>>939
>「死ぬ」ことの本質は、「非存在の未来が、非存在のままになる」ということであって、その限り「生まれない」ことと、本質的な違いはありません。

非存在のみを問題にして存在は問題にしないという、かなり特殊な視点で【死】という現象を捉えているのが噛み合わない原因だと思われます。
言うまでもない事ですが、【死】は生物に生じる物理現象です。あなたの述べる【非存在の未来】という概念では共通していても、実存レベルではやはり【生まれない】と【死ぬ】は異なる現象なのです。【生まれない】とは無が無のままであること、【死ぬ】とは有が無に変化することです。これは解釈や視点の違いではなく純然たる事実であり、覆ることは絶対に有り得ません。
当然ながら、無と有は区別され、それぞれに異なる価値判断が為されます。(例:生存中毒)
以上が、必ずしも反出生主義を支持することが積極的な死亡推奨にはならないことの根拠です。

数日前にも述べましたが、私個人としては生存中毒を悪とは認識していません。私が述べる生存中毒とは「生きたいと欲求すること」です。これは生まれたが故のサガなので憎んでも仕方ないというところです。ですから、生きたい人は生きればいいですが、生存中毒から解脱して死にたくなった人はさっさと死ねばいいと思います。つまり、本人がそう欲求する限りに於いて死ぬことは悪くないという立場です。
初めから非存在のままが最善なのは言わずもがな。