>>88 ちょっと直しが雑すぎたので再投稿します。すみません。

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>>70
そもそも「表現の不自由展」が訴えているものと正反対のイデオロギーがある、という見解自体が
かなり特定のイデオロギーに寄った考え方ですよ。少し前にも書きましたが「…片隅に」で説明すると、

一般に「…片隅に」はイデオロギー色が少ないと見られていて、肯定的なトーンで「反戦映画でない」と
評されることも少なくない作品です。ですが、そうした作品であっても、例えばアメリカでの公開を検討するなら
政治的理由で上映に反対される可能性は十分考えられます。

で、ここからが重要なんですが、そのような反対に対して「…片隅に」の価値(大雑把にいえば
「反戦映画でない」と 評されるような、作品独自の価値)を適切な仕方で擁護できるなら、
その擁護は「あるイデオロギーの反対」とはならない可能性も考えることができますよね。

つまり、人として似た経験をトレースしたり 違う経験であっても作中人物と似た感じ方のもとで解釈できるなら
「普遍的に理解されてほしい問題」 の訴え、「訴え」がキツいなら「届けたい」という希望のようなものとして
作品をとらえることも十分できるわけです。

「表現の不自由展・その後」が訴えているものを、実行委員会が付した解説も参考に読み取ろうとするなら、
私はむしろ、そこに「右」の反対のイデオロギーを読み取ることの方が難しいように思います。

なぜなら、そこで考えられていることは、いろいろな理不尽に関わっているし、
理不尽は誰でもいやなはずだ、という確信に支えらえているように思われるからです。