デジタルトランスフォーメーション
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デジタル省もできて、ますます「デジタル」が注目されていますが
デジタル、そしてデジタルトランスフォーメーションの哲学的な意味を
考えていきましょう
基礎的な概念はこちら
西部邁スレ合理論のまとめ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536734463/ 資本主義とヒューマニティ重視が重なると最悪
金儲けのために無意味なヒューマニティ煽りが入って、まったく不要な不幸を拡散しまくる
これが現代の病の根本原因 去り行くトランプ時代が世界に示した「近代の終焉」
https://www.newsweekjapan.jp/kawato/2020/11/post-65.php
近代の定義にもよるだろうけど、誰かが決めた「近代」からは大きくずれ始めているということはあるのかもね
近代が知性への収束を意味するのであれば、その「近代」がどういうものになるのかは未だ見えていない
とにかく、デジタル化を進めて、過去のようにイレギュラーで無意味な振幅が大きくならないようにしないといけない
誰かが決めた「近代」のたがが外れても、現代はデジタル化によって知性への収束はさらに進んでいる
その収束こそが、誰かが決めた「近代」から外れることを強いているのかもしれない トランプが残したデマ地獄で「Qアノン」が共和党を乗っ取る日
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/11/q-2_1.php
Qアノンって4ch発か
5chも共犯だな
しかし、こういう誰だかわからない言論、概念だけが浮遊していく現象こそ、デジタルトランスフォーメーション、さらに言えば
トランスヒューマニズム、ポストヒューマニズムそのものといって良いかもしれないな
この現象自体は負の部分の方が多いのかもしれないが、それはこれまで巣くっていたヒューマニティによる偽善に対抗する反作用的な
デジタルのみで概念が浮遊していく現象で、最終的には知性に収束していく動きになると思う
民主党側でも同様の概念のみがデジタル上で浮遊していく現象は起きるだろうしね つまり、誰が書いたのか、あるいは誰が修正を加えたのかすらわからず、その概念だけが純粋に
デジタル空間を浮遊していく
それはAIによるものとすら考えられる
それでも誰も気にしない
そこでは、すでに人はデジタル空間と一体になり、その概念の是非のみが注目される
こうした状態は、デジタルトランスフォーメーション、トランスヒューマニズム、さらにはまさにポストヒューマニズムそのものとすら言える トランプは敗れたが「アメリカのリベラリズム」が相変わらず危機と言える理由
米国「イデオロギーとモラル」の攻防史
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77296
素晴らしい記事ですね
まったくその通りだと思います
こういう記事の質も最近は上がってきている感じがしますね
このように、それぞれの立場、視点において確かな論理の部品を作っていくことが重要なんだと思いますね
一人の論者がすべてを網羅する何かを考えようとするから、無意味な論理が氾濫し、そのために人文科学がまったく進歩しない
このように、それぞれの立場、視点において隙の無い論理の部品を構築し、それを数百万人の人が行うならば、人文科学は大きく進歩するはずです
後は、トランプ現象、そしてこの次の選挙について考えるならば、このデジタルトランスフォーメーションの作用は無視できないわけですが
それをどのように考えていくかですかね とにかく自分の頭で考えられないと、どうにもならないというのは確かだな 共同体によるモラル形成っていうのはその通りなんだが、しかしこれだけデジタル化が進展してくると
共同体による負のモラル形成の方が強くなってる気もするな
>>458は共同体の負のモラルについてもきちんと触れてるから感心する
個人で考えていく方が、デジタル化社会では適合しやすい >>460
対面でフィジカルにモラル形成するのとネットワークを介した間接的なモラル形成とでは機序が異なるのは確か
モラルの階層化が進行し分断と対立を助長するという傾向は大統領選に於いて鮮明になったばかりだし Qアノンみたいな現象はネットではそこら中で見られるね
まあ、いずれ収束すべき方向に収束していくと思うけど 物質から離れることで、知性重視になる
物質はまさに乱数であって、これに捕らわれると、知性への収束は大きく疎外される
これを回避することがデジタル化、デジタルトランスフォーメーションによる知性の収束の促進ということになるね モラルの階層化というか、ネットではある意味株式市場の株価のような知性への収束が見られる感じがあるな
まず、下値を確かめないと気が済まない、上値もそうだけど
それらを確かめた上で、徐々に現時点での最適な価格が模索されていく
しかし、情勢が変化すれば、また大きく下振れ、上振れが起きる
こういう感じなんだろうと思う
まあ、株価もデジタル化された値だから、似た属性があるのかもね そもそも、既存のメディアや書物もデジタルですけどね
ただし、それらが扱えるビット数、情報量はITよりも桁違いに小さい
そのために、既存のメディアや書物でも同様の知性への収束を求める振幅は見られたはずですが、
その周期は数百年、数十年単位だったのかもしれませんね
それがITによって、数年、あるいは数か月の周期になった
これが人類にとって朗報でないはずがありません ワロタ。操作されまくりの官製相場が知性の収束だってさ 「五毛党」と呼ばれる中国のサイバー部隊をご存じだろうか。正式名称は、
「網路評論員(インターネット・コメンテーター)」である。
国内外のネット上で、中国共産党に有利な世論を醸成することを狙う世論誘導集団で、
「ネット水軍」とも呼ばれる。中国共産党宣伝部の声を広げ、彼らにとって都合の良い
ストーリーを語るのが目的だ。 一般人を装い、ネット上のコメント欄やWeChat
(微信)などを監視しながら、党に有利な書き込みや批判的なコメントの摘発を行う。
人権や領土、民族といったキーワードを使い、中国共産党と異なる意見を持つ組織や
人物を集団で徹底して罵倒したり、レッテルを貼ったりし、社会的に引きずり下ろすことも狙う。 「五毛党」という名称は、中国共産党が当初、コメント1本につき、五毛(1毛=1・5円)支給して
いたことによる。2004年ごろから「五毛党」と呼ばれるようになった。最近、
値段が上がって「八毛党」になったとか、ならないとか。
15年時点で1050万人いるとみられ、中国共産党政権によるSNSへの「やらせ書き込み」は
年間4億8800万件に上るという。 日本の公安関係者によると、日本における五毛党の
書き込みで特徴的なのは、「安倍晋三首相支持」や「反習近平」といった保守層が好みそうな
キーワードを駆使し、中国共産党への警戒心を持っていると思われる保守層の関心や注意を引くというものだ。 テクノロジーで知性が収束とかナイーブ過ぎる、IT音痴の人間から出てくる発想だね
AIでサイバー攻撃、情報操作、そんなのがこれから一杯出てくるのが現実
むしろ、これから情報空間はカオスに向かう。今の米大統領選もその象徴の一つ ありとあらゆることができるから、収束するんですよ
ありとあらゆることができるからこそ、発散すべき人は発散し
したがって、結果的に収束します デジタル空間では、物質による制限がない
そのために、あくまで自己決定によって認識を維持できる存在のみが、認識者として存続できる
そうした存在は、何者にも邪魔されないが故に、知性に収束していく
逆に、物質による制限に依存して認識者としての存在を維持してきた人たちは、この物質による制限がなくなることで
自身の独力では認識の振幅を制御できず、したがってそれは発散し、認識者としての存在を維持できないだろうと思う お前のレクサスが峠でクラッシュしてっからスマホの縦スクロールがブレるんや!
全損で完璧トランスホーメーションやろうが!ここは新石器時代か。 物質に捕らわれてる限り、優位劣位の概念からは逃れられないよ
物質はそれぞれが固有なので、それぞれをシリアルに処理することが求められる以上、常に優位劣位が意識される
ここから逃れることはできない
しかし、知性には固有性がない
したがって、どのような順番で処理されようとも、その順番に意味は生じない
ゆえに、知性に収束する存在は、優位劣位の概念を喪失していく 超高齢化で認知症だらけの日本なのだけど、そういう人たちはどこへ収束するの。
認識を可能にしているのは脳や身体で、それは物質でできているので、
過剰な物質軽視もおかしいだろう。ビタミンBが少ないだけで脚気になったり、
贅沢な食事で痛風や癌にもなる。つまり、物質は認識に影響を与える。 ブランド品などがそうだけど、高品質ものだから高価になっているわけではない。
宣伝とマーケティングで高級な雰囲気を演出しているだけで。愚民は物質でなく、
そうしたデータと表象、イメージとCMに欺かれる。 つまり、物質性を離れた認識など、この世界に存在できない。
AIによる認識でもそれ同じ。媒体やプログラムを必要とする。
それらは当然、物質。 身体も物質だからね
まあ、したがって物質から完全に逃れることは不可能
しかし、身体を鍛えるなどして、身体をコントロールできるようにしておくことは重要かな
欲望や怠けなど、身体にコントロールされてしまうようになったら、もうどうにもならないだろうね
動物的存在として死ぬだけ
今の年寄りは、デジタルも忌避しているしほとんどこれでしょう まあ、結局は一人の人の脳だけでは、処理能力も情報量も知性への収束には十分ではないということになるのかもね
そこで、デジタル空間に参加することで、情報量も処理能力も向上する
この参加者は多ければ多いほど良いと言うことになるね インターネットはまだなくて、オフィスオートメーションとか言ってた頃に
疲れ目がどうだの、高価でも快適な椅子をだのなんだのという話はあって、
結局それはパソコンが犯人なのではなく、単に同一時間内に扱える
データの量が格段に増えてしまっただけだという冷静な指摘もあって、
要するに生産性はガンガン上がっていってるということなんだけど、
賃金は逆に実質的には下がってすらいるくらいからそりゃあ何も
売れない。年金不安もあるし、コロナまで加わった
で、ここはいったい何をするスレなのですか?経済をやめてしまうのですか? 経済的なことはあんまり考えてないが、効率化で生産性が上がった部分は
BIに回せば良いだろうと思ってる
それによって、労働負荷が大きく下がることは、人の不幸の軽減には必須でしょう 一人の人が接しなければならない身体を含む物質に対して、人の脳の処理能力は知性への収束を得るには小さすぎるってことなんだろうな
したがって、このためには、物質が介在しない処理能力の大きなデジタル空間が求められる
このデジタル空間は多くの人の集まりでも良いし、AIでも、通常のコンピュータによる処理でも良いのかもしれないな そして、もちろん、それぞれの人が接する物質をできる限り小さくすることも、この知性への収束を得るために役立つ そして、ここで問題になるのは、実際には不可能なんだが、物質がまったく存在しないデジタル空間が実現したとして、それでも知性は
収束するのだろうか、という問題があるな
これは一元論になるので、この場合には何でもありの状態になって、知性は収束しないのかもしれない
ちょっと、この辺は詰めてないが、どうかな となると、物質が介在しすぎても知性は収束せず、物質が存在しなくても知性は収束しない
ということは、知性の収束に最適な物質の介在量が存在するということになるが・・ 物質が介在しすぎても知性は収束せずというのは、動物を考えればわかりやすいね
接する物質に対して、知能が小さすぎ、したがって知性は発生すらしない
さらに原始的な生物やまったくデジタル性を持たない物質を考えれば、これは明らかでしょう しかし、一元論になるのを避ければ良いだけなので、物質の介在はどこまでも少なくても良いのかもしれない
それがなくなることは原理的に不可能
物質は乱数なので、常に知性の収束を阻害するからね そもそも、一元論か二元論かは、この世界の構造そのものなんで
誰かがそれを変えることはできない
すでにそれは、この世界のあり方そのものとして決まっている
逆に言えば、物質の介在を減らすことで、知性が収束するのであれば、
この世界は二元論ということになる
こちらの記述の方が正しいね 結局は、すべては物質が存在する世界構造を前提としているので、従って
物質の介在を減らせば知性は収束するという前提になる
この世界に物質など存在しないという一元論でも、それでも知性は収束するのかもしれない
しかし、その場合は、まったく別のところから派生する絶対性、それはもう文字通りの神のような存在から
もたらされる絶対性によって知性は収束するということになるな 制度として教育が目的としているのは、生徒が自発的に頚木にかけられることを
求めるようになること(voluntary subjugation)であって、それ以外の何物でもない。 では一元論をいってみましょう
宇宙の最少単位は10次元の角度量である
例えばピンポン玉の中心に立つ旗は3次元の角度量を持っている
すなわち緯度、経度と旗がねじれる角度との3つである
それの10次元版を考えればよい
この最小単位角度量には位置すらなく、
宇宙の神羅万象は角度量同士の織りなすネットワークである
我々が知り得る最小の現象は、ある最小単位が別の最少単位と作る角度差である 要するに空間なんぞに次元を見出すから何が最小かを見失うのである 認識者からの視点では、一元論か二元論かは、結局は乱数を生成するものが存在するかどうかと言うことになると思う
それが物質であれ、何かの角度量であれ、そこから乱数が生成されるのであれば、デジタル空間には属さず、したがって二元論を構成する
しかし、これはあくまで認識者からの視点ということになりますね
神の視点ではない 要するに、知性に相容れないもの(乱数)が存在するかどうかですね
それが存在するならば、知性が持続するためには相応のあり方が求められます
これが知性の収束でしょう
知性に相容れないものが存在しないならば、知性はあらゆる形態を取ることが許されます
したがって、この点では知性は収束しないと思われます
ただし、一元論での絶対者の存在など、その他の要因によって知性が収束することは考えられます 共同体が人に不幸をもたらしている根本原因なんだよ
だからこそ、さまざまな共同体の腐敗臭はどんどん強くなっている
共同体のシンボルになっているようなものも、腐敗劣化が酷い
天皇家なんかも最終的にはこれだよ だから、腐敗しない人々の関係を調整する仕組みが必要なんだよ
それが狭義のデジタルトランスフォーメーションの最も直接的な意味だろうね ヒューマニティを基準にすることは、人を確実に不幸にする
特に、エンタメ系の仕事は、誠実にやればやるほど不幸をばらまくをという報われない職業
これから仕事を選ぶ人には、絶対におすすめしない 管首相もデジタルとぶち上げた割には会食好きか
まだまだアナログ人間だな
GOTOもアナログ政策だし
もう、アナログは縮小していかないと デジタル化によって、ヒューマニズムからポストヒューマニズムへと軸足を移していかないと
ヒューマニズムは非常に過酷
結局は独自性の競争になるので、どんどん極端化して、全体として不幸になってしまう
ポストヒューマニズムは、現代的に神を蘇らせる方向性でもあって、それが人間にとって大きな救いになる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています