哲学を歩くほど
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「哲学を歩く」という、意味がつながらない文を言語分析する こういう間違った言葉の使い方を放置したまま独断的に思考を進め続けるとヘーゲルが出来上がる 独断的な考えになると言うのが面白い。
言葉からして独りよがりだから? 身元の同一性の保たれない不特定の名無しさんの独断とはどのようなものだろう 「哲学を歩く」とは、なかなかよい言葉だと思います。文学的です。 実際歩くと脳も働く
古代ギリシア哲学者も良く歩く
しかし外を歩く気にはならない
是如何に ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています