仏教の空を解説する寺子屋
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
こんにちは。
今から色即是空とか、般若心経などで有名な空について、簡潔に解説していきます。
巷でよく言われる、「すべては関わり合っているから空」。
じつは、これは厳密に言うと嘘、もしくは浅いんです。
空は、仕組みは簡単?なんです。では、まずざっくりと本当の空の解説をしてみましょう。
空を解説するには、先に脳の認識の仕組みをすこし説明しておかねばなりません。今から、カメラと写真で例えて解説してみましょう。
えー、被写体と写真が全く同じものだと言う人は、おそらくいないと思います。
モデルと絵が別であるように、被写体そのものと、写真が別であるのは、わざわざ言う必要もなく当然ですね。
被写体≠(ノットイコール)写真。
ここをまず覚えておいてください。
では次に、、、
あなたの脳内の映像や感覚と、認識の対象である物事は一緒でしょうか?
いいえ、違います。一緒ではないですよね?
それは、写真と被写体が一緒ではないのと同じように、脳内のものと認識の対象は≠(ノットイコール)なんです。
そして、≠なのに、私たちは脳内のものの快楽性に中毒になったり、または、憎み、嫌悪します。
空とは、自分を不幸にする嫌悪や中毒の特効薬です。
空とは、さきほどの、≠(ノットイコール)をひとことであらわした言葉です。
写真の中には被写体そのものは入っていません。写真は空っぽだし、
脳内の認識は対象とはちがうのです。そこには対象の存在は空っぽなことを、空だと言っているのです。
なので、空の教えが説かれた目的は、自分が中毒や嫌悪をやめて、ものごとと適切な関わり方を身につけましょうと言うことです。 牛肉やオレンジを食べる人間。笹を食べるパンダ。アリをたべるアリクイ
どれも幻想だ
実際には、原子と分子が集まったカタマリを摂取して、分解して栄養素にしてるだけ
感覚的な刺激と脳内変換によって、「見た目もキレイな美味しいモノを食べている」という演出効果が付与される 最初から読んでたら何だか混乱してきました
そもそも空理論ってお釈迦様は関係ないし
説いた龍樹?名無しの僧侶?も一番簡単な悟りにも
達していないんだから
そんな神秘的なものでもなくて
言語で十分に表現できる唯の理論?定義?ってこと?
でもそうだとしたら見解がそう大きく異なるわけないし
他宗派を口喧嘩でやり込めるために発達したんですよね
確かそんな説明を読んだことある
まあどっちみち仏道修行には役に立たないのは最初から
解ってはいるけれど
何故か空に関心ある人が多いんですね
大乗ではキモとされているんですよね たぶん >>951
> ついでに「科学界の詩人」と呼ばれた湯川秀樹も加えたらいいけど、科学は神秘を解明するのに、なぜ詩と思うんだろう。
昔から、数学や物理が専門の人には、神秘主義に走る人が少なくない。プラトンがその代表格
それに対して、生物が専門の人は唯物主義/現実主義になりやすい。生命が機械に見えてくるからだろう。アリストテレスがその代表格 >>951
科学や哲学では神秘を解明できないので、
それを深く知った時、人は詩人にならざるを得ないのです。(^^)
「竹」萩原朔太郎 より
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。 >>953
> そもそも空理論ってお釈迦様は関係ないし
> 説いた龍樹?名無しの僧侶?も一番簡単な悟りにも
> 達していないんだから
そんなことないよ
空理論は、お釈迦様が説いた「無我」や「縁起」の教えをもとに、龍樹が理論的に整備して定式化したものだ
仏教思想である以上、「お釈迦様は関係ない」はあり得ない。中観派も唯識派も、「お釈迦様の教えを突き詰めて解釈したら、こういうことになりますぜ」という研究成果 >>955
> 「竹」萩原朔太郎 より
>
> ますぐなるもの地面に生え、
> するどき青きもの地面に生え、
> 凍れる冬をつらぬきて、
> そのみどり葉光る朝の空路に、
> なみだたれ、
> なみだをたれ、
> いまはや懺悔をはれる肩の上より、
> けぶれる竹の根はひろごり、
> するどき青きもの地面に生え。
「青い色」なんてものは、本当は存在しない。可視光線の中で波長の短いものが、眼の網膜を通って脳に至ると、それが「青い色」というクオリアに変換されるだけだ
「凍れる冬」というのも、本当は存在しない。水分子の運動量が落ちて固体になるときに、人間がそれを「寒さ」と感じるだけ
「するどい竹」というのも幻想だ。原子と分子が集まってできたカタマリが、人間にはそう見えるにすぎない >>953
実際、仏教徒の間では、ほとんど見解の相違はない教えですよ(どれほど重視するかは個人差がありますが)。
ただこのスレでは、単に分かっていない人や、何かを盲信してしまっている人が、たまたまたくさん集まっているので、百家争鳴に見えるだけです。
あと、「仏道修行の役には立たない」というのは、 どうしてそう思うようになったのですか?
大抵の宗派では、(これも程度差はあるものの、)根本教義の一つとして扱われているはずですが。 >>955
では、「科学や哲学では神秘を解明できない」ことを、科学的ないし哲学的に説明してください。
あともう一つ言っておくならば、仮に真理に関する不可知論の立場に立ったとしても、詩人にならないでいる(哲学者や科学者として振る舞う)ことは、依然として可能ですよね。 >>954
プラトンは神秘主義とは言えないでしょうね。
新プラトン主義は神秘主義ですが。 >>957
> 「青い色」なんてものは、本当は存在しない。可視光線の中で波長の短いものが、眼の網膜を通って脳に至ると、それが「青い色」というクオリアに変換されるだけだ
これは違いますね。
なぜかというと、光の波長の長さのどこからどこまでが青なのか
という識別はできないからです。
明らかに「青」という理念、イデアが実在する。
> 「凍れる冬」というのも、本当は存在しない。水分子の運動量が落ちて固体になるときに、人間がそれを「寒さ」と感じるだけ
>
これも違います。
「寒さ」を感じるのは温度帯に関係ない。
凍える、という理念、イデアは実在する。
> 「するどい竹」というのも幻想だ。原子と分子が集まってできたカタマリが、人間にはそう見えるにすぎない
まあ、そうかも知れないが詩情のないことはよくわかりました。 >>961
イデアが「実在」する、というのは自明ではないですね。
どうしてそんなことが分かるのですか? あと、どちらかというと詩情がないのは、幸福の科学信者氏のほうかと。
詩くらい学問的な正しさとは無関係に評価させてください。 >>959
> >>955
> では、「科学や哲学では神秘を解明できない」ことを、科学的ないし哲学的に説明してください。
無から有となる天地創造は科学や哲学では説けない、
ということです。(^^) >>964
まず「天地創造」なるものを証明するところからですね。 あと、なぜそれを「解けない」と言い切れるのかにも、説明が必要ですね。
ついでに言えば、それが解けないからといって、なぜ神秘主義に走らなければならないのか、も判然としないですね。 >>962
たとえば、ニワトリと卵、どちらが先か、
という議論がありますよね。
この場合、ニワトリという完成形がイデア、
卵→ひよこ→ニワトリ→卵→
というのは、神の芸術なのでしょう。 >>966
> あと、なぜそれを「解けない」と言い切れるのかにも、説明が必要ですね。
説明は不要だと思います。
なぜなら無から有を生じる因は、創造主の意志であり、
それは信じるより他にないからです。
> ついでに言えば、それが解けないからといって、なぜ神秘主義に走らなければならないのか、も判然としないですね。
神秘主義に走らなければいけない、
というより、神秘主義にならざるを得ない、というのが
正直なところだと思います。(^^) >>967
申し訳ないですが、仰っていることの意味が分かりません。
ついでに言えば、詩としても面白くありませんね。 >>967
> この場合、ニワトリという完成形がイデア、
それは哲学的には、「イデア」というより「エイドス」(形相)だな。アリストテレス的な概念だ
> 卵→ひよこ→ニワトリ→卵→というのは、神の芸術なのでしょう。
「神の芸術」かどうかは知らんが、可能態から現実態への移行はアリストテレスの形而上学 >>968
いや、ですから、なぜ真理が分からないからといって、神秘主義に走らざるをえないのか、と聞いているのですが…
「無神論」「不可知論」「懐疑主義」といった哲学的立場は無視ですか?
あと、創造主の意志なるものは、信じるより他ないものとは限りません。
それを信じろというのなら、あなたの主張は宗教的言説、それもかなり粗悪なものでしかありません。 >>968
> 説明は不要だと思います。
> なぜなら無から有を生じる因は、創造主の意志であり、
> それは信じるより他にないからです。
だったら、哲学はやめとけ ネタで幸福の科学信者を名乗ってるのかと思ったがどうやらマジっぽいな
まあ信者なら哲学するより参院選をせいぜい頑張ってくれ お釈迦様の目的は空を理解させることでも
縁起を理解させることでも
無かったと思うんですよね
たとえ実際はギリギリ言葉で表現できそうでも
これを言ったとて
こいつら(弟子)混乱するだけだろうな....
苦と絡めて実際に実体験し易く自分で納得できる方が
絶対効果的だ
だって目的は解脱して楽になることなんだから
って感じだったと思うんですよね
実際の修行も簡単なフレーズを繰り返して
無常なり苦なり無我なりを浸透させて
実際に自分を見つめてその通りだと納得していく
瞑想が極限に達して解脱する
こ の あ と に
縁起なり空なりがハッキリと認識されて
言葉で整理する必要がないほど自分の中では
当たり前になる
例えが適切かどうかは置いといて
スピリチャルの非二元の人達が
これがあるだけ 全てが自然に起こっているだけ
うんぬんかんぬんと(その人にとって)信実を語っても
弟子が同じところに行くまでは本当の意味で理解できず
何を言ってるかチンプンカンプン みたいな
チベット密教とか天台宗とかわからないけど
空の知的な理解と絡めて修行方法が確立されていて
数年に一人とかのペースでお釈迦様並みの人が
着実に出ている場合はごめんなさい
その辺は本当に不勉強で事情通でないので >>973
> ネタで幸福の科学信者を名乗ってるのかと思ったがどうやらマジっぽいな
> まあ信者なら哲学するより参院選をせいぜい頑張ってくれ
当方が縁となって、アフォを引き寄せてしまった
申し訳ない >>974
釈尊の目的は「ただ単に瞑想させること」でもなかったと思いますけどね。
縁起とか空とかの考え方をまずは理解したうえで、それを心から納得できるようにするために瞑想をするのでしょう。 まあ、結局、
色即是空、空即是色
の、空即是色とは何なのか、というところなのでしょうね。(^^)
それが大宇宙の根本仏の意志なのだ、と信じるのが
幸福の科学の信者の基本的な考え方なのですが、
押し付けるつもりは全くないです。
参院選、幸福実現党、チェックしておいて下さいね。(^^) >>975
いやいや、かえって幸福の科学のヤバさの一端が実感できてよかったわ
教え自体は一神教でキリスト教に近いけど、教義の性質上、仏教その他の諸宗教をひとまとめにして飲み込もうとしてくるんだね >>977
>空即是色とは何なのか
>それが大宇宙の根本仏の意志なのだ、と信じるのが
>幸福の科学の信者の基本的な考え方なのですが、
逆だ
それは万象万物の、盲目的な生きんとする意志だよ >>931
反論がなければ、認めたということになります。
>>932
実体が存在しなければ、あなたも存在しないということなのです。
あなたは、存在していますよね。
>>937
>「リンゴを食べることができる(と見做せる)」からといってそれは「リンゴが実体である」ということの論理的な根拠にはならないよ
「リンゴが実体である」というのは、論理ではなく自明です。
>>949
>般若心経は、無眼耳鼻舌身意/無色声香味触法。五感のすべてが「本当は無い」と言ってるんで
ですから、空即是色 だから、本当にあると教えているのです。
●皆さんへの宿題
禅の公案のなかに、空に関するものがいくつかあります。
空の理解になります。
無門関 第4則 胡子無鬚
或庵曰く、「西天の胡子、甚に因ってか鬚無き。」
或庵が云った、「達磨には一体どういうわけで鬚が無いのか?。 >>980
反論がなければ、認めたということになります。 ピカぁのネトサポ板とかしとるようだな
