心脳問題
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意識を「ハンガーに掛けた服」に例えるなら、脳は「ハンガー」に相当する 〜アンリ・ベルクソン 脳と心の関係 言語哲学に代わって、これが21世紀の哲学における最大テーマに浮上した 意識を「ハンガーに掛けた服」に例えるなら、脳は「ハンガー」に相当するって言語だよね なんで、形のない精神が、物質でできている身体を動かせるのか? デカルト以来、これが最大の難問だ その問題を解決したいなら量子と意識の関連本を読むのが手っ取り早い 意識の究極原因については解らない。 脳が意識をどうこうするなら、その脳は何によって規定されるのだろう 心と脳は同じものだろうか、それとも違うなにかだろうか。 「心が解明される」のと「脳が解明される」のは同じことだろうか。それとも違うことだろうか。 ここは、人によって意見が分かれるところだろう。 (1)脳が解明されたなら、心も解明されたということになる。 (2)心が解明されたなら、脳も解明されたということになる。 (3)心の解明と脳の解明は別のことだ。 (1)と(2)は、心と脳を同一視する立場だ。実際、神経科学(脳科学とも)の分野では、脳の仕組みのほうから心を理解しようとする試みも進められているところ。 中には人がなにかを美しいと感じる状態を脳の仕組みから捉えようとする神経美学や、言語を使う人間の仕組みを脳から探る神経言語学をはじめ、さまざまな試みがなされている。 それに対して(3)は、心と脳は必ずしも等しくないという見方だ。 この場合、ここから難しい問題が生じてくる。 では、心と脳が別のなにかだとしたら、両者はどのように関係しあっているのか。 この問いは「心脳問題」という難問として知られる。 古来から、人類最大の難問とされている。 5ちゃんにわからない理由書き込む馬鹿なんだから本の一冊でも読んで学べよどうせ暇なんだろ 心と脳は違う働きをしていると思う、二つはがっていそうでつながっていない面が多いかもな。しかも心の脳がないとか違うとかもいるかもしれない。 心や脳がない 生物研究とかのほうがいいかも。野生を野生のままで。 「心」は難しい問題だ 「脳」を研究するほうが、ずっとやりやすい 20世紀は、唯物論が全盛だった時代 あの頃は「心=脳」とされていたが、21世紀に入って流れが変わってきた 「脳をどれほど研究して知り尽くしたとしても、それだけでは、心は解明できない」という方向に変わった 脳の研究は未だ全然不十分、脳を知り尽くした人間なんで存在しないぞ >>19 たとえ、未来の人類が脳を知り尽くしたとしても、意識はその遥か彼方にある永遠の謎 心がどんな機能から構成されるかは解明されるかも しかしそれによってなぜ「こんな感じ」と知覚されるのかは説明されないだろう こんな感じっていうのは知覚じゃなく感覚だから、言葉で説明つく問題w 脳は色んな状況を検出することができて、心は検出された状況 脳は生物コンピュータにすぎない しょせん、道具だ 意識の本体ではない 意識に頭が追いつかないとそういう表現になるのかフムフム 神経回路がやっているのは体の内外からの信号の統合でそれによって具体的なものから抽象的なものまで検出してる 感情も可塑性や行動の方向を決める内的な状況 一つの意識が物としてあるんじゃなく検出された状況の集合を指して意識と呼んでる >>32 意識は自分が現在何をやっているか どんな状況なのかなどが 自分でわかる心の働き 検出された状況の集合を意識と呼んでるのは 32の自意識 意識を自意識で説明できちゃいない >>33 その「わかる」ってのが検出されたってこと 統合された一つのものでなく別の経路で別々に検出されてる わかる気がするだけで、いかに検出できるプロセスを踏んでいるのか論理的に意識できていないことに変わりないわな >>35 統合、検出のプロセスが知りたければ視覚野の解説とか読めばいい >>36 が解説できるかどうかが知りたかっただけだから 脳が何かを知覚できるのはその「何か」というパターン入力を統合、検出する神経経路があるから 俯瞰してる自分がある気がするのもその感覚群をそれぞれ検出する経路があるから 心身問題(しんしんもんだい、英語:Mind–body problem)とは哲学の伝統的な問題の一つで、人間の心と体の関係についての考察である。 この問題はプラトンの「霊―肉二元論」にその起源を求めることも可能ではあるが、デカルトの『情念論』(1649年)にて、いわゆる心身二元論を提示したことが心身問題にとって大きなモメントとなった。 現在では心身問題は、認知科学・神経科学・理論物理学・コンピューターサイエンスといった科学的な知識を前提とした形で語られている。 そうした科学的な立場からの議論は、哲学の一分科である心の哲学を中心に行われている。 デカルトは、「心と体は別々に存在する」という二元論を唱えた。 精神と身体がどう連動してるのかというと、「松果腺でつながっている」という説を唱えた。 しかし、弟子のエリーザベトから、「物質ではない精神が、物質である身体を動かせるのはおかしい」と矛盾を指摘されてしまった。 ライプニッツは、この心身二元論をさらに進めた。 「心と身体は、別々に並行して進んでいる」というのが、ライプニッツの説。 心と身体がお互いに影響を与え合っているというのは、「そのように見える」というだけ。 精神世界と物質世界は別々に存在し、並行して同時進行しているが、交わることはない。 それなのに、なんで連携して動いているように見えるのかっていったら、この2つに矛盾が生じないように、神が見えざる手で調整しているからだという。予定調和説だ。 量子脳理論は、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。 心または意識に関する量子力学的アプローチ、クオンタム・マインド、量子意識などとも言われる。 ロジャー・ペンローズは、 意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。 ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。 臨死体験の関連性について以下のように推測している。 「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が、 「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」 あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている。 量子の動きは何に規定されるの?そしてそれを規定するものは何に規定されてるの? 或いは、量子が自分から動くのだとしたら、量子は意思を持っているということなのかな。その意思は何に規定されてるのだろう、量子? 「量子脳理論」は、まだ仮説の段階です。 量子脳理論の提唱者の1人、「スチュワート・ハメロフ」は、以下のような説を立てています。 ・・・宇宙には、ビッグバン発生時には既に存在していたであろう「原意識」というものがある。 人は死ぬと脳内の意識が「量子もつれ」によって、宇宙空間に存在する「原意識」とつながるのだ。 意識には、顕在意識と潜在意識がありますが、潜在意識の中には「原意識」があり、それが私たちの正体、つまり「魂」だと考えられています。 「ヤギコーチ」というWEBサイトや、Youtubeチャンネルを運営しているヤギ氏は、次のような仮説を立てています。 @ 原意識とはいわゆる「神」である。 A 私たちが死ぬと原意識(神)に観測され、脳内の量子情報、すなわち私たちの原意識(魂)が「量子もつれ」によって神とつながり「ひとつ」になる。 B 臨死体験から肉体側の意識を取り戻すと、肉体側の意識に観測された原意識(魂)が「量子もつれ」によって肉体に戻ってくる。 非常に興味深い仮説であり、おそらくは、その通りなのではないかと、私は思います。 「量子脳理論」で考えると、 魂とは、宇宙と繋がる量子コンピュータである という、なんとも興味深い仮説が導き出せるのです。 今後の研究の進展を見守りたいと思います。 ロジャー・ペンローズは、著書「皇帝の新しい心」で、脳内の情報処理には量子力学が深く関わっているというアイデア・仮説を提示している。 意識とか思考といった活動がどういう仕組みでなされるのか。多くの神経生物学者の仮説は、意識を生じさせる因子は分子レベルではなく、ひとつの細胞もしくは複数の細胞における神経伝達物質の放出や活動電位の発生といった 神経レベルで存在している、とされている。 これに対してペンローズの理論では、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる、量子過程が起こりやすい構造から生じるという。 脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識の元となる基本的で単純な未知の属性も同時に組み合わさり、生物の高レベルな意識が生起する、というのである。 ところで、量子力学においては、対になった2つの粒子が、空間的に離れているにも関わらず強い相関(スピンなどの量子状態が独立に記述できない)を示す現象がある。 「量子もつれ」と呼ばれるこの現象を応用すると、量子テレポーテーションという、1量子ビット分の情報を瞬時に転送することができる。 もうひとつ、気になる現象がある。量子力学の状態は、いくつかの異なる状態の重ね合わせで表現される。 このことを、どちらの状態であるとも言及できず、観測すると観測値に対応する状態に変化すると解釈する。 