>>944
〉無と有は区別され、それぞれに異なる価値判断が為されます

まさに、無(非存在)と有(存在)を超越的視点から比較して、
「無=善(苦痛を含まないから)」
「有=悪(苦痛を含むから)」と断定するのが反出生主義の本質だと思うのですが、違うのですか? 

〉【生まれない】とは無が無のままであること、【死ぬ】とは有が無に変化することです。

捉え方の違いなので、それならそれでもいいのですが、それなら【死ぬ】は悪が善に変化することなので、どう考えても善いことだと思うのてすが、なぜそうならないのでしょうか?

海岸の例で、今そこに100人の人間がいるなら、津波の第一波で全員が死んで死体(非存在)になっているのが、反出生主義的には一番いいはずです。それなら、未来に第二波が来ても、恐怖も苦痛も全くないので。
しかし、時間を遡れば、100人全員が地震以前に死んでいれば津波に遭わなかったので、その方がより良かった、ということになります。それなら今モニターには何も映りません。子供の頃に死んでいればより良かったし、生まれてすぐに死んでいればもっと良かったし、そもそも100人とも生まれていなければ、それが考えられる限りの最善だった、ということになります。これが反出生主義の論理です。

〉初めから非存在のままが最善なのは言わずもがな。

というのは、そういう意味としか理解できません。