哲学を政局に利用する愚かな愚民が 盲目的生存意志という観念を実体と位置づけることで、新プラトン主義(世界は一者の段階的流出である)とショーペンハウアー(世界は盲目的生存意志の表象である)の融合を図ったのが、幸福の科学なのだろう。
そう考えれば、大方の教義は説明できる(本尊エル・カンターレは大毘盧遮那仏である、大川隆法はエル・カンターレの本体が地上に下生した存在である、エル・カンターレの一部が過去にブッダらとして地上に下生している、神は一人だけではないためシンプルな一神教ではない、神々の間には序列が存在するためフラットな多神教ではない、など)。
他のあらゆる宗教の信者に対して受容的態度を取りうるという点で、新興宗教としてかなりよく出来ているとは言えるだろう。
しかし一方で、観念の実在を自明視している以上、神秘思想であり、支持するには盲信を必要とするとも言わざるをえないだろう。
「多様な価値観を包摂しながらも、融合させ調和させてゆく」というのが、彼らの立場であるという。
だが、この教義では、彼らの側が、盲信をしたくない者、すなわち無宗教者であり続けたい者に対して、真に宥和的だと言える態度を取ることは、国家権力などの外圧が掛からない限り、不可能なのではなかろうか… お釈迦様の説かれたのは人間が幸せになる方法
それが大乗仏教です。
空や縁起や三法印や四法印もそのための手段です。
となると幸せな人には必要ありませんね。 >>984
> お釈迦様の説かれたのは人間が幸せになる方法
> それが大乗仏教です。
> 空や縁起や三法印や四法印もそのための手段です。
> となると幸せな人には必要ありませんね。
そういう人には、まず「一切皆苦」の勉強が必要
仏教では、人生が嫌になることこそ、解脱への第一歩とされている。「ボクは幸せいっぱい、夢いっぱいだ。人生が楽しくて仕方ない」というような人には、美味しい食べ物が腐っていくところを見せたり、墓場に連れていって美女が腐乱死体になってくのを見せたり。解脱するためにはまず、人生が嫌になることから始める必要があった
好むと好まざるとにかかわらず、仏教とはそういう教え。目標は「幸せになること」ではなく、「解脱すること」にあるから といっても、世の中の全員が解脱を目指すわけではない。解脱を目指すのは、出家したプロの修行者がやること
ブッダは、在家の人には違う教えを説いていた(対機説法)。在家の村人たちには、「善いことをすれば善い処に生まれ変わる。悪いことをすれば悪い処に生まれ変わる」という教えを説いた。プロの修行者には、「解脱した人はどこにも生まれ変わらない」と説いた。
人によって目標が異なるので、おのずと学ぶべきことも変わる >>983
> 他のあらゆる宗教の信者に対して受容的態度を取りうるという点で、新興宗教としてかなりよく出来ているとは言えるだろう。
日本の新宗教というのもまた、長い歴史を持つ独特な世界なんでして
金光教の信者・出口なおが大本教を創始し、出口王仁三郎が「万教帰一」(世界の宗教はひとつ)を説き始めた。でもって、大本教の幹部の谷口雅春と岡田茂吉が、それぞれ「生長の家」と「世界救世教」として分離独立。さらに生長の家の元幹部をブレーンとして、高橋信次がGLA 教団を立ち上げ。高橋信次が早死にした後、GLA 教団は分裂
初期の幸福の科学にはGLA の元信者が多く(今は違うけど)、教義はGLA から継承されたものが大半だった・・・というような系譜があって、各宗派の影響が複雑にからんでるんですわ
神道・仏教・儒教その他が混淆した日本の民俗信仰をベースに、主に仏教とキリスト教の要素を取り入れ、「世界の宗教を統一した」と称する。それが共通する特徴
後になるほど、だんだん理論的に整備されてきたのは事実でしょうな JBLさんおはようございます^_^)
ではJBLさんにお尋ねします。
「一切皆苦」とはどういう意味で、具体的な例を示してください。
本当に世の中には「苦」しかないのでしょうか? もう一つお尋ねします。
「ほんとうのしあわせ」
とは何でしょうか? >>988
一切皆苦は、生老病死です。
>>989
幸せ?
生老病死から解脱することでしょうね。 >>990
あなたはお話にならないので横槍しないでください
迷惑です。 >>991
私の目に触れた以上、批判には耐えていただきます。
問答を拒否するということは、あなたは仏教者ではありませんね。
信仰宗教の勧誘者でしょうか。
観世音菩薩を騙るんじゃない! >>988
一切皆苦とは卑近な人生の苦しみではなく
存在することで我にとらわれる煩悩の苦
輪廻の中に取り込まれて終わることのない苦
本当の幸せとは
終わりない我の輪廻の苦から解脱し涅槃へいくこと
生きとし生けるものすべてとともに
それ、すなわち空
空を言語解説するとは矛盾
言語解説そのものが我の苦で
そこから解脱することが空なのに
全くの意味不明 言葉も心の現れ、標。
知毒で以て無知毒を制す。
無、言葉は実体?即是空也。 >>988
> 「一切皆苦」とはどういう意味で、具体的な例を示してください。
「一切皆苦」も、お釈迦様がみずから定義されてますがな
「この世では、何事も思い通りにならない」という意味
具体的な例としては、「これから用事があるってのに、暑くて身体がダルくて動けねえ」とか
> 本当に世の中には「苦」しかないのでしょうか?
お釈迦様は、「ボクは人生がつらくて苦しくてたまらない。もう死にたい」とか、そういうことが言いたいわけじゃないんでして
むしろ逆で、「幸せいっぱい、夢いっぱい。ボクは長生きしたいなあ」というような人に、「いや、じつは一切皆苦なのだ。早く、そこに気づけ」という感じ
なぜかというと、この世が嫌になること。それが解脱へと向かう第一歩だから >>989
> もう一つお尋ねします。
> 「ほんとうのしあわせ」
> とは何でしょうか?
それは解脱すること、つまり、輪廻を終わらせることですな >>988
>>989
「空」の教えに従えば、「世の中には「苦」しかない」(一切皆苦)という帰結を、論理的に導き出すことができるでしょう。
「あらゆるものごとは実体ではなく(諸法無我)、現象としてのみ存在する(諸行無常)」というのが空ですが、これによれば、「一切は移ろいゆき、しかも自己ではない」ということ、すなわち「何もかも自分の思い通りにならない」ということが言えます。
そして、そこで言うところの「思い通りにならない」ということが、仏教では苦とされます。
それゆえ仏教では、「何もかもが苦である」と、すなわち「世の中には苦しかない」と説かれるわけです。
だからこそ、仏教における「ほんとうのしあわせ」とは、「そのような最悪の世界から抜け出すこと」、すなわち「解脱」だということになりますね(涅槃寂静)。
実際この世は、「生老病死」に代表されるような、誰にとっても避けようがないことばかりです。
というか、突き詰めて考えてみれば、自分の思い通りにできると断言できることなんて、どこにも見つけられないでしょう。
そして結局、われわれの苦しみというのは、そうした思うようにならない人生を、思うようにしようとすることで、生じてくるものなのではないでしょうか。
ちなみに、これ自体は、仏教において最も根本的な教え(四法印)の通りです。
空はそれを理論化したものですね(したがって当然それは言語で説明できます…空の理解は解脱に必要とされますが、しかし空は解脱とは異なるのです)。 ただ、実は、「空」の考え方からは、「では具体的に何をすれば解脱できるのか?」という問いの答えを、論理的には出せません。
しかし仏教では、抽象的な理論だけでなく、具体的な実践の方法も説かれている。
したがって、【実践を明確に語れない】ということが、「空」の弱点だと言えるでしょう(このスレでは誰も指摘してくれませんでしたが)。
そしてこれを、「空」と実践を理論的に両立させるという方向で乗り越えようとしたのが、「法華経」なのだと思います(まあ失敗していると思いますが)。 苦の一つの根源が言語です。
言語で説明する、理解することは苦のそのものです。
苦から解脱を目指す空を言語です。説明することなどできません。
わかりやすいのが公案、禅問答
あの意味不明なやりとりは言葉を破ること、
苦から解脱する練習の一つです。
苦から逃れて空を得るには、とにかく托鉢です。
死ぬまで托鉢し続けましょう。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 40日 12時間 42分 50秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。