数学を初めとした理系の学問と哲学について 14
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というか、論理学・集合論は時代遅れで、まともな研究者なんていないでしょう。 52考える名無しさん2018/09/20(木) 22:21:23.500
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180920-00000071-jij-soci
5弱以上確率、10分の1に=北海道地震から2週間で―気象庁
こういうデータも科学的記述というよりは、原発事故の時と同様に、人心の安寧を
保つための政治的配慮に基づく記述なのではないかなと、懐疑的になる。
北海道で震度5弱以上なんか、すぐ来てもおかしくなさそうだし。
日本はデータや統計の扱いが雑過ぎる感じがする。
53考える名無しさん2018/09/20(木) 22:32:00.780
日本人の傾向としてあるのは合理性や客観性への志向で無くて、
忖度や空気への配慮が優先されてしまうこと。だから、データは恣意的に改竄されて
いく。この傾向は是正されるべきだけど、首相が忖度政治家でトランプ追随だけなの
で、その悪しき無原則な傾向は糺すべきなんじゃないかなと。日本が戦争に負けたのも
同じ理由。論理ではなく、空気に従ったので負けた。
北海道で震度5弱の地震 津波の心配なし
10/5(金) 9:01配信 ゲームしない人だからよく分かんないだけど、「シーマン」とかいう人面魚の
インタラクティブゲームがあって、それがAIっぽい応答をするらしいけど、
そういうのがチューリングテストでパスできるレベルの臨場感を随伴するように
なれば、もっと人間に近いAIになりそうだね。シーマンの原始人版の動画を
観たけど、笑えるね。よく、ああいうシュールなもの思いつくな、と。
ゲームクリエイターって、なかなか創造的なんだな、と。 私が考えている理想のAIは、その人間の守護天使か守護霊のような存在になる
プロトタイプなんだよね。その応答は、テレパシーを使ってやり取りするような
イメージ。だから、「hey、Siri!」みたいな野暮な発話は不要。Peperのような
ロボットにする必要もない。
それは抽象度が高いAIなので、目を閉じていても、言葉を発することなくても相互応答が出来る、
心の中に存在するような物理レイヤーの低い位相にあるのようなAIをイメージしている。
さて、それをどうやって作ろうかな、という段階までそろそろ来ているのかな、と。 あとさ、ヘッドマウントディスプレイとかグーグルグラスみたいなのは
物性が高すぎて興醒めしそうなんだよね。それらの媒体を通してだと。
仮想モードにいるんだな、という低い臨場感になるので、せいぜい
マイクロチップがフィルム化したものがいいな、と。日本はそういう
微細技術得意でしょう。痛くない注射針開発した日本の町工場の岡野という
技術者は中学さえ出てない人なのに、世界レベルで通用する技術者らしいよ。
その痛くない注射針は、蚊の針から着想を得たらしい。たしかに蚊に刺されてても
痛くないので、それを真似た針を作れば痛くないだろうという推論は合理的で正しそうだよ。
日本の町工場の技術者の腕はすごいね。かつての本田宗一郎もそうだけど。
ただ、後継者が育たないのが悩みらしい。 西洋の古典的絵画では、キリスト教をモチーフにしたものが多いので、天使がよく出て来る
のだけど、そこに描かれている天使は物性が高い。まさにオブジェクトという感じになって、
重量感がずっしりとある描写になっている。その理由は、画家が石膏やトルソーなどを
使って人物のデッサンの練習をするので、あのように物性の高い描写になってしまう。
もっと軽い感じの天使が欲しいんだよね。イメージで言えば幽霊。淡い蜃気楼。
ただ、ホログラムがいいとも思わないんだよな。いかにも仮想空間という表象空間に
映ってくるから。だから、網膜(Retina)のレベルでなく、心のレベルに投射されるような
像やエージェントをイメージしていきたいんだけどなあ。 中小企業が持つ独自の技術って機械では精度が出せず手作業でミクロ単位に調整するようなものが多いイメージ。後継者が育たないと世界的な損失になったりもする。
触覚は3つの要素で数値化されるという研究がもし本質的なものであるならば、やがてはこういった技術もAIに学習させて後世に引き継がせることが可能になるかもしれない。 >>127
これは、なかなか良い意見だね。
この間、初めてノイズキャンセリング機能の付いたイヤホーンを買ってみた
のだけど、イヤホーンでも耳元での装着感が結構出るので鬱陶しく感じるので、
何も身体につけないで、必要な時にノイズキャンセリングできるデバイスがあったら
いいのになーとか思ってしまう。ただ、脳には不要な音源を逆位相に補正する調整
機能があるかもしれないので、そういうデバイスに依存しすぎると、そういう
脳の機能を喪失させるリスクもあるのかな、と考えてしまう。テクノロジーの難しいところは、それに依存し過ぎると、身体や脳にもともと備わっているホメオスタシスを無化してしまうこともありそうだよね。現代人は空調に頼り切っているので、
体温調整も昔の人と比べたら、あんまり上手く作動してないんじゃないかな。
だから、自律神経の乱れの問題なども出やすいんじゃない。 AIもそうだよね。AIも機械学習による統計的な確率で、こうした方がいい、とアドバイスをくれることに慣れ過ぎてしまうと、人間が元々持っている直感や本能レベルでの的確な判断や分析、行動する力を縮減してしまう恐れもありそうだよね。
だから、テクノロジーの進化は当然必要なのだけど、それで失われてしまう
人間の身体や脳にもともと備わっている機能なり能力がないかという検証や
