要は苦痛回避は最小の苦痛を追求する物でありながら、快楽を味わう選択肢を捨てる事を最大の苦痛と位置付けている事が不自然なの

苦痛回避だけなのであれば快楽という概念自体必要無いのよ

従って
苦痛回避という捉え方とは別に快楽という事象に対する捉え方も同時に存在していて
その結果として快楽を味わえないのは最大の苦痛と位置付けていると言う事にならないとおかしいのよ

だから
苦痛回避という行動原理と快楽追求という行動原理が同時に存在していて相互作用していると考えるのが自然

しかしながら元レスは苦痛回避だけが人間の行動原理だと言い切っていたのよね

ここに物凄くモヤモヤしたから
お得意の懐疑主義を発動したわけ

なにか不自然な点あるかしら?