ってやると「猫に小判」 数学が形而上学同様の独断論的というのは、意味的には完全に偽とは言えないけど、
表現法がやや拙いとは言えそうだ。
公理系は証明し得ないもの、もしくは証明不要なものが用いられるので、
そこにそうした恣意性が介在する要素はあるかもしれない。 ただ、これはゲーデルも言ってたことだけど、一度、ある公理を選択してしまえば、
そこからは演繹なり、そこから証明される定理があるのみで、独断論的となる、
あるいは、創造性を駆使出来る ような自由は、数学には全然ないと述べていたよ。
つまり、数学は想像でも信仰でもなく、厳密な手続きという観点だね。 だから、好き勝手なことが出来る創作やポエム、何でも仮構出来る信仰と対極にあるのが数学だろうね。だから数学が苦手な連中は、安易なポエマーになるのだろう。
そこには数学のような厳密な知的負荷がかからないので、頭を使うのが嫌いな人には
ニーズがあるのだろう。 感じた事を表現する為に理解できない言葉は使わないよね 男は女じゃないが同じ人間。
ふたなりは男であり女であり・・・と、
はっきり区別できないが同じ人間。
これがなにを語るか。 >>865
ポエマーの対局はどのように868を語るか期待。 数には大きさがない。
0次元が無限にあったら1次元になるのか?
二次元、三次元、四次元。
さて次元は実在するのか。 "if P(x) then Q(x)" is defined to mean ∀x(〜P(x)vQ(x)) . 遺伝子としたら男女ふたなりは差異。
猿、魚、亀、人間。
ウィルスは区別し難いが物理として差異。 分類は差異を否定で理解する。
分類困難が出てくる所以。
分類すると差異であることがわかる。 >>861
区別できないものを区別できたと主張することもまた独断論ってこと >>880
馬鹿だから区別できないものを区別できたと思い込んでいる可能性はないの? >>884
ないね
なぜなら、「分かる」とは「区別できる」ことだから 数学はclassification で合っているよ。機械学習もデータの特徴量を特徴ベクトルで
クラスタリングしているだけ、だと言ってもいいくらいだ。
集合でも「環・群・体」など、集合の構造の違いごとに分類したものだ。
ガロアが最初に群という言葉を使っていたらしいね。 今、ちょうどあなたにお薦めの本で、離散数学「ものを分ける理論」というのが
出て来たけど、まさに、今言ったことがそのまま著書名になっている。 ワインの違いが分からない人は馬鹿だよね
舐めただけで天然水の硬度が分からないと馬鹿だよね そりゃあ、連続量の方がアナログで自然な人間の感性に適合しているからだろう。
離散量は、そこからの抽象化だから。 >>885
区別の恣意性に無頓着すぎて区別できたと思い込んでいないことの証明になっていない
>>848で構図が成り立たなくなると言ったのは独断的区別に気付いてもらうため
>>879はその点をはっきりと述べている
恣意的に意味付けして区別できましたと言うだけなら誰でもできる
区別しないというのも実際は区別しているのであり意味付け行為だという指摘にはその通りだだから区別しないと区別するは区別できないのだとあらかじめ答えておく >>893
おまえの言うように、“区別しないと区別するは区別できないない”なら
そもそも証明がおまえにとって意味の無いことになるんじゃないのか?
そんなおまえさんに、何をどうやって“証明”してやったら納得できるんだ?え? >>894
おまえ何かを証明したつもりだったのか? >>887
数学をはじめとするということは、数学に終わるしかないということだね >>896
「証明になってない」と言ってるのは>>893だな
つまり彼は証明を要求しているわけだ
だが彼は一方で、「区別すると区別しないは区別できない」と言っているのだよ
じゃあ彼が要求する証明って何だ?って話だな
分かったか
糞も味噌も一緒にして平気な奴は
一生そこにいろよ >>894
俺が求めているのは証明というよりも君が自分の主張を独断論だと認めること
恣意的に前提を置けばいくらでも証明できましたと言うことができる
そうなると独断論でない証明はありえないかもしれないと思うことがある
それでも恣意的でない証明が可能だと思いたい
そこまで言うのなら独断論でない証明がありえることを独断論でない方法で証明してほしい
それができないのなら独断論的主張をまき散らすのをやめてほしい
誰にでもわかるように一言で言えば馬鹿は黙ってろってこと 醜いアヒルの子定理
醜いアヒルの子を含むn匹のアヒルがいるとする。この時、醜いアヒルの子と
普通のアヒルの子の類似性は、任意の二匹の普通のアヒルの子の間の類似性と
同じになるという定理。n匹のアヒルの子を区別するために、K=log(n)個の
二値の特徴量を使う。これらの特徴量を使ってできるルールは、各アヒルに
ついて含む・含まないが独立にありうるが、どのアヒルも含まないルールは
除外するので,全部でN=2^n−1個存在。
これらN個のルールのうち、醜いアヒルの子とある普通のアヒルの子の
どちらも含むようなルールは2^n−2個。一方。任意の二匹の普通の
アヒルの子を同時に含むルールはやはり2^n−2個。 二匹のアヒルの類似性をこれらを共通に真にするルールの数で評価すると、
醜いアヒルの子と普通のアヒルの子は、アヒルの子どうしと同じくらい
類似していることになる。
これは、各特徴量を全て同等に扱っていることにより成立する定理。
すなわち、クラスというものを特徴量で記述する時には、何らかの形で
特徴量に重要性を考えていることになる。この「醜いアヒルの子定理」は、
特徴選択や特徴抽出が識別やパターン認識にとって本質的であることを
示唆している。 >>901
おおそうか
君が求めているのは、なるほど君の言う通りだと俺が認めることなのかね
しかし君の言っていることも独断論なわけだろ
そうすると君は「ある種の独断論に対してはその主張を認めるべきだ」と
そう言いたいことになるけど、それで良いのかね http://www.afpbb.com/articles/-/3103277
「コーヒーカップがドーナツに」、トポロジーが開く未来
位相幾何学(トポロジー)の研究者は、コーヒーカップとドーナツの違いが
分からない。トポロジーは、物質の形を、中核的性質を失うことなく新しい形状に
完全に変形させることを可能にする仕組みを説明する学問だ。ジョークの中の
例えで言えば、コーヒーカップとドーナツは全く同一のものだ。
これらがゴムでできているとすると、一方を曲げたり伸ばしたりすれば、
その本質を変えずに、もう一方の形に変えることができるだろう。
カップの取っ手の部分と、ドーナツの中央には、それぞれ穴が1つある。
これにより、この2つは「位相同形」とみなされる。 スペイン・サラゴサ大学理論物理学部のマヌエル・アソレイ氏は
「ティーカップの取っ手の穴に指を通すことは可能だが、ジャガイモには
指を通すことができない。そのため、これらは2つの異なる位相オブジェクト
のカテゴリーになる」と説明する。
長い間、数学の中だけの存在だった、基本的な形状の奇妙な宇宙を対象と
するこの分野が、物理学の領域に導入されたのはほんの数十年前のことだ。
トポロジーは今日、スーパーコンピューターから超電導体までに及ぶ、
多数の実用化が見込まれる物理学の幅広い分野に急速に拡大している。
物質を「トポロジカル状態」にすることで、エネルギーや情報を現在可能な
レベルよりさらに遠くへ、より高速に運べる日が来ることを、科学者らは
期待している。
「先駆者たちは、トポロジーが物理学と何らかの関連性があるかも
しれないとみていた」とアソレイ氏は言う。 ■頑健性がカギに
「ゴム膜の幾何学」とも呼ばれるトポロジーは、物理学では現在のところ、
理論と実験の領域にとどまっている。だが、トポロジーの原理は
10〜20年以内に、特に量子エレクトロニクスや量子コンピューターの分野で、
実用的および商業的な用途が見いだされることが広く見込まれている。
例えば、消費電力が従来よりはるかに小さい新物質などが、この分野の研究
から生まれることが期待される。
フランス国立科学研究センター(CNRS)の物理学者ダビド・カルパンティエ氏
によると、トポロジカル物質の主要な長所は「変形させる力を受けても、
その丈夫さが保たれることだ」という。「未来の量子コンピューターを
構成するための基盤として研究が進められているのは、まさにこの
トポロジーの頑健性なのだ」
いまだ設計段階の量子コンピューターは、同時に2つ以上の状態をとり得る
素粒子の性質を利用して、超高速の処理速度を実現することが見込まれている。 >>904
>君の言う通りだと俺が認めること
>ある種の独断論に対してはその主張を認めるべき
ではなくて
君が君の主張を独断論だと認めること
ある種の独断論に陥らないよう注意するべき
ということ
君の主張だけでなく俺の主張も間違っている可能性があるから君が俺に屈服しても何にもならない 同相という概念があるよね。
ドーナツとコーヒーカップが位相同型にあるとは、
直観的にはなかなか感じられないことで、数学的説明されてはじめて、
そうなんだー、となる。 位相空間 A, B の間の写像 f: A → B が連続かつ全単射で、その逆写像もまた連続であるとき、
f を同相写像 (homeomorphism)、あるいは単に同相という。同相写像の逆写像は明らかに同相である。
A と B との間に同相写像が存在するとき、A と B は同相、あるいは位相同型であるという。 >カップの取っ手の部分と、ドーナツの中央には、それぞれ穴が1つある。
これは大きな誤りだな。巨視的に見れば、コーヒーカップにもドーナツ
にも穴が1つしかないように見えるが、少し拡大してみれば、ドーナツ
は穴だらけでスカスカだが、コーヒーカップの方がは、物理的に基準と
するレベルを変えなければ、穴は依然として1つだけ。だから、
コーヒーカップに水を入れても漏れないが、ドーナツに水を掛けると
ぐちゃぐちゃになる。 >>908
それからな
私は、「独断論でない証明が可能だ」などと主張したことはない
証明が恣意的な前提による独断論であっても、私はいっこーに構わない
それを認めたところで、三平方の定理に意味がなくなる、なんてことは起こらないわけだ
>>838は「数学もまた独断論」だと言ったのに対し
だからどうだと>>842(私)が言った
『恣意的に前提を置けばいくらでも証明できましたと言うことができる』
そのとおりだが、数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提などあるのかね
教えてくれたまえ
それを言えないのなら、君の主張など絵に書いた餅なんだよ >>908
あとよ
君は自分の主張を独断論だと認めているのかね、いないのかね
認めているなら、独断論に陥らないように君自身が注意するべき、なんだろう?
認めていないのなら、君は「独断論ではない哲学」を手に入れたわけだ、おめでとう
他人のの主張にもその哲学を発揮したらどうだ >>911
そういう物理的な話をしているのでなく、位相がコーヒーカップとドーナツで
同相で同じだと言っているんじゃないの。位相的に見ると、両者の構造が同一
であると言っているだけで、ここでは物理的な組成や性質を問題にしているの
ではない。ここでは、両者の抽象的な性質を問題にしている。 それに、巨視的なレベルで見れば、存在するものはすべて点として表せるだろう、
もしくは、無限小であるような点。惑星もビルも人間もヒマワリもミジンコもね。 あともう一つな
独断論だからといって間違っているとは言えない >>913
>私は、「独断論でない証明が可能だ」などと主張したことはない
証明することにこだわったのは君だよね>894>900
だから独断論でない証明はありえないかもしれないと言った>901
証明によっては何も解決しないよってこと
>証明が恣意的な前提による独断論であっても、私はいっこーに構わない
そもそもの始まりは
「独断論的哲学は何でも有り」と「数学は何でも有りでない」という対立構図>821>822
に対する異議だったのに
>独断論であっても、私はいっこーに構わない
と言われると悲しい気持ちになるね
まあ相手を黙らせるための主張を繰り返しているうちに自身の主張と矛盾することは馬鹿にはよくあることだから
>三平方の定理に意味がなくなる、なんてことは起こらないわけだ
既存の独断論の中に閉じ籠っている限りはね
現在の数学とは異なる新たな叙述の形式が発明されると意味がなくなる
それはちょうど独断論的哲学が別の独断論的哲学に塗り替えられた際に起こることと同じ
>>>838は「数学もまた独断論」だと言ったのに対し
>だからどうだと>>842(私)が言った
形而上学は独断論
数学は独断論でない
という構図が成り立たなくなる>848
と俺が言った
>そのとおりだが、数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提などあるのかね
数学の独断性については>>863が代わりに説明してくれた とある数学者も言っていたが、物理や化学と違って数学の命題は暗記するものではなく理解する物である
公理さえ定めてしまえば全て道で繋がっている、一つの世界が出来上がるのが素晴らしいところ
そして命題の理解と証明とはとても密接な関係にあるのだから証明のための証明に抵抗を感じる数学者は少なくないだろう >>914
認めている>>893>>901
独断論に陥らないように注意している>>908
その上で君が独断論に陥っていたから指摘してあげた
>>917
>独断論だからといって間違っているとは言えない
その通りだが
形而上学は独断論
数学は独断論でない
という構図が成り立たなくなる
という話をしている >>918
バカいえ
>>893が「何の証明にもなっていない」と言ったのが“証明”の話が出てきた最初だろ
何が「悲しい気持ちになるね」だよ(くっせえ)
それと「数学は何でも有りではない」わな
たとえ独断論のレッテルを貼られたとしてもだ
あと、突然に形而上学を言い出したのも>>848だ
>>822の奴は「独断的な言説」と言ってるだけだよな
それを自分に都合良くストローマンかましてる奴がいるわけだ
>>863は、『数学の手続きには独断論的となる自由は全然ない』と言ってるのだよ
よく読め >>920
だから
「独断論に陥らないように注意すべき」
というのが、そもそも独断論なんだよ、ばーか 数学が形而上学同様に独我論というのは少し言い過ぎかなと思う。
では、背理法みたいな感じで、「数学は独我論である」と仮定して論を進めてみよう。
数学が独我論であるならば、数学を使う科学や物理も、科学技術や工学体系も
独我論的なものである。しかし、ロケットは正しく軌道計算のもと計算通り飛翔し、
コンピューターもスマホも自動車も電車もアルゴリズムに基づいて使用でき、
文字コードもそれが正しければ、文字化けせず可読となる。
もし、数学が独我論的で非客観(主観)的なものであるのであれば、前記のような再現性の
ある事態は生起し得ないはずだ。よって、「数学は独我論である」はそれに矛盾するので
この命題は偽となる。
みたいな感じかな。あくまで背理法風なので、そこはよろしく。 >>921
>>>893が「何の証明にもなっていない」と言ったのが“証明”の話が出てきた最初だろ
証明することにこだわったのは君だよね
って言ってるよね
>それと「数学は何でも有りではない」わな
>たとえ独断論のレッテルを貼られたとしてもだ
独断論の意味わかっていますか
論証が厳密性だからといって前提が恣意的でないとは言えない
>突然に形而上学を言い出したのも>>848だ
>>821に「独断論的哲学」とありますが
>>>863は、『数学の手続きには独断論的となる自由は全然ない』と言ってるのだよ
ほんとだね
その点については誤りを認める
ただ
>ある公理を選択してしまえば、そこからは演繹なり、そこから証明される定理があるのみ
このような論理展開こそが独断論なんだよ
>>922
>>920で独断論であることを認めているだろ
その上で注意していると言っているのであって
自分は独断論に陥っていないとは言っていない >>924
独我論と独断論の違いは横に置いておくとしてもう少し哲学の歴史を勉強したほうがいい >>925
証明にこだわっているつもりはない
つまりこういうことだよ
『区別しないと区別するは区別できない』と言っている君が
その口で『証明になっていない』とか良く言えるよなー、と苦笑してるわけだ
なぜなら、3と4が区別できないような下等生物に証明など無理な話だからね
どうして「こだわっている」なんて思ったのかね?
君がそう思いたいだけだろ
あと、君にとっては『独断論的哲学=形而上学』なのかね?
それと、私は、君の主張が独断論であることを批判しているのでは全くない
君自身が「独断論に陥らないように注意する」と言っていることに失笑しているのだよ
なぜなら、「独断論に陥らないように注意するべきである」は独断論なのだから
独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
分かってもらえたかね ああ、それと、>>863を君自身が誤読していたことを認めていただいたようなので、
もう一度尋ねるが
数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提を教えてくれたまえ
>このような論理展開こそが独断論なんだよ
よく分からない
論理展開そのものが独断論だ、と
そう言いたいのかね? >>919
物理や化学には理解はいらんのか?
誰がそんなことを言ったんだ? なんか論理パラドクスみたいな話が延々と続いているようだね。
張り紙禁止の張り紙は矛盾しているか否かとか、
選択しないのも、選択だとか、
屁理屈も理屈であるとか、
クレタ人の嘘つきパラドクスとか、
そういう言語や論理のもつ、もつれや矛盾を巡る無限ループかな。 >>931
ラッセルのパラドックス。
自身(の視点)が系外にいる事が前提だから。 >>927
>何をどうやって“証明”してやったら納得できるんだ
と証明することに意気込んどいてこだわっているつもりはないって馬鹿なの?>894
>君にとっては『独断論的哲学=形而上学』なのかね
厳密には独断論的哲学の典型例が形而上学だね
>独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
だから自分の主張が独断論だと認めてる>893>901>920
そして自分が正しいと主張したいのではないとも言っている>901
だから
>独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
と得意げに言われてもその点については自分で認めているのにこの人は何を言ってんだろこの人馬鹿なのかなくらいにしか思わない
>>928
>数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提を教えてくれたまえ
3が3でなければならない理由も4が4でなければならない理由もどこにもない
3の次が4でなければならない理由もどこにもない
>論理展開そのものが独断論だ、と
>そう言いたいのかね?
どのような前提を選択するかは恣意的であるということは理解できるかな
そのような前提から結論を導き出すまでの過程に瑕疵がないからといってそのような前提を選択したことが恣意的でなかったことにはならないということもわかるかな
そのような前提から結論を導き出すまでの過程に瑕疵がないからといってその結論が唯一絶対の真理ではないということもわかるかな
これらについてはユークリッド幾何学とリーマン幾何学を想定すれば理解できるよね
恣意的に前提を選択しユークリッド幾何学の正しさを証明したところでリーマン幾何学を誤っていると断定するような論理展開が独断論なんだよ
当然ユークリッド幾何学の正しさをもってリーマン幾何学が誤っているとは言えない
恣意的な前提から結論を導き出すことが独断論だということ
独断論の意味を調べればわかるけど >>938
形而上学は多義的に使用されますが
カント以降では
『超越に対して無批判にその実在を認識できるとするような考え方』
のように使用される場合が多いですね
カントがこれを「独断論だ」と批判したので、この意味での形而上学は独断論的であることに
なるのですが、そもそも独断論(的哲学)というのは、
「特定の学説を真理として主張する哲学」のことですね
しかし元祖形而上学たるアリストテレスの形而上学はそれとは全然ちがう感じです
これ言ってみれば「哲学用語辞典」のようなものですね
「元」「因」「要素」などなどが何を意味し得るのかを思考した記述です 貴方が自分の主張を独断論だと認めていることは承知しています
しかし今、それが問題なのではありません
貴方が自分の主張を独断論だと認めながら、「独断論に陥らないように注意している」と言うので
「おかしなことを言う人だな」と言っているわけです
何をどう注意するつもりなのですか?
3が3と呼ばれる理由はない、という意味ならその通りです
(ただし、「3が3である理由はない」という表現は非常に問題があります)
しかし3と4は区別できるし、区別した方がよい、と私は思いますが
貴方はそうは思わないのですか
リーマン幾何学をもって、ユークリッド幾何学が覆されるようなことは無いのです
なぜなら、互いに独立した系であり、『そのことが理解できるから』です
ですから、貴方が>>918で言うように「意味が無くなる」とか、「塗り替えられる」とか
そのような話にはなりませんし、ユークリッド幾何学の正しさを証明することで
リーマン幾何が間違っていると断定するようなことにもなっていません
(そもそも、ユークリッド幾何学の正しさを証明することはできません) 数学の基本は美しさです。独断論ではなく美学なのです。
一部だけをみると、数学はたくさんの熱を放出していて今一つ美しくみえません。
しかし、系としてみると、とても美しい結晶構造です。 >>939
現代はカント以降なんだから間違ってはいないと思うけど?
>>940
>何をどう注意するつもりなのですか
注意していれば事故に遭わないのか?
自分の主張を独断論と認めながら独断論に陥らないように注意するというのはどれだけ注意しても事故に遭ってしまうということ
独断論は前提の時点で始まっている
>貴方はそうは思わないのですか
3と4を区別できるのはその前提となる公理系を受け入れているからに過ぎない>>893
>リーマン幾何学をもって、ユークリッド幾何学が覆されるようなことは無い
だから
当然ユークリッド幾何学の正しさをもってリーマン幾何学が誤っているとは言えない
と言っている>>938
あくまで恣意的な前提から結論を導き出すことの例として述べただけであって>>918とは趣旨が異なる >>942
注意していれば事故に遭わない?
「独断論に陥らないように注意する(べき)」がそもそも独断論なのですから
貴方が実際にやっていることは
「喋っちゃいけない喋っちゃいけないとぶつぶつ喋っている」ような状態に見えるわけです
私なら
「何を主張しても独断論なのだから、独断論を区別すべき」
と言いますけどね
しかしそれは貴方の自由ですね
>3と4を区別できるのは、その前提となる公理系を受け入れているからに過ぎない
無造作にそう言ってしまうこともできるかもしれませんが
公理系などというのが成り立つのは、「対象を区別する」ことを抜きには成立しないでしょう
>>918とは趣旨が異なっても別に構いません
実際に、ユークリッド幾何学の正しさを証明してリーマン幾何学を誤っていると断定するような
論理(貴方によれば“独断論”)が展開されている事実はありませんよ、と
そのことをご理解いただければ十分ですよ 一人で判断することが独断か
みんなで決めたら「〜べき」は独断じゃないね >>943
>それは貴方の自由ですね
もう終わらせたいの?
>公理系などというのが成り立つのは、「対象を区別する」ことを抜きには成立しないでしょう
公理系が設定されることで区別が生まれるんだよ
>展開されている事実はありませんよ
だから例だって言ってるだろって思ったけど「先例」の「例」とも読めるな
「例え話」の「例」だから
これは失礼 >>945
>もう終わらせたいの?
いえいえまさか
いくらでも付き合いますけど、この先、貴方が傷つくことにはなりませんか?
公理系に限りませんが、何かを“設定”しようとしたら
aをXとし、bをYとし、・・・
というように説明が必要でしょう
対象を区別して捉えることなしに、何も説明できないのですよ
区別する作用を度外視して、どうやって公理系を設定するのですか
ためしにやってみてもらえますか
リーマン幾何とユークリッド幾何
「例になっていない」と理解していただいて、ありがとうございます >>946
>貴方が傷つくことにはなりませんか
君が独断論でない証明がありえることを独断論でない方法で証明するか自分の主張を独断論だと認めるまでやめない>>901
>ためしにやってみてもらえますか
公理系とは前提のことだっていうのはわかってるよね?
>aをXとし、bをYとし、・・・
この「とし」ってところがミソ
「とし」ってことは恣意的な意味付け作用が働いている
区別する時点においてすでに前提が設定されている
前提を踏まえて対象を見ているから区別できるということ
幼児向けに単純化すれば見たいように見ているということ
公理系が設定されることで区別が生まれるとはそういうこと
独断論は前提の時点で始まっているとはそういうこと
独断論でしかないけれど >>946
漏らした
>「例になっていない」と理解していただいて、ありがとうございます
例え話のつもりだったんだ
ごめんね >>948
いやいや
私の主張は独断論ですよ
それを否定したことは一度もありません
以前にも言っていますが、「独断論だからどうだと?」
「独断論を区別するべき」だとね
>「とし」ってことは恣意的な意味付け作用が働いている
その前に、aとかXを認識しているのです
漏らした?
例え話も含め、貴方の話は妄想が多いですね こういうやり取り見てると、哲学ってくだらねえなと思うな
ボクチンはこう思うっていう言葉遊びのバトル何が楽しいんだろ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。