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「恥」という感覚について
0001考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 01:50:17.430
考えても足がかりすら得られないのでお力をお借りしたいです。

我々人間が共通して持つ「恥」という感覚。
この感覚がいつなんの為に獲得されたのかが分かりません。

おそらくは社会性を持ち集団で生存する上で何かしらの役割を果たしたのでしょう。

しかし、恥が集団に対して一体どのような効用を発揮するのでしょうか?
恥の根底にある生理作用とは何なのでしょうか?
0004考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 02:04:26.770
 元来恥ずかしいという感情は、目だった行為をしたり皆の前で失敗をしでかしたりしたとき、あるいは自己の欠点や醜いと思っている容姿が指摘されたときにおこる。前者では、その行為によって自分に対する評価が下がるかもしれないことを恐れているのであり、また後者では、他人に対する自己の劣位が知らされることになる。いずれにせよ、自分についての自己評価が、他者との関係のなかで相対的に低下するとき、恥ずかしいという気持ちがおこるのである。いいかえれば、恥ずかしさというものは、当人の自尊心が対人関係のなかで損なわれるような状況で生じる。要するにこのような羞恥(しゅうち)心は、人の笑いものになったり、世評が悪くなることを心配する気持ちと結び付いており、したがってまた、人の目による批評は、社会的な行為を方向づけるうえで大きな規制力をもつことになる。そこで、恥ずかしいという感情は、人のうわさや嘲笑(ちょうしょう)を恐れるという「恥」の意識に転化されるに至る。

 この点に関して、アメリカの文化人類学者ベネディクトは、次のように述べている。「恥は、他の人々の批評に対する反応である。他人から公然とあざけ笑われ、値打ちがないといわれるか、あるいは、あざけられたと思い込むか、そのいずれかによって、人は恥辱を被る。どちらの場合でも、恥はよく効く道徳的拘束となる。だが、それには、実際に人前のことであるか、それとも少なくとも人前でのことだと思い込むか、といった条件が必要である」(『菊と刀』)。つまり、周りの他人を想定し、その嘲笑(本人にとっては恥)を回避しようとするわけだが、それは、「自己の行動に対する世評に気を配るということ」であり、したがってまた「他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」ことだ、とベネディクトはいう。
0005考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 02:05:27.850
「恥」に基づく行動というのは、自己の行為の基準を他者の側に求めるものであり、それは、自己の内部に植え付けられた基準(良心とか宗教的なおきて)に従う「罪」行動とは対照的だとされる。「罪」行動では、自我のなかに確立された内面的基準によって自己の行為の善悪が判断される。それにもとる行為は、自責的な「罪」の意識を生み出すのである。

 行為に対する内面的制裁を行う「罪」と外面的な制御を加える「恥」とは対概念になっているが、ベネディクトは、これを活用して文化の類型化を試みた。それによれば、西欧社会は「道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会」として「罪の文化」guilt cultureをもち、他方、日本の社会は「外面的強制力に基づいて善行を行う」ような「恥の文化」shame cultureに属している。前者では、悪い行いが人に知られない場合にも自ら罪悪感にさいなまれ、後者では、人前で恥をかかないようにすることが道徳の原動力になるという。モラルの根拠が内にあるか外にあるかの違いである。

 しかしこのように、制裁の源が内にあるか外にあるかによって「罪」と「恥」とを分けることは、かならずしも適切ではない。なぜなら、社会学者作田啓一が述べたように、「人間はまず外側から罰を受けることによって、何が罪であるかを知るようになるからである。そしてまた、〈恥を知る人〉は自分自身で自分をコントロールするからである」(『価値の社会学』)。行動の基準が内在しているか外在のものであるかということは、「罪」と「恥」とを分ける決め手にはならないであろう。日本人の「恥の文化」においても、行為基準の外在性にもかかわらず自律的行為は十分にある、とみなしうる。名(名誉)に恥じぬよう行動したり、人知れず羞恥の念に駆られるのは、「恥」による主体的制御の現れである。さらに日本人においても、親鸞(しんらん)の思想にみられるような徹底した罪業(ざいごう)観があったし、また世俗的レベルでも、重病の親に対する悔悟の念(本当にすまなかったという懺悔(ざんげ)心)としての「罪」の意識もみいだせるであろう。ベネディクトの説は再検討される必要がある。
0006考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 02:42:55.720
>>4
恥を恐れることが集団を制御するために役立ったという点は同意するところなのですが、何故それが独立した感情として獲得されたのでしょうか?

恐怖では制御できなかった、または不都合があったのでしょうか?
0007考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 07:50:47.270
>>4
無駄に長い。ひとこと、恥とは「劣位が晒されている感覚」と言えば済む話。
0008塩なめくじ
垢版 |
2022/01/24(月) 16:11:30.01ID:fhtFVRQ60
>>4-5
面白い!
0010考える名無しさん
垢版 |
2023/05/19(金) 15:32:23.480
世間体
他人にどう思われるかの自己の想像
0012考える名無しさん
垢版 |
2024/02/03(土) 15:32:06.830
恥とは、自分自身や他人からの否定的な評価や批判によって感じる、心理的な不快感や羞恥心のことを指します。具体的には、自分の言動や行動が社会の規範や常識に反すると感じたとき、あるいは他人から嫌な目で見られたり、否定的な評価を受けたりしたときに、恥を感じることがあります。

恥は、社会的な規範や文化的な背景によって異なる場合があります。たとえば、ある文化圏では、ある行動が常識的なものであっても、別の文化圏では不適切なものとされることがあります。また、恥を感じる感覚も個人差があり、同じ状況でも人によって恥を感じる度合いが異なることがあります。

恥を感じることは、自己評価や他者との関係を考える上で重要な役割を果たしますが、過度に恥を感じすぎると自己評価が低下したり、社会的な孤立感を感じたりする場合もあります。
0013考える名無しさん
垢版 |
2024/02/22(木) 16:16:30.160
プライドかな
0014考える名無しさん
垢版 |
2024/03/28(木) 16:17:05.160
>>1が一番の恥
0015考える名無しさん
垢版 |
2024/03/28(木) 16:39:40.140
恥知らずなほうが人生うまくいく?
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