数学を初めとした理系の学問と哲学について 14
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バックトラッキングは、制約充足問題の解を探索する戦略の一種で、
力まかせ探索を改良したもの。「バックトラック」という用語は、
アメリカの数学者デリック・ヘンリー・リーマーが1950年代に作った
造語である。
制約充足問題は完全な解の存在する問題であり、要素の順序は問題とは
ならない。一連の変数が与えられ、指定された制約を満足するように
それらに値を設定しなければならない。バックトラッキングでは、
変数の値の組み合わせを試行錯誤して解を探す。
バックトラッキングの効果は部分的組み合わせを排除する実装にあり、
それによって実行時間を短縮する。 バックトラッキングは組み合わせ最適化と密接に関連している。
バックトラッキングのアルゴリズムは、単に正しい解を得るまで
可能な組み合わせを試していくだけであり、一種の深さ優先探索である。
探索の際、ある組み合わせが解でなかったなら、探索木を辿って戻り
別の組み合わせを試す。その組み合わせを試しても解でなかった場合、
さらに探索木を戻り、新たな組み合わせを試す。探索木を全部サーチした
時、探索は失敗して終了する。
バックトラックは一般に再帰呼び出し関数として実装される。一回の呼び出し
では1つの変数に値を設定(束縛)して、それ以外を自由な変数として再帰的に
呼び出す。バックトラッキングは深さ優先探索に似ているが、メモリ使用量が
少なく、現在の解の状態を1つだけ保持し、更新していくだけである。 探索を高速化するため、値を選択して再帰呼び出しをする前に、アルゴリズムは
その値を矛盾する未設定領域から削除する(前方チェック)か、全制約をチェック
してその新たな値による影響を求める(制約伝播)。これは、0/1 ナップサック問題や
Nクイーンの解を求める方法としては最も効率が良く、動的計画法よりも良い結果が
得られる。
処理を高速化するための一般的なヒューリスティクスがいくつか知られている。
変数の処理の順番は決まっていないので、最も制約がきつい変数
(つまり、値の範囲が狭いもの)から探索を始めるのが効率的であり、それによって
探索木を早く刈り取ることができる(早期の選択の影響を最大限有効利用できる)。 設定する値を選ぶ時、多くの実装ではなるべく他の値を制限しない値を選ぶ。
そのような選択をする背景には a) 解の発見に結びつく可能性が高いこと、
b) 未解決の制約がなくなった時に解が見つかっていることがある。
洗練されたバックトラッキングの実装では、束縛関数をしばしば使用する。
それにより、現在の部分解で解を得られるかどうかをチェックする。従って、
解に結びつかない部分解を検出する束縛関数によって検索効率を改善することができる。
束縛関数は頻繁に動作するため、その計算コストはなるべく小さいのが望ましい。
さもなくば、アルゴリズムの全体としての効率は改善されない。
効率的な束縛関数は他のヒューリスティック関数を作るのと同様の方法で作成される。
すなわち、問題の規則(制約)の一部をゆるめるのである。 バックトラッキングを制約プログラミング言語で使用する場合、言語機構そのものも
制約情報の更新をしなければならないため、奇妙なオーバーヘッドが発生する。
そのような言語では、PlannerやPrologのように、単純な深さ優先探索を使うのが
適切である。
制約プログラミングは、同時に最も多くの制約を充足する状態を探索する。
その場合、問題は複数の未知の変数を含む世界の状態として記述される。
制約プログラムはそれら変数全部の値を探索する。
時相並行制約プログラミング(Temporal Concurrent Constraint programming; TCC)や
非決定性時相並行制約プログラミング(Non-deterministic Temporal
Concurrent Constraint programming)は時を扱う制約プログラミングの一種である。 バックアップで必要最小限の値をリカバリするためだけでなく、値の更新履歴を
記録するため、バックトラッキングの実装では一般に「変数の航跡; variable trail」
を保持する。効率的な実装では、バックトラッキングは1つの操作で全変化を
消去するため、選択点のない連続した変化についての変数の航跡を生成しない。
変数の航跡以外の手法として、変数に加えられた最新の変化のタイムスタンプを
保持する手法がある。タイムスタンプは選択点のタイムスタンプと比較される。
選択点のタイムスタンプがその変数のタイムスタンプより後であれば、
