殺人鬼・小島の愛読書はハイデガー『存在と時間』
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シャハハハwwwwwwwwwwwwwwシャハハwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 実際読んでもないタコが何を偉そうに、お前がごときに読めるのは漫画とラノベくらいだろ
読んでから言えクソハゲ 「何時何時に読むもの」ってのがまさに権威主義的人間の発想だな(笑)
こういう頭の凝り固まった手合がいるから益々子供が本に興味を失っていくんだろう まあなんか、読書=高尚みたいなイメージあるけど実際のところは変な本ばっかだからな
そこのところで本読む奴と読まない奴で世界別れてんのがあれだね 読書のクセというのは持ってて損ではないと思うが世に溢れてる本の大半が役に立たつどころか
俗な好奇心や妄想を満たす猥雑なものばかりだろう
無条件に本を読むのは良いことだからなどと言う風潮に流されるのは思考停止だよ だが、ホリエモンは刑務所にある本を全部読破したのだけど。
出所後のホリエモンの書く本は、よく売れているだろう。
しかも、どうせ大半か全部、ゴーストライターが書いている。
売れる人は、ゴーストライターが書いてくれるから楽だな。
そういう本を買ってしまう日本人の民度とリテラシーレベル 一応ゴーストライターってのはプロのライターだからそこそこ読める本にはなってるはずやで
まあゴースト使う時点で馬鹿相手に売りつけてやろうみたいな魂胆の本だから底が知れてるってのはあるけどな 芸能人やなんかの本って数時間ほど本人から聞き取りした内容を寒天みたいに何倍にもふやかして文字に落としてるでしょ
いかに飽きのこない上手い文章で書かれてあっても自分が関心を持つ対象じゃなくてどこの馬の骨かも知らないような
ゴーストライターの語りを読まされてると思ったらアホらしいわ 太宰に熱中できる世代は高校生ぐらいがピークでしょ
大学生くらいになると太宰卒業世代 本当その通り。高校時代に文学書読みまくっていた綿矢りさがその実例 学生の本離れが進む中で、そんなのは特殊な事例でしかない
名著は名著で良いが、それだから良しとせよと言うことも無ければ今どき純文学ってのもある
学園紛争時代はそういうのが常識的だったのか知らんが 文学を読みまくってるのが普通とかどこの常識だよ、それこそ爺の妄想だろう
もはや棺桶に片足いれた爺の出る幕ではない まぁ仮にこいつが文学に親しんでたにしてもこの程度の人間性ではな小島と変わらんわな いや知的エリート目指すんだったら古典的名著は避けて通れないだろう
ただ文学を称揚したいんだったらチンカスみたいな日本文学ばかり並べて満足してないで
トルストイやプルースト、カフカ、ジョイスみたいな本当の歴史的名著に関心を向けろと 文学書というか
小説やエッセイっていう文芸作品でしょ?
批評や分析みたい思想的なものは入らないよ
ラノベや官能小説だって広義だと文学に入ってしまうから
狭義で考えた方がいい 何というか、文系の独学は厳しいね。
理系なら5chとか知恵袋でアドバイスをもらいながらなんとかなりそうだが、
文系の場合は真摯に調べながら文献を読まないといけないから難しい。 デカルトやカントまでの近世哲学なら
自然科学もひっくるめた哲学を展開していたわけだけれども
現代哲学は科学哲学の分離が起こってしまったからなあ。 >>79
さすがに現代では
もう包括的な哲学を展開できる人はまずいないよ
それはある程度視点が出切ってしまったということと
科学の進歩による影響力がかなり強いということもあると思う
世界をトータルでミクロ世界から大宇宙まで語るというのもかなり厳しい みんなドラゴンボールやワンピース好きだけど犯罪者もいれば裁判官もいるからね
何の根拠にもならない
犯罪者がラーメン食ったらラーメンは犯罪者の食い物か?
犯罪者が日本人なら日本人はみな犯罪者か
その通りです >>76
文学は客観的な根拠を持ってなくてもいい個人の所感や自由な創作も含むから、
科学(自然科学、社会科学)とは区別される。 >>74
それただの教養じゃん
本を特別視しすぎ、読んだら急に知的になったりエリートになる本なんてこの世に存在しないっての 文学は所詮は文学。文学書をいくら読んだって知的エリートにはなれんわな ハイデガー文学はどうにもならないな
フッサールの現象学もどうかと思うけど
ハイデガーはその現象学未満
〈存在と時間〉で存在や時間のなぜを問うてるのかと思いきや
ハイデガー自身の人生の悩みを考える本だったという
どうにもならない駄目本だなあのナチ文芸書は 文学や文芸でしかないのに「哲学」を自称したがったり
ハイデガーを「哲学」だと持ち上げたりする勢力がいるからね 飛躍せず分相応に生きている人間、或いは消極的人間を
頽落しているだの、超人を目指すべきだの、ニーチェからハイデガーに連なる実存というもんは
人間の弱さの本質を徹底して批判しているが、個人というのはそんなに強いものではないということは
本人らも重々承知していたはず
現実的に、そこかしこにいたら超人とは言わないわけで滅多に現れない稀有な存在だからこそ
超人などと言うのだろう ハイデガー信者はハイデガーのどこがそんなに凄いのかという質問に対して
まったく答えられない
あんなもん学問じゃない
儒教や道教や仏教の本を読めばそれですむはなしだ ハイデガーの哲学は、自衛官や警察官や消防士の哲学にもってこいだと思われてたりしてな。
現に、轟孝夫は防衛大学校の教員だし。 カリキュラムにも不完全性があるから、哲学分野ではもたないかもね。
看護分野の方が、のらない人が多いから、待遇出現がレアで、優秀でしょう
。通過分岐点として。おそろいのという未来ではないし。 無思考の時代への挑戦V
http://ha10.net/philo/1502933408.html
――ハイデガー・フォーラムの挑戦(東京女子大学教授 森一郎・朝日新聞10月3日夕刊より抜粋)
「哲学の終焉と思索の課題」を統一テーマに掲げ、ハイデガー・フォーラム第1回大会が9月16・17日、東京大学本郷キャンパスで開催された。
統一テーマは、ハイデガーの名高い論文(64年)からとられた。この題名に示された問題状況は依然変わっていない。
いや、「哲学の終焉」という言葉が陳腐に響くほど、考える営みに対する不信と絶望は世に広がっている。
これは、大学で哲学科の解体の進む学界内部のリストラ問題にとどまらない。
ものを考えても何の役にも立たないし、健康にも悪いからやめとけと大人が若者に勧告する時代なのである。
思考をめぐる殺伐とした状況から我々は出発している。
トクになろうがなるまいが、考えたくなる欲望。「そもそもXとは?」という問いと応答にふけるときの、うずくほどの快感。
結論の出ない議論にうつつを抜かすことの贅沢な喜び。一度味わったらやめられないし、やめろと言われるなら、いっそ人間やめたほうがいい。
われわれのフォーラムはそう言い放つひま人たちの砦でありたい。
哲学的討論の時空であるこのフォーラムが、ものをしつこく考え続ける阿呆どもの広場として、無思考の時代へのささやかな抵抗の拠点となればと願う。 HFの第1回は2006年
今年で第13回目だ
ハイデガー全肯定の信仰会だよ
盲目的信者による糞みたいな発表しかない ハイデガーやってもいいけど、「哲学」を名乗って欲しくないね
文芸とかエセーとかの分類であることを自覚して欲しいものだ エッセイ、随筆あたりが哲学から離れると、
丸山眞男や久野収とか鶴見俊輔が哲学の範疇でなくなって、
哲学的に批判されなくなる気がする。 自治大がいいと思うよ。医者じゃなくて。東京都市大もあるし。くされたけどね。 メキシコ国立自治大学とかね。
サパティスタのマルコス副司令官を輩出したような。 国立はどうもな。国立病院、大阪のがまた稼働しているというような噂。 流れかえるけど、フランス系は、ちょっとふざけた、人を食った感じが、逆に安全無害にはたらくんだなと認識した。フーコードゥルーズデリダのことですけど >人を食った感じが
佐川とか好きそうだけど、あんまり信憑性がないな >>1
なんで大学卒業してすぐに働かなかったん
コイツガキじゃん
マジ死ねよ
親も大変だなぁ
こんなやつの生みの親で
働けよ、顔面赤っ恥だぞ! おいおい!なんで純丘のスレが立ってないんだよ!
世間では祭りで盛り上がってんのに!! >>41
確かに一理ある
それが「犯罪行為の免罪符」にしてはならないのは当たり前だが、そういった視点も重要
ただ難しいのは、犯罪者一人を作り上げた要因の中に社会病理が関係していた場合に、
その共存社会にいる俺たち他人の多くは「犯罪した時点ですべて戯言、死刑でOK」論が蔓延し誰も議論したがらなくなってしまう
結果、一部の専門家や作家が語って聞いて反応するだけの繰り返しなんだよな そもそも「主観」というものが「客観」というものと関係し、反対に「客観」が「主観」と関係するということほど、自明に思われることがほかにあるだろうか。
するとこの「主観と客観の関係」を、前提にしなければならないことになる。
たしかに、こうした関係の<事実性>は否定できない前提ではあるが、それだけに、この前提の存在論的な必然性が、
そして何よりもその存在論的な意味が暗がりのうちに放置されているならば、これはきわめて災いに満ちた前提なのである。
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