時間とは何か
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時間論で時計出された時はビビった
新しい哲学の潮流に乗り遅れてるのかと思って辞書引いた >>892
何が正しいか以前に整合性なんだと思う。
たとえば、世間でいわれる<手間賃>。
労力+時間であって、これに対しての対価。
時間が外在的な何かであれば、
その時間に対してお金を払う必要は無いよな。
しかし、限りある生きる時間の一部を費やすという
ことを考えれば、対価を払う理由が見出されるわけだ。
<費やす>も<かかる>も同じことの異なった表現。
<時間の切り売り>とか<時間をください>とか<時間の猶予>
こうした表現は生きる時間という意味が分からなければ、
戯言にしか感じないだろう。 数学君は間違えて偏差値の高い学校に受かってしまって
自意識過剰になってるオタクとか、その辺りだろう
えーい、元の冴えないオタクに戻れー
そんな下等な時間論は哲学じゃあ、食い足りないんだよ 9割空間で埋め尽くされてて、カレーの福神漬けみたいに持続って付いてるだけじゃねえかよ
それじゃあ、時間論にならないよ
全部、時間でかけよ
1割ぐらい線とか点とか特別に使うのを許してやってもいいけど
お前!さては、俺たちの前であからさまに間違ったことをやって怒られないかテストしてるだろ!
怪しからんヤツだ 時間の価値観はひとそれぞれの見解があっていいし、自分の中で整合性も取れてるだろうし
そういう時間とはなにかに興味を持つ人がいればレスつくでしょう 時間の価値観じゃなくって、
生きることの価値観だよ。
生きるのがいやになっている人に
<時間は貴重>といったら睨まれるわ。
<生きる時間=生きる長さ>だよ。
待つのも、作業するのも、眠るのも
その一部だから、待ち時間とか作業時間とか
睡眠時間といって通じるんだろW >>899
本当は価値観まで詳細に説けそうなものだけどな
生きる意味なんていうのも、魂を分けてもらって再燃する人も出て来るかもしれない
だが、価値観は今の哲学界では生れずらいんじゃないかな
貴族や王制を打倒して自由に転換した時代の哲学だから
今の時代、価値観を見つけずらい時代なのかもしれない
高級を殺して生えて来た自由なんだよ それと、価値は国家と結びついて優生思想を生やすから危ない
ニュースで頻繁にやってるけど、障害者の強制不妊が問題になってる
植松聖が優生思想を掲げて、障害者施設で大量殺人したのは最近でしょう
ドイツの断種法をモデルに罪の無い人を大勢犠牲にした悪法があった
それと、ナチスのアーリア人の理想だね
最高の価値ある人を作り出すせば、最低の人種も見つけ出すことになった
ユダヤ人を大量虐殺したのはあまりにも有名だ
価値は福祉と差別の配慮の問題をクリアーしないと世の中で流行らせるのは難しい
有害過ぎる <人生は1度切りだ>と思っている人でなければ、
生きる時間という意味は共有し得ない話なんだよ。
俺はこれを読むであろう人もそのように思っている
という前提で書き込みしている。
生きる時間という意味が分かる人々にとっては
時間=在り続ける長さ、何かをし続ける長さ、
現象の長さでいいのでは?。
これは、押し付けではないからね。
<あなたにとっても、そうではありませんか>という
問いかけでもある。 点は観測されないとき1qubitであり、図と地の重ね合わせである。
量子計算で検討してみた結果、観測されない量子状態での計算にはなんの影響もなかった。
量子テレポーテーションでは観測が必要なのでなんらかの影響があるかもしれない。
その前に、1粒子系ではなく、2粒子系を考えねばならない。
量子計算ではテンソル積をとるわけだが、2入力の量子ゲートでもよい。
そもそも、別個に対生成した粒子が出会うのだろうか?
そこが問題だ。
もしかしたらポケットの中でビスケットが増えるのかもしれない。 時間の価値なら兎も角、人生の価値はかなりスレチだけど
自分の人生は自分の好きなように判断するそれが価値 >>903
誰かゼノンのパラドックスに回答してあげて?
昔の人と同じこと、言ってる人がいるんだけど 流れるとか、動くとか、追い抜くとか時間を抜いておいたものを出してさあ
さあ、パラドックスが起きてる不思議だろ
ここに時間を戻すと、元通りになる
見てください。これが私の時間論です。
それって、当たり前の話しなんじゃないの(笑)
オシイな。
時間論じゃなくて、時間抜いたままで、パラドックで止めておけば、
ちょっとした、不思議なことを考え付く人になれたのにな
残念だったな
オシイ バカにしながら批判をさせない哲学なんてみたことない
君たち、何派の哲学だか知っているかね 時間論で家に時計無いのかって咎めだてられて耳疑った
俺たちのやってるのは時計で満足できるものなのか 咎めだれられ耳を疑った君の責任で満足する時間とは何かを完成させたらいいんじゃないか、俺たちにとは別に だって、ゼノンのパラドックスを持ち出して来て、世の中で一番知恵があるって顔してるからさあ
ツンツンしたくなるじゃない パラドキシカロリー
宗教食も大事だよ。哲学ばかりじゃ美食かカツカツ。 時間は結構、人間に重要なキーワードじゃないですか
それなのに、パラドックスに時間をあしらうっていうのは、どーなの!
設計思想からしてさあ、グチャグチャの脳みそしてない?
時間を添えるなら、もっとスラリとしてなきゃ
それじゃあ、バカ呼ばわりしても、ねえ?
どんだけ知恵があるのって検査入るよ!ビシビシ行くよ バカにするぐらいだから、
もっと、人間の理性にえぐり込むような話題を提供して来るとか
天の境地を開示してくれるとか
すごいお手並みを拝見できるのかと思ってたのに
パラドックス程度でバカ呼ばわりするなんて、がっかりだ 新機軸 時計の時間論 今13:53分 ふー 知的欲望が満足したよー 時間とは、無限じゃない事を知る事。
そして限られている。人により生かされた時間も違うという事。
だから今を大事に真剣に生きる事が大事なんだ。
明日は今日ある与えらた時間が明日もあるとは誰も限らないからな。
だから時間を大事にして無駄なく過ごす事が大切だ。
時間は圧倒的に価値が高い物。世の中の人は時間よりもお金を大事だと思っている人が多い。それは根本的に間違っている。
普通にサラリーマンで雇われで働いている人やパートやアルバイトもそう。
会社や組織からお金や給料を貰っているんではなくて。自らの時間を売っている。その報酬をお金で貰っているに過ぎない。
あなたの時間の価値は時給2〜3千円程度ですか?それとも1〜10万円ですか?
そんなに時間は安いと思いますか?
時間の価値はお金では表せない位に高い物だと思っています。
そして今ある時間は買えないし取り戻せたり増やす事も出来ません。
あなたは貴重な時間をお金なんかで失っているのかも知れません。
お金何かより圧倒的に時間の方が価値があります。そしてお金も時間が生み出します。
目先の小さなお金に捉われてあなたは貴重な時間を失っているのかも知れませんよ。
時間を大事にしましょう。
以上生きる哲学こと大川☆万券でした。
ブログを見て下さる方はいつもありがとうございます。 点が生成されれば無秩序の海は2つに分断される。(ただし、外延性の公理も忘れてはならない)
もうひとつ点が生成されるとすれば、分断された2つのどちらかに生成される。
どちらが先にできるかなんてのは問わない。
どちらか、ということも重ね合わせのまま考えれば、
2粒子系(といっても、2qubit)で量子状態のテンソル積と同じだ。
観測によって、この組み合わせのどこになるのかが決定される。
古典的ではないので、量子もつれがあり、観測されない領域の部分の量子状態も影響を受ける。
あれ? 時間の話はどこにいった?
履歴、すなわちスピンがどのようになったかということが問題だ。
誰かが履歴の閲覧といった。閲覧、すなち観測された履歴が宇宙であり、
そこには量子状態のまま観測されていない部分もある。
この観測されていないものこそがダークマターとかダークエネルギーとかになるのか?
量子状態が古典的情報になるときわれわれの考える時間がうみだされる。
量子状態をうまくコントロールすれば未来をコントロールできる。
量子コンピュータは量子コンピュータ内部での未来をコントロールして計算を行う。
宇宙を量子コンピュータとみたてるのなら、未来をコントロールできる。
ここまではあたりまえすぎてつまらない結論だ。
しかし、方法はみえてきた。なにかおもしろい応用はできないものか。 >>880
じつに簡単な質問だな
「数学」では
そういうことにすると最初に決めたんだよ
決めごとをちゃんとしないと数学の計算が出来ないからね
まあ学問は大抵なんでもそうか
「四則演算」の方法を決定して
それからどんどん数学は進歩していった
そして現在はご存知のように… 過去現在未来なんていう区別は、考え方でどうにでもなる。 >>921
哲学に来たら、こういうパラドックスを見事に解くとエクセレントの名声を獲得できますよ。
数学の話しではなくてね。
分割のパラドックス
矢が的に向かって飛んでいます。矢は今いる位置と的のちょうど半分の位置を通らねばなりません。
その後その位置と的のちょうど半分の位置を通らねばなりません。
またその後その位置と的のちょうど半分の位置を通らねばなりません。
こうしていくと、矢は無限の課題をクリアーしなくてはならなくなります。 その矢の先っちょと尻の間には、無限の位置が…wwww なぜ個体にはタイムリミットがあるのか?
タイムリミットのない個体は存在し得るのか? ドツキながら私が発見したみたいな顔してるのが単なるパラドックスだったのは笑ったけど
数学君、いなくなったね
最後に時間入れて全部チャラにする
刺身のたんぽぽ入れるアルバイトみたいな仕事止めたのかな >>927
「飛ぶ矢のパラドックス」は
そもそも設定の時点で「矢が的に到達する前」という条件になっていることに
ゼノン自身が気がついていないとう愚
矢が飛ぶ過程がまさに漸近線として扱っているから
そりゃ無限小に分割が続く
設定時に誤謬を犯している典型例 >>932
点の間を無限に分割できるでも一緒だよ
古典的にゼノンのパラドックスで説いたほうが、知的度は高評価だ >>932
そういうことを言い出したら、二点間に無限に点を置けるという前提で話してることもオカシイよな
何個かしか置けないものだ
何か前提条件を加えてやらないとね
ゼノンのパラドックスで謎解きしたほうが、哲学的でカッコウがいい 見たことも無ければ、想像することさえできない
点や線、あるいは瞬間などというもをを
真剣にアルアルと考えている時点であほやで >>936
数学の発見もそれぐらいなんだよ
数学君は古典でちょっと腕前を見せてみろ >>936
馬鹿加減は、
おまえには相当負けている
それは認めよう それぞれの<速さ>を競うのに、
何ゆえに【点】なんていう観念物を持ち出すのか?
幅を有しないものを、
通過することもできないし、追い抜くこともできない。
ゼノンは【通過しなければならない】と言っているわけだから、
彼の言う【点】とやらはどんなに小さくても、
幅や大きさを有しているのでなければならない。
道のりが有限なのに、無限に並べ置くことが出来る物など存在しない。
それ以前に、
追い越すべき対象は、亀であって、地点ではないわけだ。
その地点というのも、亀が居た地点だから、<この辺>程度のもの。
いきなり追い越すな。まずは亀が居た地点までだ。
なんていう誘導が成り立つのなら、そもそも競争ではありえない。
分割して考えることはできるが、
かといって人や物が【瞬間ごと】に存在するわけではない。
なんで、【瞬間】なるものを人は考えるのか、それを疑ったほうがよいと思う。 >>933
ゼノンは「数学的・論理学的」以前の誤謬なんだよ
ちなみに現代分析哲学では
前提がそもそも間違っているという観点がスタンダードになりつつある
あと科学哲学の方でもそう
一番最初のこのことを指摘したのは誰だったか忘れたけど
クリプキも同様の指摘をしている >>939
この逆説がどういう前提か知らないのか。
まったく違うんだな、これが。
そのまま空回りしてろ。 >>940
バカ丸出しだな。
何が現代分析とつがくだ まあこんなもんだな。
ある数学者は数学的解決に否定的に語っている。
つまり数学者の間でも一致していない。 >>939
「点」を「位置」として認識すれば得心が行くだろう
定規だってcm とか mm を刻んでいるけれども
世界中で誰も正確な位置を刻むことが出来る人間はいない
あくまでも「思考実験」によって導き出された概念だから
現実では完全に一致するものは不可能
なんでも実務では誤差が許される範囲というものがあるだろう
それだよ >>942
「とつがく」じゃない
「哲学」な
分析哲学も知らんのか? >>941
設定は語られているが、前提は語られていないだろ。
もし語られているのなら、その前提とやらを示してもらおうか。
とりあえず、それだけでは何の反論にもなってない。
>>944
「位置」として認識しても
<この辺>しても同じことでは?
測る以前に対象が動いてしまってはどうにもならんからね。
経過はどうあれ、
ゴールまでたどり着いて初めて、勝ち負けが決定する。
<速さ>が語りうるのは、結果次第。
ゴールに至るその経過において、
ハンデを負ったアキレスは亀が居た<地点>に到達しなければ
ならないと言っているわけだから、これは、アキレスがどんなに
速く走ってきても<まずは、ここまでだよ>とゼノンが前に
立ちはだかって誘導しているのと同じであって、
<つぎも、ここまでだよ>というわけだから、決して追い抜けない
構造をゼノン自身が作り上げているだけである。 >>946
まさに>>932の内容と同じことでしょう
ゼノンが「アキレスと亀」でやってることも
「飛ぶ矢」と同じで
スピードの早いアキレスが亀に追いつく前の設定にしてしまっている
だから「時間」から考えた場合は
ゼノンの言う通りにしたらどんどん時間が短くなっていくでしょう
全部同じミステイクなんだよねゼノンは
早いスピードで走るアキレスの方が極めて遅く歩く亀よりもスピードが早くて
時間が経過すれば当然ながらアキレスが亀を追い越すのは子供でもわかること
だから「ゼノンのトリック」と俺は勝手に呼んでいるんだけどもね
ゼノンのがやったトリックは「時間を追いつく時間までは進めない」という
極めて単純なトリックなんだよ
まあもうすでに多くの学者が過去に指摘していることだから
説明の必要はないだろうけれども >>947
半分同意です。
半分だというのは、
時間に対する考え方がまるで違うんだなということ。
<経過>とか<流れる>とか表現されているものは、
【永さ】の空間的イメージにすぎないと思っているのでね。 >>948
なら、まるで違うという君の時間に対する考え方を意見してみてくれ。 >>948
いや自分の「時間」に対する「概念」ではなくて
世間一般におけるありふれた「時間感覚」での意味ですよ
「時間論」なんかに興味がない人でも
「時間の経過」というのは記憶と感覚で持っているじゃないですか
ジョン・マクタガートみたいなA系列・B系列という考え方もありますが
日常感覚としての一般的な「時間」は一部の病気や障害を持った人を除いて
通用する概念でしょう
それを説明に使わない手はない
そういう日常的な側面からも「ゼノンのトリック」について考えてもいいわけで >>948
【永さ=在り続ける長さ】。
天体の存続、国の存続、人の一生、出来事…
在り続ける永さ、現われつづける永さは内在である。
永さは、始まって、続いて、終わるという構図で捉えうる。
始まりの状態と終わりの状態は同時に見出されることはないが
記憶や推測の能力によって、この永さは空間的に捉えイメージしうる。
※流れる・経過する・来ては過ぎる…
※【永さ】を数として共有する手法・物差し→予定や記録に役立っている。
※数値化された永さ→1年、2時間というように示される。
大雑把過ぎて分かりにくいかも知れないが、なにしろ駄文だ。
俺が時間と呼んでいるものは、じつはこうだったという話であり、
ほかの人の時間論を否定するようなものではない。 >>948→>>949
俺、そろそろ消えるよw
いきなり投稿欄に駄文書き込む馬鹿。 神経が電気信号を使ってるだけで、超音波に信号を付けても知覚するってよ? 世界と宇宙と自然の違い。
だんだんわからなくなってくる。
文脈依存であり、それぞれすきかってな意味を持つw
西洋的・東洋的・日本的にとらえてもそれぞれ意味が違うかもしれない。
哲学の世界、哲学の宇宙、とはいえても、哲学の自然とはいいにくい、自然の哲学なら意味がわかる。
世界の哲学、宇宙の哲学、自然の哲学、それぞれかなり哲学とのかかわりかたが異なる。
世界は認識論的・存在論的で、宇宙は科学的・情報論的で、自然は人(あるいは人工)と対立するものなのだろうか。
哲学で扱うのは「世界」なのだろう。
そうすると「宇宙」を扱うのは科学かもしれない。
「自然」はなんだろう。
世界の「世」が時間であるのは明白なのだが、worldに時間があるのかどうかは不明だ。 とりあえず、「宇宙」は外延的、「世界」は内包的、「自然」は否定的(あるいは矛盾的)、であるとでもしておこうかw
そうすると、肯定的なのは「形式」とか「人工」とかそういった類か?
この中で「矛盾」を含むは「世界」と「自然」である。
とくに、「自然」とは「無矛盾」の意味でもあり、「無矛盾」は「矛盾」を含む。
「宇宙」や「形式」も、「矛盾」を巧妙に回避しているだけであり、「矛盾」を持ち込むことはできる。持ち込むどころか「矛盾」こそが「本質」なのかもしれない。
「555宇宙」におけるclock(あるいはtickあるいはtick tac)こそがわれわれの宇宙・世界・自然を形成しているものであり、「本質」であり、それがすべてであり、それが「時間(時空間)」である。 tickは「ダニ」でもあり、「鬼ごっこ」でもあるのか。
時間とはダニである。
時間とは鬼ごっこである。
われわれは宇宙のダニなのか、ダニと鬼ごっこ(どっちが鬼だ?)しているのか。 本来、自然の世界には、点や直線や瞬間という物はない。これ等は不自然であると言うのが、ゼノンのパラドックスから得られる帰結である。
本来、自然の世界は円や螺旋でできている。自然をよく観察すれば、直ぐに気付くだろう。 自然は矛盾する。
矛盾が世界をつくる。
矛盾なくして宇宙は成立せず、肯定とは矛盾を「無矛盾」に見立てるということである。
この、矛盾原理によって成立している宇宙を「555宇宙」と命名しておこうw
よく考えれば、現在のコンピュータも555の原理が動作原理である。
555と量子論の関係。これが新実在論の鍵かもしれない。
555の、もうひとつの隠れた意味はSpeed Racerでもある。
Machは音速であり、超音速というのは意味深だ。
計算速度を超えた計算、超因果。結果が原因をつくる。
因果の壁をどうやって破ろうか。
(超因果)それが文学であり、こうなってくると文系哲学こそ新実在論の要になるのかもしれない。
なんてね。 「点」を考えたら、「点」は「位置」だけではなく「時空間」を持っていた。
その「点」しかないとすれば、点が持っているのは1bit時空間と、その時空間内での位置である。
この「点」は「対象」なのかと考えた。
「点」は「位置」であり、時空間とセットになった「情報」である。
「対象」ではない。
「対象」となるのは、この時空間と位置をもたらした「分断」である。
「分断」がもたらす「情報」から「対象」そのものを「誤解・誤読」しているのであって、
「対象」としてふさわしいのは「分断」そのものである。
この「分断」を「量子状態」と考えるならば、「量子状態」こそが真の「対象」ということになる。 「なんらかの意味の場において現象する」(なぜ世界は存在しないのか)
それが存在だという。どういうことなのか?
「点」を考えたわけだが、「点」は時空間と位置の情報であって、「存在」ではない。
すなわち、それを「存在」と考えた場合、それは「存在しない」w
マルクス・ガブリエルのいう「意味の場」の「場」とは、わたしが考えてみた「点」の時空間である。
そうすると「意味」とは、その「時空間という意味の場」での「位置」である。
「位置」を「存在」としてしまうと、それは「存在しない」w
たしかに、その「世界は存在しない」のである。
そこまでは納得できる。
「なんらかの意味の場において現象する」のではなく、「存在」が「意味の場」と「現象」をつくるのではないだろうか?
そう考えれば、「存在」は振り出しに戻されるw 「意味の場」と「現象(=位置)」は、「情報」あるいは「意味」と呼んでしまってもよいだろう。
「情報空間における位置」が「情報」であり「意味」である。
そう考えれば、「時間」とは「時間情報空間における位置」のこと、となる。
「時間」は「情報」であり「意味」である。
問題は「情報空間」という言葉における「情報」と「意味」としての「情報」の違いだろう。
「情報空間」とは「情報場」でもよい。情報ネットワーク場とでもしておこう。
いろいろと冗長なので、単に「ネットワーク」と呼ぶ。
「情報」あるいは「意味」とは、「ネットワーク」上の「位置」である。
「時間」あるいは「空間」とは「ネットワーク上の位置」である。
どのようなネットワークを扱うかで、区別される。
時間ネットワークを扱えば時間であり、空間ネットワークを扱えば空間である。
問題は単純ではなく、ネットワークと位置の間に不確定性があるわけだ。
それが量子状態であり、量子状態は量子状態のまま扱うのがベストだろう。 人類絶滅したら時間もなくなるの?それが時間の正体なの? 人間が創造した周期が時間であって人類絶命しようがしまいが関係ない 人間のみが主体ではなく、自己同一性を持つもの、すなわち、その意味で「存在」するものがすべてが「主体」である。
たくさんの「主体の宇宙」がある。 「視点を変えるとね、わかりきったものが迷路に変わるだけですよ。
例えばぼく昔なんかに書いたことあるんだけどね、“犬”ね、
犬ってのはほら、目線が低いでしょ。においが利くでしょ。
だから、においでもって、においの濃淡で記憶やなにか
全部形成しているわけでしょ。だから犬の感覚で地図を仮につくったら、
これはすごく変な地図になるでしょ。
体験レベルでもってちょっと視点を変えればね、
我々がどこに置かれているかという認識がぱっと変わっちゃいますよね。
その認識を変えることでね、もっと深く状況をさ、見る、ということ。」
安部公房の例えは分かりやすい。時間について知りたいのなら、犬や猫の視線で物事を見る、というのも一つの手立てだよね。 時を求めて氏他しょっちゅう投稿して頑張ってた人はとうとう諦めたのかな Roger PenroseのAngular momentumなど読んでみると、
最初はおれとおなじことを考えていたらしい。
書いている図がおれのやっていることと同じだw
同じといえばマルクス・ガブリエルもおれの試作してみた図と同じものを書いている。
が、結論が異なる。
彼は解釈は短絡的でつまらない。「無」からすべてをつくりだせなければ意味はないのだ。
ただし、おれはKobayashi-maru techniqueをつかっているので物理ではない。
仮想物理あるいは仮想哲学か。どちらかというと計算機哲学(=人工知性)かもしれない。 本読めば、なんんかしら哲学があるのかわかるかもしれないけど
インタビューざっと読んだらもう、著書への興味が失せた マルクス・ガブリエルの手法で、「時間は『存在』しない」と語ることはできる。
そう、「時間以外のものはすべて『存在』する」のだ(大笑
かんたんにいえば、理解しているのか無知なのか無恥なのかよくわからないけど、
ラッセルのパラドクスを(間違って)応用している。
ただ、「哲学」というものは、「数学」や「科学全般」に対して「無知」であることによる「トンデモ」な発想がおもしろいのであって...それはひとつの「芸」である。 ともかく、「無知」であることは強いw
「時間」は「存在」せず、「時間」以外のものはすべて「存在」するとしよう。
もちろん「すべて」とは「時間」というクラスに属する「すべて」のことだ。
やや、「クラス」を使ってしまった。「クラス」については知らないふりをしなければならない。
「すべて」は「時間」の中にあるのだから、「時間」と関係しているが、「時間」そのものは、
「意味の場」としての「時間」の中にない。
そうすると、「時間」とは(時間という)「意味の場」である。
これを短絡的に「時間とは何か」の答えとしてしまおうw
そして「時間は存在しない」のである。
問題は、Operatorがどこにあってなにをするのか、ということだ。
Operatorが「存在論的還元」であるとすれば、「時間」という「意味の場」において、「時間的存在」をうみだす。
よーするに、マルクス・ガブリエルはoooの変形である。
(新)観念論的oooという特殊な形態となるだろうw
そのように読み解くとするならば、「時間は観念論的実在である」としてもよいのかもしれない。
なんじゃそりゃ。 思弁的実在論と、その周辺やそれと対立するかのような実在論もふくめて、
すべてを、「フィクション実在論」とでも名付けてしまおう。
「仮想現実」である。
ただ、知的な存在によるシミュレーションワールドではなく、あくまでも「自然」である。
自然=仮想現実 すべては「矛盾」というOperatorによってもたらされる/されている。 数学、科学なんて誰にも、そう、専門家でも分かっていない
某マルクスもまた違うんだろう
それは間違い方の違いに過ぎない >>985
そう、無知であることは強いとは
そのままあなたに言えること 色んなところにガブリエルオタが出張してきて邪魔でしょうがない
山手線しか語れない鉄オタに要はない 無知であることがよけいなものにまどわされない。
ともかく、最小限必要なモノだけを考える。
そこが強い。
できれば「考えない」ということも大事だw
大いなる無知であるアザトース。クトゥルフ神話の哲学的応用。
過学習を回避するためのドロップアウトという手法なわけだ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。