なぜ自分は自分なのか
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俺の感じてる世界って俺だけのものなん?
俺の分身の君たちはどう?? 自分というのは錯覚で本当は世界の一部であり全部
しかしこれを正確に知覚しようとすると
良くないものまで見えてしまって狂気の沙汰になる
ようするに知るべきでないことは知らないままにしておくのがよくて、
そういうものも含めて世界が存在しているという事実があるくらいに捉えておくのがよい そもそも統合されているものに対して、
分裂するような必要性が存在しないというか、
よいものとわるいものが2つ存在するというより、
1つのものの不可逆(覆水盆にかえらず)な状態の変化といえる。
(まあ、規則立つものと複雑にするものの2つが存在するとも言えるし、規則立たせるものと複雑になるものを含めれば4つが存在するとも言える。)
自分というのは、桶に入った水を中心に向かう引力のような力で引っ張った造形のようなもので、
原始から連なる本能と細分化する感覚、あるいは動物的衝動と感覚的統合によって、彩られ位置付けられ方向づけられている。 「自分」とは何なのか
そこを明確にしないとそもそも意味をなさない問い 自らがわきま(弁)へていれば、分け前に満足するのか 私は、与えられた餌に喜ぶふりをしてみせる人間動物園が嫌ひだ __
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,.゙-‐- 、 `⌒ / ヘイヘイヘイヘイ!
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ヽ.X、- 、 ,ノi ハ
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入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
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∨ 〈-=、.__ } 最近、行き着いたオレの結論
まず、意識は一つしかない
これは鉄則
なぜなら、もし仮に意識が二つあったら、それぞれの意識は相いれない
交流できない
同じ世界を共有できない
われわれの意識が同じ世界を共有できてるように見えるのは、元は意識が一つだから。
ここまではいいかな? そして、もう少し飛躍的に考えてみよう
「オレ」は、何一つ「他者」を確認することが出来ない。
「オレ」が見ている世界は、「オレ」の意識の中で作られた産物にすぎない可能性がある
たとえば夢のように。
夢の中で他者を感じたとしても、自分を主体に世界を感じたとしても、
それらは自己意識が作り上げた世界だ。
つまり、世界があるように見える、宇宙があるように見える、大勢の他者がいるように見える
これらはすべて自分の意識の中で起こっていることがあり得る
その場合、君らは「オレ」にとって、「オレ」の創造物(想像物)に過ぎない
そしてこの場合、宇宙も含めた、宇宙をはるかに超えた全世界を想定してたとしても、
そこにあるのは「オレ」の意識ただ一つだ。
すごいと思わないか?
世界に・・・ とか、宇宙に・・・ とかではなくて、単に、意識一つ以外、
何物もないってこと。
むろん、君らが「自分が在る」ように感じるのは、「オレ」の派生した「可能性」でもあるわけだ。
「オレ」が途方もない長い年月をかけて、あらゆる「オレ」の方向性・・・ を生み出した。
死刑囚もいれば、天使のような人もいる
もちろん、これを読んでる君も、「オレ」の可能性の一つだ。 ここまで複雑な宇宙、ここまで複雑な人間社会を見ると、「オレ」の意識は
途方もない年月を掛けて来ているのがわかる。
想像力も、最初は単純なものから始まったはずだ。
そこから途方もない年月を掛けて、今の宇宙、今の人類、あるいは、もっと進んだ
宇宙人社会を生み出してるかもしれない。
だがそれらも、「オレ」の意識の中の出来事だ。
「オレ」の意識は始めもなく、終わりもない
ただ在り、在りつづける
ここまで考えると、最近恐ろしくなる
最初から、自分一人しかない 最後の審判とは、唯一の意識に目覚めた「オレ」が、世界を回収することだ
「オレ」は何度も、自分の創造した世界に下降して、生まれ変わり、死に変わりしてきた。
(むろん、幽界や霊界なども、「オレ」の意識の中の出来事だ)
輪廻を繰り返しているうち、最初は歴史上の偉人賢人などに生まれ変わって、時代時代の流れを指導してきたが、
だんだん、想像した世界の単なる一人間に、意識が捉われ始めた。
このままでは、この想像した世界の物理的、社会的法則に縛られ、
そのまま埋没していってしまう。
なので、どこかで区切りをつける必要があった。
想像した良い可能性たちを回収して、悪い可能性を焼き捨てる・・・
それが、最後の審判だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています