不自由展の件で言えば、脅迫があったことが当然まず責められるべきことで、そのことは、むしろ「普通に」京アニ事件との関連で、まさに「普通に」理解される。
にもかかわらず、多くの人が間違えるのはなぜか、と問うべきだ。そういう間違いは、簡単に言えば「犯罪を犯罪と認めない」ような誤りだ。
千葉氏は「左派が「ないことにされている」」と述べているが、実際にないことにされているのは、「右派」である。右派の右派性を消去することで、
犯罪を犯罪と認めず、左派を普通でないものとして社会から排除するふるまいが当然視されるのだ。

重要なのは「脱政治的」ふるまいが「一人の主体」性を否認するふるまいだということだ。場当たり的に主導権を奪われた時の不快感を
「頭ごなし」と言うのであれば、「いやあ〜なんだよな」も、まさに頭ごなしである(それは頭ごなしでないのではなく、ただ韓国人がそこにいないだけだ)という、
当たり前のことをちゃんと確認することだ。

千葉氏の文章が善意から出ていることは疑いないが、かなり深刻な間違いを犯しているように思う。