新しい宇宙論
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なんかさぁ
夜明け ってちんちん出したくなるよな? 0238 anonymouse ◆Iow/mouse. 2019/12/07 02:31:41
図 その3
https://imgur.com/gallery/U2jqvDH
0265 anonymouse ◆Iow/mouse. 2019/12/12 20:44:43
円の中心を臨む視点が、円周上を動くとする
これは、円周上の点を臨む視点が、円の中心で回転することに置き換えられる
この変換で不変なのは、視点と視点が臨むものの距離である
先に、光速が不変であるときの、因果可能性の時間発展を表す曲線を、凸レンズと凹レンズに対応させたが、
この変換の後で、レンズになるのは、おそらく空間だろう
空間の曲率は、大局的には(この変換の後の)因果可能性の変化率である
しかし、球面上を1つの視点が動くとき、その動かし方は一つに決まらない、これは問題になる
0266 anonymouse ◆Iow/mouse. 2019/12/12 20:53:35
螺旋だろうなあ、たぶん 最新の宇宙論によると、宇宙は2次元平面に記録された情報にすぎない 人間って怖いことに最悪を強くすることだってできるんだぜ、みんなで。そしてみんな殺される。 まあ、せいぜい悪くないなら痛くねえことくらい知っておくんだな。お前らが強いなんておかしいんだよ。 まあ、そもそもな、日本人はこええこと歴史的にすくなかったあんだよ。免疫がらねえんだよ。外国人ならこんなん許さねえんだぞ。 と言う呪文を唱えるとムキになって連投しだすので他のスレッドが荒らされなくて済む、ヨカッタ(・∀・) また罪を重ねてるのに許すのよせよ。日本人甘すぎなんだよ。餓鬼の楽園になってんじゃねえか。こいつら優しい人間の特性を知ってるんだぞ。知ってて演技できるまで来たんだぞ、それで死んでるやつがいる。残酷したら二度と構うな。 もうすぐ力弱まるからすぐわかるよ。
どんなやつらか。弱くなったら同情するなよ。またやるからな。 と言う迎え火を放り込んでやるとさらにムキになるので効果的 宇宙の果てについては3つの考え方がある
1 人間が観測できるところまでが宇宙の果て
2 地球の地面に果てがないように宇宙には果てがない
宇宙を進んでいくとやがて元の場所に戻ってくる
3 カント的な話で、論理上、宇宙の果てを考えることが出来ない >>22
あるものの大きさを規定するにはモノサシが機能する空間が必要になる
宇宙が有限だと言うならその外側にはさらなる何かが存在しなけりゃ収まらない
水槽の外側にも世界が広がっているように >>25
空間の曲率が正の値だった場合
宇宙の外は存在しないし考える必要はない
2次元の例で例えると、地球の表面積は有限だが、地平の果ては存在しない 地球の外側には宇宙が広がってるから当然、是々の面積であるという尺度を求めることは可能だが
最大の尺度である宇宙の面積を求められるならその外側にはさらなる空間が広がっていると考える他ない 宇宙の体積じゃなくて面積?
もし空間が曲がっていて正の曲率があるとすると宇宙の体積を測定するのは難しそうだが有限であることは理解できる
そもそも、その昔、宇宙は原子一個より小さかったというのだから有限だろう ならばその有限のものが無限に遡っても常に存在し続けていたってことになる
結果だけが突然生まれるなど、無から有が生じるということはないからな 今の物理学だと無から宇宙が生じたと考えられている
何もないところから時間と空間が始まった 宇宙以前は量子もつれという状態で何もない訳ではないということになってるらしい
それは「真空」っていう状態が存在し得ないことでも裏付けられる
無から有が生じるということは原因がないのに結果だけが存在するということ
文字通り何もない「無」の状態から宇宙が突如飛び出してくるなどということはない 空間ってのはわからんが何かが存在していたということなら時間は存在していることになるんじゃないか
それこそ無である状況を置いて他に時間を排除できる可能性はないだろう 空間が存在しない場合は時間は存在しないだろう
なぜなら時間とは区別できる2点間の位置の変化だから さすがは安西大樹先生、それが完全なる無というわけですな。 ということは、すべての哲学は無意味なのか??????? >>35難しいなあ、彼の哲学。
先を行き過ぎておるのかもしれん。 あらゆる現象は平衡をその背景とする。ひところ「動的平衡」という言葉が
流行ったが、すべての平衡は、その言葉の通常の意味において本来的に動的である。
人は、自分の体に何も異変を感じていなければ、自分の健康は平衡状態にある
ものと見なし、周囲の気象条件や動植物の生態がいつもと変わらなければ、
環境は平衡状態にあるものと見なしている。しかし、ここで留意しなければ
ならないのは、平衡は、あらかじめ規定されたものとしてあるわけではない
ということである。平衡とは、復元可能に振れが生じることであって、その
振れがどのように生じたところで、その振れ幅がどれだけのものであれ、
それがどのように変化しようと、その振れが繰り返し可能となるような
復元が現れるなら、平衡が生じていることになる。そして、その振れ幅こそ
が「実力/キャパシティ("capacity")」と呼ばれるものであり、その
振れ幅を十分にを使うことができることが「能力("capability")」を発揮
することに他ならない。現実には、「実力/キャパシティ("capacity")」は
常に変化し、変容しているので、平衡を保つためには、発揮しようとする
「能力("capability")」の方を絶えず調整する必要がある。
それまでの「実力/キャパシティ("capacity")」を超えて「能力("capability")」
を発揮しようとして、それでも復元が現れるなら、「実力/キャパシティ("capacity")」
が伸びたことになり、それまでの「実力/キャパシティ("capacity")」どおり
に「能力("capability")」を発揮しようとしたのに、復元が現れないなら、
「実力/キャパシティ("capacity")」が落ちたことになり、不可逆的に落ちたなら、
衰えたことになる。したがって、「能力("capability")」の発揮の調整を
不要にするように、あらかじめ「実力/キャパシティ("capacity")」を規定しよう
とすることは、平衡を実現しようとすることですらなく、発揮しようとする
「能力("capability")」の固定であり、そのような固定は、「死を待つだけの
状態」と等しいものとなるだろう。 ゲーテとニーチェが、若者の教育を、薪に火を着けた後に、それを燻らせて
蒸し焼きにすることに喩え、それによって出来た木炭の火力がどのように
「つか(使/仕)ひもの」になるかについて述べたことは、現代の社会について
考える際にもとても示唆的だろう。 「いったい何につか(使/仕)へるのか?」、"Wozu eigentlich?"
日本語の「つか(使/仕)へ」の「つ」と、ドイツ語の「zu」は、
互いに発音が似ているだけでなく、それらの発音が想起させるイメージの用法に
おいても共通していることが分かる。 有から受け取った後に
意思のきっかけから始まり
現在進行形で違いを生み出しながら
動き続けている宇宙 球体説って地動説ではあるんだよな
天動説?プゲラ、太陽中心なんだわ
→その後どこにも中心は無いとわかる
地動説も太陽が中心と理解したら理解したら天動説の亜種
球体説は認識に現象する自然イコール自然という理解では平面説の亜種ではないかと
ミクロとマクロは違うのか?
同じ自然です
同一の自然がある物理条件にこう生成するってだけ
その物理条件の一つが認識です
物理条件は複層として在る
波はある条件で渦となったりする
それを視覚は粒子、波として認識する
自然は無矛盾です
無、つまり無いものは無い
濃淡ですが有だけです
濃淡を否定関係で規定する
平面はもちろん球体、いや形自体が自然には存在しません
対象に宇宙非宇宙は存在しない、エネルギー保存則、光速度一定の原理は自然理解の枠、導きの糸です
面白い指摘です
117 ディオネ(千葉県) [CN] [sage] 2021/12/13(月) 06:54:46.31 ID:IozHxL7v0
ビックバンで膨張している範囲の先の無の空間でもビックバンが起きたりしないのかな? >>2
自身も仮想現実ですか
ならば認識も仮想現実ってことですよね
仮想現実っていう認識が仮想現実です >>7
光速度一定の原理は座標原点の存在を否定していますが >>8
宇宙が情報ならば人間もまた情報ですが
それでよろしいでしょうか >>22
ここからが存在しないからここまでも存在しない
無限→無矛盾→理解可能
規定は否定だから無限を有限で規定するってことです
対象をその否定で規定する
理解可能であるが故に決定不能 >>34
区別は不可能
ここからが存在しないからここまでも存在しない
点は存在しない >>35
宇宙が無なら人間もその認識も無
無という認識自体も無
自身の否定ですな >>44
次元の存在は光速度一定の原理が否定している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています