ソクラテス問答
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早稲田のロースクールでソクラテスメソッドが取り入れられていたが、
問答を通じて学生が講義を理解していると教員がいいように解釈してしまって、
いざ試験となると結果がいまいちだったとのこと。
問答にも深みやレトリックが必要なのかな。 問答法ってどうでも良い意見も尊重しなけりゃならなくなるので
馬鹿が何人か含まれていると停滞して発展性がなくなるんだよな
そういう授業はテレビ取材でみたことがあるよ 早朝読書会とか哲学カフェみたいな集まりはまあまあ流行ってるようだが、
参加者が限定されるわな。 3人以上で発展性のある有益な会話は成立しないって言ってる学者がいた
これは真実だと思うね
1対1以外ではどんな人にも満遍なく伝わるようなどうでも良い話題しか振れなくなるから
>>4のような特殊な集まりはべつだけどな
ただ授業だから集まったっていう会合じゃあまり結果は期待できないだろう アスペは部屋の片付けが出来ない事が多いし、現場はまさにぐちゃぐちゃに散らかったゴミ箱の中といった様相だろう。 >>8
ソクラテスが実際どうやってたのかは分からんけど
対話篇にでてくるのはごく少人数か一対一で対話者はソフィストが中心だろう
授業みたいに多様なやつがいるって訳じゃない >>8
そういう普通の奴だったら処刑されてないだろ。 ソクラテスの戦術は、ひろゆきみたいに相手を質問攻めにして圧勝したことにするセコいやりかたなんだが
問答法の目的は対話に寄って新たな知覚を得るというのが問答法のそもそものものだからね
プラトンが語ったソクラテスは勝敗に寄り過ぎてて相手を平服させるのが目的みたいになってしまってる 論っていうのは自明だと思われる公理を組み立てて出来上がってる
議論において反論されるということは、その自明だと思われる公理が共有されていないということ
自分が当たり前だと思ってることが万人にとって当たり前ではないということを知ることが議論のたった一つの効用 地中海で交易が盛んなるころ他所では異なった信仰や神様がいるということを初めて聞き及び
宗教や世界観に疑問を抱き始めたところから哲学は始まってるからな あいてのネット行動分析して
あいてのアタマにかけてるみたいな
アフィライフハック記事って
哲学なの?? 哲学は科学でも宗教でもわからんことを頭の中だけで考える学問 碧巌録(へきがんろく) 第5則 雪峰尽大地(せっぽう じん だいち)
本則
雪峰、衆(修行僧たち)に示して云く、 「尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟(りつ)米粒(べいりゅう)の大きさなり。
面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶(全体が真っ黒な漆を入れる桶)不会(しっつうふえ)。
鼓(たいこ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ」。
普請(ふしん):普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。
普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。
碧巌録第五則『雪峰大地撮来』
【本則】
挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。
「宇宙そのものは、実に広大無辺のものである、その広大無辺なる宇宙の全体を、拙僧が三本の指で、つまみあげると、之是、此通り米粒ほどの大きさしかない。」
○
母の納骨の時、お経をあげていただいた層に問う。
分骨したい、と思いまうが、檀家をしている和尚さんは、不可である、と断言されます。わたしとしては、母方の祖父母、も寂しいから分骨としたいのです、とお尋ねした。
同じ宗派ではあるものの、お墓は別で、こちらの墓地を得て、父方の先祖が入っている。
納骨に立ち会い、読経をしていただいたその僧が言う。お母様は、ここにある、そこに在る、と言うのではありません、お母様は、宇宙に遍満(へんまん)していらっしゃいますよ。
この言葉をいただいて、小さな陶器の骨壺を用意して少し入れて、のちに、母方の祖父母のお墓へ入れた。
この公案は、栗(くり)や米粒(こめつぶ)の大きさである、と宇宙を言うのだが、それは存在しているもの、色、で言っているのである。
すでに 尽大地が空である。クリやこめつぶ が 空である。禅は 色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。 あれは父母、兄弟姉妹ではない、わたしがあなたがたが父母、兄弟姉妹です。
(へきがんろく) 第6則? 雲門日々好日 (うんもん にちにち こうにち)
本則(ほんそく)
雲門垂語(すいご)して云(いわ)く、「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後(いご)、一句を道(い)いもち来たれ」。
自ら代わって云く、「日々(にちにち)是れ好日(こうにち)」。
注
雲門:雲門文偃禅師(864〜949)。雪峰義存の法嗣。 雲門の禅風は天子の位ありと言われるほど気高いところといわれる。
また、紅旗閃爍(こうきせんじゃく)とも言われる。 赤い旗に字が書いてあるけれど、風にハタめいているので、 読みにくいのと同じようなところがあるという意味である。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存 → 雲門文偃
垂語:垂示に同じ。問題を提起すること。
十五日:夏安居の最後の日である7月15日をさす。
夏安居(げあんご):夏の三か月の間、 僧が一か所にこもって坐禅修行に専念すること。 夏行(げぎよう)、夏籠(げごもり)とも言う。
十五日已前:雲門は夏安居の最後の日である十五日に上堂して説法した。 その時の言葉だと伝えられる。
本則の雲門の垂示の言葉は 「夏安居の修行が終わった今日から後 どのように過ごしたら良いだろうか?」 という問いかけの言葉であることが分かる。
○
一(いち)とは、色である。
一如(いちにょ、一の如し)、とは、空である。 ソクラテスメソッドから発展してアクティブラーニングが出来、
小中学校から授業に取り入れられ、成果をおさめつつある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています