人間の心は肉体の中に存在するのか考察するスレ
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もし肉体の中に心が存在するなら心は物質的なものである。
しかし、心は物質的なものなのか? カール・ポランニーは魂とか倫理という言葉をファシズムに結びつけて嫌っていた。
心について天国にいるポランニー に伺いたいものだ。 ヒキ同士 仲良くしな
ひ き こ も り メ ン ヘ ラ 板 (1)
ヒキ同士 仲良くしな
ひ き こ も り メ ン ヘ ラ 板 (1) >>4
キリスト教がファシズムとは言えんかったんやろなあ もし魂というものが存在するなら、肉体とは関係なく思考や記憶、心がその魂の中に存在する。
魂が肉体に依存するかどうか、思考や記憶に関しては依存すると思う。
心というふわっとした言葉で表されると、それはなんぞや、という問いになってしまう。 >人間の肉体は心の中に存在するのか考察するスレ
どういうことですか? 心がどこまでが心で、どこまでは心じゃないか、
それをまず知るべきな、
単にからくりやらげんりを見るやつは必ず何も答えが出ない 魂と思考と記憶、そして心とはなんぞやを議論すれば良いのか? なるかみのすこし響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか君を留めむ/
なるかみのすこし響(とよ)みて ふらずとも
吾は留らむ 妹し(いもし) 留めば 私の心(意識や無意識)と私の体(物質)は同じもの(私という存在)の別の側面であって、どちらか一方に存在論的な特権的地位があるわけではないと思う。
心と体は、存在を捉える際の視点の違いでしかないのでは? 私の思いは
肉体の外まで広がるけど
これ、当たり前 このままではいけない
だからこそ
このままではいけないと思ってる 1、嫌なことが起きる
2、脳が不快物質を供給する
3、不快な気分になる
この一連の流れの中で、2は通常、意識されることがない。
普通の人は、「1が起きたせいで、3が起きた」と考える
だが、それは錯覚にすぎない
3が起きた本当の原因は、1ではなくて、2なのである 嫌な気持ちになったのは、嫌なことがあったからではない
嫌なことが起きると同時に、脳が神経系や内分泌系に指令を下して、不快な気分になる化学反応を起こしたのが本当の原因だ
感情とは、自分自身の脳によるドラマチックな演出にすぎない このような、感情を肉体の物質的作用と見る考え方は、デカルトの「情念論」に始まる 存在するよ。人が死んだ瞬間体重が減ったという記録がある。 人間の脳波を通信網に流したサイバー空間があるんですが、人には名前がある。
人に聞くには自己紹介からだって言いませんか。あなた、どなたですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています