同じものの永遠なる回帰
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>同じものが永遠に回帰している
いや、回帰するのは、同じ「こと」ではないでしょうか。
同じ「こと」が永遠に繰り返されるとしても、その都度、
生じる「こと」は、「こと・ごと」に「こと・ごと」く
「こと」なるとも言える。 ハイデッガーの講義録によると、永遠に回帰しているのは「力への意志」だ >>4
ハイデッガーの講義録によると、永遠に回帰しているのは「力への意志」だ
「英雄的であることとは、最高の苦悩と最高の希望を同時にめざして進むことで
ある」 (『楽しい知識』第268番)
「悲劇のなかでの快感は、強い性格の目印であり・・・英雄的精神は、苦悩をも
快として感受するほど充分堅固であるからである」 (『力への意志』第852番)
「苦悩をも快として感受するほど充分堅固である」ものこそ、「力への意志」。
つまり、「最高の苦難」をも快として感受するほど充分堅固であるものこそ、
「力への意志」。
その「力への意志」が永遠に回帰している。
これは私を含め、軟弱者には不可能。
「最高の苦難」を体験している「超人」にしか不可能だ。 >>7
ハイデガーは、永劫回帰を「悲劇」として捉え、かつ「存在者の根本性格は悲劇的
性格である」と述べている(『ニーチェ』 第二講「同一物の永劫回帰」 第4章
「悲劇ガ始マル」)。 >>7
ということは、ニーチェが欲していたものは、「幸福な人生が永遠に繰り返される」というようなものではないんだな 彼はむしろ、「最高の苦難が永遠に繰り返される」ことを欲した
そして、それすらも喜びに変えられるほど強靭な精神を持つ「超人」になることを ニーチェは、十字架にかけられることを永遠に繰り返す、イエス・キリストになろうとしていたのか いかなる苦難にも耐え、生の喜びを謳歌する強靭な精神力 「おまえが繰り返し生きたいと願わざるをえないように生きること−それが課題だ。」
(ナウマン版ニーチェ全集第12巻:遺稿集) >>14
てことは、やっぱり、楽しく生きることが目標? 「こんな人生は、もう嫌だ」と思わなくなること
それが目標だ ハイデガーによれば、永劫回帰を信じることによって、自分の決断と行動、人生での創造と計画が、すなわち存在全体が全く別様に変容するという(ハイデッガー全集第44巻第12節 「信仰」としての回帰思想)。 永劫回帰の思想は、「これを思考する者を最高の決断へともたらし、それによって思考する者は自分自身を越えて成長する」。存在者は永劫回帰の思考が血肉化されて、ようやく初めて力への意志として存在することになる。(ハイデッガー全集第44巻第15節) 「永遠回帰の思想は、最も自由で快活な、崇高な魂の宗教であるべきである。」(ニーチェ遺稿集 1881ー1886年)ーハイデガー全集第44巻第12節 「信仰」としての回帰思想 よりー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています