>>869
なるほどね
結構長く考えてみたけれど、確かに産まれる前の状態を精子、卵子の状態に置き換えるならば反出生の主張の論拠としてオカルト的な論は必要無くなるね

となるならば私の主張の前提が崩れる事になり反論として、大いに成り立っていると言えるわね
これちょっと収穫ね

ただ、言葉としては指し示す意味合いとして成り立っていないから、主張として述べれるのであれば《生まれなければ》ではなく《精子、卵子の状態のままにしている方が》という文言だと解釈の齟齬を無くせるわね
ここら辺が課題といったところかしら

ただ、まだ解決していない部分はあるよね
上記の君が述べた主張を成り立たせる論拠であるベネターの非対称性論の事よ

反出生というのは産まないことによって存在を生じさせないから、快楽を享受する存在は居ないものと考えて、無くても良いとする論だと思うのだけれど

それって未来のある時点から、うまないと判断して実行している現時点までを振り返った視点であって
実際の現時点での視点から捉えた行動は《精子、卵子の状態にある産まれることが可能な存在》を他人の価値観で存在させず、この世で経験できる様々な物事を経験する事を阻んでいる
という行動を取っていることになると思う

続く