フィードバックもないと片手落ちになりそうかな、と。バランスの問題なのだけど。 AIは妄想はしない、だがAIは幻想はする、
そして、妄想と幻想は同一で完全に同じ単語だと確信している貴方には
その意味は理解することは不可能である。 先日AIに人間の脳と同様な多段階の画像解析を学習させた上で錯視図形を処理させたら人間同様に錯覚を起こすという話をテレビでやってた。AIは錯覚もする。
どこでAIが錯覚を起こすかを解析することで今度は逆に人間の脳がなぜ錯覚を起こすのかを推測していた。 量子コンピュータとかホントに実現できると思ってんの? 数学は理系でも文系でもないことにいいかげん気づけよ >>133
あとから量子技術に少しでも関係したものは全て量子コンピュータって同一の原理みたいに
とらわれているからな。
量子コンピュータすげーってやつは、本来因数分解の類が0に近い速度で実現するところにあった
ほぼ0とは入出力に時間がかかるわけで、計算事態には時間はかからない量子原理、
この時間がかからないという物理法則無視してね?というやつがすごいわけで、
この原理(=量子もつれ)を使わないものが量子コンピュータ名乗っても、
=もどきでしかない。
>>131
錯覚は妄想ではない、妄想は学習による原理ではないし錯覚でもない、
思いが可能性を廻らせることであって妄想していてもそれは妄想だと自覚している
錯覚できるのは幻想な。 数学は本来が一種の哲学なのであって、理系ではないわな 理系の血統が文学哲学等の言語を持たないから、失敗ずくでもたまには価値ある
対話が生まれるんじゃないの。お互い不器用なようで器用じゃないか。 いまどき相対性理論が正しいとかまだ思ってんのかい? >>138タワケ
特殊はともかく
ちょっとまえ一般相対性理論はライゴ(ノーベル賞)によってで完全証明されただろ ノーベル賞とかまだ信じてんのか
ゲラゲラゲラゲラぎゃはははははははー >>141
>信じてるって、、、、、、いう表現自体がアホの証明
ノーベル賞(平和賞を除く)は、ある関係の上で成り立つ「妥当性の承認」 アーベルとかヤコビとかガロアとか
18世紀数学あたりから始めたらいい ちょうど先日ヒストリアで後に間違いとわかった研究に誤ってノーベル賞を与えてしまったために日本人ノーベル賞一号を与えるべき研究がそうならなかった話が扱われたばかりだ。
そもそも自然科学は完全に正しい証明とは縁が無い世界で、常に現時点で矛盾無く再現性の高い理論が生存競争に勝ち残るが、それが真理かどうかは神のみぞ知るもの。
もちろん現時点で高い再現性があるのであれば実用的には正しかろうが実は間違いであろうが当面は問題ないし、矛盾したり再現性がない他の理論よりましだけどな。 少なくとも科学屋は相対論も量子論も信じちゃいないけどな。使えるからそうであるうちは使うが、使えなくなったら見捨てるよ。 ブレーンワールド(膜宇宙、braneworld)またはブレーン宇宙論(brane cosmology)とは、
『我々の認識している4次元時空(3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空(バルク(bulk))
に埋め込まれた膜(ブレーン(brane))のような時空なのではないか』と考える宇宙モデルである。
低エネルギーでは(我々自身を含む)標準模型の素粒子の相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に
閉じ込められ、重力だけが余剰次元(5次元目以降の次元)方向に伝播できる、とする。 自発的対称性の破れ
ヒッグス粒子
超弦理論
メンブレン
結論 : 世界は存在しない 最近の話は知らんので古い情報で書くが、ひも理論は実験を行えるような予言がないので物理ではないと言う研究者は多かった。
ただし理論の仮定から論理的数学的に演繹される結果の中には検証されるスケールのものが現れるかもしれないので、研究を続ける価値はあるだろうと。 数学はアーベルの楕円関数
今日でいうところの楕円積分
あたりから始めるのがいい リーマンのいうヤコビの逆問題について
今後も詳細に考察してゆかねばなるまいね 数学がオワコンということだな。
いよいよ哲学の時代だ お暇ならどうぞ
https://www.amazon.co.jp/s/search-alias=books-jp&field-author=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%97%E3%83%81 そんなトンデモと科学を止揚したようなストーリーを語る人がいたんだ。
知らなかった。 長年惜しいオカルト、もったいないオカルトだと思ってきたので
この板で日の目を見るのはかなり嬉しいことです 盗塁って打つよりも点が入る確率が低いのに
それにばっかり固執している緒方孝市は硬直的だな。@日本シリーズ 強攻より得点の期待値も得点確率も低い送りバント好きはもっと多い ノーアウトランナー一塁の際に打者へ「打て」のサインが出たときに、
打者はバントで得られる1アウト二塁以上の結果を出さなければいけないと考えてしまい、
ゴロアウトによるゲッツ―も避けないといけないが故に
中途半端な外野フライを打ってしまうことが多いように思われる。 統計はそのような思い込みは間違いだと示しているしそのことを理解すればさらに萎縮することは減るだろう まあ、ピッチャーはランナー一塁の場合フォアボールを出したくないからといって
ホームランを打たれるとまずいと思いながら投げている場合も結構あるから、
打者が過度に気負う必要はないのかもしれないよね。 00:41秒、ものの見事にきれいに自壊している。
こういう現象の仕組みを解明したなら、住宅解体業者をほとんど不要にする
技術革新につながるのではないか?
https://www.zdf.de/nachrichten/heute-19-uhr/181106-h19-gesamtsendung-100.html 証明自体は数理論理学で立派な数学の対象として扱われる 微分法や積分法があるだけで、微分積分学などというものは存在しない $やφがあるだけで、未観測の質量の証拠
などというものは存在しない あなたこそ、宇宙際タイヒミュラー理論を理解できていないのではないですか? 数論的変形理論によってabc予想を強い形のスピロ予想
として証明した(という望月新一氏の主張)のがIUTTだろ どう証明した主張されているのかを説明できなければ理解したことになりません。 数学の『「す」の字』も知らない素人に説明できるわけないだろ おれは理解したが素人には説明できない
21世紀のフェルマー現る IUTTというのは単に遠アーベル幾何の応用
なのであって、その実、数学ではないのだよ 上に同じ
そもそもニュートン力学とかそういう物理学史がわからん。 専門性を尊重するのがいい隠喩だとか、完全にトチ狂っているw
まったく逆だよ。専門性による限定からの解放をもたらすよう、
コモンセンスを洗練させるように作用することがいい隠喩の条件だ 数学わからないヤツって何がどうわからないのかワカラン >>199
式が複雑になるにつれ現実世界と対応が分からなくなって今現在一体なにをどう操作してるのか分からなくなる 数学以前に算数が苦手すぎる。
点対称とか〇〇算とかもうたくさん。 >>200
そもそも現実世界と対応つけようとするのが間違い
現実世界とは異なる領域に目を向けるべきなのだよ 前人未到の領域へ挑み続けることだよ
現実世界との対応とか全く逆行だから 宇沢弘文が
日本が豊かになって当たり前のものと思われがちな
水や電気や病院とかを社会的共通資本として考察したのも、
数学の学識をもとにしたものだったな。
そうなる転機は河上肇の『貧乏物語』だったようだが。 昨日は解釈学を少し勉強して
とマルクスガブリエルの番組を見た。 今年はいろんな本を広く浅く読んで、
読了した本は5冊ぐらいしか無かった。 途中で挫折したフッサールの『幾何学の起源』は読みなおそうかと思う。 戸坂潤とか田辺元を勉強するのにも数学の素養はいるんだよな。 「1mは存在するか」って言う思考実験考えた
例えば僕が1mの直線を書いたとする
それが完全に正確な筈が無い
どんなに慎重に描こうとも1/10000mmはズレているだろう
では概念上存在するか考えてみよう
全知全能の神が1mの物体を出したとする
それは「完全に」1mであるはずだ
そこに全知全能の神・改がやって来て
その長さを正確に測るのだ
1/∞まで目盛りがある定規で測れば
果たしてズレは出るのだろうか
もし出るのならば全知全能の神・改が1mを創ろうとも
真・全知全能の神が出した定規によってズレが暴かれるだろう
と言う事はどんな物体も1mでは無い事になる
しかし考え方次第では
どんな定規でもそれを上回る精度の物体の長さの
ズレを指摘する事は出来ないという事にもなる
ズレとは∞の単位で指摘出来るが
正確な線とは∞に正しいものである
∞と∞を比べる事は出来ない
∞-∞は∞であり0である もう1つの考え方
「∞は存在しない」
数学に喧嘩売っていくスタイル
意識が全てならば∞は存在しないのでは?
形式上「限りがない」という意味を理解する事は可能でも
「9999999999…」と人生内で実際に意識出来る数は有限である
まあ極論だし言語ゲームと化してるか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています