カール・マルクス 16
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>>408
ドイツイデオロギーで散々批判された観念論的アプローチだよ デカルトとバークリーがすべて悪い
『唯物論と経験批判論』を参照せよ! >>407
資本家制生産様式ってなに?
日本語としてめちゃくちゃなんだけど? おそらくブルジョワが主導権を握った資本主義社会の運営ということで、
『ああ野麦峠』のようなものを意味しているのだろう(と推測する)
でもそのブラック企業的な責任を労使対立に問うマルクスの階級闘争観は的外れだよ
ブラック企業問題が生じる前に全世界単位で法整備するべきだったというのは例え計画経済でも無理だ
お巡りさんと同じく、悲劇的な事件が起きてからしか対応できないのが人間の認識力の限界 「資本家制生産様式」って、マルクスの用語だよ。
マルクスは「資本主義」なんて言葉はほとんど使ってない。 ブラック企業が作られてもそれに対して自浄作用が効いていないどころか
下請けいじめと化して更に酷いブラック企業が作られるデスパイラル
そしてマスコミも一流企業の揚げ足だけを取って実態を把握して報道していないために全く機能していない。
でしか資本主義は戦争・革命でしかその負の仕組みを解消できない宿命にある。
その後に作られる社会は少しはまともになるだろう。
スマホを捨て手に武器を持ち立ち上がれ。 「資本家制生産様式」も知らない初心者であることが問題なのではない
マルクスを読んだこともないのがバレバレなのに態度がでかいことが問題なのだ >>415
資本家制生産様式じゃ、日本語にならないぞw >>413
そういうのを単純翻訳バカというんだよ。
資本家制、なんて言葉が日本語として通用するとでも思ってるのか? >>417>>418
なんだ、なにも知らないのかw kapitalistische Produktionsweiseは普通は「資本家的」と訳すけど、別に「資本家制」でも間違いとはいえない。
原語のニュアンスにも幅があるし、所詮は翻訳だから。 >>423
資本家的だの資本家制だのって、日本語になってないんだよw
資本家というのは、個人あるいは人の集合を意味する。
資本家的、というのは資本家と同じ様な振る舞いをするという意味になる。
資本家制、では、まったく意味が成立しない。
外国語と日本語が一対一の対応になるわけでもない。
だから先人たちは資本主義という、理念を示す訳語を使った。
明治時代の日本人のほうが、真の語学力があったということだろう。 ミッテンビュルガーやブルジョワジーとキャピタリストは同じでしょ
ブルジョワ的なという言い回しだと日本人にはいまいちピンとこないけど 資本制生産様式という用語はマルクス経済学のテキストでよく見るけど資本家制生産様式は見たことないな テロスの意味理解してからものを言えザコ
つーか廃棄物 経済学じゃないって言ってなかったかな?
経済学単独でできる話など無い ところで、糞スレついでにバックミンスター持ち出した自己保存機械くんはちったあバックミンスターについて何か言ったらどうだ?テクノバブル野郎 >>430
資本論は、完全に経済学の書だよ?
マルクスが半生を捧げたのは、経済学の研究。 経済学でも 分析書と可が出てるぐらいで理論的には一向に進まないね。 何がどう経済学的なのか君が理解しうる範疇で構わんから具体例を挙げてくれ そもそもが間違ってるリカードの労働価値説の上に剰余価値説とかいう宗教を築いただけじゃん
資本論もミルや国民経済学のみなさまを中傷して罵るばかりでさっぱり自説を論じてないし
他はスミスやリカードの学説を言葉を変えて言い換えてるだけw
あの時代に経済学研究してた社会主義者はプルードンだけ 資本主義って理念じゃないだろ
システムを広くあらわす言葉だよ
もともと、「資本主義」って造語があまり上手くなかったんだよ
それこそ理念だの思想だのと勘違いする馬鹿がでてくるから
kapaitalistisch ってもともとはKapitalistから来てる言葉だろ >>444
資本主義というのは理念そのもの。
生産手段の私的所有を認め、労働を資本が所有することを認めるという理念だ。
言葉の置き換えの問題にしたがる翻訳バカは黙ってろ。 自己保存機械くん
バックミンスターフラー早く出せや せっかく建築の問題系の話の
切り口になりそだったのに
自らふいにしたな マルクスの言葉に囚われることなく、マルクスが論じたような問題について
日本語で考え直せばいいのでは?
