ドイツ哲学総合スレ2
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ドイツ語圏代表「哲学者サッカー」曼荼羅
・アルベルトゥス・マグヌス(コミッショナー)
・マイスター・エックハルト(GM)
・マルティン・ルター(監督)
・ゴットフリート・ライプニッツ(ゴールキーパー)
・ヤーコプ・ベーメ
・イマヌエル・カント
・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
・ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(キャプテン)
・フリードリヒ・シェリング
・フリードリヒ・ニーチェ
・ジークムント・フロイト
・エトムント・フッサール
・ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
・マルティン・ハイデガー
・カール・マルクス(補欠)
・ハンナ・アーレント(マネージャー)
・マルクス・ガブリエル(U-20) 『ドイツ哲学史』 モーリス・デュピュイ、文庫クセジュ (1987)
第1章 中世
第2章 宗教改革とルネサンス
第3章 ライプニッツと「啓蒙思想」
第4章 カント哲学
第5章 カント以後の哲学―壮大な観念論体系(フィヒテの主観的観念論、シェリングの客観的観念論、ヘーゲルの絶対的観念論)
第6章 19世紀から20世界へ(非合理主義と厭世主義―ショーペンハウアー、唯物論、ニーチェの著作と価値の転換、主観主義とその諸形態―実証主義、新カント派、プラグマティズム、形而上学的伝統の継続)
第7章 20世紀の哲学(生の哲学、現象学、存在論と形而上学、実存の哲学、新論理実証主義、マルクス主義の拡張) 一歩理解を深める度に、常識が覆される思いをするのがドイツ哲学史で、
いちいちが根本的。
現代を切り拓いたと目されるマルクスやフロイトですら、その一コマに過ぎない。
このような伝統は何に由来するのか? ガブリエルの特徴は、ドイツ哲学史を総合しているということ。
ライプニッツ、カント、ヘーゲル、シェリング、フッサール、ハイデガーなど…。
ガブリエルを読んでも理解できない・面白くないという人は、ドイツ哲学史の理解が足らない。 例えば、ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」は、
ライプニッツやハイデガーの問い「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」に対応している。 >>5
妄想だよ。
観念論は言ったもの勝ちだから、そんな錯覚をするんだろうが。 >>7
「世界」という言葉の定義の問題に過ぎないことを、1冊の本にする力量は大したものだがw ドゥルーズのようにドラッグをやって吐き出した哲学とは違い、
ガブリエルのは人力哲学。純粋に想像力の賜物。 人文学が最初から反人文学に取り込まれたうえで制度的に成立している
ことを明確に意識するまでは、本当の意味での哲学は始まらない。 その意味で哲学をすることは、年月の積み重ねを必要とする。
若いうちにいくら他人の経験を本で読んでも、
本当の意味でその積み重ねは得られない。後から振り返って、
何が書かれていたのかが理解できるようになる。 何故このスレで話題にするのか(1)聖書
前スレで話題になったが、
・新約聖書(ギリシャ語)
・旧約聖書(ヘブライ語)
・ウルガタ・ラテン語聖書(ラテン語)
・セプトゥアギンタ・七十人訳聖書(ギリシャ語)
これらの中で、世界標準とされているものは
どれもドイツ聖書協会 (Deutsche Bibelgesellschaft)監修のものとなっている。
ルターによる宗教改革があった影響からだろうが、
こうした話もドイツ哲学の理解には欠かすことができない。 だから、
前スレの
> 910 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2022/01/06(木) 09:08:27.73 0
> ネイティブじゃなければ原語で読んでも意味ないよ。
> 言葉を実感としてとらえることができるのはネイティブのみ。
というのは、全く当たらない。
むしろ、ネイティブというアプリオリな身体性から離れてものを眺めるというところに、
初めて学問や科学は成立する。
ドイツの学者は「日本学をやるのに日本人は要らない」という。
日本のことであれば日本人に聞くのが一番分かるように思えるが、学問にはかえって邪魔だというわけだ。 本来、こういうことは左派の人たちが敏感であるべきだが、
ネイティブのマルクス信者であることに感覚が麻痺してしまっているのだろう。 何故このスレで話題にするのか(2)井筒『意識と本質』
井筒の主著にして、戦後日本の主著といってもいいこの本が翻訳されているのは
ドイツ語版"Bewusstsein und Wesen(2006)"のみ。
井筒が、エラノス会議(ex.ルドルフ・オットー)の顔だったこともあるだろう。
日本人にとって(というか世界の人にとっても)これほど重要な本が、
他の言語で読まれていないということは問題。
英語圏やフランス語圏の人たちは、戦後の日本人が何をやっていたのかを知らない。
アニメやゲームの国ということになっている。
だから、実際の国際情勢と哲学の国際情勢の間には、ギャップとバイアスがあるのだということ。 >>17
翻訳じゃダメなんだろ?w
西欧の人たちに日本語勉強させないとね。 もし哲学が翻訳不可能だとすれば、その哲学は人間の真理ではなく、民族の真理に過ぎないってことだね。 ネイティブにしか理解できない、ネイティブ以外は原文購読を諦めなければならない(翻訳でよい)という哲学もね >>21
翻訳が不可能なら、当然そうなるな。
言葉の移し替えだけでは、理解できないということになるから。
それこそが、哲学的な真理ということになるw まず、ルターという人が、自分のネイティブではないギリシャ語の聖書を読み、それをドイツ語に翻訳して、
千数百年のキリスト教の歴史を転倒させた人であったということ ライプニッツによる八卦と二進法の比較
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e4/Leibniz_bagua.png/464px-Leibniz_bagua.png
伏羲(ふくぎ)(八卦の作者。古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/db/Ma-Lin-Fuxi-and-turtle.jpg
足元に八卦が描かれている
“この計算でびっくりすることは、0と1によるこうした算法の中に、
中国古代の王であり賢者であった伏羲の発明した実線と破線とからなる不思議な図形が潜んでいるということである。
伏羲は四千年以上前の人物であると信じられ、中国人は彼を自分たちの帝国および諸学の創始者であるとみなしている。
彼がつくったといわれる実線・破線図形は何種類もある。しかしそれらすべてはいま述べた算法に帰着する。
しかしここではもっとも基本的といえる八卦の図だけを示す。
そして実線「?」は一つまり1、破線「?」は零つまり0だということだけ述べておけば説明はそれで十分であろう。”
― 『ライプニッツ著作集 10 中国学・地質学・普遍学』 下村寅太郎ほか 監修、工作舎 (1991) p12 ライプニッツは、>>25の後にこう付け加えている
“中国人はおそらく千年以上も前から伏羲の卦の図の真の意味を忘れてしまい、とんでもない注釈をいろいろくっつけてきた。
だから本当の解釈はいまやヨーロッパ人の手に依らざるをえなくなった。” ギリシャが経済破綻した時、「ドイツに賠償金を払ってもらおう」という声が上がった、ドイツは賠償金を払っていないし戦争責任も解決していない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています