【ハイデガー】渡邊二郎【ニヒリズム】
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俺は『ニヒリズム』と『歴史の哲学』しか持っていないけど、
宜しく。
主要著作
『ハイデッガーの実存思想』 勁草書房、1962年
『ハイデッガーの存在思想』 勁草書房、1962年
『ニヒリズム−内面性の現象学』 東京大学出版会、1975年
『構造と解釈』 放送大学、1989年/ちくま学芸文庫、1994年
『現代哲学 英米哲学研究』 放送大学、1991年/改題『英米哲学入門』 ちくま学芸文庫、1996年
『芸術の哲学』 放送大学、1993年/ちくま学芸文庫、1998年
『現代の思想的状況 歴史の哲学』 放送大学、1995年/改題『歴史の哲学−現代の思想的状況』 講談社学術文庫、1999年
『哲学入門』 放送大学、1996年/改題『はじめて学ぶ哲学』 ちくま学芸文庫、2005年
『人生の哲学』 放送大学、1998年/角川ソフィア文庫、2020年
『美と詩の哲学』 放送大学、1999年
『現代人のための哲学』 放送大学、2000年/ちくま学芸文庫、2005年
『現代の哲学』 放送大学、2001年
『自己を見つめる』 放送大学、2002年/左右社 放送大学叢書、2009年
『ハイデッガーの「第二の主著」『哲学への寄与試論集』研究覚え書き―その言語的表現の基本的理解のために』理想社、2008年 内面性の現象学は名著だな。
純哲の最高峰だと思う。 >>3
『ニヒリズムーー内面の現象学』はそういう
哲学学的な文章から脱しようとして頑張った感じの著作に思えるけど。 もちろんハイデガーの考えがもとになっている文章もあるわけだが、
まっとうに読解して一般人に伝えられている時点で優れた学者だろう。 哲学と哲学学の狭間で東大文学部の渡邊二郎と岩崎武雄は悩んでたんだろうな。 ハイデッガーを要約・紹介する仕事の重要性は
あるんだけど。しかし、ハイデッガーの仕事の
柱でもあった、人間への眼差しとして、社会で
妥当する善悪と存在論的善悪の違いについて、
問い直す仕事の方はアカデミズムからは
全く音沙汰ない。それがあれぱ現在のグローバリズム
への有効な抵抗になると思うんだが。しょせん
アカデミズムはその檻を出られないという意味で
ハイデッガー以下になる。 >社会で 妥当する善悪と存在論的善悪の違い
黒ノートとかに表されているのかな? Seyn フォレスト YouTube篇 1 ハイデッガー全集第65巻『哲学への寄与論稿』と現代日本社会
https://youtu.be/zv1qISJhUqY
ハイデッガーとサカキバラ Seyn フォレスト YouTube篇 2 ハイデッガー全集第65巻『哲学への寄与論稿』と現代日本社会 続編
https://youtu.be/_vHZga_mjJA この人の時代だと、日本のアカデミズムの住人が日本語で書いた哲学書と言ったら
ごく一部を除けば京都学派のものしかなかったんだろうな。 >>15
ケイゾクというドラマあったなあれも撹乱していたんだな こえーじゃねーんだよ一気に侵攻していくからなでは緩めんで覚悟しときや ハイデッガー全集第65巻『哲学への寄与論稿』と神戸連続児童殺傷事件
https://youtu.be/zv1qISJhUqY 動画は見てないけど、革マル派の神戸事件への姿勢には興味深いものがあった。 一般的に、講義録は普通の論文とか書き下ろしの本とかよりも読みやすいと思うが、
『ニヒリズム−−内面性の現象学』は講義をもとにしたものであるにもかかわらず、
内容が難しいので読むのに結構時間がかかる。 革マルの奴らは頭が悪いくせに、知的なものへの憧れだけは凄いねw
彼等の本代はかなりのものw でもこぶし書房の本は結構安く古本で出回ってますぜ。
読めなかったか、家族が売ったか。 渡邊二郎ってヤスパースに可能性を見出すんだよな。
現象学周辺で終生過ごしたんだろうな。 哲学学と哲学の間で葛藤してたんだろうな。
熊野純彦は哲学者だからこの人よりかは長生きしそう。 カントの純粋理性批判の原佑訳を補訂することで、
平凡社ライブラリーから一般人にも入手できるようにしてくれた渡邊二郎に感謝します。 「カントが、世界の根源的意味を、合目的性という考え方によって解決を図ろうとした
点は、当面問題外としておく」(『ニヒリズム』75〜76頁。指示語は置き換えた。) 密教空手 真言空手とか。蛮族の格闘技はなあ。河童のかわまつこそ正横綱。
火炎刀を使うし。 蛮族落ちじゃなくて混んでる時の接近戦とか限定の密教ボクサープロレス
とかが当たり前。ふれいでもせで戦えるのが基本。 ボクササイズやシャドーボクシングぐらいにしとけ、俺は海賊の暴力は逆手に受け身で
へし折ってやったさ。喧嘩の時。精神科で。蛮ならずじゃ。 情報がないと結婚生活子育てに下界リスク背負うよな。宗教や修道院も大事だ。
オカルトばかりでは結構蛮族の暴力ある。 はめられてボコられて蛮族堕ちとかは法律戒律で守ってやるべきだ。 そういう倫理教師感が生徒をうまく誘導して育成するべき。 パンチキックなんて鍛えていれば利かんさ。相手がつぶれるだけ。 アンニュイだわ、精神病院の通院歴があるから、暴行し放題になっちまって スラム街にどうして道徳が無いのか議論したいんですけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています