歴史哲学
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377考える名無しさん2021/02/08(月) 13:19:12.240
振る舞ひに伴って生じる"accountability"に人々を納得させられる
ような形で都合よく応える物語("storytelling")が歴史である。 『歴史哲学講義』とは、ヘーゲルによる歴史の講義を弟子がまとめ編集した著作である。
ベルリン大学で1822年から1831年にかけて計五回に開講された科目名「世界史の哲学」と題する半年単位の講義で教授した授業内容をもとに、死後に編集して出版された。
講義の期間がヘーゲルの晩年における大学教育の最後にあたる時期であり、ヘーゲルが自身によって出版することはなかった。
本書には哲学をもとに人類史を思想的な考察を踏まえたヘーゲルの歴史観が描かれている。
ヘーゲルの歴史哲学は、歴史を人類が理性によって現状を克服し、精神の自由を実現させていく過程だと見る進歩主義の歴史観である。 世界精神が、世界というキャンバス上で哲学を展開した
その結果が世界史 世界史の4区分
エジプト・カルデア期
ギリシャ・ローマ期
中世ヨーロッパ期
近現代 中国やインドには、歴史がない
彼らは、同じことを繰り返してるだけだから アーサー・ダントー、カー、ベルンハイム、野矢を語ってくれませんか?
ヘーゲルは欧州主義にご都合よすぎて好きになれないのです。 「世界史が理性的にすすむこと、世界史が世界精神の理性的かつ必然的なあゆみであることは世界史を考察することによってはじめてあきらかになる。世界という現実の場でその本性の一面を展開して見せたのが、世界史です。」
ヘーゲル『歴史哲学講義』 19世紀初頭の西洋人は、そんな信念を持つことができた 歴史哲学はまだまだ全然検討が定まっていない。
ヘロドトスや司馬遷が歴史を書いたが、歴史哲学という検討はなかった。
歴史には法則がある。これはイブンハルドゥーンも言っている。
ヘーゲルは、歴史の重要性に気づいた人。
ベルンハイムは、初めて「物語性」に気づいたが、それを深く掘り下げることはなかった。
カーライルの英雄が動かすという絢爛たる歴史観に人びとは目を奪われたから。
そんななか、マルクスの「共産主義になってしまう」という運命論的歴史に人びとは夢中になった。
ポパーは、歴史を語ることを否定した。それは保守主義者が語る歴史的経緯の重要性を否定し、共産主義の運命的歴史も否定したが、反共主義者はポパーを自分の仲間と勘違いした。
ダントーが、歴史の物語性に着目して名著を書いた。
歴史的経緯を物語り、それを人びとが共有することも一つの歴史の形であると語った。
アナーキストや国を混乱させたい勢力は、ダントーの論述の解釈を混乱させようと必死でいまいる。
これって、妥当でしょうか? ( )y-~~ ( >)y-~~( >-)y-~~( >-< )y-~~ ウマスギル・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています