哲学的最終解答
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
さっちゃん、 1円玉を作るのに3円かかるって知ってる? 2020年代にもなれば多様化して流石に流行りはなくなると思いきやありますね髪型とか。 あれわかっててわざと作ってるんですか?それとも気づかずに流されてるんですか? .... ________ .. /:.'`:::: .::.\ .. /.:: \ . /:::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' : ヽ r'⌒ヽ. .|::: ン -==-∴-==- < :| _(´: ..日本廼敵安芸屍埜廼彌耶一過杜小室陰茎一禍把眞杜芽手殺処分煮簾婁鹿内蛇露炉 ゝ,:.. ノ 》ヽ_`⌒,,ノ.(、_, )ヽ⌒_ノ _____ ...《《《| ヽ: il´ト,ェェェイ.li/.|》》》 (⌒:.. .》》 ヽ:!l |,r-r-|!/:《《《 ___....___,(⌒:. `) . 《《《 ..'>、~ ||.ノ i》》》》___....___,(⌒:. `),,,,____.. : :. .: .: . .`ー〜′:..:《《:,r'´  ̄ 《《:《《. .: .: . .`ー〜′:..: . 《:.′ . : . ) `》》》》》.:. : ::::. . : : /{ . : : : : ::u《《《《 .):. : :: ::.: : 、ヘヽ. .. .. . :. .. .. ... ; .′ . :/ i .: , ! ヽ. :'.} :: (( }:/ /: :. . ' .: ‘/ /)):. : ::. . : : .,'. :. ! Y´ ̄`丶/、__,,../:_:_,.。../.., /ー彡' {. :. :ゝ。.. __i',. :. :. : ,'. : :. : /:::. :. : ,':: :,'. :, ':. : ::::. ‘'‐=。._. :. :. :. :  ̄¨ヽ. :. :,'::.. :. : ,':: :, イ :. : : :::. . : : ‘'‐= ,. :. :. :. :. :. :':::. :. :. :! : :', :. :. . : : ¨ …‐-―`¨ :ァ=ー-":::: :: ::. :.: :.: :.ヽ . :ここだよ? . :. :. :. :. :. :. :. :. ::! . : :. :. :. :. : ::::. . : : : ', :. : : . :. :. :. :. :. :. :. :. :;; . :. :. :. :. :. : ::::. . :. :. :; :. 純一君w ≦. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : ::::: . : : : / . ___ . :. :`ミ、,. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : , '. :. : , ′ :. ./.∵∴∵.\ . :. :. :. :ヽ.`≧z- ...,__,..イ`'‥ ’ :. . /-= =-:',-= =-\ \: : :. :. :丶 ∨. :. : } :. : . . . (.... . "ー=〓=-.'` ) .. \. :. :. :‘, ∨. :. : ヽ ::: . : : \ .../ . \: : : : ' 、 ∨. :. : { . : : / ...\ みゃーっ ....,,xx,,,,,,... ,,x・''" ヽ,, r・”`・x,,. ./l!f''"´ ''”`"!!llxz,, fl|!”,r≼🌖≽ x・'~'ヽ、≼🌖≽ ヽ / /'~.,,~ .f ,p r@ .}ヽx,,,‘''x \ // {/"~ `ヽ, . } { ,vwW f~~~`''・x\Ww,, } .{ XWWレ”'ー---x''”>トWWxx } .[ WW/ `''ー--w-ー'' そWWx. } '.,:‐'"゙:≼⓪≽. .:. .: .;◉',.'、 ◉..:'´◉ ..;' ;: '..:' ◉.: '' ':::' .:' ◉ ;.' `.◉..,:' : :;.' . ';: ..: . ヽ、' ': , : ◉' ◉◉ ,.-‐' .;:'` '、;, '◉ーi、_`ー◉ _,.-'゙◉,.<゙,,◉ ,:' `‐、:`ト;ヽ,ィ''''>;'~`ir< r‐;'ン◉.o .... ________ .. /:.'`:::: .::.\ .. /.:: \ . /:::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' : ヽ r'⌒ヽ. .|::: ン -==-∴-==- < :| _(´: ..日本廼敵安芸屍埜廼彌耶一過杜小室陰茎一禍把眞杜芽手殺処分煮簾婁鹿内蛇露炉 ゝ,:.. ノ 》ヽ_`⌒,,ノ.(、_, )ヽ⌒_ノ _____ ...《《《| ヽ: il´ト,ェェェイ.li/.|》》》 (⌒:.. .》》 ヽ:!l |,r-r-|!/:《《《 ___....___,(⌒:. `) . 《《《 ..'>、~ ||.ノ i》》》》___....___,(⌒:. `),,,,____.. : :. .: .: . .`ー〜′:..:《《:,r'´  ̄ 《《:《《. .: .: . .`ー〜′:..: . 《:.′ . : . ) `》》》》》.:. : ::::. . : : /{ . : : : : ::u《《《《 .):. : :: ::.: : 、ヘヽ. .. .. . :. .. .. ... ; .′ . :/ i .: , ! ヽ. :'.} :: (( }:/ /: :. . ' .: ‘/ /)):. : ::. . : : .,'. :. ! Y´ ̄`丶/、__,,../:_:_,.。../.., /ー彡' {. :. :ゝ。.. __i',. :. :. : ,'. : :. : /:::. :. : ,':: :,'. :, ':. : ::::. ‘'‐=。._. :. :. :. :  ̄¨ヽ. :. :,'::.. :. : ,':: :, イ :. : : :::. . : : ‘'‐= ,. :. :. :. :. :. :':::. :. :. :! : :', :. :. . : : ¨ …‐-―`¨ :ァ=ー-":::: :: ::. :.: :.: :.ヽ . :マラ荒江よ . :. :. :. :. :. :. :. :. ::! . : :. :. :. :. : ::::. . : : : ', :. : : . :. :. :. :. :. :. :. :. :;; . :. :. :. :. :. : ::::. . :. :. :; :. 純一君w ≦. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : ::::: . : : : / . ___ . :. :`ミ、,. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : , '. :. : , ′ :. ./.∵∴∵.\ . :. :. :. :ヽ.`≧z- ...,__,..イ`'‥ ’ :. . /-= =-:',-= =-\ \: : :. :. :丶 ∨. :. : } :. : . . . (.... . "ー=〓=-.'` ) .. \. :. :. :‘, ∨. :. : ヽ ::: . : : \ .../ . \: : : : ' 、 ∨. :. : { . : : / ...\ 「バイオデジタル論 (ばいおでじたるろん 英:Biodigital Theory) とはスペキュレイティブ・リアリズムとニューロ・キャピタリズムの理論を思想的基盤に様々に細分化された非物質的本性としてのモナドの生成と相互主観性論の内在性を考察するデジタル以降の社会における概念である。」 「ポストデジタルの解釈を起点としクリティカル・ポストヒューマニズム、トランスヒューマン、非平衡科学の自己組織化 (Self-organization) にもとずくアクターネットワーク論 (ANT) の概念をも視野にいれたマルチレイヤーの理論として展開される。バイオデジタルはデジタル以降の様々な内観的 (Introspektion) な現象学の概念、バイオ・コンピュテーション、インタラクティブ・ネットワーク、生命体の形成過程における複雑系、生成の偶発性をデジタルメディアにとりいれた根源的再考に準拠している。 」 「テネシー州立大学教授のサラ・ヘイズ (Sarah Hayes) とプリマス大学トランスアート・インスティチュートのディレクターの松本良多 (Ryota Matsumoto) がアンソロポセン (Anthropocene) の階層的体系におけるデジタル以降のディスクールとしての思想としてディファインした。松本良多 (Ryota Matsumoto) はバイオテクノロジー、トランスヒューマン、分子生物学、生命体のみならず総合的なアクタントの有機合成の過程との類似性を視野に生命と流動性とその潜在的対象からバイオデジタルを生命の受動的自我のメタ科学として解釈している。」 引用元 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%AB%96 ポストデジタルからバイオデジタルへ流動する社会学 「バイオデジタル論 (ばいおでじたるろん 英:Biodigital Theory) とはスペキュレイティブ・リアリズムとニューロ・キャピタリズムの理論を思想的基盤に様々に細分化された非物質的本性としてのモナドの生成と相互主観性論の内在性を考察するデジタル以降の社会における概念である。」 「ポストデジタルの解釈を起点としクリティカル・ポストヒューマニズム、トランスヒューマン、非平衡科学の自己組織化 (Self-organization) にもとずくアクターネットワーク論 (ANT) の概念をも視野にいれたマルチレイヤーの理論として展開される。バイオデジタルはデジタル以降の様々な内観的 (Introspektion) な現象学の概念、バイオ・コンピュテーション、インタラクティブ・ネットワーク、生命体の形成過程における複雑系、生成の偶発性をデジタルメディアにとりいれた根源的再考に準拠している。 」 「テネシー州立大学教授のサラ・ヘイズ (Sarah Hayes) とプリマス大学トランスアート・インスティチュートのディレクターの松本良多 (Ryota Matsumoto) がアンソロポセン (Anthropocene) の階層的体系におけるデジタル以降のディスクールとしての思想としてディファインした。松本良多 (Ryota Matsumoto) はバイオテクノロジー、トランスヒューマン、分子生物学、生命体のみならず総合的なアクタントの有機合成の過程との類似性を視野に生命と流動性とその潜在的対象からバイオデジタルを生命の受動的自我のメタ科学として解釈している。」 引用元 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%AB%96 松本良多 (Ryota Matsumoto)は欧米と日本を代表するポストデジタル理論、加速主義の社会学者でありアーティストである。 ロンドンAAスクール、グラスゴー・スクール・オブ・アート、マイアミ大学にて90年代に建築と哲学を学び、2007年ペンシルベニア大学大学院芸術学部建築学科修了する。ニュー・マテリアリズムの思想家、マヌエル・デランダに師事する。 2015年にテネリフェ市立美術館にて加速主義、ポストヒューマニズムについて講演している。2017年にはレバーヒューム・トラスト国際学会の招聘によりコーネル大学とプラット・インシュテチュートにて「ポストヒューマニズムと未来都市」について講演。 社会学者、評論家としては2018年にカリフォルニア大学アーバイン校でエドワード・カック、ロージ・ブライドッティとともにワークショップをオーガナイズしている。 プリマス大学トランスアート・インスティチュート、国立オスロ美術アカデミーの客員講師をへてニュー・センター・オブ・リサーチ・アンド・プラクティスのシアトル校、パーソンズ美術大学の客員教授を務めている。 「松本良多(まつもと りょうた 英:Ryota Matsumoto)は、テクノロジーと文化について研究する社会学者でありメディアアートの美術家である。米国の加速主義の思想における中心人物であり、ジョージオ・アガンベン、キム・カスコーンとともにポストデジタルの主唱者である。」 「我々は既にデジタル技術が特別なものでない時代にいる。」 “I firmly believe the digital technology is nothing special in the age of techno utopianism.” 引用元 https://ja.wikiquote.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E8%89%AF%E5%A4%9A 私は、自分が無能なうえに、つねに考えが甘すぎるので、 私にはやはり、「果報は寝て待て」がベストの選択肢だと思うのです。 下手に自分から積極的に動いたら、労多くして何も成果が得られない だけでなく、足を踏み外したりして危険ですからね。 若い頃、開き直った一神教、つまり、一神教を信仰していることを自覚する ことすらない一神教が魅力的に映るのは自然なのですよ。少なくとも 私にとってはそうだった。開き直った一神教には、当然、「無宗教」が その代表例として含まれるわけです。なぜ、それが魅力的に映るかというと、 親と学校を中心とした人間関係の中で、互いに折り合いのつけようのない 実力行使の暴力とその脅しをつねに伴った矛盾に日々、さらされつづける。 折り合いをつけようにも、多少なりとも独立した生活を営むことのできる 基盤のない子供には、交渉できる立場がない。だから、現実には解消され ない矛盾をすくなくとも、考えの上だけでは相対化して、無効化すること にお墨付きを与えてくれる開き直った一神教に惹かれることになる。 薪を並べて点火し、炎が上がるくらいに火の勢いが出たところで 空気の出入口を塞いで窒息させ、蒸し焼きにしてやれば、 火力が強く、ゆっくりと燃える、使い勝手のいい炭が出来上がる という考え方が基本にあるのですよ。 恵み(巡り合わせの良さ)は、「することができる」ことにしかない のだから、行き止まりは、不運な(運びが悪い)ことになるのでは ないでしょうか。悪も行き止まりに気づくと、そこから引き返して きてしまうので、悪に堂々巡りさせようと願って呪文を唱えるのでしょう。 現代の競技スポーツは、実のところ、かなり呪文に近い役割を担わさせて いるのではないかと思えます。 まあ、多くの制度的な「学問」も、哲学学(←誤記ではありません)も含めて、 似たようなものですが。 何かを「な(成/為)す」ことは、その何かが「な(成)る」ように 「する」ことなのだから、何かをなな(成/為)そうとするなら、 「な(成)る」べく「できる」ように「できることをする」しかない。 「できる限り」のことをいくら「して」も、その何かが「できる」 ように「な(成)ら」ないなら、それはな(成/為)す「『す』べ」を 知らないということであり、な(成/為)すことが「『かな(適)』は」 ないのだから、そのようにでき「『かね』る」のは、 「『かな(悲)』しい」ことである。悲しみに耐へ「『かね』る」 と、人は「す(捨)てみ(身)」になる。しかし、本当に身を捨てて しまっては、元も子もない。捨てるべきは、できないことばかりに いつまでも拘っている執着の方であり、そのためには心の わだかまりを解く必要がある。そのために大切なのは、何であれ 「できることをする」ことだ。それが何であれ、どれほど些細な ことであっても、「することができる(「する」=「できる」)」 ことは、巡り合わせが良いことを意味している。できることをして いるうちに、それまで気づかなかった物事に心が「かよ(通)ふ」 ようになり、いつの間にか、それまで「できない」と思っていた ことまで「できる」ようになっていることがある。すると、 できないことに拘っていたうちは「な(成/為)す『すべ』」の なかったことについても、ひとりでにその「すべ」が見出さ れることさえあるのだ。そこにこそ本当に良い巡り合わせと しての恵みがあり、仕合せ/幸運があるのだろう。 誤:何かをなな(成/為)そう 正:何かをな(成/為)そう >悲しみに耐へ「『かね』る」と、人は「す(捨)てみ(身)」になる。 「す(捨)てみ(身)」になることを理想として、自ら「わ(侘/詫)ぶ」こと により、悲しみに耐へることができるようにし、そのことによって 実際に「す(捨)てみ(身)」とならずに済むようにすることが、 禁欲主義/ニヒリズム的な解決法であり、そこに他者を引きずり込もう とすることは、生きようとすることに反する。 >>39 ここには、「神秘」はあっても、「神秘主義」はない。 なぜなら、「できることをしようとする」こと自体が、たとえそれが 明示的に言語化されない場合でさえ、「考へる」こと、 即ち、「かむ(神)か(交)ふ」ことを促すからだ。 「かむ(神)か(交)ふ」ことによって「かみ(神)がめぐ(巡)ってくる」、 そのことが「めぐ(恵)み」であり、「する」ことに「かひ(効=交・力」 があることであり、巡り合わせの良いこと/幸運である。 162 :名無しの笛の踊り:04/01/29 04:39 ID:yA5XPjfq がんがゆがゆんがんころかしゃるのがクラヲタ。 がゆ」ころかしゃるのがクラヲタ。 163 :名無しの笛の踊り:04/02/01 06:35 ID:qJxp92iJ スびびってあっしてすぐこっけに閉じこもっ 164 :名無しの笛の踊り:04/02/07 00:11 ID:ij0t2wjw 数年後、デスクの上から書類などが消えフロッピーディスク一枚に収まる。 麻生 太郎 165 :名無しの笛の踊り:04/02/13 06:05 ID:1FgfZjQW ( ゚,_・・゚)ブブブーッ 166 :名無しの笛の踊り:04/02/14 07:25 ID:SMiAF+is 798 :名無しの笛の踊り :04/02/13 22:13 ID:/wKCPtw3 ______ /∵∴∵∴∵∴\ /∵∴/∴∵∴∵\\ /∵∴<― >.∴∵< ―>.| ブヒィ? \∵ | \\●●ノノ/ / \|_____/\ │ ∴∵━━━○━━━∴│ __ /:::::\ /::👁 🐽 👁\ /:: | ` `👄´' |:) ,.゙-‐- 、 `⌒ / ┌、. / ヽ ー‐ <. プこプこプこプこプこプこプこプこプこってるようじゃな? ヽ.X、- 、 ,ノi ハ ⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ 入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ / `ー''"´ ,' c〈〈〈っ< / __,,..ノ ,ノヽー'"ノ { ´ / ``¨´ /´¨`'''‐、._ ,'\ ∨´ `ヽ、 ノ ゙ヽ ∨ ヽ _,,..-'" `ヽ ∨ 〈-=、.__ } __ /:::::\ /::👁 🐽 👁\ /:: | ` `👄´' |:) ,.゙-‐- 、 `⌒ / ┌、. / ヽ ー‐ <. ㇷ゚こプこプこプこプこプこプこプこプこプこってるようじゃな? ヽ.X、- 、 ,ノi ハ ⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ 入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ / `ー''"´ ,' c〈〈〈っ< / __,,..ノ ,ノヽー'"ノ { ´ / ``¨´ /´¨`'''‐、._ ,'\ ∨´ `ヽ、 ノ ゙ヽ ∨ ヽ _,,..-'" `ヽ ∨ 〈-=、.__ } .... ________ .. /:.'`:::: .::.\ .. /.:: \ . /:::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' : ヽ r'⌒ヽ. .|::: ン -==-∴-==- < :| _(´: ..日本廼敵安芸屍埜廼彌耶一過杜小室陰茎眞n子裸屑弩藻把眞杜芽手簑津黍旻煮簾婁鹿内蛇露炉 ゝ,:.. ノ 》ヽ_`⌒,,ノ.(、_, )ヽ⌒_ノ _____ ...《《《| ヽ: il´ト,ェェェイ.li/.|》》》 (⌒:.. .》》 ヽ:!l |,r-r-|!/:《《《 ___....___,(⌒:. `) . 《《《 ..'>、~ ||.ノ i》》》》___....___,(⌒:. `),,,,____.. : :. .: .: . .`ー〜′:..:《《:,r'´  ̄ 《《:《《. .: .: . .`ー〜′:..: . 《:.′ . : . ) `》》》》》.:. : ::::. . : : /{ . : : : : ::u《《《《 .):. : :: ::.: : 、ヘヽ. .. .. . :. .. .. ... ; .′ . :/ i .: , ! ヽ. :'.} :: (( }:/ /: :. . ' .: ‘/ /)):. : ::. . : : .,'. :. ! Y´ ̄`丶/、__,,../:_:_,.。../.., /ー彡' {. :. :ゝ。.. __i',. :. :. : ,'. : :. : /:::. :. : ,':: :,'. :, ':. : ::::. ‘'‐=。._. :. :. :. :  ̄¨ヽ. :. :,'::.. :. : ,':: :, イ :. : : :::. . : : ‘'‐= ,. :. :. :. :. :. :':::. :. :. :! : :', :. :. . : : ¨ …‐-―`¨ :ァ=ー-":::: :: ::. :.: :.: :.ヽ ここだよ . :. :. :. :. :. :. :. :. ::! . : :. :. :. :. : ::::. . : : : ', : . :. :. :. :. :. :. :. :. :;; . :. :. :. :. :. : ::::. . :. :. :; 純一君w ≦. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : ::::: . : : : / . ___ . :. :`ミ、,. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : , '. :. : , ′ :. ./.∵∴∵.\ . :. :. :. :ヽ.`≧z- ...,__,..イ`'‥ ’ :. . /-= =-:',-= =-\ \: : :. :. :丶 ∨. :. : } :. : . . . (.... . "ー=〓=-.'` ) .. \. :. :. :‘, ∨. :. : ヽ ::: . : : \ .../ . \: : : : ' 、 ∨. :. : { . : : / ...\ .. _____ .. /.'`: :::\ / \ /. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' : ヽ | ン -==-∴-==- < | 菰玖賊菰無櫓淫圭杜瑚鵡炉眞n子杜安芸屍乃飲屋一禍把禅淫痲杜芽手佐津黍旻煮簾婁鹿那亥蛇露炉 ヽ_`⌒ノ(.、_,)ヽ⌒_ノ . ___ ノ /... l / 从从/: \ 、_! / ノ 从从 i 'ー三-' i l ノ从ヽ._!___!_/ / ___ ゙ ,:-'´ 丶 /´ ヽ` ̄ ー-゙:.、 i - 、 `ヽ_ l: 、.: ヽ ゙i" ! i ; n .:c.: ', _..ハ | ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ H (_彳┬┬-、,,,、┬┬┬ヽ_,,) .. |Y { \ \\++. + _.l_+. + ++ // .ノ .| /| \ \ \UU、__l__,UU// .../ |\ | \ \'''----''' / . / ./ ..| .... | \ >----< . / / . \ \ ( ) ./ / \ \ ..// ある事柄について興味をもって考えていればそれが近づく 吹っ飛ばすとかふっ飛ばさないって議論は調子に乗って手を上げてる頭が悪いやつなんだよ 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ . /i|:::::::::{::::i:|:::::<🥛ヽ::::_;L:::ノ<🥛>く:::::::::::/:/.:::::.f 〈:八:::::::::ヽj」-'′  ゙̄Y:::/.::::::::}i:, ∧:::.\::::ノ V.::::::::::ノハ 〈::::;::::ヽ::У 🍯 ::::::〃::::::〉 ∨ヘ:::::〉 \i|:::::::∧ ヽ::∨ 、::::/:::〉 |:/ ∨::イ |′ ⌒ ∨{ ,゙ V} : / ゙: l \ , i l ヽ、ヽ ノ ! l ^.🥚 ! ゙. __________r´_|______ ! Y゙´ ̄`゙'ー-=ニ ∞ _ニ=‐-'^ ̄ ̄ ̄Y '. `丶、 γ'´ ! '. ^「こ:r′ | '. |⌒| | ゙. | | . | 得られた最終解答が自分にとって受け入れ難いと知った後でもマトモに生きて行けるのか? 思考の焦点の当て方を自分の意志で調整ないのが一番の絶望の元なのだが答えはこの辺りだと思う 自分に出来る問題にならない範囲で虐殺して紛らわせる 例えばある事に対して「できない」とは自分以外の意識が思っている。自らは思っていない。 持っている事によって気持ちが重くなってしまう物は買わない 物事を究極まで抽象化すると 世界はゼロ次元である。 自らにできることを経験し、よく観察して、 自らにできることを自らにできるように表現する 自らに巡ってくるものをもてなす/"unterhalten"ことにおいて「今」 という「とき」があることを自覚する。それは単に、運の巡り合わせを 「定め」として受け入れる受身な態度でも、それを拒絶するように 無理に抗って、起きた現実を受け入れまいとする頑なな態度でもない。 そのように振る舞ふことは、それが、訪れる神を歓待する行事として 形式化される以前からの、今を生きることを大切にする基本的な姿勢だろう。 “No law can be sacred to me but that of my nature. Good and bad are but names very readily transferable to that or this; the only right is what is after my constitution; the only wrong is what is against it.” ― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.153 エマソンの個々の表現は、その思想の原理的なまとめよりもずっと 興味深く、ニーチェがそれを高く評価したことも容易に理解できる。 "Geatness appeals to the future." ― Ralph Waldo Emerson, 同上、p.158 "A great man is coming to eat at my house. I do not wish to please him; I wish that he should wish to please me." ― Ralph Waldo Emerson, 同上、p.158 人生に意味はない (気づいた順に死んでいくから最終解答となるという。俺は何も知らないから生きるけど。) 入居してから、それほど広くはない居住空間にどのような家具を入れるか 入れないか何年も逡巡していたけど、ようやく一般的な役に立つ家具を購入した。 これが最適解かどうかは不明だが、種類や色や大きさについていろいろ考えた結果、 その甲斐あってとてもうまくいった。それほどの値段ではないとはいえ、 家具は一度購入してしまうと、処分するのも面倒だからね。比較的狭い空間 をさらに窮屈に感じさせないような寸法や色で、自分の色の好みにも合い、 なおかつ多目的で応用が効き、それなりの品質でありながら、値段が高く ないという要件をすべて満たす商品を見つけることは、そう簡単ではない。 購入を決める前に自分の居住空間という現場で試してみるわけにいかないし。 多目的に使えて、しかも中途半端でないこと、この両立がなかなか難しいく、 ただ提供される商品の選択肢のなかから選ぶだけでは埒があかない。 自分でどう工夫することができるのかを考える必要がある。 ただし、工夫に専念すると、それが自己目的化して、うまく工夫した つもりが、無理を我慢しているのにそれを否認する自己欺瞞に陥り、 他人からは見れば、偏向した趣味にしか見えないことになる。 >>229 >>230 てめえ何言ってんだ?スレ違いだろ、出て行け。 生物学関係の一般向けの入門書を読んでいる。 高校の生物の授業とかもまったく勉強しなかったので、 常識レベルの知識も持ち合わせていないが、あらためて読んでみると、 なかなか面白いんだけど、分かりやすく説明するために使われている 隠喩が大きく間違っているような気がする。 例えば、遺伝に関してDNAについて説明するのに、それが「暗号」の ようなものとして説明されている。確かに、DNAが発見され、その 配列がどうなっているのか、その配列がどう読み取られ、どのように 作用するのかを解明する必要がある、という研究の視点からすれば、 それは解読されるべき「暗号」のように見え、そのように説明する ことはできるかもしれない。しかし、DNAの利用のされ方は、 ヒトでも大腸菌でも同じである一方で、DNAが無生物によって 利用されることはない。ところで、「暗号」とは何だろうか。 それは、通信文を、それが宛先とする相手以外の手に渡ったときに 読取り困難にするためのも本の「平文」に施された特別な操作である。 ところが、ヒトのDNAが大腸菌に渡っても読み取られてしまうだけ でなく、ウイルスが運ぶ遺伝情報も、細胞に注入されれると、 読み取られてしまう。したがって、DNAの「遺伝情報」を通信文に 喩えるなら、それは細胞にとって「暗号」ではなく、「平文」である と言わなければならないのではないか。 もちろん、専門家は、DNAがどのように働くのか詳細に研究しているので、 それを「暗号」として一般の人々に分かりやすく説明したところで何の 支障も生じない、という考え方もあるだろう。しかし、天文学で 天体の動きを説明するのに、それが分かりやすいからといって、太陽が 地球の周りを回っているというような隠喩は用いない。それがDNAを 通信文に見立てて、それを「暗号」に喩えることは、そのような 過ちを犯すことになるのではないか。ごくささいなつまらないことに 思えても、それが不適切な隠喩の用法なら、それを放置して、さらに その隠喩に基づいて説明を展開していくことは、生物を理解する全体像 としてのモデルにまで悪影響を及ぼすことになるだろう。 それがDNAを通信文に見立てて × DNAを通信文に見立てて 〇 物事にはつねに多層的な複合性がある。 したがって、その複合性をどのようにか分かるように しようとする探求の試みに対して、「物事はそんなに単純ではない」 という批判を向けることは、単に意味がないだけでなく、 探求を妨げるものとして有害ですらある。 「複雑なものを複雑なまま理解する」と言えば、聞こえがいいが、 これは、その無効性において「物事はそんなに単純ではない」 という批判とほとんど変わらない。なぜなら、そもそも、 物事に多層的な複合性が認められているから、それを解明しようと 探求を試みているのに対して、その認識を「物事は複雑だ」と 言い換えることは、多層性な複合性を無視して、それを 同一平面における複合性や、同一レベルでの多面性に置き換えて しまうことになるからである。 美しさとして評価される「侘(わ)び」とは、英語で説明的に表現するなら、 "art of adaptation by self-diminution of exigence"であって、 それは、自らの置かれた状況に適応する己の生きる「術(すべ)」/"art"の 自覚である。したがって、それを「禁欲主義の『をし(教)へ』」に変えて、 他者に「侘(わ)ぶ」ことを要求する/《exiger》ことは、文字通り 倒錯であり、その「術(すべ)」/"art"を実践することに悖(もと)る振舞ひ であると言わなければならないだろう。 最善を尽くすより、最善を尽くせるように してあげる方がつねに得策 >最善を尽くすより、最善を尽くせるように してあげる方がつねに得策 これは、自分に役立つ働きをする者についてだけでなく、 自分自身についても当てはまる。 最善を尽くそうと決意する精神主義は、大抵の場合、 全くの無駄である。それよりも、能力を十分に発揮することを 妨げることが分かっている要因を排除していった方がいい。 何が余計な制約として働くことになるのかを見極めることが大切だ。 「自分ないし他人が最善を尽くせるようにしてあげる」こともまた「最善を尽くす」ことに含まれる したがってその指摘を踏まえても「最善を尽くせ」が「哲学的最終回答」であることに変わりはない 間違っているよ。 「最善を尽くせ」というのは命令であり、 自分にとって良いことをするのに命令は必要ない。 命令を必要とするのは、無理をしている証拠だ。 無論、従うことが明らかに不可能な命令、ないし従うことは可能だが従うために努力を要する命令は、「哲学的最終回答」などにはなりえないだろう しかし「最善を尽くせ」はどちらにも該当しない それはあらゆる人間にとって、従うことが可能で、かつ従うための努力を必要としない命令だ つまりわれわれは常に既に最善を尽くして生きているのだ だからやはり君の指摘はあたらないな >つまりわれわれは常に既に最善を尽くして生きているのだ では、「何もしなくてもよい」でも、どっちみち最善を尽くしている ことになるのだから、「最善を尽くせ」という命令は不要ですね 「哲学的最終回答」たりうる道徳命題があるとすれば、それは、「誰もが常に既に、特に意識せずとも従っているがゆえに、誰にとってもされてもされなくてもよい命令」に他ならない、というのが私の見解だ だから、無論君の言うとおり、その命令は誰にとってもまったく不要なのだが、まさにそうであるからこそ、その命令は「哲学的最終回答」たりうると、私は考えるのだ 哲学板でマジレスしてる馬鹿共には>>1 を理解できない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる