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(____,,--‐‐'''"⌒:::::l.川
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  |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|リリ    柄谷行人 『マルクスその可能性の中心』序章より
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 彡\,〈__ノニニ´ .:::/ミミ
  /ノ  ノ -‐‐一´\

ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである。
これは自明の事柄のようにみえるが、必ずしもそうではない。

たとえばマルクスを知るには『資本論』を 熟読すればよい。
しかし、ひとは、史的唯物論とか弁証法的唯物論といった
外在的なイデオロ ギーを通して、ただそれを確認するために 『資本論」を読む。
それでは読んだことにはならない。