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Friedrich Wilhelm Nietzsche
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0001考える名無しさん
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2019/02/19(火) 02:29:57.290
ニーチェの哲学思想を論ずる。
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0002考える名無しさん
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2019/02/19(火) 02:49:30.550
「人間の高貴さ」という観点こそは、ニーチェが彼の全作品を通じて訴えかけた倫理的立場
に他なりませんでした。(『マックス・ヴェーバー入門』 P.146 山之内 靖 著)

「人間の高貴さ」−『善悪の彼岸』に「高貴とは何か」という章がありましたね。
同書には「仮面」についてのアフォリズムのほか、「人間の高貴さ」を訴えたものが数多くあ
りました。
0003考える名無しさん
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2019/03/07(木) 03:27:38.350
 ■ ニーチェの哲学は、ツァラトゥストラ的なるものから、ディオニュソス的なるものへ転換した

力への意志は、創造と破壊が連続した性質を持つ。
「前進」とか「進歩」とか既成の「善悪」などの諸価値は、すでにニーチェによって破壊され
ている。あるのは本質的に、あらゆる意味での「力の世界」になる。

原佑氏(故東大教授)はこの世界をディオニュソス的世界であると言っている。氷上英広
氏(故東大教授)も最終期のニーチェについて、

「ニーチェはツァラトゥストラからさらに離れてディオニュソスに行った。ディオニュソスは
ニーチェの<漂泊>のたどり着いた最後の認識であり、<ついのすみか>である・・・・」
(『ニーチェの顔』 P.101 岩波新書)

と述べている(二人ともニーチェ研究の専門家である)。

最終期のニーチェの世界像、そして哲学は、ツァラトゥストラ的なるものから、ディオニュ
ソス的なるものへと転換していると、氷上氏は同書で強調している。

(<ついのすみか>−最後に安住する所−と言っているわけだが、確かにツァラトゥストラ
の名はそれ以後の作品へ進むと影が薄くなる―精神錯乱直前の『この人を見よ』は除く―)。
0004考える名無しさん
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2019/03/27(水) 02:12:09.930
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    ■ 『ツァラトゥストラ』は<玄関>に過ぎない

>>3
ハイデガーはその著作『ニーチェ』のなかで、ニーチェが1884年に、バーゼルの友人オー
バーヴェックに宛てた書簡のなかで、(全著作のなかで)『ツァラトゥストラ』は<玄関>に
過ぎないと記していることを引用している。

それを踏まえてハイデガーは、『力への意志』こそニーチェの主著であるとし、『ツァラトゥ
ストラ』と『力への意志』の関係は、「どこまでも玄関と主建築という関係なのである」と言っ
ている。

最終期のニーチェの世界像、そして哲学は、「ツァラトゥストラからさらに離れてディオニュ
ソスに行った」と、氷上英広氏は論文集『ニーチェの顔』で強調しているが、『力への意志』
というニーチェの主著は「ディオニュソス的なるもの」の要素が濃厚だ。 
0005考える名無しさん
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2019/03/27(水) 16:26:29.850
超超人でなければ、超人を超えることは無理な相談だと思うが、
超人を玄関として超えて進むことができるのか?
0006考える名無しさん
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2019/03/30(土) 03:06:54.810
>>5
『力への意志』が『ツァラトゥストラ』を超えるという意味ではなく、『ツァラトゥストラ』の思想
が主著である『力への意志』の哲学という主建築の<玄関>にあたるということですね。

ハイデガーは「超人」のことを、力への意志の根本性格を帯びた存在者が、永劫回帰とい
う存在の全体を生きることと言っています。『ツァラトゥストラ』の主要部分は永劫回帰の思
想です。

ちなみに著作の『力への意志』は「一切価値の価値転倒の試み」という副題が付いていま
す。
0007考える名無しさん
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2019/04/12(金) 03:06:15.870
『権力への意志』第853番−「『悲劇の誕生』における芸術」−のVで、ニーチェは「悲劇的・
ディオニュソス的」という言葉を使っている。この断章の意味がよく分からないのだが、生
(人生)におけるあらゆる「苦痛」(苦しみ)の克服が、ディオニュソス的概念と関係している。
ディオニュソス的概念は、ニーチェがたどり着いた最後の概念であった。
0008考える名無しさん
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2019/04/25(木) 03:34:05.710
社会学者マックス・ヴェーバーとニーチェの親縁性を論じた山之内靖氏の『マックス・ヴェー
バー入門』(岩波新書)では、 ギリシャ悲劇に潜在するディオニュソスの神を取り上げ、
「社会」という形態の中に、創造と破壊の混沌とした生物学的エネルギーが潜在すること
を述べている(同書P.147)。

遠からず(近いうちに)財政破綻する日本が、そのディオニュソス的エネルギーでどのレ
ベルまで復活・新生できるかは、ニーチェが言う、その民族が有する「権力量」で決まる。

ニーチェ曰く、「君たちの存在と世界は権力への意志である。そしてそれ以外の何もので
もない。」
0009考える名無しさん
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2019/04/26(金) 01:54:59.590
>>8
■ 訂 正

×:ギリシャ悲劇に潜在するディオニュソスの神を取り上げ、「社会」という形態の中に、
○:ギリシャ悲劇に潜在するディオニュソス的性質を取り上げ、「社会」という形態の中にも、
0010考える名無しさん
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2019/05/01(水) 03:14:32.650
.
    ■ 『権力への意志』には「悲劇の精神」が流れている

ニーチェの真の主著は『権力への意志』である。
 
『権力への意志』には「悲劇の精神」が流れている(『ニーチェとヴェーバー』 まえがき 山之
内靖著)。

「文献学者としての背景をもつニーチェの思想的拠点は、本質的には古典期ギリシャにお
かれている」 (同書P.28)

『権力への意志』には「悲劇の精神」が流れているとは、どういう意味であろうか?

私も後者の山之内靖氏の指摘に同感するが、『権力への意志』そして『偶像の黄昏』など
の晩年期の著作を解読するうえでも、ギリシャ悲劇への理解が必要だと思う。
0011考える名無しさん
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2019/06/15(土) 04:21:01.850
西洋哲学の歴史を転倒(破壊)させるような、ニーチェのあの並外れた物凄いパワーは、
どこから来ているのだろうか?
それはディオニュソスなどの神への強烈な熱情から来ているのかもしれない。
ディオニュソスは創造と破壊の神でもある。

http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1525004676/18
0012考える名無しさん
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2019/07/12(金) 03:55:27.270
ニーチェが後期の著作で、『ドン・キホーテ』を深さのある哲学的な考察で述べていたが、
『ドン・キホーテ』はただの滑稽本ではないようだ。
0013考える名無しさん
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2019/07/14(日) 02:22:01.760
742 :名無しさん@ピンキー :2019/07/14(日) 02:16:48.02 ID:mPGD/oeA
夫の金玉を触るのがやめられない
暑くなってきたから玉皮を摘んだら伸びること伸びること。
安永餅みたいに伸びる
昨日の昼間は久しぶりに休みが合ったのでソファでずっとフニフニムニムニしていたらそのまま私が寝ちゃってたようで起きたら玉皮摘んだままだった
ちなみに夫も下着から金玉だけ剥き出し状態のままイビキかいて寝てた…テント張りながら…
だから思わず襲っちゃう形に。
ここ最近忙しくお互い疲れ果ててしまってスキンシップもほとんど無かったから久しぶりに夫と触れ合えたのはホント癒されたよ
金玉っていいなぁ
0014考える名無しさん
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2019/07/25(木) 04:34:57.130
「第四章 芸術による世界の救済」 (『ニーチェ』 三島憲一著 岩波新書)
0015学術
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2019/07/25(木) 09:48:32.640
飯屋狂都
0016考える名無しさん
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2020/01/26(日) 09:11:00.740
ニーチェの「運命愛」と荘子の「必然愛」

「人間が真に自己に与えられた生を全うしようとするならば、それらをことごとく自己の運命
として愛してゆかなければならない。一切の必然を自己の運命として愛してゆくところには、
何ものにも奪うことのできない絶対の自由がある。
・・・一切の不自由を不自由として逞しく受け容れる自由、そこにこそ生を養う真の秘訣があ
る」

(福永光司による『荘子』養生主篇の解説文)
0017考える名無しさん
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2020/04/08(水) 04:01:55.230
新型コロナの時代とディオニュソス−

力への意志とはディオニュソスそのものである。
0018考える名無しさん
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2020/05/09(土) 04:02:51.210
古代ギリシア人のディオニュソス的密儀(秘儀)では、「苦痛」が神聖化され、苦痛一般を
「産婦の陣痛」として捉え、「一切の生成と生長、一切の未来を保証する」ものとして扱わ
れている。(ニーチェ 『偶像の黄昏』理想社全集 P.134)

ディオニュソスの神は、苦難・苦痛をも「一切の生成と生長、一切の未来を保証する」もの
とし、この混沌のエネルギーの中から、生を、そして「力」を拡大し、増大させるものである
のだろうか。

「悲劇のなかでの快感は、強い性格の目印であり・・・英雄的精神は、苦悩をも快として感
受するほど充分堅固であるからである」(『権力への意志』第852番)
0019考える名無しさん
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2020/05/09(土) 04:44:15.820
>>18
ディオニュソスは、創造と破壊の混沌の神であるくらいだから、快と苦難をも「一」、「同一」と
みなす。
これは、老子の混沌的な「一」の思想、荘子の「万物斉同」に通じる。
0020考える名無しさん
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2020/05/12(火) 02:59:20.810
「ディオニュソスはニーチェの最後の概念であり、またニーチェそのひとの最後のすがたである。」

(『ニイチェ』 P.262 新潮社, 氷上英廣 [1911-1986]著 ドイツ文学者、東京大学名誉教授)
0021考える名無しさん
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2020/05/14(木) 05:08:23.550
>>18

「苦難により学ぶことこそ、この世の掟、ゼウスの恵み。」

(『はじめてのギリシア悲劇』 P.75 丹羽隆子著, ゼウスはギリシア神話の主神たる全知
全能の存在。)
0022考える名無しさん
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2020/05/24(日) 06:16:18.800
音楽芸術を象徴するディオニュソス。

プラトンの名言。
「音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるもの
に生命をさずける。」
https://meigen-ijin.com/plato/
0023考える名無しさん
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2020/06/13(土) 05:21:20.570
ハイデガーはニーチェ講義録のなかで、「超人」のことを、
力への意志の根本性格を帯びた存在者が、永劫回帰という存
在の全体を生きることと言っている。

ニーチェのように時間円環論を信じる者ではない、多くの人
々が、ハイデガーのこの「超人」の定義から学ぶことは、
「永劫回帰」というものを人生における「苦難の極限形式」
と置き換え、そのような「苦難の極限形式」である人生を、
力への意志の根本性格を帯びた存在者が、強く、生を充実さ
せて生き抜いていく「態度」であると考える。
0024考える名無しさん
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2020/11/14(土) 10:18:10.950
ディオニュソスは苦難をどう感じるか?

「悲劇のなかでの快感は、強い性格の目印であり・・・英雄的精神は、苦悩をも快として感受するほど充分堅固であるからである」(『権力への意志』第852番)
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