>>899
ここでこれ迄に述べられた、生物の構造上において苦痛を嫌うというお話を踏まえて見ても、
苦痛を受ける可能性と日々享受する様々な物事を天秤にかけて、日々享受する様々な物事の方を重く捉える人はこの世に沢山いることは無視する事が出来ない事実だと言えると思う
上記の事から発展して
《産まれたあとに享受出来る様々な物事に対する価値観》と《苦痛に対する価値観》が等しいというのは間違っていて、個々人の価値観によって《それぞれの価値観の差がでる》事を示していると言えると思う

加えて、
反出生の言う《この世を苦痛に思うかもしれない可能性を尊重する》のが反出生であり
《それ以外の可能性の方を相対的に尊重する》のが反出生以外という事になると思う

ここでまた、これ迄に述べられた反論である《倫理観》を踏まえて述べるとすると
確かに、この世に存在させなければこの世に置いて、苦しむ可能性を消す事が可能であり
出生する以上、苦しむ可能性を消す事は困難であるという事実はある

が、しかしながら

それはあくまで倫理観であり、道理が通っている考え方では無いのは疑いようの無い事実でもあると言えると思う

というのも、反出生の主張に正当性を持たせるのであれば《精子、卵子の状態に留めておくこと》が《精子、卵子の状態にある存在》にとって最善の選択であり、当人達もそう考えるという論拠が無ければならない
が、
現実では、その様な論拠は無く、あくまでも正当性とは異なる倫理観を基準に他人の目線から出生の是非を論じている状態に過ぎない

続く