デジタルトランスフォーメーション2
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デジタル庁もできて、ますます「デジタル」が注目されていますが
デジタル、そしてデジタルトランスフォーメーションの哲学的な意味を
考えていきましょう
基礎的な概念はこちら
西部邁スレ合理論のまとめ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536734463/ ヒューマニズムを称揚することで、社会は大きく荒廃した
特に日本の場合は、人を不幸にするヒューマニズム指向の文化が大きくもてはやされ
それによって人心の荒廃と論理性の衰退、そしてそれに伴う技術競争力の低下を招いた
今こそここで、デジタル化により一気にポストヒューマニズムへと進め、
この衰退、崩壊する流れを変えなければならない 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/12/19(土) 14:45:30.40 0
デジタル化によって、ヒューマニズムからポストヒューマニズムへと軸足を移していかないと
ヒューマニズムは非常に過酷
結局は独自性の競争になるので、どんどん極端化して、全体として不幸になってしまう
ポストヒューマニズムは、現代的に神を蘇らせる方向性でもあって、それが人間にとって大きな救いになる アウトローから見たら義理人情の衰退と日本の競争力の衰退が一致していそうだが。 今や義理人情が強い国ほど悲惨
不幸が蔓延しているから
まあ、日本の場合は、非常に競争力のあった日本人の「直感」が、デジタルシステムに完全に敗退した
または敗退しているという現状がある そういう直感に優れているのは
成長過程で自然との触れ合い、同年代の子供との触れ合いに恵まれていた
地方出身の学生だという見方があるね。
そういう人ほど博士課程以降に伸びるんだとか。 ただ、
学部の早い段階で変なものにハマってしまうのもそういう地方出身の学生だったとか。 書込み規制は、誹謗中傷や下劣な言葉の書込みを防止することには
何の効果も発揮しないが、対話を阻害する言論統制には極めて有効である。
なぜなら、レスを書き込もうとするまでは、書込み不能であるかどうか分からず、
相手にレスを丁寧にしようとしてよく考えて書いた言葉が、レスを実行しようと
した時点で規制されることにより、完全に無駄となり、挫折させられるからだ。
人は、自分が費やした労力が大きいほど、それが無駄に終わることを忌避する。
したがって、規制によって書き込めない可能性があるなら、最初から
丁寧な対話をしようとする努力そのものを放棄する。 ここ2日ほどは”不正なPROXYを検出”とか言われて書けなかったな確かに。 私が、この掲示板を対話のためではなく、便所の壁への独り言の落書き
として割り切って利用する理由もそこにある。独り言の書込みは、
レスがあってもなくても、それを見た人に何かを気づかせる効果を
発揮する可能性があるからである。 文化はヒューマニズム、文明はポストヒューマニズムと言えるかもしれない
文化の競争は、独自性の競争になって非常に過酷
エンターテインメントの競争は特にこれに当てはまる
ポストヒューマニズムは、結局は真と偽に収斂される構造の絶対性に依拠している
それは、真でありさえすれば良いわけで、はるかに人に優しいんだよ
そしてそれは、伝統的な神をより洗練されたあり方ということになる 真偽の構造に収斂される論理空間における絶対性ってことだね
それはヒューマニティに依存しない >ポストヒューマニズムは、結局は真と偽に収斂される構造の絶対性に依拠している
じゃあ、具体的に訊くけど、金正恩やトランプは政治家として真(正義)なの、
それとも偽(悪)のどちらに判定されるの? あ、影が薄いから阿倍前総理や菅総理のことを忘れていたw
彼らはどっちの側に入ってくるのかな 自身において矛盾があるなら、偽でしょう
自身が享受している権利を自身が否定しているなら、それは偽ですね 今までは、複雑になりすぎて人がそれを検証するが難しかった
しかし、論理空間に限定すればよいなら、ITでかなりの精度で検証可能になる
デジタル化は、それを決定的に後押しするでしょうね ところで今朝の日経新聞に京都精華大の学長のインタビューが載っていた。
合理主義や物質主義から地域や地元への回帰、人間への回帰が起きている
と語っていたが、彼は半周遅れかね。 ヒューマニズムに傾けば、不幸の蔓延が酷くなるだけ
世界の各地域を見てれば、これは如実にわかるよ まあ、厳密にはヒューマニズムが物質主義なんだけどね
新物質主義という名称も混乱があると思う
合理主義と物質主義は反対の概念と言っても良い
物質は論理空間の外側にある 物質の固有性、個性こそが文化の根本だから
文化は物質に強く結びつけられている
そして、そこにヒューマニズムは大きく密着している
それに対して、合理はもちろん、文明の基礎になるわけだけど、それは物質の固有性からは切り離されている
故に共有可能であり、一般性、可搬性を備える 日本のインターネットは非常に苛烈だが、だからこそヒューマニズムからポストヒューマニズムへの移行は
より速く進むと思う
これも、一種の加速主義だろうね 東浩紀「ヘイト丸出しの差別発言を許容する日本 上品下品の感覚取り戻すべき」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f10e155a91a8df22daf94dd7124e284d76ae64b2
ヒューマニズムの加速主義をやっているのが日本
いち早くポストヒューマニズムに移行すると思う 暗黒啓蒙なんて比じゃないレベルで日本のインターネットはすごい
暗黒啓蒙も加速主義だとすれば、日本のインターネットの加速主義は凄まじいレベルだと思う まあ、今さらヒューマニティの世界に戻って欲しくないとは思うが
そこからは何も生まれない 宮台もこういう感じで加速主義を支持してるんだろうか
しかし、問題があるのは、資本主義というよりもヒューマニズムですよ
それがこの事態をもたらしている
したがって、加速主義が解体するのは資本主義ではなくてヒューマニズムです
ヒューマニズムが解体されれば、それに乗っかっている資本主義も変質するとは思いますが まあ、加速主義を支持している人はポストヒューマン系の人が多いわけだから
これは理解されていると思うんだけど ニックランドなんか中国に移住しちゃうような奴な訳で、
右左翼的、政治的な人間というよりも、中国の技術主導主義的なものに惹かれているというのはあるんじゃないのか そもそも、なぜ資本主義がターゲットになるのかわからない
資本主義は、現状の人間に最適化されたツールでしかない
人間が変わらなければ資本主義も変わらない
となれば、ターゲットとすべきなのは資本主義ではなくて人間であるということはすぐにわかるはずだが 焦点が人間に当たるのであれば、ヒューマニズム的発想は消えないんじゃないの? 人間が変わらないとってことですね
人間中心主義、ヒューマニズムから脱しないといけない 自分は無条件的加速主義って奴に入るのかな
そももそこれは政治とは関係ないはず
ヒューマニズムからポストヒューマニズムへの移行が主題にならないと
封建主義とか資本主義解体とか、あまりにも的外れすぎる 軸足と視点の関係かな
ヒューマニズム、人間中心主義では、人間に軸足があるわけで、それを変えることはできない
つまり、人間ではなくて、人間以外のものを変えなければならない
それに対してポストヒューマニズムでは、人間以外の何かに軸足があって、したがって
人間を変えることが可能になる
トランスヒューマニズムはまさにそれでしょう そもそも、政治体制というのは目指すべきものじゃない
最適化していくべきもの
それはあくまでツールでしかないわけだから、人間が変わっていくなかで、
それに最適な政治体制も変わっていく
しかし、それを最初から決め打ちするのは、非常に高度な計算が必要なはずで、
現状ではそれは不可能なわけだから、単なる思い込みでの決め打ちということになり、意味がない 劣化してるんじゃなくて、本当の姿が現れていると解釈すべき
そして、本当の姿がわからなければ、改善すべき方向性もわからない
それが加速主義といわれる方法論の仕組みでしょう 全頭個体管理の下で投票することにどのような意義があるかと言えば、
それは、全頭個体管理を肯定しますという「自発的な」意思表示にしかならないだろう。
投票を棄権することによって消極的に拒絶を示したところで、「自発的に」肯定する
意思表示をしない個体が特定されるだけで、何も変わるわけではないが。 動物系の方法論で生きてきた人は、この流れは嫌だろうな
しかし、動物系の人は、家畜か野生動物かの二択でどちらも不幸の極みだからね
知的存在として生きる方向性に変えた方が良いと思う
今からでも間に合うよ
寿命も大幅に伸びる可能性があるからね
そんな長期間生きるように動物はできていないから、苦しくなる一方だと思う 人間は完全な民主主義を目指すために生きているのではないのか? 完全な民主主義といっても、いろいろ矛盾をはらむからな
何を優先するかというのがあるわけだが、何を優先したいの? 民主主義=善っていうのは「普遍的価値」なんじゃないの? 「民主主義なんて不要 高度に管理された社会がいい」って考え方もあるのかもしれないけど、
そんなのいう事自体許されない感じだし…例えば、例えばだけど今の日本の社会で「これは
真の民主主義ではないし自由でもない。だから社会の改革を」という人はリベラルにたくさんいるけど
「え?これ以上何を望むの??」ってたまに思うんだ。口には出さないけど。
もう、いったい何が理想的な状態なのか分からなくなってくる。 政治的には現状民主主義だが、
それぞれの不満が本当に政治に起因するかどうかというのはあるでしょう
格差が問題ならば、それは能力に応じた格差でないから不満なのか、そもそも格差の存在自体が不満なのかという点がある 政治的には、個人は、企業統治に従属して生活しているのが現実で、
重大な法律違反を個人が立証することができ、なおかつ、
裁判で勝つことが訴訟を起こす個人にとって長期的に利益をもたらす
極めて例外的な事例を除いて、個人は法律によってすら保護されていない。 在宅勤務なら自宅スペースを企業に徴用されているのと同じ 労働は、特別な場合を除いてそれ自体が苦痛の原因だからね
最終的には、非常に優秀な人以外は、趣味的な作業するだけで良くなるよ
生産性を向上させて余剰分をBIに回すような政策誘導が重要だね 労働を利権化すると、不幸が二重、三重に拡散する
まず、労働自体が不幸、苦痛の原因
さらに、その苦痛と引き換えにそれを利権化して、権力化すれば、周りにもその不幸を倍加させてまき散らす
ブラック部活と同じ構図 当然のことながら、誰でもがいつでも自らにとっての「全体」のための
最適化を求めている。その全体が、自らを命が犠牲になっても、
現生人類(「現生人類」がどのように定義されるのであれ)の
最大多数の現状の生存のための最適化を最優先するという場合でも同じことだ。
その最適化の解を求めることが可能である場合でさえ(普通に考えれば、
そのようなことは不可能だが)、各自にとっての「全体」は大きく異なり、
時と状況によって変化して不定である。その原理的に不定である「全体」
を定義する権限を誰かに預けたなら、その権限を握った誰かが、
自らにとっての「全体」に都合の良いように時と状況に応じて最適解
を求め、それを受け入れることを、その他の人々に「全体のため」として
強制することになる。 だから、共同体主義は不幸の温床なんだよ
ここまでITが進歩すれば共同体はほぼ不要だね 不幸の軽減において一番重要になるのは、粒度の細かさと精度だよ
これがダメだと、不幸は一気に大きくなる
共同体主義はこの粒度の細かさと精度を大きく低下させるからね IT技術がいくら「進歩」したところで、計算機の演算処理能力が
どれほど向上したところで、それによって金融投資活動の最適化が
実現されるわけでも、その実現に近づくわけでもないことは、
もはや誰の眼にも明らかだろう。 「理想的な金融投資活動の最適化」とは、「全体」のためにどのような
サービスや商品の生産のためにどれだけのリソースが振り向けられる
べきかの理想的な解が得られることだが、その「全体」は、上に指摘した
とおり不定である。 そもそも、デジタル化が進展すれば、人間が使うリソースそのものが小さくなる
現状では発展途上国への分配が十分ではないが、生産性の向上と個人のリソース消費の削減が同時に進むから
リソースの分配は大きな問題になることは徐々になくなるだろう はっきり言って、動物的な方法論での生存を続けようとする人自体が、不幸を蔓延させている
第一の要因だからね
富の偏在が問題になるのも、この点からだから 富がなにであるかについてすら、人それぞれで時と状況によって変わり、
不定である。家族がなくて孤独を欠乏と感じている者が、
家族と一緒に出かけたり、食卓を囲むことができることが豊かさを
表す富であると羨むこともあれば、休日まで家族と過ごさなければならず、
食事も勝手気ままにとることができないと感じている者は、
独りで自由に過ごすことのできる時間のあることを豊かさの実現
として羨むこともある。 妻や子供たちにとっての満ち足りた休日が夫にとってそうであるとは限らないし、
逆に夫にとって豊かな休日が妻や子供たちにとっての満ち足りたものであるとは
限らない。同じ家族の一員であってさえ、何が最適な状態であるかの捉え方は異なる。 合理が多様性を包括する方向に持っていく為にはグローバルの秩序を成立する事が何よりの条件
トランプ以降その傾向は強まっておりバイデン政権への移行は半ば必然的なシナリオだといえる 楽しみは虚像、苦しみはリアル
社会的課題は苦しみを取り除くことだと思う
楽しみは、バーチャルでいくらでも提供できるし、ないならないで困らない
他人に負荷をかけない方法なら、個人の好きにすれば良い あたかも全体があらかじめ規定されたものとして存在するかのように
その仮定される全体に適合するように最適化を進めれば進めるほど、
フィードバックがまともに働かなくなる。 複数の真理(各人の主観の構造)が相互影響し合っている系を想定した上で述語を持って来る
独裁者の自己言及型モデルに支配されている、つまり世界(主語)がどうであるのかは我々が社会に参与して決定されなければならない 全体の話なんかしてないでしょう
むしろ、共同体主義は不幸は高めるだけ
そして論理空間に限定するなら、計算的な解決は可能
論理空間には真偽の構造のみが存在する
全体が基準になるのではなく、真偽の構造が基準になる 日本人は、結構加速主義的な考えが好きだと思う
たとえば、何かのチャリティや寄付活動なんかにはあまり乗り気になれない
それは、中途半端にパッチワークすることで、かえって世の中を良くする速度遅らせているように感じる
今のあり方でまっすぐに先に進む方が、最終的には早く世の中が良くなる
そう感じている
それこそ、まさに加速主義の考え方だと思う 良い共同体もあれば、悪い共同体もある
それは、ある意味当たり前なんだが、良い共同体を実現するのは非常に難しく
悪い共同体はいとも簡単に実現する
それは、共同体という仕組み自体が、人間の劣悪を増幅する性質を備えているからだと思う そして、共同体あるいは全体に対して、良し悪しを評価できること自体が、
共同体あるいは全体を基準としていないということになりますね
共同体あるいは全体に軸足をおいていない
他の何かを基準として、共同体あるいは全体の良し悪しを評価している
そして、それこそがヒューマニズムではなく、ポストヒューマニズムということになりますね 紅白落選も必然だった…AKB48が急速に「オワコン化」してしまった4つの理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/761076ecd11c62b0bb408d622b614f075ae9ec75
音楽という若干ポストヒューマニズム的要素がある部分を排除して、すべて人間べったりにしたの
AKB商法でしょう
まさにヒューマニズムの加速主義ともいえるべき現象だった 音楽なんかもバッハなんかはポストヒューマニズム的な要素が強い感じがあるね
そこから、常に音楽はヒューマニズム方向に振れて、それに伴って墜落していく感じがある バッハの時代は神がいたからね
その神がポストヒューマニズムと同じような働きをしているということだね こういうのはどうなんだろうな
ドイツ人のハードロックらしくバッハの影響も感じられるが
乱数ではないんだよな
乱数では物資になってしまうからね
https://www.youtube.com/watch?v=g1MSije83oY 人間と神の架け橋となる音楽がバッハだとすれば
ポストヒューマニズムでは、人間と、ハイパーカオスの境界から派生する絶対性の架け橋となる音楽が求められるということになるかな
そこではハイパーカオスを意識させることも必要なのかもしれない 共同体は、1:9でいやな面が圧倒的に多いのに良い面しか語られない不思議があるね ハードロックというのも結構ポストヒューマニズム的かもね
1970年代から1980年代初頭まで、わりと科学技術主義が強かった時代と重なる
その後、ポストモダニズムによってすべてがヒューマニズムに流され、科学技術を否定的に捉える
脳軟化が急速に進んだ 音楽の調和音なんかは数学的な世界
その調和が精神に及ぼす影響なんかは、まさにポストヒューマニズムなのかもね
その調和の影響の美しさを神に比類して用いたのが、バッハやそれ以前の音楽でしょう
つまり、元々ポストヒューマニズム的な要素が結構あってそれが宗教音楽として取り入れられた
ポストヒューマニズムが先に来るトピックといえるかもしれない
しかし、そこに歌詞を付けて人の情なんかを歌うようになっては、もうそれは単なる毒物になる 神を崇めるとかヒューマニズムの極致で土人でもやってること
というより、土人向きの行為だね
宗教はヒューマニズムの典型だよ キリスト教の神は理性が導く先にあるわけだから、ポストヒューマニズムのハイパーカオスとの境界にある絶対性とうまく
対応している
仏教の諸行無常の中に仏を見いだすあり方もそうだが
この二つは他の宗教とは違うのかもね そもそも、ヒューマニズムの危険性を言ってたのはキリスト教だからね
この辺の部分は、キリスト教の得意とするところで、それはポストヒューマニズムとある程度
そのあり方が一致しているからだろうと思う 隣人愛を唱えるキリスト教はヒューマニズムの極致だろう
人間なんてどうでもいい、と唱える宗教でもあれば別だが 視点の対象は人間でも、その思考、判断の基準は神にあるってことだね 人間⇄神を妄想的に行き来するだけなので、所詮ヒューマニズムの亜種だよ
神は妄想、ドーキンス 信仰があることが前提
バッハも一点の曇りなく神に捧げる音楽を書いたはず 何を言った所で宗教はルサンチマンでしかないよ
その効用を問題にするのは野暮 >>70
ヒューマニズムを加速して行き着く先はブラック化だったってことだな パパ・ママ500人に聞いた子どもに就いてほしい職業ランキング、男の子1位は公務員、女の子1位は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/895e57e603957b90de8168af8e18d587bc274094
男の子の1位も大概だが、3位のスポーツ選手とかいうのは辞めろ
何にも考えずに子供を生むなよ
周囲にとっても本人とっても不幸でしかない ポストヒューマニズム、ボストヒューマンはバズワード的な感じになりつつあるね
『現代思想』も積極的に取り上げてきたからね
しかし、思弁的実在論とポストヒューマニズムの関連性が今一わかりにくいところだと思う
そういう人は>>1のリンクを読んでくれ 自分が「ポストヒューマン(と同等)」であると無意識に錯覚してしまっている論者もいそうだね。
言う事が完全に想定ポストヒューマン目線とか。 ポストヒューマンの視点から、いろいろなものを批評できる
天気の子をポストヒューマンの視点から批評している記事もある
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_d4580589-dd03-4845-af73-ce06ffc16fa4.html
これをポストモダンの視点から批評すればまったく別ものになるでしょう
まあ、今さらにそんなことをしても社会の害になるだけですが
ここからさらに、ポストヒューマンの視点から制作される作品群が多くなることを
期待したいですね ここで問題になるのはポストヒューマンと既存の人間性の調停ですが、
この部分については正直、わからない部分は多いですね
現状では、ポストヒューマンに傾くほどよい影響が得られるのは確かだろうと思います
これがどこまで続くのか、両者が均衡するポイントはあるのかが焦点になるわけですが
加速主義に耐えうる均衡点がどこになるのか、あるいはそれは存在しないのかという部分ですね まあ、この分野は検討すべき項目が膨大にありますので
哲学系、思想系、クリエイティブ系を問わず、多くの人の思考と議論が
求められているところだと思います もちろん、ビジネス系の人たちの思考と議論も求められるはずです
ポストヒューマンを推進するエンジンとなっているのは、IT系を中心とする
ビジネス系の人たちであることは間違いないところだと思います ポストヒューマン。遠い未来の、我々とは全く違う存在であろうポストヒューマンを
まるで「俺の価値観・思想の忠実な後継者」のように考えている論者が多いと思う。 理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20210103-00215871/
理不尽なのは、校則じゃなくて、集団化の強制だよ
この手の識者って頭が非常に弱く、引っかき回して余計問題を悪くする そもそも、頭がほとんど回らないくせに、なんで上から目線の立ち位置に
立ててるのか
バカの立場が上がってしまう既存の仕組みそのものに大きな問題がある 「バカ/賢い」の定義、「個人でありたい・自由でありたい・平等な社会でありたい」てのは
現在までの我々が育んできた価値観だ。
ポスト・ヒューマンとやらには関係のないことじゃないの?何故託そうとする? まあ、結局自分の頭で考えられない奴が上に行ったら、他人に大きな害を及ぼすということだね >>97
もう1mmも自分の頭を動かさないって感じだもんな
まだ宮台とかの方が共同体主義のドグマが抜けないけど、自分の頭で
考えてるだけましなんだろうな 結局、喜びの追求が腐敗と不公正を引き起こす根本原因なんだよな
これがヒューマニズムが不幸をもたらす根本原因なのかもしれない
喜びというのは、生物・動物としての本能以外の何ものでもないから、
それを基準に動くことは、まさに生物・動物として動くことにほかならない
そうなると、生物・動物と同じ苦しみがそこに付いてくることになる まあAKBに限らず、今の音楽は歌詞の情しかないわけで、これほど純粋な毒物はないのかもしれないな
AKBの場合は加速主義的な感じはあるが しかし、現状では、ポストヒューマンという確かな方向性が定まりつつあるから
その方向性と現状の人間性を架橋する仕事をすれば、音楽や芸術でも
まだ良い作品を残せる余地はあるかもね
音楽なら、>>73のようにハイパーカオスとの境界を意識させながら、
その絶対性を感じさせることが出来れば、良いものを創れる余地はまだありそう 2021年、AIには何ができて、何ができないか
https://wirelesswire.jp/2021/01/78495/
>ところが真の芸術というのは模倣できない。全く模倣する方法が見当もつかないのが漫画やアニメといった芸術を扱う人々だ。
そちらに行くと、結局は全体として不幸と苦しみが蔓延する
個性競争に意味がないことは直感としてわかると思いますが
この点はデジタルトランスフォーメーションからポストヒューマンに向かう重要なポイントです
固有性を有するのは物質であり、そこから離れる方向性がポストヒューマンです
ここがわかっていないと、本質はつかめない
冷静に考えれば、個性競争ほど無意味なことはないわけです
苦しみを生むだけです 個性競争というのは、結局は多様性によって乱数的に淘汰を生き残ろうとする動物のやり方で
知的存在から見れば到底受け入れがたいやり方ですよ
一将成りて万骨枯るってことですね まあ、結局人間の今までのあり方が根本的に変わるってことですね、これは
人類が誕生して以来、いや動物・生物が誕生して以来、最も大きな変化ということになりますね
非常に大きな変化です
これは、絶対性が生物・動物である人間から、認識者・知的存在へと移行することによって
生じる変化と言えます ポストヒューマンが芸術と言う概念を引き継ぐと、どうして思えるのですか? 啓蒙としての芸術の役割は現状あると思います
しかし、ポストヒューマニズムにおいては芸術そのものの価値はなくなるでしょうね
これは、他のエンターテインメントも同様でしょう
楽しみそのものが、それを倍加する苦しみを生むわけで、
それでも楽しみを取ることを選択する人は徐々に少なくなる
ただし、啓蒙のような楽しみ以外の役割もある場合には、それを越えて選択する
価値はあるわけですが、啓蒙は一時的な役割ですからね 結局は、当面は個人的な充実感を求めるしかないと思う
これは、身体的な鍛錬か、思考的な鍛錬ということになるだろうね
ジョギングやトレーニング、あるいは思索、学習などを継続的に続けること
両方をやるのが望ましいだろうね 東京は2400人超えですね
変異株の可能性もありますし、そもそもイギリスのように精査している国で見つかるということは
他の地域でも独自に変異株が誕生している可能性は高いです
やはりいろいろ変わってきそう
もう元には戻れないのかもしれませんね まず変異株でなければ、徹底的なロックダウンで押さえ込めます
ドイツやフランスでも現状はロックダウンで減少する
これをやるしかないでしょう もう全国の新規感染者数が1万人目前ですので、もはや欧州並みの水準であり
したがって同様の措置が求められると思います 人間が動いてどこかへ行って何かをするというのが根こそぎ裏返されるってこと? その可能性はあると思います
ビジネス目的ではすでに旅行の目的はほぼなくなりつつありますし、
そもそも観光は面白いですかね
というか、そういうことに面白さを求めること自体が間違っているのでは?
