>《厳密には異なる可能性がある》という枕詞をつけた上で道理にかなっていると述べているようなものだよ

スレ主さんの主張を基準にすると、知覚の範囲外の可能性が存在する事柄への断定的な価値判断は、全て道理に適わず正当性がない、ということになります。
例えば、人間は日常的に未来という知覚の範囲外の事柄について考え、あたかも自分の想像した未来が絶対確実に訪れるかのような振る舞いをしますが、それらには《厳密には異なる可能性がある》ので、「正当性がない」ということになることでしょう。
恐らく、このような話をされているのだと思われますが、私が不思議に思うのは、なぜこの基準を出生/反出生の議論に持ち出したか、ということです。
要するに「人間は不合理な生き物だ」ということでしょう。
これは一理あると思いますし、中々鋭いですよ。
人間という存在そのものを対象にした方が本質的な議論になるのは明白なのに、何故わざわざ反出生/出生という狭い範囲に限定させたのでしょうか。
これは責めているわけではなくて、個人的な疑問というか、興味です。