これをコペンハーゲン解釈と呼ぶが、別な解釈として、観測する人間の意思が量子の状態を決める、あるいはその空間を支配している何かの意思によって決まる、という見方もある。物事が、人の意思あるいは神の意思によって決まる瞬間ということなのか。 意識とか意思、あるいは魂や心とはどういうものなのか、私にはわからない。でも、いずれにしても「思い」という言葉に通じている気がする。思う力が物体を離れ、時空を超え、消えることなく、別の誰か(何か)に伝わっていく、そんな「想い」にかられてしまった。 汎神論っぽいよな 初めに神を措定するところとか、まさにスピノザっぽい 意識は、脳の限界を遥かに超えている 脳が、実は考えられていたほど単純ではなく、「量子コンピュータ」だとしたら、説明がつく 「量子コンピューター」 だとする説明がつく知能を得てから 説明がつくって言えよ お前は脳みそないのかw低脳が! 今まで、人類は、脳を「たんぱく質や脂質でできたコンピュータ」だと思ってた。 コンピュータといっても、人類は20世紀の在来型コンピュータしか知らなかったから、 脳もそのようなものだと思い込んでいた でも、脳の機能は、それを遥かに上回っているのかもしれない。 量子コンピュータなら、重ね合わせの原理で、無数の同時処理が可能だから、処理能力は無限にちかい。 >>60 神経回路の仕組みでは脳機能が説明できないなんて話聞かないけどな。 具体的にどの機能が量子じゃないと説明つかないんだ? >>61 具体性があっては量子ではない。 あたま悪いの? >60 量子計算は無限に近いのではなく無限そのもの、ただ具体的にするときに 無限の性質が取り出せないだけ。 >>62 粒子性が無い量子に情報量の限界はないってこと、 それは具体性で考える手法では永遠に理解(受け入れられない)できないポイント >>65 回答になってないぞ 脳機能が神経回路では説明がつかない具体例を示せと言ったんだ >>60 今の人類は古典的コンピュータと量子コンピュータしか知らないから 脳を「たんぱく質や脂質でできた量子コンピュータ」だと思ってるのか https://tocana.jp/2017/01/post_12042_entry.html 「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」 オカルトニュースww >>68 もちろん、本当はさらに、もっと凄いのかもしれない >>71 ということは 別に量子コンピュータ特有の性質と脳の機能に相関があるという根拠はなく 単に新しいテクノロジーを適当に当てはめて言ってるだけか >>72 量子脳理論を唱えているのは、ロジャーペンローズ 当方が考えたわけではない 量子コンピューターってビットの情報量が無限なんてことはないぞ >>74 ビットではない、まず勉強しなおしてこい。10年早い 情報量ではなく波の重ね合わせな、情報として扱う場合に有限量に収束するだけだ。 >>75 いや、量子ビットってわかる? あと情報量に限界はないとか書き込んだのお前だろ? 脳の研究は、21世紀に入って急速に進歩した 実のところ、20世紀にはまだほとんど解明されていなかった 脳の研究とゲノム解析 これが今世紀の最もホットなテーマ 己の脳のことを知った人間の脳は以前とは違う その脳の構造をまた新たに知る必要がある そしてそれを知ったその脳もまた・・・ 目の前にある本を手に取ろうと思い、手を伸ばす 実は、自分の意識が「手を伸ばそう」と思う少し前から、脳は手に指令を送っている 「手を伸ばそう」と意識してから脳が動き出したのでは、とても間に合わない。 意識にとってはタイムラグが生じてしまう 魂を扱えないし、魂をオカルト言ったり、脳の情報処理と説明したり している時点で自由意志の説明にすらなりえない。 >>81 機械的にとかデジタル的にとか、前後によって情報が同じ原理と法則で機能しえれば 自由意志などない、だがビックバン宇宙もでるでそれは嘘になる、 原理は多様化し、法則すら空間密度で揺らぐ。 ブラックホールを含めない天体で自由意志などないは通じるかもしれないが、 相対論で前後関係のそれは量子論でその法則が成立しなくなる特異点があり 相対論の法則が成立しないという説明を否定できる学者はいない、 量子的世界の場は時空間とは別の働きをもち、時間に影響されない量子力学の 存在を完全に否定できないかぎり、時間パラメータのない量子方程式によって 前後関係が機械的に決定論的に従うのはマクロ世界だけでミクロ世界では その法則は無視されてしまう。 量子原理では短い過去や短い距離では時間が逆行しても何の問題もないからだ。 自由意志は時間が正しく流れる前提でなければ決定論や機械論で否定することは不可能である。 過去が未来に正しく機能するのは人間などが観測しえるマクロ現象であり、 素粒子レベルの関係性ではそのご都合原理が不成立している。 反論したいやつは、いますぐ量子力学を完全否定してみせよ。 つまり、「魂を否定することは、自由意思の否定を意味する」というわけだな それと量子力学に、何の関係が? 「量子もつれ」によって神とつながり「ひとつ」になる。 今まで、人類は、脳を「たんぱく質や脂質でできたコンピュータ」だと思ってた。 コンピュータといっても、人類は20世紀の在来型コンピュータしか知らなかったから、 脳もそのようなものだと思い込んでいた でも、脳の機能は、それを遥かに上回っているのかもしれない。 量子コンピュータなら、重ね合わせの原理で、無数の同時処理が可能だから、処理能力は無限にちかい。 >>97 人間はすごいな 腰ふるだけで生命が作れるんだから >>102 個の化学現象が自己複製で増殖する生産の中から、その仕組みによって死ぬ原理を 得たものが最初の生命だ。 死なしの命などないのだよ、すこしは勉強しようね。 >>104 なら、なぜ40億年前に一度きただけで、その後はこないのか? 心とは何か? 「人間」から「肉体」を差し引いて、後に残るものだ 何も無い チャーリー浜の「君たちがいて僕がいる」は独我論批判 正確には脳だけでなく、神経系や内分泌系がサポートしているが まず、脳が感情を引き起こす わずかなタイムラグを置いて、意識に感情が表れる 嫌なことが起きる →脳神経系や内分泌系に、不快物質が分泌される →嫌な気持ちになる いいことが起きる →脳神経系や内分泌系に、快感物質が分泌される →いい気持ちになる これが感情の正体だ 嫌な気持ちになったのは、嫌なことがあったからではない 不快感を引き起こす物質がタイミングよく供給されたのが原因だ それを「嫌なことがあったから、嫌な気持ちになった」と錯覚するのが人間 この世での体験は、結局のところ、自分自身の脳が演出するお芝居だ それを追体験させられているだけ >空想は空想でしかない うまく空想に便乗すると、現実に一儲けすることも夢ではない >またおまえか たくましい空想が現実に人を動かすという実例 心に主体を置くか脳に主体を置くか、身体に主体を置くかなど、別の生物の別の部分が合わさってるんだから、一つに絞れない。あくまで併存するだろう。 クオリアはハードプロブレムというが しょせんニューロンの発火のパターンに対応してるんだと思う >>139 それは、イージープロブレムに対する回答 ていうか、単にハードプロブレムの存在を否定しただけ 「ハードプロブレムなど存在しない。イージープロブレムがすべてなのだ」 と言ってるのに等しい 「クオリアは、ニューロンの発火に対応している」 ↑そんなの、最初から分かっている(笑) まったく無意味な意見 例えてみれば、「そもそも、生命はなぜ発生したのか?」という疑問に対して、 「アミノ酸が合成されてタンパク質になり、タンパク質が集まって細胞になったからだ」 と答えるようなものだ そんなの、最初から皆わかっているから答えるまでもない(笑) そういうのを「イージープロブレム」というわけだな ていうか、それ以前の問題 「なぜ、明治新政府は東京に遷都したのか?」という疑問に対して、「首都を東京にすると決めたからだ」と答えるようなものだ つまり、まったく意味の無い回答 「クオリアがある」というのは「ニューロンの発火」内のある種のものを「クオリア」と名付けているに過ぎない 「ニューロンの発火」は、要するに「電気信号による情報の伝達」でしかない 「どのニューロンと、どういうクオリアが対応しているか?」を調べるのが、イージープロブレムの研究 クオリアが「ある」ことを前提にしてはいけない クオリアは構成概念にすぎない クオリアのタイプとニューロン発火パターンのタイプを一意対応すればいいだけ >>149 だから、それが「ハードプロブレム」なんだっつーの(笑) >>151 だから、それが「イージープロブレム」なんだと、何度いったら分かるんだよ(笑) 問「クオリアとは何か」 A「クオリアとはニューロンの発火である」 B「それはイージープロブレムだ」 C「クオリアとは何か説明しろ」 B「それがハードプロブレムだ」 もはや意味不明 >>154 それが意味不明なようだと、この話題は無理だ 「クオリアとは何か?」というのは、誰にとっても答えるのが難しい問題 「波長の長い光が目に入ったときに、意識にパッと浮かぶ赤い色、あの赤い感じとか、そういうの」 ・・・このように、説明するのが難しい だから「ハードプロブレム」と呼ばれる 科学者は、こういう答えるのが難しい問題を避ける。 こんなテーマじゃ論文も書けんし これに対して科学者がどう対応するかというと、脳に電極を付けて、「ニューロンの発火」とかを調べる 「脳のどこがどう刺激されると、青い感じになるか。どこをどう刺激されると、サラサラした感じになるか」 とか、そういうのを研究する。今のところ、それしかやりようがない こういうのを「イージープロブレム」という。 「科学者は、ハードプロブレムを避けて、イージープロブレムの研究ばかりしている」 と言われるゆえん 「クオリア」とは、「ニューロンの発火によって、意識に引き起こされる感覚」のことをいう つまり、「クオリアとは、ニューロンの発火である」というのは単純な誤り 「クオリアとニューロンの発火の対応関係を調べる」というのは、イージープロブレムの研究 >>154 の言いたいことはわかる 「クオリアとはニューロンの発火である」だって「クオリアとは何か」を説明するものなのにどうしてハードプロブレムへの回答だと認めないのか くらいのことが言いたいんだろ 重要なことはこの話題には認められるものと認められないものの区別があらかじめ定められていること 哲学が生き残るためには「クオリアとはニューロンの発火である」を「クオリアとは何か」の回答と見るわけにはいかないわけだ ニューロンが発火しないと(脳が活動していないと)「赤い感じ」すら思い浮かばないだろう ニューロンが発火しないと(脳が活動していないと)主観的経験が成立しないはずだ しかしそんなことは問題ではない 哲学の生き残りが問題なのだ つまり、 「そもそも、赤い色とは何なのか?」 「甘い味とは何なのか?」 というような、そもそも論 こういうのは研究しにくいし、説明しにくい。 だから、ハードプロブレムと呼ばれる これに対して、 「脳のどこがどう刺激されると、人は赤い色を感じるか?」 「舌の味蕾からどのような経路で信号が脳に届くと、人は甘い色を感じるか?」 というようなのは、脳に電極を付けて被験者に質問すれば分かる こういうのは研究しやすいし、説明しやすい。 だから、イージープロブレムと呼ばれる 現代では、脳科学や認識論が急速に進歩している。 だが、それはすべてイージープロブレムの研究によるもの。 ハードプロブレムに答える人はまだいない >>159 > >>154 の言いたいことはわかる > 「クオリアとはニューロンの発火である」だって「クオリアとは何か」を説明するものなのにどうしてハードプロブレムへの回答だと認めないのか > くらいのことが言いたいんだろ だから、それが単純な誤りだと言ってるんだよ。 そういうのを「イージープロブレム」というんだな >>154 は、「イージープロブレムとは何なのか」を明らかに理解していない だから説明している 「クオリア」というのは、「ニューロンの発火」のことじゃないんだよなあ 「ニューロンの発火」によって引き起こされる「感覚」とか「印象」のことなんだよ ここを理解してないようじゃ、この話題は最初から無理 何事も、基本をスルーしてはいけない クオリアが「ある」ことを前提にしてはいけないと言ってるでしょ? 「感覚」や「印象」は「在る物」(漢字にしないとわかりづらいだろうからあえて漢字にした)ではなくて構成概念だろ ようはニューロンの発火(脳の活動)の内ある種のものをそう呼んでいるだけ >>154 が言ってる「クオリアと、ニューロンの発火の対応関係を明らかにする」 そういうのが、まさしく「イージープロブレム」そのものだ。 「イージープロブレムとは何か?」という質問への回答としてなら、筋が通っている 被験者の脳に電極を付けて、ピピッと電気刺激を加える。 「いま、赤い色がパッと浮かびました」とか、「男性に抱きしめられたような感じがしました」とかなんとか、被験者が答える。 そういう研究は盛んに行われている そういうのを「イージープロブレム」というんであって、「科学者は、ハードプロブレムを避けて、イージープロブレムの研究ばかりやっている」とされるところ >>164 >>154 のどこを見ても「クオリアと、ニューロンの発火の対応関係を明らかにする」とは書いてないけど? >>163 クオリアが「ない」というのなら、ハードプロブレムの話は終了だ その場合は、「イージープロブレムがすべてなのであり、ハードプロブレムは存在しない」ということになる つまり、この話題そのものが消滅する >>166 クオリアが「ない」なんて一言も言っていないだろ クオリアを「実体」(「在る物」)のように扱うなと言っているだけ むしろクオリアが構成概念だと言ってるわけだからクオリアは概念として「ある」と考えていると受け取れよ >>163 ちなみに、クオリアが無い人間のことを「哲学的ゾンビ」という >>168 早い話が、「クオリアとは、名前だけの存在なのである」という、一種の唯名論なんだろ? >>169 「クオリアが無い人間」という表現こそがクオリアを「実体」のように扱う態度の典型なんだよ クオリアが構成概念なら「哲学的ゾンビ」は成立しない 一方のある物理現象を「クオリア」と名付けもう一方の同じ物理現象には名前を与えない こんなことに何の意味もない ニューロンの発火とかは 大昔、人間の死ぬ前の体重と死後の体重を計ってくらべて 魂は有るとか無いとか議論していたのと同じ匂いがする 学問領域を超えた知の融合というのは神になったような気分で魅力的なんだろうが ほどほどにした方がいいと思う >>172 > 学問領域を超えた知の融合というのは神になったような気分で魅力的なんだろうがほどほどにした方がいいと思う それより、まったく理解できてないテーマに関して、的外れな意見を連投するのをほどほどにしてほしい それより、クオリアを実体のように扱うのをほどほどにしてほしい >>179 ほっとけ >>>176 ほっとけほっとけーキ > ほっとからた仏様 >>176 もう、ここにはシャシャり出てこないほうがいいぞ お前はこのテーマを大きく誤解している なにか神秘主義の教義みたいに思ってるみたいだな? どこがどう誤解しているのか説明してよ 「なにか神秘主義の教義みたい」こんな抽象的な言葉じゃなくて クオリアが実体なのか構成概念なのかそれともどちらでもないのかどちらでもないのなら何なのか この点くらいははっきりさせようよ >>183 いい加減にしろよ、このクソバカ こんなに連投して詳しく説明してきたのに、1つも理解できなかったのか(笑) 昔、塾講師のバイトをしたときに学習障害の小学生に算数を教えたことがあったが、子どもはかわいいので何度も同じことを教えるのが苦にならなかったものだ 大人はダメだ、全然かわいくない(笑) >>187 もういいよ お前と対話するのは時間のムダだから終了 >>184 「クオリア」ってのは、意外と難解な概念なんだなあ 今までの話で、こちらとしては「クオリアとは何なのか」について、くどいほど説明してきたつもりだった それが理解されるどころか、今までの話がクオリアの説明だったことすら認識されてない(笑) どうやら、このテーマについて簡潔に説明するのは無理なようだ >>189 いや、状況によっては「逃げるが勝ち」ということもある(笑) 自分が書いた説明を読み返してみたが、確かに、これじゃ分からなくても不思議はないな 「クオリアとは何なのか」を説明するのは難しい 「ハードプロブレム」(難問)と言われるだけのことはある 君は自説を繰り返しているだけで相手に指摘されたことに答えられてないよ >>193 幸せな奴だなあ こちらは、自分の説明が相手にまったく理解されなかったのを見て、 「俺の説明能力もまだまだだな。再度、より分かりやすい説明を試みるべきか? いや、そもそもこのテーマは難しすぎて簡潔に説明するのは無理なんじゃなかろうか」 などと逡巡してるというのに(笑) しょうがねえな、まったく でも、この話が難解だと分かったのは収穫だった まちがっても、哲学マニアでない世間の一般人を相手に、この話題を持ち出すのは止めておこう(笑) >>196 何を言ってるんだ、お前の勝ちだよ(笑) 自分としては、「クオリアとは何か」について、くどいほど詳しく説明してきたつもりだったのに 「意味不明なこと言ってないで、まず、クオリアとは何なのかを説明しろ」と言われた これが敗北でなくて何なんだよ(笑) 己れの説明能力の敗北。 稀にみる完敗だ じゃあ、具体的な例をいくつか挙げてみようか それによって、帰納的な理解を目指そう 例えば、リンゴに光が当たったとする リンゴの表面は、光の一部を反射して、残りを吸収する。 反射されるのは、波長の長い可視光線だ。 この可視光線が、目の網膜に入って視神経を通り、脳に到達する 脳の神経細胞に電気信号がピピッと伝わると、あら不思議、「赤」という色がパッと浮かぶ ここで、脳の神経細胞の電気信号が「ニューロンの発火」。パッと浮かんだ赤い色が「クオリア」だ 太陽の光が、地球に届いたとする 地球の大気は分厚くて、水蒸気やチリを含んでいる。 それが太陽光線を散乱して、波長の短い光だけが地上に届くことになる。 なんでかっていったら、波長の短い光はエネルギーが強いからだ。 この波長の短い光が、目の網膜に入って視神経を通り、脳に到達する 脳の神経細胞に電気信号がピピッと伝わると、あら不思議、「青」という色がパッと浮かぶ ここで、脳の神経細胞の電気信号が「ニューロンの発火」。パッと浮かんだ青い色が「クオリア」だ トンネル内を車で走っていたら、救急車が来たとする 救急車のサイレンは、クルクル回ってトンネル内の空気を振動させる。 それが、波長の短い音波を発する。音波というのは、要するに空気の振動だ。 この波長の短い音波が、耳の鼓膜をビリビリ振動させる。 耳が発した信号は、聴神経を通り、脳に到達する 脳の神経細胞に電気信号がピピッと伝わると、あら不思議、「ピーポーピーポー」という甲高い音が鳴り響く ここで、脳の神経細胞の電気信号が「ニューロンの発火」。パッと浮かんだ高い音が「クオリア」だ 食後にケーキを食べたとする ケーキの糖分が、舌の味蕾を刺激する。 舌が発した信号が、神経を通り、脳に到達する 脳の神経細胞に電気信号がピピッと伝わると、あら不思議、「甘い」という味がパッと浮かぶ ここで、脳の神経細胞の電気信号が「ニューロンの発火」。パッと浮かんだ甘い味が「クオリア」だ つまり、クオリアとは「ニューロンの発火によって引き起こされる、感覚もしくは印象」のこと 「ニューロンの発火」というのは、語感がなんだか強烈だけど、要するに「神経細胞の電気信号、神経パルス」のことだ。 英語の「ファイアリング」を日本語に訳したら、こんな奇妙な用語になった 「クオリアとは、ニューロンの発火のことである」というのが誤りであることは、これで分かるはず ここで、いくつもの素朴な疑問が生ずる 「なんで、波長の長い光が、赤い色というクオリアを生じさせるのか?」 「青い色でなく、赤い色であることに必然性はあるのか?」 「そもそも、赤いとは、どういう状態をいうのか。それを他人に説明できるのか?」 ・・・といった、数々の根本的な疑問 これらは、人類にとって、答えるのがあまりにも難しい問題だ。 そもそも、クオリアには実体がない。 それは純粋に個人的な主観であり、客観的に調べるのが難しい。 「このリンゴは、ボクには赤く見えている。でも、君にはどう見えているんだろう?」というやつだ。 このため、これらの疑問は「ハードプロブレム」(難しい問題)と呼ばれる そこで、科学者がこれらの問題にどう対応するかというと 被験者の脳に電極をつけて、ピピッと微弱な電流を流す。 そうすると、「いま、赤い色がパッと浮かびました」とか、 「男の人に抱かれているような感じです」とかなんとか、 被験者が感想を教えてくれる そういうデータの積み重ねにより、「脳のどこをどう刺激すれば、どういうクオリアが生じるか?」という対応関係が見えてくる このような研究は盛んに行われており、急速に進歩している。 でも、上記のような根本的な疑問には、何も答えられない こういうのを「イージープロブレム」(易しい問題)という。 「科学者は、ハードプロブレムに取り組むのを避けて、イージープロブレムの研究ばかりやっている」と言われる ここで誤解するべきでないのは、「意識のハードプロブレム」について探究する人々は、 クオリアとは霊的な現象であり、科学では解明できないものなのだと主張している神秘主義者 ・・・というわけではない、ということだ むしろ、逆だ 「なんとか、これを科学的・合理的に説明できないものか?」と考える、科学的合理主義者だ 茂木健一郎を見ればいい まるっきり唯物主義の左翼だ パッと浮かんだ色なり音なり味なりもニューロンの発火にすぎないと言ってるだろ 感覚や印象(クオリア)は「事」(現象)なのか「物」なのか さすがに感覚や印象は「物」ではないと認めるよな? 感覚や印象は「事」(現象)だというのならどういった現象なんだ? 脳の活動(ニューロンの発火)だろ? ここまでくれば感覚や印象は脳の活動(ニューロンの発火)とならないかい? 感覚器官が刺激を受容して脳がそれらを構成することで知覚なり経験なりが成立するということを君が認めないのであれば話は別だが 脳が構成するとき脳は活動しているつまりニューロンが発火しているでしょ? ニューロンの発火がクオリアだとしても個々の主観的経験が画一的なものになるわけではないよ つまりニューロンの発火がクオリアだとしても脳による構成のされ方の個体差が否定されるわけではない >>210 もう、いいや お前に説明するのは諦めた(笑) 「クオリアとは何なのか」を解説するのが、これほど難しいとはな 「ハードプロブレム」(難問)と言われるだけのことはある >>210 だめだこりゃ やっぱりムダだったな 説明追加なんかするんじゃなかった(笑) 今度こそ本当に打ち切りだ、悪しからず >>210 ああ、わかった お前は要するに、「クオリアは脳内現象だ」と主張してるんだな? そんなの当たり前だろ(笑) 当然の前提だ >>208 を読んでみろ 「意識のハードプロブレム」を探究する人々は、科学的合理主義者ばかりだ これが脳内現象なのは、最初から当然の前提とされている。 「謎の脳内現象」という位置づけだ スピリチュアル系の人たちが、こんな難しいこと考えるわけないだろ(笑) このテーマは、ひどく誤解されているんだな! まあ、こちらの説明能力不足もあるだろうが、どっちにしても>>210 がまるきり無能であることに変わりはない 「ニューロンの発火とは、神経細胞を伝わる電気信号のこと」 「クオリアとは、それによって引き起こされる感覚・印象のこと」 と、これだけ繰り返し説明しているのに、まだこの2つの区別がついていない この2つは、別モノだ。 おおいに関係あるのは確かだが、イコールではない 「ニューロンの発火が、クオリアを発生させるメカニズム」こそが、解明されていない最大の謎だ。 「電気信号が、いかにして感覚・印象へと変換されるのか?」というのが問題の焦点 これら基本用語の意味を理解して、問題のスタートラインに立てるまで、コイツがあと何年かかるのか(笑) 一生かけても無理かもな ずっとクオリアは構成概念でニューロンの発火(脳の活動)の内ある種のものをそう呼んでいるだけだと言ってるでしょ? 「脳内現象」を脳内で起きている物理的な現象(ニューロンの発火)という意味で使っているのならそういうことになるが「謎の脳内現象」と言われると幻覚のようでそれは違う クオリアや感覚や印象を実体のように扱うなと言ってるでしょ? それらは現象 どういう現象かと言うとニューロンの発火 だからニューロンの発火の内ある種のものをそう呼んでいるだけ イコールじゃなくて包含と言えばいいかい? 例えてみれば、テレビの機構内部の電気信号と、テレビ画面のような関係だな テレビの内部では、電気信号が処理されている。 画面には、キレイな色が映り、音が鳴っている テレビの場合は、電気信号がいかにして映像や音声に変換されるのか、既に分かっている。 もともと人間が造ったモノなのだから、解明するまでもなく明らかだ。 世間の一般人にはブラックボックスだが、分かる人には分かっている でも、心脳のメカニズムは解明されていない 神経細胞の電気信号が、いかにして映像や音声に変換されるのか。 そこんとこのメカニズムが、どうにも分からない 問題の焦点は、そこにある 心脳のメカニズムと言うときすでに心と脳は別のものとして扱うことになるでしょ そこからして世界観が違うわけ だから話が合わない 脳という物質が心を生み出しているわけじゃない 心を「実体」のように扱ってはいけない 心もまた構成概念でニューロンの発火(脳の活動)の内ある種のものをそう呼んでいるだけ >>220 相変わらず、「そこかよ?」というピント外れなところにこだわっているな(笑) お前はこういう話題に向いてないよ なんで無理して、こんな話をしようとするのか? 見たところ、お前は「魂は実在する」と主張する、スピリチュアリストを相手に論争したがっているようだ 哲学板より、宗教板に行ったほうが良い >>220 認知症はいってんのか、このクソバカ(笑) >>220 > 心脳のメカニズムと言うときすでに心と脳は別のものとして扱うことになるでしょ > そこからして世界観が違うわけ > だから話が合わない そもそも、お前は俺と対話していない 自分自身の脳内に住む小人を相手に論争している(笑) 上でも何度も書いたが、心脳問題やクオリア問題を扱う上で、「霊魂」とかそれに類するものの存在が前提されることはない 「脳内現象」というのが、最初から当然の前提になっている 何度いったら分かるのか? なんで、こんなバカが食いついてくるんだよ?? >>220 > 心脳のメカニズムと言うときすでに心と脳は別のものとして扱うことになるでしょ まあ、それはともかく一応マジレスしとくと、「心脳のメカニズム」というのは、「脳が心を生み出すメカニズム」のことだ >>228 脳という物質が心を生み出しているわけじゃない 心を「実体」のように扱ってはいけない 心もまた構成概念でニューロンの発火(脳の活動)の内ある種のものをそう呼んでいるだけ と言ってるでしょ? >>227 「霊魂」とかそれに類するものに言及している箇所はどこですか? 具体的に指摘してください 心と脳は別のものとして扱うことが世界観の違いだということを理解できない点で一元論と二元論を知らないんだろうな 正確には、脳だけでなく、神経系や内分泌系が全身に展開されている。 それらがトータルで「心」を生み出していると考えられる 「心」がどのようにして生み出されるのか。そのメカニズムが、問題の焦点だ ここで「霊的な作用なのだ」と言ったら、そこで話が終わってしまう。だから、ここでは考えない。 「霊魂はあるか、ないか?」というのは、「心脳問題」とは別途に論じるべき、また別のテーマとなる 17世紀のデカルトやスピノザの時代の「心身二元論」ならともかく、現代の「心脳問題」には、スピリチュアルな要素がない これは、スピリチュアリストが扱うようなテーマじゃないんだよなあ 「脳が心を生み出すメカニズムを解明しよう」というのがテーマだ。 まあ、それもデカルトの「情念論」から始まったものだが >>233 いや、お前とのやり取りを通じて、「どうやら、そういう方向で勘違いしているらしい」ということが分かってきた だから言ってるんだな >>235 相手が言っていること(事実)と妄想の区別はしたほうがいい お前は、このやり取りを通じて 「クオリアなど無い。心など無い。脳があるだけだ」 とひたすら言い張っている これは、大きく勘違いしていることによる、まったくピント外れな意見だ クオリア問題というのは、ひらたくいえば、「脳の神経細胞の電気信号が、いかにして映像や音声に変換されるのか?」という問題 心脳問題というのは、「脳がいかにして心を生み出しているのか?」という問題だ お前が期待しているようなスピリチュアル系の話ではないので、悪しからず >>236 「霊魂は実在する」というスピリチュアリストを相手に、 「いや、霊魂など無い。脳があるだけだ」と主張する 「いや、そんなことはない。霊魂は実在するんだ」と反論される ↑お前がやりたがっているのは、こういう論争だろ どっか他のとこに行ったほうがいいぞ >>238 クオリアが無いとは一言も言っていない 昨日も同じこと言った>>168 脳という物質が心を生み出しているわけじゃないとはさっき言った>>220 、>>229 スピリチュアル系の話なんて誰もしていない 事実と妄想の区別はしたほうがいいともさっき言った>>236 >>239 事実と妄想の区別はしたほうがいいとさっき言った>>236 引用して具体的に指摘できないのなら素直に謝ったほうがいいよ >>241 いまハッキリ分かった お前はボケが入った高齢者だな そろそろ、バカはスルーして「心脳問題」の話に戻るとするか 現在の科学者に最も広く支持されている考え方は、大脳におけるニューロンの電気的活動に随伴して意識が生じるという仮説である。 ニューロンの活動から心や意識が生じてくるという事を直接に裏付ける証拠はない。 分離脳の研究や生理学者であるベンジャミン・リベットによる準備電位の研究などは、心脳一元論を示唆していると見る者もいる。 また脳内では極めて多様な働きが起こっている(視覚だけでも、色・形・動きなど30以上の領域に渡って情報が処理されている)にも関わらず、 「私」という意識が分裂することなく1つに統合されているのは何故か、という「結びつけ問題」がある。 これらの問題については、以下のように様々な仮説が唱えられている。 オックスフォード大学のスーザン・グリーンフィールドは、人間の意識は脳内のニューロンのネットワークからなると主張している。 ニューロンは大小無数のネットワークを構成しており、大きいネットワークになると数千万個のニューロンから構成されるものもあるが、 そのうち最大のネットワークが人間の意識体験になる。身体の内部から生じるシグナルがニューロンのネットワークを変化させることで、人間は異なる意識体験をする。 人間の意識が生じる仕組みそのものについては不明であるが、人間の経験に応じてニューロンの結びつきの強度や範囲が変化する事実は、この仮説を裏付けている。 お前がやってることはなあ、ただの妨害なんだよ(笑) 大きな勘違いから出発して、ピント外れなところにしつこく食いついている そろそろ「心脳問題」の話に戻ろう 現代の主流となっているのは、「心脳一元論」だ これは、「脳が心を生み出している」という説 これに対して、二元論的な立場からの批判もある 代表的なのは、アンリ・ベルクソンの「物質と記憶」だろう でも、これは主流ではない。 主流はあくまでも、心脳一元論だ >>255 まだ、いたのかよ(笑) とっとと失せろ、このクソバカ!! >>257 ていうか、さっさと出ていってくれればいいんだよ お前は邪魔なだけだから(笑) お前のやってることはだな、 「心脳問題」というスレタイを見て、カーッと頭に血が上った ↓ 「こいつは、心と脳は別々の存在だという心身二元論を唱えていやがる。けしからん」 ↓ 「心など無い。脳が全てなのだ!」と高飛車に主張 ↓ 「何を言ってるんだ。現代の心脳問題の主流は心脳一元論だよ」と言われる ↓ ますますファビョって、「心など無い。脳が全てなのだ!」としつこく繰り返す ・・・な? 邪魔なのは分かるだろ? >>258 具体的かつ的を射た批判だとこちらも誤りを認めるけど妄想で批判されたら困るよ お前の主張を一言で要約すれば、 「心脳問題など意味がない。なぜなら、脳が全てであり、心など無いからだ。 したがって、お前は心脳問題の話をするのを止めなければならない」 ということに尽きる 世の中には、いろんな人がいる。 たまには、そういう勘違いした奇妙な意見があってもいい だが、しつこく繰り返すのは反則だ ホドホドなところで消えてくれ 心が無いと言ってる箇所を引用してよ お願いだから妄想はやめてください 心にしろクオリアにしろ 実体のように扱うな それらは構成概念だ こう言ってるだけでしょ だが、上にも書いてるように、現代の心脳問題の論者は、「心脳一元論」なんだよ これは、「心とは、脳が生み出している仮象なのだ」という考え方 これに対して、二元論的な立場からの反論もある。 代表的なのはアンリ・ベルクソンの「物質と記憶」だろう だけど、主流はあくまでも「心脳一元論」だ 架空の「心脳二元論」(?)に対して、妙に必死で反論し続けているお前の姿は滑稽かつ見苦しい >>263 しつこい奴だな! 頭が悪いのは生まれつきだから仕方ないにしても、しつこいのは人間性の問題 >>266 まあ、そうだな 本人による分類だと違うんだけど、チャーマーズは二元論者 「意識のハードプロブレム」の言い出しっぺだけに、重みがあるな(笑) 今では、心脳一元論が主流になっている 言い出しっぺの思惑と違う方向に向かうのは、よくあることだな ウィトゲンシュタインも「論理実証主義の祖」とされてるが、本人の意図はそのつもりじゃなかったらしいし でも、チャーマーズだって、問題意識としては 「脳がいかにして、神経細胞の電気信号をクオリアに変換しているのか。そのメカニズムを解明しろ」 だからな あくまでも、「脳や神経細胞という存在があって、それが心やクオリアを生み出している」ということに変わりはない ただ、「量子力学の観測問題」を「意識が物質に影響を及ぼす例」と言い出した ハードプロブレムと一元論をとるか二元論をとるか(心を物理現象に還元できるか否か)は切り離せない問題だからまずは脳に対する心の位置付けを明確にしないといけない 一元論か二元論かを踏まえずにいきなりハードプロブレムに入るのはおかしい ずっと言ってたでしょ? 心やクオリアが生まれているわけじゃない 心やクオリアを実体のように扱うな それらは物理現象の名称に過ぎない って それに対して霊魂だのスピリチュアルだの何だのとちょっと困りますね >>273 まだいたのかよ(笑) 本当にしつこい奴だな 主流だからどうとか、邪魔だからどうとか、おかしなスレですね 俺が出てった方がいいですか? フィジカルもメンタルも有限で、スピリチュアルだけが無限だと聞きました まあいいや 今後はバカを放置して、一方的にこちらの話を進めることにする 悪しからず(笑) >>277 とっとと出ていけ、クソバカめ ていうか、まだいたのかよ >>281 それで君のプライドは守られたの? 本当にそれでいいの? こちらの関心は「心脳問題」にある お前とのやり取りになど、まったく興味ない(笑) お前と対話したところで、「心脳問題」の話は一歩も進まんからなあ ムダなやり取りは無くしたい お前と対話したところで、「心脳問題」の話は一歩も進まんからなあ ムダなやり取りは無くしたい チャーマーズが好む思考実験の一つに、普通の人間と全く同じだが唯一、内面的な経験(クオリア)だけを欠いた哲学的ゾンビの話がある。 彼はこの哲学的ゾンビの概念を用いて、ゾンビ論法または想像可能性論法と呼ばれる、唯物論を否定する論証、を行う。 この論証は彼の立場の最も基礎的と言える部分に位置している。 そのためチャーマーズを批判する研究者は、このゾンビ論法の部分に焦点をあわせて議論を展開していくことが多い。 とはいえチャーマーズはゾンビ論法の結論、つまり唯物論の否定、を前提に話を進めていく。 そして難しい問題に直面する。 それは内面的な経験(現象的意識やクオリアと呼ばれるもの)とは一体何なのか、という問題である。 この問題をチャーマーズは意識のハード・プロブレムと名づける。 意識のハード・プロブレムはチャーマーズが提唱した概念の中でも、最も有名なもののひとつとなっている。 >>288 コピペすんな、クソバカめ 俺が二重送信したみたいじゃねえか とっとと失せろ チャーマーズは、「哲学的ゾンビ」の話を通して、唯物論の矛盾を示そうとしたんだな? でも、この話を進めるためには、まず「クオリアとは何か?」を定義しなければならないことに気がついた 哲学的ゾンビとは、心の哲学で使われる言葉である。 「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。 デイヴィッド・チャーマーズが1990年代にクオリアの説明に用いた思考実験であり心の哲学者たちの間で有名になった。 おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義(または唯物論)の立場を攻撃する際に用いられる。 お前みたいなバカと対話してもムダだからな まずコピペを貼り、それに対してレスすることにした >>280 は一元論からも二元論からも反論が可能でしょ 「意識のハードプロブレム」を提唱したので有名な哲学者デイビッド・チャーマーズ 数学の天才少年として鳴らしていたが、その後は「心脳問題」に転向した その意図は、「心は、脳が生み出す仮象にすぎないのである」という心脳一元論を批判し、唯物論者を攻撃することにあった https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/David_Chalmers_TASC2008.JPG/200px-David_Chalmers_TASC2008.JPG 心と脳の関係に関して「意識のハードプロブレム」と呼ばれる問題がある。 物質としての脳がどのように機能しているかという問題は、どちらかといえば「イージープロブレム」、解きやすい問題だ。 脳についての研究が進むにつれて、その物質としての側面は徐々に明らかになってきている。 他方で、そうした「物質」である脳の働きから、どのようにして「物質ではない」はずの心、つまり主観的な意識という体験が生じるのかは、解くのが難しい。 逆に、物質ではないはずの心が、物質である体を動かしているのだとしたら、いくら脳の中身を詳しく調べても、そのメカニズムは解き明かせないはずだ。 これが「ハードプロブレム」というわけである。 脳の物質としての性質や働きは、客観的に観察したり記述したりできる。 神経細胞のつながり、化学反応や電気信号といったメカニズムはすでに解明されつつある。 fMRIのように脳の活動を画像に変換することもできる。 しかし、こうした客観的な観察と記述をどこまで突き詰めていっても、それだけでは、この私の主観的な意識、私がまざまざと体験している意識の質感やその状態を説明できない。 20世紀の人類は、脳と心を同一視してきた より正確にいえば、「心とは、脳が生み出す幻想にすぎない」と考えてきた だから、「脳を解明すれば、心も解明できる」と信じて頑張ってきた だが、21世紀になって、脳科学が急速に進歩するにつれ、それだけでは説明できない「何か」にぶつかっている 「もう終わった」と思われていた、デカルト以来の心身二元論が、違う形で復活したとも言える 「心脳二元論」の登場だ 心脳問題には、大きく分けて3つの立場がある 1、心と脳は同一のものである。心と脳は、同じものを異なる側面から見たものである(心脳同一説) 2、そもそも、心は存在しない。あるのはただ物質としての脳とその働きだけである(唯物論) 3、脳とは別に心という存在がある。脳と心は、互いに関係しあっている(心脳二元論) 現在の主流は、1の心脳同一説だ 極端なのは唯物論で、「脳がすべてであり、心などというものは無い」という考え方。 デイビッド・チャーマーズの「哲学的ゾンビ」は、こういう唯物論を皮肉ったものだ さらに、「心はある。脳とは異なる別のモノだ」という説(心脳二元論)も、主流ではないものの、根強い支持者がいる こういう分類をまとめた総集編みたいなマトメ本 ジョン・サール 「MiND」 何か人にはあって自分にはないものに恋い焦がれるようだ。 無も仏性なのかもな。俺は有の世界にもユニクロ的にたまに。 クオリアがない人がいても、本人も周囲の人も気づかないだろう・・・ていうけど、本当にそうかな? クオリア無しで生活できるとは思えないが クオリアが無いってことは、物質が存在しないのと同じではないのか いや、そんなことないな クオリアがなくても、コンクリートの壁にぶつかったら、ハネ返されるだろう 哲学的ゾンビ 「物理的科学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。 でも、「脳はあるけど、心はない人間」っていったら、そういうことになるよなあ? 「脳はあるけど、心はない」は、さすがに無理があるんじゃないか 「心はあるけど、それは脳が生み出した幻想にすぎない」 ↑これならまだ納得できる 「心はあるけど、それは脳が生み出した幻想にすぎない」 ↑実際のところ、これでさえ、現代の主流となる考え方ではない 「心と脳は、同じものである。見る角度によっては、それは心に見えるし、別の角度から見れば、それは脳なのである」 ↑現代の主流になる考え方は、こんな感じだろう 古来から、「心」とか「ハート」といったら、「心臓」を意味するのだが・・・ でも、現代の「心の哲学」においては、心脳同一論を前提にしなければ議論を始めることも難しい それだと、「心の研究」とはイコール「脳の研究」ということになってしまい、脳科学者の独壇場になる 哲学の出る幕がなくなって墓穴を掘ることになると思うのだが(笑) ◆心脳同一説 「感覚・知覚・思考・喜怒哀楽・意志などの心的事象は実は大脳に生じる物理的過程にほかならず、しかもそのことは科学的に証明される」という主張。 今世紀半ばに H. ファイグル、J. J. C. スマート、D. C. アームストロングら米豪の哲学者たちによって唱えられた。 ◆心脳同一説の特徴 1、物理学的な原子・分子・電磁場などを究極的な実在とした 2、心的事象を刺激と反応の関数として捉える、行動主義から出発している 3、20世紀中葉の大脳生理学の興隆と背景とし、心的事象と同一視すべき身体的過程を大脳過程に局限した 4、論理実証主義、分析哲学の伝統に立ち、心的事象と大脳過程の関係をつとめて言語どうしの関係として捉えた (続き) つまり、この立場では、悲しみなどの心的事象は、外的刺激と反応の中間に生じる大脳の過程である。 われわれの日常言語はそれを表面的・現象的に捉えるのに対し、物理学や生理学の言語は、その大脳過程を正確・厳密に描写するのである。 もちろん、すべての哲学者がこれに満足しているわけではない ジョン・サールの「MiND」も、現代の主流の説としてまず「心脳同一説」を紹介してから、 「しかし、心は脳と同じものではない。そこにはプラスアルファがある」というような話から始まる 心の哲学の大御所 ジョン・サールは、「心と脳は同一である」という説を批判し、「そこにはプラスアルファがある」と主張する だからといって、サールの考えもまた、心脳同一説から大きく外れるものではない サールによれば、胃が胃液を分泌したり、植物が光合成を行ったりするように、脳の生物学的な条件によって意識が生み出される。 このような立場は、生物学的自然主義(biological naturalism)と呼ばれることがある。 その一方でサールは、心と身体は相互排他的なレヴェルで存在しているとする心身二元論を、非科学的な立場だとしてしりぞける。 さらに、心的なものと物理的なものとを相互排他的であると考えてきた伝統に対してサールは批判的であり、 意識という心的なものは脳の物理的なプロセスによって産出されることは明らかなことであって、 心的/物理的というようなカテゴリーはもはや廃棄すべきだと考えている。 「脳が心を生み出している」は、もはや当然の前提と言ってよい。 これを前提にしないと、心脳問題の話を 始めることすら難しい 「心脳同一説」と「心脳二元論」という2大陣営があって論争が盛んだ ・・・というのなら面白いのだが、残念ながら、そうではない 既に決着がついている とはいっても、世の中には極端な人たちもいる。 「脳が心を生み出している」すら嫌がるのが、唯物論者だ サールのいう「プラスアルファ」を認めたくない、脳がすべてという人々 これだと、「心脳問題」というテーマ自体が消滅し、「脳科学」へと吸収されることになる しかし、それもまた少数意見にすぎない 「意識という心的なものは、脳の物理的なプロセスによって産出される」 ↑これが、現代のスタンダードな考え方だ この他に、 「心など無い。脳がすべてなのだ」と主張する極端な意見(唯物論)と、 「脳とは独立に、心という存在がある。脳と相互に影響しあっている」という、 ややスピリチュアル的な意見(心脳二元論)もある どちらも少数意見であり、主流ではない >>340 プラスアルファってなんかゲシタルト心理学思い出す 「全体はその部分の総和とは異なる」というやつ 脳と心は、イコールではない なぜなら、心は脳が生み出したものだからだ 心には、脳には無い何かがある そのプラスアルファが何なのかというと、「存在論的な主観性」ということになるだろう サールによれば、意識とは第一者(その意識を所有し、経験している当の本人)からによってのみ接近可能な、存在論的で還元不可能な性質を持っている たとえば痛みという感覚を挙げると、痛みは誰かの主観性によって感じられない限り存在せず、したがって存在論的な主観性を持っている サールは、第三者から見て観察可能なデータのみを扱う行動主義や機能主義のようなアプローチを、意識の還元不可能性を無視する姿勢だとして批判している 「心を持つロボットを作ることはできるか?」 というのは、普通は意味のある問いと思われていますし、 本気で作ろうとしている学者もいると思いますが、 唯物論からすると無意味な問いだということに なるんでしょうか? だって、「人間だって心なんて持っていない」 ということでしょ? >>347 そういうことになるでしょうな 唯物論者にとって、人間と高性能なロボットは区別できず、「人間の意識をコンピュータに移すことも可能」という人もいる >>346 > たとえば痛みという感覚を挙げると、痛みは誰かの主観性によって感じられない限り存在せず、したがって存在論的な主観性を持っている サールの言ってることも、要するにチャーマーズの「哲学的ゾンビ」と同じではなかろうか 「意識には、クオリアがある。だから、脳とイコールではない」 ロボットにクオリアを持たせることは可能か? もし可能だとして、持たせる意味はあるか? もし不可能だとすれば、「心脳同一説」には大きな打撃となるな? 理論上できても現実にできるのは別の話な、あたまおかしいのと違う? 現実というのは理想より恐ろしく歪んでいる 可能とか不可能とかそれは「夢」ていうんだよ、夢は夢のままがいいわけで 現実は夢ではない、異世界ブームにそまったDQNだらけだから仕方が無い 無理して科学やら哲学を語ろうとするから空疎になる 向いてない おまえは歴史あたりでごっこしてるのがお似合いなんだよ ロボットがクオリアを持つとは、具体的にどういうことを意味するのか? 波長が長い可視光を「赤」に、波長の短い可視光を「青」に変換 それ自体は簡単なことだ でも、どうやって、ロボットにそれを感じさせるのか? ロボットには、可視光と紫外線や赤外線の区別もつかない 「ここからここまでが、人間に見える範囲だ。人間には、これらは違う『色』に見えているんだ」 ということを、ロボットに知識として教えるしかないだろう だが、「色」とは何なのかをロボットが知ることはない 「波長の異なる電磁波」という、情報として受け取ることしかできまい 人間より遥かに微細な違いを検知できるが、あくまでも知識にとどまる これらの「情報」さえあれば、クオリアがなくても十分に生きていける ロボットがクオリアを持つことは今後も無いだろうが、人間と同じ反応をするようにプリセットしておけば、外観は変わらない 唯物論者にとっては、クオリアの有無は問題でないということになる いくら唯物論者でも、「ロボットにクオリアを持たせられる」とは、さすがに思ってないだろう 「クオリアなど、あってもなくても同じ」と考えていることになる ロボットにはクオリアがない 人間的な意味では、「何も見えない、聞こえない」という状態だ ただし、「紫外線、赤外線、波長の長い可視光、波長の短い可視光」 「振動数の多い空気振動、少ない空気振動」といった情報は 人間以上の精度で検知することができる その情報に対して反応するようにプリセットされていれば、人間と同じような反応するロボットを作れる ジョン・サールといえば「中国語の部屋」だ と、サール自身も言っている 中国語の部屋ってのは、対象が人間だと疑いようがなければ心があると見做すチューリングテストを否定するために提示された思考実験だろ 1950年に数学者チューリングはチューリングテストという,知能があることに関する実験を提唱しました. それには,2台のディスプレイの前にテストをする人がいます. 1台のディスプレイには隠れている別の人が,もう1台は人間をまねるように作られたコンピュータが受け答えした結果がそれぞれ出てきます. テストをする人はどんな質問をしてもよいとします.例えば,詩を作らせたり,音楽の感想を聞きます. また,コンピュータも人間をまねる努力をします.例えば,わざと計算に時間をかけたり,間違えたりします. こうして,テストをする人がどちらが人間でどちらがコンピュータか分からなければ,このコンピュータには知能があるとするのがチューリングテストです. では,チューリングテストをパスすれば知能のある機械,すなわち,人工知能といえるでしょうか? これには有名な哲学者サールの『中国語の部屋』という反論があります. これは,英語しかわからない人が部屋にいます. その部屋には,中国語がわからなくても,中国語の文字を書いてあるとおりに置き換えると,中国語の受け答えができてしまう完璧な説明書があります. つまり,この部屋の人は,英語しか分かりませんが,中国語の質問に中国語で答えることができます. ということは,中国語の受け答えができるだけでは,中国語が分かるとは限らないことになります. 同様に,まるで知能があるような受け答えができるかを調べるというチューリングテストに合格しても本当に知能があるかは分からないという反論です. AI将棋も意味論ぬきで統語論だけであれだけの予測ができる つまり学習は意味論抜きにできるということ 音声認識だって、コンピュータには、人間的な意味では何も聞こえていない 受信した音波の波長を分析しているだけだ そもそも、「音が聞こえる」とはどういうことかを、コンピュータやロボットが知ることは今後も多分ない 意味論抜きで同じ出力が出てくるならどちらも心を持っているとみなすべきだよ 哲学的ゾンビもそうだが、生身の人間にとって大切なのは対象をどんなふうに感じるかであって実際そこに心があるか無いかって問題は そんなに重要じゃなかったってことなんだよな こうした視点は動物愛護やロボット時代に重要になってくる そういうことになるわなあ 結局のところ、「心」があってもなくても同じ・・・ということになる 外観によって「心がある」と見なしうるのならば、心があるのも同然 いや、いくら外観や反応で見分けがつかなくても、心と有るのと無いのでは違うだろ 本人(?)にとってはな 心が有るか無いかは、本人の内面の問題 他人にとっては同じだ >>377 心がない者にとっては最初からその自覚が無いんだから悩みようがないだろ >>379 「どうして、ボクには心が無いんだろう?」と悩むロボットが、SFには出てくるぞ 心が無いことを苦にして絶望し、自殺したロボットもいるくらいだ ロボットに無理なことが2つある 1はクオリアを持つことで、もう1つは感情を持つこと 2つとも、いかにもクオリアがあるように見せ掛けることはできるし、感情があるような反応をするようにプログラムすることはできる 「お前はバカだ、チョンだ」と言われたら、顔を赤くして「バカにするな!」と大声で言うとか、そういう刺激に対する反応だ 外観上はホンモノの人間と区別できないロボットを作ることは可能だろう でも、やっぱり、ロボットにはクオリアと感情を持ちようがない 決してロボットが感情を持ち得ないという事実が、クオリア精神は肉体でしかないって証左だよ 現象的意識が主観的であるなら人間にはロボットに心がないかどうかもわからないはず そういうことならあらゆる自然科学は崩壊する、カント以前に逆戻りだ 主観的であるものが外部から判断できるということはそれは物理的なものだということ 唯物論者にとっては、感情やクオリアはあってもなくても同じ >>691 まず、脳が「焼肉定食を注文する」と決定する コンマ何秒か遅れて、「そうだ、焼肉定食を食べよう」という考えが意識に浮かぶ なんで焼肉定食を食べたくなったのか、理由をあれこれ後付けで考える 「お前はバカだ、アホだ。エタ非人だ、朝鮮人だ」と、他人からボロクソに言われたとする →脳神経系や内分泌系が、不快物質を分泌する →「バカにすんじゃねえ」と、カーッと怒りがわいてくる このとき、「なぜ、怒りがわいてきたのか?」を、冷静かつ客観的に考えてみることだ。 本人としては、「ボロクソにコキ下ろされたから」と思っていることだろう。 でも、実はそうではないのだ。「タイミング良く、脳が不快物質を供給したから」というのが、真の理由なのだ 1、嫌なことが起きる 2、脳が不快物質を供給する 3、不快な気分になる この一連の流れの中で、2は通常、意識されることがない。 普通の人は、「1が起きたせいで、3が起きた」と考える だが、それは錯覚にすぎない 3が起きた本当の原因は、1ではなくて、2なのである 嫌な気持ちになったのは、嫌なことがあったからではない 嫌なことが起きると同時に、脳が神経系や内分泌系に指令を下して、不快な気分になる化学反応を起こしたのが本当の原因だ 感情とは、自分自身の脳によるドラマチックな演出にすぎない 1、脳が「焼肉定食を食べる」と決定する 2、「焼肉定食を食べたい」という考えが、意識に浮かぶ 3、「半日ほど何も食べてないから腹が減ってるし、最近は魚ばかりだから肉が食べたくなったんだな」と、理由を思いつく この一連の流れの中で、通常は1を意識することがない。 でも、時系列的には、まず1が起き、コンマ何秒か後に2が起きることが、脳科学の実験で明らかになっている。 普通の人はこれを知らないし、2が心の中の自由意思だと思い込んでいる。 3→2→1と、時系列を逆にした解釈になることも多い では自由意志に大きな開きがある。誘うのも自由じゃないし誘われるのも自由じゃないけど、不思議と誘われる方が自由な感じはするね。他者。 何が自由でいつ自由なのか。他者に選択を任せておく方が意外に自由じゃないかな? 自分で判断することが逆にいえば不自由。他者という主体に動かされているという点。他者がいないと無行動に放り出される。 誘う不自由を受け持って誘われる自由を演出すればいいよ。 決定は最後じゃないの。雰囲気気分から入って決断して決定に至る。 >>406 いや、そうじゃないんだよ 1、脳が、「手を伸ばして、目の前の饅頭をつかむ」と決定する 2、「なんだか、目の前の饅頭を食べたくなったな?」という考えが意識に浮かぶ 3、手を伸ばして、饅頭をつかむ 時系列的には、この順番になっている それぞれ、コンマ数秒ずつの微妙なタイムラグがあるということが、脳科学の実験で明らかになっている もしも、2→1→3という順番だったら、とても間に合わない。2と3の間に、かなりの時間差が生じることになる だが、このとき、1が意識されることはない。下手をすると、2すら意識されない。 最初から、反射的に3に至ったという解釈になることも少なくない 「饅頭たべたい」という考えが意識に浮かんでから、「手を伸ばす」という行動に移るまで、脳は絶妙なタイミングを演出している 意志とは、脳による巧妙な演出にすぎない 意志だけでなく、感情も同じだ 1、嫌なことが起きる 2、不快物質を分泌するよう、脳が神経系や内分泌系に指令を下す 3、嫌な気持ちになる 通常、人は2を意識することがない。 「嫌なことが起きたから、嫌な気持ちになった」と、ナチュラルに信じている だが、事実はそうではない。 嫌な気持ちになったのは、嫌なことが起きるのと合わせて、脳がタイミングよく不快物質を供給したのが原因。 単に嫌なことが起きただけでは、嫌な気持ちにはならない。歯の治療をしても、麻酔をかければ痛くないのと同じだ 意志と同じく、感情というのも、脳による巧妙な演出にすぎない このように、見れば見るほど、 「心とは、脳によって演出された錯覚のようなものだ」 ということにならざるを得ない ☆宗教板での、某宗教信者との対話より☆ 985 幸福の科学信者 2021/05/23(日) 08:31:43.17 ID:YG6iC+Ha 心を磨く幸福感 この地上を去って持って還れるものは、心しかないのです。 みなさんの心しかないのです。 心しか持って還れないならば、 財産も何も持って還れない、名刺も持って還れない、 心しか持って還れないならば、 その心をよくする以外に、何の方法がありますか。 何の幸福感がありますか。 それしかないのです。 『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(2)』 その大川総裁が言ってる「心」ってのは、仏教の考え方では「偽我」なんだよなあ 考えてみればいい 1、嫌なことが起きる 2、脳が神経系や内分泌系に指令を送る 3、神経系や内分泌系が、不快な気分になるホルモンを分泌する 4、嫌な気持ちになる 時系列的には、こういう順序だ。 人は、「嫌なことが起きたから、嫌な気持ちになった」と解釈する でも、本当はそうではない。 「脳が、タイミングよく不快物質を供給したから」 それが、嫌な気持ちになった本当の原因だ このように、「心」というものは、肉体の作用によるものが大きい。 それは、この世のものであり、あの世に持って帰れるものではない 仏教では、このように考える それが、お釈迦さまの教え ☆信者による反論☆ 1、嫌なことが起こる、この「嫌なこと」がなぜ 「嫌なこと」だと分かるか。(伝達前なのに) 2、嫌なこと、という概念を、神経はどのように 伝達するのか。(理念をどう信号に変えるのか) 3、神経から伝達された情報から、どのように 不快な気分になる物質を選択するのか。 4、不快な気分になる物質が分泌されると、なぜ、 嫌な気持ちになるのか。 (その物質が不快だと感じる主体は何か) >>415 例えば、自動運転技術を搭載した車は、障害物があれば回避行動をとります 車に搭載しているセンサーやカメラなどの機能で障害物を認識し、回避行動を指示するプログラムによって車は衝突を回避するわけです もちろん車と人間は全く違うものですが、 車にとって走行ラインに障害物があったら嫌でしょうね しかし、自動運転技術を搭載した車は人間のように「思考」をしないとするならば、 走行ラインに障害物があったとしても「嫌なこと」とは認識しません 障害物を認識したら回避行動をするプログラムによって車が障害物を回避するような「信号」を送るだけで、 車体は自動的に回避行動をとります もし仮に、人間が何も考えられない、「思考」をしない生き物であったなら、 「嫌なことが起きる」とか、「嫌な気持ちになる」という認識をしない可能性があります 人間が五感によってあるものを認識した結果、 脳が神経系や内分泌系に指令を送り、 神経系や内分泌系が、不快な気分になるホルモンを分泌するだけで、 人間は「死」を回避するよう自動的に動くようにできているかもしれません >>416 なるほど! 代わりに答えてくれて、助かりますわ(笑) そうはいっても人間は考えられずにはいられない生き物です われわれの「思考」は言語によって行われています 頭の中で、あるいは心の中で考える時に使っている言語は、 基本的に物心がつく前に習得していたものであるでしょう 自己意識が起こる以前から、人間は自動的に言語を認識し、 能動的に学習しなくても「言語」を習得します(言語能力には個人差があるでしょうが) しかし、人間が持つ言語能力というものはDNA由来のものではありません 「言語」というものは主観的世界に初めからあるものではなく、 ある人間が生誕して外界で初めて出会う、客観的な世界に存在しているものです (もっとも、母親のおなかの中にいる間も、ある程度の言語的刺激を無意識的に受けている可能性はあります) 高度な認識力と処理能力をもった人間という動物は、 「言語」というものを半ば自動的に習得します そして「言語」を身につけて初めて、われわれ人間は考えることが可能になるわけです >>416 「思考をしないならー認識しない可能性」 これも「心」という言葉があるから、心を存在するものとして考えた結果、 出てきた物語で、 実際には、心を、或いは脳を持たないミミズは、日光に当たると逃げようとして動き回ります。 学者などは、これを「嫌がっている」とは認めませんが、一般的な感覚からすると、どう見ても「嫌がってる」でしょう。 西洋では、キリスト教が自然を作り物としているので、このような常識があり、 これも「言葉」として受け継がれているので、例えばカート・コヴァーンのような人でも「魚には感情がない」とか言う訳だ。 こうした「習得した言語による思考の固定化」というのは、カルトの与太など顕著だが、我々も自覚無しにこの枠の中で思考しているのは間違いないだろうね。 (^。^)西洋哲学とか、言葉遊びにしか見えないし。(笑) >>421 ミミズの場合は実際日光に当たっているわけですから、条件反射的な行動だと思います しかし「嫌な気持ちになる」のは未来予測です たとえば、毎日徒歩で通勤・通学しなければならない人ならば、 朝起きたときに土砂降りの雨が降っているだけで嫌な気持ちになるでしょう この場合は土砂降りの雨自体が嫌なわけではなく、 時間が来たらその土砂降りの雨の中を歩かなければならないから嫌なわけです 言語を持たない動物は感情がないわけではなく、 人間よりも直情的なのだと思います つまり感情の赴くまま行動をしていると思うのです >>422 因みに、「条件反射」とは後天的に学習した反射の意味です。 また、赤子が大小便をして泣くのも「未来予測」や「嫌なことを認識したから」などという事もありません。 嫌だから嫌なのです。 それは、扁桃体だか、何だかという脳の機能に因るものとされますが、 虫けらでさえ、嫌なことをからは必死で逃げます。 神経細胞が無いはずのミミズですら、です。 他所でも書きましたが、これは「心」などという「言葉」の中で思考した結果です。 (^。^)そして、このような問題は仏教では二千年前に論破された話ですね。(笑) >>423 わたしが「心」という言葉の概念に囚われている、ということでしょうか 二千年前に仏教がこういった問題の解を提示しているのであれば、 今こうしてわざわざ議論などしなくても良いはずです つまりわたしに限らず多くの人がよくわかっていないことを承狂さんは理解できていると仰っているわけですね 「心」といえば抽象的概念です なぜこのような表現があるのかといえば、あれば便利だったからでしょう 「心」という言葉は今だ廃れてはいません わたしは後天的に身につけた言語で思考できるということが、 人間が(動物などに比べて)自由意志を持てる理由だと思っています もちろん全くの自由意志といえるものではなく、時限的なものでしょうけど、 人間が情動だけに流されない行動を取るのは、思考ができるからだと思えるのです 承狂さんのお考えは違うのでしょうけど、わたしはそう考えています マウントを取るための知識のほうが西洋哲学よりか幼稚ですな、道具的理性ってやつです。 言語というツールで、人類の文明が発展できたし、多様な思考が可能となっていることに、異議は全く有りませんよ。 あと、仏教の下りは、 例えば「心」という言葉に付随されたイメージ、 「正しさと過ち」を「私」が判断してるとか、 「物質世界と精神世界」があるとか、 過去の文化で作られてきたイメージ、 についての認識の一つの視点を仏教で二千年に出されています、という意味で、 勿論、「絶対的な解」という意味ではありません。 因みに、>>421 「我々も自覚無しに」という文章には、書き手自身も含まれます。 所詮、人というのは後天的に得た道具の奴隷に過ぎず、「私は」という思いは、独自性ではなく、多様性の現れに過ぎないと、 私は考えてますが、 これがマウンティングに見えてる人が居るようなので、 気持ち悪いからこれでレスするのは止めときます。(笑) こうやって自ら馬鹿なことを書き込んでおいて当たり前のように否定されただけで不貞腐る高卒は始末に負えない 少なくとも、「脳」を抜きにして「心」が成立することはない これは確か 脳と心は表裏一体 ある角度から見れば「脳」に見えるが、別の角度から見れば「心」に見える 「心とは、脳が生み出している現象である」 これが現代の主流な解釈 実のところ哲学では主流ではないね 大きな声では言わないだけで 余談だけど 天文学者で地球以外の天体に於ける生命の存在を疑う人はいないらしいけど 生物学者の多くはそうは思っていないのだとよ そんなことが理由なのではなく 生物学者は生物を調べていく中で その存在が「必然的ではない」ことに気づいているわけよ 脳について言えばな 哲学者は、「脳」という物体と「意識」との間に必然性が無いことに気づいているので 懐疑的なんだよ 305 名前:美魔女 2021/07/26(月) 18:41:22.30 0 では、問題 私👰の股間にぶら下がっているものは 何でしょうか?⁉ まあ確かに、生物として生きていく上では、心は必要ない 脳が反応すれば十分だ そうすると、「なぜ、心があるのか?」が大きな謎になってくる 先入観を捨てて考えれば、べつに必要ない >>439 ああ、あるんだよ。 ということは? 優しさや哀れみの情も重要だから。 ワクチンを打って、脳の血管が詰まったり、脳内出血した事例が多数報告されている 脳は、映写機でありスクリーンでもある 心は、そこに映し出された映画に相当する 事実とか言わさないようにしてるんじゃなくて、自由の侵害だから拒否権があるんだよ 内心は心身に迷惑がかかりそうだったら黙っておいていいの 女性の家に忍び込むのは変質者だと思うだろ?君はああいう類だよ。捕まえるのは別問題だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる