ともかく、「無知」であることは強いw

「時間」は「存在」せず、「時間」以外のものはすべて「存在」するとしよう。
もちろん「すべて」とは「時間」というクラスに属する「すべて」のことだ。
やや、「クラス」を使ってしまった。「クラス」については知らないふりをしなければならない。

「すべて」は「時間」の中にあるのだから、「時間」と関係しているが、「時間」そのものは、
「意味の場」としての「時間」の中にない。

そうすると、「時間」とは(時間という)「意味の場」である。
これを短絡的に「時間とは何か」の答えとしてしまおうw
そして「時間は存在しない」のである。

問題は、Operatorがどこにあってなにをするのか、ということだ。
Operatorが「存在論的還元」であるとすれば、「時間」という「意味の場」において、「時間的存在」をうみだす。

よーするに、マルクス・ガブリエルはoooの変形である。
(新)観念論的oooという特殊な形態となるだろうw
そのように読み解くとするならば、「時間は観念論的実在である」としてもよいのかもしれない。
なんじゃそりゃ。