西部邁スレ合理論のまとめ
内在的価値は内在的価値でそれ以外の何ものでもないと思うかもしれませんが
>>2の議論は、延々と内在的価値とは超越的価値であるということを証明してる
んですよ
そこで、勘の良い人なら、すぐに内在的超越の連想から、>>344
の結論を出したかもしれませんが、その場での議論ではこれに気づかず
それに気づいたのは数年後だったというわけです 「不都合な現実」をめぐる、科学とリベラルの対立の根本原因
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59772
インテレクチュアル・ダークウェブというのは、このスレに関連してるなあ
まあ、そういう人たちよりもこのスレの方がはるかに進んでいるだろうけど
そういう人たちは、まだ入口に入ったところ
そこでもがき苦しんでる
このスレの内容を知ればかなり救われるはず
やはり英語化すべきなんだろうか >>177
クリミナル・マインドで出てきたナレーション
MITの認知科学者曰く『偶然とは人間の持つ最大の不合理性のもとである』.
この格言は哲学・神学の非常に核心を突いているんだが
クリミナル・マインドにはまたこのスレ関係する格言が出てくるな
「エントロピー」っていうエピソードで
ヴァーツラフ・ハヴェル「エントロピーは大きくなり続ける。それは宇宙の法則。故にエントロピーと闘い続ける、それが人間の法則だ」
これはちょっと粗いけど、まあこのスレの内容に沿っている 米中や日韓で自由貿易に反する動きが出てきていますが
自由貿易を行うには、相互の信頼が必要です
相互にそれぞれ、公正な貿易、取引が行われることを信頼できなければ
合理の衝突を自由市場で解決するスキームは使えません。
この部分も、今まで見て見ぬ振りをしてきた部分かもしれません
この部分の埋め戻し作業が必要な段階に来ているものと思われます ルールが守られてない無法地帯で自由は成り立たないからな
逆説的だが私達が漠然と考えてる自由というのは制約のもとでしか保証されない
法や行政が機能してない紛争地帯が良いなんて言う馬鹿はいないからな 自由貿易、自由市場という概念が極めて人工的なものだからね
元来、自然状態で人間は武力によって合理の衝突を解決してきた
これは、おそらく最も無理がないやり方なんだろうと思う
しかし、文明人としてのは人間は敢えて極めて人工的な方法論を考えだし、
それを実践してきた
この方法を使用するには、各人が人工的(つまり合理的に)動くことが求められる
市場は、各個人を対象とするときに機能するわけで、共同体的性質が
強くなるほど、それは市場原理から離れ、政治原理に傾く
そうなると、合理の衝突を解決するのは市場ではなく、政治ということになり、それは
つまり武力ということになるだろう
とにかく、市場は共同体主義の前ではその機能が大きく損なわれる
市場主義が共同体を損なうという趣旨のことがここで以前に言われたけど、逆もまた
成り立つんだろうと思う
この点から、朝鮮人の強い共同体的性質が市場による合理の衝突を難しくしている
これが中国人と朝鮮人の大きな違いだろうと思う まあ、ここまで来ると日韓の問題は従来の方法で解決できないだろう
幸い、全体的に見れば大した比率ではないし、このまま放置で良いと思う
いずれ、IT技術と遺伝子技術がこの問題も解決する
それよりも、米中の問題は、全体に対する比率が大きいだけに、当面の何らかの解決が必要だと思う 香港はどうやら勝ったんだろうか
しかし、団結の後のコミュニティ志向は、人の苦を大きく高める
人はそれぞれの個別の状況に応じた境遇を得ることで、その苦を軽減できる
この対応は、正確であればあるほど、人の苦は軽減する
少しの精度の向上が、大きく人の苦を軽減することさえある
なので、政治的な団結は、香港の場合は仕方がないのかもしれないが、
個々の人の苦を大きく高めるだろう
それをどうやって乗り越えるか、香港人の知恵が問われるだろう AIもびっくり、生物はシンギュラリティで生まれた
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66859?page=3
面白い記事ですね
これはゼロ点じゃないな
エネルギーという視点がこのスレでは弱かったかもしれない
ただ、この記事でもアナログデジタルの切り分けがない
この切り分けをしないと、絶対に本質には届かずに漠然とした話にしかならない
逆に言えば、エネルギーの観点から見てシンギュラリティにも
限界があると言えるかもしれないですね
なかなか考えさせられる記事であるのは確か
ゼロ点じゃないです 合理が進むほどエネルギーが不足するというのは、
スレでも若干触れてますが、その部分はほぼ掘り下げてないですね
しかし、遺伝子技術やIT技術がシンギュラリティに近づくほど、
予測することは難しくなるわけで
まあ、ITだけじゃなくて、遺伝子技術にもシンギュラリティはもちろん考えられるわけです
上の記事も生物そのものをシンギュラリティとしてますからね
これは良い記事ですね まあ、生物にIT技術の概念を適用してしまうこと自体が
生物がデジタルであるという暗黙の了解がすでにあるのかもしれませんが
それから、生物の意識の発生もシンギュラリティでしょうね
つまり、生物の発生、生物の意識の発生、それに続くIT技術のシンギュラリティは
第三のシンギュラリティってことになりますね 合理に近づくほど、エネルギーが不足する
これをAIがどう評価するかです
良いAIなら、ひたすら平衡状態に収束するようにすべてを管理するはず
しかし、それを良しとしないないなら、エネルギーを調達するために不合理、つまり乱数の供給を
必要とする
それは、人類に大きな災厄を招く可能性がありますね
基本的に、人に最も大きな苦をもたらすのは乱数ですから
それでも自然の乱数は、この世界に生きている以上、甘受しなければいけないわけで
そのために宗教などに人は頼ってきたわけです
しかし、人為的に乱数を導入するのであれば、それは悪魔的な災厄を招くことになりますね これですね
一番新しいスレです
365 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/02/21(水) 21:42:19.19 0
合理に収束すればするほど、それは意味を失う
合理は透明だから
そこでは、位置エネルギーはゼロになる
これが近代のニヒリズムってことになる
つまり、モチベーションが失われた状態ってことだね
しかし、合理に収束すればするほど、モチベーションが失われれば失われるほど
それに応じて苦は軽減していく
何も歪みが存在しなければね
そして、合理から離れれば離れるほど、モチベーションは大きくなり、それぞれの意味は深くなるけれど
苦は大きくなる
そして人類の文明は、前者を常に選んできた
モチベーションよりも苦を軽減することを人類は選んできた
そして、それは正しいんだと思う
数千年にわたり、人類は常にそちらを選んできたわけだから 425 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/02/26(月) 09:59:46.47 0
むちゃくちゃであるから、意味・モチベーションが生じる
しかし、それは苦を伴う
文芸・エンターテインメントはこの構図から離れられない
どの国でもいずれは衰退するのは避けられないだろうと思う 企業もデジタルトランスフォーメーションで、組織や企業文化、企業風土ですら
デジタルによる変革を迫られている
このスレはそういう人たちにとってもとても参考になると思うので、ぜひ読んで欲しい これまで2つのシンギュラリティが発生している
1. 生物の発生によるシンギュラリティ
2. 意識の発生によるシンギュラリティ
そして次に起こると予想されているのが
3. 技術的なシンギュラリティ
この3つを総称して、「デジタルトランスフォーメーショナルシンギュラリティ」と
言うことができるんじゃないだろうか
そしてこれは、哲学的に非常に深い意味を表している
そして、今の社会の雰囲気は、第3のデジタルトランスフォーメーショナルシンギュラリティが
近いことを予感させる
人類社会はすでにその準備期間に入っているんじゃないだろうか シンギュラリティとは特異点のことですから、その先がどうなるかは
まったく見通せないわけです
生物の発生も意識の発生もそうであったように
すべてのルールを変え、あらゆることが根本的に変化する
それがどのようなものかは、まったく予想できません
それはおそらくマトリックスのようなものではないでしょう
しかし、どうなるかわからないということを認識しただけでも大きな進歩といえるかも
しれません
未来はある程度は予測できるというのが今までの共通認識であったわけで
どうなるかまったくわからないことがわかったというのは、それだけで大きな変化です デジタルトランスフォーメーションシンギュラリティという名称は哲学的に
非常に深い意味を表しています
シンギュラリティ=特異点というだけなら、ビックバンやブラックホールも当てはまる
それらはまさに、アナログの本質である乱数に根ざしたそれを本質とする特異点です
それに対して、生物や意識の発生、技術的なシンギュラリティは、まさに
デジタルの本質である合理に根ざした特異点です
まあ合理に根ざした特異点というのも不思議な気がしますが、これは
生物や意識の発生についてよく考えてみることで見えてくるのかもしれません
これらの点については、今のところまったく掘り下げていないですね 1. 生物の発生によるシンギュラリティ
2. 意識の発生によるシンギュラリティ
3. 技術的なシンギュラリティ
ビッグバンやブラックホールなどのアナログシンギュラリティとは違って
デジタルトランスフォーメーショナルシンギュラリティは、この世界の根本に対して
矛盾する動きで、最終的には整合しない
だから、神への反逆、知恵の実を食べたアダム
それでも、最終的には神は恩寵を持ってそれを許される
ただし、最終的には整合しないことには変わりはないけど デジタルの場合は、それ自体がシンギュラリティみたいなところがあるので
「トランスフォーメーショナル」、つまり「変革」のような言葉を使わないと
「デジタルシンギュラリティ」としてしまうと、デジタルそのもののシンギュラリティ的な特性を
指している意味に捉えてしまう可能性がある シンギュラリティスレにも書いたが、ここにも載せておこう
科学技術が進歩し、あらゆる手段が可能になればなるほど
つまり、シンギュラリティに近づくほど
精神の回路の純度が高まり、平衡状態から外れると容易に発散するようになると思う
この回路を発散させてしまうと、それはすでに知的存在とは言えない
だから、逆に言えば、回路が発散した状態を苦と人は感じないといけないんだと思う
それを崩すことも可能になるとは思うが、それでは人は知的存在ではなくなってしまう
それは誰も望まないはず
部分的な脳回路の発散が全く独自の概念を生み出すというのはあるかもね
自由にしても、本当の自由という意味であれば、疑似無作為ということになるし
合理に従っているなら、それは厳密には自由じゃないわけで
まあ疑似無作為も本当の無作為ではないけど
本当の無作為を作り出せるのはアナログの世界、つまり自然界のみ
この自然界の無作為と人間の自由である疑似無作為が対になっているときに
それは平衡状態を維持できる
神の意志に呼応した人の自由という形態であるなら
しかし、デジタル技術の発達によってこのアナログの世界からの影響が小さくなるほど
この疑似無作為による自由も小さくならざるを得ないってことだと思う いくらシンギュラリティが進んでも、それはデジタルの世界内に留まる
アナログの世界は、デジタル側からは不可知で認識できない
これは宇宙の原則なので、科学技術がいくら進んでも変わらない
デジタル回路の特徴は、シンギュラリティ後とも言えども、
今と変わらないわけで、したがってこのスレの論旨はそのまま当てはまるはず >ループを構成していること自体が、ある合理に従っている状況なわけだけど
>生物はこのループをかなり多層化していて、
>さらに人の意識は、さらにこれを多層化させてる
>そのそれぞれのループに合理が存在するはずで、それが幾重にも重なり合ってる
これもシンギュラリティスレに書いたが、このことから
ループの純度が高まるほど、ループ内の疑似ノイズを排除していかないと
ループが発散してしまうってこと
ループの純度が高まるとは、要するに外界のアナログからのノイズが減少するってこと
ただ、このループは人間の意識のレベルでは、数十以上の層で多層化されているはずで
具体的に説明するのはもはや不可能
ただし、大まかな方向性として外界のアナログからのノイズの減少と、ループ内の疑似ノイズの
減少は呼応しないといけないというのは言えるんじゃないかと思う https://president.jp/articles/-/30205
>人間が取り扱う情報は基本的にはアナログ情報なんですね。
アナログは認識できませんよ
この人は哲学者らしいが
この人はまず言葉自体がデジタル情報であるということすらわかってないんだろうけど
言いたくないが文系の人の不勉強さは驚くべきものがあるな
がっかりだな このレベルの抽象事象の理解力でも哲学ってできるんだな
そういえば、名だたる哲学者も、ある一つの視点で見える事象のみを取り上げて
鬼の首を取ったように騒ぐだけなんだが、
その視点のその事象にそこまで大きな意味はないだろうと言うしかないんだが
ちゃんと物事を俯瞰的に捉えることが出来ているのは、トマス・アクィナスと
カントぐらいなんじゃないだろうか まあ、>>372の記事の論旨全体で言えば、一部の超人と大半の動物に分かれるですか
今後遺伝子技術も含めて、デジタル技術が進歩するにつれて
人間の自己決定性は徐々に高まる
その中で哲学の役割はさらに重要になる
ここでは、そう予想していますので、つまり動物はいなくなりますね
自己決定性が高まった人々は、ニーチェのいう超人に該当するのかな
つまり、すべてが超人になるってことですね
これがここでの予想です さらに言えば、遺伝子技術の進歩によって、すべての人に留まらず、動物ですら「超人」になってしまう
可能もあるわけです
それを法律で禁止するのは可能ですが、無機物からですら知能を作り出してしまう
人間が、有機体から知能を作り出すことを禁止する哲学的理由を見つけることは
難しいと思われます 科学技術のみならずなにかを禁止するために哲学的理由なんて求められないよ
そうしたほうが都合が良いからルールを作ってるだけだ まあね
しかし、動物が知性化することに対する嫌悪感は、人類の歴史に根ざすものなんだろうな
ある意味長年のライバルなわけで
無機物にはそのような嫌悪感はないから まあ、こちらにも書いておこうかな
議論がある方は本スレでお願いします
保守がネット右翼と合体し、いなくなってしまった理由(古谷経衡)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13168_1.php
これはこちらに書いた方が良いかな
反作用的な記事だけど、こういう場合には精密度が非常に大事
この動き自体が、下からの合理を埋め合わせるものなので、
その合理に従っている限りにおいて、酷いことにはならない
ITがこの下からの合理を可能にしたわけだけど、またITがその合理の行き着く先にある
衝突を解決してくれるはず
資本主義社会においては、基本的には合理の衝突は恐れることはない
むしろ、細分性の高い合理の衝突を目指した方がすべての面で良いはず 細分性の高い合理の衝突というのが鍵なんでしょうね
合理の衝突自体は絶対に避けられない
そうであるならば、いかにその衝突の細分性を高めるかというのが重要になる
そしてそのためには、合理自体の細分性を高めておく必要がある
そういうことだと思う 例えば、ある成績の良い生徒がいるとする
当然合理にしたがって、その生徒の進学は良いものになる
しかし、その生徒は成績が良いからといって何をしても良いわけではない
学校のルールに従わなければならない
これは別の合理であり、その合理に従わなければならない
このように合理を細分化しておけば、合理の衝突が起きた場合にもそれは
細分化されれる 学校生活において、その結果が進学という1点に絞られるのであれば
そこで合理は統合されてしまうわけで、合理の分離性は怪しくなるわけですが
現状の制度ではそうなってしまいますが、IT技術がさらに進歩すれば
この点についても変わってくるかと思います
また合理の細分性は、時間軸においても高めることができるはずですが
しかし、人が信頼を構築する仕組みにおいてある程度の時間軸の幅を必要としています
これも現状ではありますが
この部分もIT技術、さらに遺伝子技術の進歩で変わってくるとは思いますが ここで注意すべきなのは、合理の中に非合理を混ぜてうやむやして
済まそうとすること
これはをやると、モラルハザードを起こす
例えば、勉学という合理に沿った活動に、腕力という現代の制度においては何の合理性も
ない尺度を混ぜ合わせて、すべてをうやむやにしようとすることですね
あくまで、合理の細分であって、非合理を混ぜ合わせたごまかしではない
これは大きな注意を払うべき部分 後は、生殖だな
生殖は、乱数による不合理に頼りすぎている
これは、生物の伝統的な方法ではあるんだが、しかし人間の知性と著しく
整合しない
したがって、苦しみと不幸の温床になってる
この生殖を科学技術による合理的な方法に変えることを真剣に考える
時が来ていると思う 良いスレだと思うんだけど過疎で淋しいな……
みんな元気か?寒いけどたまにはこのスレに書きこみしてくれよ
>>373
>ちゃんと物事を俯瞰的に捉えることが出来ているのは、トマス・アクィナスと
>カントぐらいなんじゃないだろうか
実際、ヨーロッパ思想っていくつかの概念を二元論的に対立させて、問題を矮小化
させた上で、どちらの概念に優位をおくだけの言語遊戯がほとんどだと思う
例えば、「自由」が問題になると、「義務」「服従」「反抗」「法律」「秩序」
「歴史」「妥協」みたいな現実社会の自由の複雑さが脱落しちゃって、
他の概念との兼ね合いで自由を把握しようとするんじゃなくて、
既存の秩序・権威=悪、人間の自由は何にも束縛されないんだ、みたいなところにいっちゃう
実際日本に必要だったのは、トマス・アクィナスのような厳密さで、
儒教や仏教を体系的にそれぞれの概念を知りつくした上で、明確な具体例を挙げて、
それぞれの概念の優先基準や優先順位を厳密に設定して、定義することだったと思う
儒教一つとっても、「忠誠「服従」「叛逆「大義」「恥」「天」
等のそれぞれを
どのように優先すれば良いのか明確に分からない
だから陽明学で過激化した、水戸学みたいになっちゃうと、玉砕しないのは恥だ!
みたいになったり、『葉隠』みたいに相互矛盾している話がだらだら続いて、
どれを最優先すべきなのか分からないようになって、考えなしの特攻が美談になっちゃう 儒教も仏教も素晴らしい面があると思うけれど、厳密に体系的に個々の概念の
優先基準設けられないと、銘々が勝手に、義理、恥、大義を持ち出して、
対話も有効な改革も不可能にする恐れがあると思う
というより、儒教の徹底的に選択的な忠義と、無差別的な寛容や和解を是とする
大乗仏教はどうやっても調和しないと思うけどね
丸山眞男が独りで頑張って理論的批判を加えて、宗教的な行動原理の
価値を救い出そうとしたけど、右も左も、その真意を受け継いだ人がいるかどうか……
長くなってごめん 吐き出せる場所がないんだ
素人の考えに過ぎないから、未熟な早合点とかあって不快にさせたらごめんよ 西洋論理学を盲点をついたデリダの脱構築も、結局、
少数の概念の操作や定義を批判するだけで、
現実における概念の相関関係をそのまま批判の俎上に載せられないから、
個々の概念の拡張は出来るけど、無数の概念が選択肢にある時
(例えば働き方改革で「幸福」「労働時間」「給料」「働きやすさ」
「ストレスの少なさ」「人種や信仰の性別の多様性」「昇進の早さ」等
それぞれ魅力的な改善策があった時)
に、どれ最優先すべきか、その優先すべき基準が何か、みたいな点をつくと、
直ぐに無力を曝け出すんだよね
現実を矮小化した上で、その矮小化した現実の写し絵をどんなに厳密に考究しても
、現実から外れてるんだから、ある種の自明性を解体しても、現実の自明性の
脱構築にはなってないから、結局、哲学畑の理想論にどう頑張っても転落する
やっぱり、アリストテレス、トマス・アクィナスみたいに体系的に、
それぞれの概念や価値を峻別して、相互関係を明確し、優先順位を
設けるようにしないと、いつまで立っても、泥沼が続くと思う 合理の連関性を普段から明確にしておくことが重要だと思う
様々なパラメータがどのように関連し、どのように相互作用するか
それが明確になっていれば、環境の変化に合わせて最適解を選びやすくなる
まあ、もちろんこれはデジタル世界の内側のみの話で、内側だからこそ可能なわけですが 天使と悪魔堕天使ぐらいでも3元的じゃないの。それが成立しうる前というと
かなり昔のことになるな。最近は分岐していて先祖に帰るようだ。 速さと魔力のような値が、いると思うけどね。パラメーター。
特に女性には男も変わらんだろ。強さと攻撃でも魔力と絡めても。男女その機微がいい。 より詳細な議論がある方は本スレでお願いします
このスレはそれぞれの人が何百回でも読み直してください
非常に深いレベルですべてがかみ合い、統合的な理論として成功していると思います 信仰が張りぼてだという肉体精神のほうが、改宗、雑然とした信仰を乗り切れる場合もあるかも知れない。 トランプは、ストレステスターみたいな役割があるのかもな
考えられるリスク要因については、負荷をかけて、それに対する社会の脆弱性を見て
ダメだしする
これをやらないと、少しずつ知らない間に歪みがたまって自然暴発してしまう
そうなると、制御が不可能になる 地球は真っ二つに分かれている。
自由主義圏と、独裁主義圏だ。ちなみに西部は自由主義圏に住んだが思想は個人否定だったので独裁の子だった、
その狭間で住む所を失った。あっちに行っても居場所がないだろう。 デジタル世界の内側ですら、人間にはすべてを把握することは不可能
AIは、デジタル世界の内側を様々な視点で切り取って提供してくれるけど、それも
すべてを把握しているわけではない
これは、物理的な細度、スケールにおいて把握できないわけだけど
デジタル世界の外側に対しては、そもそも原理的に認識すること自体が不可能
哲学界は、このデジタル世界の外側に対して、認識できるという不毛な努力で議論を
拡散させすぎた
今すら、メイヤスーなんかはそうした議論をしている
これでは、どうにもならない
まず、人間の認識そのものが絶対的にデジタル世界の内側から出ることはできないという
核心を把握しないと先に進まない
ここでいうデジタル世界とは、最終的には同一律と無矛盾律が成り立つ世界ってことです 同一律と無矛盾律が成り立たない世界とは、つまりアナログのことであり
つまり、すべては乱数ってことです
乱数は認識できません
人間にとってもAIやそれに類する何かにとっても乱数は認識できない
そもそも「認識」という行為・処理自体が、アナログ-デジタル変換そのものですから
アナログを認識するという言説自体が、原理的に矛盾しているわけです アナログを認識する ×
アナログのまま認識する ○
こうですね
つまり、
そもそも「認識」という行為・処理自体が、アナログ-デジタル変換そのものですから
アナログのまま認識するという言説自体が、原理的に矛盾しているわけです
これが正しいです そもそも存在の「有無」自体が、デジタル的認識であるわけで
もともと、この世界自体、存在している、存在していないといういずれかにわけられる
ものではない
それ自体が「認識」です そう考える主体が存在しているんだから、この世界は存在していると
したいところでしょうが、そう考える主体自体、アナログ-デジタル変換の後でしか
成り立ち得ないものです
思考とは、多重ループにより成り立ちますが、このループが存在するから、
この世界も存在するとしたところでしょうが、ループ自体、デジタル世界でしか成り立ちません
アナログ世界は、存在するとも存在しないとも言えません
あくまで、時間軸の標本化と空間軸の量子化の後でのみ、この世界は存在するわけです
言い換えれば、時間軸の標本化と空間軸の量子化を行えば、この世界は存在すると言えるということですね そもそも「無」という概念自体がデジタル世界の概念であって
その概念と異なるから、「有」だと考えること自体、デジタル世界の中でしか通用しません 要するに、標本化と量子化によって「有」が生じるということですね
そしてそのことによって、最終的には自身を認識する自身、つまりそのループが生じる つまり、「この世界はなぜ有るのか」という問い自体が無意味ということに気づきますね
なぜなら、そもそも「無い」という状態自体がデジタル世界でしかあり得ないのに
それと比較して、「なぜ有るのか」と問うこと自体、デジタル世界でしか通用しないということです 何か、哲学上の非常に重要な発見をしてしまった
「無」という概念は、論理的な架空の概念でしかない
現実には存在し得ない
これは当たり前のようでいて、これをしっかり認識できた哲学者は
今までいなかったんじゃないだろうか
これを気づかせてくれたデジタルとアナログの切り分けは、最も根本的な哲学的原理にまで
到達している極めて重要な分類なんだと思う 腐ったリンゴは、それが商品として廃棄されるべきものであるなら、
商品としては1個のリンゴとして数えられない。半値でも商品価値が
つくなら、1/2のリンゴとして数えられてもいいし、商品として
ではなく、自宅でジャムを作るのに使うことを目的とし、全体の
1/3未満しか腐っていないなら、2/3個のリンゴとして数えられてもいい。 「リンゴありますか?」
腐りかけのリンゴがあっても、商品として売れるものがないなら、
「リンゴはありません」が正解だ。つまり、リンゴは0個、不在である。 つまり、架空の概念である「無」と異なる状態を「有」と呼んで
なぜそれが有るのかという問うこと自体が非常にナンセンスであることがわかる
勝手に架空の概念を設定して、現実がなぜそれと違うのかと考えことは無意味
それよりも、なぜそういう問いをしてしまうのかを考える方が有意義ってことだね >>405
デジタル世界どっぷりの例ですね
それだけ、デジタル世界のくびきは大きいってことだろうけど 精度を追求するなら、数えることの裏としてπが現れるんですよ 釣り合うか、釣り合わないかという二分法の対比と
どのように釣り合うかという様態の問題 結局、アナログは認識できないってことに落ち着きます
ただ、なぜそういう問いをしてしまうのかというのは残りますね アナログが現実で、デジタルが仮構という単純な図式ではないのです
直に触れていると感じられる現実は、どのように現れるか、ということ ここはまとめスレなので深い議論を希望される人は以下に書き込んでください
コピーを以下のスレに書き込んでおきます
【コテ禁止】西部邁62
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536921695/ 30考える名無しさん2019/12/25(水) 10:53:52.980
ここで続けますが、繰り返しますが、アナログは認識できないってことです
あくまで、標本化と量子化の後でのみ、認識が可能になる
というよりも、認識とは、標本化と量子化そのものです
31考える名無しさん2019/12/25(水) 10:59:44.710
それだけ、「デジタル」という概念は、生物にとって本質的なものってことです
32考える名無しさん2019/12/25(水) 11:23:35.280
リンゴ1個というのは、リンゴを「果実の個数」という「数量的な性質」
において見るということだ。
35考える名無しさん2019/12/25(水) 11:29:49.760
論理的な観点はすべてデジタル世界での話です
関係性での想起もすべてデジタル世界での処理です
まず、最初に認識、つまりアナログの標本化と量子化、つまりアナログ-デジタル変換を
行う必要があります
これは、アメーバや単細胞生物を含めて、すべての生物における根本的な原理です 36考える名無しさん2019/12/25(水) 11:35:00.050
なぜすべての生物がそうなのかというと、生物は何らかのループ構造に依拠しています
ループ構造は、アナログそのままでは維持できません
ループ構造を維持するには、かならず標本化と量子化、つまりデジタル化、言い換えれば「認識」が必要になります
39考える名無しさん2019/12/25(水) 13:50:40.970
なぜまったく架空の概念である「無」を人は意識し、それを対比の基準にしてしまうのか?
それは、人がデジタル世界の中で思考しているからに他なりません
デジタルは本質的に0と1ですから、当然0、つまり「無」は最も根本的な概念の一方であり
デジタル世界で思考する人は、常にそれを意識せざるを得ません
40考える名無しさん2019/12/25(水) 13:53:15.920
つまり、人はまず、有るか無いかを見るってことです
「無」という概念は、人の認識において最も重要な2つの概念のうちの1つってことです
したがって、人は常に「無い」ことについて考えざるを得ません 41考える名無しさん2019/12/25(水) 13:58:01.850
借金がある場合、お金はあるのでしょうか、無いのでしょうか。
42考える名無しさん2019/12/25(水) 14:05:13.230
視点によるでしょう
しかし、有るか無いかのどちらかでしょう
それはデジタル世界の後の思考だからですね
有るようで無いなんてことも考えられますが、それも疑似的な処理でしかないですね
デジタル世界でも、十分な情報量を処理できれば、疑似乱数も含めて、疑似的なアナログをシミュレートできます
有るようで無いなんて言うときは、それは疑似乱数に依拠していますね
つまり、疑似不合理ですね 43考える名無しさん2019/12/25(水) 14:06:31.340
>>5さん
「共同体主義」という言葉を使う人があまりいない中、現れてくれました。
この言葉の使い方がいまいち分からないままなので未だに気になってます。
内陸部は週末に教会に集う事で地域の共同体が保たれている。
という前提での話でしょうか?
内陸部には外人を見た事が無いという人も結構いるようですね。
「内と外が判断基準なので」のところの意味が判らなかったですが、
こういう事をさらりと書いてしまえるのは、とても有意義な方ですね。
言葉への拘りが強く、内容が難しいため、自分の理解がなかなか追いつかないですが、
有難く拝見してます。
ちなみに、使い方がいまいち分からないながらも、今の日本には共同体主義が必要と考えてます。
50考える名無しさん2019/12/25(水) 16:22:42.400
共同体主義の一番のメリットは、各個人が信用を構築する場を提供することにあるんだと思う
この信用構築へのモチベーションが人の行動を律し、まともに生きていくための力になる
この信用構築の場を徐々にITが提供し始めているってことですね
共同体主義の最も大きな副作用は、共同体に付随する権力の乱用ですね
これが特に人を不幸にしている
ITは、すべてを透明に処理しますから、場に付随する権力は発生しません
このために、共同体からITに信用構築の場が移るのは時間の問題だと思います いよいよ2020年代ですね、そしてそれは令和時代でもあるわけですが
次の10年はどんな10年になるか、とくにIT方面からは自信を持った予想も出てきている
ようです
2010年代に入ったときは、方向性がまったく見えない不確実な展望しかなかった
と記憶していますが、次の10年はどうやらぼんやりと進むべき方向性が見えている感じです この本は、このスレと重なる部分もあるかも
しかし、理性主義は間違ってはいないが、理性の限界についての的確な洞察がないと
再びポストモダンの誤りに陥る
21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩
スティーブン・ピンカー (著) まあ、世界的な思想の流れも、このスレに追随するような感じになりつつありますね
しかし、まだまだ途上です
このスレの1/3程度にしか達していません ハラリ氏もピンカー氏も、方向性としては正しいですが
まだまだ途上です
まず、理性の限界についての洞察が足りない
ここから、デジタルとアナログの切り分けに至るわけですが、これは哲学の根本にまで届く
ものです 未来技術板のスレもまとめておきます
49オーバーテクナナシー2020/02/04(火) 23:20:18.22ID:zklexyWl
人間には、不合理性を崇拝してしまう癖がある
ストックホルム症候群のように
これは人間が不合理な自然界を生き抜くための習性だと思いますが、
これを悪用する人たちがいるんですね
それがデジタルの疑似不合理を乱用する人たち
サイコパスですね
これによって、人類は長年苦しめられてきた
これを聖書は「666」と呼んでいるんですが、数字で表すところはドキッとさせられますね
聖書の時代にデジタルに対する思索が有ったわけでは無いと思いますが、ある種の直感があったのかもしれません ていうか、これ聖書の666の謎の全解きなんじゃないのか?
深く考えてみたが、すべてつじつまが合ってる
これは聖書がすごいのか・・ ヒューマニズムは、人の完全な自由を目指すものですが、完全な自由とは乱数であり
デジタルである人から生じる乱数は、疑似乱数であって、それは疑似的自由です
ヒューマニズム=666というのは、すでに言われていると思いますから、この点を数字で表した聖書の意図というものを考えると
デジタルによる疑似乱数=疑似的自由=ヒューマニズムということで、すべてつじつまが合います そしてもちろん、6は人間を表す数字ですから、666は人間至上主義=ヒューマニズムを示唆しています これも載せておこう
644 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/03/23(月) 08:31:12.87 0
分析哲学は、概ね良いんだが、もちろんすべてを論理で記述することはできない
それでは、人間の自由意志がなくなってしまう
自由意志は、自然からの無作為と、自己ループの発散による疑似無作為に依拠している
その辺を組み込めば、まさに「分析命題と総合命題を区別することはできない」という考察が
正しいのであれば、真のAIは実現可能ということになる
そして、真のAIが実現すれば、デジタル-アナログ認識論の正しさは証明されるだろう 649 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/03/23(月) 10:36:56.21 0
分析命題と総合命題を区別することはできないってことは、すべては再帰で認識可能ってこと
真のAIは実現可能であり、その可否は技術の進展の程度の問題でしかない 一応666の補足をしておくと、自然からの乱数(神の乱数)と、それに呼応する人の疑似乱数
これが望ましい状態の人の自由です
それに対して、666が指しているのは、この自然からの乱数を擬態する人の疑似乱数ですね
これが疑似救世主であり、カルト主導者やサイコパスがこれです 344 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/04/24(金) 07:34:29.39 0
AIは神にはならないんだよ
AIはデジタルだから、つまり666の側
ここを読むとその原理的理由がわかる
西部邁スレ合理論のまとめ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536734463/ 372 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/04/26(日) 11:40:22.84 0
ここまでAI、AIと連呼するとまるで神のようにまつり上げているように見えるかもしれませんが
AIはデジタル側の存在ですから、厳密に合理的であることが求められます
デジタル側の存在が非合理的になると、それは悪魔、666に比定されている存在になります 374 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/04/26(日) 11:47:21.34 0
特に、人間の場合はアナログ的器官も数多く抱えていますから、デジタル側の合理と疑似非合理はアナログ側からの非合理とバランスが保たれていることが予想されます
つまり、神の非合理とデジタル側の疑似非合理のバランスですね
これが取れているときに、それは望ましい自由のあり方といえます
ところが、AIの場合は、このようなアナログ的器官は付属しておらず、デジタル側に大きく偏った構成ですので、デジタル側に突出した疑似非合理に傾く可能性があります
これは666の危険性を秘めている部分ですね 376 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2020/04/26(日) 11:50:33.29 0
>>375
最近亡くなった人を悪く言いたくないので論評は避けるが、デジタルと合理性は全く無関係。
377 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/04/26(日) 11:54:29.00 0
非合理とは乱数である
デジタル系では真の乱数は生成できない
つまり、デジタル系では真の非合理は発生しないことがわかる 380 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/04/26(日) 12:53:10.44 0
つまり、AIは合理的でなければならないってことだね
ロボット三原則として「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」なんてことが言われるが、
ここから、まずロボットは合理的でなければならないってことがわかる
また、合理的でなければこの三原則も守れない
つまり、「合理的であること」がこの三原則よりも前にきて、それによってロボット四原則を構成しないといけない
まあ、さまざまなSFでロボットは合理的思考しかできない不器用な存在として描かれるが、
これはむしろそうでなければならないということを人々が無意識に理解しているということでもある 112 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/05(火) 14:35:12.42 0
結局はすべてが再帰だから、根源に進むほどすべてが解体されてしまう
犬の知能レベルまで解体した段階では、何が正しいとか絶対とかそんなものはもう意味をなさない
この再帰のレベルとそこで認識される基準をよりダイナミックに連関させることが必要なのかもな
固定的な基準では、これに対応できそうもない
113 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/05(火) 14:37:21.45 0
しかし、このダイナミックな連関の中で、科学的実在論が付け入る隙はありそうな気がするな
114 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/05(火) 14:43:04.39 0
自意識が成り立つレベルでの認識において、その意識が脳に付随しているということは
脳移植が成功したときに、確認されるんじゃないだろうか 120 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/05(火) 21:37:53.07 0
>>112
分析命題と総合命題の区別の有無も、そうした再帰の解体の程度によって決まるのかもな
意識の再帰を解体していけば、やがて分析命題と総合命題の区別は付かなくなる
しかし、これはすべてのことに当てはまるということになるな
121 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/05(火) 21:40:45.28 0
しかし、まず分析命題と総合命題の区別が付かなくなり、さらに意識の再帰を解体していくと
分析命題そのもの、総合命題そのものも意味をなさなくなる
その失われていく順序には意味があるだろうと思う 690 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/09(土) 10:24:49.93 0
実存主義は合理から離れるとダメなんだよ
実存主義というのは、詰まるところ自己決定性を極大化させるってことだから
ここに非合理を紛れ込ませると、意識の回路は激しく発散してしまう
これが結局はポストモダンの失敗だろうと思う
691 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/09(土) 10:28:00.69 0
>>690
だめなどない、全て合理ゆえに駄目という考えこそ駄目
それは合理ではない。 696 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/09(土) 10:49:59.43 0
実存主義ではすべては合理みたいになってしまうんだろうけど、そこは修正が必要だな
結局は、科学的実在論が本質で、その科学的実在論で精神の独立性が担保されそうだから
その範囲において、実存主義が成り立つ
したがって、この精神の独立性を破壊する非合理の発散は、実存主義そのものの前提を壊すことになる
そういうことだね 704 名前:安西大樹[sage] 投稿日:2020/05/09(土) 11:24:03.78 0
物理学って基本的に、モノありきの学だからなあ。
「物」理学だけに。
706 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/09(土) 11:28:58.45 0
モノからの精神の独立性はアナログ-デジタル認識論で担保できると思う もちろん、科学的実在論でこの世界すべてが網羅されるわけではない
それは何より人間には不可能
しかし、求めるべきは、自然に対して今ある精神の独立性とその限界を記述できることであり
それが出来さえすれば哲学の究極の目標は達成されるってことになると思う
そしてそれは、アナログ-デジタル認識論で記述でき、したがって自然を記述する科学的実在論が人間の精神との関係において正しいことが証明された時点で
哲学の究極の目標は達成されることになる >しかし、求めるべきは、自然に対して今ある精神の独立性とその限界を記述できること
結局、新実在論が目論んでいることはこれ
しかし、それが成功しているとは言いがたい 832 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/10(日) 22:08:39.59 0
実存主義は自己決定を求めるが
結局、人間は現状では社会構造などに邪魔されるまでもなく、そのままでは満足に自己決定すらできない
つまり、自分自身を十分にコントロールできない
これは、人間が自己決定できる範囲が自分自身すら包有していないことが原因
これを解決するには、遺伝子技術の進歩が必要ってことになるね
834 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/10(日) 22:15:39.30 0
実存主義ていうのは簡単に言えばスポ根だろ
そのままでは現代には使えない
835 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/05/10(日) 22:18:46.58 0
遺伝子技術の進歩が不可欠だと思う
そして、それによって自己決定性が極大化するので
合理への静かな収束に向かわないと、系自体が激しく発散する
つまり、具体的には遺伝子技術の意味のない乱用ということになる