価値論を「あた(能/値/与)ふ」ことから考えるとか。 ただ聖人の言辞のような訓詁的な読みが
要求されるからね
つまりなにか矛盾や疑問点があれば
それはテキストを誤読しているのだ、という姿勢ね
そのためにいろいろな回避戦略や訓詁が
施される 個人名を冠するということはそういう
ゲームだってことだよ
人類普遍の真理が発見されたんだから >>453さんは、ゲームの意味がわかって使ってると思うけど、>>454さんもわかって使ってる? その言い方から察するに、
454の俺は分かってないことになるね >>456
勝手に決めつけて申し訳ないけど、>>453さんは、ウィトゲンシュタインが使ってる意味で、ゲームと書いたんじゃないと思うんだよね。
違ってたら>>453さんが訂正してね。 エンゲルスやラサールが生きてる時点で既にマルクス個人崇拝の宗教になってた
エンゲルスはカーライルの影響か、意図的にマルクスを偶像化している
東側諸国で成功したベトナムやキューバ、ユーゴには本物の戦争の英雄がいたことを思い出そう
生ける伝説と化した英雄なくして共産主義は成り立たない
共産主義は英雄主義としての宗教である >>458
あまり問い詰めるほどのことじゃないと思うよ
ゲームって聞いてヴィトゲンシュタインなら結局柄谷なんでしょ? >>460
柄谷って、ウィトゲンシュタインからはもっとも遠いいと思うけど?
まあ、スレ違いになるから、僕はこれ以上ウィトゲンシュタインには触れない。
あなたが反論(感想)を書くのはもちろん自由だが、僕のレスは期待しないで欲しい。 実際、理論家マルクスに
ゲバラを代表とする胸踊る革命家の群像
っていう対比に心酔した左翼も多いだろうし 崇拝の対象が水の上を歩いたキリストや神という存在しないものから
実在する人物と本人が書いたテキストへ移ったのはちょっとした進歩かもしれない
しかし時代遅れな学説を曲解してまで正当化するのは
エンゲルスやレーニンが定義するところの"観念論"およびその混乱に陥る
『フォイエルバッハ論』(エンゲルスの方)を参照せよ! マルクスってユダヤ入った
進歩史観さえなければよかったんだけど >>465
牧歌的な村落共同体がたとえ無害にみえようとも、それがつねに東洋専制政治の強固な基礎となってきたこと、
またそれが人間精神をありうるかぎりのもっとも狭い範囲にとじこめて、人間精神を迷信の無抵抗な道具にし、伝統的な規則の奴隷とし、
人間精神からすべての雄大さと歴史的精力を奪ったことを、忘れてはならない。
受動的な生き方が、他方では対照的に、乱暴で、盲目的で、とどまるところを知らない破壊力をよびおこし、ヒンドゥスタンでは殺人をさえ宗教上の祭式にしたことを、忘れてはならない。
(「イギリスのインド支配」)
「進歩史観」は必要だと思う。 >>466
それはいい視点だね
ありがとう
ただ進歩史観の暴力もあるから
いろいろな進歩史観的な発想があってもいいけど
ある特定の進歩史観を絶対視すると
間違いが起こるよね >>467
なるほどイギリスがヒンドゥスタンに社会革命をひきおこした動機は、もっともいやしい利益だけであり、その利益を達成する仕方もはかげたものであった。
しかし、それが問題なのではない。問題は、人類がその使命を果たすのに、アジアの社会状態の根本的な革命なしにそれができるのかということである。
できないとすれば、イギリスがおかした罪がどんなものであるにせよ、イギリスはこの革命をもたらすことによって、無意識に歴史の道具の役割を果たしたのである。
(「イギリスのインド支配」)
マルクスはこうも指摘している。
特定の進歩史観を絶対視しないために、客観的な社会の分析として『資本論』を書いた。 >>468
それは違うな
今度は資本論が違う支配的な史観を作り出すだけだから
それを回避するには資本論を歴史的なものとして
一旦相対化してその後にその中から現在必要な道具を
探さないといけない
どうしても役に立たないなら捨てればいい >>469
『資本論』というのは、資本主義経済を分析したもの。
資本主義経済の、つまり生産手段の私有と資本による労働の所有を認める社会の経済構造を分析したものだから、相対化するとか、必要な道具を取り出すとかいう見かたとは無関係。
正しいか間違いかという判断をする必要はあるが、現在までのところ、間違っているところを指摘できた論文は見たことがない。 >>470
補足。
なんだか、すべての論文を読んでるような書き方をしてしまった。
もちろんそんなことはないので、論理的に『資本論』の間違いを指摘したという話は聞かない、という程度のこと。
申し訳ない。 なるほど君が出会ってないだけか
それならどうでもいいわ イギリスの植民地支配がインドの頑迷固陋なヒンドゥー社会に変革をもたらしたって?
現在のインドを見る限りそうでもないだろ
ここにまたひとつ、マルクスの予言は外れた ということは
どうにもならん連中は支配して文明を改良しないと
ダメっつうことだな
人類の進歩にはしょうがないと
マルクスは今のイスラム文化圏について
なんといっただろうか >牧歌的な村落共同体がたとえ無害にみえようとも、それがつねに東洋専制政治の強固な基礎となってきた
本人たちが楽しくやってるならそれでいいじゃないか
形ではなく内実を、演繹法ではなく帰納法(実存主義)で分析しないとな
ルソーも形に拘るなと言っている
キリスト教は時に圧制の道具であり、時に百姓一揆の御旗であった
『ドイツ農民戦争』を参照せよ! インドを独立させたのはマルクスの思想ではなくガンジーの思想。
糸紡ぎ機も塩の行進も自給自足的な経済の裏付けを志向している。自立分散的な
アナーキズム思想と言っていい。
以下、ガンジー『自立の思想』地湧社88~91頁より
《生産を各地で分散して行って初めて、分配は平等に行えるようになります。
つまり、生産と同時に分配が行われるようにならない限り意味がありません。
自分たちの商品を売るために外部の市場を開拓しようと思っている限り、分配
が平等に行われることはありえません。
…
西洋が成し遂げた科学の驚異的な進歩や組織が無用の物ということではあり
ません。西洋の人々も彼らの技術を活用すべきです。ただし、善意から自分たち
の技術を外国で利用したいと思うのであれば、アメリカ人は次のように言うべき
です。「我々は橋を作る技術を持っています。それを秘密にしておくつもりはあ
りません。全世界に教えてあげたいのです。橋の作り方を教えてあげましょう。
もちろん代価を要求するつもりもありません」と。また、アメリカ人は次のよう
にも言うことでしょう。「他の国が小麦一粒育てるところ、我々は二千粒育てる
ことができます」。そして、アメリカは教えを請う者にその技術を無料で伝授す
るのです。しかし、全世界が必要とする小麦を自分たちで栽培しょうなどと企て
るのはとんでもないことです。そんなことをすれば、この世にとっては実に惨め
な時代の到来となるでしょう。》 https://synodos.jp/economy/21506
「古くて新しい」お金と階級の話――そろそろ左派は〈経済〉を語ろう
ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大 はいガンジー来ました
塩の革命クソワロス
誰が独立をこう呼んだのかね? で、アマルティア・ センかい?
「重い」入れてヴェイユを汚した奴呼び込んだつもりだったがビビって出てこれねーか だからガンジーだかプルードン・ゲセル主義に後退すんなって
火のないところに煙は立たずがプルードンとマルクスの差異
分業効率化の先に大手コンビニ・スーパー・チェーン店の席巻は歴史的必然だよ
まず多国籍大企業が世界征服してくれないと共産革命のフェーズに移行できないんだから
ブルジョワジーのみなさんにはもっと頑張っていただかないと それはそうだ
世界が全ていわゆる西側になって
歴史が終わらないと共産革命はムリだ
最低世界がどこでも
現在の独仏の関係くらい成熟しないと フランシス・フクヤマくん
あんな小物よりフジモリ大統領でしょ
側近のヒラノくんはあんま出ないね "資本主義は間違っている、中世的な手工業職人の世界を復権しよう"とプルードン・ゲセル主義は叫ぶ
彼らはまず改良主義につまずき、やがて行きつくところは人類リセットボタン、すなわちポルポト派 >>466
東洋専制政治とかいうけどマルクスぱくった中国以上の全体主義な専制政治なんて
アジアの歴史にはないっての
マルクスは「中世土人社会を作る機械」であってそれ以下でもそれ以上でもない
こんなことすら分からないとかお前は脳や目がないのかね?
馬鹿じゃなければこんなことすぐわかるけど
一回ぐらい歴史や本を読んだ方がいいぞ >>446
私的所有を認めないマルクス主義は権力者の財産に従うだけの存在に行きつくだけ
そこから逃れるには闇経済だけ
だからマフィアが蔓延る
結局儲けれるのはマフィア=パーリア資本主義者=マルクス主義者=マキャベリスト
=キリスト教的ねずみ講ネットワークだけ
マルクス主義はゴミみたいなものってことだ
寄生虫と搾取者と犯罪者しか幸せは来ない >>473
インドは多神教国家だからイスラム教徒もいっぱいいる
パキスタンとバングらディッシュが独立してもだ
多神教=民主主義
一神教=独裁
キリスト教・ユダヤ教が蔓延る地域には多様性はない
イスラム教で少しましな位
ユダヤ教は世界各国に移民してたから病気が抑えられてるけど
キリスト教とは違った形でおかしい >>492
右は国家を価値として、左は個人を価値と認める。
左の方がいいだろw 右は国家主体だから国家間の
競合しか残らず超越的な価値にはダンマリ
左は個人が絶対的真理と直接接続して
あらゆる宗教や国家を認めない
つまり逃げ場がどこにもない
で左がうまく機能するのは
右の暴走を食い止める時
つまり抑制のバランサーとしての
役割を果たす 実はそんな単純な二元論ではない
左翼の一種としてカントは個人主義の非武装平和論者であり、日本の無学な左翼が皆それに右へ倣えしているのは世界の謎である
マルクスは全体主義のヘーゲルから出発し、「集団としての人間」の本質を経済学的見地から「労働する人間」と規定すると、
「生産的労働」を行って、その集積の結果として「人類としての事業」を達成することを人間のあるべき姿と位置付けた
市民社会によって公から外化された労働者および資本家を再び類的存在へと開放することが共産主義の歴史的使命である 真の哲学者は私ただひとりであることを知らしめる必要がある
キヨサキその他の有象無象にウリナラ起源を主張させるわけにはいかない 現代は、原理資本主義が拡大し、そして行き詰って、マルクスの指摘を無視できなくなってきている。
それだけに、反共主義者が必死になってきてるんだろう。
こういう専門的なスレにまで、JCや日本会議の連中が乗り込んできてる。
まあ、それはそれで、マルクスの力の再発見でもある。
ひっそりと研究する時代から、現実を変える力を得る時代になりつつあるのかも知れない。
金の亡者には、いまもまだ共産主義が妖怪なんだろう。 介護事業でセクハラをきたしたマルクス割り。その分野に自由主義資本に畏敬がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています