>>101 その2
空間という表象がいかにして獲得されたのかについてはややこしくなります。
私の基本は、時々ステレオグラムを貼ったりもしましたが、
認識上でも立体感は二次元上に起こる錯覚ということです。
少なくとも人間の視覚は三次元そのものを認識するのではなく
網膜か何かの二次元的な情報から三次元的なものを認識します。
実際に三次元がなくても三次元は認識できるということです。
人間が世界を三次元的に認識するのは実際に世界が三次元だからではなく、
進化の過程でそのように認識したほうが有利だったからではないかと思います。
また、むしろ逆に実際に世界が三次元だったとして、
何故それがそのまま三次元として意識に反映されるのか
それも意識のハードプロブレムと同様にハードなプロブレムになることが予想されます。

タイムラグのついて、私は自動焦点カメラの例で読みました。
対象に光か何かを当てて帰ってくるまでの時間は事実上の距離である
という考え方です。
しかし距離はよく考えてみるとタイムラグがすべてではない気もします。
たとえば電話口で音が小さいことを「遠い」と表現することがあります。
絵で小さく描いてあるものを「遠い」と感じる傾向もあります。
たぶん「距離」というのはそういった様々なことを統一的に理解するための方便です。
実際に空間的にひろがりがあればそれでわかりやすわけではありますが、
空間の実在を想定するのは私には不自然なことのように思えます。
物理学的空間は常に感覚的に表現されており、
感覚的でない空間をイメージすることはできないためです。
少なくとも感覚が生み出した虚構の可能性が示唆されます。

誰もいない空間に空間はあるのか、非感覚的な空間はどのようにしてあるのか
といういつもの展開です。