つまり反出生は最初から、
知覚の範囲内の場合における知覚の範囲内の事象についての主張しかしていない
反出生が主張しているのは、生まれない(知覚の範囲内)なら、
生まれることで生じる苦痛という知覚の範囲内の事象は存在しない

そして受精卵の前である生まれる前の状態(精子と卵子)は、
1人の人間として生まれ得ることが確定している状態(受精卵)とは言えないため、
分かりやすく解釈する手段として、知覚の範囲内では(1人の人間としては)存在していないと定義している
だから 存在していない = 生まれる前の状態(精子と卵子) = 苦痛がない

生まれなければ無
→ 生まれる前の状態は無
→ 生まれる前の状態(精子と卵子)は(1人の人間としては存在していないので)無

ということやろ