【ペシミズム】シオランスレPart4【反出生主義】
ペシミズムとは「生きる知恵」である
「ペシミストたちの王」シオラン
この陰鬱な思想家の思索と執筆は、つねに厭世的なことがらに捧げられてきた
怠惰、死、自殺、憎悪、衰弱、病気、人生のむなしさ、生まれてきたことの苦悩……
ことほどさように、シオランは「暗い」
しかし、あるいはだからこそ、彼の清々しいほどに暗い言葉の数々は、
生まれ生きることに苦しみを抱く私たちが人生を楽にし、生き延びるために役に立つ
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1612418896/ そこに居る人をただそっとしておけずに攻撃せずには居られないって充分に精神疾患の要件満たしてるからね 結局ベネタースレ最後まで質の悪いアンチに荒らされてたね
叩かれて当たり前のことしておいて叩かれると被害者ぶるアンチは動画のキチ親そっくり 別にアンチ叩きに終始なんかしてなかったのにね
病的自意識過剰で我こそはアンチ代表者と思い込んでるから?
出生の問題点への指摘も出生への批判も全部アンチ=自分叩きに見えて被害者意識募らせるノイローゼ状態 毎度毎度「反出生」全員をひとくくりで、「反出生」ってだけで執拗に侮蔑や差別で人格攻撃の対象としてる人間をアンチって呼んでるんだから
アンチ呼ばわりされて憤るなら自分がそれをやめればいいだけなのにね
他人の思想や人生の自由を許さないこと自体がおかしいことなんだから
てーとまた先に出生を否定したのが反出生なんたらかんたらじゃないかー!って発狂するんだろうけどさ
どっちかしか正しくないなんてガーガーやってるのは過激派や偽旗だけだってのな
他人に直接干渉してない人間まで粘着攻撃の対象にするから鬱陶しいんだよ マジで教育虐待する親の人間性そのものなんだろうな
まず最初に理想の人間像があって、かくあるべきって理想像があって、それから外れれば外れるほど教育、説教、調教、飼育、管理、叱責、怒り、罵倒、憎悪の対象になっていくっていう 子作りマンセー親子愛マンセー親孝行につぐ親孝行推しで苦労も困難も厭わないで努力と根性でより良い未来を目指して明日に向かってほにゃらかぴーってやってたらもうご満悦になるんでしょ
ブラック企業に逆らわずに媚び売って過剰適応して過労死する社員マインドでアンチみたいな連中にへいこらへいこらしてさえいれば 少子化してるのが全ての答えだよな
そのやり方でやって来て現にみんなが次世代を作りたい育てたいと思えるような社会の構築に失敗してんだよ
児童虐待や自殺者が激増してるのだって無関係なわけない 教育虐待してる親当人はそれを親としての愛情とか正義とか立派な行いだって信じて疑うこともなく、そうやって子供の人生ぶち壊しにする
子供にあれこれ押し付けるだけで親子の健全な関わり方を学ぶ気すらない
自分こそ親の見本のようなどこに出しても恥ずかしくない立派な親だって自己崇拝してるから
そんな自惚れてる親の子供に甘ったれてる在り方こそが取り返しがつかないほど子供を追い込む 赤の他人であるネット上の反出生さえ許せないで憎悪して相手が黙るまで執拗に罵倒や誹謗中傷して謗る人間が自分の子供が気に入らない考えした時にだけ冷静に理知的な大人として自分の感情抑えて相手の言葉に耳傾けるなんてあるわけないと思うしね
やっぱり感情任せに全否定して威圧して怒り散らすんだろうな そんな風に威圧されて自分らしくあることを全否定されて、しかも恩着せがましく育てられた人達が、それもネットで、ようやく声をあげ始めてるとこだろ
自分の親はおかしかった
不勉強な自己崇拝親に間違った育てられ方をして、成人後もずっと苦しんでる、生きることに息苦しさを感じるんだ、と
それは必然なんだ
子供がその子供=個人らしくあることを徹底的に否定して批判して矯正の対象として扱うこと自体も虐待なんだから そんなことよりシオランは苦痛に対して否定的じゃなかったみたいな話題が気になる >>159
健常者は実存を持たないとか
非迫害者は最大の利益を得ている
と言った言葉から明らかだね
でも強がりかもしれない。別なアフォリズムでは苦痛に否定的だったりもするし、その矛盾が面白いと思う 反出生はつくずく理に適う思想だなあと思う秋の夕暮れ >>167
全ての物は衰退、消滅までがセット
滅んでようやく完成する
星だってそうだろう
人生も人類もそうだ >>156
アンチも似たような感じ
正義感で反出生は間違ってると押し付けてくる
いくら伝えても会話が通じなかった
そんなところもアンチと毒親は思考回路が似ている >>1
出生行為は生苦と死を与える卑劣な行為。
人に死を与える、即ち殺人的な加害に他なりません。
反出生主義者とは、出生厨(出生主義者)による殺人の被害者であり、その被害を訴える者です。
親と子の関係性は殺人の加害者と被害者なのです。
そして出生行為が殺人である以上、誕生(出生)肯定とは殺人教唆、幇助であると存じます。
出生殺人(出生行為)を助長することはやめて頂きたい。
出生厨の皆様は殺人の加害者であると御自覚下さい。
そして出生行為は殺人的な加害であると同時に、生存中毒に塗れた生存ジャンキー、出生中毒者である出生厨の生存欲・性欲に依存して行われる行為である為、生(性)的な加害でもあると認知して頂きたく存じます。
出生厨の皆様には生きて死にたいのであれば、子供(他者)を巻き添えにせず、一人で死んで頂きたいものです。
死にたいなら他人を巻き込まず一人で死ぬべきとは、出生厨に対してこそ用いるべき言葉であると存じます。
※出生主義者は主義、主張を掲げているものではない、との意見には同意しておりますので、出生主義者の皆様の事は、単なる思考停止生存ジャンキー、出生中毒者ないし生存中毒者と認識し、出生厨と呼称しております。
AH💖 >>171
産むという加害を子供という他者に強制している出生主義者には、押し付けるなと宣う資格など最初から無いのです。
出生厨にこそ生きて死にたいのであれば、子供という他者を、誕生肯定(自己陶酔の果ての自殺)に巻き込むことなく、お一人で死んで頂きたいものです。AH💖 ペシミズムって短調の物憂げな曲みたいなもので、人に寄り添って勇気づけてくれるものだよね。 ショーペンのペシミズムは力強く、シオランとは違って人を元気に快活にさせてくれる。 出産という死を与える殺人的な加害は性欲に依存した性加害
出生主義者(親)とは身勝手な家族ごっこの為に子供と言う他人に死を与えるサイコパス
(生きて)死にたいなら他人(子供)を巻き込まず1人で死ね、とは出生主義者と言うサイコパスの性加害者に対してこそ用いるべき言葉です >>1
出生行為(出産)は性加害
出生行為(出産)は死を与える殺人的な加害であり、本能つまり性欲に依存した性加害
出生行為は生苦と死を与える卑劣な行為。
人に死を与える、即ち殺人的な加害に他なりません。
反出生主義者とは、出生厨(出生主義者)による殺人の被害者であり、その被害を訴える者です。
親と子の関係性は殺人の加害者と被害者なのです。
そして出生行為が殺人である以上、誕生(出生)の肯定とは殺人教唆、幇助であると存じます。
出生殺人(出生行為)を助長することはやめて頂きたいものです。
出生厨は殺人者に等しいのです。
そして出生行為は殺人的な加害であると同時に、生存中毒に塗れた生存ジャンキー、出生中毒者である出生厨の生存欲・性欲に依存して行われる行為である為、生(性)的な加害でもあると認知して頂きたく存じます。
出生行為は、殺人的な性加害と言う事です。
そして誕生肯定と言う自身の生、生きる事の正当化は、同時に自身の死、つまり死ぬ事、自死の正当化であり、それはつまり自殺に等しい行為でもあります。
誕生肯定と言う自己暗示に依る生の美化、その自己陶酔の果ての自殺に等しい行為に、子供と言う他者を巻き添えにしないで頂きたいものです。
出生(誕生)の強要、生きるべき、生まれるべきという価値観の押し付け加害は、言わば「希生死念慮」を強制的に抱かせる行為。
出生厨の皆様には生きて死にたいのであれば、子供(他者)を巻き添えにせず、一人で死んで頂きたいものです。
死にたいなら他人を巻き込まず一人で死ぬべきとは、出生厨の皆様に対してこそ用いるべき言葉なのですから。 それはただの思考停止
楽観主義にも悲観主義にもそれぞれメリットとデメリットがある
そもそもその成長というのが何を指すのか、何の成長であるのかにもよる 神風特攻は、楽観主義の賜物
あれが成功すると、信じていたのだから 脳機能的に考えても、ネガティブな要素を強調することは理に適っている
リスク管理を怠る楽観的な人々の祖先は、人類史の中で既に淘汰されている。用心深い祖先が生き残るのである 普遍的なもの一覧
形而上学 : プラトンのイデア。カントの物自体。ヴェーダの智慧
美学 : 安息と祝福とにいる認識の純粋な主観。芸術によって保たれる快活な気分。
芸術の対象としてのプラトンのいうイデア
倫理道徳 : 世界の本質を認識することにより起こる生の意志の転回は、捨離・徳行・現世の克服
禁欲苦行・真の無念無想・無為無欲となって現れる
愛
意志の断滅
理論 個別的なもの一覧
形而上学 : 遷り変わるもの、決して恒存せぬもの。現象。妄執(マーヤー)
美学 : 意志に隷属して、懊悩と不安を伴う認識
現実の悲惨
意志の客体となる個々の事物
倫理道徳 : ひたむきに生きようとする強烈な意志は、個々の現象たる同類相喰む戦いであり、
激情・貪慾・憤怒・嫉妬・不断に増長する渇望・罪悪・害心となる
利己心
肉体の死滅
我と我が生きようとする意志との破綻の全的現れとして、苦しい煩悶の後に
決行される自殺
経験 生殖の後に生が続き、生の後には、死が必ずついてくる。そこで、次ぎのような考察を
することも、あながち徒爾ではあるまい。或る個人(父)が享受した生殖の淫楽は彼自身に
よって贖われずに、かえって、或る異なった個人(子)により、その生涯と死とを通して贖われる。
ここに、人類というものの一体性と、それの罪障とが、ひとつの特殊な姿で顕現するのだ。
しかるに、凡俗の観察では、かかる一体性が時間によって揚棄されているかのごとく、
思いこまれているらしい。 生殖は、自乗した強さの生存意欲である。わたしたち自身の生は、
私たち自らが死によって贖うのだが、いま自乗した強さの生存意欲だといった生殖は、
或る異なった個人が、生と死とによって贖わなければならないことになる。
出生に関するショーペンハウアーの見解 つまり、出生は親の性的快楽やエゴイズムの賜物であり、その快楽の対価を
支払うのは、親でなく、子の側であるので、出生には原罪的な負債がある、
とショーペンハウアーは述べている。
それを日本の財政でたとえれば、現役世代が作った巨大な債務や気候危機による
生態系の破壊を孫や未来の生まれていない世代が支払わされる構造にも似ている。
自分らが目先の快楽に溺れ、金の亡者となり、地球環境を破壊し、馬鹿騒ぎした
ツケを子供の世代へとツケを押し付けるのだから、これは倫理に反している。 人間の出生は人倫に反するだけでなく、エコにも反している。これを
出生 = エゴ(我欲)
という簡単な式で表せる 人間は脳機能的に他の生物(生態学的ニッチ)から突出しているので、
人間の出生は、そのまま環境破壊の原因となる。よって出生を控えることや
反出生主義を掲げることは、エコロジカルな環境倫理に則った行為となる 苫米地英人が未来の人間は、確実に身体を持たなくなる、と述べていたが、
エコロジカルに考えるのであれば、そうしたプログラム的な未来の人間存在
であれば、生態系的にはまだ許容される存在になる。
つまり、人間がホログラム的なエージェントとして存在可能になるまで
テクノロジーレベルが進化すれば、少なくとも生態系的には今よりは
許容しうる存在となるのである。しかし、身体性も持たないそうした未来のヒトは
もはや人間とは呼べない代物なので、事実上、人類が淘汰された新世界だと
みなせば良いだろう。
今の、やたら飲んだり食べたり、地球資源を貪り食らう現代人は、存在自体が
悪であるので 、こうした人類が早々に淘汰されることは、生態系中心視点に
立つのであれば、決して悪いことではないのである。 先進国の人間が生まれてから死ぬまで、どれだけの地球資源を使用し、大量に消費、
排出、廃棄するかを考えてみるだけでも、人間の出生が悪であるのは明らかである。
逆にカラスや牛、アリ、魚や昆虫がその一生の間に消費するものを考えてみよう。
明らかに、普通の生物と比べた場合の、人間の有害さをそこに容易に見て取れるであろう。
それを否定するのは、単なるエゴイズムに過ぎない しかも現代は資本主義社会なので、人々は過剰に消費したり、物欲やサービスによる
快楽の虜になって、加速的に地球環境を破壊している。 消費やサービスによって
人々はドーパミン中毒患者となっており(=欲で脳が破壊されており)、生態系よりも
己の醜悪な我欲を優先させることに躍起となる連中で社会は溢れてしまっている。
今年は、ついに「地球沸騰時代」と呼ばれるようになった。環境負荷が高い先進国の
出生は、それだけで悪であるのは自明である 他の生物は人間のように乱獲、乱開発したり、地球資源を過剰に掠奪したりはしない。
必要最低限で済ますので、生態系的には何の問題もない
それに対してグルメや贅沢に溺れるのが人間であり、SNSに写真をアップロードする
ためだけに食べもしない食品を注文するのも人間である。大量の食品ロスを作るのも、
無駄な衣服を沢山作り、地球環境を大規模に汚染するのも人間だけである 。
大食い大会や食べ当てゲームなどして、食べ物を使って遊びにしたりするのも
人間だけである。パン食い競争でパンを詰まらせて窒息死したりするが、食べ物を
使って遊ぶ罰当たりな行為への罰だと考えればいいだろう。
原発汚染水まで海洋放出する最低民族さえ存在するらしい。もちろん、邪悪な人間しか
そのような悪は行わない 人間の強欲による過剰な経済活動によって地球は壊滅的なダメージを受け
生態系学的なバランスが崩れて、自然や生物間の秩序に変調をきたしているのが
現代である
人間の我欲がその原因なのは明らかである。出生も主に親の我欲に基づいている 今の気候変動や地球沸騰は、人間の過剰な経済活動が生態学的に許容できる
キャパを遥かに越えているというアラートの意味がある
そのためプラネタリー・バウンダリーを超えた今の人間の経済活動は大きく転換されるべき
地点にいるのだ。それに気付けないのが我欲の人間である。あるいは醜悪な拝金主義者である 拝金主義や現代の欲望資本主義が美しい地球環境や自然を損ない、他の生物や植生にも
多大な被害を与えて続けている
デカルトは人間以外の生物には意識がないとして、残虐な解剖実験を繰り返したそうである。
人間中心主義視点のエゴで認識するからそうなるのであり、原発汚染水を海洋放出しても
心が痛まないような餓鬼と化してしまうのである