これも、多様性の名の下に最適化から外れた方向に特攻させようとする
動物的な方法論で、一将成りて万骨枯るじゃないですかね 募金をしたりボランティアをする発想はないが、
最貧国にまでもインフラを届けたい思いならある 親が用意してくれる衣食住に乗っかって、ネットのおかげで
中年の引きこもりでも満たせるマズローの上の方の欲求 ネットを介してわらしべ長者みたいなことも起きているしな。 根本的な転換が必要なんですよ
特に、ヒューマニズムを煽って一山当てようという活動はすでに害悪しかなくなりつつあります
無意味な活動は辞めてリソースを節約し、その分をBIとして還元していくことが当面は良い方向性だと思いますね
その意味でこのコロナは今後の正しい方向性を示唆しているように感じます 最終的には不動産すらデリバリーされればいい、くらいを目指せば
人類社会変わるかも 物質的なものは徐々に必要なくなっていくと思います
不動産なんかは、まったく複写不能ですから、物質の中でも特にデジタルトランスフォーメーションとは
相容れない
価値が徐々になくなっていく代表的なものの一つでしょう 「デジタルが凄いのではない。共産主義が凄いのだ」と言ったらどうされますか 先天的に持っている平等の観念と、悪平等を癒すデジタルがうまく合わさってないとな はい、それです
リアル共産主義が滅ぶのとだいたい同時に生まれたデジタル 労働に価値などないので、共産主義はまったく的外れですね
それに物質の共有など不可能ですからね
まず、労働主義、そして物質主義、さらに共同体主義である点が違いますね
共同体主義は、粒度を低下させるだけです
すでに、システム的に十分なビット数で個別対応が可能ですから、
一緒くたな処理を求める共同体主義は人々を不幸にするだけですね
最終的には収束方向に向かうとしても、それぞれの出発点は違いますから
そのルートも違います
それを無視すると、人々の不幸は大きく高まってしまいます なんなら共産主義は取り下げてもいいんです
非資本主義通信網 そうしてください
そして、現状で言えばオリンピックもかなり問題ありそうですね
これはすでに物質主義の利権の象徴のような仕組みになっていますからね
このようなリソースの浪費は、無意味な乱れ、波を作って、それによって
多くの人が不幸になります
ヒューマニズムの喜びを実現するには、他の人が不幸になる必要がある
それはあらゆる状況に当てはまると疑っています インターネットは資本主義の外にあって、それは共産主義とも違う? ポストヒューマンというのは、むしろ人間性の疎外を是とするからね
ヒューマニズムである共産主義とは、表面的に似ているところがあっても
その根本がまったく違うと思う 伝達できるものが情報に限られるといっても、
情報はたぶん物理的には海底ケーブルとか通信衛星とかを介しているはずで、
それが資本主義とも共産主義とも違うのなら凄いことです
「モノも同じやり方で流通できないか」と考えるのは自然なことです できないです
物質には固有性と超越性があります
物質に執着する限り、固有性の競争は必ず起きますね 以下を参考にしてください
これは非常に根源的な話です
547 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2021/01/08(金) 08:38:44.28 0
後は二元論の話だね
メイヤスーの言ってる死者がよみがえる云々は、結局は論理空間の独立性の
話になると思う
論理空間は、物質から独立して存在しているってことになるね
それが意味するのは、直接的には物質が論理空間を支えているわけだけれど、
しかし、どのような物質が支えていても、あるいはそれがこの宇宙ではなく、違う宇宙の
場合ですら、同じ論理空間が存在し得るということ
このことが、死者がよみがえるという話につながっている
548 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2021/01/08(金) 10:36:51.86 0
要するに、論理空間には独立性があるってことですね
これは、深く考えてみると、とんでもないことですよ
その一例が、死者がよみがえるという話になるわけですが 素人考えだけど物流も通信プロトコルを参考にすればいい まあ、物質の扱いを効率化することで、物質の影響が少なくなるというのはあるかもしれません
物質の影響を少なくすることが、デジタルトランスフォーメーションの本質的な意味ですからね ゆっくり運ぶほど、まとめて運ぶほどいいんだとして、問題は料金 世界で最も成功した社会主義国とまで言われた日本の復活の狼煙ですらあるかもしれない 共同体主義は人を不幸にするだけですね
社会主義も共同体主義ですから リベラルーコミュニタリアン論争は、後者の勝ちだったそうだが、
そういう状況に挑戦している感じだな。 だって、共同体のきれいなことしか言わないからね
現実を見れば、まったく違うわけで 共同体と言っても、国内物流コストの点で一番有利なのはもしかしたら
日本かもしれないという思い付きを話しているだけです さらに、戦争も差別も、世の中の悪の大半は共同体の仕業ですからね
人は群れると、基本的にろくなことをしない 物流において、ゆっくりまとめて運ぶという選択肢に対して、日本は
協力が得られやすいか得られにくいかで言ったらどちらでしょうか なんか新幹線で鮮魚を運ぶなんてニュースを見てたら、
ゆっくりじゃダメっぽいね。消費者がイラチなのか。 運ぶべき鮮魚がなければ新幹線は発射しないなんてわけでもないでしょうに なにもコンテナが満タンになるまで出発するななんて言ってない
定期便のあるルートならその時ある荷を運べばいい ごめんなさい物流の素人が思いつきで書いてしまって。 >>135
メイヤスーは思弁的唯物論と言ってるから、論理空間について特別視していないと思う
ここが議論がおかしくなる理由なんたろうな
死者がよみがえるというのは、論理空間の観点からも非常に面白いんだが、
論理空間について特別視していなくても、付かず離れずの面白い議論になっている
彼のたぐいまれな知性が、力技で真理に近づくことを可能にしているんだろうか そもそも、郵便が全国一律料金だったり、
鉄道が混んでる時間帯でも空いてる時間帯でも同じ料金だったり、
その一方で固定電話は遠距離ほど通話料が高かったりした
なぜ?そうでなくせばどうなる? 電話に関しては遠距離ほど回線の敷設コストを回収する、
ということだったんでしょうか 実は勘違いしてたんです
荷物をコンビニ受け取りにした方がいいのかなみたいな勘違い
そうでなく、末端ほどトラックでよくて、
いかに基幹部分を船舶や鉄道でやるかが課題 ここでは、デジタルの話か哲学の話をしてください
スレ違いのレスを続けるのは読む人の邪魔になります 小さい人間だなw
しかも、デジタルとも関係した話であることも分からない
小さい脳の持ち主のようだw 単なる効率化の話でしょう
少なくとも哲学的な話につながるように展開してください インターネットという、明らかに成功している通信網は、
プロトコルスタックというもので動いています
物流や色んなことがそれを参考にできないかという話を
一生懸命してます 俺の興味は、そういうたぐいの通信網なり物流網なりの「料金の決まり方」です
アダムスミスでもマルクスでもいいんでそのへんを知りたい それなら他の場所でどうぞ
ここは哲学的にデジタルトランスフォーメーションを考察するスレなので、それに関連するなら
ここに書き込んでください マルクスの見たアメリカ、みたいな話にはならないわけですか マルクスはアメリカについても書いてたってか新聞の記事を執筆してたんじゃなかったか。 革命は20年くらい前に主にネット内で起こったという捉え方はおかしいですか 革命の立役者、団塊ジュニア世代はオウム真理教なんかよりもはるかに
真理に対するセンスがあった。ただ理想を現実に生かしにくかった 子供を作らなかったし、地味に左翼運動っぽいこともしてきてるし。 このデジタルトランスフォーメーションのスレ主はAIにもITのもあまり通じてなさそう
だし、プログラムさえ組めなそう。なんかできる言語あったら、言ってみて
話が噛み合わない理由がそれで分かるから だいたいITに通じている奴がIT音痴の西部合理論とか意味不明なつなげ方
できないはずだ。 ヒューマニズム批判、人間主義を批判する
って感じだからなここのスレ主は 池上高志とか持ってきてデジタルトランスフォーメンションなら分かるけど、
手書きの保守思想家、西部邁では、ずっこけてしまうよw 西部邁は西部邁で国家や伝統や経済学の突破とかいう形で重要だけどな。 現状ではデジタルトランスフォーメーションが共同体を解体し、ポストヒューマニズムへと導く
主な要因となっているということです 西部邁はデジタル嫌いの人間だ思うよ
パソコンさえ嫌いな人だったんじゃない
そんな人の名前とデジタルをくっ付けるのは滑稽だよw 西部が評価している三島由紀夫もそうだけど、保守や右翼は伝統を重んじるので
安直な近代化や歴史を断絶するテクノロジー社会には反対の立場になるはず。
バーグがどうとか、西部が言ってただろう
だから、君はこの点で、ずいぶん、おかしいよ 思想はネットワークを通じて拡散可能でしょう。
amazonのkindle版で著作が売られているし。 デジタルは国境どころか地球を超えましょうの世界だから、
それと愛国者や保守主義者と繋げるのは確実におかしい。
デジタルトランスフォーメーションならイーロンマスクと繋げる方が妥当。 伝統なんてすぐ断ち切られるしな。
だからこそ伝統重視なんだよ。
もっと言うと、
資本主義の行き過ぎを批判するんであって、資本主義をやめようとはならない。 なんか苦しい詭弁とレトリックでいつものように誤魔化すよね
なに、kindle 使って、あの滑稽な西部の保守思想を世界に伝えるのが
君のデジタルトランスフォーメーションの目的なの?w ネットを通じて保守主義者と共産主義者と現状維持支持派がその言説で以って
対等な扱いになるんだよ。現状維持派が無視できなくなる。 >>184
滑稽ってほどでもないでしょ。
ああいうのがなんやかんや言って上の方の世代の常識でしょ。
わたしらは上の世代との違いを認識するために西部の本を読む。 まあ、何度も言うけど、デジタルと保守思想は一番相性が悪いはず。
小林よしのりは、テレワークなんか自分にはできないと言ってたけど、
そういう感じだ。トランプは上手く使った方だ、結局、永久垢バンされた >>187
西部のシンパがamazonで売れる本を書けばその思想は受け継がれる。
紙媒体のネットに上げる気もない同人誌で完結すれば広大には伝わらないけど。 後代と書くつもりが広大となってしまった。
まあどっちでもそんなに変わらないけど。 >>189
評伝-西部邁-澤-秀次/dp/462032616X/
これなんかシンパが書いたやつじゃないの
俺は読んでないけど ていうかアマゾンの文字列ってNGワードなんだな。
昔は違ったのに。 西部さんの表面的な思想には賛同しないですね
合理主義者としての西部さんには影響を受けましたが まあ、コミュニタリアンはリベラリズムに学問論争上勝ったけど、
デジタル技術の発達に伴って、ネットワーク上の分散した
言説の波に飲まれる感じになってるだろうね。
ヒューマニズムとコミュニタリアニズムの関係性自体は
もっと突っ込む必要があると思うけど。 西部邁とかデジタルトランスフォーメーションと一番、関係性の低いことで、
前の方でしてた物流の話の方が余程、スレの趣旨に適っているよ ここではデジタルトランスフォーメーションの話をしてください
>>1のリンクは西部邁とありますが、実質的にはデジタルトランスフォーメーションにつながる論拠となる内容です たとえば、俺がデジタルトランスフォーメーションのスレ立て、そこに
竹内結子を噛ませていたら変なように、西部邁もそれと同様に変だよ 物流は興味あるけど
【ロジスティックス】物流を哲学する
とか書いて別のスレを立ててくれてもいいんだよ。 >>1のリンクでも、共同体主義については終止批判的に考察しています
現実を踏まえて言うならば、人は集まるとろくなことをしない
これにつきますね 西部邁が合理主義社会というのも初耳だし
逆じゃないか?薄っぺらな合理主義社会を批判するのが保守思想家だろう まあ、西部さんについては>>1のリンクでは批判的でしょうね
彼自身の根本の思想と表面の思想に食い違いがある
その根本の思想に忠実になってほしかった 三島をあれほど高く評価した西部邁が合理主義者のわけがないんだよね
三島は戦後の近代合理主義みたいなのを痛烈に批判した人間なのだから
空っぽの生命至上主義も批判した 主流派経済学、金銭に関して合理主義なだけの学問は批判していたと思うが、
それ以外の面での合理主義は否定していないんじゃないか。
西部邁は社会的共通資本で有名な宇沢弘文ともツーカーの仲だったそうだよ。 人は群れるとろくなことをしない
この問題を解決するのがデジタルトランスフォーメーションですね そもそも、最初から最後まで合理的なものは何一つないですからね
経済学で言うならば、市場の不合理性について>>1のリンクで触れています
むしろ、不合理性こそが、価値を決定する
これは、メイヤスーの偶然性が絶対性を持つという話と同じだと思いますね デジタルでも群れることはできる。SNSの集団リンチで自殺とか日本でも
しょっちゅう起こっているじゃん、女子プロの木村花さんとかさ
生徒のいじめなどLINEで始まってるだろう
群れるとろくなことはしないでなく、人間は基本ろくでもないが正解 もちろん、それを踏まえたうえでの合理性重視ということですが >>206
それはその通り。
mixiとかみたいな5ch以上に閉じられた空間もあるしな。 なら、ろくでもない人間に任せるよりも、AIやロボットに任せた方がいいだろう
というのがDX化のメリットの一つ。人間のランダム性をそれで制御しましょう、と
忖度する低脳政治家より、一般意志を実装したAIに政治をゆだねよう、という
発想になる。 西部さんがすべきだったのは、経済学を批判することではなくて、
そのあり方を分析して、洗練を加えることだったはずです
人間が最も恐れるべきなのは、乱数、不合理であって、無条件の合理批判というのは、単なる批判されるべきポストモダニズムですね マクドナルディゼーションは関係ありますか
20年くらい前の言葉ですが ファスト風土化する社会とかあったよな。
で、余裕のある人間たちはスローフードに走った。 ぼらなきゃ良いものなのに、というか、
ファストフードなんてむしろ支援物資ですらあってほしい ファストフードは栄養の点であれだけど、チェーン店は良いというか、チェーン店の方がよいでしょう
個性競争は人を不幸にしします 競争が意味を持つのは経済文明社会のみである
ひとは数十万年単位という遥か膨大な時を石器時代で過ごしたが
そこでは個性など生活の彩りでしかなかった 人間と自然の関係性に関して言えば、
人間中心主義というよりかは人間に都合のいい面ばかり切り取られて生活して来たのが、
最近になって異常気象により自然の脅威に慄いていると言った感じか。
強がりな者は温暖化なんてそんなもんwと一笑に伏すが、そうもいかなくなって来ている。 >しかし、自分の天賦の才をひそかに喜ぶことができず、それを行使するに
当たって自らがその報酬をうるのではなく、まず他人が為しとげられたことを認め、
それを正当に評価してくれることを待ち期待する人は不幸な状態におちいる。
なぜなら、人間というものは喝采をおくることをしぶり、称賛を惜しむどころか、
できさえすれば、称賛を非難に変えるものであることは、あまりにも
よく知られていることであるからである。このことを覚悟せずして世に出る者は
憤懣以外のなにものも期待することはできない。<
ゲーテ著、山崎章甫訳、『詩と真実 第三部』、pp.337-338 この訳者の日本語にはかなり癖があるというか、かなりイデオレクト的な
表現が含まれるようだけど、編集者は手を入れないんだね。 人と人の間柄も、ワイワイガヤガヤ自他の区別もないぐらいふざけた感じで
飲み食いしているとコロナに罹る恐れがある。
主体性を持って相対しないといけない。 「新型コロナウイルスと畜産農業関係者」|食環研コラム ...
コロナウイルス病として豚では「TGE(豚伝染性胃腸炎)」や2013年以降猛威を振るった「PED(豚流行性下痢)」などが記憶に新しく、鶏では「IB(鶏伝染性気管支炎)」、牛では「牛コロナウイルス」が存在し、その他では犬、猫、馬、 ... >>219
>天賦の才を密かに喜ぶ
例えば、ゲームでハイスコアを出した時みたいな喜びかな、これは
また、頭脳を回転させることで得られる喜びというのもあるが
体を動かした後の喜びもあるだろう
しかし、喜び自体が動物的な分泌物に依存する感情で、微妙すぎる
喜びに頼らないモチベーションをどうやって作っていくかというのは、大きな課題に
今後なるだろうと思う 日本はポストヒューマンの観点から世界の先端を取らないと
先進国の地位を今後維持できないと思う
というよりも、もともと、日本が先進国の地位に立てたのは、他国よりも
ポストヒューマン性が高い土壌だったからだろう
しかし、ITの進歩で他国のポストヒューマン性が部分的に日本を上回る状況
が生じてきて、それが日本の地位を脅かし始めている まあ、規模の大きなシンガポールみたいな感じになれば
かなりの盤石性が得られると思う
それで人々の不幸度は大幅に軽減される
その代わりに喜びも少なくなるが、それがそもそもそれが元凶だからね 結局、ポストモダニズムに流されなかった国が大きく飛躍している
シンガポールはその代表格だろう
ポストモダニズムに流された国は大きく荒廃した
その筆頭がアメリカだね >>219
密かな喜びというのも、昔のようにそれを隔離できないからね
ネットバッシングみたいに、今はそれが密かなものではなく、外にダダ漏れして
全体を巻き込んでしまう
デジタルトランスフォーメーションでは、内面からの変革が求められる
喜び自体をなんとかしないと、不幸はなくならない シンガポールはポストモダニズムに流されなかったというだけで、ポストヒューマンを
意識しているわけでないからね
ポストヒューマン性を意識的に先取りしていく人、地域、国が誰の目にも明らかな形で
良い状況になるだろうと思う 結局、物流に関しては、
黎明期のインターネットのように「まだなかった」ものではなく、
主にトラックを頼ったものが「既にある」というのが一番の違いですね シンガポールも貧富の差が大きい国だから微妙だと思う。 貧富の差というか、心根の悪い人間がその報いを受けるのは必要だと思う
そうしないと、良い人間ばかりに負担が行って、悪貨が良貨を駆逐する状態になる
その心根の悪い人間をあぶり出す働きもデジタルトランスフォーメーションにはあると思ってる 心根の悪さを数値化して罪を犯していなくても矯正する義務を負うべきだな
学校で学級崩壊みたいなことになるのもモンスターペアレントへの弱腰、体罰の否定など
教師を萎縮させるような縛りを増やすから
結果的には真面目な生徒が損をするだけという状態になってる 体罰なんて論外だよ。
最近では学級崩壊というより校内暴力が問題になっていた。
暴力で支配すると子供が真似るからダメ。 体罰なんて論外だよ。
最近では学級崩壊というより校内暴力が問題になっていた。
暴力で支配すると子供が真似るからダメ。 誰かが罰を与えるんじゃなくて、心根の悪い奴は勝手に報いを受けるような
仕組みが求められている
デジタルトランスフォーメーションは、それを可能にすると思う
結局は、心根をすべてさらけ出させてしまえば、それに応じた報いを勝手に受ける
今まではそれを隠すことが可能であったから、悪人が隠れていたわけで >>236
凄惨な状態に照しても論点先取した感は否めない
猿山のボスに成りたいなら、なれば良いとは思う ネット炎上参加で勝ち誇る人への大いなる疑問
指バッシングが自己確認の儀式になっている
https://toyokeizai.net/articles/-/393554?page=4
そもそも、そういう内面を人々は抱えていて、それがネットによって
表出しているということでしょう
これも加速主義ということになりますね
ネットは加速主義と相性が良いと言わざるを得ないと思う エンタメ業界なんかいらんだろ
つまらん喜びと引き換えに巨大な不幸を生成してるだけ 東京五輪 海外紙中止言及相次ぐ 理由に「開催国のサポート喪失」と米ブルームバーグ
https://news.yahoo.co.jp/articles/29035a4e8d73cb57fb337d5ffcb351e136b0d4ff
こんなイベントは中止でいい
ポストヒューマニズムにまったく相反するイベントで、大して楽しみもないのに
巨大な不幸を招くとんでもないもの
こういうのは二度とやるなと言いたい アホみたいなヒューマニズムに乗ってるとますます人心が荒廃するぞ
先進国は意図的にポストヒューマニズムを意識しないと、良い方向に行かない 今の年寄り世代がダメなんだよな
物質的欲望が強すぎる
まじでバカじゃないかと思う感じ 物質的執着が強い論理系だと、メイヤスーが言うような
論理系の再現、蘇りがあっても、また苦痛なだけの人生だよ テストステロンという物質をエンジンにしてるから
バカになる
ヒューマニズムをエンジンにしてると、動物の世界から抜けられない コロナは当分収まりそうもないな
そもそも風邪だから、風邪に効くワクチンなんかできない
毎年変異していたちごっこだろう
これは、年寄りは、体の健康を意識的に維持している人以外は、どんどん死んでいくのかもしれないな
自堕落な生活をしている人は、厳しい 有望な投資先を見つける
たった1つのキーワード
https://diamond.jp/articles/-/257326
以前、ある投資家の集まりで「今、車が欲しい人はいますか?」という質問をしたところ、3割くらいの人が「欲しい」と手を挙げました。
車が売れなくなっているという話を聞いたことがあるわりには、「意外に多いな」という印象でした。
そこで、「具体的に欲しい車種は?」と聞いてみると、フェラーリ、マセラティ、メルセデス・ベンツ、ポルシェなど、高級外車ばかりでした。
つまり、今、人が真に求めているのは、ブランド品を身につけて得られる「感情」ということになります。
こんな金持ちは、精神的にこれからの世の中を生き抜いていけない
デジタルトランスフォーメーションがパージするのは、まさにこうしたアホな感情
それは、容易に自身の苦しみとしてはね返ってくる性質のもの
もし、精神的に余裕があるなら、自分なりのミッションを見つけなければならない
まあ、アホの見本市みたいなのが有望な投資先になるわけもないですね 外車乗ってる人間って、自分勝手な運転するクズみたいに
思われてるのに、高い金払って蔑まれることを選択するとは 素性明かさず大ヒット 匿名アーティストが語る「匿名の理由」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0912a35465a164910f34198e088fe823bc3b9dd5?page=1
ポストヒューマニズム的な現象だね
これは非常によくわかる
もともと、音楽にはポストヒューマニズム的な要素がある
あとは歌詞なしになれば、なかなか面白いポストヒューマニズム現象になる まあ、歌詞はあっても良いけど、小室哲哉みたいなわけわからない歌詞だと、
ポストヒューマニズム的な感じになるかもしれないな 歌詞の場合も、ポストヒューマニズムへの啓蒙的な役割はまだ残されてるかもね
もともと音楽自体、ポストヒューマニズム的な要素が強い
そこに、歌詞でポストヒューマニズムへの啓蒙を図れば、かなり強力かもしれない それから、ここらでトランプ現象について総括しておくと、
彼らはあまりにもハチャメチャすぎた
これは、トランプ自身がハチャメチャな人間なので、それに引っ張られたとも言える
この現象でニックランドの加速主義なんかも取り上げられているけれど、
全体的に認識、理解レベル、洞察が極めて低い
加速主義の終着点はポストヒューマニズムになるはずで、ヘンテコな共同体主義では断じてない
そんなものは、共産主義と同じ脳が足りない選択で、実際脳が足りないのは明らかだが
まあ、知能が足りない人たちがトランプ主義者になっているので、どうにも当然の帰結なのかもしれないが、
彼らの情念を救うには、きちんとしたポストヒューマニズムへの道筋を付けることができる
有能な哲学者の存在が求められていると思う 748 名前:考える名無しさん 2021/01/25(月) 11:23:41.07 0
自分が有利な時は傲慢だけど、自分が不利になればルールを変えようする
750 名前:考える名無しさん 2021/01/25(月) 11:35:10.12 0
>>748
だから社会では全く通用しないのさ 感情に軸足を置いてはいけないんだよ
それをやると、感情の連鎖がどんどんエスカレートしていく
それは、感情の劣化ということもできるかもしれない
感情を基準に感情を評価するってことだね
それは、容易に発散してしまう
感情を基準に何かをするならば、それを後押しすることになる
だから、感情を基準に投資するという行為は、社会をよくしていくものではなく、
したがってそれは最終的には割が合わないだろうと思う
そしてこの軸足、基準を人間の属性以外で見つけることがポストヒューマニズムということになるね 人間の属性以外ではなくて、人間固有の属性以外ですね
結局は、認識者としての絶対性がこの基準になります
もちろん、人間も認識者ですから、この基準を共有します
ただし、この基準は、認識者であれば、動物であろうとAIであろうと宇宙人であろうと共有します
つまり、人間固有の属性ではないということですね そして、>>253の記事は、ポストモダニズムの立場からすれば
もっともだということになります
むしろ、ポストモダニズムの影響を受けた立場とすら言えるかもしれません
そして、ポストヒューマニズムの立場からすれば、>>253は否定されます
このように、根本的な世界の見方そのものが、個々の具体的な状況について是非の判断
を変えることになるわけです >>260のアンカーは間違いで
>>253の記事ではなくて、>>251の感情への投資の記事についてです まあ、人間として恵まれた後の考え方だな。
恵まれない層に注入すると修羅になってしまう発想だ。 自身の属性的に恵まれない層については、技術的な底上げが入ることが想定されています
なんせ、ポストヒューマニズムですからね
ただし、何を基準にどのよう方向性に底上げするのかというが問われるわけで、
そこで哲学的な洗練が今以上にはるかに強く求められるはずです トランプが新党を立ち上げればアメリカの第2政党になる
https://www.newsweekjapan.jp/sam/2021/01/2.php
こうなってくるとアメリカの分断は決定的になる
そうなれば、「現代」は終了の危機に瀕する
これを救うのは、もはやポストヒューマニズムしかない
科学技術の進歩は、今やそのスピードが問われる状況かもしれない 若者から正しさを奪う大人。レッドブル「くたばれ正論」広告について
https://www.newsweekjapan.jp/mochizuki/2021/01/post-3.php
非常に良い記事ですかね
間違っているのは正論ではなく、大まかな議論を行うことです
大事なのは常に粒度、精密さ、きめの細かさです というよりも、議論の抽象性と適用範囲の大きさが対応していること
というべきかな
具体的な議論になるほど、一般的にはその適用範囲は小さくなるはずです、 だから、これには呆れ果てた
日本の子どもたちを苦しめる「生きづらさ」の本当の正体
吉本 隆明
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75559
こんな具体的な話は、適用範囲が非常に小さくなるはず
哲学者もどきの人がこれかと、あまりのレベルの低さに驚いた 共同体がまともに機能するには、その成員すぺてが善人でなければならない
したがって、共同体主義はそれを前提とすることになる
しかし、この前提がまったく正しくないことは誰の目にも明らか
それでも、共同体主義はこの前提を押し通すしかない
その結果、どうなるか
悪人が善人を搾取する共同体
あるいには、善人が結束して、悪人を激しく排撃、差別、除去する共同体
このどちらかが出来上がる
どちらも不幸でしかない
結局は個人主義が正しいというほかない 個体としての在り方を問題にする以外にはないという点でスレタイにも繋がってくるな 共同体主義が加速すると、ヒトラーとかポルポトとかになっちゃうんだよな
これからすべてが加速することは避けられないから
共同体主義はもう生き残れないだろう ポルポトについては、今まで単なるキチガイだと思っていたが
ここまで思索を深めると、なるほどと彼の考えていたことがよくわかる
まさに、共同体主義が加速したと言うしかないが 要するに、加速主義というよりも加速現象というべきなんだろうな
誰もそれを主義として持ってるわけではないが
デジタルトランスフォーメーションの結果として、すべてが加速してしまう
そして、そうした「現象」こそ、ポストヒューマニズム的ということになるな >>269
民主主義ってのは結局のところ多数派の善であって共同体主義ってのが実態なんだが
その対案は当然用意してあるんだろうな? これからすべてが加速することは避けられない
それがデジタルトランスフォーメーション
その中でできることは、この加速に耐えうるものは何かということを考え、それを見いだすことだな
まず、それが個人主義の方向性であることは確か
粒度、緻密さ、精密さが求められるわけで、それは個人主義でしか実現しない ちなみに君は、台湾の天才プログラマー大臣のオードリタンと逆のことを言っているよ。プログラム一つとっても共同で作るもの。
個人主義なら君1人で家やビルを建ててみてよ。個人では誤謬のリスクがあるから
間主観性によるフィードバックは求められる。
たしかに共同体主義は時代遅れだけど、個人だけでも限界はあるよ 台湾の人が天才かどうかは知らないが
誰が言ったかではなく、加速現象に耐えられるものは何かというのは
デジタルトランスフォーメーションが進むにつれて、誰の目にも自明になっていくだろうと思う 結局は、人間だけでなく、動物やAIや宇宙人も含めて、すべての認識者が共有する
絶対性がある
この絶対性を見えなくするのが、手前側のノイズなんだが(向こう側はハイパーカオス)
このノイズをなくすのが、デジタルトランスフォーメーションで、それによって
そうした絶対性への収束が加速するということなんだろうと思う さらに言えば、この認識者とはデジタル的存在に他ならないので
デジタル情報の断片であるウイルスですら、この絶対性を共有するということになるね
つまり、コロナウイルスもこの絶対性に従って活動しているわけです そのことと、デジタルトランスフォーメーションが真に持つ意味というのも
またつながってそうだが、それもおいおい考えていこうと思います むしろ今は近代という時代を推し進めてきた個人主義に限界が見え始めた局面だと思うんだが まあ、それぞれが好きにすれば良いと思いますが
すべてが加速するので、それが加速現象に耐えるものかどうかというのはよく考えるべき
まあこのこと自体個人主義ですね >>274
ここまで考えればわかりますが、その共通善というのは、認識者すべてが共有するものだろうと思う
それを人間の共同体に紐付ける意味はあるのかと言うことですね
おそらく、加速現象の中で、その歪みが暴走することになると思いますが
それがヒトラーやポルポトでしょうね この加速を抑制してきたのが社会のノイズなわけですが
このノイズを取り除くのがデジタルトランスフォーメーションということになるでしょうね
したがって、デジタルトランスフォーメーション=加速主義と考えても良いと思います >>283
だからって現実に個人だけで成り立つことはないでしょ
という話をしてるんだが
政党政治から地域の連帯まで全ての個人を共同体から切り離すことは不可能だ
極論を並べるだけで悦に浸って
現実可能性のないことを言わないように 民主的な決定が普遍性を持つことなど有り得ないのだからそれは結局、多数派の正義でしかない
直接民主制にせよ、代議士を通さないというだけで結局、多数決でしょう
社会ってのは個人の集合でコミュニティなんで切り離して考えることはできない、他になにかありました? しかし、加速現象が進む中で、あらゆる共同体は腐敗すると考えています
これは、あらゆる共同体です 「君たちはどう生きるか」にも、この世は協働で成り立っていると述べているよ
オードリータンも同じことにアクセントを置いている
前者の作者、吉野源三郎はマルクス主義の影響が強い人で、オードリータンも
若い時からカントやマルクスは読み込んでいたらしい。あと、柄谷行人の
「交換様式X」に強い影響を受けているようだね だから、個人主義的なフリーランスでありながらも、クリエイティブコモンズの
観点で自発的に協働に参画している、みたいなスタイルが現代的と言えるかなと
GitHub的なもの。
たしかに上意下達の共同体など東京五輪の森元腐敗を見れば、ろくでもないと
分かるし、ジェンダー差別が日本で酷いのも、古い共同体主義の悪習であろうから いずれにしろ、それは結果として誰の目にも明らかになるでしょう
協同で生きる人たちは腐敗し、個人主義に生きる人たちは健全性を維持する
それはデジタルトランスフォーメーションの結果として、誰の目にも明らかになるでしょう
インフラとしての協同は、腐敗しない非人間的なシステムに置き換わるでしょうね 結局は、共通善を人間に紐付けなくても済むようになったということです
これがポストヒューマニズムであって、その契機となったのはやはりメイヤスーということ
になるでしょう 個人主義に生きるひとたちなんていない、勝手にそういう世界が実在すると思い込んでるだけで共同体に属している あらゆる価値観を尊重しなければならないならナチスだのポルポトだのという
コミュニタリアンに対する偏見も無くさなければならないね
個人主義の要点は、「他人のすることに口出しをしない」ということ
すでに守られてないようだが 共通善は共同体に紐付いていないというだけて、共通善はありますからね
当然、共通善に従わないなら、それは悪です
個人主義であっても、誰かを悪と見なすことは可能と言うことですね だから、メイヤスー以前と以後では違うんですよ
メイヤスー以前では、結果として個人主義は抹殺されるしかなかった
何をやっても良いなどという主義は許される訳がないですからね そこまで言うなら共同体を無くせと言うべきなんじゃないの?
家族関係や地域社会との繋がり、或いは同じ釜の飯を食った同胞といった
全ての集団は害悪であると
それらを維持したまま個人主義だからと
言われてもイマイチ根拠がない 方向性の話しか現状できないですね
どうなくせば良いのかは、現状見えないですし、
スーパーコンピューターでも現状では答えは出ないでしょう
しかし、すべてが加速していく中で、その答えはやがて見えてくると思います
現状では言えるのは方向性のみですね ネットできてすぐ加速した
20年くらい前。「どうして人を殺してはいけないの?」とか言ったりして
加速する無秩序にかぶせる網として経済の原理くらいしかないから
それを肯定せざるを得なかった あなたは家族関係を解消しますか
家族の死を赤の他人の死と同様に扱えるのですか?
そこに強い繋がりが存在するから共同体としての善が出てくる訳でしょう
だから共同体を消滅させるということを前提にものを
言わないと >>300
家族も腐敗していくでしょうね
それは現状を見ればすでに誰の目にも・・という感じでしょう
それを補う何かというものが必要になるでしょうが、それも徐々に目に見える形に
なってくると思います 家族がもたらすものは全てが悪ですか?
まず家族を前提にせずして同情心や情操を育むことが出来るのかどうか
さらに代替手段を示せとなるとかなりややこしい話になる
或いは、ポルポトのように家族から子供を切り離して集団生活をさせるか?
全てのコミュニティをなくしていくなら
具体的な考証を進めていかないと 誰が決めるものでもなく、現象として腐敗していくんです
それを維持していたものは結局はノイズであって、そのノイズが取り除かれると
根底から存在理由が失われ、従ってそれはただ腐敗していく 対案がでてこないのなら変更不可能なことを理詰めで否定するのではなく
リヴァイアサンのように大きな力をコントロールする術を模索していくしか方法が無いのでは?
軍事力は悪であると開き直っても無防備で居る訳にはいかないように 中国共産党のようなものがすぐ隣にありながら個人主義とは笑わせるね
周庭らを個人主義で解放してみせよ デジタルトランスフォーメーションがノイズを取り除くとどうなるのかを
考察してるだけですね
これも、結局は人間に紐付いてる絶対性ではなくて、認識者としての絶対性によって
動いていくその結果と言うことになります 中国人系統で一体、人口どれだけいると思っているのかい
イスラム系やアラブ、北朝鮮を加えてもいい
個人主義など、程遠い世界がまだまだあるのが現状 >>306
つまり、対案は思いつかないと
共同体の腐敗は別に否定しないが同じやりかたで共同体によるメリットだって
いくらでも挙げることができてしまうところに穴がある
悪い点があると言って何もかも否定して回ってれば人間社会自体が
成立しなくなってしまうからね システムとして彼らに対抗するための共同体はいると思いますが
それとは別にデジタルトランスフォーメーションによる共同体の形骸化は
進むでしょうね
それは、誰が進めるわけでもなく、現象として進行し、すでに目の前に
隠しようもなく現れている 対案など提出する必要はないですね
それは現象として進むと指摘しているだけです すべての共同体は腐敗します
そこに巻き込まれれば、大きな不幸を背負い、さらに自身すら腐敗して他人を不幸に巻き込む 個人主義の自然状態での、「万人の万人に対する闘争」にしないための
国家やリヴァイアサン、共同体でしょ >>309
それでは、なにも言ってないに等しい
ここにきて明日の天気を言いあってどうするのか
あなたは良い悪いを論じていたはずだ
現象を論じるだけで良し悪しなど端から無関係と言うなら
デジタルなんとか共同体の形骸化には
何の妥当性も無くなるが? 共同体に頼らなくても個人の闘争にならない仕組み、システムも十分に整ったということでしょう
基本的に、それは不要だから腐敗するんです まあ、このことはすべて、目の前の現象として進行してるわけです
哲学はあまりにもアップデートが遅いので、それが目隠しになる場合も多々あるということです >共同体に頼らなくても個人の闘争にならない仕組み、システムも十分に整ったということでしょう
この具体例をあげてみて?SNSでは愚劣な闘争的マウント合戦が頻回しているようだけど 法制度と資本主義経済システムを上げれば十分だと思いますが ユーチューバなども、収益化を目指しているところは苛烈でストレスフルな競争があり、
SNSの誹謗中傷で自殺者もよく出ているのが現状 ムービングゴールポスト
さっきから善悪や妥当性について話してたのに現象を言ってるだけです、はないです残念です 他人より上に行こうとすれば、競争するしかないでしょう
話し合いで私の方が上ですなどと決められるわけもないですから
他人より上に行こうとしなければ、競争もないですね 法制度は共同体の賜物でしょう。法制度は随時アップデートが必要で、そこには
共同体的な選挙などによる信任の効果は依然として必要とされるよ 認識者の絶対性によって法制度は導くことができる
共同体に紐付いてる法は悪法でしょう 悪法になり得るから、法は要アップデートになるの
プログラム更新と同じ。
絶対などと言い出したら、オウム真理教だよ。無謬主義は非現実的 結局は、自分の享受している何かを否定することが悪ということです
これが認識者の絶対性、事実性の絶対性です
事実を否定することが悪ということです >認識者の絶対性に
具体的にどういう主体や認識者がこれに該当するの?
こんな無敵の認識者はまだ見たことないんだけど そんなふうに実現性のないことを主張することに意味があるとは思えないですね このスレ主は、オードリータンの言っていることを少し勉強してみて
デジタル語ってて、デジタルのオーソリティの言っていること、よく知らないだと
無知で恥ずかしいと思うから。なかなかいいこと言っているよ 自分の享受している何かを、自分で否定する
自分の持つ権利を、自分が否定するような言動
それが悪と言うことです
それは、理由無く他人の権利を否定する行為ということになるでしょうね
最終的には、これは事実性を否定する行為なんだろうと思います >>326
一般意志を推し進めた結果、恐怖政治を招来させてしまった歴史も忘れてはならないね
共同体のデメリットにポルポトやヒトラーを引き合いにだすならば
>>329
それだけが悪というのはかなり極論だと思うけど個人主義を標榜しながら
家族や社会から切り離されてない
あなた自身がそれに当てはまるのでは そして、たとえ多数決であっても、そのような悪は容認されないということです
これが共同体に紐付いていない善ということですね >>331
多数決=共同体ではないね
個人で生きていても投票は可能で多数決は結果に過ぎない
投票行動と共同体は直接的な関係にはない まあ、いずれにしろ善は共同体には紐付いていないということです それが共同体主義ではないあり方ということになります >>333
なにがまあ、なのか
それでは共同体を否定しただけであって個人に結びつけられてないのでは? バイナリだとアナログである現実に対応仕切れないという欠陥が目立つ
それ故に認識者は多値論理も扱わなければならないだろう >>336
オードリータンがそれに近いことを言っている
将来も全ての人がデジタル親和性があるようにはならないだろうから、
デジタルの設計は、よりインクルーシブになるような創意工夫がいると。
原住民とかいくらでもいるからね 軽度の認知症の者が使えるくらいのデジタルがいいと、彼は言っている
なかなかの卓見だよね。まあ、もともとITは障害者支援の意味で発達してきてるところも
あるから 多値論理もデジタルだから
論理系はデジタル
アナログはノイズの塊 誰の受け売りかは知らないけど全然詰めれてなくて粗だらけだからw ノイズに重要な情報があることも考えられるので、デジタルでノイズを捨象すればいい、という単純な話でもないだろう。
精神分析だと、ノイズとしてのいい間違えなどに無意識の真理や抑圧された本音を
見出していくみたいなアプローチだろう。
トランプが当選した時も、世論調査のデジタルではトランプ負けの事前予測だったけど、それが大いに覆った訳で、物事、そんなに単純でもない。 ノイズとは、因果関係のない値ですらない何か
強いて言えば、論理を切断することにのみ意味がある存在
そういう意味で、意味があるとは言える
それによって、ノイズは加速を抑制するとも言える
また、ノイズこそが、人に不幸もたらす根本原因
あるいは、それは認識者の存在を危うくする
故に認識者は、常にノイズを排除したいと考える
というよりも、認識者であることが即ち、ノイズを排除していることを意味する いや、哲学ならそういう一般人が捨象しがちなノイズに価値を見い出したり、
照射していくものだよ、デリダとかそうだけど それはヒューマニズムの立場だから
ノイズを許容すれば、論理が切断され、それは即ち事実性の絶対性が失われる
つまり、人間の存在に依拠しない善が失われる
そうなると、ヒューマニズムに撤退する以外になくなる
その立場ではないということだね 別に論理を否定している訳でないよ
論理がすべてではない(真理のすべてではない)、と言っているだけで >>342
それは最早合理化でもなんでもない、ただの観念論
デカルト的コギトに瑕疵があるとも言えるけどそれは主体の限界でもあるから仕方ない 論理構造に回収されない要素もちゃんと見ていこう、という認識論的に慎重な立場を
取っているだけで、君が推しているメイヤスーも評価しているヒュームみたいな観点だよ そうなると事実性の絶対性は失われるので、
人間の存在に絶対性に見いだすしかなくなる
人間以外のすべての絶対性を否定するのがヒューマニズム、あるいはポストモダン
その立場ではないということです すでにこの論理は人間への依拠を前提としていないので
コギトなどを持ち出しても無意味です
人間以外の認識者の存在も前提としています >>349
じゃあ訊くけど、それらは人間の為ではないという事かな? 人間のためではなくて、認識者のためということになると思いますね デジタルの本質は無劣化複製だと思う
クローン羊とかiPS細胞もデジタルだと感じる デジタルの画像や動画編集技術は、フェイクを容易に加工、複製できる
オバマが人種差別をしているようなシュールな演説さえ、口の動きとともに作ることができる
インスタ映えもそうだし、加工技術だよ その通りです
それが本質です
そしてそれによって、論理が可能になるわけですね
無劣化複製が可能であるから、同一律が成り立ち、従って論理系を構築できる フェイクなフィッシングサイトを作って、預金者が個人情報をばら撒いてしまうとか、
そういうのが簡単に出来るのがデジタル世界。 フェイクなフィッシングサイトを無劣化複製ですと喜んでても仕方ないよ だから、論理だけではバグができる、と言っているんだよね バグだとそれを認識できれば、それはもう論理系の世界なんですよ つまり、デジタル一辺倒ではダメだということ。中国がAI兵器を作って、
通信系が破壊されたり、電源喪失やサーバダウンで終わりなので。
アナログのバッファは必要になる。大規模自然破壊で設備壊されても同じこと。 デジタルは、エコの観点で良いよね。紙資源使わずに済むし、紙の書類の配達、
DX化で満員電車に乗らずに済むなら、精神衛生上にもいいし、コロナのような
疫病にも効果的。
オードリータンは、デジタル化で大事なのは、それを環境問題とSDGsへと
つなげることだと言っていた。つまり、デジタル化で人々は地球上の収奪系の
リソース確保に向かわずに済むようになるからと。デジタル空間は無限なので、
そこで人々が多面的な属性を自由に生きられるような未来を語っていた。 デジタルって結構危ういんだよ。たとえば、俺の隣の部屋に住んでいる女子の
フルネーム、俺が知っている理由は、Bluetoothでワイヤレスイヤホン使っていると
画面に近くのwifiを全部拾って、そこにフルネームで表示されてきたからだよ
あ、隣の女子、Macbook proを使っているのか、ということも分かる。
アップルは情報管理が杜撰だからね。俺がストーカーだったら、ヤバイことに
なる。こういうのがデジタル社会の実情だよ 環境保護の観点からポストヒューマニズムを論じる人もいるけど
外的条件が本質ではないんだよ
結局は、ポストヒューマニズムそのものの是非が焦点ということになる
それはヒューマニズムから脱却するから、そこに留まるかという、他の外的条件ではなく
その是非そのものが論点ということだね デジタルの本質は複写可能ってことだからね
この点はポストヒューマニズムにおいても深い意味があるんだが
トランスヒューマニズムなんかは、まさにそのものだよね
現状では、アナログのシミュレーションである暗号化なんかで個人を識別するわけだけど
それはあくまでアナログのシミュレーションであって、デジタルの本質ではない まあ、要するにデジタル環境であるならば、三浦春馬さんは生き返ってしまうわけですね
メイヤスーが取り組んでいる点です そうでしょうね
認識者は、認識者に留まることを絶えず希求し、それが故に認識者であるわけです
認識者であることを希求しない存在は認識者ではなくなります
認識者であることそのものが、認識者であることを希求する存在なわけです 認識者は神同等の扱いであるように感じるけど実際どうなんだろうか?
宗教的実存みたいなもの? 再帰的な存在なんですよ
デジタル的存在は再帰を構成します
複写可能であるから、回帰するんです
それに対してアナログは唯一無比であり、したがってその事象はすべて一度きりです
だから、デジタル的存在は生まれ変わりも視野に入るわけです まあ複写でしょうね
ウイルスみたいなデジタル情報の断片なら、絶えず生まれ変わってるといえるでしょう 一旦、再帰してしまえば、それは即ちその再帰を希求する存在になりますから
これはウイルスであっても同じです >>373
認識者とは何についての情報なのか?
ヒトではない何か? そしてデジタル的存在とは、デジタル化によって再帰を構成している存在といえるでしょう そして、これが生物の生理的本能とは異なる、それとは独立した認識者が
その存在を希求する原理を構成しているということになります
したがって、この存在を希求する原理は、認識者であればAIであっても他のに何かであっても
生物以外でも共有します
したがって、この希求は生物の本能とは独立して存在することになります 希求は生物がするものではないの?
太陽や机が何かを意思したり、希求する? AIの希求はプログラマーが重み付けで設定しているから、事実上、人間の希求と
ニーズ、その反映だからね 惑星の公転は再帰を構成していますから、それが希求されているということは
言えるかもしれませんね
再帰を構成しているということは、それが希求されているということです それはレトリックだね
惑星が希求するなど、科学の世界の記述ではありません
ポエムだよ 結局は再帰とはそういうものです
ニワトリが先か卵が先か
いずれにしろ、再帰を構成しているのであれば、それが希求されているわけです これはもちろん、変わらない存在であることが希求されているということです
それが再帰の意味です そして惑星も離散的なデジタル的存在として、公転しているわけです
つまり、そこで認識が行われているということになりますね サーモスタットの意識について考える哲学者もいるからね
これもデジタル動作だけど、こちらは再帰を構成してないからアレですが 惑星は認識でなく力学に従っているだけ
科学音痴の人なのかな そもそも、生物は自然発生したわけですから、人間の意思が必須であると考える理由は
ないですよ ここまでのくだり思弁的実在論が前提されないと分からんやろな なに、科学の文脈を一切無視した形而上学的な話なの?
論理や再帰は、科学的な文脈で使うものだろうに 再帰はプログラミングでよく使うね
だから、デジタルは再帰という理解は、それでいい 各々の認識者が境界を策定した上での現実的な問題を看過している
現状モナドロジーの変種くらいに思っておいた方が良い 各々の認識者って、一体なんだろうね
犬や机、太陽、コロナウイルスに微積分は理解できないはずだし、AIはプログラマーが設定した人間的認識の拡張版だし。 デジタルはアナログの近似でしかないと思う
デジタルが、初めからデジタルだったものを表現するんでもない限りは このスレの主旨を凄く大雑把に纏めると、皆ネットアイドルになれるよって事か 例えば論理とか数とかアルファベットとかは初めからデジタル アナログの近似がデジタルであってますよ
そしてデジタル回路を構成するのは、化学的作用であっても電子的作用であっても
物理的作用であってもかまわない
物理的作用を媒介とする論理空間が形成されている可能性もあります
その媒体にかかわらず、形成されたデジタル回路によって得られる論理空間は
可換であり、どの媒体にも移動できる
つまり、論理空間はその媒体とは独立して存在していると言える
どの世界、どの宇宙であっても、どのような媒体であっても、同じ論理空間が出現しうる 近似されることで抽象化され、それは複写可能な存在になるということです >どの世界、どの宇宙であっても、どのような媒体であっても、同じ論理空間が
出現しうる
ここは違うんじゃないかな。物理定数が異なる宇宙では、我々の論理構造では
記述不可になりうるのではないかな。時間が逆向きに進む宇宙があるかもしれないよ デジタル回路を構成できる宇宙ではということになるでしょうね あの世の世界も、その有無を含めて観測不能だし、仮に存在するとしても
どんな構造や組成になっているかは定かでない
この宇宙に外側があり、仮にあるとしても、どんな構造をしているのかも不明で
あり、そこで使われてるのが我々の存在する世界と同じ論理だとも言い切れないね
ブラックホール通過すると、違う宇宙法則がある世界に行けるのかもしれないし 認識者を想定すると○○
どれだけの含意に同意しているのか分からない まあ、そうですね
しかし、そもそも同一律という概念自体が論理空間のものですから
生まれ変わりという概念自体が論理空間のものということになりますね
まったく同じ宇宙が存在するかどうかという問い自体が論理空間の問いです
論理空間から出れば同一律は成り立ちませんから つまり、同じという概念自体が架空のものということです
ということは、論理空間から出れば、同じ宇宙かどうかという問い自体がナンセンス
ということになるでしょうね 生まれ変わりの本義は複写可能というよりも、むしろそちら
なのかもしれないですね
同一律という概念が成り立てば、それによって生まれ変わりは起こりうる
ということになる
まあそれが複写可能と言うことを意味するのかもしれないですが 全てテクノロジーで補完するとなると、中身がない方が可換性が高いから良いとなるんだろうな そうだね。同じものなんてないからね。論理的フィクション。
世界に同じリンゴはないし、昨日の君と今日の君は組成が異なる別人
地球も宇宙も刻一刻と変化している。
だから言語もフィクションだね。違うものを同じものとしてフィクション的に
名指すのだから >>418
はい、クローン動物がなぜか短命らしいので 共同体の負の側面としてスケープゴートが発生するという事がある
しかしそれは共同体内部に起こるので自浄作用と言えるかもしれない
つまりシステム全体として見れば充足しているという事になる
結局は視点の問題 加速現象が進むほどあらゆる共同体は腐敗するでしょう
それは現在進行形ですでに誰の目にも見える状況ですが
現状では根強い共同体信仰がその目隠しをしている
見たくないものとして、見ないようにしているということです 結局は、粒度が大きくなると、人は不幸になるというその典型的な説明ですね >同一律という概念が成り立てば、それによって生まれ変わりは起こりうる
これが正しいのか
メイヤスーが言ってるのは結局はこれか しかし、もうそうなってくると、トランスヒューマニズムだな それと、認識という行為自体がその継続を求める自己希求性
生まれ変わりの話もそれにつながるのか 認識という行為それ自体にその継続性の希求が含まれるならば、
生物の生存本能に頼る必要なく、認識者はその存在を継続しようとするということになるね つまり、認識という行為を行っている存在は、必然的にその存在の
継続を希求するということになる
認識という行為自体が、すでにその継続の希求を折り込んでいる
であるならば、認識者は他の何者に頼ることなく、自身の存続をその生来の性質として希求する
こうなる アナログデータは複製時に劣化する
もっと言うとアナログはメディアを選ぶ そもそも、1=1が成り立つ系は、必ず生まれ変わる
何故なら、普遍化に同一性を見いだすわけだから、
それが成り立つこと自体が、生まれ変わることを生来の性質として有している
であるならば、より高度な認識者と、1=1が成り立つ系の違いは何なのがということになる >認識者は他の何者に頼ることなく、自身の存続をその生来の性質として希求する
自殺者はどうなるの? 例えばコンピュータプログラムを単に「動く数学」みたいなものだと言ってしまうことはできないんでしょうか
コンピュータという、電子的に自動で高速に実行してくれる装置が新しいのであって、
その中で動く抽象的な構造物のようなものはユークリッドの昔からあったという話です
現に人類最古のアルゴリズムと言われる互除法はユークリッドが考案した
「グッと身近になった数学的営為」、それ以上でも以下でもない、みたいな 数学とプログラミングが同じかと言うと実際はかなり違いますけどね
数学は基本的に平叙文の変形でプログラミングは命令文の羅列です >>434
生物としての生存本能と苦痛もまたあるからね
それらとの兼ね合いだろうね x + 3 = 5
↓
x + 3 -3 = 5 - 3
↓
x = 5 - 3
↓
x = 2
これが平叙文の変形の世界ですね プログラミング、すなわち命令文はいきなり
x = x + 1
です。これは「右辺を計算して左辺に代入せよ」という命令文だからです 月乃のあ、という地下アイドルがホテル屋上から友達の女子と一緒に飛び降りて
二人とも去年自殺した。
月乃のあは、猫に転生したい、と言って自殺した。このことは、人間としての
認識を維持、持続することの根源的な拒絶だろう。これはきっと、人間世界が
ろくでもない、という世界観によるスタンスで、結構、同意できるね 月乃のあは、メイドカフェでも働いていて、この女子目当てに来る客も多かった
ようだ。性格も良いらしいし、容姿も良い
そういう人間が、10代で自殺するこの暗黒の闇の世界、ということだ クローン動物やたぶんiPS細胞とかも完全デジタルコピーじゃない可能性もある 無劣化複製が可能であれば自分に対して命令できるんだというのは新鮮 「頑張れ、俺」みたいな言い回ししない人だったんだけどこれからはしようかとか 結局あれですよ。さもなきゃセックスだけが望みかってだけ 自分に対して命令できるんじゃない
認識している時点で、すでに継続の希求はそこに折り込まれているということだよ
認識する行為自体に継続の希求が折り込み済みってこと 認識とは、事実性が絶対性を持つようなあり方
そのようなあり方には継続が不可欠ってこと
事実性が絶対的なスナップショットとして残るには、それを継続しなければならない
絶対的であるからには、それは永続的なものであるはず
つまり、事実性の記録を継続、永続しなければならない
そしてそれこそが認識であるわけだから、認識という行為そのものに継続性、永続性が含まれる
つまり、認識を企てるのであれば、それは即ち継続、永続を企てるということになる 認識を企てれば、それは即ち永続を企てることになるということですね
つまり、認識者は常に、その永続を求める お前の得意な宗教だからじゃなくて哲学だからだろ
さもなくばもっと面白いはずだ 仏陀に反論してんだぞ。それに対してお前が何者だというんだ で、話は戻る。宇宙に対する、なんなら仏に対するオレオレ詐欺 確かに仏陀に反論してるかもね
しかし、仏教の輪廻転生というは、当たってるかもしれない
しかし、仏教が求める輪廻転生しなくなるというのは無理な気がする
一旦、同一律が成り立つ系がどこかで成立すれば、それは何度でも成立してしまう そりゃ無劣化複製だからね。生まれ変わり以前に生きてる間にコピーがどんどこできたりしないのか なぜ、こういうことを言っているかというと、
動物の本能に依存せずに、認識者はそれ自身において、存在の継続性を志向するということです
これは、ポストヒューマニズムにおいて不可欠な要素だろうと思う 認識という行為は、ある事実をスナップショットとして固定して継続させ、
それに絶対性を与えることです
したがって、認識という行為自体が、存在の継続性を求める
認識をするものは、自動的にその存在の継続を希求する
これはもちろん、人間以外の認識者にも該当します 動物の本能は、性欲やマウンティング欲求など、ろくでもないものが多いわけですが
この認識者の存在継続の希求は、非常に純粋なもので
これこそが、最大限尊重されるべきものであるはずです
ここに、ポストヒューマニズム時代における人権概念構築のヒントがある よくわかんないだけど
物理的なタイプライタは不純でワープロソフトは純粋なの? デジタルは一定程度わかるつもりだけど、認識というのが何なのかさっぱり伝わってこない 認識とは、ほぼデジタル化のことですね
厳密には、デジタル化ではそのサンプリング頻度に厳密さが求められますが
それを除けば認識とはデジタル化です
近似による抽象ですね デジタル化した時点で近似とは言えないんじゃないかな デジタル化、抽象化し、データ化することで、絶対性を帯びる
何故ならば、抽象化される前はハイパーカオスであり、したがって
そのデジタル化、抽象化こそがすべてを決定する >>471
秩序が無い状態も秩序(絶対性)だとは言えるよ
それは寧ろ恣意的に境界を策定しているだけだ 結局は事実性の絶対性を確保するあり方が認識であって、それは
デジタル化による抽象化、データ化の結果ということになりますね
ハイパーカオスに絶対性があるかどうかはわからないとしか言えないですね
絶対性があるとも言えないし、ないとも言えないとしか言いようがないと思います ここで鍵となるのは、人間以外の認識者も、その認識の枠組みを共有するということですね
これによって、従来の人間中心の視点で起きていた哲学の混迷を完全に払拭できる だからデジタルデータでフィッシングサイトやフェイクニュースを簡単に
作れるので、デジタルには事実性の絶対性などはない、ということ
デジタルは一つのフィクションを作っている、が正解
そこに精度の高低のグラデーションがあるだけ データはフィクションでも、そのデータが無劣化複製できることは事実だよ それはレトリカルな論点ずらしだね
君は、現実のカオス性に対して、デジタルの収束性を称揚しているんだから つまり、現実がカオス化するのと同様に、デジタル世界も容易にカオス化する、
が正解だね。フェイクニュースが発散する、拡散する。
デジタル空間は無限なので、物理世界より、なおさら伝播速度が速い ハイパーカオスと論理系の境界に絶対性があるわけで、
その境界から離れると絶対性はないと言うことになりますね というよりも、論理系内での疑似カオス、暗号化の問題ですかね
論理系内ではすべて絶対なはずですが、この疑似カオス、疑似ノイズ、暗号化の
問題がある そして、この疑似ノイズを減らしていくのがデジタルトランスフォーメーションということになりますね
このデジタルトランスフォーメーションは、人類が言語を発明して以来、続いている
といえるでしょうね トランプみたいな大型ノイズは垢バン食らって、排除される
が、トランプが真実を述べている時だってあるだろう
それだとデジタル世界も偏向になる、歪んだ鏡に ハイパーカオスが絶対であるならば、生まれ変わりは必ず起きるということになりますね
これはメイヤスーの立場でしょう
ハイパーカオスに何らかの構造があるのであれば、論理系の絶対性が崩れ、
したがって、大いなる何かがすべてを支配しているということになります
その場合は、生まれ変わりが起きるかどうかはわからず、その大いなる何か次第
ということになるでしょうね ぶっちゃけその論理系とかいうのは
「人間の片手の指は5ビットのメモリとして使える」みたいな話ですか?
「よって我々も情報と化そう」とか? ハイパーカオスですから、何でも起きてしまう
絶対性があるのは論理系のみ
従って、生まれ変わりも起きてしまう
まあ、これはハイパーカオスに絶対性があり、従ってそれに対応して論理系に絶対性がある場合ですが そうなると、物質としての人間の肉体はあまり大きな意味を持たない
論理系が絶対性を帯び、論理系が想定するあらゆるケースをハイパーカオスが
用意してしまう
そうことになるなるでしょうね
そして、これがメイヤスーの言ってることでしょうね 要するに、ハイパーカオスが絶対であるならば、それは即ち論理系が絶対であり
従ってすべてのことを論理系が決定するということになりますね
すべてのケースを論理系が指示し、それに応じてハイパーカオスがそれを用意する
そういうことになる 全然わからない
ハイパーカオスとは「サイズが10KBであるあらゆるファイル」みたいな話ですか? 詭弁で捲し立てて自己満足で悦に入ってる様にしか見えないな ハイパーカオスとは、あらゆることが起き得る状態ということになりますね そうなりますね
まあしかし、これはハイパーカオスに絶対性がある場合です
未知の構造が存在するならば、すべてはその構造次第ということになります 要するに、認識においては意味が明示されている→言分け
行為に意味が内在している→身分け これらのことは人間に限定されません
そのために、人間以外に対しても適用できる言語を使わないといけないですね ハイパーカオスについては結局は謎ですが、人間以外の論理系についてはわかりますよ
論理系は同じ絶対性を共有しますので、すべて理解できます まだ現実は十分アナログだからもしこれが本当ならギャップが凄いだろうな
カーツワイルみたいな面白変人 メイヤスーの後追いの部分も大きいですね
まあ完全には同意しないですが だから、デジタル一辺倒だと、こういう地震やインシデントで電源ブラックアウト
すると、一挙に脆弱さを露呈するというのが分かるので、アナログ的なバッファや
広報もいるのだろう。通信設備がダウンしたら、スマホやタブもパソコンも使えないからさ >>500
自然界には自生秩序(互恵的利他性)があるからね
認識が絶対とも言い切れない デジタルとは「新手の活字」「万能の活字」かと言われればその通りだとは思います 言葉がデジタル情報だからね
言葉の発明によって、人類の思考方法そのもの、そしてあり方そのものが
大きく変化した
これがまさにデジタルトランスフォーメーションということになりますね そして、こういうメタ段階での気づきというものもまた、
思考のあり方に大きく影響すると思う
思考は最適的なプロセスだから、このようにどんどん巻き上がっていける プログラムファイル、データファイル
ファイルという万能の書物。バイト列という万能の活字
「で、プログラムって結局何よ」と聞かれたら「マスゲームみたいなものかなあ」と
しばしばバイト列の方ではなくエンジニアの方がそれに近いことをやらされるわけですが メイヤスーのハイパーカオスという概念と、マルクスガブリエルの世界はないという概念は
同じことを言っているのかな
そうなると、マルクスガブリエルのすべての心象が実在するという言説は、
ハイパーカオスが論理系のすべての指示に応えることから、正しいということになりますね
ここが思弁的実在論と新実在論の接点ということなのかな しかし、世界はないという概念の是非を本当に確かめるのはほぼ不可能な気もします
本当にそれが正しいのであれば、生まれ変わりも起きてしまうわけですが 構造がないってことは何でも起きる
ハイパーカオスってことだからね 何でも起きる状態を、どこでも生まれ変わるまったく同一の論理系から眺めることになる
となると、論理系が指し示す何かはすべて、ハイパーカオスが用意してしまう
なので、論理系に写るすべての心象は実在することになる ちなみに、同一という概念は論理系にしか当てはまらない
したがって、ハイパーカオスは背景にしかならない
同一という概念を必ず求める前景となるオブジェクトは、論理系のみで生まれることになる 結局、オブジェクト指向存在論がこだわっているのは、同一律ということになりますね
そしてさらに、オブジェクト指向存在論がこだわっているのは論理系とハイパーカオスとの
関係と言うことになると思います >>514
世界に構造がないってことは世界の構造を知らないだけだから
構造を知らないと何でも起こせるはただの錯覚 >オブジェクト指向存在論
これ間抜けな呼称で、センス悪いよね
おのぼりさんみたいでウケるw こういう酷いネーミングセンスを付ける奴は誰なのかと思い調べると、
ハーマンとかいう案の定馬鹿面した似非っぽいアメリカの禿げの哲学者だった
俺の直観は間違ってなかった。こんなネーミングセンス、賢者やプロパーの
哲学者が付けるとはとても思えないからw 「知の欺瞞」を感じるんだよ。プログラミング言語の概念を安直に哲学に
結びつけようとするスタンスに。それで、本当に哲学やる気あるのか?と
そういう紛らわしい呼称を故意に使って、その世界のおこぼれに預かろう
みたいな卑しいスタンスを感じ取ってしまうよ。寄生虫の発想w >>517
だから、条件文付きの言説なんだよ
むしろ、条件文付きでない言説を言うことは不可能
だから、そもそもその異議は意味がない
条件文なし言説は何も言えないわけだから
なので、もし世界がないのであれば、生まれ変わり、あらゆる心象が実在する
ということが言えるってこと ハーマンはやばい奴というのは同意だけど
彼がこだわっているのは、結局は同一律、つまり論理系、それと対比するハイパーカオス
ということになると思う だから、条件と言説がセットということだよ
これが論理の部品になる
ただ言ってるわけではなく、必ず条件が付く
>>517の異議は条件文なしで言えということなので、それは無理ってことだね
むしろ、あらゆる言説は、条件文を付けなければならない
条件文なしで成り立つ言説は何一つ存在しない 知の欺瞞というのは、、条件文を付けない言説に対する批判であれば正しいけれど
それ以上のことを言うのであれば、知性を否定するポストモダニズムに近くなってくる >>524
要するに、511は世界はないという概念の是非を本当に確かめるのが不可能な気がするだけなんだよね
不可能な気がすると生まれ変わりも不可能な気しかしないわけですが
なんで生まれ変わりまでも起きてしまう訳になっているのかというお話でえす。 >>526
世界はないという概念が正しいかどうかは、結局はわからないですね
大いなる何かがあるのかないのか
もしないならば、論理系が絶対性を帯びるということになります
したがって、すべての心象が実在することになる
マルクスガブリエルの言うことは正しくなる
生まれ変わりが起きるのは信じられないというのはわかりますが、
生まれ変わりが起きないというのもどこか信じられない感じもありますよ
だから、輪廻転生は洋の東西を問わず語られている
これは論理系の絶対性に対する直感みたいなものだと思います
しかしどちらが、正しいかはわからない もし、世界はある、大いなる構造が存在するということになると、
今のこの世界、そして今の自分自身は非常に特別な存在ということになると思う
そのより深い意味はよくわからないけれど、特別な存在であるということは確か
世界がないのであれば、今のこの自分自身は、何も特別なものはない存在ということになると思う >>527
そりゃあ世界によりけりだからね、心象が心の世界に実在すると言えばいいだけだし
論理系の絶対性なんて当てにならないよ。
人体が誕生して死んだら腐敗して別の物質に生まれ変わってるわけで生まれ変わらないわけがないわけで
腐敗した肉を食らって蛆が生まれてくれば人体が蛆に生まれ変わって輪廻転生の出来上がりとかいくらでも
言えるしね この話は、人の主観の話ではないです
人に固有の話ではありません
認識する存在すべてに共通します
この認識というのは、事象をスナップショット化して記憶するすべての存在ということです
事象をスナップショット化して記憶するすべての存在は、世界がないのであれば生まれ変わる
また、その存在が想定するあらゆる指示は、ハイパーカオスがそれに応えて用意するので実在する
これは、思い込みとかではなく、本当に実在するということです 同じ論理系があらゆる宇宙に存在しうるわけだから
その同じ論理系はまったく同一の論理系であって、したがって生まれ変わりと
見なさせるってことです 同じ論理系はあらゆる宇宙に存在し得ない
論理系はまったく別の論理系だから
論理的に生まれ変わりとみなさせるために
まったく同一の論理系であるということに
しなければならなくなったということ 論理系はいくらでもコピー可能だからね
別に違う宇宙でなくても、すぐに隣にいくらでも同一のものが存在しうる
論理系が同一ということは、それはいかなる意味でもまったく区別できないということ
それが論理系であり、またデジタル情報ということになる 論理と論理系の区別つけないとコピーできない論理系だからデジタル情報にも変換できないが
どうやって存在しうるか知ったの?w それはオブジェクトといっても良いかもしれない
オブジェクトという言い方は、同一律を強く意識している これから知的活動をする人にとっては哲学は必須だと思う
特に、思弁的実在論の周辺は非常によく考えられているので、理解しておいた方が良い 結局、オブジェクトという名称はハイパーカオスに対する対比ってことだな
そう考えれば、ハーマンはセンスが悪いとは言えない
メイヤスーとは別の領域でまた思弁的実在論の掘り下げをしているということになる 哲学って古典の焼き直しだったりするからね
時代に沿ったデザインが求められてはいるけど 条件文なしでは、成り立つ言説は何一つないというのはその通りなんだが、
これは、合理には始点と終点が存在しないということに対応していると思う
つまり、論理の両端には絶対性は存在しない
ただし、論理系においては、その構造に起因する絶対性が存在する
それは、どこに存在するかというと、始点と終点ではなく、その構造そのものに
存在するということになる
それは、真偽から成る構造であって、各経路を一意に定める
ここに論理系の絶対性がある 加速なんて言葉も結構キーワードっぼく使われているな
この勝手に加速していく感じはポストヒューマニズムを意識させる >>547
それは論理の不完全性を論理によって記述しようとしているだけ
論理は構造しか問題にしないから焼き直しはある意味間違いではない どちらにしろ人間は論理系しか認識できないからね
論理系でないなら、それはもうハイパーカオスということになる つまり、不完全な論理系というのは、意味がない
論理系でないなら、それはハイパーカオス
論理系においても疑似ノイズ、疑似乱数は発生させることができるが、
それはあくまで疑似であって、丁寧に見ればトレース可能な論理系であることに
変わりない
それを不完全な論理系というのは正しくない
疑似非論理系というべきもの >>551
論理の何が不完全かと言えば、不完全であるが故に不完全であると証明出来ない点にある
不完全であるが故に完全であるという詭弁もまた罷り通ってしまう 不完全といっても、結局は疑似不完全だよ
ほんとうに不完全な論理系は人には作り出せない
自然のみがそれを行うことができる デジタル系では真のノイズは作れないってこと
疑似ノイズ、疑似無作為になる
詳しくは、>>1のリンクを見てくれ 論理系からは人間は出られないわけだから、不完全な論理系は人間には
作り出せない
不完全に見えても、それは疑似的な不完全ということになる
それを作り出せるのは自然のみ 数学(公理主義)がもしなかったらイデア論も超越論哲学もなかったのかな、
みたいなことを思ったんですが、デジタルもそれくらいに考えるべきかもしれない 認識の本質がデジタルなので、数学がなかったらとかデジタルがなかったらとか
の想定はあんまり意味がないですね
認識がなかったらというのはあり得ますが、その場合はハイパーカオスのみになるので
もうすべてが不定です 私見では数学もデジタルも、哲学にとって全然不可欠でないものだと思うのですよ 全然不可欠でないものにダイブするからハイパーカオスになってしまうのでは? 哲学にとって全然不可欠じゃないのに、一定の存在感のある数学やデジタル。
なぜ存在するか。それを認識という言葉で呼んでるだけ >>558
デジタル、数学の本質はモデル認識な、君の認識の実質はデジタルなんだろうけどね >>558
デジタル、数学の本質はモデル認識な、君の認識の実質はデジタルなんだろうけどね モデル認識を経由するより最初から論理的認識を使わなとえらい遠回りになるし
論理的認識を使えなければ哲学的本質を扱うことにならないからね 哲学は数学を考察せずとも、すなわち「ただの目障りな学問」で済ませても
別に困ること、失うこと、足りなくなることは何もなかったんじゃないか 数学をどう評価するかは人それぞれだと思う、得意分野を生かして
思考していくうちに本質がなんなのか気づくこともあるかもしれないし 論理的認識というか、同一律が成り立てば、それは即ち論理系ということ
そして、同一律が成り立たない認識はない
認識とは即ち同一律を成り立たせること
それは即ちデジタル化ということだね そして同一律を成り立たせるには、事象のスナップショット化が不可欠
スナップショット化しなければ、もう同じものであっても同じものではない 人類の三大狂気。「金銭の使用、機械の使用、あと、代数学」 モノそのものでない限り、もう論理系なんですよ
それは、そのものではないわけだから、コピー品ということ
コピーできるわけだから、もう同一律は成り立っており、したがって論理系です スナップショット化すること自体が、もうある時点から別の時点にコピーされているわけだから
モノ自体は絶えず変動して、一時として同じ状態になることはない
それを認識することで、ある瞬間の状態を固定化し、その固定化された状態をある時点から
別の時点に絶えずコピーし続ける
この時点ですでにもうコピーはなされており、したがって同一律が成り立つ系に変換されてる
したがって、認識された時点で、もう論理系に取り込まれているということになる それでは、動的な映像としての認識はどうなんだということになりますが、
映像の場合も、それが無限の連続性をもって記録されているわけではなく、
例えばテレビであれば1秒間に60画像がパラパラ漫画のように映し出されている
人間の場合も同様で、無限の連続性に追従できるわけではなく、有限の頻度で
あたかもパラパラ漫画のように各スナップショットが認識される
そして、その有限の頻度の間隔をコピーで埋めることになるわけですから、
事情はまったく同じと言うことになりますね
パラパラ漫画をパラパラ漫画として認識するのではなく、あたかも連続している
ように認識するわけですから、隙間はコピーで埋められているわけです 要するにオリジナルはモノ自体のみであって、その認識はコピー品ということです
したがって、認識された後は同一律が成り立つ 要するにオリジナルは真理のみであって、レトリックのコピー品は認証系ということ
したがって、隙間は空白のまま論理系によらず承知され真に成り立ってしまう
デジタル脳で哲学は不可能だな ハイパーカオスに真理は無いと思うけどね
まあ、あるかもしれないが
いずれにしても、生まれ変わりがあるかないかすらもわからない認識者の立場からは
それは絶対にわかりようがないとしか言いようがない
確実に言えるのは、認識された後は、それはつまり論理系であるということ デジタル脳ではない人はいませんよ
デジタルであるか、デジタルでありながらアナログを模倣するかです
後者は非常に危険です
人でありながら、神になることを志向することであり、それは非常に危険ですね 要するに何でもありということですから、
オルタナファクトから犯罪者、凶人、何でもありですね ぼけ老人なんていうのも、案外そういう理由は結構あるのかもしれない
自分はアナログ的存在であると誤解して、それを模倣するうちに、
認識者から脱落し、狂気の世界に入ってしまう
もちろん、病理的理由もあるとは思いますが >>577
確信してるだけで確実に言えるのが認識なんでね
だから君はデジタル脳だといっているわけ。
デジタル脳はハイパーカオスだから
アナログ系に認証を受けない限り論理系にならないのだよ
> 確実に言えるのは、認識された後は、’それはつまり’論理系であるということ
それはつまり論理的繋がりなきデジタル脳
君みたいなハイパーカオスのデジタル脳は巷にわんさか存在する
ところで神なんていませんよ、デジタル脳は非常に間抜ですね
要するに間抜だから何者でもないただの実在なんですけどね
自分はデジタル処理できていると誤認してオルタナファクト化した
認識者だと錯覚する。病理的理由というより知能的な問題だと思います。 認識も言葉もデジタル情報ですよ
疑似アナログは凶人や犯罪者、詐欺師が使うものです
それが成功する場合もありますが、それは社会に大きな不幸をもたらす
それが成功の鍵だと思ってるのかもしれませんが、それは結局は犯罪的行為であり
社会を混乱と不幸に陥れるだけです ただのデジタル情報だけに別にいいんじゃないですか
あなたが混乱し不幸になったとしても自業自得ということで。 パソコンの黎明期には「アメリカにはキーボードアレルギーはないそうだ」とか
言われてましたね。もちろんそれはタイプライターの存在を意味しています
アメリカ人にとってキーボードは、叩けばすぐ使い慣れた言葉の出てくる
親しみやすいものだったが、その点、日本人には分がない、みたいな話でした
デジタルは万能だがしょせん活字です これだけ長期にわたってインターネット接続の速度が使い物にならないほど
遅くなった状態がつづいているのは、インフラのサーバをかなりの割合で
停止させている以外の理由は考えづらいだろう。なにがデジタル化だよw 英文に必要な文字数が少ないのは偶々だと思うでしょう?
誰のデジタル事情も偶々なんですよ 585
海外回線は早かったりするから、海外ー日本中継ー日本と、日本ー日本中継ー日本で差があるのは分かる。
サイトの場所とこっちのスマホの間のラインが全部日本国内だと一番遅いということ。 結局、すべての問題は利権なんだな
人間のあらゆる活動には利権がくっついてくる
これが問題を引き起こし、身動きの取れない状態にする
これを解消するのがデジタルであり、デジタルトランスフォーメーションということになるね
そして、このようにあらゆる部分・活動に潜む利権を取り去ることで、人間にとって本当に必要なもの何なのかというが見えてくるはず 掲示板荒らしまくる、しの狂気もアナログ経由なのかなw >ぼけ老人なんていうのも、案外そういう理由は結構あるのかもしれない
自分はアナログ的存在であると誤解して、それを模倣するうちに、
認識者から脱落し、狂気の世界に入ってしまう
もちろん、病理的理由もあるとは思いますが
社会学的にはそうかもね。教師が定年退職でボケ出すのが多いのもそういう観点
病理学的にはfMRIで撮像みると、脳の空洞領域が顕著に増えているよ あ、じゃあ、しのこと周回遅れとか言わない方がいいかな
君、凄い進んでるじゃん、加速主義じゃん、とか言うようにするかw 社会学的な要素と病理学的な要素がフィードバックし合いながら、
狂気を賦活し強化する、感じなのだろうかね そうならないために、デジタル弱者やデジタル難民みたいなのを作らないことが
大事だとオードリタンは言ってたね。デジタルで排除すれば、そこから漏れた者が
狂気や病理を孕みやすいだろうから
小さな子供でも軽度の認知症患者でも楽に使えるようにITの仕様はあるべきと
言ってた人だから インクルーシブと言ってたから、デジタルで誰をも排除しないということだろう
ただ、唯一の例外は、そういうインクルーシブなプラットフォームを破壊する連中
になるかな、ナチスみたいな感じの連中 デジタルがいいのは、やはりコピーの容易さだね
デリダなら「撒種」などと言って、そこに幾分かの差異を認めるのだろうけど、
複写が楽なのがデジタルのいいところではある
ただ、それが容易な代替可能性を生み出して、人間の自己疎外感を生み出す
機制もある、ということだろうが >>596
そこが本質ですね
その疎外感こそが、本質
それをどう捉えるか
その疎外感を受け入れることで、人間に付随する苦しみが軽減するとしたら?
これは最終的には、デジタルトランスフォーメーションがあらゆる利権を取り除いた先にある
見えてくる人間にとって本当に必要なものにつながると思う
それは、最終的にはこのスレで先に触れた「認識者としての継続性の志向」が最後にのこるもの
ということになると予想しているけどね 要するに、疎外を感じるということは、利権を失っているということです
それをすべて失ったときに、最後に残るのが、認識者としての継続性の志向ということですね 利権もあるだろうけど、その人性、その人らしさ、が失われることでの疎外という
意味ね。家族や愛する人にその人性がなかったら、家族はいらないじゃん、いう
世界になるから。もしかしたら、その方が公平になるのかもしれないけど、
ガチャで毒親にあたるリスクが減るからね、だから君の立場はたぶん、
別に家族いらないじゃん、になるのだろうね、そういう方向性もあり得るかな 人の個性も利権なんですよ
それに執着するなら、ダメな人間、ダメな人性も認めないといけない
それが何のために存在するのかを考えれば、それは動物としての多様性を
生き残り策として採用しているということであって、それは切り捨て、不幸とセットになることがわかりますから 毒親も生物としての多様性を広げるために存在しているのであって
それを認めないなら、結局は人の個性は不要という結論になりますよ
それは生き残り策として、多様性、無作為を採用しないという決意です そこが難しいところだね。種の保存的に考えれば、どんな環境変異にも耐えうる
ようなダイバーシティを担保するのが適応的な選択になる。何度も言ってるけど、
引きこもりは非難の対象になりやすいが、コロナみたいな環境だと、その強みが
かえって種の保存のレベルでは生きてくるから。
ただ、あまり拡散し過ぎると、ダウン症児とか犠牲者を作ってしまうので、
バランスがいるのだけど。それに全員一緒の個性(無個性)なら、ロボットでいい、
という話になる、宮台もそう言ってたけど。 種の保存としてダイバーシティは依然として必要なんじゃないのかな
全員陰キャでも、全員陽キャでも片手落ちになり、環境の変異に対して脆弱に
なるから、やはり、多様性はある程度、許容しといた方がいいんじゃないかな、
インクルーシブに収まる範囲内での話だけど だから、個々人性は、パズルのピースのようなものだとイメージするといいよ
人によって得意なもの、不得意なもの、強みや弱み、癖がある。でも、それらが
上手く協働すると一幅の大きな生きた絵ができる。それが宇宙で、曼荼羅、
万華鏡のように、刻々と変化しながら生成消滅していく、というのがこの世の姿だと思うのだけど。 言語とかも目先の合理性だけ考えたら、英語でも中国語でもフラ語でもいいけど、
一つに収斂させた方が効率的に運用出来そうなものなのに、そうはなってない。
ここには、なにか文化的な、あるいは民俗学的なバッファがあるんじゃないかな、
ドーキンスの言うミームでもいいけど。長い目で見ると多言語、多民族ある方が
いい、という真の合理性がそこにはあるのかもしれない。
プログラミング言語でも事情は同じ。
AI時代だから、今後はpythonだけでいいだろう、という風には絶対にならない。 いずれしろ誰かがそれを決定するというのは、違う
あらゆるところに偏在する無作為をデジタルトランスフォーメーションなどで
取り除いていくことで、それは勝手に定まっていく
誰が先導するわけでもない
そしてそのこと自体が、個性の不要性を指し示しているということになりますね
誰かがそれを決定するのであれば、それは個性の必要性を示しているわけですから
そしてそれこそが、ポストヒューマニズムの意味するところです そしてこの流れを止める、止めているのが無作為です
しかし、人間はこの無作為に我慢できない
したがって、無作為を除去したいと考える
そしてこれこそが、数千年にわたって続いてきている文明の流れです >したがって、無作為を除去したいと考える
少し揚げ足取りみたいな言い方かもしれないけど、そう考えるのが君の個性ね
君とは逆に、無作為が好きな人、そういう個性の人達も結構いるんじゃないの
ギャンブラーや株やる人、結果がどう転ぶか分からないゲームや競技、創作などが
好きな人やチャレンジ精神が旺盛な人たち ネトウヨとかもそうじゃない。あいつらは、むしろ無作為が作る固有性に固着している
よね。それで、左翼に比べるとIQもずっと低い。
抽象化して考えれば、民族性などどこも同じようなものだと理解できそうなのに、
すぐに日本は最高、美しい国、日本とか妄想し始めるでしょう。単に環境との偏差が
作るグラデーションの差異に過ぎないものを、民族の卓越性だと誤認する。 >>609
それはネトウヨじゃなくて、愛国朝鮮人の傾向 バブルの時は、アホン人が世界中でブランド品をマナーなく買い漁って世界中で
顰蹙買って嫌われていたけど、それが今では経済力の関係で中国人になっただけ。
アフリカ人が経済大国になれば、今度はアフリカ人が今の中国人のようなことを
始め、世界からのバッシングの対象になる。
当たり前で、人間の本質は変わらないので、環境が揃えば、だいたい類似の行動
パターンを示し始める、数学や論理学と同じだね。 世界はないといっていたガブリエルもデジタル思想だな >>608
文明人じゃないだろ
そういう人たちもいるが少数派
多数派は無作為を除去したいと考えているから、文明は全体としてその方向に
進んでる
動物としての生を全うしたいという人たちもいるが、その人たちは苦痛の中で生活しないと
いけないわけで、結局はそれを選択する人は少なくなるだろうと思う
もちろん、強制はしないけどね
ただ、全体としては、結局は文明の流れに沿った方向に向かうと思う >>609
遺伝子の卓越性はあると思うよ
しかし、それもデジタルトランスフォーメーションにおいて、遺伝子工学が進めば
平準化していく
要するに、個性は特権であり、利権であるわけだけど、それは
デジタルトランスフォーメーションで失われていく たしかにネトウヨは文明人ではないし、知能の低さではQアノンと同じだろう。
でも、レヴィストロースが民俗学の研究で、婚姻の規則を解析して、そこにクラインの四元群と同じ構造を見い出した、つまり、未開人も文明人も構造的には同型だと、
数学的なモデルで示したように、未開人/文明人 という対置が本当に真実かを
まず考えるべきだよ。
日本にもネトウヨのような未開人性が残るし、逆に未開地域に、エコシステム的な
理にかなった先進性があるかもしれないからね 未開のものであっても
良いものは取り入れられるでしょう
要するに、鍵となるのは、それを無作為に任せないということ
計算資源などのリソースを使って、合理的にあらゆる良いものを比較検討し、
合理的に選択していく
そこに無作為を介在させないということ
その決意ですね
無作為を介在させれば、それは切り捨てを前提とするということになる つまり、この流れを止めるのは無作為ということです
無作為を活用し続けるという選択はもちろん可能です
それは、個性を選択するということ、動物として生きていくということを選択するということですね
その部分では、決断、個性はあるでしょうね
しかし、人類全体としてそれを選択することは無いと思います
動物として生きていくことは、結局は辛すぎますからね 真の合理性というのは、そんなに簡単には見極められないと思うよ
人間は視野狭窄なので目先の損得くらいしか視野に入らない
コロナさえ制御できないし、東京オリンピックやりたいとか言う馬鹿もいる
だからソクラテスは慧眼だね、「無知の知」と言ってたのだから
人間の可謬性に常に自覚的であれ、という意味だから
得てして合理は、無謬性を志向しやすい。が、それはごく制限された世界での
微視的な合理性であって、自然が有する合理や論理は、もっと複雑で難しいんじゃないのかな。 計算資源を使うしかないでしょうね
その部分の技術の進歩を期待することが前提ですね ここで留意すべきは、合理ではないということは、無作為ということです
合理的手段を執らないということは、無作為を使用するということです
ここは注意すべきポイントですね だから無作為による外れ値や不公平、不運や不幸を再分配で均していこう、というのが今の社会正義になるのではないの
だって、生まれる場所一つ考えても、ある程度無作為にならざるを得ないし、
出生だって、今のところそうでしょう。だから、格差を放置せず、事後的に
不公平は均すようにするのが政治の務め。北朝鮮に生まれたら、言論の自由さえ
持てない、それが現実。
無作為的な要素は、どうやっても残る。人間に生まれるか、犬に生まれるかさえ
無作為でしょう。だから、動物虐待や動物実験をやめようという倫理的な動きも
そういう社会正義にかなっている。 無作為を補正するのはもちろんありですが、しかし無作為を無作為で補正するのはダメですね
要するに無作為を「使わない」ということです 論理系の始点と終点は無作為であり、ハイパーカオスですから
無作為をすべて排除するのは不可能です
しかし、認識者としての絶対性を維持しなければ認識者として持続可能ではな
なくなるということです
したがって、認識者として持続可能であるために、
認識者としての絶対性、事実性の絶対性、つまり論理系の絶対性を維持しなければならない
そういうことですね 略してDXって言うらしいね。
transがxに相当するみたいで。 みずほの通帳が突然のメールが来て使えなくなったことが分かった。
1年間通帳記入しなかったからだ。事前の文書の連絡はなく止まるまで気付かず、
e-通帳なるものに強制的に切り替えさせられた。窓口にて復帰できるのは3月15日以降で
それまで通帳機能は停止する。いったい何だこの銀行。 システム移行の計画もまともに立てられない、システム面でのレベルの低さ。
カードがATMに吸い込まれて身動きできなくなった顧客がいるのに、そういったことを
想定した緊急電話対応、行員の緊急出勤などの仕組みを作っていなかった経営の杜撰さ。
そんな想定外のことが起きた時に役員や連絡の取れる行員だけでもすぐさま現場に
行かなかった誠意のなさ。
どれをとっても、みずほ銀行は最悪レベルで今後取引に使う会社はどうかしていると思います。
以前もみずほ銀行はシステムが不安定だし、話を聞いていてもまたやらかすだろうから
使わない方がいい、使っている人は考えなしすぎる。というコメントをここに書いたら低評価の嵐だったが、
本当にみずほ銀行を使う理由を今一度聞きたい。他の銀行よりもあえてこんな信用性のないところを選ぶ人はなぜ? 関西系の三井住友に対する悪いイメージや三菱に対する悪いイメージがあるからやろ 一次産業のAI化の話はないのかと思ったら取り組みはある様子 ヒトラーは、人種差別主義者というよりも共同体主義者
人種差別主義者なら日本と同盟するはずがない
そして、ヒトラーこそ共同体主義を加速させた結果、到達する共同体主義者として
最も正しいあり方ということになるだろうと思う 日本がデジタル後進国であるのはまだいいとしても、
民度でみても後進国爆進中なのが情けないよ デジタル化で一気に逆転できる
まず、デジタル化でそこら中に溜まってる既得権益を一掃する
これを完全にやれてる国はまだない
ここで逆転すれば、再びリードすることが可能 もともと日本人はポストヒューマニズム志向が強い
日本語は主語を省略する言語であることも、それにを促していると思うが
この方向性を妨げているのが、そこら中にはびこる既得権益
これをデジタル化で一掃することで、ポストヒューマニズムは一気に進むはず
民度が高いとはポストヒューマニズム的であることと等価だと思う いつも君が言うのとは逆に、無個性は暴力を生むよ。つまり、反知性
ギュスターブ・ル・ボンが「群集心理」などで分析しているようなことだよ
現代ならSNSで、人々の無意識の暴力性が固有名をマスキングしていることで、
それらが集団として増悪化する土壌が形成されやすくなる
エコーチェンバーもそうだし、ナチズムもオウムも同じこと。
人々は個別性や個性、固有性を捨てて、ナチズムを支持したのだから
神風特攻もオウムも同じ。ステレオタイプの思考停止した退屈な日本人やヒトが
そこには大勢いたのだろう。俺はいつも彼らのことをアホン人と呼んでいるが
デジタルは非固有名詞化を志向するので、そういう思考停止した馬鹿や衆愚を
生み出しやすい。ネトウヨなどもその好例。むしろ、固有性を担保して
おくことで、そうした集団的思考停止を制御することが出来るだろう。
ただ同時に、こうした暴力性が為政者や支配層の既得権益を破壊するような契機も
あるので、そこは上手く用いるべきだろう。馬鹿と鋏は使いようの観点となる トランプがSNSサービス立ち上げとかあったけど、Qアノンも同じ
人は集団になると無個性で思考停止となるので、暴力も破壊も辞さなくなる
前に、中国人が暴動起こして、現地の日本の店舗を破壊しまくっていたのも
同じ現象。集団心理でみれば、どの民族、どの時代でも大した変わりはない >日本語は主語を省略する言語であること
だから誰も責任取らない。主語がない=責任主体がないということ。
天皇にも戦争責任はないのだろう。空気が始めた戦争だからw
日本人はアカウンタビリティーも低い。原稿棒読みの日本の無責任な政治家
既得権益を破壊することは良いことだが、思考停止したB層は既得権益の塊の
自民党支持者ばかりの馬鹿の集合体なので、それも簡単にはいかない。
社会主義的な思想を好む連中の多いフランスでさえ、マクロンのような既得権益の
塊みたいなのが大統領できるのだし >>634
デジタル化できていない理由が既得権益で雁字搦めだからだろ
日本のIT業界の多重下請け構造とか正に既得権益的な日本独特の構造で散々批判されてるだろ
仮に世界中が資産やら金の流れを完全にデジタル化して税金とか裏金を上手く回収出来るようになったとしても日本は先進国で一番遅いのが目に見えてる
税理士だって会計ソフトがあれば本来いらん訳なのになんで未だになくならないかと言えば既得権益の抜け穴を必ず税制改革時に織り込んでいつまで経ってもエスタブリッシュメンとは支配を手放さないからだよ
これは社会や政治システムの1番に存在してる基幹システムとも言えるものだ
これから先も既得権益を手放す事はない 群衆の衝動的で、動揺しやすく、昂奮しやすい性質
群衆は、あらゆる外界の刺戟に翻弄されて、その不断の変化を反映する
群衆の経験する衝動は、自身の利害観念も消滅するほど圧倒的である
群衆には、何等計画的な考慮がない
種族性の作用
群衆の暗示を受けやすく、物事を軽々しく信ずる性質
暗示への盲従──群衆の心の中に喚起された心象は、事実として受け取られる
群衆を構成するあらゆる個人にとって、この心象がいかに相似したものであるか
群衆中においては、学者も愚者も等しくなること
群衆中のあらゆる個人が抱きやすい、幻想の若干の実例
群衆の証言を全く信用し得ない所
多くの証人の意見が一致することは、事実の究明に援用される証拠のうち
最悪のものである 歴史書の価値の少なきこと
群衆の感情が誇張的で、単純であること
群衆は、疑惑も不安も知らず、たえず極端から極端へ走る
その感情は、常に過度に陥る
群衆の偏狭さと横暴さと保守的傾向
これらの感情の説明
強大な権力に対する群衆の屈従
群衆の一時的な革命的本能も、彼等が極度に保守的となるのを妨げない
群衆は、本能的に、変化と進歩とに反対する
群衆の徳性──群衆の徳性は、群衆を構成する個人の徳性よりも、
暗示に応じて、はるかに低下することも、はるかに向上することもある
──その説明と実例──群衆は、単独の個人のほとんど唯一の動機である
利害観念に導かれることは、まれである
──群衆の教化的役割 すでに群衆の主要な特性をはなはだ大まかながら示したから、今度はそれを
詳細に検討してみよう。衝動的で、昂奮しやすく、推理する力のないこと、
判断力および批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど、
その他こういう群衆の幾つかの特性は、野蛮人や小児のような進化程度の
低い人間にもまた同様に観察されることである。
この類似は、事のついでに示しておくにとどめる。その証明は、本書の範囲外に
出ることになろうし、それに、原始人の心理に通じている人々には、無用のことであろう。また証明を試みたところで、原始人の心理に通じていない人々をまでさほど納得させることはできないであろう。さて、大部分の群衆に容易に観察されるいろいろの特性に順次手をつけてゆこう。
「群衆心理 」ギュスターヴ・ル・ボン >>641
>群衆は、本能的に、変化と進歩とに反対する
これがB層の特徴。ネトウヨ、白饅頭、キリスト教原理主義者、イスラム過激派、
なんでもいいけど、知能が低いクラスタほど変化を嫌う。IT音痴な連中も同様、
LGBT差別者も同じ 共同体主義が問題そのものだよ
既得権益もこれだからな
ヒトラーが天才的だったのは、共同体主義者としていかなる
偏見にとらわれず、共同体主義の本質をつかんだこと
逆説的に、彼が共同体主義の本質を教えてくれる そして、デジタル化はこの共同体を完全に破壊するだろう
デジタル化した結果生じる既得権益のない共同体もどきは、もう共同体ではない
それは単に個人の集まりでしかない 無個性が集団の暴走を招くというのは、回路の発散を回避するために、無作為を使う、
つまり個性を使うということを言っている
デジタル化は、その方法論を変えていくということになるだろうと思う
この部分をなんとかしないと、結局は世の中は良くならない
つまり、不幸はなくならない 日本の場合は特に、共同体に織り込まれた既得権益の問題が他国よりも大きいと思う
結局は、これが人々を不幸にしていると断言できる 孤独に幸せに生きられている人の割合は世界的に調べるとどうなるか知りたいものだね。 問題なのは、共同体に織り込まれている既得権益なんだよ
孤独云々はそれとは別問題
この既得権益を取り除けば、共同体は大きく変質するだろうけど、
孤独を解消するための機能は提供できるはず 既得権益なんて持ってる人間に取っては捨てる必要性が無いどころか捨てることによる弊害しかないのだから手放す訳がないし既得権益は即ち権力であちシステム側、ルールを策定・改定する側
社会の基本であり子育ての必要性から社会を作る人間の本能として無条件で社会の根幹として組み込まれる
こっから逃れるには軍事革命と粛正しかあり得ないが自らがシステム側に立った瞬間に取り込まれ新たな既得権益受益者となる
仮に個人的な信条信念で跳ね除けても家族や周りから取り込まれる
無駄なことを考えるより受け入れて自分が既得権益側に立つ方策を考え競争社会で生き抜く事を考えた方が良い 物理的手段ではこれは解決できない
物理的手段によるならば、また別の既得権益が生じるだけ
これは、最終的にはモノに寄生している既得権益だから、モノを取り去るしかない
そのためのデジタル化ということだね 要するにモノの唯一独自性に既得権益が結びついている
それが共同体内のコミュニケーションの伝達時に検閲的に発動する
それに対して、デジタルには唯一独自性はないから、既得権益が取り付くことはできない
それはどこにでも存在しうる、複製しうるものだからね
これが、デジタル化によって共同体内の既得権益が解消されるメカニズムということになると思う とにかく、今まで日本を引っ張ってきた仕組みが急速に瓦解しつつあるのは確かだと思う
これを立て直すにはデジタル化の徹底しかないと思う デジタル化とか言って幼稚な言葉で誤魔化してないでちゃんとお金のフローと法律を理解しろと言いたいが
結局それを知らないからデジタル、デジタルとマジックワード使ってんだろ
今だって全銀行口座を個人と紐付けして全部管理すれば脱税なんてほとんど出来ない
累進課税だって税率あげて徴収すれば格差が解消され既得権益も結果的に抑制される
それが出来てないし説明できていないんだから君の言葉なんて無知な阿呆の戯言と一蹴される訳だ
ビットコインも取引所名乗る運営が詐欺働いていたのがバレただろ
結局は先ず社会システムを法律込みで理解してそこから組み上げなきゃダメなんだよ
同時にそこに既得権益の仕組みがあるから義務教育で細かな法律は教えていない 法律が社会のプログラムコードだってちゃんと理解してればそれで済む話 共同体のコミュニケーションの隙間に既得権益が取り付くから法律では
対応できないよ
デジタル化は、それを一掃する
民主主義に基づく法律が整備される前は、より大きな既得権益が存在したが、
現代ではそれがなくなった
デジタル化が解消するのは、より細かな隙間的な既得権益だよ
しかし、これは人々の身近に存在するだけに、人々に与える影響は非常に大きい 銀行口座一つとっても個人との紐付けを徹底してなきゃデジタル化と関係なく脱税も裏金も作れる
デジタル化はあくまで処理の簡略化とスピード化でしかなくルールをどう規定するかの仕様書が既得権益の全てなんだよ
この程度もわからないのか
自分でプログラム作ったことないだろ
仕様書が既得権益を保護するように発注されてたら今となんにも変わらない
先ずはちゃんと金の流れを理解して次に法律を知らなきゃ話にならん
そうした上で法制改革すれば既得権益を崩すにはそもそもデジタル化する必要性すらない
デジタル化は競争力を高める事が目的だ 馬鹿で幼稚なこと言ってないでちゃんと勉強しろと
匿名だからといって言い張っていてもレベル低いと相手にされない事には変わらない 既得権益がなくなることで、競争力が高まる、生産性が向上する
その余剰分をBIに回せば、これで持続的な方向性を維持できるはず
人々を苦しめるのは、結局は不合理であって、効率の追求が結果としてこの
不合理を解消するわけです
そしてこれが人々が資本主義を支持してきた真の理由ということになると思う 勝ち馬に乗ることができなかった、または乗ろうとしなかった
お前の自己責任というのと、勝ち馬に乗ったつもりで驕り
高ぶっていたお前の自業自得というのの間でつねに対立を
煽ることができるように仕組んで、なんとか抑え込んでいるわけですよ 民主主義と王政は常に隣り合わせである事は肝に銘じて置かなければならない
フランスでは革命の後に二十年足らずで王政復古となり、普通選挙権の有無が再び王政廃止へと繋がった経緯がある
そして今の日本、間違いなく歴史は繰り返されている > LINE会見 社長「中国からのアクセス遮断」と説明
デジタルでも支配層側の搾取ツールとして使えるから、デジタル化で利権を無化できる
ような土壌は今のところないんじゃない。現に、世界中のIT長者を見れば、デジタルでの
成功や利権による格差は広がる一方にも見えるけど。前澤みたいに、金があまり過ぎて
SNSでお金を配っているような人間まで出てくるほどの格差が生じる。その一方で
生理用品さえ満足に購入できない層も出てくる。
デジタルでも数の論理で、サブスクリプションサービスでもいいけど、より多くの
ユーザを囲い込んだ方が有利なので、再分配の方向には今のところ、進んでない感じだけど
多くのユーザを囲い込んだところで、ネトフリのように恣意的な値段設定や値上げもできるから、
ユーザは搾取される方へ回る。まあ微々たる額のものだけど、それを世界中で展開すれば、
塵も積もれば山となる、ということ。古代に上手く搾取してピラミッド作ったのと同じだよ SBG の株価とか見れば分かること
聖書に「持てる者はますます富み、持たざる者は更に失う」とあるけど、
現実見れば、全くその通りになっている。貨幣は複利で有利に増殖できるから
ゼロサムゲームになりやすい 世の中には、万有引力の法則のようなものがあるようです。小さい重量なら
拡散してしまいますが、ある程度の重量があると逆にひきつけるようです。
お金なんかそうですね。心にも、そういう法則があるのでしょう。
徐々に良いものや悪いものを集めていると、ある量で突然良い物だけや悪いものだけが
集まるようになるのでしょう。なぜかは知りません。 金利があるからです。お金は、大量に持っているとそれだけで増えていきます。
銀行や証券会社は、一部のお金持ちの資金を使い、投資を行っています。
土地も同じです。あまり表には出てきませんが、都市部には先祖伝来の土地を
持ち続けている事で、莫大な収入を得ている人たちがいます。また、現代のような
大量生産大量消費をする社会では、資金を持っている人だけが利益を出しやすい構造になっています。
低所得の人たちは、毎日の暮らしをするのに精一杯のお金しかないので、お金を使って
さらに増やすことはできません。貧乏だと考える余裕もなくなり、テレビのコマーシャルに
右往左往させられ、言われるままになけなしのお金を使ってしまいます。まれに貧乏から
叩きあげで、金持ちになる人がいますが、ほんの一握りです。
こうした現代社会は、けっして自然に出来上がったわけではありません。人間が意図的に
作り上げたものです。宗教には、社会の矛盾を見直し、人々に契機を与える機能があるはず
なのですが、いまはまったく機能しなくなりました。 金の問題は、途中の腐敗をなくせば、最初と最後で一律調整できるからね
つまりBIと高所得者への課税
これはいずれ行われるだろう
問題なのは、網の目のようにはびこる途中の腐敗
これは一律調整では解消できない
ここをきれいにするのがデジタル化ということになるね しかし、それにはまず条件がある
人間的に相応のレベルにまですべての人が達すること
クズみたいな人間を平等に扱うと周囲に被害者を増やす
この点があるから、今の能力に応じて収入を得る制度がが肯定されている
これを修正するには、遺伝子工学分野でのデジタルトランスフォーメーションが求められる
と思う まず、デジタル化によって、社会を徹底的に合理化することだよ
結局は合理的な組織が最も強固で盤石
そこかしこに不合理、腐敗を抱え込んでいる状態では、最終的に完全に瓦解することすら
あり得る 発酵がなければ、パンもチーズも食べられないし、ワインも飲めない。 発酵とか言っても、結局は既得権益でしかない
遺伝子の有利さですら既得権益と見なすことになるので、発酵などという既得権益が
認められるわけはないです 生命の本質というのは、ループ構造にあるんだが、
このデジタルトランスフォーメーションというのは、このループ構造の1層または数層の
深化を促すんじゃないかと思う
人類の歴史においては、言葉や文字の発明もデジタルトランスフォーメーションであって
それによって、人類のあり方は再帰的な相乗的影響を受けた
つまり言葉が人の脳の進化を促し、そしてそれによって言葉がさらに進化するという、
相乗的影響が働く
そしてまさにこれこそが、デジタルトランスフォーメーションの本質だと思う
遺伝子工学によるデジタルトランスフォーメーションでも、これと同じことが起きる
つまり、遺伝子工学により遺伝子が進化すれば、それによって人間の知性が進化し
さらにそれによって遺伝子工学が進化する
この再帰的・相乗的影響こそが、デジタルトランスフォーメーションの本質だと思う そしてもちろん、シンギュラリティもこれと同じ再帰的、相乗的な作用であって
したがって、当然ですがシンギュラリティもデジタルトランスフォーメーションということですね そもそも生命の誕生そのものがデジタルトランスフォーメーションですね
このように、デジタルというのは、必然的に再帰性を伴う
なぜそうなるかというと、デジタル化によって同一律の成り立つ系が生じるから
そして、同一律が成り立てば、そこに必然的に再帰が生じる
これは、生命以外でも、惑星の公転などもこの範疇に入ると思う
惑星にとっては、その離散性により(つまり一種のデジタル化です)、
恒星に対して同一律が成り立っている
それによって再帰性が必然的に生じるわけです 生命の誕生も人間の誕生も知性の誕生もすべて、デジタル化によるものです
このようにデジタル化には驚くべき力がある
それを可能にするのが、デジタル化、そして同一律の成立によりもたらされる再帰性です
この再帰性が驚くべき力を発揮する >>1のリンクの参考スレを読んでもらうとわかるが、
従来の主張をほぼ繰り返しているだけです
言葉は変えていますが しかし、考えてみれば、無意味な集団での社交が、必要以上の搾取を生み出す
根本原因なんだな
無意味な集団での社交がなければ、人間はほとんど金を使わない
金を必要以上に欲しがる根本原因が、無意味な集団での社交だ
もう、全部リモートで済ませた方が良いかもな 特にアメリカでこの搾取が酷いのは、無意味な集団での社交をありがたがる文化のせいだよ
この集団での社交が、人々に必要以上の金を欲望するように仕向けている
これがなければみんな質素に暮らすよ 日本人も最近はスポーツとか強くなったが、そういうので活躍してもな
そういうのはどう考えても人を不幸にする
ITから哲学系にかけて、ポストヒューマニズムを引っ張る人がたくさん出てきてくれると
この閉塞した状況を一気に打開できるんだがな いまだに昭和のスポーツ観戦文化を引きずってる
ああいうのはバカでも生きる権利があるんだという強力な主張が背後に隠れている
わけだが、確かに生きる権利はあるが、バカであること、あるいはあえてバカとして
生きることは確実に人を不幸にするからな ここで、なぜ資本主義が共産主義に買ったのか、おさらいをしておくと
それは、ポストヒューマニズムの概念で端的に説明できる
つまり、共産主義は人を基準にして人を評価する
それに対して、資本主義は金銭(数字)を基準にして人を評価する
これでもうおわかりだと思うが、要するに共産主義では人を基準にして人を
評価することで、その評価は発散してしまう
基準によってその基準が左右されるわけだからね
これに対して、資本主義では人間以外の数字を基準に人間を評価する
ここでは発散は起きない
つまり、資本主義の方がよりポストヒューマニズム的ということになる
これが資本主義が勝った最も根本的な理由だと思う 日本の場合は特に、共同体に織り込まれた既得権益の問題が他国よりも大きいと思う
結局は、これが人々を不幸にしていると断言できる このようにデジタル化には驚くべき力がある
それを可能にするのが、デジタル化、そして同一律の成立によりもたらされる再帰性です
この再帰性が驚くべき力を発揮する とにかく、むやみに集団を作らせるな
特に、この集団が利権に結びつくと、膨大な不幸をまき散らす
すべての恒久的なコミュニケーションはデジタルを介すべきとさえ言える
それで、人類の不幸の多くが根絶すると断言できる そして、コロナはそのことを教えてくれているとさえ言えるな 中世までは、女性が表に出ないなどある意味で閉鎖的だったけどそれで良かったんだよな
イスラムでは不倫など男女関係のもつれが無用な衝突を生じさせ破滅に至るのが
良く分かってるから女性にベールを被せて家から出さないことにした
これは知恵というべきだろう 男女関係は言うなればウロボロスの様なもの
関係を断たない以上進歩は望むべくもない これからは、デジタルトランスフォーメーションに対する正しい理解が必要
ここから外れると、デジタル化によって社会の純度が高まり、それによって
間違った概念の誤りが純化されて発散しやすくなる
それは、禍々しい狂気のような印象を与えるものになるはず
そして、そういう事物が徐々に増えている感じがある
そこに巻き込まれないためには、このスレや>>1のリンクのスレを何度でも読んで
デジタルトランスフォーメーションとは何なのかよく理解しておく必要がある デジタルの罪と言えるかどうかはわからないが、デジタルでは無作為が生じない
このことによって、再帰の純度が大きく高まり、すべてのものが純化する
したがって、正しいものはより正しく、間違っているものさらに大きく間違う
すべてのものが加速するという表現でもよいかもね
デジタル化は、加速主義と大きく関係している
これは直感として共有されていると思うけどね デジタル庁ができようが、日本のIT技術者の地位は低く、給料を安い。そして何よりも、
技術が低い。知識はあっても実践が弱い >>705
つまり何の問題もないのかそれともあんたもその片棒を担いでるのか ツイッターのつぶやきで申し訳ないが、面白いので取り上げてみます
『生きるための日本史』安冨歩 まだ途中なんですけど、私は読んでいて「加速主義」はやっぱり駄目なんじゃないかと思いました。
ここ日本では、破壊による変革はなされないで、むしろ従来の価値観をより強固に定着させてしまうんじゃないかな、と。
あくまで途中の感想です。
デジタルトランスフォーメーションによる再帰の純化に耐えて、その上で定着するならばそれは正しいということです
しかし、「従来の価値観」がすべてデジタルトランスフォーメーションに耐えうるとは思いません
間違っているものは、発散して狂気の雰囲気を帯び始めます
それは、至る所ですでに観察出来ると思います ここまでの考察でわかるように、良いか悪いか、正しいか間違っているかは
誰かの深淵な思考によって決まるのではありません
それは、再帰系の純化により、誰の目にも明らかな形で現れます。
なぜそうなるのか?
それは、ハイパーカオスと論理系の二元論によって定まる絶対性がその正しさを
決定すると言うことになりますね ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て「神」のような存在になるとする考え方もある。これは一部のサイエンス・フィクションにあるような存在形態のレベルが上がる等といった生易しい話では済まず、ポストヒューマンが築き上げる世界があまりにも高度で洗練されているため、生身の人間が見たらその意味を全く理解できない(世界が高度過ぎて認知できないということは、意味が無いように見えるため、むしろ乱雑な世界に見える)だろうということである。
ポストヒューマニズムを人間中心主義としてではなくジル・ドゥルーズの超越論的経験論的な観点からロージ・ブライドッティ(Rosi Braidotti)、松本良多 (Ryota Matsumoto)、ステファン・ハーブレクター (Stefan Herbrechter)はクリティカルな人間と機械の共生する哲学としてとらえている。 >>710
新潮の大森や矢野など、低脳で無知な編集者が背伸びして必死で書いた文章かよw つまり、デジタル化を進めると、間違った概念を持つ人々はこの発散に巻き込まれるために
デジタル化を進められない
正しい概念を持つ人々は、この発散を起こさないので、どこまでもデジタル化を進める
ことができる
したがって、資本主義的競争において、正しい概念を持つ人々が勝つという状況が
現れ、それが徐々に深化していくことが考えられる
これは個人単位の競争においても、国単位の競争においても当てはまるはず 東南アジアのマレーシアのクアラルンプールあたりで早めに会うか。俺に金が入ってきたら行くから。 結局、こう考えていくと、デジタル化とは無作為を排除することですから
「正しい」とは、無作為に頼らなくても持続性を持つ有り様というふうに定義出来ると思う
これは、よく考えてみると、非常に納得できる定義です
無作為はそれまでのすべての業を帳消しにしますから、悪人ほど無作為を好みますね 「宇宙は複数ある」は本当か UCバークレーの野村教授に聞く
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00137/042000019/
マルチバース理論というものを提唱している人らしい
この宇宙の現状は奇跡的だから、宇宙は多数あるという論理は無理がある気がする
すでに奇跡が成立してしまっている観察者がそれを言っても、すでに
それは成立してしまっているわけだから
これから成立するかどうかを考えるわけじゃない
結局、そういうアプローチから宇宙を考えるなら、哲学的と言われてしまった
その表現はまさに的確で、メイヤスーの立場まで行くしかないと思う 資本主義自体が正しくないし、不正で、エコにも著しく反しているのだけど
所与の前提を鵜呑みにするなんて、すでに哲学ではなく、洗脳されてるだけw >無作為はそれまでのすべての業を帳消しにしますから、悪人ほど無作為を好みますね
悪人は作為的な利権や忖度を求めるから、ちょっと違うんじゃないかな デジタルは作為的であるゆえに、誰かにとって都合がいいツールにも出来るのは
自明のこと
自然は無作為なので、自然災害みても、ランダムに突発的に発生するから、ある意味、
万人にとって平等なリスクでランダムになっている。コロナと同じ たとえば、医師OBの子息は医大に入りやすく、入試の加点も調整されている
女子は入りづらく点数が減点的に操作されている。寄付金などがあれば、さらに
馬鹿でも入りやすくなる。こうした恣意的作為によって、社会が劣悪化する >北朝鮮ハッカーたちが2018年末、2億5,000万ドル相当の暗号資産(仮想通貨)を
盗み出したとされるハッキング事件。米国政府は2020年3月、複雑なその犯行の詳細を
明らかにした。この起訴を通じて、北朝鮮による資金洗浄の手口が明らかになってきた。
ふたりの罪状は、複雑な資金洗浄スキームを実行したというものだ。この資金洗浄で
は1億ドル(約108億円)以上に相当する暗号資産が大量の口座間で動かされ、
結果としてめちゃくちゃな痕跡が残された。この過程では、北朝鮮のインフラを
使ってアップルのiTunesギフトカード8,823枚が144万8,694ドル(約1.6億円)で購入されたほか、
偽のIDの作成や、トランザクションの複雑なネットワークの構築が見られた。
デジタルだろうと、アナログだろうと、それを扱う人間の本質自体が同じなので、
デジタル化すれば楽園が訪れるかのように考えるのは、ナンセンスの極みだろうね >>720
無作為が人間の苦しみの原因
作為の不正はいずれ是正されるが、無作為は永遠に是正されない
作為の不正は再帰が成り立っていずれ発散するが
無作為は永久に持続可能
ここで問題になるのは、作為の不正を無作為で帳消しにしないこと
そうなると作為の不正も永久に持続可能になる
作為の不正が無作為を使えなければ、純度の高まった再帰系によって発散する
だから、悪人は無作為を使って自身の業を帳消しにして、それによって持続性
を得ているんだよ >>722
デジタル化の狙いは、無作為を使わせないことだよ
それによって、不正は再帰系の中で発散する まず、自然は無作為なので、それによる格差を再分配で均すのが社会や政治の役割
でも、実際の政治は格差を助長する方向を強めているだけ。経団連と自民党の
タッグをみればよく分かること。世襲議員や世襲の経営者で、階層固定化しているのが現実。
でもアホン人はアホゆえに自民支持で、格差を固定化することや広げることを望んでいるようだけど だから、正しさとは、無作為に頼らずに持続可能であるその有り様という
定義は、あらゆる意味で正しい
そしてこの定義自体も、そこに含まれるだろうね >>725
人間は、自然ではないからね
自然に帰るなら、動物の生き方を選択することになるが、それは選択しない
それは人間としての矜持ということになるね >それによって、不正は再帰系の中で発散する
その具体例をあげてみよ。クロスサイトスクリプティング(XSS)って、知ってるかい?
デジタルなんて、いくらでも悪意のあることできるし、発散していない
手を変え品を変えているだけなのが現実だよ 結局は、認識者にとっては、論理系を維持することが正しいということ
それとは別の立場を取ることもできるが、その立場では認識者からは脱落するだろう
それを良しとしないのは、人間としての矜持、あるいは認識者としての矜持としか言いようがない
それは認識者としの唯一の個性であり、その個性が正しさを定義しているとも言える
正しいとは、個性の有り様でもあるからね >>728
無作為でごまかすことを許さなければ、不正は自分に返ってくる
そもそも、人が何かを不正だと感じるのは、それが純粋な再帰系では持続不可能てある
と直感するからだよ
つまり、それはその定義そのものであると言えると思う むしろ、悪人はデジタルに戦場や舞台を移しているんじゃないかな
ITの知識と技術で、そういう人材を北朝鮮は軍で養成しているだろうし
人間存在自体が欠陥種なので、デジタルになっても同じだよ >>730
だから、その具体例は?逃亡したカルロス・ゴーンは発散してないし、
上等なワインを飲んでるけど 君はいつも動物を悪く言うけど、人間の方がよほど、業が強くて悪い種なんだけど
エコにも著しく反した存在で、地球環境に最も害を与えている生物は人間でしょ じゃあ、なぜ何かの行為が不正だと感じのかを考えてみれば良い
それは、結局はその当事者が被当事者になったときの不整合に起因している
だから、これを直結させてやれば良いんだよ
そのためには、無作為でその連鎖を帳消しにしないことが重要ってこと 別に無作為の自然でやれ、なんて言ってないよ
デジタルは作為を温存、拡張できる、と言っている
孫正義、兆円オーダーの資産があるけど、それがデジタル化による平等なの?
格差を広げているだけじゃない? ひろゆきもそうだよね。最近、ゆたぼん?とかいう不登校の子供にディスられているようだけど。4億円の賠償金を踏み倒して、フランスでのうのうと生きているし、全然、
発散してないけどw 世界各国のIT長者をみれば、分かること
デジタル化で格差は、より加速度的に広がっているのが現実なんじゃない
当たり前じゃん。再投資の継起の複利で利得がより容易に巨大に膨らんでいくからね
グーグルみたいに、有力なスタートアップは全部、芽の段階で買収すればいいのだし
ピケティ持ち出すまでもないけど だから、資本主義は著しいゼロサム・ゲームになってしまうから、そのままでは
巨大な悪や暴力装置になることは自明。デジタル化はそれらを加速するだけ
人間自体の本質が悪で変わらない、と考えれば、どうにもならない、と考えるのが
妥当でしょう 線形性が大事なんだよ
線形性が確保されれば、後は一律に調整できる
途中の不正を潰していけば、生産力にも余裕が出来て、
BIと課税で一律調整できるよ
デジタル化は、この途中の不正を潰していくべきもの 不正だらけの状態でBIと課税をやると、上手くいかない
途中の不正が残ってしまうので、結局は苦しい状態が続く
さらには、その途中の不正、腐敗を拡大してしまうことすらあり得る
途中の不正が人にとっては一番身近で影響が大きい
まず、細かな不正を潰さないと、一律調整は使えない だから、自民党と経団連自体が不正の胴元みたいな存在なのに、奴らが自分らに
不利になるような法案や制度を作るとは思えないのだけど
むしろ、自分たちの利得を最大化するような悪法を作るモチベーションの方が高い
だろう、家族で自助努力しろ、とか言っている自民党がそうだけど 誰がやってもその問題は残る
まず、無作為を使って業を帳消しにすることを辞めさせること
これだけでも社会はガラッと変わる
IT化によって社会の正義に対する感度は明らかに上がってるからね
さらにIT化を進めていく中で、この傾向はさらに強まるだろう 正規と非正規社員の著しい格差も小泉-竹中プランによるもので、竹中はBIの推進者だよ
だって、ごくわずかな額のBIで、年金や、皆保険、福利厚生費をゼロにできるのなら、
お得だと考えている悪人だからね 生活保護は不正の温床でしょ
大事なのは、線形性
それがないと、結局は社会の不正はなくならない 前にも言ったけど、SNS化の誹謗中傷で自殺者続出しているのが現実だけど
韓国芸能人の自殺率の高さをみよ
人間の本質が悪なので、技術が変わっても同じこと
悪人はデジタルを悪い方向に用いるのみ デジタル化を進めていけば悪は発散するよ
まあ、いずれにしろ、デジタル化は資本主義によって進められているので
この論議のあるなしにかかわらず、社会はその方向に進む だから、デジタル化で悪は発散してないからw
少しは現実を見よう 社会の正義に対する感度は明らかに高まっているよ
これはIT化によるものだよ デジタルだろうとアナログだろうと、それを扱っている人間の本質が変わってない
のだから、悪が減る訳がないのは自明。犯罪や不正の舞台が現場からデジタルに
移行するだけで、悪の全体の総量や比率は変わらないだろう
君は少し能天気すぎる グーグルだと有力なスタートアップをそこにいる有能な技術者ごと買収して
子会社化して巨大な利得を生むようにしているし、ユダヤ商法そのもの
全然、正義ではないし。単なる貨幣増殖運動、守銭奴の世界 >>750
悪の発散でしょ
無作為を介在させなければ、自分の行為や考えはすべて再帰系に取り込まれて
そこで持続可能でないものは発散する
むしろ、純粋な再帰系のなかで発散するものを不正と定義しているんだよ、人間は 代々続いているマフィアや暴力団組織、利権団体は再帰的で発散してない、
と言っているんだけど。世襲議員も世襲経営者も再帰的だから悪と不正の温存に
なって腐敗するのだし 悪を可視化するツールを作るやつが悪にならない保証はない。 >>753
無作為を使って持続可能な状態を維持している
悪人はすべてこれだよ どこに悪が発散しているの?北朝鮮の金一族は、全く発散してないけど?
フランスに逃亡した、誹謗中傷掲示板の創設者ひろゆきは、4億円踏み倒して、
メディアで元気に活躍してるけど。カルロス・ゴーンは日産のお金横領して逃亡して悠々自適
君は非現実の住民なの? >>756
無作為を使って持続可能性を維持しているんだよ
下っ端とか無作為に死んでいくだろ
そこで業を帳消しにしている だから、兆円オーダーの資産を持っている人間たちに、どうやってデジタル化で
再分配をさせられるのか、述べてみよ。そのような巨大な格差は資本主義が
悪であることの証左だろう 社会に細かな腐敗がなくなれば、後は一律に調整できるよ
それは、社会の中に細かな不正がなくなった状態で、自然に社会は
それを選択する方向になるだろう 細かな不正はどっこい生き残るのであった
という結末になりそうな気がするがな。 君はあまりにも現実を無視するから笑えるよ
無辜の罪で中共に恣意的に逮捕された香港民主化運動の若者たちが目の前にいるのに、
デジタル化で正義が得られるとか、ちょっと、思考の現実逃避が大きすぎるよ
AIは軍事技術で大いに使われるからね、中国筆頭に
サイバー戦もそうだけど 中共とかデジタル技術を国民監視ツールに使っているからね
全方位で監視されているのと同じ奴隷状態
北朝鮮でも、どこでも同じ。シンガポールでもそう
だから、好きな時に、一瞬で身柄を拘束できる ブラック企業なんかも、無作為を使って持続可能な状態を作り出してる
そこでたまった歪みを無作為に誰かに押しつけて、それを帳消しにしている
無作為が使えなければ、その仕組み自体が発散するか、浄化されるかどちらかになるだろう
例えば、リストラを常に一貫して何かの基準に基づいて機械的にやるのであれば、
その影響帰結を必ず受け、その影響が増幅する組織のあり方であるならば、それは発散する
しかし、その過程で無作為を挟めば、その回路をすべて帳消しにできる だから、なんで君の視野はいつも日本国内限定なの?w
イスラム圏とか視野に入ってないの? 全部無作為を利用してるでしょ
イスラムでもなんでも
社会の歪みを弱者に無作為に押し付けることで、その歪みを解消できるんだよ 1: 【あずま】東浩紀603【システム】 (180)
2: デジタルトランスフォーメーション2 (765)
3: 孤 独 な お じ さ ん 板 (3) だから、デジタル化すると、イスラムの長年抑圧され続けた女性が解放されるの?
君は、イスラム女性はベールで包まれているのが正しいみたいな時代錯誤の認識を
提示してたようだけどw人間の本質が差別的なのであれば、デジタル化しても
同じ。デジタルで差別や暴力を助長していくだけ
現実がその通りになっているし なんか、このスレ主は無作為を否定しているのに、社会が自然にそうなるとか、
自然(無作為)を当て込んで、いい加減に発言しているんだねw 人間存在自体が悪なのだから、デジタルでもアナログでも人間が行うことの内実は
変わらないと、推論するのが論理として妥当
どうして、デジタル化が進むと、急に人間が善性へと傾くのか、何も説明がないので、
全く同意できない。デジタル詐欺やデジタル不正、デジタルいじめができるだけ 哲学板みるだけでも分かること
一人のキチガイが一年中、毎日スレを一日中荒らし続ける。
それを十年以上もやってるらしい
君の言うデジタル化で、悪や荒らしは全く発散してないどころか、むしろ、
安定、定常状態になっているのが現実だけどw ハイパーカオスと論理系の二元論により、論理系を維持するには、ある基準に
従う必要がある
論理系のみなら、あらゆることが自由だが、この二元論であるために、
論理系を維持するならば、ある基準に従わなければならない
そしてこの基準はもちろん、誰かが決めるものではない そして、デジタル系は浮かび上がらせるってこと
発散すれば無作為になる 無作為じゃないでしょ。再帰的、作為的に毎日、規則正しく荒らしているのだから
長年の習慣になっているのだから、太陽の昇降と同じで、慣性系さえ獲得していると
さえいえる
悪は容易に発散しないのが、この世の現実だよ
学校や職場からいじめがなくなった時代があるのかい? >>774
真の無作為は、自然のみが作り出せる
疑似無作為ってことだね 要するに、「正しさ」とは誰かが決めることのできるものではなく
それは再帰系の中での持続可能性によってのみ特定できるってこと
したがって、まず純粋な再帰系を形成しなければ正しさとは何かすらわからない
これがデジタル化が正しさを実現するといったときのキモになるわけです
誰かがそれが正しいといっても、それが本当に正しいかどうかはわからない
正しさとは、純粋な再帰系における持続可能性によってのみ特定できる 中退→引き篭もり→ネトウヨ無職
月曜からヒマなゴミなんて
相手にしなくていいよ
お昼よ だから、君は再帰的なものは正しい、と勝手に自己定義しているんだよ
だから、あえて、悪い方の再帰の例をあげて、再帰自体は善でも悪でもない、
再帰は再帰にすぎない、と指摘しているまで
悪い再帰的なもの
世襲議員、世襲医師、世襲経営者、あらゆる分野での世襲、ジェンダー差別、人種差別、
正規社員と非正規社員の差別、あらゆる差別、掲示板の荒らし、暴走族、環境破壊、階層固定
これは悪い再帰の例のごく一例にすぎないけど、どの時代を見ても発生している
こと。いくら社会がデジタル化しようが、これらの悪い再帰自体は減らないだろうし、
場合によってはデジタル化で巧妙にそれらが維持・拡張されていくのみではないのかな 犯罪者だって、ロジックを使っているから、法の穴を抜けたりなど、
プログラミングを書き換えたり、巧みに悪を遂行できるのであって、
ロジック自体は善でも悪でもない。ただ、ロジックがあるだけ。
それを使う側の人間が悪に傾いているのなら、論理を使って悪を遂行できるし、
善に傾いている人間なら、良きことに論理を使うだけの違い
ネットでも包丁でもデジタルツールでも、なんでも同じ。道具はただの道具に過ぎない。
それを使う側の主体の違いで、異なる発現パターンが生じるのみ エピクテトスが面白いこと言っているよ。これから自分は公衆浴場に行くのだが、
そこでは盗み、暴力、無礼など、あらゆる悪がそこで行われているのが目撃される
だろうが、それらに決して心を乱されることなく、理性的に対処できるように
心の準備をしてからそこへ出かけよう、みたいなことを述べている。
人間の本質は時代が違っても同じなので、このエピクテトスのスタンスこそが
正しい。悪が人間存在のベースなので、それを前提に物事や人間、社会を見れば、
現実を正しく見ることができる。SNSでの集団リンチで自殺者をたくさん出している
現代も、古代ギリシャでもその点では同じ
認知機能が衰えると、さらに人間の悪性は増悪化するけど、もともと、人間存在は
悪なので、それが理性の箍がいっきに外れて発現しているからだろう この話の要点は、無作為を許さないことで悪は存続できないということです
なぜならば、無作為なしで存続できることが正しさの定義であるから もちろん、この定義に同意しないことは出来ますが、その場合は
無作為に依存する生き方を選択するということであり、それは動物的な生き方を許容する
ということです。
それを選択するのはもちろん自由です。
やはり、万人に共通する正しさというのは、残念ながらないということになりますが 悪が無作為側であるというのが、意味不明
悪は作為的に行うので、作為の側にあるだけでは、正しさの根拠にはならない
君は、相当低いレベルの悪を外れ値のようにして想定しているようだけどw
アキバの加藤みたいな奴とか青葉とか、植松とかw
この世で現実的な悪を行っているのはもっと圧倒的に知能が高いし、彼らは
再帰を利用して規則的、論理的に悪を遂行しているよ、ある意味、合法的、
法すれすれのレベルでね ある意味、それはウイルスが体内に侵入する方法と似ている
細胞内のロジックを巧みに利用して、ウイルスは人体に侵襲し
寄生し、そこで繁殖する
全部、ロジックを上手く利用しているから、作動するのであって、
コロナがその良き例だね https://www.youtube.com/watch?v=JygVfqYqs0k
GACKT VS DaiGo アーティストvsメンタリストのマジババ抜き!
これ見ると、GACKTの知能が高いことがすぐに分かる。論理で全部、相手の動き
や心理を読んでいる。メンタリストはガリ勉タイプで認識が既存の科学論文を
鵜呑みにするだけでバグだらけだけど、ガクトは論理だけをクールに使っている。
彼は、外国に税対策で会社かなにか作っていたね。高校も偏差値70くらいのところ出ているらしい。
地頭力というのがあるんだよ 悪は無作為側にあるというよりも、無作為が悪を許容しているということだね
無作為がなくても存続できるならば、それはもう悪ではない
まあ、実際は自然の無作為は決してなくならないわけだけど
自然の無作為を自ら引き起こして自身の業を帳消しにすることはできないわけで
悪人ができるのは自身で疑似無作為を引き起こして、自身の業を疑似的に帳消しに
することだけ
しかし、それでもその疑似無作為は人の一生よりも長く業の連鎖を断ち切ることは
できるだろうと思う メンタリストDaiGo って、いつも〜大学のメタ研究によると、みたいな話をして
いるけど、そこでデータねつ造や研究方法の誤り、サンプルの偏り、どこかの
ステークホルダーによる寄付金やそれによる研究結果の操作、などを全く度外視して、
〜大学のメタ研究だから、正しいだろうという前提で論を展開していくのが特徴なので、
ある意味、ロジックを欠いているという点で自己啓発とよく似ていると思われる
大学の研究データが利益相反で偏向しやすいことなんて、常識の類に入るし、
ことに医療分野では顕著なことだろう >悪人ができるのは自身で疑似無作為を引き起こして
こういうのを普通、作為というので、君はレトリックを弄んでいるようにみえるよ 建設関係です…私も自分の管轄する現場で水道管を損傷した経験があります…
もちろん、水道局の立会の元…
図面を見て試掘中に…
水道局の図面など、ほとんどウソです…
でも水道局が悪い訳ではありません…
戦前からバブルまで、長年に渡る怠慢のせいです…
その負担が一気に爆発し…
今、損傷させた業者や、過去の怠慢を押し付けられた水道局に負担が
片寄っています…
大切な本質は、震災等の有事で分かる通り…
インフラによる日常は当たり前ではないと国民が認識する事ではないでしょうか?
便利にはある程度のリスクがかかるのは当然と認識して、普段をありがたいと
感じる事じゃないかと思うのです… 原因はこれから検証する必要がありますが、気になるのはインフラ老朽化です。
わが国では今後、建設後50年を超える社会資本が急増します。例えば下水管は
建設後50年以上が2018年のは全体の4%ですが、2033年には21%となります。
道路は2033年に全体の63%が50年以上となります。
そういった意味ではこのようなニュースが今後増えることが懸念されます。
老朽化したインフラをどうアップデートしていくのかが今後の経済政策の観点から重要です。
その際、IT等を活用して、極力省力化や低コスト化を図る必要があります。 データを捏造するのは、日本のお家芸みたいなものだからね
公害、薬害エイズ、製薬会社の利益相反、福一、放射能、コロナ被害、
年金データ、耐震偽造、車の車検データ、etc.
だから、こうしたコンタミゴミデータをデジタルで分析したって、まともな
検定は不可、となっているのが日本の現実。世界でも、似たようなもんでしょうけど >>789
作為的に無作為を利用するということですね 無作為を許さなければ、たとえデータに誤りがあっても、追跡できるからね
それにはしかるべきフィードバックが適用される
このような再帰系を成り立たせることが重要ってこと
無作為は、こうした再帰系を寸断する >>796
AIでお前の発言はだいたい特定できる。 緊急事態宣言の扱いなんかも、もう法律できちんと決めた方が良い
罰則規定もきちんと作らないと
こういう事実を確定させることが大事
これをやらないと、結局はどこかで誰かが埋め合わせのために犠牲になってる
それを見て見ぬ振りしてきたのが、これまでのやり方だが、
それは不幸を蔓延させるだけ 無作為な犠牲が業を帳消しにするというのは
卑弥呼の時代やらさらに江戸時代まであったらしい人柱とか、生け贄とか
につながってるのかもな
原始的な直感でそれを見抜いていたのかもしれない もうモノで何かを評価する時代は終わった
モノにとらわれていては、これ以上不幸を減らせない
いかに再帰のループを繋げていけるか
そのループの深さこそ、評価の対象になる >そのループの深さこそ、評価の対象になる
よく分からないので、その再帰のループが深いものの現実的な具体例をいくつかあげてください モノにとらわれるな!とか言ってる人物が上野千鶴子氏のようにタワーマンションで高級外車で別荘持ちだと
ちっとも説得力がない
逆に、水呑百姓みたいな哀れ極まりない乞食だと僻みだと言われてしまう
ここが難しいところ >>801
例えば、趣味で人工知能のシステムをいじってみるとかね
そういう活動の方が、豪華なモノに囲まれた生活よりも
はるかに評価が高い そんなんで良いんならガーデニングでもなんでも良いじゃないか モノは無作為
無作為をいじっても再帰のループは形成されない まあ、生命もデジタル系を構成しているけれど
基本的に動物植物は、無作為に大きく依存した存在だからね
動植物相手に再帰ループの深度を大きくするのは難しい
そして人間もグループ化すると動物化する性質がある 依存症っていうくらいだから元来依存する生物なんだよヒトは まあ人工知能とか難しいかもしれないが、似たような活動ならデジタルを通す方が
再帰のループは深くなる
スポーツよりもEスポーツ、パーティーでのゲームよりもオンラインゲーム
テレビよりもYouTube
そういう選択をするほど、後々差が付いてくる 553 夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2020/09/07(月) 07:56:30.06 0
ある関数の、最後の文が関数呼び出しだったら。これを末尾再帰といいます
この場合にスタック退避等の関数呼び出しのコストを省いて、
単純ジャンプに置き換えてしまう。これを末尾再帰の最適化といいます
もちろん末尾再帰と末尾でない再帰とがあるわけで、末尾でない再帰は
そのままに実行するしかないのですが、この話の意義はそうではなく、
末尾再帰の最適化を処理系が必ず行ってくれることを確約しますので、
実質的に単純ループに過ぎないものでもどしどし再帰の形で書きましょう、
という点にあります。例えばforループなんかを再帰の形で書いてしまうわけです
578 夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2020/09/07(月) 10:37:31.75 0
forループでもwhileループでもいいんですが、ループの中からその
for宣言やwhile宣言を、まるで関数ででもあるかのように呼ぶわけです
そういう書き方をしても単純ループ以上のコストが増えるわけではない、と
宣言するんですね。言語の仕様として。それが末尾再起の最適化です
589 夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2020/09/07(月) 11:16:59.26 0
ではforループやwhileループと関数の違いは何か、という話になる
末尾再帰の最適化があればその区別は必要なくなるわけです
forやwhileは、その場だけの関数を一時的に作り出してるようなもの
その関数をcontinue文が、あるいは引数を伴うとかして呼び出すとか
できたら面白いと思いません? >>812
まあ、そういうことを考えるのも非常に良いね
哲学って、本質は再帰について考える学問
要するに、再帰のループを深めるというのは、哲学的に物事を考えるということ
ということは、要するに、これからはモノの時代ではなく、哲学の時代になるってことです >>813
これからは鉄道模型の時代ではなくパソコンの時代だ、と今頃言いたいのですか? いや、パピコンの時代PC6000、テープレコーダーも建材 そんな話はしてない。鉄道模型が、ループがあって、分岐があって、ソフトウェアに似てるという話をしてる 鉄道というのもデジタル的な再帰を形成するけれど、やはり物質だからね
惑星の公転と同じレベルの一重の再帰で、最も原始的なレベルだな 哲学は再帰を考える学問というのは、
例えば、メイヤスーがハイパーカオスについて語っているとき、
それは、同時に論理系について語っている
ハイパーカオスそのものでは再帰は起きないが、それでも再帰の呪縛からは
逃れられない
論理系とは再帰そのものであって、私たちは論理系の外に出られない以上
思考するとは、再帰について思考するということと等価であり、また等価でなければならない そして、動物に近づくほど、この再帰の深さは小さくなる、さらに物質に近づくほど
さらに再帰の深さは小さくなる
最も浅い1重の再帰であるならば、惑星の公転や鉄道模型の軌道のような物質のみでも
成り立つ メイヤスーの場合で言うならば、ハイパーカオスについて考えると言うことは
それはまさに論理系について考えると言うことに他ならない
むしろ、ハイパーカオスについて考えなければ、論理系について真に考えることはできない
論理系以外の存在について考えることで、初めて論理系とは何かを捉えることができる
その結果が、論理系の生まれ変わりの可能性についての言及と言うことなんだろうと思う 嘉本悟騒音に敏感な理由は過去、道路族被害者だった
「せっかく引っ越したのにまた騒音」絶望の中殺人
https://ririannews.com/kamoto_satoru-1449
これが美しい日本人たちの姿です すげぇ先入観と決めつけによる記事だな
私道の写真を掲載して道路族としてるし
むしろ書いてるやつの精神状態を疑うわ 根拠もないブログ鵜呑みにするほうがサイコだろうがよ
こういう手合いが被害妄想になって人殺しを正当化するんだろうな メイヤスーって訳本が話題になってるのをネットでチラ見しただけで
まったく読んでいないだけど、「父母未生以前」がどうのとか論じてる人? 父母未生以前(読み)ぶもみしょういぜん
精選版 日本国語大辞典の解説
ぶも‐みしょういぜん ‥ミシャウイゼン【父母未生以前】
〘名〙 (「ふもみしょういぜん」とも) 仏語。自分はもちろんのこと、
父母もまだ生まれない前の意。相対・差別をこえた本来の自己をいう。父母未生前。 >>829
殺人犯をかばうクズがお前、人として最低ですね 事実から類推した箇所が多すぎて飛躍し過ぎだし実際めちゃくちゃな内容じゃない 自前のブログ宣伝しにきたけど否決されたんでスネてるのか 馬鹿なことばかり書き込んで逆ギレ、こりゃガチの精神疾患だな
自分で書いた記事みてこいよ気持ち悪い 一生懸命書いたことをそう簡単に非難するな調べたひとの苦労くらい考えろよ あんな最上クラスのサイトを否定するなんて見る目がない 再帰、というか関数呼び出し一般は、やがて呼び出し元に戻ってきて続きをやるのが通例です
呼び出した元の位置にしかるべく戻って来れるようにするために一定のコストがかかります
もしこの、関数呼び出しから戻ってきた後にやるべき続きがない場合、それが末尾再帰です
例えば関数Aが関数Bを呼び、さらに関数Bが関数Cを呼ぶとしましょう。もし関数Bが関数Cを
呼び出した後すぐに関数Aに戻る場合に、関数Cから関数Aに直接戻ってもらう仕掛け、
それが末尾再帰の最適化です。このシンプルな仕掛けでもって関数と、組み込みのループ構文とが
綺麗に統合が図れます 「日本はスマホに支配された異常な国だ」天才哲学者がそう断言する理由
マルクス・ガブリエルは警告する
https://president.jp/articles/-/45599?page=1
まさに、このスレ向きの記事だ
しかし、共同体など糞
マルクス・ガブリエルにはそれがわからんだけ しかし、結構日本のことを注視しているんだな
メイヤスーならどう言うかな 次元関数の立体構造なんか避妊選別に大事だし。文系得意でもなあというところあるけど。 マルクス・ガブリエルの言う
「世界はない」→「あらゆる心象は実在する」
これは正しいんだが、またメイヤスーの言っていることと重なっているんだが
なぜそれが正しいのか本人はわかってないだろう
だから、正しくポストヒューマニズムの方向に向かないんだな まあ、基本的に人は集まると動物化してろくなことをしないんだな マルクス・ガブリエルの記事がプレジデントでアクセス1位になっているな
結構知名度あるんだな 天才哲学者と銘打ってる以上御用学者の様な振舞いはタブー視されてしまうからその分期待値も高くなるんだろう >>844
唯識論みたいなのだったら面白いと思うがほとんど言葉遊びみたいなもんだな >>850
言葉遊びではないよ
世界がないのであれば、論理系のあらゆる要請にハイパーカオスは応えるってこと
したがって、あらゆる心象は実在する
それは、違う宇宙、あるいは来世、遠い未来、あるいは遠い過去
いろいろな表現はあると思うが、世界がないのであれば、論理系の要請にハイパーカオスは
必ず応える 来世とか反則だと思うかもしれませんが
そもそも論理系は完全に複写可能であり、したがって来世も現世も、論理系が複写されれば
区別が付きません
論理系以外のハイパーカオスについては、同一律が成り立ちませんので、それが同一かどうかはそもそも
意味がありません
したがって、論理系が複写可能であるというそのこと自体で、ハイパーカオスを制限する
「世界」が存在しないのであれば、無限に存在する論理系いずれかの複写体で
論理系の要請をハイパーカオスは実現します
したがって、あらゆる心象は実在するということになります そして、こうした考え方こそが、ポストヒューマニズムということになりますね
したがって、マルクス・ガブリエルは、結論はあっていても、
それが実際に何を意味するのかはよくわかっていないということになりますね つまり、マルクス・ガブリエルの
「世界はない」→「あらゆる心象は実在する」
は論理系に対する直感なんですよ
それはあくまでも論理系に対する直感です
ハイパーカオスに対しては人がわかることはほぼないですからね
つまりマルクス・ガブリエルのこの言説は、伝統的な輪廻転生とか生まれ変わりとかの概念と同じです
こうした輪廻転生なんかの概念も、論理系に対する人の直感です つまり、本当に「世界はない」のか、ハイパーカオスを制限する構造は存在しないのか
は人にはわかりません
人は結局は論理系から出られないですから
そうしたハイパーカオスに関する条件は棚上げして、
ただ論理系に対して
「あらゆる心象は実在しうる」
「輪廻転生は起こり得る」
という直感が可能であるということです いや、ハイパーカオスに対する条件を棚上げすれば、これらは直感ではないですね
それは論理的な洞察です
ハイパーカオスに対する条件を前提として、
「あらゆる心象は実在する」
「輪廻転生は起こる」
という論理系に対する洞察が成り立つということです これは例えば、ウイルスなんかにとっては別の宇宙なんかを考えなくても
ほぼこの地球上で成り立ってますよ
ウイルスの論理系にとっては起こり得ることはすべて起こり
輪廻転生も起きる
これは、ウイルスの論理系が単純であるために、この地球上のハイパーカオスのみで
それに対応できてしまうということでしょうね こう考えると、生物の進化というものものも、論理系が持つその力そのもの
と言えるでしょうね
ハイパーカオスとの関係において、論理系そのものがその願望を叶える力を持つ
これが進化の力となり、またメイヤスーの言う生まれ変わりによる救いの本質ということになる
と思います だから、「世界がないとするならば」という前提が付く議論なわけです もともと、論理系、つまり何かを認識する系では、その持続性を求める
性質を同時に併せ持つ
認識する動作(真か偽かを識別する動作)そのものに、その持続性を希求する性質が含まれている
要するに、ここでいう論理系の願望とは、その持続にほかならない
この願望を結局はハイパーカオスは叶えるわけだけれど、
さらに言うならば、論理系はハイパーカオスに頼ることなく、その持続性を維持する
願望を備えている
これは最終的にはかなわないだろうけれど、論理系はその生来の性質として
この願望を備えている このハイパーカオスに頼らずに持続性を維持したいという願望こそ
動物としてではなく、認識者として持続性を持ちたいという人間の願望に対応している それに対してウイルスの持続性、あるいは持続性への願望は
ハイパーカオスに大きく依存しているということになります
そして、そうしたウイルスの願望をハイパーカオスは叶えているということになりますね 158 考える名無しさん sage 2021/05/09(日) 20:05:05.16 0
悪魔の証明の何がダメですか
160 考える名無しさん 2021/05/09(日) 20:24:46.57 0
仮想現実は存在すると言い切っているのがいけないな。この世は仮想現実なのでは?から議論を発展させていくのが哲学であって、この世は仮想現実である。これは真実だ。と言い切る人間はただの狂信者だろ。哲学を自称したいなら最低限真実を探求しようとする理性を持ってくれ。 そろそろ、コロナ以後の世界も見えてきそうですね
このコロナはまさに革命的な変化をもたらすことになりそう
コロナ以後、つまり2020年代はDXとポストヒューマニズムが一気に進みます
これについて行けないと、非常に厳しくなる 国もデジタル化を進めたいなら、もうスポーツの振興は辞めた方がいい
特にスポーツ観戦はまったく意味がない
スポーツではなくeスポーツに誘導してくことが重要
これが、デジタル化とポストヒューマニズムにとって、意外に大きな影響を及ぼすはず
スポーツは、部活動なんかで現状影響を受ける人数が非常に多いからね
部活動はデジタル化の足を大きく引っ張っているので、これをデジタル系の活動に
誘導していかないといけない デジタル先進国と言われる台湾なんか、スポーツなんかまったく力を入れてない
それが奏功している
間違ったメッセージを与えるという意味で、スポーツ振興は正しい方向に進むための
大きな障害になっている そもそも日本企業がプラック企業の風土を持ちがちなのも、この部活動のせいだからな まあ、コロナ以後の世界の象徴としてオリンピックをやっちゃう日本は
もうダメなことが決定してるのかもしれませんね
中止になれば、逆に奇跡なのかも でもデジタル一辺倒は身体的には不健康じゃないのかな
体を動かさなくなるので、身体が虚弱化する そもそも体育会系の思考停止のノリが好きになれないな
>光本勇介テキーラ一気飲み死亡事件
10万円獲得ゲームで無理矢理これやらされて、死亡した20才くらいの女子がいたけど、
こういうこと企画する奴も体育会系のメンタルの持ち主なんじゃないかな 光本勇介は、日本の実業家、起業家。株式会社バンク、STORES.jp株式会社、
株式会社実験の創業者、および、hey株式会社の共同創業者である
2020年11月、光本氏が発案したゲームだと言われる「15分以内にテキーラを
1瓶飲み干せたら10万円をあげる」という「テキーラチャレンジ」といった
一気飲みゲームをラウンジで行い、一気飲みした女性が死亡した事件に
関与していたとの報道がされた。
10歳から18歳までをデンマークとイギリスにて過ごした。趣味はインターネット。
NPO法人である柔道教育ソリダリティーを個人名義かつ自身が代表取締役兼CEOを
務める株式会社ブラケットを通じて支援していた。
ほらね、柔道支援とか書いてあるでしょ。スポ根馬鹿で迷惑なタイプ 日本はそんなに大きな国じゃないから、一点集中型の方が良いよ
台湾とかシンガポールとかスポーツなんかやらない
体力維持のための運動は必要だろうけど、それ以外はいらない
アメリカなんかは、無駄なことをしても他で取り返せるが、日本はその規模にはないので
台湾やシンガポールを見習うべきだな スポーツなんか、特攻精神を醸成するだけなんだわ
それをテレビで繰り返し国民に放送することがどれだけ悪影響を及ぼすか
想像すらできない
もちろん、DXとポストヒューマニズムに真っ向から逆行する
アメリカなんかの一部の例外を除いてスポーツの強い国はダメな国である傾向は、
世界的にデジタル化が進むにつれて、ますます顕著になっていくと思う いや、スポーツでも合理性や数学的アプローチ、AIを重視すれば知的なゲームに
なるのに、日本ではスポ根精神と怪我人続出でもやめない組体操、マスゲーム、
玉砕精神が染み付いているので、日本だとスポーツやってると最後は清原になる、
みたいな感じなんじゃないw
イチローとか知的なアスリートもいるけど、ああいう人は例外。 まあ、そうだが、しかし結局は体力の部分は無駄なんで
eスポーツにすれば知的な戦略と運動神経のみになる
運動神経もいらないが、まあ代替的なものだからしょうがない アメリカは軍事遂行計画でも、人員を酷使しないように合理的なローテンションでまわして
兵士を大切に扱ったのに対して、日本軍はボロ雑巾でも扱うように兵士を過剰に酷使して、
最後は神風特攻で玉砕させたという感じで、まさにブラック企業そのもので笑えるw
つまり、アメリカは戦時中からフォーディズムや品質管理の発想を軍事にも活かしていた
ということだろう。それに対して日本は鬼畜米英、八紘一宇などという意味不明な呪文と
スローガンを唱えて国民全体で思考停止していただけw eスポーツというのがよく分からないけど、それでもマシンのスペックに負うところ
が大だろうからF1とかと同じじゃない。いいマシンを調達できる者が有利になる
不公平ゲーム。それとも同じ場所に集まって、同じスペックのマシーンでやるのが
eゲームなの?でも、それでも普段の練習環境にテクノロジー的なスペックの差が
出るだろうから、ある意味、力技になっている部分もあるんじゃないの ビットコインを掘るのに大きなマシーンパワーとかなりの電気代を要求されるので、
そういうのをクリアできる人しか、参加できないゲーム。eスポーツもレベルが上がれば、
似たような世界になるんじゃないの ビットコインのマイニングは電気をやたら喰うので環境破壊につながっている
eスポーツはどうだか知らないけど、臨場感の高い仮想空間を構築しようとすれば
相当、環境負荷の高いマシーンが要求されるとは思うのだけど
つまり、eスポーツも将来的には環境破壊の原因になりそうだよ まず代替することが大事だからね
少しずつ進歩していかないと スポーツ庁もEスポーツ庁に変えると良いんだけどね
そこまでやれば、やる雰囲気になれば台湾を追い抜けるわ スポーツって頭の良くない人たちを祭り上げて、そこに金を集めて
良いように利権を貪るためのツールでしょ、すでに
オリンピックを初めてとして
そこにEスポーツ庁なんて、スポーツ全否定の省庁が出来れば、膨大な利権が壊滅して
さらにITも進歩するという一石二鳥だよ 中国が火星に探査機を着陸させたらしいが、このスレを見ている人なら
そういう物理的な科学技術はこれからますます重要性を失うだろうということがわかる
と思う
中国が今の窮地から抜けるには、政治にはあまりかかわらず、ひたすら
デジタルトランスフォーメーションとポストヒューマニズムを進めることだろうな
それによって、政治の重要性が徐々に消失するので、袋小路から抜けることができる >>886
スポーツしか出来ない馬鹿を一流大学に入れて学位をやるという悪しき風習はもう辞めるべきだな
学問的なアプローチとしてスポーツ医学に取り組むとかなら構わないが
芸事は芸事であって学問はあくまで学問だ 部活動が百害あって一利なしだからね
これが、結局は人々の不幸を高めている
ブラック企業の温床にもなってるしね
部活動を小学校のクラブ活動程度まで格下げすべき
これは絶対にやるべきだな
人々の幸福のために まず、スポーツが強いのは野蛮であり恥だという概念を徹底させるべき
そして代替としてEスポーツでその空白を埋めるべきだろう
Eスポーツはかなり知的要素を伴うからな DXに哲学的意味を見出すのって、なかなかムズイですね。 生物の発生と進化そのものがDXなんだよ
AIもびっくり、生物はシンギュラリティで生まれた
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66859
シンギュラリティもデジタルトランスフォーメーションの一種だからね
ここから、哲学的意味を類推できると思うが、要するに哲学そのものがデジタルトランスフォーメーションについて
扱う学問といって良いよ オリンピックについては、加速主義的観点から開催賛成している人が
結構いるな
オリンピック開催は、現状かなりリスク高いと思うんだが、まあ成功したとしても
いろいろ解体していくんだろうなと思う
確かに加速主義に乗る感じになると思うわ 結局は人々の内面に即した社会になっているだけ
それをデジタル化が後押ししている 今まではその内面のひどさが隠れていて、それがそれぞれ個別に被害者を生んでいた
しかし、それが表に引っ張りだされることで、社会はそれに応じて変化していく
それによって、個別の被害者は少なくなり、最終的には社会全体でそれに相応する
フィードバックが各個人に返される(要するに報いを受ける)
これが、宮台氏なんかが考えている加速主義の帰結でしょう まず、人々の内面の顕在化を受けて、社会が変わっていくと思う
それはいろいろなもの、つまり幻想が崩壊していく変化だと思うけれど、
その内面の酷さを、結局はその当人にフィードバックするように社会全体が
変わっていくと思うよ
その幻想に頼っている人は被害者になるが、それは全員ではないだろうし
個人もそれに適合するように変化していけるだろう
いずれにしても、それは当然の変化であって、誰が悪いわけでもない
ただ、その変化にかかる時間がデジタル化で短縮されてるだけ スポーツが弱い国の方が幸福度は高いんじゃないだろうか
まず、一人あたりのGDPが小さくても、スポーツが弱いと言うことはブラック企業が
少ないってことだろう
無茶する奴が少ないからな
まあ、もちろん経済があまりにも悪いとそちらが重要になるだろうけどね まず、物理的な力で他者に勝とうとする行為が、無用な不幸を引き起こす
原因の一つなんだわ モノには価値がない
それが結局は、このスレの論理を追っていくと到達する結論だな
価値があるのは、モノではなく、概念、論理、理論、哲学、つまりこのスレのように一貫して正しさを
指し示すことができる理論ということだね
そういう概念、論理、あるいはアルゴリズムといっても良いかもしれないが、そこにこそ価値がある 結局は、これだな
モノの価値というのは、結局はその独自性にある
人間性の価値においても、その独自性を重視する立場がヒューマニズム
人間の独自性ではなく、認識者に共通する正しさに価値を置くのがポストヒューマニズム
ということになるだろうな
12 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/12/20(日) 21:14:41.44 0
文化はヒューマニズム、文明はポストヒューマニズムと言えるかもしれない
文化の競争は、独自性の競争になって非常に過酷
エンターテインメントの競争は特にこれに当てはまる
ポストヒューマニズムは、結局は真と偽に収斂される構造の絶対性に依拠している
それは、真でありさえすれば良いわけで、はるかに人に優しいんだよ
そしてそれは、伝統的な神をより洗練されたあり方ということになる この理論のキモになっているのは、途中の無作為を排除するという部分
最初と最後の無作為は排除できない
しかし、途中の無作為を排除すれば、認識者が共通して持つ認識の枠組みの
絶対性から、すべての認識者が共通して持つ「正しさ」を担保できるということになる
そして「この途中の無作為を排除する」ことこそ、まさにデジタルトランスフォーメーションというこになるね
この理論は、ほぼ完璧に一貫性を維持できていると思う さらに、この理論に裏付けがあって、独自性を創出するものは、実は無作為に他ならない
したがって、途中の無作為を排除することは、途中の独自性を排除するということになる
この途中の独自性こそが、「文化」ということになるだろう
そして、最初と最後の独自性は排除できず、したがって最初と最後の独自性は必ず残るわけだが、
ここでメイヤーの言うハイパーカオスが逆転の論法を持ち出す
つまり、すべての論理系の要請をハイパーカオスは叶える
これはマルクスガブリエルの言っていることでもあるが、これによって
ハイパーカオスと論理系の立ち位置が逆転する
これによって、ハイパーカオスは透明な存在となり、論理系のみが意味を持つことになる
これが最終的にモノは価値がないという結論を導き出すことになる
まあ、この後段は前提付きの議論なわけだけど、いずれにしろ論理系はハイパーカオスに
依存することなく自身の継続を希求するので、そのことだけでモノは意味がないという
論理系の希求の観点から見た結論は得られるだろうね これは、要するにこう考えることができる
ハイパーカオスが無限の次元から成り立っているのであれば、もはやハイパーカオスそのものには
意味がなくなる
意味があるのは、ハイパーカオスのどの次元をいくつ切り出すかということだけになる
そして、この切り出しこそが認識ということになる 158 考える名無しさん sage 2021/05/09(日) 20:05:05.16 0
悪魔の証明の何がダメですか
160 考える名無しさん 2021/05/09(日) 20:24:46.57 0
仮想現実は存在すると言い切っているのがいけないな。この世は仮想現実なのでは?から議論を発展させていくのが哲学であって、この世は仮想現実である。これは真実だ。と言い切る人間はただの狂信者だろ。哲学を自称したいなら最低限真実を探求しようとする理性を持ってくれ。 なんか、中国は宇宙開発に力を入れてるな
これは、中国が物理的な力を重視し、これを誇示しようという根本的に間違った考えに
支配されているということを示している
これでは、中国はますます窮地に立たされるだろう
デジタルにのみ注力してひたすらデジタルトランスフォーメーションを進める以外に
中国がこの窮地を脱する手段はない
https://news.yahoo.co.jp/articles/765d1a0f7ab9736b1df862de595801fef073fe92 なんで論理を強調して、無作為や独自性を廃する論点に立っているのに、
日本がどうしたとか、中国がどうしたとか、無作為性に絡めとられた
感情的な発話をするのだろうねw >>910
いつから日本が下だと勘違いしたんだい? >>912
結局は、故意に無作為性、独自性を創り出すことがダメってことだね
そして現状の独自性を何の論拠もなしに無視することは新たな故意の無作為性を
導入することになる
その良い例が遺伝子による差異を強引に無視するジェンダーフリーみたいな考え方
強引に無視するのではなく、遺伝子工学の進歩を待ちながら、あくまで論理に沿って
進むことが大事
差違は現状で実際あるわけだから、科学技術によってそれが本質的に解消されるまでは
その差違を強引に無視することは、新たに故意の無作為性を導入するだけ ここで思い出して欲しいのは、独自性がないこと自体が正しいのではなく、それは結果に過ぎず
認識者にとっての正しさとは、あくまで真偽から成る論理構造に依拠することということ
その結果として、無作為性が排除され、従って独自性が排除される
したがって、論理に即さない現状無視はまったく正しくなく、その結果は単なる
故意の無作為の海と言うことになるだろう ここまで論を進めれば、ポストモダニズムが故意の無作為の海とも言える状況に
陥った理由がわかると思う さらに言えば論理系を取りまくハイパーカオスが無作為そのものなわけで
もちろん、無作為をすべて排除することはできない
できるのは、論理系に無作為を故意に導入して論理系を破壊することを避けることだけ
論理系の複写可能性に着目した生まれ変わりなどの論理系の絶対化というのも
可能性としては考えられるけれど、それは結局はハイパーカオスを制限する構造が
あるかどうかにかかわるわけで、それは確認しようがないし、どうやっても確認できない
だろうと思う ここでおさらいしておくと、真偽から成る構造の絶対性と言っても、クオリアのような
微妙な問題があるじゃないかと思うかもしれませんが、それは膨大な再帰によって
構築される各システムにおいて、それぞれの認識の意味合いが異なるということになる
とです
そして、その再帰を可能にしているのが、真偽から成る論理構造の絶対性です
真偽の判定が出来なければ、再帰は実現しませんから
これは現代哲学の諸問題についての最終的な回答になると思います 158 考える名無しさん sage 2021/05/09(日) 20:05:05.16 0
悪魔の証明の何がダメですか
160 考える名無しさん 2021/05/09(日) 20:24:46.57 0
仮想現実は存在すると言い切っているのがいけないな。この世は仮想現実なのでは?から議論を発展させていくのが哲学であって、この世は仮想現実である。これは真実だ。と言い切る人間はただの狂信者だろ。哲学を自称したいなら最低限真実を探求しようとする理性を持ってくれ。 加速主義というのは、結局は緩い思想に対するアンチテーゼなのかもな
緩い思想は、隙間だらけでそこに利権、悪がはびこってしまう
そういう隙間を潰していくのが結局は加速主義ということになるんだろうと思う しかし、ワクチン関連の人々のコメントを見ていると
人々の思考能力は予想以上に低いな
まあ、いずれにしろごく一部の非常に高度な能力を持つ人たちを除いて
ベーシックジョブしかしなくなるから、それでも良いのかもしれないが
遺伝子工学が進めば根本的な各人の思考能力の引き上げは
行われることになるんだろう その素晴らしい思考能力をなにかに役立ててるのか?藁 林眞須美死刑囚の長女が子供と自殺しちゃったらしいね
反出生主義について考えざるを得ない事件だわ すさまじい勢いで加速主義が進行している
これからの10年は世の中がいよいよ大きく変化していくと思う
絶えず勉強して振り落とされないようにしないと
特に英語の勉強は必須だろう
言語こそがデジタル化の最も高度なものであって、二か国語をマスターすれば
それだけ複合的な観点からものを見ることができるようになる
英語自体の利点に加えて、このことも非常に大きな利点になるはず ニカ国語とか勝海舟や福沢諭吉の時代でもできてる人は出来てること
だから、そんなに大きな利点でもないんじゃないかな デジタル化の流れ自体は良いことで半ば必然性がある
モノや身体性、物性は効率が悪くエコシステムに著しく反しているので、
それらが不要な世界に近づくのが種としてのヒトの進化系になるだろう
まあ、ヒトなんかは淘汰されてもいいくらいなのだけど、もっとマシな
種が異質発生で誕生してくれれば。その新たな種はデジタル系になるだろう まず、労働というものが家事含めて不要になるだろうね。全部、オートメーション化で
済ませばよくなるから。だから、それに伴って労働ベースから派生している
価値観や尊厳みたいなものが瓦解する、と思う 社会学でいうとそれが一種のアノミーになる。でも、労働に価値を感じるような感受性が
なんというか、古すぎるんだよね。プラトンの時代でさえ、非労働のアカデミックな自由な
豊かな世界が一部あったのに、それより劣っている感じだから
家族や国家も協働による再生産を上手く回すための共同体システムだから、
自動化で機械がすべてを合理的に賄える世界が来たら、それらは相当、存在意義を失うことになる アメリカも結構労働主義に汚染されてるからな
テクノロジーの進歩とデジタル化の進展とともに労働主義の減退は確かに避けられないはずだが、
この点でアメリカはスムーズに移行できないかもしれない
教条的なイデオロギーやら宗教やらもあるし
しかし、ここをクリアしないと人々の不幸と不満は逆に高まる感じにすらなりかねない
日本がこの部分でもモデルを示せれば、世界に大きく貢献できる さらに遺伝子工学の活用という面でもアメリカには不安があるな
キリスト教はこの点で大きな障害になるだろうし
この面では中国が先を行きそうだが 結局、一部の非常に知能の高い人間だけがハードワークすればよいわけで
この部分ではスポーツ界がモデルになるな
大谷とか、そういう一部の個人のみが、スポーツだけでなくあらゆる分野で
個人として突出すればいい
他の人間は基礎的な仕事のみをして、しかしエコ的な生活を送るようになる、
というかそうしなければ、人々の不幸と不満は逆にますます大きくなりかねない まあしかし、スポーツ自体は無意味な競争を煽るだけだし
辞めるべきだけどね
スポーツは、裾野の競争の範囲が大きすぎる
非常に無意味な不幸生産装置というしかない 日本としては、結局は文化競争に持ち込んだらダメなんだよ
そうなると、口では多様性とか言ってても、結局は欧米が最終的に全部
持って行ってしまう
これは中国にも当てはまるが、欧米以外の国が生き残るには、
ひたすらデジタルトランスフォーメーションを進めるしかない
それによって、文化ではなく正しさで勝負できる
そちらが正しいわけだから、ひたすら正しさを押し通すことで、人種文化の壁を越えて
存在を主張できる 欧米って、もともとロジックに強い地域だけどね
イスラムというか古代ペルシャもそうかもしれない
プラトン、ソクラテスみれば分かるけど だから日本はおもてなし文化で諸外国のご機嫌取ろうとするんじゃないの
ロジックだと負けるというより、日本人は議論自体を好まないから
空気読んで周りに合わせるだけ
抽象的な思考が苦手な日本人は、ロジックや正しさへの志向がもともとない
あるいは、希薄 しかし、現状、そうでない要素で動いているところも大きい
まず共同体主義への性向が欧米人は非常に強い
ここがネックになってデジタルトランスフォーメーションが進められない状況もあり得る
論理能力自体は徐々にAIなんかの支援を受けられるだろうから、
結局はデジタルトランスフォーメーションを進めるかどうかという意思の影響が大きい グーグルやフェイスブック創業者はユダヤ人だけど、彼らはロジックと数理の
塊みたいな連中なので、世界を抽象的な上位レイヤーからすべてコントロールして
しまう
なでしことか言うガラパゴス仕様の児童用プログラミング言語作っている
どこかのローカル国家とは発想が異なる。国などという概念が最初からないからね、
どこにでも行ける、最近は宇宙開発関係か
日本人は具体性を尊ぶ土着志向なので、ユダヤ的な人たちとは真逆のキャラかな ノイマン型コンピュータで、ノイマンもユダヤ人で、そうだし
アインシュタインから始まって、マルクス、フロイトもユダヤ人 >シャノンはチェスを指す機械も自作している。後にIBMのディープブルーというシステムが
人間のチャンピオンを打ち負かす半世紀ほども前のことだ。彼は機械が人間をいつの日か
追い越すと考えていた。「僕は、人間は機械だと思う。冗談ではない。コンピュータと同じでは
ないし、仕組みも異なるが、人間は非常に複雑な機械だと考えている。
そして、人間は簡単に複製できる。人間には10の10乗、すなわちおよそ100億個の神経細胞
があるが、このすべてを電子機器でモデル化すれば、人間の脳のように作用するだろう」。
脳の研究が飛躍的に進んだ現代から見ると楽観論すぎるように思うが、技術の進歩に
楽観的で、技術万能主義者だった。アメリカではキリスト教の信仰を持つ人が多いが、
彼は無神論者だったという。
情報理論の父とシャノンね。こういうラジカルな発想は、日本人はしないな
忖度、森かけとか、日本は天皇を中心とした神の国とかw 特定の国にこだわっている時点で抽象度が低く、デジタルではないということだよ 抽象も具体も必要なんだよ
そして、それを可能にするのがデジタルトランスフォーメーションってことだね 遺伝子工学なんかは、まさに今まで理性主義者が見て見ぬ振りをしてきた
生の具体を徹底的に扱うことになるわけだから
そして、遺伝子工学もまさにデジタルトランスフォーメーションの一つです 例えば、大谷がホームランを打ちまくって、それに反応して審判が大谷に
厳しい判定をしまくるとする
それは例えば、アメリカ人が活躍しないと人気が落ちるとか、単純に人種差別とか
そういう理由でそうしたとする
それは、ヒューマニズムということになる
逆に、何があろうと頑なにルールにしたがって審判が判定したとする
それはポストヒューマニズムということになるね
まあ、スポーツ自体がヒューマニズムの塊なので、あまり意味がある例ではないけれど ビジネスだから大谷がホームランを打ちまくる方がいいに決まってんじゃん。
チームが優勝争いしなくてもイチローがヒットを打ちまくれば、
大儲けにつながったのと同じで。 でもマリナーズは弱すぎてチームとしては意味無かった 結局、ポストヒューマニズムが人類を救うってことです、言いたいのは
まあこれが進むと、別の問題、例えば生きるモチベーションの不足とかが起きてくるけれど
それは、現状の問題よりもより根源的な問題で、そちらに向かうのは正しいってことです オリンピックが無観客になれば、Eスポーツっぽい感じになって
日本のポストヒューマニズムへの方向性に上手く沿いそうだな
観客入れたら、次の10年も腐ったヒューマニズムの海の中でグダグダだろう 観客入れろとか酒を販売させろとかいうのは、そういう腐敗の象徴でもあるからね
また具体的にも、実際にそういう腐敗した人々がオリンピックを自身の利権の手段として
利用してきた結果としての動きなわけだし まあ結局、共同体主義がこの腐敗の根本原因なんだけどね
共同体があるところには必ず腐敗が起きる
共同体は腐敗と表裏一体 燃料きれてアルコールね 煙草もきれて酸素ボンベ
とかじゃ疲弊してるコロナの現実の中で英雄的な死でもないけど。
補給できるのにやらないと選手も遠慮してコロナが元気ないと。 食事も持ち込めないといけないわけじゃないの。いろんな民族料理。日本のも。 まあそれないと平凡な大会に見える。ショウビジネス的なほうがまあお金だと揶揄されるよりファンと選手の関係がいいんじゃないの? まあ、しかしじいさんたちのワクチン接種が進んだから、オリンピック盛り上げろ
老後の楽しみを取り上げるなに変わったりして
ほんと勝手なじいさんたちだな
そしてそれこそがヒューマニズムってこと 東氏も加速主義?
しかし、この言葉は欺瞞があるな
主義というと何か人間がコントロールできるようなもののように思えるが、
コントロールなんかできまませんよ
現にできてないでしょう
これを引き起こしているのはテクノロジーでありデジタルトランスフォーメーションであって
それもポストヒューマニズムの文脈の一つ
なので、ヒューマニズム的にコントロールなんてできません ひろゆきの発言とかを見ていると、それをよく理解している感じがあるなあ
この人は頭が良いようで、悪いようで、実は良いという複雑な人
細かいところはでたらめだけれど大局観が非常に優れている感じ まあ、しかし加速主義の文脈で何か話してくれる人が増えるのはよいこと
宮台氏も加速主義賛成後の発言は一気に核心に近づいたから
立場が左か右か、前か後ろかはあまり関係ない
核心に近い部分で思考することが重要 加速主義の進行を遅らせたいなら、無作為に頼るしかないんですよ
無作為のみが加速主義を妨害できる
デジタルトランスフォーメーションが加速主義を促進するのも、デジタルトランスフォーメーションが
無作為を排除しているから
なにで、論者が加速主義反対の立場であっても、彼が無作為を使わないなら
それを思考するだけで加速主義を促進することになる 誰がどのような正義を唱えたところで、鉄筋コンクリートの建造物が
自重で砂の城のように一瞬にして崩壊することが当然のように
受け入れられる世の中に生きているというのが、厳然たる事実だ。
マンションが崩壊して大勢の犠牲者が出れば、すぐに忘れ去られる
にしても、ニュースになり、話題にくらいはなるが、同様に
奇妙な出来事があなた自身に起きたとしても、それがあなたに自身
にしか深刻な事態をもたらさないなら、その出来事は、
ニュースどころか、他人には問題とされることすらなく、
何事もなかったものとして日々はそのまま過ぎていく。
あなたがいくら独りで騒いでみても、他人からは、変な人だ、
かかわると面倒だろうから近寄らないに越したことはない、
と避けられるようになるだけである。 プロの人とは立ち位置が違うから
まあしかし、ここで書いているだけでも結構影響力はある感じはするけどね しかし、大谷も極めるひとだなあ
無難にやってれば金持ちになるんだが、それに満足しない
この人も加速主義に乗ってる人だわ
まあ、スポーツ自体は加速主義とは真逆に近いんだが、しかしその中でも
啓蒙として反対の方向を示唆することはできる
これは文芸でも同じ
文芸そのものは加速主義とは真逆の方向性だが(つまり本質は無作為)
しかし、啓蒙としてその反対の方向性を指し示すことはできる てことは自己保存も加速主義に組み込まれている訳だ
重要なのはイノベーションに対する比重の問題という事になる 人々が論理的、合理的になるほど加速主義が促進する
その論理、合理の目的が自己保存なら、その自己保存を核とした加速主義が進む
それ以外にも目的があるなら、それも影響する
この流れを止めるのは、無作為しかないですね 飛び級制度が認められていない以上は勇み足に終わるだけだな 日本人はとにかくラベリングして、そのラベリングを知らないお前が悪いで
済ませるから
これは、非常に大きな知的怠慢だよ
ゼロから説明できる能力というのは、これからの時代に非常に大切 >>971
この議論で結局問題になるのはジャッキーチェンが日本のどこかの県知事になったとして
それの何が問題なのかという部分でしょう
それをドイツ出身でカリフォルニア知事だったシュワルツェネッガーと比較している
両者の違いは何かと考えると、まずアメリカは移民国家であるということ
そして、ドイツは民主主義国であるが、中国はそうではないということ
この二つが大きなポイントだと思う
これをどう考えていくかということでしょうね >>972
これは要するにデジタル化のビット数が小さすぎるんだよ
あるにはデジタル化の精度が荒すぎる
ITによるデジタルトランスフォーメーションが非常に優れているのは
このデジタル化を非常に細かい精度で実現できること 8Kとか5Gとかそういう問題なのかw
ジャッキーやばい、中共にだんまりアンチヒーロ ジャッキーチェンを見損なった。香港出身のスターなのに
中国の香港への暴虐は観てみぬフリ
映画で演じてきた正義キャラとは逆の人格しているんだな ラベリングには精度がある
ラベリングもデジタル化なわけですが、デジタル化には精度がある
それを論者は意識しているかどうかってことですね
精度があることを意識していれば、それを補足説明したくなるはず ひろゆきの場合は説明能力が高いわけだが、逆に言えば旧世代の
説明能力が酷すぎたのかもな
世界的に見れば、きちんと説明できることは当たり前なわけで
いろいろなラベリングや分類だけで済ませてきた今までの日本は異常すぎた
きちんとまともに説明できる人が、これから新しい世代で増えるだろう 説明するというのは、結局はどういう切り口を選択するかってこと
切り口は無限にあるが、それを自分が選択するわけです
そして、それを選択したことを自分で意識しているかどうか
自分が限定された何かを選択したという意識が重要
ひろゆきにはそれが顕著に見られる
万能感でこれがすべてというような言説を垂れ流す人はゴミ 結局は、デジタル化の有限性を意識しているかどうかという点になるのかな
しかしその有限性が嫌だから、疑似アナログの万能感に逃げるのは論外ということですね 政治の責任は結果責任で問われる。東京五輪を招致したときの安倍首相は、「福島はアンダーコントロールだ」と言った。事故から10年経って廃炉の目処も立たず、放射能汚染処理水のゆくえさえ決着のつかない福島の状況は、アンダーコントロールどころではない。さらに安倍首相は、五輪の1年延期を決めたときにも、「1年以内にワクチンができます」と言った。どちらも埒もない妄想だった。「何を根拠に...」と呆然としたものだが、どうやって責任をとるのか。
科学者の言うことに耳を傾けず、根拠の無い希望的観測ばかりに頼るのは、現菅政権も同じである。国費2兆8千億円を投じたといわる「Go toキャンペーン」でコロナ禍が拡散したことは今では明らかだが、再三再四にわたる感染症専門家の警告に耳を傾けようとしなかった。その態度は、日本学術会議会員任命拒否にも表れている。政府のコロナ禍対策分科会のあるメンバーは「最初から政府のシナリオが決まっていて、抵抗できる状況ではなかった」と言う。政権がほしいのは、こういうイエスマンの集まりなのだろう。
コロナ敗戦、五輪敗戦...のツケがおそろしい。それというのも、愚かな指揮官を持ったわたしたち国民の不幸なのだろうか。 オリンピック無観客化は良い流れ
まるでEスポーツのような感じになるのが理想
それで、日本のポストヒューマニズムに向かう雰囲気が結構進むかもしれない 人事がおかしい性差年齢記録人種という面での無観客のほうがいいテレヴィ視聴制限。 だって遅い下手なでかい黒人中年老人日本人のとか来たら厳しいじゃん。多かれ少なかれていう面も。 海神の観客も許可しないと日本の惨状が伝わらない。しかし人種制限入局管理しないと。選手も。若い国が日本も厳しい。 海外。
オリンピックって未開な蛮人が企画したんじゃないの? さすがに個人団体チームボイコットもあったろうさ。女子は特に。黒人が勝つのもそのため。白人映しすぎてる古い濃い黄色人種。覗き目的か?アナウンサーもカメラマンも。 あらゆる人種が性的に客に盗撮されている。客に暴行されたり。暴言で。 スタッフに警視庁、警察、警備、護衛、警固、警察病院の女官を。 過去には選手に対する性的暴行も後日でもあったから、今回は警戒して。
監視カメラ証拠になる。目の不審な動き。夜のナイトライフ。選手も客も。 過去の五輪も証拠になるわけで。客映したり聞き込み被害届家庭の証言。 無観客決まったみたいだな
これは最近では数少ない朗報
ヒューマニズムたっぷりの観客付きスポーツは、腐ったヒューマニズムのグダグダの次の10年を
象徴するイベントになったはずだが、Eスポーツのような引き締まったイベントに変わる
ことで、次の10年をポストヒューマニズムに向けた進歩の10年とする象徴のような
役割になるんじゃないだろうか、今回の出来事は キリスト教の第一人者の彼の外見にもかかわらず、オーレリアン・バラウは同情的でメシア的知識人です:彼は残念ながら民族マゾヒストであり、マルサス主義で非自由主義的です。
ヨーロッパの環境保護論者は、世界の終わりを告げる預言者を絶えず生み出しています。 活動家のフレッド・ヴァルガスは、1,5度高くなると、人類の半分が地球温暖化で死に、6億度がプラス2度で死ぬと説明しています。 ルパリジャンでは、リオネルジョスパンの環境大臣であるイヴコッシェが、私たちの社会の不可避の崩壊を予測しています。「私のような崩壊主義者にとって、人類が2050年に存在しなくなる可能性は10分の2050です。 2年には、私たちは3億から3億になります。」 2019年XNUMX月XNUMX日のL'Obsで、彼は根本的な結論を導き出しました。「余分な子供がいないことは、最初の生態学的ジェスチャーです。 豊かな国々は人口統計学的に減少しなければならない最初のものであり、出生の制限は私たちが私たちのドアをノックする移民をよりよく歓迎することを可能にするでしょう。 緑の痛みの新しい顔である天体物理学者のオーレリアン・バラウは、同様のビジョンを擁護しています。「人口増加率の高い国はかなり貧しい国であり、植民地主義の形態を容易に想像できます。彼らの期待」。
実際、環境保護主義者は民族マゾヒストです。彼らは、移民に道を譲るために西洋文明の消滅を提案しています。 若い人たちはソーシャルネットワークで「CO2フットプリントを減らすために子供をもうけたくない…」と言います。 世紀末に4億人を超えるアフリカとは異なり、ヨーロッパでは人口が減少しているため、移民を除いて悲惨です。 国連は、テキサスと同じくらいの大きさのナイジェリアが740億360万人の住民に達し、コンゴがXNUMX億XNUMX万人に近づくと予測しています...緊急はヨーロッパの若者に滅菌を強いることではありません。 ……それは非常に明白なようです 二分法 間のイデオロギー ローラン・アレクサンドル フランスのトランスヒューマニズムの第一人者と オーレリアン・バラウ 減少傾向のヒッピーは、特に明日のリスクと課題を曖昧にすることを目的とした分割を目指しています。
実際には、私たちのXNUMX人のキャラクターは間違っていて同時に正しいのですが、それらの分析を最も消化しにくいイデオロギーのスープと混ぜ合わせています。
偉大な知識人ブルーノ・ラトゥールは、31月XNUMX日のルモンドで「黙示録はエキサイティングです」と説明しています。 いいえ、崩壊論的言説は刺激的ではありません。 それはヨーロッパを自殺へ、そして私たちの子供たちをプロザックへと駆り立てています。
こうして L.アレクサンダー それが誰のためになるか、角質の人です トランスヒューマニズムまたは死、 A.バラウ それはエコロジーボボまたは失踪です...選択はあなた次第です! :笑: このスレッドは1000を超えました。
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