その選択点がバックトラックされる場合にその変数をリバートする必要はない
(その変数は、その選択点以前に変更されているため)。 バックトラッキングの最も広範囲な利用法として、正規表現の実行がある。
例えば、"a*a" という単純なパターンはバックトラッキングしない場合に
"a" にマッチしない。最初のパスで "a" が "a*" に食われてしまい、
後続の "a" にはマッチさせるべき文字列が残らないため。
バックトラッキングはプログラミング言語の実装にも使われている
(Planner や Prolog)し、構文解析などにも利用される。その利用は
人工知能分野で議論となり、アクターモデルの開発につながった。 アクターモデルとは、1973年、カール・ヒューイットが発表した
並行計算の数学的モデルの一種。アクターモデルでは、並行デジタル計算の
汎用的基本要素として「アクター」という概念を導入している。アクターモデルは
並行性の理論的理解のフレームワークとして使われるほか、並行システムの実装の
理論的基礎としても利用されてきた。アクターモデルはそれ以前の計算モデルとは
異なり、物理法則を発想の基本としている。
アクターモデルをソフトウェアとして実装する作業は MIT の Message Passing
Semantics Group で行われた。また、カリフォルニア工科大学の Chuck Seitz と
MIT の Bill Dally に率いられたチームはアクターモデルに基づくメッセージ
パッシングを使用したコンピュータアーキテクチャを構築した。 日本では、
東京大学や京都大学での研究があり、特に東京大学の米澤明憲らの研究が有名である。 \ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< 効いてるw効いてるw
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< 効いてるw効いてるw
効いてる〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / / ノーアウトランナー1塁時の得点の確率は、
普通に打つ>バント>ヒットエンドラン・盗塁その他だったような記憶がうっすらある。 東京工業大学が年間授業料を10万円近く上げるんだとか。
世界の大学との競争力をつけるためとはいえ大変そうだな。 あらゆる物事において最適解は、試行錯誤することによって
段階的にしか見出し得ない。それは、最適解を見出すことが、
既に手にしている解が最適であることに納得するプロセスでも
あるからだ。
したがって、重要なのは、最適解を求めるプロセスにおいて
誤りを犯さないことではない。そうではなく、大きな誤りに
よって試行錯誤そのものを放棄することに追い込まれることが
ないように、試行を常に慎重に進めることである。 既にある程度、満足のいく解を手にしているが、それが最適解であるか否か
分らない状況がしばしば生じる。そのような場合、依然として最適解が
見出されているとは言えない。
事後的にその既に手にしていた解が最適であることに納得させられたとすれば、
その時点において初めて、最適解が見出されたことになる。 >>14
あらゆる物事?
本当に?
そんなに簡単に言い切っちゃっていいん?
また適当こいちゃってるだけでしょ? 不安なんですね
あなたにとっての最適解がまだ見出されていない証拠でしょう だから、それを将棋で考えればいいんじゃない。名人棋士が最適解としての最善手
だと思った一手、その連鎖を最適経路として仮定する。対戦者のAIが名人に勝利した場合は、最適化していたのは名人でなく、AIの側だったということが事後的に検証できるでしょう。最適解の問題は、メタ認知の問題も含んでいる気がする。
最適解だと確信していたものは、メタから俯瞰すれば実は局所最適解であって、
大域的な観点から見れば、非最適解であったと判ったりすることもあるだろう。
日本人は、局所や枝葉末節、戦術に拘泥して、本質や戦略、大域最適解を喪失
しやすい傾向があるので、真の最適化や最適解とは何かを一度、よく考えて
みるのもいいだろう。目先の具体性にばかり囚われて視野狭窄だから。
抽象度をあげることで、真の合理性=倫理に、漸近できるんじゃないかな、と。 スポーツの世界などでも、興味無いのでよく知らないけど、分かることは、そこでは
真の公平な競争など全く成立していない、ということ。資金力のある球団やチームは、
外部から強力な人材や環境を獲得できるし、それって、その時点ですでに不公平じゃん。
相撲のような八百長も多そうだけど。
あと、選手育成の条件も不平等。遺伝子による才能の偏差も、本当はその分割り引かないと、
競争条件がフェアでない。ロシアように国家ぐるみの事業で一流アスリートを育成できる
国と貧しい国が同じ競技でハンデなしで戦うことは、競争としてフェアには見えないな。
だから、政治家や医師の世襲含めて、奨学金、年金制度、相続、性やマイノリティー差別、
税制、あらゆる分野に存在する不平等、不公正を是正していくことが倫理にかなっているし、
それがAIや量子コンピュータで計算として、真の公平を実現出来る契機が生じつつあるということ。
ただ日本では虚偽統計と捏造データ、忖度政治で低レベルなのが現状。 >資金力のある球団やチームは、
> 外部から強力な人材や環境を獲得できるし、それって、その時点ですでに不公平じゃん。
確かにそう思えるけど、資金力が豊富なソフトバンクや巨人がいつも優勝するとは限らないから
野球は不確実性にゆだねられている点で観ていて面白い。 朝日新聞で西田哲学特集している。
海外では、今ブームらしいね。 西田の上に学派があって、場所移動できる哲学の道あり。西国 西行。西陣、西軍 西周の方が重要。
海外で売れて当たり前のいつ時代でも、日本でくすぶる哲学書は醜い。 AIには、シンボルグラウンディング問題(記号接地問題)というのがある。
前スレで、チャットボットと関連して、「うなぎ文」や「コンニャク文」
のことを説明したけど、それと同様の問題で、人間であれば文脈・背景との
照合で、単語や記号の意味の逸脱や飛躍をグラウンディング(接地)として、
意味に回収することが出来るけど、AIにはそれが少し難しいという問題系。
ネットスラングなどにもそうした記号の意味の飛躍があって、辞書にも載って
いないので、文脈を参照するなり、調べるなりしないと、人間でも意味が
分からなくなることがある。
たとえば、AIにネットで飛び交っている「メシウマ」と単語を抽出して、
これを理解出来ない場合、そこにはどんな行き詰まり構造になっているのだろうか。
形態素解析の説明も前スレでやったけど、AIが「メシウマ」という単語を
飯と馬だと理解し、これが合成され語がメシウマだと推論すると、さらに
このスラング意味から遠ざかりそうだし、飯と上手いの合成だと推論された
としても、まだそれは飲食なり料理、調理、よく言っても団欒などのレベルの
概念に属するものであると、AIは誤って判断することもあるだろう。 人間の場合は、「メシウマ」から意味の飛躍を行い、そこからこのスラングの
真の意味である「他人の不幸は蜜の味」へと無事にグラウンディング(接地)
できるけど、AIは意味や文脈を考えないで、記号の組み合わせだけで、
形式的に判断・照合するので、フレーム問題と同様に妥当な意味へと着地できないで
フリーズしたり、意味の宙吊りを起こしたりすることもあるだろう。つまり、
「メシウマ」なら、馬に似た動物かもしれない、といった具合に判断したりする
こともあり得るだろう。
ただAIもベイズ更新のように、認識のアップデートを確率的により正しそうな
ものへと更新できるような実装になっていると、「メシウマ」から、飯と馬や
飯が上手い、などから徐々に真の意味である「他人の不幸は蜜の味」へと
グラウンディング(接地)できるような仕様にしていくことも可能だろうね。
論理学の言葉で表現すれば、AIはシンタックス(統語論・構文論)に重点を
置いて推論出来るのに対して、人間はセマンティクス(意味論)に重点を置いた
推論や判断が出来るということ。 自然言語処理では、言葉を「概念」=「is-a」と「何を持つか」=「has-a」
で定義していくので、人間なら、概念(is-a)としては「社会的動物」や「言葉を使う」
などがあってもいいだろうし、何を持つか(has-a)なら、知能を持つ、愛憎を持つ、
お金を持つ、知識を有する、などであってもいいだろう。
つまり、言葉やイメージ、外部世界をを「概念」=「is-a」と、
「何を持つか」=「has-a」の組み合わせや混交で表象・記述出来るようになれば、
AIが人間と同じようなプロトコルで外部世界や環境、感情、メンタルモデルを
享受し理解して、それに適合的な反応、応答、行動を生成することは十分に可能に
なってくるだろうと思われる。つまり、人間とAIの質的差異はどんどん狭まっていく
だろう、というのが私の予想です。 あと、AIには「モラベックのパラドクス」と呼ばれる現象もあって、
これは、AIは論理学や代数学のような知的高度な対象や「難しい問題」は
得意とするが、人間の4、5歳児にでも分るような「やさしい問題」における
知覚や行動を不得手とするパラドクスのこと。つまり、AIは人間が行うような
常識推論や常識に基づいた判断や行動は苦手とする。でも、逆にAIは人間が
簡単には見つけ出せないような複雑な経路や最適解であれば見つけることが
得意。だからAI棋士は名人棋士やチェスのチャンピオンにも勝てる。
人事採用の場面でAIを使うのであれば、従来であれば、膨大なエントリーシートの
中から、人事課の人間が今までの経験やそこから派生する直観で採用していたものが、
AIを用いて、人事課の人間が今まで見逃していた有能な人材の特徴量を
ディープラーニングで導き出して、その有能な人材モデルのアルゴリズムに基づいて、
採用場面でその知見を活かすことができる。
つまり、それは既存の人事の判断に基づいた採用よりも、潜在的に高度な人材を
獲得したことにもなり得る。将棋と同じで、AIの推薦やアドバイスに従って、
もっとよい一手を打っている可能性も考えられる。最適化していることも考えられる。 「モラベックのパラドクス」についても、今のAIは深層強化学習で、良き
学習モデルを構築した方に報酬が付与がされるというマウスのオペランド条件付け
に似た手法で、AIの学習に報酬というモチベーションが与えられることによって、
正しい方向にAIの学習が駆動されるようになってきている。つまり、報酬を最大化
する方向でAIの学習が自然と進むようになっているということ。
SNS中毒やネットゲー廃人が起きる理由の一つは、「いいね」や「スコア」が
報酬になっていて、それが麻薬やニコチンのように作用するので中毒症状に
陥ってしまう、ということもあるだろう。つまり、人間の生理反応はラットの
オペランド条件付けとたいして変わらない。そうした報酬をAIにも付けてあげて、
それをAIの学習のモチベーションとなる方向で活用するということ。
人材採用であれば、応募者のSNSでの発言や活動履歴などをAIがクローリングして
チェックして、そこからその人材の潜在的な能力を推定して採用の場面に活用する
ということも生じ得るだろう。 つまり、モチベーションの高い、意識高い系の人間や優れた人材を見つけたり、
作るのも、良きAIを作る手法もあまり変わらなくなってきているということ。
これは面白い現象ではないだろうか。人間と非生命であるAIが同じプロトコルに
従って成長する。あるいは、進化していく。
そうしたAIと人間がパラレルに同期し始めたら、私がいうような
「ポストヒューマン社会の誕生」もそう非現実とは言えなくなってくるだろうね。
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..:::::::::::::::::::::ヾ三三ノ ',', たとえば、私たちは生まれると母国語を使うように社会から半ば強制される
ことで、世界や対象を分節化して、外部世界を解釈できるようになる。
だから、オオカミ少女のように動物に育てられた人間は、世界を言語を
有する人間的な価値観では表象されえなくなり、また理解できなくなる。
つまり、私たちの外部世界は生の世界や生の自然でなく、言語によって加工され、
フィルター化されたいわば仮想現実のような観を呈している。だからAIでも
グーグルのように外部世界をコンピューターが解釈できるようにデータ化し
正則化、あるいは、それに適した「知識表現」でフォーマット化してあげれば、
そこから自動推論が出来たりする。 IBMのワトソンは、そのデータベースとしてウィキペディアを利用している。
あとは、そこから単語の頻度、生起・共起確率などから、文章中にある単語が
出現した場合は、こういう情報や知識が要求されているのであろう、と確率
ベースでワトソンが記号間の出現関係から推論していく感じになっている。
だから、そこでは意味についての理解はない。
さっき、Siriで人工知能で使われる概念の「知識表現」を調べるように口頭で
命令したら、ウィキペディアの説明を持ってきたので、やはり、そこでも
ワトソンとの類似性が感じられた。今は単純なレベルでの自動推論が多いと思う
けど、経営の意思決定のような複雑で高度な判断も、AIで出来るように進化して
くると、人間の役割は、そういう人工知能のメンテナンス、保守、モニタリング、
という風になってくることも考えられる。 ウィキペディアって実質ボランティアで運営されているようなものだけど、
こんなに世の中に影響を与えるようになるとは
15〜6年前は思いもよらなかったな。 上の方のレスで西田哲学特集が云々とあるので、それに絡めて話してみよう
西田幾多郎はよくは知らないけど、海外では禅やジャポニズム、そういうのは
いつも人気があるので、それと同じ系統かな、と。ジョブズも禅にはまって、
日本人の師匠とかいなかったかな。あと、マインドフルネスのブームも同様
で、人々は情報過多の現代社会からの癒しを求める意味で、そういう無の思想
に対してニーズがあるのだと思う。
印象派の絵画とかも、全部、ジャポニズムの影響だからね。だから、日本人は、
それらを逆輸入して、日本を再感受している、ということ。黒沢映画とかに
影響受けてたアメリカの有名な映画監督とかいるでしょう。タランティーノも
ジャポニズム好きそうだし。 オウム真理教の麻原が朝生に出ていたことをごく最近知ったので、早速
ユーチューブでそれを見てみると、哲板でよくスレが上がっている自死した
西部邁や哲学好きの池田晶子とか出ていて、面白かったな。池田晶子は
アルコールか何かで早死にで、死刑になった麻原も出ていたけど、恐ろしい
インパクトあるな。なんか麻原用の特別な白い椅子が用意されていて、
さすが尊師は扱いが別格なんだな、と思ったw
あれじゃあ、騙される信者がいても不思議ではない。あと韓国人か何かに
刺殺された村井とか言う人も出ていた。あと、その番組のCMでは覚せい剤で
捕まった酒井法子がAC広告で善を薦めていたり、ポール牧という、住職も
どきのことをしながら、セクハラして自殺した元お笑いもいた。
つまり、その他は割愛するけど、事後的に見ると、なんか不幸な連中がやけに
集まっていた感じだった。それだけ個性的な人々やタレントであるとも言えそうだけど。 それで思ったのは、宗教というのはやはり全部、フィクションなんだな、ということ。
番組では幸福の科学の幹部も何人が出演していたけど、彼らの宇宙や教義では、
大川教祖は釈迦の生まれ変わりであるらしい。宗教が面白いのは、どんな荒唐無稽な説
を立てても別に非難される筋合いはないということだね。
禅であれば呼吸などに意識を集中して、雑念を払えみたいな教えがあるでしょう。
オウムの場合も、信者に余計な思考をさせないようにして、ヘッドギアで狂気じみた
教義を繰り返したり、食事に覚せい剤やLSDを混ぜて、変性意識や幻覚を引き起こす
ようにして、教祖麻原を神だと確信するようにさせた。だからポアの命令も簡単に
実行に移せる。オウム信者には医者も多いらしいので、その辺りは詳しそうだ。
宗教ではそうした薬物を使って洗脳する、という点では他の宗教でもその始原では
同じじゃないかな、と。あとは、呪文や真言とか、そういうのでその変性意識状態を
キープできるようにしておく。写経でもいいし、太鼓を叩くでも儀式でもイニシエーション
でもいい。 哲学だとフッサールが現象学的還元ということで、思考や判断停止をエポケーと
して薦めている。でも、前にも書いたように、人間は生の世界や生の現実を捉える
ことは出来ず、言語や知識でフィルタリングされた仮想的世界しか表象し得ないので、
いくらエポケーしても同じだと思う。生の世界や生の現実に、私たちはアクセス
出来ない。
それに、エポケーが中立を獲得するために必要だというのも判断の一つで、
その判断さえ言語や知識、フッサールの難解な哲学を通じて行われているのだから、
それはフィクションとしてのエポケーだと思われる。禅で雑念を払っているのと
一緒。シミュレーションとしてであれば、それは意味あることにもなりそうだけど。
このように、西田幾多郎、禅、オウム真理教、フッサールのエポケー、マインドフルネス
も、現代社会の人々が情報過多やストレス、SNS疲れ等で心身が疲弊していることで、
ニーズが生じているのだと思う。つまり、暑い所にいたら、クーラー入った場所に
行くと心地よく感じるでしょ?それと同じこと。基本は、生理学的な問題。
脳が疲れているので、休みたい、ということでしょう。 それでAIを単なるテクノロジーと考えないで、それを新しい思想という
フェーズと観点で考えてみよう。
先にあげた昔の朝生テレビに出演していた人々が、もし、現代にいるような
私たちが現在得ている事後情報を、その当時、精度の高いAIによる
シミュレーションとして差し出されていたら、オウム信者は地下鉄にサリンを
ばら撒いたであろうか。
あるいは、2人の自殺幇助者を有罪にして彼らの人生を不意にしてまで
自殺を企てようとその保守思想家はしただろうか。もしくは覚せい剤で
逃亡した芸能界と世間に衝撃を与えた人でもいい。 AIというのは、予測モデルとしても使われるので、その精度なりテクノロジーが
大幅に進化した暁には、人々の行動モデルが根源的に変容することが考えられる。
根源的思考と言えば、それは哲学が扱いうる領域になってくるので、やはり、
人工知能やAIを巡る考察は、そのまま哲学的な思考の営為になりうる。だから、
私はそれをずっと前からやっているんだけど。反事実的条件法という概念が
あるように、シミュレーションとして、よりよい人生の選択や社会の構築に
おいて、AIというテクノロジーやアルゴリズムが果たす役割は、やはりこれから
哲学レベルで見ても看過できないと思う。 専門家の間では、汎用人工知能は実現不可能とする意見が多いのだけど、
専門家というのは得てして、その視野が狭いことがあるので、大域的な
予想が不得手だったりする。
現に人工知能が最初研究されていた当時は、汎用人工知能は早期に実現
しうるという予測をしていた専門家が多かった。つまり、専門家である
彼らの当時の予想は外れたので、今回もまた外れても少しもおかしくない。
私としては、どっちでもいいんだけど、とにかく、AIがこれからの社会を
根源的に変容していくことは確かだと思うので、それにシフトした感じで、
自らの思考をアップデートしていくつもりなんだけどね。
認知には多層レイヤーがあると仮定すると、本能や反射、排他性、差別などは、
一番低い位置のレイヤーに属している。少し上層のレイヤーに行くと、
慣習、伝統、風習、常識、美学、宗教、となって、さらに上のレイヤーに行くと、
数学、科学、論理、AI、哲学、抽象性の高い学問、となっていくイメージ。 原始的な社会であるほど、多層レイヤ―の下位に位置する領域が重視されて、
高度な社会になればなるほどと、抽象度の高い上位レイヤーの領域が
重視される感じになるだろう。
だから、哲学好き人間などは、もっとも高度な人々とも言える。古代ギリシャで
哲学議論していた人々と同様に。そういう抽象度の高い知的レイヤーから、
より低いレイヤー、たとえば本能や排他性、差別などを制御することで、
より人間のレベルが高い社会が構築されるだろう、とか言うと、
レヴィ・ストロース辺りからは疑義ありと言われそうだけど、
高度な抽象化の操作を経ることで、より高度な社会や幸福な人生が築ける可能性が
あるということは、別にいいんじゃないかな、と。 デイヴィッド・ハンター・ヒューベルは、カナダ出身のアメリカ合衆国の神経生理学者。
視覚情報の処理に関する発見で、トルステン・ウィーセルとともに1981年度の
ノーベル生理学・医学賞を受賞した。また同年、ロジャー・スペリーが大脳半球の研究で
同賞を受賞している。
ヒューベルとウィーセルの実験によって、大脳皮質における感覚情報処理に関する知見が
深まった。1959年に行った実験では、麻酔したネコの視覚野に微小電極を刺入し、
眼前に置いたスクリーンに明暗のパターンを映し出したときの視覚野ニューロンの
スパイク発火応答を調べた。そして、ある特定の方位の棒状刺激に対してスパイク応答
を示すが別の角度に対しては発火しないことを発見した。その後の研究では、
刺激提示位置や方位に対して選択的に応じるニューロン同士が規則的なルールに従って
視覚野を形成していることなどを発見し、単純な刺激が複雑な像となって表れる
視覚の仕組みが明らかになった。 ヒューベルとウィーセルは2つの業績によりノーベル賞を受賞した。1つ目は1960年代から
70年代にかけて行った視覚野に関する研究であり、もう1つは、視覚からの信号が
どのように大脳で処理され、形、動き、立体的な深さ、色などを検出しているかを示し、
視覚神経生理学を創始したことについてである。彼らは子ネコの片目を眼帯などで
短時間遮蔽することによって、遮蔽されない片目が遮蔽眼の視覚入力の分もカバーして
視覚野に情報を送っていることを明らかにした。この研究は、弱視やある種の色盲に
対する理解を深めることになった。また両眼視に必要な脳の領域を発達させることは
できなかった。二人の実験によって、視覚野は幼少の早いうちから不可逆的に進化
していくことが明らかとなった。これらの研究は、若年性の白内障や斜視の治療に
道を開いた。彼らはまた、大脳皮質の可塑性の研究にも重大な貢献を果たした。 大脳や身体の仕組みを調べるのは人間の不安からでしょうか、好奇心としても
ナルシストすぎるでしょう。外の世界に興味をもって、間違っていない知覚認知でなにかをとらえる新心理学のほうが、医学より間違いは少なく、治療においても、
旧態依存のパーツ医学看護薬学歯学に汚染されたくない面があるから、
老人血統は迷惑なんだよな。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180920-00000071-jij-soci
5弱以上確率、10分の1に=北海道地震から2週間で―気象庁
こういうデータも科学的記述というよりは、原発事故の時と同様に、人心の安寧を
保つための政治的配慮に基づく記述なのではないかなと、懐疑的になる。
北海道で震度5弱以上なんか、すぐ来てもおかしくなさそうだし。
日本はデータや統計の扱いが雑過ぎる感じがする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています